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フクシマ原発第一  福島200万労働者階級人民の怒りと苦悩 そして画家 ケーテ・コルヴィッツ  動画
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/874.html
投稿者 愚民党 日時 2011 年 7 月 08 日 01:58:29: ogcGl0q1DMbpk
 






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フクシマ原発第一 福島200万労働者階級人民の怒りと苦悩 そして画家 ケーテ・コルヴィッツ

会津藩は今、原発により、死の恐怖に叩き落とされている。

わたしはドイツの版画家ケーテ・コルヴィッツの絵を思う。

「生きさせろ!」と叫ぶ人々、家族、親と子、父親、母親、子供、そして民衆。

ドイツの版画家ケーテ・コルヴィッツを始めて知ったのは
1973年の秋だった。

わたしの兄は明治学院大学の二部、夜間大学生だった。
昼は田町にある慶応大学の近くの印刷所で働いていた。

兄は明学小劇場の学生演劇人でもあった。

1973年の11月、品川の荏原文化センターホールで、カミュの「正義の人々」を上演することになった。演出と制作はわたしの兄だった。そのパンフレットに兄はドイツの版画家ケーテ・コルヴィッツの「蜂起する人々」を使用した。パンフレットの印刷は兄が勤める中小企業の印刷所であった。兄は三田図書館からケーテ・コルヴィッツ版画集をかりてきていた。

わたしは東急線の旗の台駅でおり、ひとり荏原文化センターに歩いていった。
そのときわたしは孤独な敗北者であった。とぼとぼと歩いていった。

兄が演出した、明学小劇場公演・カミュ「正義の人々」を観戦した。
舞台装置はツアー皇帝支配のロシアの雰囲気を出していた。

その夜の深夜、兄はわたしが住む戸越公園駅近くのあった豊町のアパートに来てくれた。明日は、カミュ「正義の人々」公演の最終日だった。兄は帰っていった。

夜の初冬の風と窓ガラスは音を立てていた。

その頃、わたしは原発に対しては「無知の涙」だった。

すでに小学生時代の「鉄腕アトム」や「エイトマン」などのテレビアニメによって原子力洗脳されていた。

今思う、手塚治虫とは何者だったのだろうかと?
桑田次郎とは何者だったのだろうかと?
石森章太郎とは何者だったのだろうかと?

白土三平の「カムイ伝」はリアリズムに満ちていたが、それを発見したのは中学生時代であった。町の貸本屋さんから「ガロ」をかりるのが楽しみだった。

「カムイ伝」の最初のシーンは色刷りであった。今でも覚えている。

すでに白土三平の「忍者武芸帳」は貸本で読んでいた。わたしは何回も何回もくりかえし読んだ。「カムイ伝」がおそらく原子力に洗脳されていたわたしを覚醒してくれたのであると思う。

世間様PTA様はその頃「子供にマンガを読ませるな」という社会教育運動に熱心だった。そして日本はひたすら清潔衛生超管理社会の完成をめざし疾走暴走してきた。

「カムイ伝第1部」が終了し、白土三平は無言劇のギリシア神話シリーズを1974年頃からビックコミックに連載していった。

すでに1974年頃は原発推進派が「もっと素晴らしい都市へ」「おいしい電気生活」などと日本を細部まで全面的に支配していた。「無知の涙」であるわたしたちは気づかなかった。違和感は感じていたが・・・・・

白土三平のギリシア神話シリーズはその抵抗でもあったのだろう。


日本の「清潔衛生超管理社会」は、フクシマ原発第一によって大破綻した。

「清潔衛生超管理社会」は放射能による汚染社会へと位相転移した。これが現実である。

敗戦後の日本とは原子力日本であった。その原子力日本が2011年311によって焦土となったのである。


会津藩福島県民は今、原発により、死の恐怖に叩き落とされている。

わたしはドイツの版画家ケーテ・コルヴィッツの絵を思う。

「生きさせろ!」と叫ぶ人々、家族、親と子、父親、母親、子供、そして民衆。

 

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コメント
 
01. 2011年7月08日 06:43:30: A4GQ7o9O02
愚民等様
ケーテ・コルヴィッツで、思いだしました。
現在、日本の国会・ライヒスタークはリアルに燃え上がっております。
菅内閣メルトダウンからメルとスルーであります。

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『黙ってオレについてこい、文句がある奴ァ爆撃だ』
 マイカ・イアン・ライト著 早川いくを訳      より
(バジリコ株式会社)
   
  はじめに     カート・ボネガット

 マイカ・イアン・ライトの手になる本書の反戦ポスターは、ケーテ・コルヴィッツ、
ゲオルグ・グロッスなどの作品の精神を思い出させる。
 彼らは、生まれたばかりのドイツ民主主義が、「PP」たちによって今まさに息の根を止められんとしていた1920年代に活躍したアーティストだ。
 「PP」とは、自分の行動が他人を苦しめていることをはっきりと知りながら、それを全く気にしないという、精神医学で言うところの「精神病質人格者」である。彼らは、頭は切れ、愛想がよく、社交的で、そして良心というものが欠損している。人の心の痛みがわからないのだ。

 言語に絶する災難を引き起こしてくれる、そうした魅力的な指導者について書かれ、古典となっている医学教科書が、ハーヴィー・クレックレー著『正気の仮面(The Mask of Sanity)』である。たとえば、企業のトップにいるアメリカの精神病質人格者(PP)は、従業員と投資家を破滅させて私服を肥やすが、それでも自分は白雪のように純粋無垢だと心から信じているだろう。
 精神病質人格者(PP)が連邦政府首脳部に近い地位を手に入れたら、その精神病質人格者は、何百万人もの死傷者を出す終わりなき戦争に突き進むことが、米国にとって、断固として必要だと心の底から信じて疑わないのだろう。

 決断力が、精神病質人格者にとってはすべてだ。

これは、別な見方をすると我々米国人のライヒスタークが燃えていることを意味している。我々は、今こそ何かしなければならない。

 だが、何をすればよいのだろうか?

2002年12月3日 ニューヨーク市にて

(※ライヒスターク:ワイマール共和国の国会議事堂。1933年の放火を機会に、ナチスはワイ マール憲法を事実上、廃止した。)

カート・ボネガット
1922年、インディアナポリス生まれ。ドイツ系アメリカ人。コーネル大学で化学を専攻するが、第二次大戦で召集、カーネーギーテックで軍事訓練を受け、欧州戦線へ。ドイツ最後の大反抗バルジの戦いでドイツ軍捕虜となり、ドレスデンへ移送される。そのドレスデンで連合軍の無差別爆撃を自ら体験するが運良く生き残り、後に『スローターハウス5』として当時の被爆体験を著した。ちなみに、ドレスデンの無差別爆撃は戦後長く国家機密として封印されていた。高性能爆薬、焼夷弾で12万人以上が丸こげになった通常兵器では、史上最大の無差別殺戮である。


02. 一市民 2011年7月09日 05:40:44: ya1mGpcrMdyAE : x8ZkbZs5dU
ケーテ=コルヴィッツといえば、私は魯迅を思い出します。中国において彼女の作品集を出版することに力を尽くしたのが魯迅だったからです(詳しくは岩波文庫「魯迅評論集」竹内好訳をご参照のこと)。

魯迅も愛した版画家ということで、私はケーテ=コルヴィッツの名を知りました。


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