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原発は何処から、何処へ――(日経ビジネス) 2 「原子力の父」の称号を背に狙った総理の座
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投稿者 BRIAN ENO 日時 2011 年 9 月 28 日 15:13:01: tZW9Ar4r/Y2EU
 

「原子力の父」の称号を背に狙った総理の座
正力松太郎の大キャンペーンから政界引退まで
(前回から読む)
 権力者にとって原発が魅力的なのは、導入すれば「経済成長」と「軍事力増強」の二兎が得られると映るからだろう。原発を造れば、大量の電力供給が可能になり、「豊かな生活」への「夢」が膨らむ。核兵器開発に必要な技術にも手が届く。
 実際には技術的制御が難しく、放射線の危険がつきまとう。使用済み核燃料の処理方法は確立されておらず、莫大な設備投資が必要だ。原子炉の寿命が尽きたあとの廃炉まで含めれば、ライフサイクル・コストは高くつく。事故が起きれば、経済的前提は吹きとぶ。 
 それにもかかわらず、日本だけでなく、米国やフランスはじめ世界中で原発政策が推し進められてきたのは、核分裂エネルギーの途方もないパワーが権力者の欲望を刺激し、決定的な事故が起きるまでは「夢」が語り続けられるからだ。
「原発って、マッチョイズムなんですね」
 と、当連載の担当女性デスクに指摘され、ああそうだったのか、と改めて気づかされた。私自身、力への憧れがないといえば、嘘になる。力への信仰が原発にはへばりついている。逆にいえば、力がなければ不安だから、原発にしがみつく。不安は焦りをよぶ。
 戦後復興から成長期の「昭和モデル」は、明日は今日より必ずよくなるという希望と、過去の悪夢(敗戦)から逃れたい焦りが結びついて、生み落とされた。だから戦中世代は後ろを見ず、直線的に突き進んだ。欲望を全肯定するパワーで高度成長という階段を駆け上った。そんながむしゃらな先人の成功がなければ、いま、ここの私も、ない。単に誰かを断罪するのではなく、フクシマの痛みの根を知るために歴史をひもといてみたい。
 日本の原発導入、つまり「昭和モデル」の立ち上げで決定的な役割を果たした人物がいる。元警視庁警務部長にして読売新聞社主、正力松太郎(1885〜1969)である。彼にとって、原子力は宰相の座を射止めるための武器でもあった。正力が仕掛けた戦略とは、どのようなものだったのだろうか。    
(文中敬称略)
* * * * *
 1954(昭和29)年3月、原子力予算が成立した。学界は原子力研究の準備が整っておらず、混乱をきたしたが、政官主導で原子力利用の扉が開いた。
「第五福竜丸」と反核運動の高まり
 と、その矢先、衝撃的なニュースが世界を駆けめぐった。国会で原子力予算案が浮上する前日の3月1日未明、ビキニ環礁から160キロ離れた海上でマグロ漁をしていた「第五福竜丸」は、大量の「死の灰」を浴びて被曝した。23人乗りの漁船が母港の焼津港に帰ったのは14日。船員の「太陽が西から昇ったような火の玉を見た」という証言をもとに、16日、読売新聞は米国が極秘裏に行った水爆実験を世界に先がけて報じた。
 被曝した漁船員の頭髪は抜け、赤血球が著しく減った。全員が東大病院と国立第一病院に入院する。無線長の久保山愛吉は半年後に「原水爆の犠牲者は、わたしを最後にしてほしい」と言い残して亡くなった。原子力はビキニの名とともに再び現実の恐怖に変わった。
 この状況で、米国のダレス国務長官は「日本人は原子力アレルギーにかかっている」と突き放した。さらに被曝した船員たちを「スパイだ」とも口走る。


日本人は怒った。反核、反原水爆ののろしが、東京で上がった。杉並区の婦人が始めた原水爆禁止署名運動は、瞬く間に全国に波及する。運動は反核から反米へと大きなうねりをつくり、署名数は3000万人に及んだ。反米世論は、燎原の炎のように拡がっていった。
 政官財の親米派は、運動にソ連共産党の平和攻勢による革命戦略の匂いを嗅ぎ取り、日米関係の破綻を怖れた。ワシントン政府も日米関係を修復しなくては、原水禁運動に乗じて革命が起きると憂えた。反核、反米の運動を放置したら「反共の防波堤」が崩壊する。そこから先は、民衆の憤怒をどう抑えるか、いわゆる「情報戦」にかかっていた。
 正力松太郎が、政治の舞台にせり上がってきたのは、そんなタイミングだった。時代が、メディア王を求めたといえなくもない。米国にとって正力が握るメディアは魅力的だった。
原子力の大キャンペーンを開始
 富山県の高岡に生まれた正力は、東京帝大を出て内務省に入り、警察畑を歩んだ。治安維持や政界裏工作に携わる。1923(大正12)年、摂政宮(のちの昭和天皇)が無政府主義者に銃撃される「虎の門事件」が発生し、警備の責任をとって退官。その後、読売新聞を買収して経営権を掌握した。他社にさきかげて「ラジオ欄」を設けて部数を伸ばし、「読売中興の祖」と崇められる。
 戦中、大政翼賛会総務だった正力は、敗戦で、A級戦犯容疑者となり、巣鴨プリズンに収監された。正力に最も早く原子力情報を伝えたのは翼賛会人脈の橋本清之助だった(第1回参照)。正力は、公職追放を解かれると、真っ先に「電波メディア」の開拓にのめりこむ。右腕の柴田秀利を介してワシントンの要人と連携し、「日本テレビ放送網」を創設した。
 その顛末は、早稲田大学教授・有馬哲夫の『日本テレビとCIA『原発・正力・CIA』に詳しい。ノンフィクション作家・佐野眞一の『巨怪伝』と併せて読むと、CIAからエージェントとして「ポダム」の暗号名をつけられた正力がテレビから原発へとのめりこむ経緯が見えてくる。
 正力は「原子力の父」の称号を背に総理の座を狙った。米国の権威と力を利用して原子力のイメージを高め、自ら育てたメディアを駆使して大衆の心理を動かす。
その「大キャンペーン主義」に正力の戦略と人柄が凝縮されている。
 55年1月、衆議院が解散されると、正力は、総選挙に立った。選挙スローガンは「原子力の平和利用による産業革命の達成」である。正力は、故郷、富山の選挙区を回りながら、「原子力! 原子力!」と連呼した。2月末の投票までの間、読売新聞は次から次へと原子力利用の記事を掲載する。こんな見出しが並ぶ。
「広島に原子爐 建設費二二五〇万ドル 米下院で緊急提案」(1月28日)
「原子力マーシャル・プランとは 無限の電力供給」(2月10日)
「米国内を洗う原子力革命の波 資本家も゛発電゛に本腰 ウォール街も増築景気」(2月11日夕)
「『広島』に限定せず『日本に原子炉建設』再び提案へ イェーツ議員」(2月12日夕)
 原爆が落とされた広島に、わざわざ原子炉をつくろうという発想は仰天するばかりだが、それほど原発は平和的で、夢に満ちたものだと米国の下院議員は言いたかったのだろう。ともかく、新聞の援護を受けながら正力は選挙戦に挑んだ。しかし富山の純朴な民は原子力で産業革命と言われてもピンとこない。選挙は大苦戦を強いられる。
「湯水のような金と人海戦術で、辛うじて当選して帰った」
 と、側近の柴田は回想録『戦後マスコミ回遊記』に記している。

晴れて国会の赤絨毯を踏んだ正力は、鳩山一郎首相に原子力の重要性を訴えつつ、産業界を糾合する。財界人を説得して「原子力平和利用懇談会」を立ち上げた。経団連会長の石川一郎を筆頭に石川泰三ら錚々たるメンバーが集まった。これは財界を束ねる「原子力産業会議」への布石であり、次なる大イベントへの準備でもあった。
 正力の策は、強引そうに見えてかなり周到だ。ペラペラ思いつきばかり喋る現代の政治家に比べると、動き方に凄みが漂う。
米国「原子力平和利用使節団」来日、保守大合同
 5月、正力の招聘で米国の「原子力平和利用使節団」が来日した。団長は、原子力潜水艦を進水させたばかりの軍事企業、ジェネラル・ダイナミックス社のジョン・ジェイ・ホプキンス社長。米国の核開発を先導してきた科学者や民間企業の幹部がつき従っていた。日本側の財界人の懇談会は、彼らを迎える器でもあった。
 羽田空港に降り立った使節団は、読売本社と日本テレビを訪ねて、カメラのフラッシュを浴びる。超満員の日比谷公会堂での「大講演会」はテレビで中継された。日本政府代表は、使節団との懇談会で「250万ドル」の研究炉購入予算が成立したことを報告し、米国から研究炉を購入するにはどんな手続きが必要か、と訊ねた。ホプキンスは応える。
 日米の双務協定を結ばねばならない。米国議会の承認が必要なので緊急を要する、急いだほうがいい。ホプキンスは、国際会議のスピーチに立ち、アジア太平洋地域の後進性を「原子力共同体」を設立して打ち破れ、と語った。無限のエネルギー原子力を活用すれば、海底大都市計画も夢ではない、と煽る。
 夢想は、とめどもなく膨らんだ。日本はまだ貧しかった。聴衆はバラ色の未来に酔いしれる。坂の上に原子力という雲が浮かんでいる。メディアが酔いをさらに昂ぶらせた。
 鳩山一郎内閣は、使節団が滞日中になんと日米原子力協定の締結を閣議決定してしまった。外交としては従属的行動であろう。間をおかず、日米原子力協定による濃縮ウランの受け入れ機関として「財・日本原子力研究所(原研)」が設立される。ホプキンス一行の来日を機に、反核・反米の炎はかき消され、舞台が目まぐるしく転換された。
正力を陰で支えた柴田秀利は、回想記にこう記す。
「使節団一行の来日が、原爆反対即反米の嵐を鎮静させ、政府、世論を動かして、その滞在中に濃縮ウラン受け入れ決定にまで漕ぎつけさせてしまったことは、まさに予想外の成果だったといってよかろう。これでまさに危機一髪にまでさし迫っていた日米関係の絆は、再び固く結び戻され、ソ連や共産党の企図した平和攻勢の出鼻を、完全にへし折ることができた。……ホプキンス団長以下米国民間原子力平和利用使節団に対し、深甚なる敬意と感謝を捧げずにはいられない」
 正力のイベント攻勢はまだ続く。55年11〜12月にかけて、日比谷公園2千坪の敷地を使って「原子力平和利用博覧会」を開催した。42日間の会期で総入場者数は36万人を超え、大盛況のうちに終了する。得意絶頂の正力は、協力してくれたアメリカ大使館員に、展示物の「小型原子炉」を買いたいので手配しろ、と無理難題をふっかけた。持ち帰って自宅の発電に使うのだと言う。そんなことは不可能だ。恐るべきことに正力は原子力のイロハをわかっていなかった。
 博覧会の会期中、日本政界は、大きく再編成された。自由党と民主党の保守大合同が成り、「自由民主党」が誕生。ひと足早く左派、右派が統一された社会党と「55年体制」が形づくられた。自民党主導で盤石の保守路線が敷かれる。

この保守大合同にも、正力は一枚かんでいた。ホプキンス一行の来日中、慌ただしい日程でカムフラージュするかのように正力は芝伊皿子の料亭「志保原」で密かに自由党総務会長・大野伴睦と民主党総務会長・三木武吉を引き合わせ、根回しをしていたのだ。
原子力行政のトップの座に
 鳩山首相は、政界再編の功労者に「防衛大臣」への就任を勧めた。すると……、
「いや、だめだ。ただし原子力大臣ならやる」
 へっ? と、鳩山は狐につままれたような顔になる。そんな大臣ポストなどない。
「これからできるんだ。とりあえず、国務大臣ということにしておいてくれたまえ」
 首相が知らないことを、齢70の正力が画策している。国務大臣兼北海道開発庁長官で念願の初入閣をはたしたが、総理の椅子しか眼中にはない。正力は、勝手に「副総理格」を自任して首相官邸の国務大臣室に陣取り、官僚を呼びつけては命令をくだした。
 56年元旦、原子力委員会の発足と同時に委員長に就いた。5月に総理府管轄で「科学技術庁」が発足し、原子力委員会は特殊法人に衣替えして、その傘下に入る。正力は、初代科学技術庁長官に就任する。予言どおり「原子力大臣」のポストを得たのである。
 名実ともに原子力行政のトップの座についた正力は、研究炉ではなく、実用的な商業炉の導入に猪突猛進した。「五年以内に原子力発電所を建設する」とぶちあげ、ノーベル賞学者で原子力委員の湯川秀樹らの猛反発を食ったが、海外から「出来上がったものをそっくり買い入れる」やり方を譲ろうとはしなかった。原発導入で電力を中心とする産業界を味方につけて、政界の頂点へ一直線に達する夢を見ていた。
 正力は、茨城県東海村の百万坪の広大な敷地に原研の拠点を置き、商業用一号炉の建設予定地とした。東海原子力発電所の創設が具体化する。
原子炉選びを機に米国が警戒し始める
 最大の課題は、原子炉選びである。どの国から、どのような原子炉を導入するか。正力はCIAと熾烈な駆け引きをしながら、当初、米国の完成間近の軽水炉を引っ張ろうとした。正力と米国の深い縁からすれば、それが最も自然だ。
 ところが、CIAは政治的野心をぎらつかせる正力に「利用」されるのを警戒した。あれこれ理由をつけて回答を引き延ばす。米国から原子炉専門家が来日し、日本の電力需要が許すのなら、米国が建設中の原子炉の詳細データが得られる1961年ころまで導入を待つほうが賢い、と言い出す始末だ。70歳を過ぎた正力に、あと5年は長すぎる。
日本が原子炉を買いたがっている情報は、瞬く間に世界に知れ渡った。
 英国は、軍用炉を原型とする黒鉛ガス炉(コールダーホール型炉)で米国より一足早く、商業発電を実現した。そのコスト算出、築造技術、とくに耐震性などには不確かな点が多かったが、正力は英国炉に飛びついた。原子力委員会の音頭で調査団を英国に派遣する。
 57年1月、石川一郎を団長とする訪英調査団は「コールダーホール型の発電炉は、日本に導入するに値する」という報告書をまとめた。
 正力は、夢の果実をもぎとった、かにみえた。だが……、そこが正力の頂点だった。
英国炉を購入するには日本側の受け皿が必要だ。まっさきに手をあげたのは国の特殊会社「電源開発」だった。官主導の会社である。これに対して民間の九つの電力会社は共同出資で新会社を立ち上げる方針を打ち出す。官民は相譲らず、がっぷりと組み合った。

正力は、官に委ねるなどとんでもない、民間の創意工夫で早急に導入すべし、と吠えた。かたや官の側には自民党の実力者で総理候補といわれた河野一郎がついた。河野は、将来の産業発展に欠かせない原子力を民間に独占させたらどうなるか。不確定要素の多い、危険や災害をともなう買い物をして国民生活に悪影響を及ぼしてはいけない。国が責任をもつ、と反論した。河野は正力の政界入りの手引きをした恩人なのだが、生き残りをかけた勝負となれば話は別だ。両者は真っ向からぶつかりあった。
正力―河野の抗争は、結果的に正力に凱歌が上がった。
 裏で、河野に電力会社の「献金」が渡った、といわれる。民間80%、政府20%出資で「日本原子力発電株式会社」が設立された。正力は商業炉導入という「点」の争いで勝った。しかし鳩山派後継者の河野とケンカをした代償は、大きかった。政界で干された。権力闘争という「面」の戦いで窮地に追い込まれ、孤立していく。
政界からの引退と米国製軽水炉ブーム
 59年6月、第二次岸改造内閣で中曽根康弘は弱冠41歳で科学技術庁長官に就任した。世代交代、やがて正力は政界の第一線から退く。正力の置き土産、東海原発の英国黒鉛炉は、操業までに試行錯誤の連続だった。耐震性への不安から、設計変更が度々おこなわれ、建設費は膨れ上がる。65年に送電を開始するが、発電効率が悪く、極めて不経済だった。
 結局、英国黒鉛炉は、この一基のみ。以後、米国製の軽水炉ブームが到来すると、すべてそちらに切り替えられていく。
 いずれにしても、日本の原子炉導入は、手っ取り早く、海外から買い入れる方針が採られた。自前の技術は、モノを買ってから身につければいいという考え方だ。いささか卑近な言い方をすれば、家電製品を買い、その解説書を読みながら使うのに似ている。
 科学技術庁原子力局で原子力法制を担当した島村武久は、退官後の86年、正力の「無茶苦茶な英断」に一定の評価を下しつつ、日本と西ドイツの違いを興味深く、語っている。
「日本のように(西ドイツは)築造費じゃなかったわけですな。その功罪は後世の判断を待たなきゃならないかもしれませんが、最初の段階で動力炉開発のやり方の相違が出たと思うんです。後発国として外国に学ぶことは必要だったのですが、ただ、そっくり丸ごと買ってサッサと作る日本のやり方と、少し時間がかかっても、お金を払って技術を買って自分の力で作っていった西ドイツの行き方と、どっちがよかったかなと考えますね」(『島村武久の原子力談義』)
 日独の違いは、文化や国民性では片づけられない根の深いものだろう。日本は、物事をなすために、とりあえず枠を決め、そのなかに人を放り込んで競わせる。ドイツは、枠よりも全体の目的のもとに個々が物事を積み上げていく。個と組織の思想が異なる。
「ドイツは、最初の国内産の炉に対して政府が金を出した。ほかの余計なものはやらずに、まずは軽水炉の研究から始めたわけです。同じように占領によって研究が禁止されていて、解除を待って同時にスタートした両国の行き方の差が、そこではっきり分かれた。今日では日本も稼働率が非常にいいことを誇っておるわけですが、ずっと前から西独は日本よりもっといい。日本がうんと悪かった時でも、西独はすでに外国への輸出努力を一生懸命やっていた。日本は、とてもじゃないけど日本独自で原子炉を輸出するような力はなかったんです」(前同)
 原発技術を自力で積み上げたドイツは、福島第一原発事故を受けて、女性首相アンゲラ・メルケルのリーダーシップで2022年までに17基の原発をすべて閉鎖する選択をした。隣国フランスから大量の原発電力を買っているので、「脱原発ではない」との批判はある。しかし、国家の意思として再生可能エネルギー市場へシフトしたのは明らかだ。壮大な実験になるかもしれないが、判断の根底にはドイツ流の合理主義、歴史観が横たわっている。
 それは「マッチョイズム」の止揚宣言とも受けとめられる。
 (次回につづく)      

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110923/222797/?P=1


上記は以下の続きです

原発は何処から、何処へ――(日経ビジネス)
http://www.asyura2.com/11/genpatu16/msg/718.html
投稿者 BRIAN ENO 日時 2011 年 9 月 22 日 16:32:58: tZW9Ar4r/Y2EU  

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コメント
 
01. 2011年9月28日 15:29:27: Dt6vAk1llM
・【2011.09.26】広瀬隆×C・ダグラス・ラミス対談 1/3〜3/3

http://www.youtube.com/watch?v=Iu5LdTNzqM0&feature=bf_next&list=PLEECF0CED831CACDA&lf=plpp


02. BRIAN ENO 2011年9月28日 15:39:13: tZW9Ar4r/Y2EU : vfGGvbPXMg
01様、映像紹介、ありがとうございます。
ところで、どうでもいいことだけど、
なんで広瀬隆、ダクラスを避けるように、
からだを傾けてるのでしょうかね?
(すみません、変なところ、気になってしまいます)

03. 2011年9月28日 16:11:26: Dt6vAk1llM
>02

広瀬隆とダグラスとでは専門分野が違うようですから、深いところでは議論が完全にはマッチしない、という意識があるのかな?その意識が相手を避けるような姿勢になっているのかも。(本当はどうだかわかりませんけど)


04. 2011年9月28日 21:06:10: HVBACu9YnU
BELx2TOKYOJAPAN: きのう無頭症や死産が増えてると2ちゃんで見かけた RT @KinositaKouta卵巣炎が関東で増えていると聞きました。食べ物に気をつけていないと西でも危ないです。女性の妊娠出産に影響が大きい事象です。チェルノブイリでもよく見られた現象です。

05. 2011年9月28日 21:06:33: HVBACu9YnU
rowater_pure: ■胎児への影響・9日目までに0.05グレイ以上で死産・2週から8週までに0.1グレイ以上で小頭症の奇形・8週から15週までに0.12〜0.2グレイ以上の被爆で精神発達に影響つまり、妊婦は0.05グレイ(=50mSv)以上被爆したら危ない。#followme

06. 2011年9月28日 21:07:02: HVBACu9YnU
good_by_daisy: 原発汚染は311前から被害多かったがずっと内緒ねと人差し指立てられてきた?『福島原発近くの乳幼児死亡率最大54.1%』『奇形。生きたまま顔が横についてたり目が一つしかなかったり。だから死産にする。』←締めると言う事?[画像:一つ目赤ちゃん]http://t.co/Ux4iGVtg

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