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反原発デモが日本を変える     柄谷行人 ウェブサイト
http://www.asyura2.com/11/genpatu16/msg/897.html
投稿者 愚民党 日時 2011 年 9 月 30 日 06:45:47: ogcGl0q1DMbpk
 

柄谷行人 ウェブサイト


反原発デモが日本を変える

http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-64.html


 3月11日の東日本大震災から、この6月11日で3か月が経過する。震災直後に起こった福島第一原発の事故を契機に、日本国内のみならず、海外でも「反原発・脱原発デモ」が相次いでいる。東京においても、4月10日の高円寺デモ、24日の代々木公園のパレードと芝公園デモ、5月7日の渋谷区役所〜表参道デモとつづき、6月11日には、全国で大規模なデモが行なわれた。作家や評論家など知識人の参加者も目立つ。批評家の柄谷行人氏は、六〇年安保闘争時のデモ以来、芝公園のデモに、およそ50年ぶりに参加した。今後、この動きは、どのような方向に向かい、果たして原発廃棄は実現可能なのか。柄谷氏は、6月21日刊行の『大震災のなかで 私たちは何をすべきか』(内橋克人編、岩波新書)にも、「原発震災と日本」を寄稿している。柄谷氏に、お話をうかがった。(編集部)

  *  *  *

【柄谷】最初に言っておきたいことがあります。地震が起こり、原発災害が起こって以来、日本人が忘れてしまっていることがあります。今年の3月まで、一体何が語られていたのか。リーマンショック以後の世界資本主義の危機と、少子化高齢化による日本経済の避けがたい衰退、そして、低成長社会にどう生きるか、というようなことです。別に地震のせいで、日本経済がだめになったのではない。今後、近いうちに、世界経済の危機が必ず訪れる。それなのに、「地震からの復興とビジネスチャンス」とか言っている人たちがいる。また、「自然エネルギーへの移行」と言う人たちがいる。こういう考えの前提には、経済成長を維持し世界資本主義の中での競争を続けるという考えがあるわけです。しかし、そのように言う人たちは、少し前まで彼らが恐れていたはずのことを完全に没却している。もともと、世界経済の破綻が迫っていたのだし、まちがいなく、今後にそれが来ます。

 日本の場合、低成長社会という現実の中で、脱資本主義化を目指すという傾向が少し出てきていました。しかし、地震と原発事故のせいで、日本人はそれを忘れてしまった。まるで、まだ経済成長が可能であるかのように考えている。だから、原発がやはり必要だとか、自然エネルギーに切り換えようとかいう。しかし、そもそもエネルギー使用を減らせばいいのです。原発事故によって、それを実行しやすい環境ができたと思うんですが、そうは考えない。あいかわらず、無駄なものをいろいろ作って、消費して、それで仕事を増やそうというケインズ主義的思考が残っています。地震のあと、むしろそのような論調が強くなった。もちろん、そんなものはうまく行きやしないのです。といっても、それは、地震のせいではないですよ。それは産業資本主義そのものの本性によるものですから。

 原発は、資本=国家が必死に推進してきたものです。原発について考えてみてわかったことの一つは、原発が必要であるという、その正当化の理論が日本では歴史的に著しく変わってきたということです。最初は、原子力の平和利用という名目で、核兵器に取り組むことでした。これはアメリカの案でもあり、朝鮮戦争ぐらいから始まった。このような動機は、表向き言われたことはありませんが、現在も続いている。つぎに、オイルショックの頃に、石油資源が有限であるという理由で、火力発電に代わるものとして原発の建設が進められるようになった。これもアメリカの戦略ですね。中東の産油国を抑えられなくなったので、原子力発電によって対抗しようとした、といえる。その次に出てきたのが、火力発電は炭酸ガスを出すから温暖化につながる、したがって、原発以外にはない、というキャンペーンです。実際には、原発はウラン燃料作り、原発建設、放射能の後始末などで、炭酸ガスの放出量は火力発電と違わない。だから、まったくの虚偽です。このように、原発正当化の理由がころころ変わるのは、アメリカのブッシュ政権時のイラク戦争と同じです。つまり、最初は大量破壊兵器があると言って、戦争をはじめたのに、それがないことが判明すると、イラクの民主化のためだと言う。途中で理由を変えるのは、それが虚偽であること、真の動機を隠すためだということを証明するものです。原発に関しても同じです。それが必要だという理由がころころ変わるということ自体、それが虚偽である証拠です。

 ―― なるほど。

【柄谷】フクシマのあと、脱原発に踏み切った国を見ると、核兵器を持っていないところですね。ドイツやイタリアがそうです。この二カ国は日本と一緒に元枢軸国だったのです。ところが、日本はそうしない。それは、本当は、日本国家が核兵器をもつ野心があるからだと思います。韓国もそうですね。ロシアやインドは、もちろん核兵器を持っている。核兵器を持っている国、あるいはこれから作りたい国は、原発をやめないと思います。ウランを使う原子炉からは、プルトニウムが作られますからね。元々そうやって原子爆弾を作ったんだから、原子力の目的はそれ以外にはない。原子力の平和利用と言うけれど、そんなものは、あるわけがない。同じ原子力でも、トリウムを燃料として使うものがあります。『原発安全革命』(古川和男著、文春新書)という本に書かれていますが、トリウムはウランより安全かつクリーンで、小型であり、配電によるロスも少ないという。しかし、それがわかっていても採用しないと思います。そこからはプルトニウムができない、つまり、核兵器が作れないからです。

 原発は経済合理的に考えると成り立たない。今ある核廃棄物を片付けるだけで、どれだけのお金がかかるのか。でも、経済的に見て非合理的なことをやるのが、国家なのです。具体的には、軍ですね。軍は常に敵のことを考えているので、敵国に核兵器があれば、核兵器を持つほかない。持たないなら、持っている国に頼らなければならない。できるかぎり自分たちで核兵器を作り所有したいという国家意志が出てきます。そこに経済的な損得計算はありません。そんなものは不経済に決まっていますが、国家はやらざるをえない。もちろん、軍需産業には利益がありますよ。アメリカの軍需産業は戦争を待望している。日本でも同じです。三菱はいうまでもなく、東芝や日立にしても、軍需産業であって、原発建設はその一環です。他国にも原発を売り込んでいますね。日本で原発をやめたら、外国に売ることもできなくなるから困る。だから原発を止めることは許しがたい。したがって、原発を止めるということは、もっと根本的に、軍備の放棄、戦争の放棄ということになっていく問題だと思います。

 ―― 4月24日のデモについて、おうかがいします。柄谷さんは、ご自身が講師を務める市民講座「長池講義」の公式サイトで、「私は、現状において、反原発のデモを拡大していくことが最重要であると考えます」と述べ、反原発デモへの参加を呼びかけられました。実際に芝公園と、その次の渋谷区役所前のデモに参加された。街頭デモへの参加は50年ぶりのことであり、なぜ柄谷さんをこの運動に向かわせたのか、お聞かせいただけますか。

【柄谷】デモに行くということについては、かなり以前から議論していたと思います。数年前から、何カ所かで、「なぜデモをしないのか」という講演をしたのです。『柄谷行人 政治を語る』(図書新聞刊)の中でも、その話をしています。なぜ日本でデモがなくなってしまったのか。そのことについても考察しています。それと関連する話ですが、3月11日以降に、わかってきたことがあります。実際は、1980年代には日本に大規模な原発反対の運動があったのです。それなのに、なぜ今日まで、54基もの原発が作られるに至ったのか。そのことと、なぜデモがなくなったのかということは、平行しており、別の話ではないということです。

 現在言われている反原発の議論は、1980年代に既に全部言われていることですね。事実、多くの本が復刻されて読まれている。今も完全に通用するのです。むしろ驚くべきことは、あの時に言われていた原発の危険性、技術的な欠陥、それらが未だに何一つ解決されていないということです。原発はまた、危険であるがゆえに避けられない過酷な労働を伴います。半奴隷的と言ってもいい労働が、ずっとつづけられてきた。今度の事故で、あらためてそのことに気づかされました。原発に反対すべき理由は、今度の事故で新たに発見されたのではない。それは1950年代においてはっきりしていたのです。しかし、それなら、なぜ原発建設を放置してしまったのか。特に強制があったわけでもないのに、原発に反対することができなくなるような状態があったのです。デモについても、同じことです。デモは別に禁止されてもいないのに、できなくなっていた。では、この状態を突破するには、どうすればいいか。そのことを、僕は考えていました。そこで、デモについていろいろ考え発言したのですが、結局、まず自分がデモをやるほかないんですよ。なぜデモをやらないのかというような「評論」を言ってたってしょうがない。それでは、いつまで経っても、デモがはじまらない。デモが起こったことがニュースになること自体、おかしいと思う。だけど、それをおかしいというためには、現に自分がデモに行くしかない、と思った。

 ―― 参加されて、どんな感想をお持ちになりましたか。

【柄谷】気持よかったですね。参加した人もこれまで、デモについての固定観念を持っていたと思うのですが、来てみたら全然違う、と感じたんじゃないですか。子供連れで来ている人がかなりいました。僕は安保の時に何度もデモに行きましたが、今回のデモは、あの時とは違いますね。しかし、僕がデモに50年ぶりに参加したというのは、日本において、ということです。実は、アメリカに住んでいた頃は、何度かデモに行ってるんですよ。といっても、わざわざ出掛けて行ったのではない。たとえば、10万人のデモが家の前を通っていて、そこを通り抜けないと、カフェにも行けない。だから、ついでにデモに参加したわけです。むろん、イラク戦争反対のデモだったからですが。今回の日本のデモは、そのときのデモに似ています。

 ―― 安保の時とは違うと言われましたが、どのような違いがあったのでしょうか。

【柄谷】1960年のころは、基本的に労働組合が中心で、その先端に学生のデモがあったのです。「全学連」のデモも、最後の半年ぐらいは違いますが、それまでは、国民共闘会議のなかの一集団で、長いデモの先頭にいたんですね。何十万人の参加者の中の、1万か2万ぐらいが学生だった。

 ―― 一緒にやっていたわけですか?

【柄谷】そうですね。ただし、1960年以後、学生と労働者との断絶が続きました。1960年代末の、いわゆる全共闘のころは、学生のデモは労働運動とはつながりがほとんどなかった。その分、デモは過激なものになって、普通の市民は参加できない。だから、いよいよ断絶化する。したがって、1960年以後は、大規模な国民的デモはなかった、といっていいと思います。現在は、大学の学生自治会はないし、労働組合も弱い。早い話が、東電の労組は原発支持ですね。労働組合に支持された民主党も、原発支持です。こんな連中がデモをやるはずがない。だから、現在のデモは、固定した組織に属さない個人が集まったアソシエーションによって行われています。たとえば、僕ら(長池評議会のメンバー)は50人ほどですが、その種の小さいグループが、いっぱいあると思います。今後も、若い人たちがデモをやるならば、僕は一緒に動きます。

 ―― 1991年の湾岸戦争の時、日本の参戦に反対する「文学者の集会」を、柄谷さんは開かれました。その時のことを振り返って、「僕だけなら何もしなかった」「(自分は)受身である場合が多い」とおっしゃっています(『政治を語る』)。今回は自ら呼びかけを行ない、今後もそれはつづけていくと発言されています。

【柄谷】僕は他の人たちがやっているデモに相乗りしているだけであって、自分ではじめたのではない。その意味で受け身です。しかし、それは問題ではない。僕は、運動の中心にならなければならないとは、まったく考えていない。デモがあれば、そこに行けばいい。ただ、たとえデモがあったとしても、ひとりではなかなか参加できないものなんですよ。それなりに連合していないとデモはできないと思います。だからアソシエーションが必要だと言っているわけです。

 ――『政治を語る』の中では、2000年にNAMをはじめた時のことを振り返って、次のように言われています。「この時期に運動をはじめたのは、理論的なこともそうですが、現実に危機感があったからですね。1990年代に、日本で「新自由主義」化が進行した。いつでも戦争ができる体制ができあがっていた。僕は、『批評空間』をやっている間、それに抵抗しようとしましたが、無力でした。たんなる批評ではだめだと思うようになった。だから、社会運動を開始しようと思った」。その時の思いと、今回の行動は繋がっていると考えてもよろしいのでしょうか。NAMの正式名称(New Associationist Movement)が示す通り、当時から、アソシエーションの必要性を強調されていました。

【柄谷】今もそれは同じです。当時、アソシエーションというとき、協同組合や地域通貨といったもの、つまり、非資本主義的な経済の創造を考えていたのですが、それはむろん、今後にますます必要になると思います。特に経済的な危機が来たら。20世紀末に、それまでの「批評」ではだめだと思ったのは、ソ連崩壊以後の世界が根本的に変わってきたと感じたからです。それまでの「批評」あるいは「現代思想」というのは、米ソの冷戦構造の下に出てきたものですね。簡単にいえば、米ソによる二項対立的世界を脱構築する、というようなものです。実際には何もしないし、できない。米ソのどちらをも批判していれば、何もしないのに、何かやっているという気になれた。しかし、ソ連が崩壊したことで、このような世界は崩壊しました。米ソの冷戦構造が終わったことを端的に示したのが、湾岸戦争ですね。そのとき、僕は、今までのようなスタンスはもう通用しないと思った。だから、湾岸戦争の時に、文学者を集めた反戦集会をやったのです。しかし、それに対して僕を批判した連中が大勢いましたね。もと全共闘というような人たちです。たぶん、かつてはデモをやっていた連中が、集会やデモを抑圧するようになっていたのです。しかし、現在、若い人たちは、デモを否定的に見るような圧力をもう知らないでしょう。それはいいと思いますね。

 ―― 確かに今回、特に20代から30代の若い人たちが、積極的にデモに参加している印象があります。

【柄谷】やはり、大きな災害があったからだと思いますね。非日常的な経験をすることで、新しい自分なり、新しい人間の生き方が出てきたんでしょう。これまでの普段の生活の中では、隠蔽されていたものが出てきたんだと思います。資本主義経済というのは、本当にあらゆるところに浸透していて、小さな子どもの生き方まで規定していますからね。最近聞いて、面白いなと思ったものがあります。「就活嫌だ」というデモがあるらしい。それはいいと思う。当たり前の話で、大学に入学して間もなく就職活動を始めなきゃならないなんて、嫌にきまっていますよ。こんなものが大学ですか。今の大学に学問などないということは、原子力関係の研究者の様子を見れば、わかります。だから、嫌だといえばいい。デモをすればいい。

 ―― 柄谷さんは『政治を語る』の中で、繰り返し、デモの必要性を説かれていますが、その意味で、「希望の芽」のようなものが、今出はじめたと思われますか。

【柄谷】そう思います。3月11日以後、日本の政治的風土も少し変わった気がしますね。たとえば「国民主権」という言葉があります。国民主権は、絶対王制のように王が主権者である状態をくつがえして出てきたものです。しかし、主権者である国民とは何か、というと難しいのです。議会制(代表制)民主主義において、国民とはどういう存在なのか。選挙があって、国民は投票する。その意味で、国民の意志が反映される。しかし、それは、世論調査やテレビの視聴率みたいなものです。実際、一か月も経てば、人々の気持はまた変わっている。要するに、「国民」は統計的存在でしかない。各人はそのような「国民」の決定に従うほかない。いいかえれば、そのようにして選ばれた代行者に従うほかない。そして事実上は、国家機構(官僚)に従うことになる。こんなシステムでは、ひとりひとりの個人は主権者ではありえない。誰か代行者に拍手喝采することぐらいしかできない。

 昔、哲学者の久野収がこういうことを言っていました。民主主義は代表制(議会)だけでは機能しない。デモのような直接行動がないと、死んでしまう、と。デモなんて、コミュニケーションの媒体が未発達の段階のものだと言う人がいます。インターネットによるインターアクティブなコミュニケーションが可能だ、と言う。インターネット上の議論が世の中を動かす、政治を変える、とか言う。しかし、僕はそう思わない。そこでは、ひとりひとりの個人が見えない。各人は、テレビの視聴率と同じような統計的な存在でしかない。各人はけっして主権者になれないのです。だから、ネットの世界でも議会政治と同じようになります。それが、この3月11日以後に少し違ってきた。以後、人々がデモをはじめたからです。インターネットもツイッターも、デモの勧誘や連絡に使われるようになった。

 たとえば、中国を見ると、「網民」(網はインターネットの意味=編集部注)が増えているので、中国は変わった、「ジャスミン革命」のようなものが起こるだろうと言われたけど、何も起こらない。起こるはずがないのです。ネット上に威勢よく書き込んでいる人たちは、デモには来ない。それは日本と同じ現象です。しかし、逆に、デモがあると、インターネットの意味も違ってきます。たとえば、日本ではデモがあったのに、新聞もテレビも最初そのことを報道しなかった。でも、みんながユーチューブで映像を見ているから、隠すことはできない。その事実に対して、新聞やテレビ、週刊誌が屈服したんだと思います。それから段々報道されるようになった。明らかに世の中が変わった。しかし、それがインターネットのせいか、デモのせいかと問うのは的外れだと思います。

 ―― 地震直後と現在と比べて、柄谷さんご自身の考え方に変化はありましたか。

【柄谷】それはもちろんありますが、あまり大きくは変わらないですね。最初は、この先どうなるか、見当がつかないぐらいだった。現在だって、こういう状態が、ずっとつづくのかなと思っていますが。原発事故の後、「ただちに危険はない」と、よく言われていましたね。でも、外国人はただちに国外に逃げていた。ドイツなんて、成田への直行便をやめてしまった。今でも僕が見ているのは、ドイツの気象庁が出しているデータです。彼らは最初の段階から、きちんと情報を提供していた。その日の風向きによって、放射性物質がどういうふうに流れているか、毎日伝えています。それは風向き次第で、大阪や札幌には飛んでいくし、時にはソウルまでいっている。外国人はそれを見ているが、日本人は見ていない。日本では内緒にしようとしているからです。だから、そういうことを知らない人が多い。しかし日本政府が隠そうとしても、もはや隠すことはできない。今はすぐにインターネットで情報が流れます。外国人は騒ぎ過ぎるとか、風評被害であるとか言う人がいますが、黙っている方が罪は重い。危険であることを当たり前に指摘するのが、なぜ風評なのか。日本人が何も言わないのは、真実を知らされていないからです。最近になって、段々状況がわかってきたので、怒り出した人たちがいます。

 つい最近、イタリアで、2009年4月に起こった地震(309人が死亡、6万人以上が被災した)に関して、防災委員会の学者らが大地震の兆候がないと判断したことが被害拡大につながったとして起訴された。この場合、地震学者が大地震は「想定外」だったと弁明することは許されると思うのですが、それでも起訴されています。一方、福島第一原発の場合、当事者らが大地震は「想定外」だったという弁解は成り立たない。東電はいうまでもなく、官僚、政府にいたるまで、罪が問われても当然です。あれは紛れもなく犯罪ですから。しかも、放射能汚染水を海に垂れ流していますから、国際的な犯罪です。「東京(電力)裁判」が必要になると思う。というと、これから未来に向けて何かしなければならないときなのに、原発事故の責任を問うということは、後ろ向きでよくないという人がいます。しかし、過去の問題に対して責任を問うことは、まさに未来に向かうことです。これまで危険な原発を作ることに、なぜ十分な反対もできなかったのか。そのような責任の意識から、僕は今デモに行っています。

 若い人たちは違いますよ。生まれた時に、すでに原発があったから。だけど、今後に原発の存続を許せば、今回と同じことが起こるわけです。デモの先導車でラップをやっていた若い女の子が、もし原発を放っておいたら、未来の人たちに申し訳ない、という。そういう気持が若い人たちにもあるんだな、と思った。それから、京都大学原子炉実験所の助教である、小出裕章さんという人の講演を聞いたときも、感銘を受けました。彼は「原発を止められなくて申しわけない」と話しつつ涙ぐんでいた。今回の事故の後、「ほら見たことか。俺はあんなに反対していたんだ」と言うこともできたはずですが、何であれ、止めることができなかったことに変わりはない、だから申し訳ない、ということです。原発を推進した連中が責任を問われるのは当たり前ですが、一番そのような責任から免れているはずの人が責任を感じている。ならば、僕のような者は、責任を感じざるを得ないですね。

 恐ろしいと思うのは、原子炉は廃炉にするといっても、別に無くなるわけじゃないということです。閉じ込めるための石棺だって壊れる。これから何万年も人類が面倒見ていかなければいけない。未来の人間がそれを見たら、なんと自分たちは呪われた存在か、と思うでしょうね。しかも、原子力発電を全廃しても、核廃棄物を始末するためだけに原子力について勉強をしないといけない。情けない学問ですが、誰かがやらざるをえないでしょう。しかし、いかなる必要と権利があって、20世紀後半の人間がそんなものを作ったのか。原発を作ることは企業にとってもうけになる。しかし、たかだか数十年間、資本の蓄積(増殖)が可能になるだけです。それ以後は、不用になる。不用になったからといって、廃棄できない、恐ろしい物です。誰でも、よく考えれば、そんな愚かなことはやりません。しかし、資本の下では、人は考えない。そこでは、個々の人間は主体ではなくて、駒のひとつにすぎません。東電の社長らを見ると、よくわかります。あんな連中に意志というほどのものがあるわけがない。「国家=資本」がやっているのです。個々人は、徹頭徹尾、その中で動いているだけですね。ただ、それに対して異議を唱えられるような個人でないと、生きているとは言えない。

 ―― 脱原発の動きについては、そのひとつの試みとして、ソフトバンクの孫正義さんが提案している案(大規模な太陽光発電所の建設など)も、最近注目を集めています。

【柄谷】ぼくは信用しない。自然エネルギーの活用というような人たちは、新たな金儲けを考えているだけですね。エコ・ビジネスの一環です。太陽光というと、パネルなどを大量に生産することができる。あるいは、大量に電気自動車を作ることができる。しかし、サハラ砂漠ならともかく、日本では、太陽光発電そのものが環境破壊となる。そんなものは、いらない。現在のところ、天然ガスで十分です。それなら日本の沿岸にも無尽蔵にある。要するに、先ず原発を止める。それからゆっくり考えればいいんです。

 ―― 反原発運動を考える際に、現在「不買運動」の必要性を指摘する人もいます。これは、NAMの時に、柄谷さんがおっしゃっていたことに繋がっているんじゃないかと思います。

【柄谷】不買運動はいいと思いますが、今のところ、まずデモの拡大が大事だと、僕は思う。その中から自然に、そういう運動が出てくればいい。先程言った「就活嫌だ」というようなデモでもいい。とにかく何か事あれば、人がデモをするような市民社会にすることが重要だと思います。それが、主権者が存在する社会です。一昔前に、人類学者が『ケータイを持ったサル』という本を書きました。若い人たちがお互いに話すこともなく、うずくまってケータイに向かっている。猿山みたいな光景を僕もよく見かけました。たしかに、デモもできないようでは、猿ですね。しかし、ケータイを棄てる必要はない。ケータイをもったまま、直立して歩行すればいいわけです。つまり、デモをすればいい。実際、今若者はケータイをもって、たえず連絡しながら、デモをやっていますね。そういう意味で「進化」を感じます。

 ―― 最後に、現在立ち上がった運動が持続するために、何が必要だと思われますか。

【柄谷】デモをすることが当たり前だというふうになればいい。「就活嫌だ」のデモでいい。「職をよこせ」のデモもいい。デモをやる理由は無数にあります。今の日本企業は海外に移って、日本人を見捨てています。資本はそうしないとやっていけないというでしょう。しかし、それは資本の都合であって、その犠牲になる人間が黙っている必要はありません。異議申し立てをするのは、当然のことです。それなのに、デモのひとつもできないのなら、どうしようもないですね。誰かがやってくれるのを待っているのでは、何もしないのと同じです。誰かがやってくれるのを待っていると、結局、人気のあるデマゴーグの政治家を担ぎ上げることにしかならないでしょう。それは結局、資本=国家のいいなりになることです。


http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-64.html

 

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コメント
 
01. 2011年9月30日 08:24:34: ws8D2JqZVo
柄谷行人。
いまごろになってこんなのが「アリバイ」つくりのために出てきたか。w
え? なに? 50年ぶりのデモだって。
あははは。
そうねえ、言ってることはいまのところ破綻のない常識的なことばかりだけど、文化人のサロンの会話のごとく、
なにひとつ新味のない「ぼくって反権力的で市民的でしょう」だ。w

おまえ、つまらねえこといってるヒマがあったら福島ですこし働いてこいといいたいね。w


02. 2011年9月30日 12:39:12: cd1Y6C2V62
そう言うあんたはいっかいぐらいデモ行ってこい

03. 2011年9月30日 13:02:26: cQAi5VdfF2
この人はあれこれ気にはなります。
この人の言うことをきちんと理解することは大変だと思います。
特に、小沢さんファンにとっては、わずらわしいでしょう。
でも、とことん考えること−−しかないと思います。
管直人批判で自己満足してた人たちって、お茶の間評論家でしょ。
マスコミの道徳と同じレベルです。
道徳から、ぼくたちは離れましょう。逃げましょう。
道徳とつきあわないようにしましょう。

そのうえで管直人でも柄谷でも東電でも、考えてみましょう。
もう、道徳論はやめようよ。


04. 愚民党 2011年9月30日 13:11:37: ogcGl0q1DMbpk : NZg0IR8heg
柄谷行人は三島由紀夫は「昭和天皇の身代わりになって死んだ。昭和は1970年で終焉した」と語っております。
  自分は何故か納得してしまいます。

自分がこれまで三島文学から教えられたことは、小説に登場する人物であり、またその人物をみる「批評眼」でした。
三島文学の特異点は、小説家の特権的内部世界ではなく、その内部を外側から冷酷に分析し批評するという世界であると思います。
それゆえに「豊饒の海」4部作に登場する人物は、それぞれが自分にとっては魅力的です。
三島由紀夫は最後の貴族であったのでしょうか?


とくに4部に登場する「透」少年には魅了されてしまいます。ホクロがなかったことによる転生の瓦解。
「悪意の工場が作動している内部」
自分は三島由紀夫の自決は、批評の円環を閉じたことにあると思います。


三島由紀夫は日本と世界に向けて批評の円環を閉じ、それによって批評を行為によって生成させたのだと思います。
三島由紀夫の1970年11月における自決は批評行為であたっと、今、自分は思っております。
円環を閉じたものは、ヘーゲルのように円環を生成させ、円環を現在進行形へと至らせます。
三島由紀夫の死は、まちがいなく70年代の基底となりました。

80年代の基底となったのが寺山修司であると自分は思っております。
寺山修司は三島由紀夫の死以降、全面的に演劇と映画たる芸能へと疾走していきます。
寺山修司も三島由紀夫とは違った方向からの土着の批評眼をもっていました。
三島由紀夫以後は芸能しかないと寺山修司は判断したのだと思います。批評装置から表現装置への転換。
寺山修司は表現装置によって、今も現在進行形となっております。

寺山修司の最終イメージが恐山であるならば、三島由紀夫は海洋であったのかもしれません。
「船」を監視する透少年。
「午後の曳航」という映画を70年代に池袋の文芸座でみたことがあります。
もしかして
「豊饒の海」も海洋文学ではと、思ってしまいます。

もしかしたら本多は海の底にある聡子の寺院に訪ねていったのかもしれないと、
本多が最後にみた「庭は夏の日盛りの陽光あびて、しんとしている」あの盛夏の黒点が
マトリックスとして三島由紀夫が海の底深き基調色を同時的に描いていたとしたならば・・・
何故かすくわれます。

舞踏と演劇「舞台空間における死者と生者の応答関係」

日本の舞台は「近代以前」の要素が大きく基底にあります。
舞台用語も江戸期の用語を継承しております。寸法は今でも「尺・寸」です。
舞台裏方スッタフは雪駄と濃紺足袋をはいて、仕事をします。
江戸期の舞台技術を一番継承しているのが、歌舞伎座であり、伝統芸能の国立劇場であると思います。

日本舞踊の舞台仕込みを手伝いますと、舞台平台には、雪駄なり靴を脱いであがらないと、舞台監督から叱られてしまいます。
舞台は神々に呈上する場所であるからです。
今年、自分が属する舞踏舎は若手狂言グループの演者と共演したのですが、狂言も「神に呈上」する芸能行為です。
そこで教えていただいたのですが、客席の方向は「神」がいる場所です。
狂言の身体感覚は神を強烈に意識した所作(身体の動作と形)です。

狂言発生音声における「あ」は陽として空へ向かいます。「い」は陰として地に向かいます。「う」は陽と陰の中庸。
「え」は陽、「お」は陰。これが狂言日本語発生音声の基本です。
それを教えてもらいながら、自分は日本語音声には陰陽道が流れていると思いました。

当初、日本芸能は猿楽・田楽舞として古都奈良地方の神社寺院境内において誕生したと思います。
観客とともに「神々と死者への呈上」これが日本芸能の柱です。

「一遍聖絵」には鎌倉時代後期の民衆像が描かれ、「放浪芸人」も登場しております。
説経節は、浄瑠璃「謡」の原型だと思いますが、仏教の教えが入りました、物語です。「貴と賎」の往復運動。

中世の民衆物語は「語り芸」を技術としてもった放浪芸能人が形成していったのではないかと思います。

小栗は相模の国の照手姫と契りを結びます。それに怒った照手姫の父親である横山大善によって小栗判官は
毒殺されてしまいます。地獄に落とされた小栗は閻魔大王によって、また現世に送り出されます。
そのときすでに照手姫は相模川から湾に流されてしまいます。
現世に送り出された小栗はしかし、身体の原型をとどめておりません。
遊行上人が小栗を発見し、熊野の湯に入れば回復すると、民衆の情にゆだねます。
「ひとひき、ひいては、せんぞうくよう」「ふたひき、ひいては、まんぞうくよう」
小栗の引き車は美濃・青墓にたどりつきます。そこで遊女館に売り飛ばされた照手を会います。
しかし、ふたりは、契りを結んだ人であることは、確認できません。
照手は小栗がのった引き車を引いていきます。

http://lian.webup.co.jp/ogurihangan/oguri/
小栗判官一代記(小栗と照手の物語が参照できます)

中世民衆ドラマの高揚である「道行(みちゆき)」の誕生です。

聡子が「そんな人はしりまへん、ひとまちがいであらしゃろ。人は錯覚もするよってに」
こうした人間交差図は、中世民衆物語では壮大なドラマとして登場しておりました。
説経節という形態をとった仏教のおしえが内在している物語。
聡子が本多に言ったセリフこそ「道行」の構造をしめしております。
豊饒の海第1部以後、聡子と死者の「道行」、その総量が、豊饒の海、最終における聡子の台詞だったのです。

日本芸能の「死者たちへの呈上」には霊的構造があります。
芸能行為の場所は神社寺院の境内でありましたから、すでにあらかじめ「霊」の現存を了解し、
観客とともに「神々と死者に呈上」する時間こそ、芸能でありました。

「劇場には幽霊がいる」これは多くの舞台スッタフが感じております。
ゆえに大きな劇場には神棚があります。
神々の食物こそ、舞台人が総力をあげて仕込みからバラシまで、ただ観客と「夢の時間」を現出するためのだけの
「夢の時空」にかけました、死に物狂いのエネルギーです。
劇場の神々をなめると、舞台人はかならずケガをするか、奈落に落下し死んでしまいます。
舞台人は劇場の神々のこわさを身体感覚で知覚しております。
舞台人は観客ばかりでなく、「神々」と「幽霊」にも見られているという恐怖感があります。

舞台の幕をあけるのは観客です。

とくに暗黒舞踏であれば、まちがいなく、観客頭上で幽霊が踊っております。
自分は暗黒舞踏特有のきわめてゆっくりした所作をしながら、同時に幽霊の幻影踊りもみながら、おどっているのです。
その幻影はそれぞれひとりひとりの観客身体DNAとイメージ海洋から発信されました「霊的存在」かもしれません。
幽霊の三島由紀夫であったり土方巽がおどっているのかもしれません。

また、こうも語ることができます。
それぞれの観客の想像力回路から発動されるエネルギー体は、観客の集合幻影エネルギーとなり、良質な食物として
劇場の神々へ呈上されるのかもしれません。

京大西部講堂の守り神の像「それは石膏でできた少女像のようでもありました」
そこに照明があたり、巨大映像は音楽にあわせ、舞台壁に投影され、宇宙エネルギーとの交信に
場所の身体間感覚は躍動感にあふれておりました。しかし静かなるものもありました。
自分はそこにあらたなる音楽を媒介にした世代の登場をみたのです。
また京都の宇宙エネルギー交信のパワーも感じたのです。
「京大西部講堂には宇宙人が降臨する」

音楽・演劇・舞踏こうした日本芸能行為の主人こそ、観客であり幽霊であり神々であります。
死者達への「呈上」と存在の永久運動、死者と生者の応答関係。
思考もまた空間に作動する知覚回路統合であり、永久運動と応答関係による「死者たちへの呈上」は
思考行為において、生成しているのであります。
思考とはまさに現在進行形です。


日本で思考するためには、柄谷行人の本を読む作業が必要であります。

----

古代中国に誕生した漢字は、おそらくその造形力と造語力から見て鉄の
誕生によって形成された文字であろうと思われる。7世紀大化の改新後、
「倭」は百済を支援すべく軍隊を送り出し新羅・唐連合軍との戦争で敗北
した。その後「倭」の大王継承をめぐる内戦として壬甲の乱をえて、唐帝
国との強大な他者関係性から「倭」そのものの記憶を消却し「日本」を誕
生させる。朝鮮・韓での「百済」「新羅」「高句麗」この三国で展開され
ていた壮絶な戦争と動乱をみすえ、日本はこの三国の集団としての政治亡
命者を受入れ、中国から漢字・通貨・仏教・政治体制としての律令制度を
取り入れ、模倣造形しながら国家形成していく。その場合高度技術・高度
情報をもった政治亡命者が国造り部として活用されていくのだが、逃亡者
亡命者・漂流者がもつある絶望ある断絶ある自己喪失が日本誕生には孕ま
れていた。その自己喪失こそ中心なき中心である。

 その中心なき中心は古代邪馬台国・卑弥呼による原始道教・鬼道をなき
ものにはできなかった。何故なら彼らも大陸からやってきた弥生人だった
から。縄文人の殺戮によって場所を征服したとき、縄文の土着の神たちを
漢字によって回収・内部化したのである。道教が日本的霊性にあり、支配
の正統性としての神、国家鎮護としての仏教。

 語り部はまず民衆ではなく国家から登場する。それが「史記」をモデル
にしながら編纂した「古事記」「日本書紀」である。そこにおける熊野と
はある重要性をもった場所として記述されている。「小栗判官と照手姫−
愛の奇蹟」ラストシーン、小萩が「熊野は、もうそこですよ。かならずや
かならずやご本復、お信じなさってくださいませ」その復活への祈願は、
天武の日本誕生を引き継いだ女帝・持統の熊野詣での音声と連動している。
日本の根幹としての霊性の中心、それが熊野であろう。熊野神社が奉って
ある遊行寺とは、日本の根幹を握っている場所なのだ。

 蘇我一族が滅んだ大化の改新とは、仏教輸入政策にたいする今一度の日
本的霊性からの反撃である。ゆえに神官としての藤原鎌足は登場し、その
子・藤原不比等が国家デザイナーとして引き継ぐ。縄文時代からの山岳信
仰にやがて輸入仏教は同化し、比叡山・高野山と展開されていくのだが、
民衆の思想・宗教として誕生するのは、比叡山・高野山を離れた在野とし
ての鎌倉民衆仏教からである。ここに日本の中心が誕生し悪党・バサラ・
遊女の系譜は演劇市場を形成した。

日本現代文学批評、日本現代演劇批評、日本現代精神史、日本現代政治批評において、柄谷行人の思考作業は基礎となる。

柄谷行人を「あははあはは」と笑う人間とは負の連鎖にある空洞と空虚な人間である。

50年ぶりのデモをせせら笑う人間とは、個人の尊厳に無知な人間であろう。ダンテの地獄めぐりに無知な「おめでたい」腐敗した精神の人間である。そのような非歴史的空虚の「人間なようなモノ」としてのヒューマノイドが日本を空気として支配している。

フクシマ第一原発の大事故311から半年が経過した。
1号機、2号機、3号機の炉心はメルトダウンからチャイナシンドロームへ、コンクリートを溶かし地下へ地下へと核の高熱で溶かしながら地獄へと落下しているのが現在”今”の時間帯だ。

負の連鎖として「あははあはは」と笑う日本ヒューマノイドにも見えない放射能は降臨している。無感知な人間とは永遠に危機を感知することはできない。無感知な人間の脳はつねに仮想現実の物語を求めている。無感知な人間の脳はそして死ぬまでマスゴミに支配されている。無感知な人間の脳は永遠に個人を発見できない。これが日本の「あわれ」である。


---------------
日本精神分析再考  (講演)      柄谷行人 

http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/183.html

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05. 2011年9月30日 13:20:42: sUFgWMi8NY

ひとのことはどうでもいい、まずじぶんが踏み出して行け。
怒りを解き放て。

http://blue.ap.teacup.com/97096856/3913.html

山本が出てきたというので、、、、、、

全共闘には、特別の役職がない。
しかし、そのシンボルとなった人物はいた。
それが理学部博士課程の山本義隆(当時二六歳)である。山本は、代表者会議の司会を務めているうちに、その力量を周囲に認められて 「東大全共闘代表」と目されるようになっていく。
 山本は、どこの党派にも所属していなかった。
ただ、大学管理法反対闘争の時に安田講堂前で一人テントを張って抗議したという伝説をもつ男であり、全共闘以前は「東大ベトナム反戦会議」で地道な反戦運動を続けていた。
専攻は素粒子論。当時は、京都大学の湯川秀樹教授のもとに国内留学しており、将来を嘱望される研究者の一人だった。それまでの学生運動家タイプからはずれる人物だった。
 当時、教養学部の生物学教室の助手として闘争に参加した最首悟は語る。
「あいつはとにかくとてつもなくできる男なんだということで、山本にはみんな一目置いていました。
このままいけば、東大の理論物理をしょって立つ男なんだろうなということは、僕たちだけでなく教授たちも同じ認識だったと思います。それが闘争に飛び込んでくるとなれば、これは将来を捨てることになる。これが大きな衝撃でねえ。
山本が出てきたというので、『これは職業的革命家が指導する学生運動じゃないんだ』ということになってきたわけです」
7月2日、安田講堂が再び占拠。
http://zenkyoto68.tripod.com/zenkyoto22.htm

1966年9月に日本物理学会が主催して開催した第8回半導体国際会議に,米国陸軍極東研究開発局から米軍資金8,000ドルが秘かに投入されていたことが翌年5月に明るみに出た。
1967年9月9日の日本物理学会臨時総会で山本義隆をはじめ小出昭一郎、水戸巌、槌田敦等若い物理学徒達は厳しい理事会批判を行った。
その結果、総会は「日本物理学会は今後内外を問わず、一切の軍隊からの援助、その他一切の協力関係をもたない」(賛成1927、反対777、棄権639、無効57)を決議した。
それは、日本科学界が歴史に刻んだ不滅の決意であった。
この決議は、その後1995年までの28年間にわたって日本物理学会総会のプログラム第1ページに掲げられた。

1950年代頃から急激に大学の中に軍部が侵入してきた。
巨額な軍事費で大学が「侵略・殺戮」の下働きにされて行ったのだ。
「、、、、それを推進させようとする圧力が日本の産業のある種の部門に生じている。、、、」
http://zenkyoto68.tripod.com/todaiz01.htm
1960年代、侵略・殺戮犯罪の共犯者にされた学生たちは絶対拒否の行動に立ち上がった。


06. 2011年9月30日 13:45:46: pEgCpfCxXY
http://lucian.uchicago.edu/blogs/atomicage/2011/09/26/kyodoseimei-demo-jiyuu/

「デモと広場の自由」のための共同声明

3・11原発事故において、東京電力、経産省、政府は、被害の実情を隠し過小に扱い、近い将来において多数の死者をもたらす恐れのある事態を招きました。これが犯罪的な行為であることは明らかです。さらに、これは日本の憲法に反するものです。《すべて国民(people)は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する》(25条)。しかし、東京電力、経産省、政府はこの事態に対して責任をとるべきなのに、すでに片づいたかのようにふるまっています。

それに抗議し原発の全面的廃炉を要求する声が、国民の中からわき起こっています。そして、その意思がデモとして表現されるのは当然です。デモは「集会と表現の自由」を掲げた憲法21条において保証された民主主義の基本的権利です。そして、全国各地にデモが澎湃(ほうはい)と起こってきたことは、日本の社会の混乱ではなく、成熟度を示すものです。海外のメディアもその点に注目しています。

しかし、実際には、デモは警察によってたえず妨害されています。9月11日に東京・新宿で行われた「9 ・11原発やめろデモ!!!!!」では、12人の参加者が逮捕されました。You Tubeの動画を見れば明らかなように、これは何の根拠もない強引な逮捕です。これまで若者の間に反原発デモを盛り上げてきたグループを狙い打ちすることで、反原発デモ全般を抑え込もうとする意図が透けて見えます。

私たちはこのような不法に抗議し、民衆の意思表示の手段であるデモの権利を擁護します。日本のマスメディアが反原発デモや不当逮捕をきちんと報道しないのは、反原発の意思が存在する事実を消去するのに手を貸すことになります。私たちはマスメディアの報道姿勢に反省を求めます。

2011年9月29日
起草者:柄谷行人、鵜飼哲、小熊英二


07. 愚民党 2011年9月30日 14:10:22: ogcGl0q1DMbpk : NZg0IR8heg
暗黒と絶望の世紀、ヨ−ロッパ自己遺伝子はペストウィルスとの死闘を通し、世界の周辺から中心へと進化をとげる準備をするのである。皮肉にもロ−マ教皇を恐怖につき落としたモンゴル軍団は、十字軍の敵であったイスラム軍によってアラブの地に敗北しロ−マの道をあきらめ東ヨ−ロッパ戦線からも撤退する。しかしロシアはモンゴルの支配化におかれた。

 かろうじてヨ−ロッパ・キリスト教世界は破壊されず死守できた。この暗黒と絶望と無力に打ちのめされた個人の表層の地獄めぐりを思考する。それがダンテ「神曲」である。

共同体成員はペストウィルスによって次からつぎへと死んでいく、それでも文化を求める。それが「ボッカチオ」である。哲学はギリシア哲学を発見し、おそるべき戦闘的個人による思考の内省が誕生する。内省と退行こそは内部から外部へ出ることを発見し、省察は他者を発見する。ペストと異端狩の中世の時代、科学者は錬金術の実験を部屋に閉じこもり繰り返していた。哲学者は部屋に閉じこもり思考していた。詩人は部屋に閉じこもり壮大な物語を書いていた。この閉じこもりこそが世界事象に驚嘆する能力を形成したのである。神学者も教会の地下室にこもり、それまでの文献をひたすら自動記述していた。

複写である。この人間の手によるコピ−聖書が生産され、出回り、やがて教会から聖書を万民のもとへ奪還せよ、たる宗教改革を準備する。

 この閉じこもりというおそるべき圧縮された思考力と忍耐力こそが、心的エネルギ−を形成し、やがて全世界を植民地にしていく大航海時代を準備したのである。

ヨ−ロッパが世界システムの地球という円環を建設できたのは、中世というアンダ−グランドにおける自己遺伝子が眠りから覚醒したのである。中世とは夜の四つのひとつは覚醒していよ、というブッタの教えに置換すれば、覚醒した夜と夜の夜その時間帯であった。

かくしてヨ−ロッパにとって部屋とは想像力の全世界であり個人の基地となる。

人間をどこまでも怜悧にみすえる悪魔のごとき執念から美術は空間と光たる彩色を
発見するリアリズムの誕生である。

ペストウィルスとモンゴル騎馬軍団によって、ヨ−ロッパ自己遺伝子と模倣子は自壊する、その自壊とは教皇という教条から個人が脱却したことによる、戦闘的個人の誕生である。

こうして内部なき人間は世界をわがものとすべく、冒険への海路へと出発した。

内面と対話できる能力こそ実践力と行動力の源となった。

地球を発見した近代文明はヨ−ロッパの模倣子となっていく。しかしいまだヨ−ロッパの起源をめぐる論争は皆無である。それは世界植民地によってヨ−ロッパが富という私的所有たる内部をもったからであろう。内部をもった人間は文明たる官僚機構によって自己肯定され、文明の市民となるからである。

こうして市民にとってアンダ−グランドは軽蔑の対象となり、近代文明のためにアフリカと南北アメリカ大陸の基層文化は壊滅された。21世紀初頭の世界とは、文明とアンダ−グランドが、同期と競合として展開されるであろう。それゆえに、あたらしい人間像があらわれようとしている。原発帝国主義市民へと順応したプロレタリア−トの後に登場するのは、どのような妖怪であろうか?

わたしの予測によれば、それは非人間であることに間違いはない。遺伝子が放射能によって切断された人間は果して類的存在なのか? それとも部族的存在なのか?

 それらを模索している同期と競合において、放射能に対応できる人間型ロボットの商品化とクロ−ン人間の商品化である。まさに商品としての人間、商品としての国家が混迷する放射能世界市場において、文明の内部は自壊する。現在とは原発資本主義以後の放射能世界資本主義という過度期の核時代放射能地球幼年期である。

すでに人間、人類の遺伝子は放射能によって切断されゆく現在進行形の”今”。
それが今日の時間帯だ。

非人間しか生存はできない。

無感知である「あははあはは、え? なに? 50年ぶりのデモだって、あはは、あはは」と柄谷行人を笑う仮想現実に脳が支配されている奴隷には危機感がない。おのれの主体をマスゴミにあけわたす奴隷の生涯とは非常に「楽」でもあるからだ。奴隷の情感とは耳をうっとりと甘く支配するマスゴミ音響である。

実は主体が欠落した奴隷の笑いこそに日本の「あわれ」が死者のごとく地によこたわっている。それが見えない放射能の最後の審判でもある。「あわれ」という。


08. 2011年9月30日 14:30:25: cQAi5VdfF2
柄谷行人についての素朴な疑問がひとつあります。

なんでカントにこだわるの?


09. 2011年9月30日 15:18:12: mAKWjxKjsw
6万人デモ NHKはニュースで流してたからね。
完全無視、って書いてる人多かったけど。
オーストラリアABCもNHKでやってたから。

10. 2011年9月30日 15:31:49: DmAfyCZ2Uw
>「あははあはは、え? なに? 50年ぶりのデモだって、あはは、あはは」と柄谷行人を笑う仮想現実に脳が支配されている奴隷には危機感がない。

愚民党さん「柄谷行人を笑う仮想現実」てなに?
支離滅裂かつ意味不明なんだがね。w
おそらくきみの脳内では整合性があるのだろうが、他人にもわかる言葉をつかわなきゃいけませんおー。w
さて、
おれは柄谷行人のような知的インテリはもう終わったといっているんだよ。
もう3.11以前の「お古」に用はない。
それは大江健三郎もそう。
いまごろ、のこのこ出てきたって、そもそも「きみたちの失敗であり敗北じゃないか」といいたのだよ。

3.11以後の若者たちは、それまでの一切の言説を否定して、新たな考え、発想のもとに生きていく必要がある。そういいたかったのだが、ま、きみには伝わらなくても当然だろう。w

>おのれの主体をマスゴミにあけわたす奴隷の生涯とは非常に「楽」でもあるからだ。奴隷の情感とは耳をうっとりと甘く支配するマスゴミ音響である。

ま、たしかにマスゴミのいうことを信じて日々を送れば太平楽だ。
その挙句が、原発事故のような災難にあい、「たすけてくれー」と泣き言をいっても、おれは一切同情しない。


>実は主体が欠落した奴隷の笑いこそに日本の「あわれ」が死者のごとく地によこたわっている。それが見えない放射能の最後の審判でもある。「あわれ」という。

やっぱり支離滅裂意味不明、論理がむちゃくちゃな言葉を連ねているね。w
愚民さん、背伸びしてはいけません。
自分の能力以上のメタ言語を使う必要はない。ふつうの普段着のことばを使うほうがよっぽどかっこいいし、
真実を伝えることができるとおもいますよ。w


11. 愚民党 2011年9月30日 15:32:43: ogcGl0q1DMbpk : NZg0IR8heg
原発数字は臨界点に達すると一挙に転げ落ちる。だが牧歌的な日本語は崩壊を
イメ−ジによって隠し、幸福な市民生活と城内平和の仮想現実によって意識
をみせかけのベールでおおいつくす。


 通貨「円」は都市をめざましく変貌させサイボーク環境を非連続的に生成させてきた。労働し生活する人間の肉体的知覚は全面的であるがゆえに、この数の多元的変貌に レイプされ無防備で受け入れるのだが、一面的な思考はこの数の闘争=原発放射能汚染数値地図に追いつけない。

 かくして潜在的知覚である肉体的知覚(目の裏・耳の裏・足の裏・
手の裏・皮膚の裏・頭の裏)と意識思考との不均衡は拡大し、
平衡と安定をめざす人間の動物運動を利用したマスメディア機関による<安全・安心>架空とカオスのとりこになり、イメージによって操作される奴隷が誕生するの
だが、無防備な国民ほど美しいとは三島由起夫の言葉である。

 日本語による単一言語帝国の内部には、圧倒的な詩人(俳句・短歌の
巨大人口)と、圧倒的な評論家(新聞・雑誌の発行部数・電波メディア
を読み見ながら、他人事に評論する巨大人口)が存在する。

 日本語の感受性は王朝詩人から「よみひとしらず」といった歌人に
よる、数の形式に規定する型に圧縮することによって、
あたかも自然であるごとく生成してきた。

だがこれは、個人による個人のための個人への記号でも あったのである。また、誰でも歌えるこの自己感受性の叫びの記号表出は、階層を寓意とするカオスとして自然=生成してきた。

ゆえに主体は隠されあいまいとなる記号へとおさまる。
主体の論理構造をかくす記号としての日本語は一音一表記が自立し組み合わせることによって 組織し造形する数のDNA言語である。その数のDNA言語がこの”今と今の今”放射能によって切断されようとしている。

イメージのモンタージュ言語。非主体として装いながら実は強力な原発放射能としての核生成物質がそこには自然生成している。これが現在進行形としての”今”であろう。

見えない放射能としての核生成物質はDNA言語たる人間の遺伝子を切断する。

日本においてはなぜすべてが<核生成物質=放射能>に汚染された自然=生成となるのか。

日本においてはなぜすべてが<核生成物質=放射能>に汚染された田園地帯となるのか。

牧歌的な日本語と日本人という概念はすでに瓦解した。原発国家権力を維持する非人間が誕生しているからだ。

311以来、原発国家権力と原発マスゴミにおいて誕生しているのは、非人間的な日本語と非人間的な日本人である。

精神史的にも内在的において、これまでの日本文明は全的滅亡をとげ、消滅してしまうという危機感がある。

日本において”今”、思考は可能なのだろうか?


 ---------------------------------------------------------------------

 日本のプレモダニティは、何ゆえ、ポストモダンなのか。

 日本の権力構造は、何ゆえ、実体として中心をもたないか。

 日本の「主体」は、何ゆえ、曖昧なかたちであるのか。

 日本においてはなぜすべてが自然=生成となるのか。

                    柄谷行人「日本精神分析」

 ------------------------------------------------------------------------


福島第一原発大事故の責任を何故、東京地検特捜部は問わないのであろうか?


もはや東京地検特捜部の存在理由とは、原発推進既得権益同盟たちを守ることだけにあるのだろう。

これが日本の「あわれ」である。


12. 2011年9月30日 15:58:22: cQAi5VdfF2
10へのコメント

> おれは柄谷行人のような知的インテリはもう終わったといっているんだよ。
> もう3.11以前の「お古」に用はない。
> それは大江健三郎もそう。

それって、もっともっともっと後退してるってことか?
なんも考えることなく、既成の価値観のなかで通じる言葉を使えってことか?

日本は終わった!

とか、そんなこと言う人もいますが、あらかじめそういう人が終わっているの
ではないか?


13. 2011年9月30日 16:56:07: XJL2YLIhEs
小さい子連れたお母さん達が大勢、我が事として参加する、というのは、日本のデモ史上大変有意義で画期的なことではないかと。
学生運動崩れ、労働組合等の特殊な『オカミに逆らうのが趣味みたいな人たち』の専売特許ではないんだと。日常会話の延長として『どっかの学者だか評論家だかがどっかに書いてた、漢字や横文字の多い、知識ひけらかして相手をけむにまくための言葉』じゃない言葉で語る、政治・経済・等など。母は強し

14. 2011年9月30日 17:04:31: 9VgjXLAjZs
愚民党さんはことばによっているね。
いかにも俺はインテリだぞってかんじだね。
なんだかはなもちならないね。
まあ、阿修羅にたむろする人はそういう人が多いね。

15. 愚民党 2011年9月30日 17:19:24: ogcGl0q1DMbpk : NZg0IR8heg
10番様

<3.11以後の若者たちは、それまでの一切の言説を否定して、新たな考え、発想のもとに生きていく必要がある。そういいたかったのだが、ま、きみには伝わらなくても当然だろう。w>

あなたが言う、<新たな考え、発想のもとに生きていく>
その概念なり言説なり定性をここで開示していただけないでしょうか?

ご存知のように阿修羅の基本とは読者のためにあります。

あなたが宣言した
<おれは柄谷行人のような知的インテリはもう終わったといっているんだよ。
もう3.11以前の「お古」に用はない。
それは大江健三郎もそう。
いまごろ、のこのこ出てきたって、そもそも「きみたちの失敗であり敗北じゃないか」といいたのだよ。>

もうすこし詳しく言論によって説明していただけないでしょうか?

あなたが説明する投稿をしないと、読者は納得しないと思います。

10番様

よろしくお願い申しあげます。

人間とは人類史を前進させるためには、まず生存しなくてならない、これは生活の鉄則であります。

前歴史に無知な人間は必ず敗北いたします。これも現実生活の鉄則であります。

<3.11以後の若者たちは、それまでの一切の言説を否定して、新たな考え、発想のもとに生きていく必要がある。そういいたかったのだが、ま、きみには伝わらなくても当然だろう。w>

失礼ですが、あなたが書いた文章には新鮮な発見がないように感じてしまいました。

新たな考え、新たな発想とは、どのような内容なのか、ぜひとも教えていただきたいと思いますし、それが読者の要望であると思います。

柄谷行人は311以前には、日本において、デモは沖縄しかなかったと言っておりますが、それは嘘であります。

わたしども小沢一郎支持者は昨年の10月から、全国各地で<小沢一郎応援デモ>を民草のひとりひとりして貫徹してまいりました。

そこでは50年ぶりにデモに参加した人々が多数おりました。
これが真実であります。

わたしも貧困貧乏人ながら、名古屋、大坂、兵庫西宮、四国の高知、新潟と<小沢応援デモ>に参加し、全国交流をおのれのなかで形成してまいりました。

2・27鎌倉での<小沢一郎支持・鈴木宗男応援デモ>は当日本番まで、ここ阿修羅でバッシングされましたが、無事、貫徹させていただきました。

真実とは実践にあるのであります。

大江健三郎も柄谷行人も、とにかく反原発の実践運動に、おのれの主体を投じたのでありあますから、わたしは実践者として支持しております。


16. 愚民党 2011年9月30日 17:38:11: ogcGl0q1DMbpk : NZg0IR8heg
14番様

言論または批評という文体とは<論を立ち上げる>ことにあります。

そこにおきましては、<定性>し<断定>し、<論>を、表出することにあります。

<上からの目線>として感じられ
<ことばによっているね。
いかにも俺はインテリだぞってかんじだね。
なんだかはなもちならないね。>
そう14番様が感受されても、言論とは、個人のたたかいでありますから、押し付けに、ならざるえないのであります。

言論とはツイッターの文体ではありません。


わたしも、大江健三郎や柄谷行人が反原発デモという実践に参加したことを、あざ笑う人間に対しては、反撃する必要がありますので、どうかお許しください。

かつて文学批評の小林秀雄は、批評における論争文体とは<相手の眉間を叩き割ることにある>と定性いたしました。定性とは断定していく言論行為でもあります。

言論とは個人にとって<生きるか死ぬか>の生存闘争なのであります。

14番様、コメントありがとうございました。


17. 2011年9月30日 18:07:44: Fl764dMduQ
>>15

>あなたが言う、<新たな考え、発想のもとに生きていく>
>その概念なり言説なり定性をここで開示していただけないでしょうか?

読んで字のごとくじゃないか?
それ以上何を言えというのだ? 新たな考え、発想のもとに生きていく。これ以上、なにを付け加えることがあるのか。

それは「こうせよ」ではなく、
個々人が自由と自立のなかで自ら見出していくものだ。
きみのように「柄谷」を振り回したり、なにやらこむつかしい屁理屈を振り回したりするのではなくね。

それから「デモ」はやりゃいいてもんじゃない。
在特会なんか年から年中やっているし、右翼の宣伝カーなんか年中デモをやっている。それのどこが立派なのか?
それもともなにか? おれたちのデモは右翼のデモとは違って中味が立派だとでも?
それは主観の問題で、右翼だっておまえたちのデモより中味が立派だと自分たちではおもっている。

デモはそれだけで立派な行いといえるものではない。


18. 2011年9月30日 18:23:20: pEgCpfCxXY
いや、>>6にあるように、
>「9 ・11原発やめろデモ!!!!!」では、12人の参加者が逮捕されました。You Tubeの動画を見れば明らかなように、これは何の根拠もない強引な逮捕です。これまで若者の間に反原発デモを盛り上げてきたグループを狙い打ちすることで、反原発デモ全般を抑え込もうとする意図が透けて見えます

こういう無茶苦茶な弾圧が、一日に、十数カ所で行われたってことで、
もう事柄の白黒ははっきりしてる。
弾圧するものではなく、
弾圧された者らに、民衆のこころがあるのだし、
弾圧に屈せずに声を上げ続ける連帯のこころがまた
新たに民衆のこころを掴んで離さない以上、勝負も決してる。
http://911nonukyuen.tumblr.com/post/10160906843/9-11
http://911nonukyuen.tumblr.com/post/10477780926
http://923solidarity.tumblr.com/post/10770985186/1

すべてはもう、時間の問題ではないのか。
焦ってるのは誰か、はっきりしてるではないか。


19. 2011年9月30日 18:40:31: Fl764dMduQ
>18

デモってものに過剰なほどの恐怖感をもっているのだね、いまの支配体制の要(かなめ)に居る人たちは。w
いまの支配体制の要に居る人たちとは、どういう人たちかというと「70年安保闘争」なんかを体験してきたデモや学生運動経験者たちだ。

別の言葉で言うとエリートのみにゆるされた特権的な「駄々っ子」運動経験者たちだ。

かれらは「学園紛争」なんかで多かれ少なかれデモを体験し、その後、転向して何食わぬ顔で高級官僚になったり、
大企業家になったり、政治家になった。警察庁長官だって、最高検検事長だって、最高裁判事だって、経団連会長だって、みな「学園紛争」でデモをやった。

日本におけるデモは究極の空気抜きなんだ。
アメリカや中東のデモとは違う。
アメリカの反戦デモでは銃も使用された。
中東でのデモは即、死に至る。

日本のデモに対する弾圧の幼稚なことをみよ。
なぜ、日本のデモに対する弾圧は幼稚であるか。
死者を出すようなことがあれば体制が崩壊しかねないからだ。
日本の社会とはその程度に寛容である。

おれはこの程度の弾圧を弾圧とは思わないね。
弾圧のないデモなんか何の意味もない。空気抜きだ。柄谷とか大江が出てきた時点でもう何の意味もない。


20. 愚民党 2011年9月30日 18:44:18: ogcGl0q1DMbpk : NZg0IR8heg
17番様

コメントありがとうございます。

デモとは何か? 人間の精神にとって<デモとは何か?>であります。

<デモはそれだけで立派な行いといえるものではない>
これは前提でありましょう。

<読んで字のごとくじゃないか?
それ以上何を言えというのだ? 新たな考え、発想のもとに生きていく。これ以上、なにを付け加えることがあるのか。>

失礼ですが、あなたの文体は死んでおります。

なぜなら、あなた個人としての発見がひとかけらもないからであります。

別にわたしは柄谷行人を振り回しているつもりはありません。

柄谷行人とは思考する発見者であります。

日本とは原発安心安全電気ドームのなかで、個人的な体験として思考することは困難な場所であると言われてまいりました。

デモとは、身体感覚、耳や目の視聴感覚、皮膚感覚、皮膚感覚、足の裏の感覚、音声感覚、共鳴感覚、波及感覚、思考感覚、あらゆる感覚が現出し表出いたします。

それゆにデモとは次なる方針と展望を生み出す人間協働の生態系であると言われております。

デモが立派であるとか、立派でないとか、そのような<論>は、失礼ながら、マスゴミの言語でしかありません。

デモとは人間身体を街にさらすことによって成立する、主張であります。

参加者ひとりひとりの<社説>でもあります。

ゆえに身体からの音声は街に轟(とどろ)くのであります。

音声は反復いたします。それが木霊(こだま)であり、言霊(ことだま)へと転換していきます。

ゆえにデモは街に浸透し、やがて世間様を変えていくことにもなります。

デモとは糸で布を織る行為でもあります。

これが協働という内容であります。

協働がなければデモは成立しません。

17番様。

なぜ、デモが街頭行動と呼ばれるのでしょうか?

街頭とは世界と接続しているからであります。

17番様、コメントありがとうございました。


21. 愚民党 2011年9月30日 18:48:48: ogcGl0q1DMbpk : NZg0IR8heg
訂正 20. 愚民党

<それゆにデモとは次なる方針と展望を生み出す人間協働の生態系であると言われております>

<それゆえにデモとは次なる方針と展望を生み出す人間協働の生態系であると言われております>

申し訳ありませんでした。


22. 2011年9月30日 19:35:44: Fl764dMduQ
>20

相変わらずチンプンカンプンなことを言ってるね。w
おそらくきみはなんらかの引きこもり症なんだろうけど、外部との通交の手段をなくしている。

きみが語る意味不明な思想用語、哲学用語はきみ自身の考えを深めるために利用すべきであって、
それを生のままこのような通俗的な場に出すのは、どこか現実感覚が麻痺しているか混濁しているからだ。

近所の小さな魚屋さんが買い物に来た主婦に、この魚は実存的な苦悶の末、自意識を喪失し、人間的な欲望の対象としてここに資本的現在の矛盾として横たえられている、とかなんとか言葉の次元の違う言い方をすればキチガイとしか思われない。

きみも言葉の次元の出し方を間違っている。
なんどもいうように、きみがきみの考えをほんとうにちゃんと咀嚼して消化しえていれば
通俗のレベルの言葉でそれをじゅうぶんに伝えることができるはずなんだ。

にもかかわらず、このような場でメタ言語を使う。
それはきみ自身がほんとうは何も理解していないし、理会しえていなからだ。

現実→抽象化→観念化という道筋はあっても、その逆である、
思想→具象化→現実という道はありえないのだよ。

わかるかい?


23. 愚民党 2011年9月30日 20:31:57: ogcGl0q1DMbpk : NZg0IR8heg
19番様

コメント読まさせていただきました。ありがとうございます。

<弾圧のないデモなんか何の意味もない。空気抜きだ。柄谷とか大江が出てきた時点でもう何の意味もない>

弾圧とデモ、いろいろ考えました。

おそらく大江健三郎も柄谷行人も<デモにおける身体史>は永遠に書けないでしょう。これは明確であります。

しかし大江健三郎も柄谷行人も実践に身を投じたのですから、わたしは熱く支持いたします。

9・11新宿 素人の乱 12人逮捕でございますが
クラウゼビッツ戦争論とか毛沢東革命戦争論とか、ヨーロッパ、アメリカの戦争論を読破した人間には、警視庁機動隊の戦略が読むことができたと思います。

素人の乱の高円寺・松本さんは、法政大学学生会館の前で、「貧乏の会」を学生時代から実践されておりました骨太の方でありますから、警視庁公安部よりも、先を見通す力はあります。

法政学生会館地下ホールは、われわれアンダーグランド演劇のメッカでもありました。

しかしその法政学生会館も当局によって破壊され消滅してしまいました。

1970年、高校3年、で70年安保闘争に参加。
70年代初期はデモに出るたび、機動隊によるテロリンチ暴力を
ひたすら受苦してまいりました。

1960年代後半から1970代初期の機動隊の指揮者は大2次世界大戦を経験した戦中派ですから。機動隊はデモ隊に対して戦争としてかまえ、仕掛けてまいりました。公安警察が挑発し仕掛けその圧倒的弾圧から誕生したのが「連合赤軍」であったと思います。

日本の公演警察とはアメリカ宗主国様からCIAゆずりの対国民弾圧心理戦争を習得しておりますので、じっくりとかまえてまいりましょう。

弾圧とはデモ参加者に「憎しみ」を醸成させる国家権力側の戦略でもあるわけです。

<9・11新宿 素人の乱 12人逮捕>は1970年代1980年代の警視庁公安部の戦略が反復したと感じております。

わたしは現在、ガンジーの非暴力主義者であります。

過激に国家権力と対峙し激突しても、日本の未来を押し開く若き実践者が、逮捕されまくり、デモを開催する人間までが、獄中に入れられまして、運動は、消滅してしまいます。

現在の日本は<新たなる中世>としての<乱世>でありすが、まだ、戦国時代までは回帰しておりません。

19番様。

日本国民が決起するまで、じっくり待ちましょう。そのための長期持久戦デモであります。

デモの中心軸は弾圧ではなく、糸が布を織る協働性の奪還であります。

それゆえに街頭とは全世界へと接続しているのであります。

重要なことは、全世界の民草ひとりひとりの心を感動させる、デモを日本で実現することであります。

19番様。

ありがとうございました。


24. 愚民党 2011年9月30日 20:36:26: ogcGl0q1DMbpk : NZg0IR8heg
22番様

あなたの文章を読みとくことはできません。

もっと、わかりやすく書いていただけないでしょうか?

22番様。

お願い申し下げます。


25. 2011年9月30日 20:39:50: MDYMKPTyNI
まず外に出て色々やってみて話はそれからだろ
やるまえにちいさいことでもめんな!
柄谷行人の虚像に反応するんじゃなくて、言っている内容に反応しろクソガキ

26. 愚民党 2011年9月30日 20:48:15: ogcGl0q1DMbpk : NZg0IR8heg
25番様

世間様におきましては、怒りに満ちて大声を出しては・・・

どうなのでしょうか?

ここは居酒屋ではありません。

<バブリック=公共>な場所であります。

阿修羅とは読者が主体であります。

25番様が書き投稿なさった文体は
<バブリック=公共>な場所で露呈されているのであります。

25番様。

お願い申し下げます。



27. 愚民党 2011年9月30日 21:04:29: ogcGl0q1DMbpk : NZg0IR8heg
訂正

23. 愚民党

<日本の公演警察とはアメリカ宗主国様からCIAゆずりの対国民弾圧心理戦争を習得しておりますので、じっくりとかまえてまいりましょう>

<日本の公安警察とはアメリカ宗主国様からCIAゆずりの対国民弾圧心理戦争を習得しておりますので、じっくりとかまえてまいりましょう>

申し訳ありませんでした。


28. 愚民党 2011年9月30日 21:06:59: ogcGl0q1DMbpk : NZg0IR8heg

アメリカ市民奴隷化政策  警察国家の陰謀  強制収容所   FEMAキャンプ   動画

http://www.asyura2.com/11/warb8/msg/233.html


29. ケロリン 2011年9月30日 21:10:44: 6aICm6xzPa6aE : n2depzhT5w


04. 愚民党 NZg0IR8heg ・・・はんて、おもしろいね。応援してるゼ。
ただ、ちょいと、同じ方向で、深めさせてもらう・・・。


三島 の「豊饒の海」 は、閉じられた円環からの脱出間際の<自死> だろうね。
「倭(縄文)」 を「大和」として、再奴隷化した<ジン・ムー>(縄文支配)から
『藤原不比等が国家デザイナー』 として、伊勢を頂点とした納税(荘園)制度の構築から
読み解かなければ、おそらくは、何モノも見えてこない・・・。


<閉じられた円環>とは、現代奴隷社会のコトだ。単純なハナシなんだ。


初代卑弥呼(発祥は四国=死国として封印されている)から、
歌舞伎・能・バサラ・各種演劇にいたるまで、
<ジン・ムー>ゴロツキ盗賊支配からの解放の、歴史的伝承と復活への
狼煙という、機能がある。封印されている<艮の金神>が
レトリック・シンボルとして、代々伝承されてきたと言える。

>聡子の「そんな人はしりまへん、ひとまちがいであらしゃろ。人は錯覚もするよってに」
・・・・というセリフこそが、奴隷社会構築の橋頭堡・・仏教(神社)宗教教義支配体制からの
脱却前の逡巡であり、とりもなおさず、<輪廻転生の幻想>からの最初の一歩でも
あったわけだ・・・。


三島は、霊的構造 =『死んでも死なない』という宇宙原理を半分は掴み、
・・・それでこその、自分自身の美意識に適った「自害劇」を
演じることができたのであり、また、そのことをウラかえせば、
その扉(転生の蒙昧)を突き抜けていれば、
「自害劇」そのものも、必要はなかった、ということだ・・・。


つまり、法華経でいう
<色>・即是・<空>、<空>・即是・<色>、・・の真実は、
<色>・即是・<我>・即是・<空>、・・となる。

本質の<芯=我>が引き抜かれた法華経の変形教義が
この国に支配されている限りは、奴隷社会は終わらない・・
ということだ・・・。
どのような社会制度であろうとも、それを構成する
ひとりひとりの直接的な<自立&自律>こそが最大の
分岐点になる・・・。いま、集合意識が落ち込んでいる、
宗教的(救世主を求める意識)存在からの脱却こそが
最大のテーマだろうね・・・。

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30. ももん爺 2011年9月30日 21:28:09: QnfuyB5RKZq9U : GB1y72Cjic
愚民党さま

沢山の方が、あなたの言わんとすることが理解できないと言われています。決して揶揄しているのではないと受け取っていますが、何故、そう言われるのかを考えて、その上で論理の立て方を代えてみては如何でしょうか?

間違ったことを言われていないと理解しても、発言の趣旨から外れる解説が多くなると、異分野の人が多い阿修羅では受け入れがたいようですよ。

お節介のようですが、検討願います。


31. 愚民党 2011年9月30日 21:46:37: ogcGl0q1DMbpk : NZg0IR8heg
ケロリン様、コメントありがとうございました。

<輪廻転生のアジア個的幻想>それが、三島由紀夫「豊穣の海」であると、自分は妄想しております。

個的幻想こそが共同幻想への道標であります。

日本におきまして<輪廻転生>が放射能によって断絶、切断される、それが自分の危機感であります。

40年の金属疲労老朽化した原子炉を日本列島はいくつもかかえております。

わたしは予感にふるえております。

福島第一原発事故は、この日本列島において、第2、第3の原発事故を起こす、そのような予感にひとりの動物として恐怖にふるえております。

この危機は
7世紀、大化の改新後、倭が新羅・唐連合軍に敗北した危機と同期化しております。

<7世紀大化の改新後、
「倭」は百済を支援すべく軍隊を送り出し新羅・唐連合軍との戦争で敗北
した。その後「倭」の大王継承をめぐる内戦として壬甲の乱をえて、唐帝
国との強大な他者関係性から「倭」そのものの記憶を消却し「日本」を誕
生させる。朝鮮・韓での「百済」「新羅」「高句麗」この三国で展開され
ていた壮絶な戦争と動乱をみすえ、日本はこの三国の集団としての政治亡
命者を受入れ、中国から漢字・通貨・仏教・政治体制としての律令制度を
取り入れ、模倣造形しながら国家形成していく。その場合高度技術・高度
情報をもった政治亡命者が国造り部として活用されていくのだが、逃亡者
亡命者・漂流者がもつある絶望ある断絶ある自己喪失が日本誕生には孕ま
れていた。その自己喪失こそ中心なき中心である。>

わたしは<日本>という国名を、この現在”今と今の今”変更しなくてはならないと思っております。

そこまでの危機なのであります。

ケロリン様

輪廻転生幻想の遺伝子はなんとしても守りぬく覚悟が必要であります。

そのためには、<日本>という国名を更新する必要があります。

輪廻転生幻想の遺伝子をなんとしても守りぬくために、<日本>は国名を変更し更新たことを国際社会で宣言する必要があります。

福島第一原発、核炉心、地獄めぐりの危機とは、7世紀、日本という国名が誕生して以来の危機であります。

ケロリン様、ありがとうございました。



32. 愚民党 2011年9月30日 21:53:50: ogcGl0q1DMbpk : NZg0IR8heg
ももん爺様

わたしはこの阿修羅で<コピー記事貼り付け>人として、10年間、生存してまいりました。

<沢山の方が、あなたの言わんとすることが理解できないと言われています>

具体的に教えていただけたらありがたいです。

よろしくお願い、申し下げます。


33. 愚民党 2011年9月30日 22:09:52: ogcGl0q1DMbpk : NZg0IR8heg
訂正
31. 愚民党

「<日本>は国名を変更し更新たことを国際社会で宣言する必要があります。」

「<日本>は国名を変更し更新したことを国際社会で宣言する必要があります。」


申し訳ありませんでした。


34. 2011年9月30日 22:28:59: aDiDCZHnys
小沢支持者として考えた。

>昔、哲学者の久野収がこういうことを言っていました。民主主義は
>代表制(議会)だけでは機能しない。デモのような直接行動がない
>と、死んでしまう、と。

まさに民主主義の「死」の間際で、代表制とデモの連結が実現した。
小沢支援デモですね。
これは小沢に対する個人崇拝にすぎないものではない。
小沢が族議員のようなものではなく国民を代表した本来の政治家であるがゆえに、小沢が国家権力によって抹殺されそうになった時、人はそれを国民への攻撃とみなし、デモに参加した。
国民主権の覚醒と言っていいと思う。
自立した個人による高度で知的なデモなので、デモの規模の拡大という点で困難があるのも事実。

そんな中、大規模な反原発デモが起こった。
これがすばらしいと思ったのは、小沢支援デモのような国民主権の覚醒に繋がるエクササイズだと思ったから。
反原発デモは官僚支配と向き合うことにならなければ嘘だ。
官僚支配と向き合えば国民主権も覚醒するというもの。
それを見た政治家もまた変わっていくだろう。
そうして日本に民主主義が定着するはず。


35. ケロリン 2011年10月01日 00:09:52: 6aICm6xzPa6aE : n2depzhT5w

愚民党さん。

愚民党さんも、阿修羅のエラい、キャリアだな〜。
柄谷はんは、レトリックの料理人のようなところがあるんで、
ものすごい、ブーイングの嵐になっちゃってて、お気の毒だな・・。

<霊的構造>というものが、仏教・神道で、その真実は隠されたままなので、
より、深い考察などは、ほとんど不可能になるからね・・・。

埴谷雄高も、ドストエフスキーも、三島も、柄谷はんも、
そこが、突破できていないから、何をいわんとしているかが、
イマイチ、分からん・・となる。
全員が、扉の前で、もだえているんだよね・・・。
三島の<自害>も、ラスコールニコフの<殺し>も、
埴谷の<自動律の不快>も、すべてが、八咫鏡の裏面に刻印されている
『  I AM THAT I AM 』・・問題に収斂している。
・・・<わたしは何者か?>・・ということだろうね。

ここまでくれば、俗に言う、”トンデモ領域”に突入するので、ヤメるが・・・、

しかしながら、危機感は解るんだが、おそらくは、
上位次元6〜7次元の”日本神界事情”で「日本国」の
商号変更は無理だろうね・・・。
この我々の次元は、上位次元の反映だからね・・・。


柳田国男(吉本隆明 ) の共同幻想は、集合意識というものと同義で、
”日本神界”も大いなる日本人全体の集合意識だからね。
地球に転生する<魂>も、もっと大きな人類集合意識という、
<ロゴス=縛り>を受け入れての、体験場として存在しているからね。

<わたし>という意識は、まずは、
地球人類意識→日本人意識→個人意識・・・という具合に、
ベースに乗っかったカタチで、考えている・・、考えざるを得ない・・・
となっているからね・・・。


そうはいいつつも、
これからは、人類1万4千年周期の、いまは、ちょうど結節点・・。
このまま、古い体制が、ガラガラと音を立てて崩壊していく。
不動産価格を、観察すれば分かるが、首都圏が暴落していっている。
不動産屋は、オモテ向きには、決して本音は言わないがね・・・。
水面下で、資産家の手放しが加速している・・・。


縄文・ニギハヤヒの復活が始まっている。
北東<鬼門=艮の坤神>の決壊解除が、
今回の津波とゲンパツ事故として、
奴隷解放の狼煙として、起動しているんだよ。


ヤメるが・・・、と言いながら、しつこいな???
応援してるゼ、愚民党さん。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
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36. 愚民党 2011年10月01日 01:26:59: ogcGl0q1DMbpk : NZg0IR8heg
ケロリン様

コメントありがとうございます。

柄谷行人も喜んでいると思います。

盛り上がったのでありますから。

重要なことは、現在”今の今と今”におきまして、話題になることであります。

そうですかーーーーー。残念であります。

「日本」国の商号更新を、ケロリン様ならご理解していただけると思ったのですが。

わたしは7世紀の「倭」に日本国の商号を戻したほうがいいと思っております。

その場合、沖縄は独立するのでありますが、ここが重要であります。

沖縄には原発がありません。

7世紀以来の日本の遺伝子を沖縄に持っていくのであります。

その場合「倭」は永遠のアメリカの植民地として、放射能に汚染された場所として生存してまいります。

もはや7世紀以来の<輪廻転生>日本の遺伝子は沖縄に託すしかないと思っております。

沖縄には独立論がありましたが、ヤマトには皆無でありました。

しかたがありません。

明治維新以来、日本は徹底的に、細部毛細血管まで、国際権力によって支配されてまりましたから。伊藤博文も山形有朋もイギリス帝国の代理人でありました。

とにかく7世紀以来の<輪廻転生>遺伝子は守る必要があります。

沖縄に託すことが無理であるなら、わたしたちは地下にもぐるしかないと思います。

とにかく<日本>という商号は内在的に終わりました。7世紀から1300年、日本もよくがんばってまいりました。

今後は原発汚染国家「倭」として、名実的にも国際的にも、アメリカの植民地として「かいらい」的に生存の道を選択するのであります。

しかし「日本」は今だ生存しております。
かいらい国家「倭」における地下レジスタンス運動、これが「日本復興」であります。

アメリカの植民地かいらい国家「倭」を打倒する地下レジスタンス運動「日本復興」。

これが2012年以後の、日本復権、日本革命の道標であります。

ケロリン様

長らくおつきあいいただきましてありがとうございます。

天よりの試練でございます。

天は日本の民草ひとりひとりを試練の地獄へと叩き落とします。

ゆえに原発放射能汚染上において「あなたにとって日本とは何か?」が
個人に問われているのであります。

2012年以後、<輪廻転生>日本の遺伝子は、地下レジスタンス運動において生存してまいります。


37. ケロリン 2011年10月01日 05:54:51: 6aICm6xzPa6aE : n2depzhT5w

愚民党 さん・・。
そう、落ち込まんと・・・。


>そうですかーーーーー。残念であります。

・・・・というわけではなく、オイラたちだけでどうにでもなる、
というわけではない、というハナシなのね・・・。
おそらくは、これからは、国境さえも意味を無さなくなる・・
地球規模の意識の変換前夜として、旧奴隷体制が
崩壊しつつある、という感じなのね。

明治維新前後の、薩摩の国、長州の国、などという”クニ意識”が
いまや、過去の残滓として、かすかに残る郷土愛というようなものと
同じように、これからは、地球規模での、垣根・奴隷家畜用の柵そのものが、
崩壊していくだろう、という展望を抱いている・・・。

まずは、米国デフォルトの、この9月の先延ばしによる原因で、
よりキツイ将来の炸裂に端を発しながら、世界規模での
金融経済の瓦解が始まるでしょうね・・。

最後の<食料>を使った、投機と隷属コントロールに手を付ければ、
生き死にに関わる、世界的な暴動に発展する・・・。


まぁ〜、これからが、楽しみな<倭の国=縄文復活>の
本格的な、歴史の渦が巻き起こるでしょうね・・・。
これは、<世界の倭の奴の国>化・・・
世界の”日ノ本化”、でもありますからね。


電磁推進機構研究者談・by縄文復活ニギハヤヒ



38. 2011年10月01日 08:43:39: 6kuobrWeYc
>10
>読んで字のごとくじゃないか?
>それ以上何を言えというのだ? 新たな考え、発想のもとに生きていく。これ以
>上、なにを付け加えることがあるのか。
>
>それは「こうせよ」ではなく、
>個々人が自由と自立のなかで自ら見出していくものだ。
>きみのように「柄谷」を振り回したり、なにやらこむつかしい屁理屈を振り回したり
>するのではなくね。

君は過去の文化遺産を一切否定するのだな。
ならば「言語」だって使用できないし、パソコンやインターネットだって使えないが。
そういう考えでは「徒花」で終わるだろう。


39. 2011年10月01日 10:18:19: XJL2YLIhEs
お疲れ様でした。パソコンならではだよね、これ↑を居酒屋でやられたら、お勘定だけ置いて先に帰る。難解な話はやめろとは言わないけど、こんなこと理解できなきゃデモに参加できないと誤解されないようにしなくちゃ、よく言えば敷居が高くなる、ありていに言えば、また『特殊な人たち』の趣味に逆戻り。輪廻転生の遺伝...ホケキョー??
私は名前ぐらいは知ってる、本も何冊かは読んだけどけど、三島も大江健三郎も、名前すら知らない、競馬新聞やゲームの攻略本しか読まない人も被爆する。
事故当初ニュース見てても思ったが、原発の構造断面図にしてをこまごま延々説明されたって、直しに行くわけじゃないし。
基本は
ヤ!なもんはヤ!。怖いもんは怖い!怖いもんは要らん!

40. 2011年10月01日 19:36:31: pEgCpfCxXY
>>19さん、
ぼくはこのコメント、それほど悪くないと思う。
むしろ、柄谷行人が3.11以前を評して
デモがなかったといったのと同じ意味で、正しいと思います。

こういってもいいでしょう、9.11ですらデモはなかったのだ、と。
まだまだ世界を揺るがすほどの、本来の意味での恣意行動たりえてない、と。
いいでしょう、もっとやります。もっと沢山、歩きまわり、
踊りまわり、街頭のみんなと手をつないで、、、
原発震災国家の虚妄を一つ一つ暴いて参ります。

もっとデモを。もっとサウンドを。もっとダンスを。
もっとシュプレヒコールを。そして、もっと反弾圧の声を。

oooburoshiki 関電の原発を止める会・大風呂敷(仮)
【RT】差別・排外主義にNO!9・23行動・A君不当逮捕の瞬間 / 許せない http://www.youtube.com/watch?v=L1RMFPQQlOI
http://923solidarity.tumblr.com/

3時間前


41. 2011年10月01日 19:45:53: pEgCpfCxXY
>>19さん、
>アメリカの反戦デモでは銃も使用された。
中東でのデモは即、死に至る。

日本のデモに対する弾圧の幼稚なことをみよ。
なぜ、日本のデモに対する弾圧は幼稚であるか。
死者を出すようなことがあれば体制が崩壊しかねないからだ。
-------------------------------------------------------
日本の場合、逮捕は被逮捕者にとって死を社会的には
意味するのではないかと、少しも思わないのですか。
逮捕は、幼稚でもなんでもない、社会にとっては
ただの死同然の扱いを被疑者になすのではなかったのか。
そして、いま、
街頭をただ反原発、反差別、反排外主義をいいながら歩く、それだけで
いきなり逮捕される現実がある。そしていま、逮捕などぬるい、甘い、
死がないという声が響く。血が吹き出てないではないか、
血が、生け贄が足りないのだ、と。

日本には死刑がある。死は透明の真綿で隠され続けている。
血はもうずっと流されてきた。そして今新たに、街頭でまた目に見えない血が
一滴、流され続けていて、死が足りない、血が足りないという声がそれに
答えている。

19さんのコメントは非常に残酷なものだと思います。ぼくには耐えがたい。
けれども、権利は勝ち取るほかに、与えられる虚妄を暴くほかに、
手にすることはできない、と、そうきちんと告げている面が、あるかぎりで
ぼくは19さんのコメントは半面で評価できるんじゃないか、といいます。


42. 2011年10月01日 21:41:26: 03bw0jfJsI
23>さま、場所と程度の差こそあれ、まさにその様な有様が展開されていたのです。良く解ります。

43. 愚民党 2011年10月02日 04:59:36: ogcGl0q1DMbpk : NZg0IR8heg
ケロリン様

コメントありがとうございました。

ケロリン様との対話でいろいろ教えられました。

縄文以来の遺伝子を守る必要があります。

福島第一原発事故、その放射能汚染、これは核戦争事態でもあります。

チェルノブイリは旧ソ連が100万人のソ連軍を動員して、コンクリートで封じこめました。そしてソ連は崩壊いたしました。

国立国会図書館には核シェルター建設が必要であります。
国立博物館にも核シェルター建設が必要であります。
都道府県の図書館にも核シェルター建設が必要であります。

図書館も博物館も記憶の集積庫であります。
縄文以来の文物、書籍を核シェルターに保管しておく必要があります。

わたしは縄文以来日本文化史、その記憶の集積庫たる文物を守るための
国民運動を形成するため、微力ながら決起していきたいと思っております。

大江健三郎も
柄谷行人も「図書館に核シェルターをつくれ!」と提言していただければ
嬉しいのですが、まず自分から文部科学省に要請してみます。

ケロリン様

ありがとうございました


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