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『市民の論理と科学』  武谷三男(筑摩書房1975年)書評、Supersymmetry Brothers さんのブログよ
http://www.asyura2.com/11/genpatu19/msg/458.html
投稿者 ジャック・どんどん 日時 2011 年 12 月 19 日 21:15:29: V/iHBd5bUIubc
 

Supersymmetry Brothers さんのブログより転載します。
@Rotsk / Yo1 Richard Otsuka(昼寝中)  

『市民の論理と科学』  武谷三男

http://supersymmetry.air-nifty.com/blog/2011/12/post-058e.html
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2011年12月18日 (日)

『市民の論理と科学』  武谷三男 
  筑摩書房 1975年

『フェイル神話の崩壊』と同時期の本なので、内容には重なる所も多い。『経済評論』に連載された時評を集めたものだ。題材によって4部に分かれて収録されており、時系列ではない。各部の冒頭に次の題名の要約的な書き下ろしの文章が入っている。

「人権の哲学」のために
日本的無責任の論理を生みだすもの
技術とはなにか
市民の論理と科学
「「人権の哲学」のために」では、『フェイル政府神話の崩壊』で出会った、人権と特権の考え方が順序立てて述べられている。人権と特権の考え方が初めて提示されたのは、『自然科学概論 第三巻』(1963年、勁草書房)とのこと。「日本的無責任の論理を生みだすもの」では、震災以降いやになるぐらい考えさせられている無責任の構造について著者の考え方がまとめられている。「技術とはなにか」は、いつもの主張。「市民の論理と科学」では、発言できない企業内技術者の問題が取扱われている。公共よりも私企業に尽くす技術者のあり方についての問題である。

この中から、二つの議論をとりあげたい。初めは、「日本的無責任の構造」である。

日本独特の無責任さは結局、辞めない人、何も責任をとらない人が最高の場所にいるというシステムが明治以来成立していたということである。それはつまり天皇制である。新憲法になり天皇は政治的な責任とは関係なくなったが、旧憲法ではそういうものであった。新憲法下の現在も精神的には旧憲法が残っている。こういうものは人権とは正反対のものだということではないか。上の地位にいるものは命令するだけで責任はとらない。いちばん上も責任はとらないということになる。逆にまずいことの責任は下へ、下へといっていちばんの末端が責任をとるシステム、これはやはり日本独自のものではないか。

無責任の構造を天皇制を中心に抱えるエリートの作る秘密クラブの問題として述べていた『思想としての3.11』の田島正樹さんの議論と重なるところがある。こうした立論自体は特に珍しいものではないのかもしれない。誰も責任をとらない=無責任、というのは確かにそうなのだが、むしろ責任を集める、すなわち権限を特定の人間に集めることについての忌避という面もあるのには注意しておこう。つまり、相互に足を引っ張り合い、誰も特別の地位に押し上げない構造、その中で足を引っ張られにくいキャラクター(ないしは、そういう関係をねじふせたもの)だけが自然に浮上する。それは、力によってのしあがるというより、誰も彼・彼女を押さえつけない、誰も彼・彼女に文句を言わないことによって浮かび上がるという方が近い。支持もされるが、嫌われもして、しかし豪腕、などというのは嫌われる。

 日本的無責任のもう一つの問題点は、海の向こうのものはみなよい、たとえばソ連のある発展段階のあるものを全部美化してよいものと思ったり、中国を見てきて、いや中国ではこういうことをやっていると言ってある発展段階のものを取り上げてきて、それを理想的なように思ったりすることである。中国としてはおそらくやむをえずそうやっている場合だってあるのだし、どんどん発展しつつある国であるから、そのある面をつかまえてそれを理想化するのはおかしい。

国の中を変えるために外圧を利用するというのは、日本の官僚組織の常套手段でもある。企業が自らを変えるために外部のコンサルに頼るのも、責任者が自分の意見を書かないための方便であり、外部の人間に短期間に自社の問題の解決ができるなどとは元から考えていないという場合も多いと思う。これらも、つまるところ責任をとらないというよりも、自分が率先して責任をとる仕事をしていないように見せるポーズであり、その実、組織をどうしたらいいかについては本当に真剣に考えていたりするものだ。しかし、失敗しても責任はそうした提言をしたコンサルタントにあり、彼はその時点で既に契約期間を終了している。日本におけるコンサルタントの役割の一つは、このような社内組織の憎まれ役にあるといっても過言ではないと思う。組織に生きるものは、この種の小技の使い方に失敗しないことが生き残りのこつである(多少、冗談ではありますが)。官僚機構は、まさしく減点主義の世界であり、成功することではなく失敗しないことが出世の条件であるような競争社会なのだ。

 このような日本的無責任の論理は、技術の現場でどのようになっているか。
 たとえば事故調査、技術導入で学会の権威、技術の権威とかいう人がいろいろお墨付きをつくる。ところがそれがついにだめだったときには、何の責任もとらない。そこが非常に問題である。事故調査でまちがった事故調査をやっても責任はとらないし、技術導入でも導入した技術がおかしくても、それは向こうの責任で自分の責任はぜんぜんとらず、金はこっちが払う。学会の権威が払うのではなく、払うのは違う人が払う。学会の権威の腹は何も痛まない。その技術による公害、被害は国民がこうむる。もちろん税金の被害もこうむるだろうし、その他その他、人間が死んだりしてもそういうこととは関係ない。それは恐るべきものではないだろうか。

 すべてこういう具合であるから、日本的無責任の論理においては創造性が評価されない。日本人には決して創造性がないのではない。創造的な人間を評価しないのであり、それが東大秀才を大事にするということによくあらわれている。

乱暴といえば乱暴な議論ではあるが、経産省、原子力安全委員などの振る舞いをよく見ておこう。この大事故の責任をとってやめた人は誰かいただろうか。記憶に残っているところでは、子供への20mSv被曝容認などに反対して内閣官房参与を辞任した小佐古さんぐらいではないだろうか。それどころか、津波だったんだから仕方ないと言わんばかりの事故後の責任追及、いやむしろ悪いのは操作を間違えた現場技術者といわんばかりの事故調査、むしろ政府はよく対応して年内に予定どおり冷温停止に持ち込んだと誇らしげな総理の会見、ととても責任を感じているとは思えない動きばかりが目につくではないか。

 もちろん、こんなのは原子力に限らない。財政が破綻しようが、貧困が増えようが、責任をとるのは行政の人間ではないから、日本の仕組みを変えるのは政治家の仕事とばかりにあたえられた枠の中で暴走する。しかし、実は、政治家に国を変える力は無く、ほとんどの政策は実質的に行政機関抜きには出来上がらない。先生、先生、と立てられながら実力不足はすぐに見抜かれる。官僚は政治家の言葉には従って逆らわずに一生懸命働こうともするのだが、政治家の多くが勉強不足の上に実務能力を欠いているものだから、実際のシナリオを書くのは官僚ということになってしまうわけだ。大臣答弁で耳を疑うようなものが近年増えてきたのはいかに専門性が今の大臣に必要ないかの証拠である。無責任といえば、こんな無責任な話はないではないか。

 この無責任の構造は、反対側から見れば言いたいこともろくに言えない企業や大学の科学者や技術者という話題につながる。当時話題になっていたソルジェニツィンの著作を念頭に武谷さんは、次のように書いている。

 日本は収容所群島である。とくに企業の科学者にとってはまったく収容所群島そのものである。企業内部のことはいっさい言えないだけでなく、企業にはいり込んだ人間は政治活動はおろか、批判めいたことは何もできない。だからとくに技術者などは政治活動や企業内告発などの発想すら浮かばないのではないだろうか。企業内の科学技術者は企業がタレ流ししようが何をやろうが、知っていても何もしない。企業と多少ともコネのある大学教授もできるだけごまかしをし、事故調査などではひたすら企業にサービスする立場にある。大学に企業がうんと寄付でもしてくれているのならまだわかるが、大学教授などはみみっちい金で買われてしまうのだ。
 企業内告発が非常にやりにくい一つの原因は、技術者の仕事はかなり専門分化しているために、たとえば防衛庁のこの部品に関する知識をもっているやつはあいつとあいつとあいつということになって知られている。だからそれをバラすとほんのわずかの人間を調べればすぐわかってしまうということがある。(略)そういうことで、それぞれの専門家は限られていて、しゃべったらすぐわかってしまう。それが、良心的な技術者がいまいちばん悩んでいるポイントであり、かれらの環境はまったくの収容所群島なのだ。

特権と人権という武谷さんの用語にならっていえば、技術者、学者は企業、研究機関、大学などに所属し、その所属から保護されることで生活を維持しているわけだが、その身分=特権に対する忠誠度の方が、人権=公共の福祉に対する忠誠度よりも高いことが多い、というように言えばよいだろうか。これは、改めて説明しなくとも多くの日本の技術者が当然のこととして受け入れてしまっている事実だと思う。企業に勤めるものであれ、官公庁で働くものであれ、日本のサラリーマンにとって、ここで書いているようなことは多分常識みたいなものだ。何も特別なことを述べているわけではない。この福島の事故を機に多くの人の発言を読んできたが、比較的ビジネスからは遠いところにいる純粋理学系の学者や元から反原子力の立場を明らかにしいる人たちを除くと、技術者や理学系の学者の批判的な発言が身分を明らかにして行われているのを見るのはまれだった。たとえば、原子力のプラント関連の技術者、電力会社の技術者などの意見が一技術者の立場から述べられたことはあっただろうか。ほとんど記憶がない。強い意見を出しているのは、皆、「元」がつく人々だ。企業の批判は辞めてからやれというのが日本の企業の暗黙の了解事項のようになってしまっており、露見すればただでは済まないことをみんな恐れているからだ。原子力とはまったく無関係な僕ですら、勤めている会社の顧客でもある官公庁や大企業に対して批判めいたことを述べるのについては、迷いがあった。ささやかなブログサイトでの小さな意見でとても影響力があるものとはいえないが、それでもどこでどんな問題が生じるか知れたものではない。

 しかし、そんなことをいっていたら、産業界に職を得ている技術者、公益事業と関係の深いゼネコンやIT企業に所属している人間は総て口をつぐまなければならなくなる。多くの人は私的な場ですら、抑え気味に感想をもらすだけで、ほとんど議論すらしていないのではないか?ネットで匿名で語るとき以外は。しかし、だ。沈黙は地獄への道だとマーティン・ルーサー・キングも言っている。実は、技術者の倫理というものは、自分の所属企業ではなく、職業倫理に忠実であることを求める。よく例にひかれるのは、スペース・シャトル、チャレンジャー事故の際に危険を訴え続けて技術者の話だ。彼の忠告は、経営者によって押し戻され、聞き届けられなかった。顧客であるNASAのほしがる答えを彼の所属企業は提出したのだ。結果としてチャレンジャーは大変悲惨な事故を起こした。

 福島の事故について、健全な批判がなされることとがなかったら、同じような事故はまたくり返し起こる。こんな、技術者が口をつぐまなければならないような抑圧的な風土こそ、日本をこのように閉塞的な状況に導いた元凶だ。変革は、誰かがしてくれるわけではない。自分が変わること無しにできる変革などは何もないと、総ての技術者は認識すべきであると僕は考える。また、今、変革に対してネガティブな姿勢を貫くことは一種の反動であり、人権の抑圧に対して手を貸すものになることかもしれないということを肝に銘じた方がよい。何もしないことが、差別を認めることににつながることは、誰しも小学校や中学校のいじめで体験済みのはずだ。

 ところで、本書は、時評ということで、小野田さんと横井さんの帰還に関する雑感、自衛隊や防衛に関する意見など、科学とは直接関係のない話題についても触れられていて面白い。小野田さんについては、どちらかというと賞賛ムードだった国内の世論とは対照的に日本的無責任を見ている。自衛隊については、チェコ侵攻したソ連軍に驚いている日本人に驚き、日本はとうにアメリカ軍に侵攻され直接・間接に支配されたままなのに何を驚いているのだと言う。また、日本は、資源も乏しく占領する価値のない国であり、それで得するのはアメリカぐらいであること、日本は軍事的には大変弱く、石油の補給路を断てば太平洋戦争同様すぐに立ち行かなくなること、また、全国の原発を潜水艦から攻撃すれば全国に死の灰をばらまくことができることなど(もちろん、その攻撃の後で侵攻するのは難しいかもしれないが)、軍隊が守ってくれるなどというのは嘘だという。確かに、原発への攻撃には防護策が何もないことは、今回の事故でいやというほど身にしみて日本国民は学ぶことになった。

 膨大化しつつある日本の軍備は従って、米軍の肩代わりのためか、または防衛産業のためかであって、日本の防衛のためではない。戦前の日本でも、軍は、国防のためという建前であって、侵略のためなどと決していわなかったものだ。

原発と同じく、日本の軍備も米国の要請に基づいて導入されたことは教科書にも書いてあることだ。極東での、共産勢力に対抗するための軍備を日本に分担させたに過ぎない。仮想敵国は、だから米国の敵なのであって、日本の敵であるかどうかはあまり関係ない。また、原発の導入にせよ、TPPにせよ、郵政民営化にせよ、歴代の政権が行政とともにアメリカに回答する手みやげとして必要だった政策に過ぎない。それらを推進した政治家が、アメリカの気に入る政策を選択することが日本にとっても一番いいと考えていたにしてもだ  

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コメント
 
01. mainau 2011年12月19日 23:30:42 : GgaPs4QXWLwO2 : 85rTG3hiJk
無責任といえば無責任だが、もっと深いところでは、「個」というものがまったく確立していないのだから、責任のとりようがない、こういうことに尽きると思う。
ムラ社会の中で生きるようにしつけられており、「ムラ」という共同体の中での自分の位置づけを確認することがアイデンティティーみたいになっている。
こういう気質、戦前もそして今も。
とにかく、西欧的近代個人主義の観念からいうところの「個」の責任などというものは、そもそも成立しえない土壌がある。

天皇だって、個としての自由なんかほとんどないではないか。
大正天皇を見ろ、最後には具体が悪いのに、見栄えが悪くなると困るから、馬車の中で移動しているときに、くくりつけられていたそうだ。
大正天皇が生母と再会できたのは、末期のときになって初めて。

今上がぶらぶらできたのは、若いころただ一度だけ銀座に出かけたことで、これが銀座ぶらぶら事件と呼ばれている。

そもそも「個」として立つような教育などは日本でなされていない。
ムラに埋没するように、学校でも企業でも教育される。

その結果、今の原発事故で発言しているのは、強烈な個をもった人だけ。
小出、武田、早川、山本太郎。ひとくせもふたくせもある個性的人間だけ。
普通の人は原子工学の専門であろうと、みな沈黙している。


02. ツルMG 2011年12月20日 01:01:54 : DU7vbvnucF96E : IbH3r7SN8I
この議論は丸山真男からのインスピレーションかな。
であれば、同じく丸山の「である」ことと「する」ことの議論も使いたいところ。
無責任を作ったのは誰か、温存してきたのは誰か。
「である」が存在しない社会と、そうではない社会があり(典型的には中東の春であれているような国)、今の日本は少なくとも「である」がある社会で、日本に欠如したものは「する」だっただろう。
抽象的な言い方になったが、無責任を作り上げてきた輩がいる一方で、それを徹底的に批判し続けた人が少なすぎた。これからはそうはさせないぞ、ということ。
そうすれば、少しはマシになるかもしれない。

03. 2011年12月20日 01:30:21 : bMr1EYkH4M
01さん同感です。

04. 2011年12月20日 02:00:37 : SNhHEjfgw2
日本は近代革命が起こる前に滅びそうですな。
たとえ国家が崩壊しても日本人が近代化への道を歩むのなら歓迎する。共に歩もうと思う。

05. 2011年12月20日 04:56:59 : EDIamXKvUY
>とにかく、西欧的近代個人主義の観念からいうところの「個」の責任などというものは、そもそも成立しえない土壌がある。

そうはいいますが、権力を持つ人間は、厳しい命令をするし、気に入らない人間に対して、
驚くほど酷薄です。ある点では、強い個をもっているといえます。権力のない人間が
おとなしい羊になっているのは、確かにそのとおりです。


06. 2011年12月20日 06:52:52 : bMr1EYkH4M
05さん
権力を持っているといっても組織、村があっての権力でしょう。
組織にのっかっているので、個をもっているわけでないと思う。
日本では一人で個を持つと村八分にされる。

07. 2011年12月21日 02:42:47 : jUUPuvlrrY
>>06
>日本では一人で個を持つと村八分にされる。

それなら、権力者が入れ替わっても、何の変化もないことになります。そんなことはないです。

あなたのような理屈は、なにか重大な失敗が組織・政治などで、あったとき、指導層
の免責を行うのに都合がよいだけです。


08. 2011年12月24日 11:54:28 : DBTD2oPWa2
ここでは、関係のない意見やもしれません。まず、失敗について・・です。たとえば、ネット販売について、勧誘されます。が、そこには・失敗例がない。全てが・成功例。おおよそ、三十余年、個人・自営業をした只今、多くの失敗から学んだと思う。大失敗もした。せめて、この失敗について、他のせい・にはしない。このこころ癖がつくと、大人になれない。偉そうには未だ記せないにせよ、人生の結末は、みじめなものになる・・と思う。人生の選択は、個々人違うにせよ、易き途を選んだ方。その尺度もない。そこには、運もある。出会いも大きい。が、これさへも、心がけ次第だと思う。学ぶ事・・これも、ヒント位がいい。仏教では、公案と言う。又、創造について、美術に関しては、デッサンが基礎になる。この基礎が出来ていないとダメです。ここにも、光に頼らない・・・との公案がある。この、基礎・デッサンをしていない方もいる。が、強烈な個性がある。そんな画家もいる。多くの試行錯誤をしている。下積みです。就活・とか・即戦力・とか、今の学生は、どんな事考えているのか・・。この、次世代の方々が、気になる年齢です。

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