★阿修羅♪ > 原発・フッ素7 > 556.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
原発は重要エネルギー源=地震多いのは運命―与謝野経財相
http://www.asyura2.com/11/genpatu7/msg/556.html
投稿者 尾張マン 日時 2011 年 3 月 22 日 12:43:05: YdVVrdzAJeHXM
 

時事通信 3月22日(火)10時20分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110322-00000037-jij-pol

 与謝野馨経済財政担当相は22日の閣議後会見で、福島第1原発事故に関連し、「日本中どこの地域を探しても環太平洋火山帯の上に乗っている国だから(地震が多いという)その運命は避けようがない」と述べた。これは原発推進の立場から地震が多いことは原発を止める理由にならないとの考えを強調した発言。

 同相は「将来とも原子力は日本の社会や経済を支える重要なエネルギー源であることは間違いない」と語り、あくまでも原発を続けるべきだとの考えを示した。 
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2011年3月22日 12:43:51: cqRnZH2CUM
日本と台湾が特に危ないと見られている

地震の危険にさらされる多数の原子炉

* 2011年 3月 20日 9:59 JST

* 記事
* 
 地震が発生する可能性が高い危険区域に位置する14基を含む何十もの原子炉が世界各国の地震多発地帯で稼動していることが、ウォール・ストリート・ジャーナルの調査結果で明らかになった。
110317_fukushima1.jpg_image_Col3wide REUTERS

福島第1原発の3号機と4号機(15日)

 これらの多くは日本と台湾にある。天然資源に乏しいこの2つの島国は、海外からのエネルギー輸入に完全に依存するよりも、原子力発電のリスクを取ることを選んだ。

 福島第1原子力発電所の事故が深刻さを増す中、日本と台湾はその判断の見直しを余儀なくされている。東日本沿岸を襲ったマグニチュード(M)9.0の巨大地震とその後の津波により大きな被害と多数の死者が出た4日後の14日に台湾で行われた調査によると、55%の人が自国の原子力施設を信頼できないと回答した。

 ウォール・ストリート・ジャーナルでは、ロンドンに本部を置く世界原子力協会(WNA)のデータを用いて、世界の原子炉400基以上と、建設中または今後建設が予定されている100基の所在地を調査した。その後、1999年に米国地質調査所とスイス地震局が行った世界地震ハザード評価プログラムのデータと照らし合わせ、それぞれの原子炉における地震リスクを測定した。

 その結果、全体の11%にあたる48基が、中規模以上の地震活動が見られる地域に位置することが判明。福島第1原発もその中に含まれる。また、3%にあたる14基は高危険区域にあり、そのうち10基は海岸線から1マイル以内にあるため、地震と津波両方のリスクにさらされている。

 高危険区域にある14基のうち、日本と台湾にある原子炉は10基。残りは米国に2基、スロベニアとアルメニアにそれぞれ1基、そしてアルメニアではさらに1基の建設が予定されている。

 原子炉は、各地で想定される最大規模の地震にも耐えられる構造になっており、その予測以上の地震が発生した場合に備えて、通常さらなる安全対策が講じられていると原子力産業関係者は言う。福島第1原発も、11日の巨大地震の影響は免れたようが、その後の津波で破損した。

 米原子力エネルギー協会の広報担当者は「我々の原子炉は十分な安全対策を取っている」と話す。

 米原子力規制委員会(NRC)は18日夜、米国で合計104基の原子炉を運営する会社に対して、福島第1原発の現状を初めて公式に説明した。

 その文書では、米国の原発は自然災害や他の非常事態への対策が十分であると国民に安心感を与えるため、当局がここ数年で講じた安全対策にも言及。NRCによると、その中には福島原発で損壊した原子炉や使用済み燃料プールの冷却機能の復旧に関する取り組みも含まれている。

 米国で稼動する100基以上の原子炉のうち、カリフォルニア中部の沿岸に位置するディアブロキャニオン原子力発電所の2基のみが地震の高危険区域にあたる。同州北部のハンボルトベイ発電所は、地震の懸念により1976年に操業を停止したが、使用済み燃料の一部はまだ敷地内に残されている。

 ディアブロキャニオン原発を運営するパシフィック・ガス・アンド・エレクトリック(PG&E)の広報担当者は、原子炉は発電所周辺のサンアンドレアス断層の活動によるM7.5の地震にも耐えられる構造になっていると言う。2008年に発見された原発から1マイル以内の断層など、サンアンドレアス断層よりもさらに近くに位置する断層もあるが、それらの地震活動にも耐えられることが検査で明らかになっている。

 しかし科学者は時に地震の規模を過小評価する。先週日本を襲った地震は、福島第1原発が想定していた10倍以上の大きさだった。2007年には、設計者が想定した以上の地震が発生したことにより、世界一の大きさを誇る柏崎刈羽原子力発電所が損傷を受けた。

 日本の反原発団体は長年、運営会社や政府当局者が認識する以上に原発は地震の影響を受けやすいと主張してきた。

 東京の反原発団体、原子力資料情報室は今週、「原発推進派が起こり得ないといっていた原子力事故が今まさに起こっている」との声明を発表した。

 原子力発電に関しては台湾でも議論が絶えない。台湾で稼動する原子炉4基は全て主要断層帯の近くにあり、人口が密集した台北市と新北市付近にさらに2基が建設中である。

 行政院原子能委員会と台湾当局は、すべての原子炉がM7またはそれ以上の規模の地震と、12〜15メートルの津波にも耐えられると言う。また、当局と政府系電力会社の台湾電力は、必要に応じて安全性向上のための迅速な措置を講じると述べている。

 専門家は、日本と台湾が原子力発電から脱却するのは難しいという見解を示す。エネルギーコンサルタント会社IHSケンブリッジ・エナジー・リサーチ・アソシエーツ電力担当のマネージングディレクターで台湾出身のジョンリン・ワン氏は「原子力はエネルギー源を多様化し、石油、ガス、石炭の輸入依存度を軽減する手段」と話す。

 確かに、多くの国では地震危険地域以外に原子力発電所を建設するよう努めてきた。

 ミシガン大学のベン・ヴァン・デル・プライム地質学教授は、「主要活断層帯の上に建設されている原子炉はそれほどない」と話す。「日本はおそらくその代表例だ」

記者: Maurice Tamman and Ben Casselman and Paul Mozur


02. 2011年3月22日 12:46:16: cqRnZH2CUM
「資産保護」優先で海水注入遅れる─福島第1原発事故

* 2011年 3月 19日 23:30 JST

* 記事 

 【東京】東日本大震災で被災した福島第1原発への緊急対応の遅れは、貴重な原発資産を損なうことへの懸念と、政府側の当初の受け身の姿勢が原因だったことを複数の消息筋が明らかにし、危機対応の内情が浮かび上がった。

 一方、震災発生時に福島第1原発施設の点検にあたっていた規制当局者は、現場の大混乱に直面した目撃者証言の第一報を本紙に伝え、地震で現場周辺のすべての通信が遮断され、対応がきわめて困難になった震災当時の模様について語った。

 同原発の事業者である東京電力(東電)は、少なくとも地震発生翌日の12日午前という早い段階に、6機の原子炉の1機を冷却するため、付近の海岸から海水を注入することを検討した。しかし、東電がそれを実行に移したのは、施設での爆発発生に伴い首相が海水注入を命じた後の、同日の夜になってからだった。ほかの原子炉では、東電は13日になるまで海水注入を開始しなかった。
akiokomori

東京電力の小森明生常務

 事故対応に携わった複数の関係者によると、東電が海水注入を渋ったのは、原発施設への同社の長年の投資が無駄になるのを懸念したためだという。原子炉を恒久的に稼働不能にしてしまうおそれのある海水は、今では原発事故対応の柱となっている。

 元東電役員で、今回の原発事故対応に加わっている公式諮問機関、日本原子力委員会の尾本彰委員は、東電が海水注入を「ためらったのは、資産を守ろうとしたため」だとしている。尾本氏によると、東電と政府関係者のどちらにも、塩水を使用したくない大きな理由があったという。当初、核燃料棒はまだ冷却水に漬かっていてダメージを受けておらず、同氏によると、「圧力容器に海水を注入すると、容器が二度と使えなくなるため、海水注入をためらったのも無理はない」という。

 東京電力広報担当者は、東電が「施設全体の安全を考えて、適切な海水注入時期を見計らっていた」としている。

 ある政府関係者は、「今回の原発災害は、6割方、人災だ。東電は初期対応を誤った。十円玉を拾おうとして百円玉を落としてしまったようなものだ」と述べている。

 政府の対応も後手に回った。6機の原子炉の4機がすでに破損し、残りの2機もやはり過熱の兆候を示しだした16日になるまで、自衛隊は冷却活動に大々的に参加しなかった。防衛省広報官によると、自衛隊が出動しなかったのは、東電側から要請がなかったためだという。東電広報担当者は、原則として東電は政府と連絡をとっているとして、この点についての具体的なコメントは避けた。

 たとえ一層迅速に対応していたとしても、難題は避けられそうになかった。現場に居合わせた目撃者が本紙に語ったところでは、地震と津波は、同原発のほぼすべての通信を早々に遮断したという。

 原子力安全・保安院(NISA)福島第1原子力保安検査官事務所長の横田一磨氏は、地震発生当時、同原発にいた。壁にひびが入るほどの威力で地震が襲ったとき、同氏は机の下に身を隠した。その後、車で15分の距離にある保安検査官事務所に移動した。「電気も電話もファクスもインターネットもダメだった」という。非常用発電機が使えるようになったのは、その日の夜になってからだった。

 NISAは18日、今回の原発事故の深刻度評価を、国際原子力事象評価尺度のレベル4から、1979年の米国スリーマイル島原発事故と同レベルの5へと引き上げた。

 政府および東電関係者によると、原子炉冷却作業は18日、ほんのわずかな改善効果を示した。1機の被災原子炉に配備された消防車は放射性廃棄物のプール1つに何とか水を届かせることができた模様という。放水がどれほど効果を上げているかは不明だった。

 東電関係者によると、週末には一部被災原子炉の電源を回復し、原子炉冷却の一助にできる見込みだという。現場での放射線レベルは安定しているものの、依然高いままだ。

 海外の消息筋は、未曾有の事態ゆえ、遅れと混乱は致し方ないとしている。18日に日本に到着した国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長は、スリーマイル島事故も事態を把握するまで時間がかかったと述べた。とはいえ、天野氏は東電からの情報提供不足を指摘した。

 11日の地震は同原発を電力供給網から断絶し、一方、津波は非常用発電機を流し去った。

 同原発を監視しているNISA福島第1原子力保安検査官事務所長の横田氏は、地鳴りがして地面が揺れ始めた際、同原発で四半期安全点検を実施している最中だった。書類棚やコンピューターが倒れ、あたりに散乱した。

 津波が通り過ぎた後、横田氏はタクシーをつかまえて近郊の大熊町にあるNISA保安検査官事務所に急行した。ここは、原子力災害対策センターも兼ねている。同センターは、東京のNISA本院とも、福島第一原発施設とも、連絡が絶たれていた。

 同原発の6機の原子炉のうち最も古い1号機の事故情報は、地震翌日の12日早朝まで広まらなかった。その時点には、1号機はすでに自動停止していたものの、燃料棒が過熱し始めていた。東電広報担当者は、同日午前6時の記者会見の席上、海水注入が原子炉冷却のための一選択肢だと述べた。

 原子炉の温度が上昇し続けて水素ガスが発生し、同日午後3時36分に爆発を引き起こした。菅直人首相は海水の注入を命じ、これは午後8時20分に実施された。

 13日の早朝までに、3号機の冷却機能が喪失した。東電は真水で3号機を冷却しようとしたが、午後には海水に切り替えざるを得なかった。翌14日午前、3号機の建屋が爆発した。この結果、格納容器が損傷して放射能漏れが起きている公算が大きい。

 当局者は、2号機の冷却システムへの注水が停止していたことに気付かなかったらしい。14日夜に海水注入が開始されたが、冷却機能喪失は15日早朝の爆発につながった。

 横田氏とほかのNISA職員らは、放射能から甲状腺を守るヨウ化カリウムを服用した。災害対策センターでは、放射線レベルが100マイクロシーベルトに達するとアラームが鳴りフェイスマスク着用を職員に促すようになっていたが、横田氏によると、職員全員がさらに遠方の安全な場所まで避難した16日の時点には、アラームが鳴りっ放しだったという。

 自衛隊は16日になって派遣された。ただし、防衛省広報官によると、一部の自衛隊員と機材は約24キロ離れた地点で待機中だという。防衛省広報官は、「東電が支援を要請してくるまでは、自衛隊出動を見合わせざるを得ない」と語った。

記者: Norihiko Shirouzu and Phred Dvorak and Yuka Hayashi and Andrew Morse


03. 2011年3月22日 12:47:46: BIgfJMRMNE
>原発は重要エネルギー源=地震多いのは運命―与謝野経財相

そう思うんなら、今すぐ福島原発に行って事態を沈静化して来い!!クソ与謝野!!


04. 2011年3月22日 12:50:33: pYZT0dbqfM
原発作ってもいいよ。その代わり、東京湾あたりに作ってくれ。嫌ならやめろ。結局、事故になったら田舎者が犠牲になって被災しろ、ってことだろ。

05. 2011年3月22日 12:55:10: 0rgVQeCGTI
与謝野よ禄でも無い事を言う間があれば、
福島の現場に行ってバケツで水でもかけろバカが!
然るべく意準備の下、全ての原発を止めよ命の方が大事だ。

06. 2011年3月22日 13:10:48: FoIUuqEqIM
いいんじゃない。福島第一6基は東京・神奈川・千葉へ。埼玉・北関東は再処理工場。新規建設費用とか福島周辺への国歌補償とか莫大なコストがかかるから、財源は全部、東電管内住民の電気代からね。

07. 2011年3月22日 13:15:20: KpPAdmfwX6

過去にもトラブル続きだった福島第1原発

2011年 3月 22日 13:04 JST

壊滅的な地震と津波が冷却システムを崩壊させ、この25年間で最悪の原発の危機を引き起こす前から、福島第1原子力発電所は国内で最もトラブルの多い原発だったことが、独立行政法人原子力安全基盤機構への報告書を本紙が分析した結果、明らかになった。


 またエンジニアらが、定期検査のために使用中の核燃料を原子炉から取り出し保護が万全ではない「使用済み核燃料」プールに数週間から数カ月間置いておくという日本の原発での慣行 が、今回の危機の大きな要因となったと指摘していることが明らかになった。

 3月11日にマグニチュード9.0の地震と津波に襲われたとき、福島第1原発の4号機の使用中核燃料は、定期検査のため原子炉からすべて取り出され、常時冷却水で満たしておかなければならないプールに貯蔵されていた。そのプールは、震災によって保護冷却水の多くが失われ、火災と広範囲の放射線放出の危険を招いたことから、同原発事業者である東京電力(東電)にとって最大級の問題となった。

 一方、原子力安全基盤機構に提出された事故報告書についての本紙の調べによると、福島第1原発の事故率は、データが入手可能な2005年〜2009年の5年間で、日本の大規模原発の中で最も高かった。そのため同原発の作業員は、ほかのほとんどの原発の作業員よりも多くの放射線に被曝(ひばく)していた。

 東電では、福島第1原発をおおむね安全に運転してきたとしている。また、事故率が高めなのは同原発が古いことによるもので、11日以前の事故はすべて、比較的軽微なものだったという。

 20日、東電は、第1原発の施設に外部から電源を引き一部の施設に通電できる体制を整えた。また、長時間の連続放水作戦によって、とりわけ4号機の使用済み核燃料プールの水位が上がり、放射線レベルが低下した。

 その成功の鍵となったのは、東京消防庁のエリート災害対応チーム、ハイパーレスキュー隊と、同隊の遠距離大量送水装置「スーパーポンパー」だった。

 ハイパーレスキュー隊の高山幸夫統括隊長は本紙に「放射能を含んだ煙がもこもこと出ているのだから、いくら装備を付けていても、ちょっと触れたり、吸ったりすれば、それイコール死んでしまうというイメージがあった。恐怖心はみんなにあった」と語った。

 東電の監督官庁である経済産業省で原子力安全・保安院の広報を担当する務める西山秀彦大臣官房審議官(通商政策局担当)は、この週末に行われる最も重要な作業は、3号機と4号機の使用済み核燃料プールへの放水だったと述べた。

 地震発生時、4号機は定期検査中で停止していた。検査の一環として、東電は5カ月前にすべての燃料棒(放射性燃料ペレットを収めた重い円筒)を原子炉内部から、いわゆる「使用済み核燃料プール」へと移した。これは、原子炉自体ほどは厳重に保護されていないコンクリート製貯蔵タンクだ。

 東電の巻上毅司原子力設備管理課長は、「4号炉 は地震の前、原子炉の内部の点検を行っていたため、核燃料を原子炉の外に出す必要があった」と語った。

 地震発生時、使用可能な燃料棒がそのプールの中にあったが、津波が非常用発電機を流し去り、プールの水を循環できなくなった上、真水をポンプで注水することもできなくなった。その結果、プールに貯蔵されていた燃料棒が過熱し始め、水蒸気が発生するとともに、放射性燃料棒の一部が大気にさらされ、きわめて危険な状況になった。熱は火災を引き起こし、プール上方の屋根を一部破損させ、放射線が外に漏れた。

 4号機で起きたことは、定期検査時の停止中に原子炉内のすべての燃料をプールに移送する「全炉心取り出し」という、日本で広く行われている慣行の危険性を露呈した。

 東電の巻上氏は、まだ使用可能な核燃料を取り出して使用済み核燃料プールに保管しておくというこの慣行に関し、豊富な水が利用可能で、かつ、燃料棒間の十分な間隔が維持される限り、安全に行いうるとして、これを擁護した。

 米国では、核燃料交換のための原子炉停止時には通常、放射線放出への防護性能がはるかに優れた分厚い鋼鉄製原子炉格納容器に核燃料の大半を入れたままにしておく。核燃料交換時の停止中には、使用済み燃料を新しい燃料と交換し、併せてその他の保守を行うが、各燃料棒の損耗を均等化するため、自動車のタイヤローテーションのような手順で燃料棒の位置の入れ替えを行う。

 また米国では通常、最も損耗した燃料棒だけが取り出されて、貯蔵用に使用済み核燃料プールに移され、そこに数十年間放置されることになる。そのため、米国のプールには、最も古い使用済み核燃料だけが収容される。こうした核燃料は、低温で放射能も低い。

 対照的に、日本の電力会社では、一時的にすべての燃料棒を取り出すのが普通だ。新しい燃料棒はその後原子炉圧力容器に戻される一方、古い燃料棒に代えて新しい燃料棒が補給される。古い燃料棒は貯蔵プールに放置される。

 燃料棒をプールに長年放置するのには二つの理由がある。第一に、燃料棒を冷却する必要があること。第二に、大量貯蔵した使用済み核燃料をどう始末するかという問題があるためだ。この問題を解決した国はいまだにない。その結果、使用済み核燃料の大部分は電力会社の貯蔵施設にとどまったままだ。

 4〜6号機は、定期検査で停止中だったこともあり、地震直後の数日間、関係者は4号機の状況を注視していなかった。

 しかし、地震発生から4日後の3月15日に、最初の火災発生に伴い4号機の問題が重大問題として浮上した。東電関係者によると、4号機のプールで発生した熱は、地震当日に自動停止した3つの原子炉の使用済み核燃料プールで発生した熱を大きく上回っていた。

 原子力安全基盤機構に提出された事故報告書によると、今回の地震と津波のダブルパンチに見舞われる、はるか前から、福島第1原発は、国内で最も事故率の高い原発だった。

東電の巻上氏は、報告書の中で同原発に関するいくつかの数字が良くない理由について、「古い原発であることが主な要因」としている。同原発の原子炉はすべて、1970年代に稼働を開始した。

 巻上氏によると、東電は頻繁に修理を行っており、「個々の部品を最新のものに取り替えることで、古い発電所でも新しい発電所と同じような性能を出せるよう努力しているが、実際にはなかなか難しい」と明かした。

 本紙が行ったデータ分析によると、同原発では05年以降、15件の事故が起きている。これは、3機を超える原子炉を有する日本の原発では最も多い。設備の修理における問題が主だが、設備が古いことが大きな要因となってきたかどうかは不明だ。

 09年2月、1号機原子炉内の圧力レベルが急上昇し、蒸気を安全弁から抜かざるを得なかった。ボルトの折損を確認したことから、原子炉を手動停止させた。調査の結果、ナットの締め込みが不十分で、かつ、定期的な点検が行われていなかったことが判明した。

 福島第1原発の事故はどれも、安全上の大きな問題とはみなされず、今回の事故まで、負傷を招いたり、原発外への放射性物質の放出につながったりする事故はなかった。ほとんどの国で言えることだが、原発は在来型化石燃料の発電所よりも多くの問題を報告することを義務付けられているため、ささいな事故に関しても詳細な報告が行われる。

 経産省の西山氏は、大地震が4年と置かずに起きたことをはじめ、東電が深刻な問題に見舞われてきたと指摘する。

 ただ同氏は、東電は情報公開面で大きく改善したという。東電には回復力があるとしながらも、同氏は、今回の緊急事態が収まり次第、東電の対応方法を評価する必要があると述べた。

 原子力安全基盤機構に提出された報告書によれば、福島第1原発の作業員は、過去10年間、どの年をとっても、日本の全原発の作業員の中で平均放射線被曝量が最高だった。東電の他の原発も、日本の他のほとんどの大手原発よりも高い放射線量に作業員をさらしてきた。

 東電の小林照明原子力管理課長は、「福島第1原発は古い。そのため新しい原発に比べて修理や点検が頻繁に必要。デザインも旧式なため、放射線への被曝が高くなりがちだ」と語る。

 「大きな工事や点検を行うと、どうしても放射能を浴びやすくなる」と小林氏は述べた。

記者: Rebecca Smith and Ben Casselman and Mitsuru Obe

http://jp.wsj.com/Japan/node_206736


08. 2011年3月22日 13:23:20: KpPAdmfwX6

福島知事、東電社長の「おわび」面会を拒否 社員は避難所も入れず

2011.3.22 11:39


福島県の佐藤雄平知事は22日、県災害対策本部の会合で、「東京電力から社長が面会したいとの申し入れがあったがお断りした」と、東電の清水正孝社長によるおわびの面会を拒否したことを明らかにした。

 佐藤知事はこの後、記者団の取材に応じ、「東電に対する県民の憤りは頂点に達している。今はお会いすべき時期ではない」と理由を説明した。また、東電側には「今はそんなことよりも、事態の収束に全力をあげろ」と命じたことも明らかにした。東電の松井敏彦・福島事務所長が21日夜、申し入れに訪れたという。

 東電では16日から、福島県内の避難所などにも、本店などの幹部25人を派遣して謝罪をしようとしているが、「激しいお怒りを受けて避難所内に入れない」(東電関係者)という。

 このため、東電側は原発周辺の市町村の首長や議長などへの「おわび行脚」を続けている。

 しかし、市町村側の評価は厳しい。飯舘村の菅野典雄村長は産経新聞の取材に対して、「東電からは謝罪と事故の説明だけしかない。万一の事態でどう対処すれば安心かといった専門的な知識を示してくれない」と強い不快感を示した。


http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110322/dst11032211390026-n1.htm


09. 2011年3月22日 13:26:36: 0jCLU8JEtU

代替エネルギーの確保が重要な課題だ、と言うことがいま言えることの正しい認識である。

民生の電源は太陽光、電池、地熱、潮力、風力などでその多くを賄えるだろう。これは数十年の単位で考えなければならないが、やり遂げなければならない。

多くの識者が今回の大惨事を警告していた。そのような警告を黙殺し続けた結果がいまの惨事を招いたことを反省しなければならない。与謝野氏の発言は今回の惨事を何ら教訓としない危険で馬鹿げたものだ。

なによりもまだ福島は危機を脱した訳ではない。


10. 2011年3月22日 13:30:59: Nz0tLUvKJI
与謝野氏の家族全て 原発の近くに住んでから言ってください。
冗談も休み休み言って欲しい。
ここまで愚かだとは 言葉がありません。

11. 2011年3月22日 13:44:11: aMPmV6jDHA
信じられんな 与謝野の暴言は許せん
じゃー今回の福島の件も地震国ならではの運命で
福島がたまたま運が悪かったとでもゆうのかい。
寝とぼけて事をゆうんじゃないよ。

12. 2011年3月22日 14:03:31: CRoDwdcSxU
だってしょうがないじゃん!
この人、中曽根の秘書だったんだもん。

13. 2011年3月22日 14:07:40: 406Fpgk0wg
 日本中の原発をなくそう!新しく作らせるのを止めさせよう。!国民が死ぬようなものを日本中に作って、どこへも逃げ場がない。54基もあって、なおまだ作ろうとしている。日本は狂っている。原発利権に巣食う奴らが、これほどの原発を日本に作った。
 特に3号基はプルサーマル。プルトニウムを使って発電しているのは、日本だけと書いてあった。その猛毒性において世界の国々はあきらめたという。そんなものをまだやっている。いやこれからも増やそうとしている。
 水力発電 火力発電所を休眠させておいて、さも原発がなければ電力が足りないかの洗脳をする。原発を日本に作った歴代自民党政権をゆるすことができない。何故あの頃、原発反対闘争があったのに、命をかけて闘わなかったのか・・・・と心から悔いている。
 今からでも目覚めた国民が原発廃止運動に立ち上がらなければ、私たちはいつか殺される。
 

14. 2011年3月22日 14:11:04: HnIKKNocaE
代替エネルギーで十分なのに

田中優×小林武史 緊急会議(1)
「今だからこそできる話がある」
http://www.eco-reso.jp/feature/cat1593/20110318_4983.php

田中優×小林武史 緊急会議(2)
「新しいエネルギーの未来」
http://www.eco-reso.jp/feature/cat1593/20110319_4986.php


15. 2011年3月22日 14:30:00: wHPTgswIsQ
代議士どもがこのどさくさに紛れてどこで何をして何を言ったのか,よくチェックしておこうじゃないか。
ジャーナリストのだれか,セイジ屋どもの動向に毎日目を光らせてるひとあたりが一覧表を作ってくれないかな。

中央地方を問わず,選挙のあるときにはそれを見て投票する,ってのはどうか?

耄碌与謝野なんかは次の選挙で落選候補トップだな。もっともその前に寿命が尽きてくたばってしまうかもしれないが。


16. 2011年3月22日 15:11:55: eprYXuiWgY
>>15 さんに同意です。それと政府や東電の太鼓持ち科学者や大学教授もね

17. 2011年3月22日 15:40:37: LGUfwnafEI
いっこくも早く「地球温暖化=CO2排出」などという詐欺から目を覚まさなくはいけない。

こんな危険なお題目に踊らされた結果が今回の大災害である。

国際的デマゴーグから一刻も早く日本国民は遠ざかり、まっとうな神経でエネルギー問題に立ち向かうべきだ。

今度こそ、失敗は許されない。

与謝野のような鬼畜を選出した選挙区は恥だと感じよ。


18. 2011年3月22日 16:29:01: sMUSjzm9sg
まだ福島第1原発の事故がどうなるかわからないこの段階で、閣僚である与謝野のそのような発言は許されない。アホ菅内閣はどうしようもないバカ揃いだ。
多数の国民が被曝の危機にさらされても、経済の方を優先するというのか!
民あっての国ということを忘れるな!

上のコメントにもあるように、これから、原発がどうしても必要ならば、その建設地は電力消費地にすべきという議論は同然にでてくるであろう。電力消費量がもっとも多いのは首都圏であろうから、首都圏に原発をつくれ、ということになる。そのときはじめてほとんどの国民、特に、首都圏に住む人たちは原発が本当に必要なものか否かを自分自身の問題として考えると思われる。政府・東電の政策ではあったが、これまで、あのような危険なものを地方におしつけすぎていた。国民に主権があるのだから、どうすべきか国民が決めることである。もうろく閣僚のでる幕ではない。


19. 2011年3月22日 16:42:16: q0S9ENA9K2
>>10 さん
> 与謝野氏の家族全て 原発の近くに住んでから言ってください。

その通り!
与謝野には、本人だけでなく一族揃って全国の原発に「住み込んで」もらおうじゃないか。
そこでひとたび事故が起こったら、真っ先に先兵となって消火や放水活動をやってもらおうじゃないか。
「これも運命」と甘んじてくれるはずだ。
まずは浜岡原発あたりから始めてくれ。


20. 2011年3月22日 16:42:50: KmaBQrdSyk

福島県知事時代に経験した、地方を置き去りにした原子力行政などを中心にお話していただきました。後段に、昨年2月8日の佐藤栄佐久氏のインタビューも掲載しています。是非ご覧ください。有志からサマリーが届きましたので、テキストを一緒に掲載しています。

http://iwakamiyasumi.com/archives/7682


21. 2011年3月22日 16:55:48: fZLx20euWI

放射線の脅威で新たな避難者続出

2011年 3月 22日 15:49 JST

【埼玉】巨大地震と津波によって数千人が東北地方からの避難を余儀なくされてから1週間、新たな避難者が続出している。放射能汚染を逃れてきた人々だ。


 事故を起こした福島第1原子力発電所近隣では、数万人の住民が相次いで避難している。原子炉の過熱で付近に危険な水準の放射線が放出されているためだ。

 さいたま市中央区の「さいたまスーパーアリーナ」では当初、放射能漏れによる避難者を最大5000人まで受け入れる予定でいた。19日夕方までには収容人数は約2500人に達していた。多くの家族連れが、予想外の大量の荷物を持って避難してきていた。

 神奈川県横浜市や千葉県松戸市をはじめ、その他の市でも相次いで受け入れを表明しており、数百人の避難者が老人ホームや寺など各地のさまざまな施設に身を寄せている。

 その多くは退避指示が出ている福島第1原発の半径20キロメートル圏内から逃れてきた人たちだ。さらに半径20キロ〜30キロ圏内の住民に対しては屋内退避勧告が出されている。これら半径30キロ圏内の住民だけでも推計13万6000人に上る。

 だが、放射線への脅威が高まるにつれ、30キロを超える地域の住民による避難も相次いでいる。それら地域には人口34万人のいわき市も含まれる。いわき市では行政が独自に住民に対して屋内避難勧告を出している。

 松戸市職員の一人は、脅威におびえて避難してきている人たちがいる、と述べる。同職員によると、いわき市の住民が松戸市の知り合いに助けを求めたことがきっかけで、その要請が市長に伝わり、避難者のために市内の施設を開放することになったという。そのニュースがテレビのニュースで伝えられてから、松戸市には福島県からひっきりなしに電話がかかってくる、と同職員は話す。

 放射線の影響を最も受けている町の一部は集団避難を開始している。福島第1原発近隣の双葉町の住民約1200人は19日、合計40台のバスに乗り込んで、さいたまスーパーアリーナに避難してきた。

 19日の夕方、収容人数約2万7000人のアリーナには、毛布や食料品の入ったビニール袋を手にした数百人の避難者が集まり、どこへ行くべきか担当者の指示を待っていた。バスが到着する付近の壁には、「おつかれさま」と書かれたサインが貼ってある。

 アリーナの上層階では、多数のボランティアスタッフが折りたたみ机の背後に立ち、お湯やスープ、新聞に至るまで、さまざまな物資を提供している。多くの観光客が訪れるコンサート会場らしく、場内には日本語、英語、中国語のアナウンスが流れている。ただし、福島からの避難者は大半が日本人だ。

 出入り口の1カ所には、オレンジ色の空の段ボール箱が高く積まれている。通路では、遅く到着した避難者が、明るいオレンジ色の毛布の上に寝具やわずかな持ち物を並べている。中には、段ボール箱とテープを使って急ごしらえの壁や棚を作っている人もいる。

 半谷節子さん(63)は、車椅子に乗った85歳の父親とともにアリーナの脇の歩道に立っていた。半谷さんは双葉町の住民で、自宅は地震と津波の被害からは免れたという。避難指示が出されたものの、ガソリンもなく、父親も体力的に移動は難しいと感じていたため、自宅にとどまっていた。

 だが次の日、半谷さんが福島第1原発から約4キロ地点に位置するある建物にいたとき、大きな衝撃音が聞こえた。あまりに大きな音だったため、最初はヘリコプターが建物の屋上に着陸したと思ったという。だが、それは福島原発の原子炉の1つを囲ったコンクリートの建屋の爆発音だった。建物の外に出ると、木々の向こうから煙が舞い上がっているのが見えたという。そのとき半谷さんは、爆発した、もうこれで終わりだ、と思ったという。

 その後すぐに自衛隊が到着し、半谷さんと父親は、やはり町に残っていた病院のほかの患者とともにヘリで運ばれた。駐屯地に到着後、さらに内陸の町に移動し、そこで放射線検査を受け、問題のないことを伝えられた。その後4日間、3カ所の避難所を転々とした後、19日にさいたま向けのバスに乗せられた。

 半谷さんは、さいたまに住む妹の家に向かったため、アリーナで避難する必要はなかった。だが、先祖代々暮らしてきた双葉町には二度と戻れないかもしれないと考えているという。双葉町付近の放射線レベルは非常に高く、20日朝の時点で1時間当たり2.51マイクロシーベルトの放射線が検出されている。同地域の通常の放射線レベルは1時間当たり約0.05マイクロシーベルトだ。

 福島原発は、雇用創出や経済活性化によって40年間双葉町民を支えてきた。半谷さんの亡くなった夫も原発の下請け会社に勤めていた。今、一部では原子炉の通常の寿命は20年であり、東京電力はそれを無理に引き延ばしてきたのではないかと言われている。

 すべて失った、家も思い出も、と半谷さんは述べた。

記者: Phred Dvorak

http://jp.wsj.com/Japan/node_206823



22. 2011年3月22日 16:59:20: h77WBAOsMY
今このときに発言する内容じゃあないわな。。。どっちにしても。
しかし、頭悪いね、、そろいも揃って。空缶内閣はどいつを見ても。

23. 2011年3月22日 20:24:05: fZLx20euWI

「帰ってくる」と家族にメール−原発放水のレスキュー隊長に聞く

2011年 3月 22日 18:25 JST

 3月11日に起きたマグニチュード9.0の大地震により、東京電力福島第1原子力発電所は火事、爆発、放射線漏れと、次々と問題に直面した。発電所の冷却作業が難航するなか、19日未明、放水活動で大きな役割を果たしたのは東京消防庁のエリート災害対応チーム、ハイパーレスキュー隊と、同隊の遠距離大量送水装置「スーパーポンパー」だった。そのハイパーレスキュー隊の高山幸夫統括隊長(54)はウォール・ストリート・ジャーナルのインタビューに応じ、出動までの経緯や被曝(ひばく)の危険の中での作業について語った。

――放水のオペレーションで最も大きな困難は何だったのか。

 放射能が漏れている、という現場の環境ではないだろうか。普段、屈折放水塔車から水を出すということは、単純な仕事と言うか、普段ならばまったく問題なくできる作業。その環境と、活動するための装備をつけて、活動時間が限られている中で作業を完了したということが一番大変なところだった。

――汲水ホースを海に突っ込んで水源を確保した。普段なら放水車でこのホースを伸ばすことができる。今回はそれができなかったのか。

 お風呂の水を汲む水中ポンプをお風呂のなかに入れて、ホースを洗濯機につなげるようなもの。ポンプを装備した車が海辺まで行き、水中ポンプをドボンと海に落とす。そこからホースを引っ張るのは普通なら車の中に太いホースが2キロメートル分搭載されている。走りながら伸ばして屈折放水塔のところまでいければ一番楽だ。

 ところが、今回の現場には、水素爆発で飛散したタンクやいろいろな瓦礫があり、とても車では走れない状況だった。走行できたのは約400メートルで、50メートルのホース8本分。それを車で伸ばせるところまで伸ばして、その後は50メートルのホースを7本分、隊員が手作業で350メートル伸ばしていった。

 手作業なので、重たいし、重い装備で体の自由がきかないし、恐怖心はあるし、また、時間との戦いでもあった。この作業は20−30分で終えた。

 作業車の中から放水しているシーンはTVでいくらでも放送されていると思うが、隊員がその場で車の外へ降りて、人の手で一番効果的な方法をとったということに一番の意義があるのではないかと思っている。ホースを手作業で伸ばして、3号炉の中に上から水が効率よく入るというところが、やはり消防ならではの活躍ではなかったかと。

――作業は何人で行ったのか。

 ホース伸ばしはほぼ全員を投入し、20人ぐらいで対処した。そこには化学機動中隊という東京消防庁の専門部隊がいたので、放射線量を測ってくれて、常に線量を報告してくれていた。あと何分残っている、とサポートしてくれた。だからできた。

――総勢何人で作業に当たったのか。

 二つの部隊で当たった。一つに15人。合計で30人。それが選抜され、突入していった隊員と化学機動中隊の専門の人たちが10人いた。

――いつ出動は命じられたのか。

 金曜日(18日)の夜だと思う。東京消防庁の職場にいた。

 その日の昼間、福島原発のオペレーションに備えてどんなことができるか判断するため、事前訓練を荒川の河川敷で行った。例えば、ホースを伸ばして、屈折放水塔車につないで放水する。はたして何分でできるのか、というオペレーションをやった。

 このまま現地へ行ってもらうかもしれないという話もあったが、夜の8時か9時ぐらいに、訓練からいったん消防庁へ引き上げてきた。帰宅しようかと思ったところに、やっぱり出動しろという命令がきた。

 具体的には、官邸からの要請があった。総理大臣から東京都知事に直接要請が入ったと聞いている。都知事から東京消防庁へ要請があった。

――出動前に家族へメールを出したと聞いた。

 職場で出動命令で自宅には帰れないので、メールで「福島原発への派遣命令が出たので、行ってくる。帰ってくるから安心して待っていろ」というようなメールで連絡した。いつも言っていることだが、いったん職場に行くといつどこにどう派遣されるか分からないので。

――ご家族からメールの返事はあったのか。

 「家を守って、信じて待ってます」という返事があった。無事に帰ってきてくださいという切実な願いではないか。当然、死に行けという命令ではないので、神風特攻隊ではない。やはり安全が担保されるという活動方針にのっとっての活動だ。

――どんな気持ちだったか。

 あの映像を見ていて分かると思うが、怖いですよね、誰もいないわけだから。放射能を含んだ煙がもこもこと出ているわけだから。いくら装備をつけていても、ちょっと触れたり、吸ったりすれば、それイコール死んでしまうというイメージがあるので、恐怖心はみんなにあった。

――帰宅したのは何時ごろだったのか。

 日曜日(20日)の午前2時半ごろ。

――ご家族の反応は?

 ずっと起きて待っていた。家に帰ってお帰りなさい、と迎えてもらった。家族構成は娘が二人。長女が26歳。次女が20歳。真ん中に長男がいて、それも消防(東京消防庁)に従事している。今は一緒に住んでいないが、22歳。私は54歳。妻は54歳。中学の同級生。出身はあきる野市。

(聞き手は白水徳彦記者)

http://jp.wsj.com/Japan/node_206947


24. 2011年3月22日 22:20:59: TvxfUz9p2c
関東の電力としての原子力を地方に置いていてその言いざまとは恐れ入る。
即刻解任が適当だろう。

25. 2011年3月22日 23:22:43: jG4YFHxZvU
与謝野はクルクルパーだな

世の中の害悪になると言う意味では、菅と双壁を成す


26. 2011年3月23日 21:56:19: en0BE3gRts
13さんへ 今も反対闘争中の上関原発計画は30年、
それよりも前、45年前にあった漁民の反対闘争。


藤枝市民の憂鬱・溜息・動揺
http://fine.asablo.jp/blog/2009/08/10/4488328

1Q74 1967年芦浜 ― 2009年08月10日 より引用

【引用開始】

1966年9月、衆議院科学技術振興対策特別委員会の一行が
芦浜の視察に来ることになった。

このメンバーの中には、中曽根康弘、渡部美智雄議員らがいた。
中曽根一行は名古屋から紀伊長島を訪れ、長島港から
海上保安部巡視船「もがみ」で芦浜沖へ入ろうとした。

これを150隻の南島町の漁船が取り囲み、阻止した。
沖合いには別に350隻の漁船も待機していた。

この日の阻止行動で南島町の漁民からは多数の逮捕者を出し、
25人が有罪判決を受けた。のちに「長島事件」と呼ばれる。

南島町の反対を真剣に受け取ったのは中部電力より県知事であった。
67年、三重県知事は「芦浜原発計画終止符宣言」を行い、
いったん原発計画はとまったかのように見えた。

しかし、中部電力はその前65年に密かに芦浜の用地を買収していた。
土地を人質にとられているのは決定的に弱みである。

いったん収まった原発計画は1984年に再燃し、県の予算に
原発関連の費用が計上された。中曽根康弘首相の時代であり、
国内での原発立地の動きが加速した背景があった。

【引用終了】

67年あたりの事を細かな経緯は聞くことができなかったが
当事者から数年前に武勇伝として聞いた。

知事室に反対の町議や漁民が面会(乗り込んだ)。 庁舎前には、
機動隊と報道陣。 知事を缶詰めにして撤回を求める。

その様子に慌てた室長は、機動隊突入を要請しようと走りだす。 
その室長の首根っこを抑え機動隊突入を阻止したという。

後に、件の室長は異動して、その当事者にあの時、制止されて
よかったと話したそうである。 これは、反対闘争史にあるのか
ないのか知らない。 が、身を挺してを潰したことは確かである。 

今回の事故により、原子力政策がどうのように見直されるか
候補地もどう受け止めるのか? ただ、今も火種は燻っている。 


  拍手はせず、拍手一覧を見る

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
 重複コメントは全部削除と投稿禁止設定  ずるいアクセスアップ手法は全削除と投稿禁止設定 削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告」をお願いします。 最新投稿・コメント全文リスト
フォローアップ:

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 原発・フッ素7掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

     ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 原発・フッ素7掲示板

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧