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東京新聞 2011年3月26日朝刊コラム「筆洗」より
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011032602000020.html
 >・・・以前に、原発とは、これほど危ういものなのだと指摘する者はいなかったのか▼いや、いた。・・・多くの警告の書や主張があった。だが、われわれマスコミを含め社会はそれより、政府や電力事業者の言う「万が一の場合にも安全」を信じた。信じてしまった。結果は現状の通りだ・・・
(後略)
 記事そのものは、ギリシャ神話でトロイの滅亡を予言し警告した王女カサンドラの話をひいて、原発問題につなげるお決まりのパターンのもので、どうということはない。
 引用省略した結論部分も、広瀬隆さんの話(週刊金曜日)を引いて、われわれは今後、原発に関する広瀬さんらの警告をきくのか、と終わる。そこに記事筆者の善意がないわけではない。
しかし、上記引用部分にかくされたインチキは見逃せない。>『われわれマスコミを含め社会は・・・「万が一の場合にも安全」を信じた』、とは。
 まず、ウソその1。
 はたしてわれわれ社会は(マスコミを除く)、安全と信じたか。
 世論調査のパーセンテージなどはインチキなものだから、その割合の多い少ないはともかく、世間一般のわれわれのうちには、次のような人たちがいるだろう。
 まず、
 (「絶対安全かどうかはともかく、多少の心配もあるかも知れないが」)、電気が足りないのだから、必要なのだから、原発やむをえない、という人。
 あるいは、電気が足りないから、必要だからといわれ、それを信じた(これこそ「信じ込まされた」)人。
 これが、最大多数かも知れない。
 なかには、
 (「絶対安全かどうかはともかく、多少の心配もあるかも知れないが」)、地域の産業として有用、必要だと考えた地元の人、
 あるいは、地域の産業として有用、必要だといわれ、それを信じた地元の人もいるかも知れない。
 あるいは、
 (「絶対安全かどうかはともかく、多少の心配もあるかも知れないが」)、地域の産業として地元の人も望んでいると、そう信じ込まされた全国の、地元に無縁の人びと。
 そうして最後に、
 絶対安全と信じた、信じ込まされた人びと。
 でも、こんな人たちが果たしてどれだけあったでしょうか。
これだけでも、「われわれ・・・社会は」信じた、は大ウソです。
 ウソその2。
 もしかりに、われわれ一般庶民より情報も得やすく、多少の批判的見識もある(と自負している?)マスコミが、自分らも「絶対安全と信じていた」としたら、とんでもないバカですね。
 われわれ庶民以上の、間抜けです。
 猛反省して再出発してください。
 もっとも、自分らのこれまでの阿呆さを認め反省しなければ、再出発は許されません。上記記事にはそれがない。
 ウソその3。
 まあマスコミもそれほど馬鹿ではない、せめてわれわれ庶民並みの知恵はあるとしよう(やや疑わしいが)。
 そうすると、マスコミとはこれまで、
 自らは原発絶対安全とは少しも思っていないが、世間にはそう吹聴してきたということ、その信憑性を高めるためあたかも自分らもそう信じていると思い込ませてきた、そういう存在だったということになります。
 もっとも、ここまでは我々もうすうす感づいてはいました。
 ウソその4。
 これが一番問題。
 上記記事(「筆洗」)によれば、マスコミは今、これまでの嘘(上のその3のウソ)にはすっかり口をぬぐって、自分らもだまされてきた、安全神話を信じ込まされてきたとして、そのようにふるまおうとしているようです。
 そこには責任観念も、反省のかけらもない。
 マスコミはここでまた新しい嘘をついて(「マスコミも安全と信じ込まされていた」)、これからまた、われわれをどこへ引きずり込もうというのでしょうか。
 これまで原発安全神話のお先棒かつぎをしてきたマスコミの、今またウソに重ねたウソの上塗りを見逃してはなりません。
 
 
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