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個人が政府に頼らずに生きるためにもっとも必要なものは  高負担・高福祉
http://www.asyura2.com/11/hasan71/msg/109.html
投稿者 tea 日時 2011 年 2 月 14 日 17:48:10: 1W1IXELjjF6i2
 

一般人が金融商品への投資で何とかなるものでもないが、ちゃんと勉強しないよりはした方がいい程度だな
いずれにせよ自己投資が、一番重要だ

 Q:1151 個人が政府に頼らずに生きるためにもっとも必要なものは?
    □真壁昭夫  :信州大学経済学部教授
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        ■■ 編集長から(寄稿家のみなさんへ)■■

 Q:1150への回答ありがとうございました。先週も書きましたが、消費税率を
相応に上げることで劇的に社会保障のサービスが向上するのではなく、現状をとりあ
えず維持できる程度と理解して以来、気が抜けたような、白けた気分が続いています。
今、国民の大半は消費税率のアップに理解を示していると言われています。しかし、
現状を維持するためと正確に把握した上で国民は理解を示しているのでしょうか。こ
れまで以上にお金を政府に納めるのだから、代わりに何かいいことがあるに違いない
と、漠然とイメージしている気がします。年金支給額が増えるとか、産科が充実する
とか、保育所が増えるとか、そういった何らかのはっきりとしたメリットです。

 わたしたちは、良い結果が待っているはずだというポジティブな予想ができるとき
に、リスクを伴った変化を受け入れる傾向があります。たとえ消費税を10%に上げ
ても、国民にとって劇的なメリットはないとわかってから、菅総理のとぼけた顔を見
るのがさらにいやになりました。何をどうしたいのかが不明で、できる限り長く政権
を維持したいという意志だけを感じるという意味では、往生際が悪かったエジプトの
ムバラクに共通しているものがあると思いました。政府は、政府にできることとでき
ないことを、まず率直に告げるべきだと思いますが、きっとそんなことはしないで
しょう。我慢してくださいというだけでメリットを示せないために、人気がさらに下
降するのが目に見えているからです。

 わたしはこれまでのような政府批判はもう止めようかと考えたりしています。具体
的に何をやるのかわからない政府に対しては、具体的な批判のしようもありません。
もともと、政府に頼るのはリスクがあるという考え方で、たとえば『13歳のハロー
ワーク』のような本を作ってきたわけですが、政治家の考えの甘さや、制度の不備を
指摘しても何も変わらないという思いがさらに強まりました。新しいニヒリズムが台
頭するような気がします。

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■今回の質問【Q:1151】

 現在の日本では、「政府には頼らない」という姿勢は重要だと思われます。かなり
曖昧な質問になってしまいますが、個人が政府に頼らずに生きるために、もっとも必
要とされるものは何なのでしょうか。

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                                  村上龍
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 ■ 真壁昭夫  :信州大学経済学部教授

「その国の政治が頼りないと思えば、企業は海外に出ていけるが、個人にはそれがで
きない」。友人の一人が、そう嘆いていました。その通りかもしれません。もちろん、
企業でも事業リスクやカルチャー等の問題があり、海外に完全に移ってしまうことは
容易ではないでしょうが、それでも、より有利な事業展開の場所を選択することはで
きます。また、国の政治との関わり合いを低下させることはある程度できるでしょう。

 一方、個人の場合には、海外との多くの接点を持っている例外的なケースを除くと、
政府が頼りないからと言って、企業の様に簡単に海外に出ていくことは難しいと思い
ます。ということは、政府の政策と完全に決別するために、海外に出ていくという選
択肢はあまり現実的ではないでしょう。国内にいる限り、原則として、政府が作った
様々な仕組みの中に組み入れられることを拒むことはできません。ということは、政
府との関わりを完全に断ち切ることはできないことになります。

 そうすると、現実的な手法として、各個人は、何か困ったことが起きたり、困るよ
うなことが予見されるようなケースについて、あらかじめ自分の身を守る手段を講じ
ておくことが重要だと思います。ただ、自分の身を守るという場合には色々な観点が
あるので、ここでは、取り敢えず、経済的な観点に絞って考えます。

 最初に思いつくのは、年金、介護、医療などの社会保障制度だと思います。現在、
私たち国民は、国が定めた負担を担っています。そのため、現行の制度が継続されて
いる間は、負担の対価としてのベネフィットを享受すればよいことになります。つま
り、その限りにおいて、困ってしまう状況に追い込まれることは少ないはずです。と
ころが、今後、制度が変更になることが想定されます、というよりも、制度変更が行
われる可能性は極めて高いと言わざるを得ないでしょう。

 そうすると、そうした制度変更に備えて、個人としてリスク管理をする必要があり
ます。具体的には、変更が起きる可能性と、それが実際に起きた時、どれだけの負担
が増加するかを事前に考えておくことになります。その時、最も大切なことは、将来、
何かが起きるというリスクに対する、しっかりした意識を持つことだと思います。

 ただ、おそらく、わが国の多くの人々は、社会保障制度が現行のままで継続される
と考えている人は少数派ではないでしょうか。つまり、多くの人々は、「その内、社
会保障制度が変更になる」という意識を持っていると思います。そうであれば、最も
大切なことは、リスクに備えて、経済的蓄積をつくることになります。経済的な蓄積
をつくるためには、お金を有効に増やす方法=投資に関する知識が必要になるように
思います。

 今まで、わが国では、投資に関する一般的な教育が遅れているとの指摘がありまし
た。学校教育の中では、投資に関するカリキュラムは殆どありません。仮にあったと
しても、あまり実践的な知識が身につくような内容ではなかったと思います。その意
味では、私たちは自分で、投資に関する基礎的な知識を身に着けることも考えるべき
かもしれません。

 わが国の債務残高は、先進国の中でも傑出して多くなっています。今のところ、国
内の個人金融資産が潤沢にあるため、国債の消化には大きな問題は出ていません。し
かし、つい最近、海外の格付け会社がわが国の国債の格付けを引き下げました。菅首
相がそれに対する見解を求められたとき、「そういう問題には疎い」という答えをし
ているくらいですから、将来、わが国の国債の価格が大きく下落する可能性を完全に
否定することはできません。

 仮に、そのような事態が起きるときには、わが国の経済にかなり大きな変動が起き
ることは避けられないでしょう。著名ファンドマネジャーの一人は、「そうしたリス
クを勘案して、金融機関の株式を一切保有しない」と明言していました。参考になる
かも知れません。

                       信州大学経済学部教授:真壁昭夫


   Q:1150 「高負担・高福祉」という時の「高負担」とは?

   ◇回答

    □山崎元   :経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員


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■今回の質問【Q:1150】

「高負担・高福祉」か「低負担・低福祉」か、国民は選択すべき、というような指摘
をよく見かけます。「高負担」とは、だいたいどのくらいの、またどのよう形の負担
なのでしょうか。

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                                  村上龍

 ■ 山崎元   :経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員

 国民の「負担」は、租税と社会保険料の合計の国民所得に対する比率である「国民
負担率」で比較されることが一般的です。財務省のホームページで、金融危機前の2
007年のデータに基づく先進国と日本との比較では、日本の39.5%に対して、
アメリカが34.9%、イギリスは48.3%、ドイツは52.4%、フランスは6
1.2%、スウェーデンは64.8%となっています。

 大雑把にいって、負担率4割ないしそれ以下なら「低負担」、5割前後なら「中負
担」、6割前後なら「高負担」といっていいのではないでしょうか。日本は支出面で
は中負担レベルにあり、現在の福祉水準を大きく変えないとすれば、将来の長期的な
平均像の下では、税金ないし、社会保険料の増額が必要です。

 行政の効率改善が必要であることは当然として、それとは別の問題として、「低負
担・低福祉」「中負担・中福祉」「高負担・高福祉」の何れかの水準を、それぞれの
国の国民は選ぶ必要があります。

 ここで、財政収支は、毎年均衡しなければならないというものではなく、経済状況
によっては、赤字であることが自然且つ必要でしょうし、別の経済状況になれば、収
支を大幅に黒字化することが適当になります。現実的な政治と行政のプロセスを見て
いると、財政は歳入・歳出共にかなり硬直的で、ある程度は、この硬直性を考慮する
必要がありますが、現在直ぐに増税による財政収支の改善が必要だとか、逆に、将来
もずっと財政収支が黒字にできないかのような議論は不適切でしょう。

 ところで、「負担」ということについては、経費的な支出に対する負担と、移転的
な支出への負担について区別をすることが重要ではないでしょうか。

 仮に、日本の負担と支出が中負担・中福祉で、国民負担率50%で均衡していると
しましょう。ここで、支出のうち、年金や生活保護、子ども手当のような、政府を通
じて国民間で富を移転するような支出が国民所得の30%で、公務員の給与、公共事
業、防衛などの経費的支出が20%なのと、移転的支出が20%、経費的支出が30
%なのとでは、かなり意味が違うように思います。

 移転的な支出は国民の間で富を実質的に移転する再配分の支出であり、最終的なお
金の使い道は、再分配後の国民が決定します。一方、経費的な支出は政治家と官僚が
支出先の決定に深く関わっています。両者の区別は完全で排他的ななものではなく、
たとえば、教育費などは教育の制度によって経費的な側面もあれば、移転的な側面も
あるでしょう。しかし、お金の使い道の最終的な決定者が個々の国民なのか、政治や
行政なのかの区別は重要であり、先の例では、経費的な支出が国民所得の20%の政
府の方が、経費的な支出30%の政府よりも明らかに「小さな政府」だといえるで
しょう。

 私は、移転的な支出は広義の「社会的な保険」であり、セーフティーネットでもあ
るので、充実していてもいいように思いますが、経費的な支出の拡大は「大きな政府」
とこれにともなう非効率及び癒着の拡大につながる公算が大きいので警戒すべきだと
考えています。年金、医療保険、子ども手当、生活保護などは、制度の改善は必要で
すが、一種の保険として充実させてもいいものでしょう。他方、経費的支出には、公
務員の人件費をはじめとして縮減すべき支出がまだまだあると思います。

 先般、名古屋市長選、愛知県知事選で、地方税の減税と必然的に議員や公務員の報
酬のカットを掲げる河村たかし名古屋市長の陣営が圧倒的に大勝しました。この背景
には、たとえば、名古屋市役所の報酬はトヨタよりも高い、といわれるような公務員
の厚遇に対する住民の反発があるように思います(たとえばプレジデントロイターの
ホームページの「トヨタさえ上回る!? 名古屋市役所の高給」という記事をご参照
下さい)。
( http://president.jp.reuters.com/article/2009/10/02/24D25F94-A9A9-11DE-842F-0D193F99CD51.php )

 国のレベルでも、経費的な支出、特に、公務員の人件費に手を着けずに、消費税率
の引き上げだけを通そうとすると、間違いなく国民の大反発を買うのではないでしょ
うか。与謝野経済相が、氏の宿願である消費税率引き上げを実現するためには、公務
員の給与を大きく引き下げるのが早道だと思います。

              経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員:山崎元
                 ( http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_hajime/ )


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 ■ 中空麻奈 :BNPパリバ証券クレジット調査部長

 まず、“高福祉”から考えてみます。

 以前テレビのクイズ番組でスウェーデンでは赤ちゃんが生まれると、ベビーベッド
から紙おむつ、ミルクなどあらゆるものの支給があり、それがパックになって、市役
所等が配っているというのを見たことがあります。赤ちゃんが生まれるときは、準備
本を購入して必要なものを集めるのが普通なので、市役所等が集めて支給してくれる
なら、そんな楽なことはないなぁと漫然と眺めていたことを覚えています(ただ、今
回の質問に対して答えるにあたり、調べてみたのですが、本当かどうかを調べられま
せんでした。事実かどうかの確認はですのでありません)。

 要は、国民に対する高福祉が行き届いている場合には、赤ちゃんのときから、必要
以上(と思える)の保障があるということなのでしょう。小学校から大学まで学費は
無料、19歳以下は医療も無料、年金最低保証額は国民全体に支払われる、となれば、
高福祉国家とはこれだけのサービスが用意されるのだと、その片鱗が見えてくるとい
うものです。またデンマークでも、スウェーデンと同等の子供に対する福祉から高齢
者福祉、低所得者に対する住宅手当など各種助成金制度など、至れり尽くせりの状況
のようです。

 こうした高福祉を実現するための“高負担”は、やはり国民負担率から見るしかあ
りません。財務省HPに国民負担率の一覧表が出ています(OECD30か国に対す
る一覧表)。2008年平均で見たものでは、30か国のうち、ベスト10が以下の
とおり。

1位 デンマーク69.9%(社会保障負担率2.6%、租税負担率67.3%)
2位 ルクセンブルグ66.6%(同20%、46.7%)
3位 アイスランド66.6%(同5.1%、60.9%)
4位 ハンガリー63.6%(同21.4%、42.1%)
5位 ベルギー63.4%(同22%、41.3%)
6位 イタリア62.7%(同19.8%、42.9%)
7位 オーストリア61.4%(同22%、39.4%)
8位 フランス61.1%(同24.3%、36.8%)
9位 フィンランド59.3%(同16.7%、42.6%)
10位 スウェーデン59.0%(同12.1%、46.9%)

 日本はというと、38.6%(同16.4%、22.2%)となっており、国民負担率だけで見
ると、やはり高負担国との差はあると言えそうです。

 ただし、こうした国民負担率が高ければ高福祉国かと言うと、そうでもないと言え
ます。アイスランドなどは、法人税を低くし、国際競争力の高い法人を呼び込もうと
する戦略の上で、国民負担率が高いという側面がうかがえますし、イタリアなどは障
害者福祉で発達しているという話を聞きますが、福祉国家であるがゆえに債務が増え
たという話ではない気がします。そこで、典型的高福祉国家として北欧をモデルとし
てとらえると、国民負担率で60%から70%程度です。よって、60%超というと
ころが、“高負担”の域に入ることを示す水準のようなものと見ていいのではないで
しょうか。

 次にどのような形の負担かというと、意外なことに、デンマークもスウェーデンも、
社会保障負担率はそれ程高くなく、租税負担率で足りない部分を埋めていることがわ
かります。どのような形の負担とするかを考えると、必ずしも社会保障負担率で賄わ
なくてもいいということになるでしょう。目下日本でも、消費税を社会保障目的税と
するなどといったことが検討されていますが、そうした決めごとをしないでも、消費
税を高福祉に使うことは出来るはずです。

 とはいえ、このところ同じような結論になってしまうのが心苦しいのですが、まず
我々自身が高福祉・高負担国家を目指したいのか、低福祉・低負担国家を目指したい
のか、それとも、中福祉・中負担国家を目指したいのか、のスタイルを決めていくこ
とが何よりも重要だということだと思います。仮に、60%の国民負担率に耐えるこ
とになれば、1000万円稼いでも、400万円しか自分のものにはならないわけで
すから。それでも高福祉を望むのかどうか、選ぶ必要があります。高福祉を選んだと
すれば、それはどれだけ反対があっても、負担比率を60%から70%までの範囲で
あげていく必要がある、というわけです。目標を高福祉国家にするのであれば、段階
的にでもそちらの方向に持って行き、望むべき姿に到達しなければいけません。その
覚悟ができないなら、福祉は最低限のところで耐えるしかありません。

 高福祉・低負担国家を選択できるなら、こんな望ましい姿はないのですが、そんな
ムシのいい話は有り得ないことです。自分たちの将来と国の関わりについて、いつま
でも方針を決めないから、何か決めるたびに目先の圧力に負けて政策がぶれてしまう
ということに、もう既に皆気づいているはずです。

                 BNPパリバ証券クレジット調査部長:中空麻奈

MMホームページにて、過去のすべてのアーカイブが見られます。○○●
          ( http://ryumurakami.jmm.co.jp/ )
 

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コメント
 
01. 2011年2月14日 18:42:34: XNvcPAMjVI
   Q:1150 「高負担・高福祉」という時の「高負担」とは? 
    □津田栄   :経済評論家
    □金井伸郎  :外資系運用会社 企画・営業部門勤務
    □土居丈朗  :慶應義塾大学経済学部教授
 

 ■ 津田栄   :経済評論家

 社会保障において、「高負担・高福祉」か「低負担・低福祉」か、あるいは「中負
担・中福祉」か、どれを選択すべきかという議論がよくなされます。本当のところ、
その高い、低いを何を基準にしているのか、どこから高くて、どこから低いといえる
のか、よく分かりません。それは絶対的な基準ではなく、相対的な基準なような気が
します。そして、それを国際比較して、日本は現状を大きく変えずに「中負担・中福
祉」(あるいは今の民主党政権は「高負担・高福祉」か「中負担・高福祉」)を目指
そうとしていますが、各国の社会保障の制度は違いますし、税制においてもその内容
は様々で本当に比較できるものなのか、比較の基準が同じなのか、少し疑問を感じま
す。

 また、負担と福祉がどういう関係がいいのかについて、低所得者と高所得者、現役
の勤労世代とリタイアした高齢者世代の間では、負担の度合い、福祉の程度において
考え方が違うように、個々人で捉え方が違うはずです。そもそも、「高負担・高福祉」
「低負担・低福祉」という表現は、行政の捉え方であって、国民の視点ではないよう
に感じます。そう考えてくると、政府は「高負担・高福祉」か、「低負担・低福祉」
か、あるいは現在の「中負担・中福祉」のどれかを選択しなければならないと二者択
一のように国民に迫っていますが、もっと柔軟に考え、高、中、低の基準が見えませ
んが、現実に即して「中負担・低福祉」「高負担・中福祉」など色々な組み合わせが
あってもいいはずです。そして負担と福祉の程度、負担と福祉の関係、つまり福祉の
内容、それを実現するのに必要とする負担額について、色々な場合を想定して具体的
で明確な情報を提示してもらわないと最終的に判断できないのではないでしょうか
(その点で、マスメディアが政府と同じように二者択一の選択を国民に迫るように報
道するのは、短絡的で無責任なように感じます)。

 さて、質問の「高負担・高福祉」「低負担・低福祉」を考えたいと思いますが、ま
ず現状を把握することが必要です。その資料としては、財務省が出す国民負担率の資
料を参考にするしか方法がありません。そこで、国際比較をみると、「高負担・高福
祉」といえば、典型的な例が北欧、その代表はスウェーデンとよく言われます。しか
し、最近は事情が大きく変化しています。スウェーデンの国民負担率((租税負担+
社会保障負担)/国民所得、OECDでは分子に国民所得ではなくGDPを使います)
は、以前70%を超えていましたが、08年に59.0%へ低下し、その流れはさら
に進んでいると見られます。その要因は、スウェーデン国民の変化があります。10
年9月に行われた総選挙でも、「高負担・高福祉」政策を維持しつつも一部見直しで
福祉関連の歳出を抑制し、競争促進、減税などによる経済活性化を進めて市場経済重
視の改革を推進した中道右派連立政権が支持されたことに表れています。そして、こ
うした流れは北欧全体に広がっており、「高負担・高福祉」は北欧という図式は過去
のものになろうとしています。今や、08年の段階で「高負担・高福祉」は欧州大陸、
その代表がデンマーク69.9%、フランス61.1%、イタリア62.7%といえ
ます。

 一方「低負担・低福祉」の典型はアメリカと言われ、08年の段階では国民負担率
は32.5%とOECD30カ国の中でメキシコに次いで二番目に低い状況です。し
かし、オバマ政権ができて、医療保険制度改革を成立させ、増税を検討していました
から、国民負担率は上昇すると見られていました。ただ、アメリカでは「小さな政府」
志向が強く、政府の介入を嫌い、自己責任を原則としているため、この医療保険制度
改革に対して根強い反対があります。その結果、オバマ政権は、昨年の秋の中間選挙
で民主党が惨敗し、前ブッシュ政権が実施してきた富裕層への減税措置を継続し、ま
た法人税減税を示唆するなど、経済重視の現実路線に政策を切り替えつつあります。
結果として、国民負担率の上昇はそれほど大きなものにならない一方、社会保障の支
出がむしろ増えて財政赤字が拡大すると見られます。その点、財政黒字にめどが立っ
たスウェーデンと大きく違って、財政の余裕は小さく、経済に対して抑制的になると
いえましょう。

 こうしたなかで、日本ですが、国民負担率は、08年で38.6%と、一番高いデ
ンマークに比べて31.3%ポイントも低く、アメリカに比べて6.3%ポイント高
とあまり違いがなく、OECD30カ国のなかで低いほうから7番目と、相対的にみ
れば低負担といえましょう。そして、これまでの国民負担率の推移をみると、79年
に30%台にのり、88年に37%台になってから横ばいの傾向となっています。な
ぜ国民負担率が伸び悩んでいるのかというと、バブル崩壊以降の経済の低迷が影響し
ています。というのも、租税負担率が89年度の27.7%をピークに低下(97年
消費税引き上げが実施されてもほとんど伸びず)、10年度でも21.9%、11年
度予想も22.0%とほぼ横ばいになっています。もちろん、小泉内閣時代の04年
度から24%台まで上昇する場面もありましたが、デフレを解消しきれない中で08
年の金融・経済危機をもろに受けて、再び低下したままです。つまり、経済の低迷に
よる企業収益や個人所得の伸び悩みの影響が租税負担率の低下を招いているといえま
す。一方、社会保障負担率が、健康保険料や年金掛け金の引き上げで、89年度の1
0.2%から10年度の16.8%と着実に上昇傾向にあります。

 この点、スウェーデンを見てみると、国民負担率が70%を超えていたときは、租
税負担率が50%を超え、社会保障負担率が20%を超えているという状況でしたが、
直近の08年の59.0%の時には、租税負担率が46.9%、社会保障負担率が1
2.1%まで低下しています。これは、一つには、90年代の経済危機で歳出削減や
増税などの構造改革を行い、その後の中道右派政権でそれを促進して、競争を取り入
れて市場経済化を進め、08年の金融・経済危機も乗り越えて経済成長を果たし、国
民所得を増やしたこと、二つ目は、25%という高い消費税は変えていませんが、低
所得者層の減税などを実施するなど、個人所得税のウェイトが減少していること、三
つ目は、年金制度の大改革で、少子高齢化社会では持続不可能な賦課方式を一部積立
方式に変更して定額拠出方式に切り替えたことなどがあったと思われます。一方、ア
メリカは、小さな政府の志向が強いのか、租税負担率が若干変動するものの、社会保
障負担率は大きな変動がありません。

 それでは、今度は国民が享受する福祉の面ですが、スウェーデンでは、中道右派政
権になっても、高福祉政策は変えていないようです。教育費は原則大学まで無料であ
る上に、教科書や教材、学用品も無料、医療費も出産も含めて無料、雇用においても、
最近失業保険の減額が行われていますが、基本所得補償を基準にしていますから、給
付額が離職前の70〜80%、給付日数も300日、しかも自営業者や受給資格のな
い者にも支給されるなど日本よりも優れたものであり、また再就職支援制度も充実し
ています。年金制度も、最低保証年金があり、制度改革で一部積立方式に変更したも
のの、条件がそろえば、定年前の7割近い所得が得られ、生活水準を落とさず生活で
きるほどです。一方、アメリカでは、小さな政府の志向が強く、教育、医療、年金な
どの社会保障制度における公的支援が限定的で、自己負担を中心にしています。もち
ろん、医療保険改革で、社会保障制度は幾分充実したといえましょう。失業保険では、
給付額が離職前の50〜70%、日数も180日前後であり、日本の日数360日よ
り短く、給付額45〜80%とほぼ同じといえます。日本は、医療においては国民皆
保険がありますが、自己負担が3割、年金も公的制度が中心ですが、受給資格が厳し
い上に欠陥が見られ、最大定年前の5割程度の給付額しかもらえません。

 こうしてみてくると、スウェーデンは確かに高福祉が実現しており、一方でアメリ
カは、それに比べると社会保障制度は見劣りしますから低福祉といえましょう。そし
て、日本は、アメリカよりは充実していますが、内容を見ると、中福祉とまではいか
ず、アメリカに近い低福祉といえるかもしれません。つまり、比較の問題ですが、ス
ウェーデンは高負担・高福祉、アメリカは低負担・低福祉というならば、日本は中負
担・中福祉に近い低負担・低福祉といえるかもしれません。

 しかし、問題は今後です。スウェーデンは、少子高齢化に対応して年金制度を改革
しながらも、高福祉を維持する一方、国民負担率の上昇を抑制するための改革も行う
だけでなく、競争を促進して市場経済化を進めて堅調な経済を維持しようとしていま
す。また、一時1.5前後まで低下した出生率も1.9前後まで引き上げるなど少子
化からの脱却も図る政策が採られていて、もはや高福祉ながら高負担から中負担に転
じようとしています。しかも、スウェーデンは平等意識が強く、助け合い支えあう意
識が昔から培ってきただけに、制度改革によって、負担も給付も世代間格差があまり
ありません。一方、アメリカは、医療制度改革で低福祉からの脱却をはかろうとして
いる一方、移民が多いこともあって2.0台をキープし若干上昇気味の出生率からは
少子化は当面考えられず、経済の活力は人口面から失われません。しかも、弱者への
所得移転としての寄付制度の充実で、公的支援をカバーしています。そこから言える
ことは、スウェーデンもアメリカも、経済成長を前提にしながら、国民の価値観に基
づいた社会保障制度を構築しようとしているのであり、高福祉のために高負担はいつ
までも続かない一方、低福祉のままでは景気の変動で社会不安につながることから、
それを補う制度があるということです。

 そうした中で、将来に対して方向が定まらないのが日本です。今、日本は、少子高
齢化、人口減少が進行する根本的な問題を抱えて、時間の経過とともに、民主党の描
く高負担・高福祉、野党自民党の考える中負担・中福祉を実現することが難しくなろ
うとしています。確かに、今は緩やかな少子高齢化、人口減少にありますから、大き
な問題のように見えません。しかし、人口は15年後の2025年には08年比85
0万人減の1億1927万人、そのなかで65歳以上の高齢者は同810万人増の3
635万人、比率にして30%超です。これが45年後の2055年には、人口は8
993万人と実に同3780万人減、高齢者は同820万人減の3646万人とあま
り変わりませんが、比率は40%超となります。その分15〜64歳の現役世代は2
5年には同1130万人減の7096万人、55年には同3640万人減の4595
万人と急減します。ここから言えることは、現在の3人の現役世代で1人の高齢者を
支える年金制度が25年には2人で1人、55年には1.3人に1人になり、保険医
療制度も高齢者ほど費用が掛かることから同じといえ、高齢者中心に行う社会保障制
度はもはや持たないということです。つまり、高齢者の年金を現役世代の掛け金で賄
う賦課方式では、現在の年金制度自体が破綻してしまうし、国民皆保険の医療制度も
維持できないということです。

 しかも、社会保障制度を維持するためには、経済が成長することが前提です。それ
が描けないのに、増税して国民負担率を引き上げれば現行の社会保障制度を維持でき
るというのは幻想です。何度も言いますが、デフレ経済からの脱却と長期的な成長戦
略を提示し、一方で、年金制度で賦課方式から積立方式へ変更したり、医療や教育、
子育てなどで現役世代重視に切り替えるなど、高齢者中心の社会保障制度を改革して
いかなければ、増税でうまくいくと考えるのは危険です。それが97年の消費税率2
%アップでも租税負担率が伸びなかったことに表れています。その意味で、現在の日
本の根本的な欠陥を抱えた社会保障制度を前提とした中福祉(私には低福祉に見えま
すが)を支えるために増税して高負担になっても、穴のあいたバケツに水を入れるよ
うなもので、予想通りにはいかないのではないでしょうか。そして、今後、制度改革
をしても、増税は必要となり、その場合は力強い経済成長はない中で長期にわたって
高負担を我慢する(その場合、政府が上限とする国民負担率は50%を超えて70%
もありえます)一方、高福祉は望めず、中福祉が精一杯かもしれません。

 最後に、何から何まで政府に依存して給付を得ようとするのは、限界があります。
厳しい財務事情の中、少子高齢化、人口減少に直面している日本では、今後は、「公
助」として政府の最低限のセーフティネットからの社会保障を受け、その他に、「自
助」として自己で努力する一方、スウェーデンの助け合い支えあう精神に見習い、
「互助、共助」として地域やボランティアなどの民間の支援で社会全体で福祉を図っ
ていこうとするのがいいのではないでしょうか。そして、そうした場合には、高負担
にまで至らないかもしれません。

                             経済評論家:津田栄

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 ■ 金井伸郎  :外資系運用会社 企画・営業部門勤務

「失業して職を失った時」「健康を損なった時」そして「高齢となった時」、十分な
金銭的な備えがなければ、人は誰でも生活困難に陥り、生存すら脅かされる可能性が
あります。病気や怪我などが直接の原因となって生命が失われる場合は別として、こ
うした事由で国民の生存が脅かされることがあってはならない、というのが福祉国家
の理念といえます。

 ところが、そのような最低限の保障水準を確保するために必要な負担の水準すら明
確になっていない中で、「高負担・高福祉」か「低負担・低福祉」の選択を求められ
ているのが実状です。

 現実を見ますと、若年層(25ー29歳)における国民年金滞納率4割、世帯年収
200万円未満の世帯比率3割、金融資産を保有しない世帯比率2割といった状況が
現在の日本の社会の姿です。退職世代の4割程度が無年金あるいは十分な資産の蓄え
を持たない状態で老後を迎え、何らかの生活保障を必要とする状況が将来に現実のも
のとなるでしょう。

 こうした生活困難に陥る高齢者世帯の生活を、消費額に上乗せした税による所得移
転を通じて支える、というのが消費税増税による社会保障目的税化の極端に単純化し
た位置付けとなります。ちなみに、2040年には推計で65歳以上の世代が約3分
の1を占めますが、その4割の人々の生活を消費税による所得移転でまかなうために
は、高齢者世代の消費水準を現役世代の半分としても、単純な計算で約9%程度の税
率が必要となることが分かります。ただし、高齢者世代の約6割は引き続き社会保険
制度による年金で自立した生活を確保できる、ということが前提となります。

 これを最低限必要となる社会保障負担の一部と見るか、逆に「高福祉」の上限と見
るか、は議論の余地はありそうです。現在の生活保護制度の給付水準の高さに批判が
あるように、一般国民と被保護世帯との消費水準の格差縮小を目指す考え方が、今後
も社会保障の目指す福祉水準として受け入れられるかは分かりません。ただし、最低
限の生活を保障するという主旨から、最低生活を営むために必要な品目を一つ一つ積
み上げて最低生活費を算出するというマーケットバスケット方式を採用していた時代
もありましたが(昭和23年から35年まで)、そうした方法や考え方に立ち戻ると
いうのも無理があります。

 このように保障水準について議論の余地はあるものの、高齢化に伴う要生活保護世
帯の増加による社会保障費用の拡大は、所得格差の動向にもよりますが、保護が必要
となる世帯数は予め予測可能です。また、給付額はインフレ率に連動するため、税収
が同様にインフレ率に連動する消費税を財源に手当てできればコントロールは可能で
しょう。

 一方、健康保険制度については、医療費が一般物価を上回る上昇率となる傾向があ
り、国民の負担の水準もかなり限界に近い状況です。現在、健康保険料率としては、
報酬月額と賞与の9.48%を、介護保険料が加わる40歳以上の加入者では10.
99%を、それぞれ負担しています。雇用者については事業主との折半となっている
こともあり、一般に健康保険料負担の意識は低いですが、年収1千万円以下の層では
所得税よりも実際の負担額は上回ります。さらに、報酬月額の上限は121万円、賞
与上限は540万円と年収で2千万円近くまで報酬に比例した負担額が課せられてい
ます。

 このように健康保険料は、すでに中間所得者層には重い負担を課しており、低所得
者層に対しても一定率での負担を求めています。その中では特に、自営業者や無業者
を対象とする市町村が管轄する国民健康保険では保険料滞納の問題が深刻となってお
り、滞納世帯が436万と2割を超えています。本来、国民健康保険費用の徴収方式
としては保険料方式と定められていますが、多くの自治体で保険税方式が採用されて
いるのが実態です。これは保険税方式を採用した方が、徴収権の時効が長くなること
や滞納処分の優先順位が高くなる等の理由からのようです。

 しかし、そもそも滞納問題以前に、国民健康保険の支出13兆円に対して保険料収
入は約3兆円にすぎません。国民健康保険を含めて、現在の健康保険制度を維持する
ためには最低でも現在の消費税税収に匹敵する10兆円規模の財源の確保が必要とな
ります。

 現状では「高負担・高福祉」の高福祉のイメージは描きにくいですが、最低限の保
障水準を確保するために必要な負担、という意味では、消費税率の追加引き上げで十
数%、という辺りを一つの相場観として持っておく必要がありそうです。

                外資系運用会社 企画・営業部門勤務:金井伸郎

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 ■ 土居丈朗  :慶應義塾大学経済学部教授

 何を指して「高負担・高福祉」と呼ぶかについて、1つの定義の仕方として、OE
CD諸国の中で相対的に社会保障給付(対GDP比)が高いことを指して「高福祉」、
租税負担と社会保障負担の合計(対GDP比)が高いことを指して「高負担」である
といえるでしょう。

 OECDの"Social Expenditure Database"に基づいて計算した社会保障の公的支
出対GDP比で見ると、2007年では、日本は(18.7%)、フランス(28.
4%)、スウェーデン(27.3%)、デンマーク(26.1%)、ドイツ(25.
2%)、フィンランド(24.9%)などに比べて低く、OECD平均(19.3%)
並みで、アメリカ(16.2%)、カナダ(16.9%)、オーストラリア(16.
0%)よりは高くなっています。

 この数値の比較に基づけば、我が国は「高福祉」といえる国々よりかは低い水準の
国であるといえ、その給付水準を独仏、スウェーデン、デンマーク、フィンランド並
みに引上げることを称して、「高福祉」を目指す、ということはできるでしょう。対
GDP比で言えば、7〜9%程度、金額にして35〜45兆円ほど給付を増やすこと
で、給付水準から見て「高福祉」国並みとなる、といえます。

 しかし、我が国の社会保障給付は、租税負担で賄うべき当年度の支出を公債によっ
て賄っている状態です。しばしば「中福祉・低負担」と言われるゆえんは、ここにあ
り、給付水準は前述の通りOECD平均並みだが負担の一部を公債によって先送りし
ており今の負担で賄っていないため低負担となっている、というわけです。

 ただ、「高負担・高福祉」か「低負担・低福祉」かという選択では、議論が単純化
されすぎるきらいがあるので、選択対象が量的な尺度にとらわれがちです。極言すれ
ば、高福祉(=給付対GDP比が高い)は低福祉(=給付対GDP比が低い)よりも
社会保障が手厚いというイメージに単純化されてしまっています。しかし、医療給付
対GDP比が高ければそれが手厚い医療であるといえるでしょうか。決してそうでは
ありません。単に国民が総じて食生活がルーズであるために肥満が多くてその分健康
状態が悪くなり医療費がかさむということなら、医療給付が多くても健康状態は総じ
て悪く、それは生活水準としては決して良いとはいえません(これは日本の事例を指
しているわけではありませんが)。医療給付が多いからといって健康状態がよいとは
言えないなら、医療給付を増やすことが生活水準を向上させるとは単純にはいえませ
ん。

 日本は医療の公的給付対GDP比は、OECD諸国の中ではむしろ低いほうです。
それでいて我が国は、世界に類を見ないほどの「フリーアクセス」を実現しています。
その意味では、医師不足や診療報酬の非効率な配分などの問題は残るものの、より少
ない公的支出で質を維持することに成功している、といえます。他方、我が国の社会
保障の公的支出は高齢者向けに偏っており、育児支援や就労支援などの若年者向けが
相対的に少ないという特徴もあります。

 その意味では、「高福祉」とすることを、単に給付水準を引上げることにだけこと
さら注目・強調するのではなく、公的支出水準は大きく増やさなくとも福祉の質を高
める余地はまだまだ残されていますから、「高福祉」を「福祉の質の向上」と理解し
て、そのあり方を検討することも重要な視点といえます。

 ただし、福祉の質の向上は租税や保険料負担の引上げなしに出来ると強弁すること
は曲解としかいえません。なぜならば、現時点での社会保障給付の負担は、その多く
を公債によって賄っていることを忘れているからです。少なくとも、この社会保障負
担の給付のために(事実上)充てられている公債は、直ちに現時点での租税負担に
よって賄うべく税制改革や社会保障改革等を実施することこそ、今を生きる世代が責
任を全うし、後世から後ろ指を指されないようにできるのです。今の社会保障給付は
今を生きる世代にしか便益は及びません。そのための負担の先送りは断じて許すべき
ではありません。そのための増税や保険料引上げは、景況への心配だの御託を並べず
に、現存世代の責任で実行しなければなりません。

                     慶應義塾大学経済学部教授:土居丈朗
                 ( http://web.econ.keio.ac.jp/staff/tdoi/ )


02. 2011年2月14日 20:21:58: 5OSV8Up776
なんだこれ?
通貨発行権が政府の手にある現在、政府に頼らない生活は原始的な自給自足以外に有り得ない。
原始的な自給自足すら、あらゆるものに所有権が設定されている現在では極々極々極々一部の人間以外に生存に必要な資源を手に入れることは出来ない。必ず制裁される。

今より未来において政府に頼ること無しに生活する場合は、政府が完全に破壊され国民経済が崩壊し法秩序の存在しない野蛮な自然状態に帰った時だけ。マッドマックスかバイオレンスジャックのような世界しか有り得ない。

金融商品を自分で理解すればナントカなると言うレベルでは、政府の手を離れていない。
当てにしている通貨そのものを政府は管理している。

無政府主義者や究極的リバタリアンには残念だが、政府に頼らないと言う状況は有り得ない。
もちろん思考実験だと言うなら話は別。


03. 2011年2月14日 20:40:50: A0dusaYeIc
単に政治に過剰な期待せず
現状で一般人にできることは何か?ってことだろ

04. 2011年2月18日 12:43:52: nJF6kGWndY
   Q:1151 個人が政府に頼らずに生きるためにもっとも必要なものは?

   ◇回答

    □菊地正俊  :メリルリンチ日本証券 ストラテジスト
    □北野一   :JPモルガン証券日本株ストラテジスト


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■今回の質問【Q:1151】

 現在の日本では、「政府には頼らない」という姿勢は重要だと思われます。かなり
曖昧な質問になってしまいますが、個人が政府に頼らずに生きるために、もっとも必
要とされるものは何なのでしょうか。

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                                  村上龍
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 ■ 菊地正俊  :メリルリンチ日本証券 ストラテジスト

 個人が国に頼らずに生きるために必要なのは、お金、教育、語学力、手に職、健康
でしょう。日本は世界有数の財政赤字国であり、近い将来、間違いなく消費税が上が
るでしょう。民主党政権は、選挙公約だった衆議院の80定数削減や公務員の人件費2
割削減を反故にしたまま、消費税引き上げの議論を始めました。所得税や相続税も、
富裕層中心の増税を決めました。日本の消費税率や税収の国民所得比が国際比較で低
すぎるため、将来的に引き上げられるのは仕方ないものの、為政者がまず身を切って
から、国民負担を求めるべきでしょう。将来的に増税になることは間違いなので、日
本に住み続けるのであれば、増税に備えたキャッシュが必要になります。

 教育と語学力はだぶりますが、教育水準が高ければ、良い仕事に就けて、生涯所得
も高い傾向があります。最低、英語、望ましくは中国語もできれば、国が個人にとっ
て、不利な政策を取り始めたら、国外脱出という選択肢を取れます。日本の所得税最
高税率は50%ですが、香港は15%、シンガポールは17%です。両国とも、日本
の緑地のような安らぎはなく、コンクリートに囲まれた生活となりますが、金融業界
では幅広い仕事があります。最近、日本での金融ビジネスを諦めて、海外に移住する
プロフェッショナルが増えています。

 日本の製造業は新興国との競争から、要素価格均等化の法則が働き、賃金が上がら
ない構図が定着してしまいました。日本企業の対外直接投資は増えるばかりで、将来
的にはアジア企業による日本企業の買収も増えると予想されますので、両者のニーズ
をマッチングさせられるような役割を果たすことができ、かつ外国での生活に適合で
きるのであれば、日本という国家に依存せず、生きていくことができます。日本人は
海外でも、日系企業の出先に勤める人が多く、中国人のように完璧な英語を話し、中
国という国とは関係なしに、欧米で生活する人が多くいるのとは対照的です。日本に
生まれれば、日本に愛着が沸きますし、住みやすいとも思いますが、国家財政が破綻
し、経済合理性に欠ける大増税や円資産の目減りの時代に入るならば、国外脱出を検
討する必要があるでしょう。

 政府がどのような状況になっても、必要とされる職務はあります。医者の所得は、
国の社会保障制度に依存しますが、少子高齢化が進む過程で医療需要は増えるばかり
です。医者は一般に英語ができますので、手に医術があれば、世界中で活躍の場があ
るでしょう。最近、世界の果てで活躍する日本人を紹介する番組がありましたが、音
楽、演劇、ダンス、建築、手品でも、何らかの特殊技術があれば、国家に頼らずに、
どこでも生きられるでしょう。農業も、民主党のばらまき的な戸別所得補償制度に依
存する必要がなく、自分で食べるだけでよければ、自給自足的な生活が可能です。

 政府に依存したくなるのは、生活保護以下の生活しかできなくなる時か、健康を著
しく害した時でしょう。日本の生活保護受給者数は約200万人、支給金額も3兆円
を超えます。単身高齢者の受給者を除けば、あまりに政府に対する依存心が強い国民
が増えたと嘆かれます。日本のような資源がない国では、労働者の技能で、付加価値
の高い製品を作って、海外に輸出して生きる道しかありません。人口が減り続ける国
で、内需主導の高成長はあり得ません。繰り返しになりますが、自ら教育、技能、語
学力を身につけて、グローバル経済下で、自助努力で給与を上げるしかありません。
一生懸命働く前提として、健康な身体が必要になります。

               メリルリンチ日本証券 ストラテジスト:菊地正俊

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 ■ 北野一   :JPモルガン証券日本株ストラテジスト

 前々回の回答で、私は「政府に頼ることは出来ないわけですから、今のうちに稼げ
るだけ稼がねばなりません」と書きました。この回答を送ってから、この書き方は、
ミスリーディングだなと思い、訂正をしようかなと思ったのですが、迷っているうち
に配信の時間を迎え、「まぁ、いいか」と思っていました。

 書き直そうと思っていた箇所は、「政府に頼ることは出来ない」という部分です。
正確には、「将来世代に頼れないのですから…」と書くべきでした。賦課方式で運営
されている社会保障制度における「政府」というのは、高齢世代と現役世代、さらに
現役世代と将来世代をつなぐ「導管」のようなもので、それ自身にはさほど実体はあ
りません。従って、実体のないものを頼るも頼らないもありません。

 こうした政府に教えられなくとも、人口減少・高齢化社会において、賦課方式に持
続性がないことは自明だと思います。従って、私たちが行わなければならないことは、
賦課方式で運営されている社会保障制度を改め、せめて世代内での助け合い、さらに
は自助に近い仕組みに作りかえて行くことでしょう。まずは、その問題意識の共有か
ら始めるべきだと思います。

 問題意識を共有する一つの試みとして、東京財団、PHP研究所、構想日本、そして
みずほ総合研究所の共催で、「「税・社会保障制度の抜本改革」を考える討論会」と
いう「場」が、先週より設けられております。2月8日の第一回目には、日本経済新
聞、朝日新聞、読売新聞の各紙が、彼らの年金改革案についてプレゼンしました。2
月15日の第二回目は、日本経団連と経済同友会から、改革案の提示がありました。
来週は、確か日本商工会議所と連合、再来週は…と、6週間連続で開催されることに
なっております。

 火曜日に行われるのは、国会議員が最も参加しやすい曜日であるからだそうです。
主催者によると、約700名の衆参両院の国会議員に、討論会の案内状を送付したそ
うです。このうち、第一回目に討論会に最後まで参加していた国会議員は4名だけで
した。約百名収容できる会議室の前半分は国会議員席、後ろが私のような一般参加者
の席でした。後ろの席は、満席でしたが、前は、ガラガラ。これが第一回目でした。

 15日の第二回目は、会場がかなり小さくなり、国会議員席は、前の方に6席用意
されていただけでした。ただ、二回目は私が数えた限りでは8名の議員さんが討論に
参加しておられました。経済同友会を代表してプレゼンをされた高須武男さん(株式
会社バンダイナムコホールディングス会長)の熱のこもった話もあり、議論は第一回
目よりも盛り上がったように思います。

 第一回目の討論会では、現状の年金制度をいかにリフォームするかという技術論に
終始した嫌いがありましたが、第二回目の討論会では、リフォームではなく建て替え、
すなわち賦課方式の見直しは急務という見方が支配的になっておりました。私のよう
な一般参加者は傍聴のみで発言は出来ませんが、可能な限り、この討論会には参加し
ようと思っております。誰でも参加申し込みできますし、また当日はインターネット
でナマ中継もされております。

 かなりオープンな議論で、第二回目では、自民党の河野太郎さんから、2004年
の「百年安心プランはウソでした」という発言もありました。二回連続して参加して
おられた民主党の階猛(しなたけし)さんは、こうした討論会を経て、賦課方式の見
直しは不可避だとの思いを強めたと語っておられました。中川秀直さんは「孫は祖父
より1億円損をする」(島澤諭、山下努、朝日新書)を紹介し、世代会計の重要性を
強調しておられました。イギリスをモデルにした医療改革案を語っていた小西洋之さ
んも印象に残りました。

 それにしても、国会議員の参加は少ないですね。むろん、彼らが本当に議論すべき
「場」は国会であり、このような「場外乱闘」の「場」ではないでしょうから、参加
者が少ないのは理解できます。それでも、第一回目に、ガラガラの国会議員席を見た
ときに、がっかりはしました。その意味で、私たち有権者に出来ることの一つは、何
故、自分が選んだ議員が、こうした討論会に参加していないのか、と自分たちの代表
を突き上げることかもしれません。

 むろん、発言の場は、この討論会でなくても良いです。街頭演説でも、彼らのブロ
グでも良いでしょう。自分たちの代表が、社会保障制度に、どのような考えを持ち、
発言し、行動しているのかを、我々が能動的に監視することは必要でしょう。その上
で、個々においては「今のうちに、稼げるだけ稼ぐ」ことが重要だと思います。これ
は、ハードワークしろということではなく、自分の仕事の対価を正当に要求しなけれ
ばならないということも含みます。では、自分で自分の老後の面倒をみるには、どの
程度、稼ぎ、蓄えておけば良いのでしょうか。

 経済同友会の提言する年金制度改革案は、(1)新基礎年金制度と(2)新拠出建年金制
度の二本立てになっておりました。(1)はナショナルミニマムを保障する公的制度、
(2)は積み立て方式の個人勘定です。この(1)としては、月額7万円の年金を、全額消
費税で賄うという構想でした。仮に、この月額7万円の年金を、敢えて自分で用意す
ると、どうなるか。65歳から80歳まで、毎月7万円支給されるなら、合計金額は
1260万円になります。物価変動を考慮しないとすると、これを20歳から65歳
までの45年間で準備するには、毎月2万3千円の積み立てが必要です。

 先日芥川賞を受賞した「苦役列車」を読んだ後では、毎月2万3千円の積み立ては
難しいことかもしれないなとも思ったりしますが、健康な人が老後にギリギリの生活
をするためには、この程度の貯蓄を可能にする労働が必要と言うことになります。

                 JPモルガン証券日本株ストラテジスト:北野一

   □三ツ谷誠  :金融機関勤務
   □水牛健太郎 :日本語学校教師、評論家


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 ■ 三ツ谷誠  :金融機関勤務

「社会 ─ 虚構の国家を超えて実在するもの」

 随分古い例えで申し訳ありませんが、嘗てあの偉大な漫才師、春日三球師匠が「地
下鉄をどこから入れるのか分からなくて夜も寝られない」と煩悶したように、ここ数
年の私の煩悶の種は「国家とは何か、それはどこから来たのか」というものでした。
そして、その疑問は相変わらず日々の雑事に追われる私の脳髄のどこかでネーション、
ネーションと反響しています。

 いきおい、その疑問に取組む事がここ数年の自分自身の仕事の一部になっていて、
読書傾向もそこに傾く中で(勿論、脳髄に反響する疑問・興味は数多く必ずしも<そ
こだけ>ではありませんが)、一つだけ最近、理解できている事が生まれました。そ
れは当たり前の話ではありますが、人間は裸の個人としていきなり国家と対峙するの
ではなく、個人と国家の間に「社会」が介在するという事実です。

 高校の倫社・政経の影響力は大きいのか、正直な話、私も「万人の万人に対する闘
争」を回避するために相互認識の中で唯一人「暴力」を与えられた王であり国家、と
いうホッブス的な国家成立の論理が染み付いてしまっていたので、国家が介在しよう
がどうしようが、死を欲さない限りは生にしがみ付き「足掻く存在である人間」(by
キング・ブラッドレイ『鋼の錬金術師』)が、類的本能として結びつき、なんとか互
いの生存やより人間的な喜びを相互に追い求める事が可能な世界を築こうとして成立
する「自生的な社会」の存在については、意外に気付く事がなかったのです。

 しかし、国が例え滅びたとしても、そこには杜甫が美しく詠ずるように、山河も存
在するでしょうが、生きながらえてしまった人間もまた存在する筈です。それは国家
が虚構であり人間が自然同様に実在である事の証明でもあるでしょう。そして、もし
かしたら壮大なフィクションそのものである国家ではなく、そのような実在としての
人間の相互依存の中、つまりは社会にこそ、我々のこれからの可能性は展けるのでは
ないか、と感じます。

 例えばその社会的なものの代表が「市場」かも知れません。勿論、「市場」は国家
権力を或る意味では自らのために利用し、或る意味では共生のために牽制するので、
明確に国家と対峙してはいませんが、おそらくそれは国家が上から与えたものではな
く、個人個人がそれぞれに自分の人生を他者に委託して生まれる分業体制(飛行機に
乗ったらそこでの自らの命はパイロットを信頼し委ねるしかない世界)の中で、より
大きな繁栄、より大きな様々な生の可能性を増大化するために、「自生的」に生まれ
育ったものになります。またそれ(市場が誕生し、発展していく事)は王に拠る分配
ではなく、自由なる個人の貨幣を介在させた財の交換が複層的に発展する中での必然
でもあります。

 そして、市場が最後に扇の要の位置でそれを束ねる企業もまた、基本的には上から
ではなく自然発生的に(上を利用するしたたかさはあったとしても)群生した機構で
あって、実際的には社会そのものであると考える事が可能だと思います。

 また、そのように発生する社会は自生的にその社会・機構を秩序立てるために、自
らの法や制度・慣習・文化を育んでいきます。

 柄谷行人は「資本と国家の結婚」という表現で錯綜した現代の状況を比喩しますし、
実際の処、それはそうなのですが、頭の体操として一度整理するなら、国家の法は社
会が自生的に育んだ自らの法を飲み込んではいますが、実際には仮に国家が不在に
なっても、そこには国家ではなく社会の法が存在するのであり、国家警察が暴力装置
として機能しなくても社会が自らの裡に社会の秩序形成を担う暴力装置を育む可能性
を誰も否定できないでしょう。もしその参考文献が必要であれば、『週刊アサヒ芸能』
や本田靖春の『疵─花形敬とその時代』を推薦します。あくまで頭の体操として、で
あれば、資本と国家を一度離婚させて考える事は可能ですし、その意義はあるのだと
思います。

 さて、裸の個人を最初に護る社会は家族であり、家族の中に縦軸としての時間(永
遠性)と横軸としての空間(無限性)を呑み込んだ血族という事になるのでしょうが、
資本主義が土地から人々を離し、農業生産にではなく都市の工場や企業へとばらばら
になった人々を吸い込んで核家族形態が常態となった世界においては、家族は残念な
がら巨大な力を持つ国家と対峙する砦としての有用性を喪失していきます。核家族さ
え脱ぎ捨てられた「無縁社会」においては更にその有用性は疑われるものになるで
しょう。

 しかし、それでもなお社会は国家とは別に存在するのであり、重要なのは何らかの
回路で、どこまで行っても(最後の暴力領域に入らない限りは)リアルではなく抽象
領域にある国家ではなく、実在する手触りや温度を持つ社会に参加する必要があるの
だと思います。

 抽象的な国家のリアルさは赤紙に呼び寄せられ203高地やノモンハン、硫黄島で
銃器に撃ちぬかれるリアル、戦車に踏みつけられるリアル、手榴弾で自決を迫られる
リアル、国会前や新宿駅で抗議する群集の一人として機動隊に頭蓋骨を鈍く重く叩か
れるリアルに他なりません。それは虚構としての国家が(そこは社会契約論の通りに)
実質的には暴力に依拠して存在する機構である事、戦争機械そのものである事、の顕
れでもあります。

 ただ、逆に言えば、確かに石原慎太郎の言うとおり、国家的なものをフィクション
でない肌触りを持つ機構ならしめるためには、徴兵制が暴力的にリアルであるが故に
(肉体的な苦痛という意味でも、暴力を通じて強力な共通体験を持つ仲間が形成され
る、という意味でも)必要になるのも当然です。

 実際、大村益次郎や山県有朋たちが国家創造・国民創出の装置としても国民軍の確
立、徴兵制度の施行を求めたのも理由のない事ではありません。就職に苦しみ、まさ
に新しいニヒルに陥る青年層を救済し、かつ1920年代、1930年代を彷彿させ
る国際情勢にも対処する施策として逆に自衛隊の国軍化、20歳男子への徴兵制度の
施行を打ち出すカリスマ性を帯びた政治家が登場する可能性も、また排除はできない
気がします。ただ、そのカリスマは現代マスコミの好奇の眼にも耐えられるカリスマ
であって、中途半端な立ち位置で国家を語っても、それは冷笑の対象以外の何者にも
なれない気はしますが。

 また、個人的には国家ではなく社会にこそ自らの根を持つ方向こそが、ゴドー待ち
のように新しい国家を語る魅惑的な政治家の誕生を待つよりは実際的であって、とに
かく社会に参加する事こそが、重要ではないか、と思います。突き詰めてしまえば虚
構でしかない国家の再生よりは寧ろ実在する社会の再生を語るべきであって、その社
会を最後に担保するものは、最低限それぞれがそれぞれの人間性を尊重し、相手を同
じ人間として扱うという「倫理」ではないか、と感じています。

 ではどのようなものが社会かと言えば、それは地域の少年野球チームでもあるで
しょうし、テニスサークルでもあるでしょうし、勿論、生計を得る場所でもある企業
でもあるでしょう。大学でもあり、いつも呑みに行く酒場に集う仲間でもあるでしょ
う。英会話学校に通う仲間でも、何かの集会に隣り合わせた人々であるかも知れませ
ん。その中でもとりあえず現在の段階で重要なのは貨幣交換の世界で価値を創造する
主体である企業でしょう。次の段階では貨幣交換ではない人間相互の倫理的な連帯が
国家を超えて人間の生存を保証する世界が展開する可能性はありますが、残念ながら
現段階で重要なのは貨幣交換の世界を如何に国家の暴力から護るかだと感じます。

 このような認識を背景にしての今回の設問への回答となりますが、政府に依存しな
いで生きていくためには社会に参加する事、一義的にはそこで自らの生を担保できる
貨幣を獲得する事、しかし、社会の可能性は広がるので、倫理性を共通項としてまず
は自らがその社会で貢献できる何かを見つけ、その事で自らの生を生きていくという
事ではないか、と思います。少なくとも自室という子宮に閉じ篭っていても何も生ま
れない(なぜならそこには仮想世界での自己充足はあっても、社会=他社と共生する
世界は存在しないから)という事ではないでしょうか。

                           金融機関勤務:三ツ谷誠

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 ■ 水牛健太郎 :日本語学校教師、評論家

「政府の世話にならない」ということの意味を考えますと、たとえ時に失業すること
があっても、だいたいは仕事があって、家計が破たんすることはないという感じで
しょうか。そうして経済情勢や社会の変化にも対応できれば、政府から自立して生き
ているとひとまずは言えるでしょう。

 社会的に評価が確立したスキルを持つというのが一つの回答であることは間違いな
いでしょう。医者や弁護士、大工や職人、スポーツ選手、翻訳・通訳者、作家、音楽
家、研究者・技術者、料理人、美容師、デザイナーなどで、あくまでもその人の能力
次第ですが、一定の評価を得られれば、たとえ戦時であっても食べるには困りません。

 ただ実際にはそうした生き方をしている人はごく一部です。ほとんどの人は、事務
能力とコミュニケーションスキルを用いつつ、ある特定の状況に応じた、一般化しに
くい、あいまいかつ微妙な仕事をしているのが現実です。それでいけないということ
もないと思います。

 アメリカのような社会では全ての仕事を「スキル」として見て、そのスキルに沿っ
た形で求職・求人しています。日本でも最近そうした傾向が出てきていますが、でも
やはりちょっと無理があると思います。スキルで分類すれば多くの人は「営業」なり
「事務」に分類されるわけですが、「カリスマ営業」なんてのはほんの一部であって、
実際は「特殊なスキル」ということではないし、その意味ではほとんどの人は「代わ
りのきく」存在で、何らかの形で失業の恐れはあるというのが現実だと思います。仕
方のないことで、自己啓発セミナーではあるまいし、「全ての人がプロを目指すべき」
なんて非現実的なことは言えません。

 そうした「代わりのきく」存在として、いかにして身の安全を図るべきか。平凡な
答えですが、人間関係が重要だと思います。手近なところではやはり家族・親戚が一
番重要です。早い話が、親が富豪であれば、親との関係さえ保っていれば一生食いっ
ぱぐれません。すねかじりの何のと言われながら、安楽に過ごしていく。それもまた
一つの生き方でしょう。

 しかし、親が富豪というのはやはり少数です。それどころか、何らかの理由で家族
と断絶せざるを得ない人もいます。例えば幼児虐待を受けた人もいます。親がいない
人だっています。ですから、失業した時のことを考えると、職場外の人間関係は大変
重要だと思います。職場での人間関係(顧客を含め)は、しょせん同じ業界の似たも
のどうしであって、情報も限られています。しかも、いったんクビになると関係をつ
なぐことは難しい。視点の違う貴重な生の情報が手に入るのは職場外の人間関係です。
実際、戦後のある時期までは、いわゆる職安よりも親戚を含む知人や友人の紹介で職
を得るというのが一般的でした。

 職場外の人間関係の作り方としては、お酒が好きならば行きつけの飲み屋で友達を
作るというのもありますし、地域活動に参加したり、勉強会、趣味のサークルとかボ
ランティアグループに加わるという方法もあります。できるだけ自分の趣味なり好み
に沿った形で作るのが無理のない形です。頻度は月一回会うぐらいでも構いませんか
ら、数年単位で長く、老若男女取り交ぜて多くの人と付き合うことが大切です。長く
きちんと付き合っていれば、相手が困った時にできることがあればしようという気持
ちになるものです。一人一人の好意は小さくても、そうした知人が十数人もいれば、
有益な情報があることも多いのです。広い意味での安全保障になります。

 そうした人間関係を作るメリットの一つは、自分の好み・趣味に近いところに自分
のキャリアが吸い寄せられていく効果があるということです。「同好の士」に紹介さ
れる仕事は、自分の趣味・好みに近いものである可能性が高いからです。多くの場合、
収入の面では充分ではないかもしれませんが、そうした中で徐々に専門性を磨き、
「代わりのきかない」存在になることもできるかもしれません。今、何の興味もない
仕事をこなしているだけであっても、人間関係の構築から始めれば、二十年後に自分
のやりたい仕事ができている可能性はあります。

                     日本語学校教師、評論家:水牛健太郎


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