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日産自動車の第1四半期決算…営業利益1504億円と高水準(レスポンス)  トヨタ・ホンダは赤字
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/546.html
投稿者 スカイキャット 日時 2011 年 7 月 28 日 04:46:59: 3nXimNhwS3/Ls
 

日産は生き返りましたね。
トヨタはこれを一番恐れていたはず。
経営者の差だね。危機管理と人の使い方において人間を大事にするという視点が大きいのではないか。
ところで、国内販売はまだまだ伸びていないが、来年のハイブリッド車の本格投入で人の見る目が変わるだろう。
トヨタより効率がよい(フーガハイブリッドはクラウンハイブリッドより2割も燃費がいい)ものを投入する。
仕組みを簡単であり、リチウムイオンバッテリの搭載で期待できる。

★本文
日産自動車は27日、2012年3月期の第1四半期(4〜6月期)連結決算を発表した。震災の影響は日本での販売減など限定的であり、営業利益は前年同期比10.4%減となったものの1504億円を確保した。

世界販売は中国が23%増の29万8000台となるなど各地域で好調を持続し、11%増の105万6000台と、同四半期では最高となった。売上高は1.6%増の2兆820億円、純利益は20.3%減の850億円だった。

売上高営業利益率は7.2%と、トヨタ自動車やホンダなど自動車各社の大半が同四半期で赤字に陥る見通しのなか、高い収益率を確保した。震災の影響が軽微だった背景について、田川丈二執行役員は「10年度からの販売の勢いがあり、昨年度末からサプライヤーさんも含め増産の体制を敷いていたことが大きい」と説明した。

同四半期の業績について田川氏は「立ち直りへの確かな足取りとなった。また、08年の世界的な金融危機以降、2年以上続いたリカバリー体制から成長へ向けた舵を切ることができた」と評価した。

http://response.jp/article/2011/07/27/160036.html  

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コメント
 
01. 2011年7月31日 01:00:29: 8sabVgpDK6
フーガ・ハイブリッドだが、下の記事を読む限りでは、当方は以下のように理解している。

トヨタ…運転がつまらない…アメリカ風
日産……運転が面白い………ヨーロッパ風
http://car.watch.impress.co.jp/docs/news/impression/20110114_418150.html

日産フーガは、1モーター2クラッチ方式を新開発したそうで、高速巡航時でもエンジンが停止していることが多いとか。記事を見ていると、運転している時間の半分くらいがモーターだけで走っているそうで、試作車を使った実走テストでは、横浜から鹿児島までの1373kmを無給油で走りきったと言う。またメーター類が充実しているのはトヨタと違う点で、エンジン回転計を装備するところは、操縦を楽しむ欧州志向の考え方だと言えるだろう。

この方向はメルセデスやBMWなど、ドイツの高性能車の方向と同じだ。かつて「技術の日産」と呼ばれただけに、そちらの素地は昔からあった。日産自動車が、昔から日本屈指の高性能な後輪駆動車を出してきたことは有名だ。しかし、設計思想があいまいで高性能に徹しきっていなかったことが顧客の離反を招いた。運転することを意識させないトヨタ流に追従する考え方が社内に強かったのだろう。セドリック・グロリアに、アメリカのキャデラックやリンカーンに使われている豪華車種グレード名「ブロアム」が長らく残っていたことからも伺える。

日産が債務超過の危機に追い込まれルノーの傘下に入ったが、ルノーには日産がどうしても欲しい理由があった。アメリカ市場で確固たるシェアを持っている。シトロエンも含め、フランス車はアメリカ市場に弱い。シトロエンは1973年一杯で対米輸出から撤退したし、ルノーはアメリカン・モーターズを買収してアメリカ現地生産に乗り出したものの、小型車ばかりでアメリカ人の心をつかめず、1987年にクライスラーに売却して撤退していた。日産はアメリカ市場に強い。この魅力は、ルノーにとってのどから手が出るほど欲しかった。

ルノーにとって日産を獲得しなくてはならなかった理由は、他にもある。これはシトロエンもそうだが、戦後のフランス車には後輪駆動の高性能車がなくなってしまったことだ。第二次世界大戦前はヨーロッパでも屈指の高級車のメッカであったフランスだが、第二次世界大戦で国内が戦場になり、国土は荒廃した。これが原因で貴族は没落。亡命先のロンドンからフランスに戻ったドゴール将軍はフランス臨時政府を樹立するが、その後の第四共和制において大型乗用車に対する厳しい累進税率が導入され、大型高級乗用車は姿を消した。1959年に第五共和制初代大統領に就任したドゴール将軍の公用車は、エンジンが1911ccのシトロエンDS19であった。

ルノーの1960年代の最上級車種は前輪駆動のルノー16で、エンジンは1470ccであった。1970年代中頃にルノー、プジョー、ボルボ3社共同開発、生産のドゥブランV6エンジンが登場するが、エンジンは2664cc。これを搭載した前輪駆動のルノー30は、大きかったが高級車と呼べる代物ではなかった。

フランスでは1934年に世界初の前輪駆動大量生産車、シトロエン7CVと11CV(トラクション・アヴァンと呼ばれる)が登場し、戦後は1948年の2CV、1955年のDS19、1957年のID19と前輪駆動車が続き、ルノーも1961年のルノー4で追従した。プジョーも前輪駆動化に取り組み、シムカも前輪駆動に転換した。後輪駆動車はトラック・バスと言った商用車のものになった。フランスの乗用車が前輪駆動方式になったのは、そちらの方が直進安定性や室内の広さなどメリットが大きいからであるが、一方で後輪駆動方式を好む国もあることから、商品力に偏りが出ていた。

高性能な後輪駆動車を持つメルセデスやBMWが、アメリカ市場で1970年代以降、大いに売れ始めた。日産自動車も大ヒットした240Zを持っていたし、300ZXも売れた。1990年代になるとライバルはアメリカ市場に上陸するドイツ勢となり、メルセデスやBMWに対抗するインフィニティを登場させた。日本では売れなかったがアメリカではヒットし、確固たる市場を築いた。ルノーにないものが日産にはあったのである。

ルノーは日産を買収すると、ゴーン氏が日本にやってきた。それで気に入ったのがスカイラインGT-R。毎日運転していたと言う。彼は運転が好きで、とても気に入った。ルノーにはない、後輪駆動車の技術がある。これはメルセデスやBMWのライバルに育成できる。それには、旧経営陣にあった、あいまいな設計思想を捨て去ることだと気がついた。そして徹底的なドライバーズ・カーを開発することを決めた。その方針がようやく花開こうとしている。

フーガ・ハイブリッドは、トヨタによってつくられたハイブリッドの固定観念、「運転が面白くない自動車」のイメージを突き崩すことに成功するだろう。ゴーン氏の自動車に対する姿勢の正しさが証明されると思う。


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