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さよならアメリカ、さよなら中国・・TPP的な消費嗜好が「資本主義の突然死」に接近する
http://www.asyura2.com/11/hasan73/msg/862.html
投稿者 尚林寺 日時 2011 年 11 月 01 日 08:49:04: JaTjL5JPya4go
 

http://blog.tatsuru.com/2011/10/31_0943.php

「TPP加盟でアメリカ市場における日本車のシェアは上がるのでしょうか?」
「多少は上がるでしょう」というのが答えであった。
アメリカの消費者は同程度のクオリティであれば、ブランドというものにほとんど配慮しないからだそうである。
トヨタが3200ドルでヒュンダイが3000ドルなら、大半の消費者は迷わずヒュンダイを買う。一円でも安ければそちらを買う、というのは、私の定義によれば「未成熟な消費者」ということになる。

「成熟した消費者」とは、パーソナルな、あるいはローカルな基準にもとづいて商品を選好するので、消費動向の予測が立たない消費者のことである。
同じクオリティの商品であっても、「国民経済的観点」から「雇用拡大に資する」とか「業界を下支えできる」と思えば、割高でも国産品を買う。あるいは貿易収支上のバランスを考えて割高でも外国製品を買う。そういう複雑な消費行動をとるのが「成熟した消費者」である。
「成熟した消費者」とは、その消費行動によって、ある国の産業構造が崩れたり、通貨の信用が下落したり高騰したり、株価が乱高下したり「しないように」ふるまうもののことである。

資本主義は「勝つもの」がいれば、「負けるもの」がいるゼロサムゲームである。
この勝ち負けの振れ幅が大きいほど「どかんと儲ける」チャンスも「奈落に落ちこむ」リスクも増える。だから、資本主義者たちは「振れ幅」をどうふやすかに腐心する。シーソーと同じである。ある一点に荷重をかければ、反対側は跳ね上がる。
どこでもいいのである。ある一点に金が集まるように仕向ける。
「金が集まるところ」に人々は群がり、さらに金が集まる。
集まった金をがさっと熊手で浚って、「仕掛けたやつ」は逃げ出す。
あとには「そこにゆけば金が儲かる」と思って群がってきた人間たちの呆け顔が残される。その繰り返しである。

このマネーゲームが順調に進むためには、消費者たちはできるだけ未成熟であることが望ましい。商品選好において、パーソナルな偏差がなく、全員「同じ行動」を取れば取るるほど、「振れ幅」は大きくなる。
★だから、資本主義は消費者の成熟を好まない。
同じ品質なら、一番安いものを買うという消費者ばかりであれば、サプライサイドは「コストカット」以外何も考えなくて済む。消費者の成熟が止まれば、生産者の成熟も止まる。

現に、そのような「負のスパイラル」の中で、私たちの世界からはいくつもの産業分野、いくつもの生産技術が消滅してしまった。アメリカの消費者は「未成熟」であることを求められている。
アメリカのように、人々の文化的バックグラウンドがばらついている移民社会では、不可解な消費行動はその人が「なにものであるか」についての情報(おもに収入についての情報)をもたらさないからである。アメリカの消費者は単純な行動を社会的に強制されている。私はそういうふうに理解している。

★TPPというスキームは前にも書いたとおり、ある種のイデオロギーを伏流させている。それは「すべての人間は一円でも安いものを買おうとする(安いものが買えるなら、自国の産業が滅びても構わないと思っている)」という人間観である。

現に日本では1960年代から地方の商店街は壊滅の坂道を転げ落ちたが、これは「郊外のスーパーで一円でも安いものが買えるなら、自分の隣の商店がつぶれても構わない」と商店街の人たち自身が思ったせいで起きたことである。

ということは「シャッター商店街」になるのを防ぐ方法はあった、ということである。
「わずかな価格の差であれば、多少割高でも隣の店で買う。その代わり、隣の店の人にはうちの店で買ってもらう」という相互扶助的な消費行動を人々が守れば商店街は守られた。「それでは花見酒経済ではないか」と言う人がいるだろうが、経済というのは、本質的に「花見酒」なのである。

落語の『花見酒』が笑劇になるのは、それが二人の間の行き来だからである。あと一人、行きずりの人がそこに加わると、市場が成立する。その「あと一人」を待てなかったところが問題なのだ。
商店街だって店が二軒では「花見酒」である(というか生活必需品が調達できない)。
何軒か並んで相互的な「花見酒」をしていれば、そこに「行きずりの人」が足を止める。循環が活発に行われている場所に人は惹きつけられる。
だから、何よりも重要なのは、「何かが活発に循環する」という事況そのものを現出されることなのである。

「循環すること」それ自体が経済活動の第一の目的であり、そこで行き来するもののコンテンツには副次的な意味しかない。
「一円でも安いものを買う」という「未熟な」消費行動は、多くの場合「商品の循環」を促す方向に作用する。けれども、つねに、ではない。
後期資本主義社会においては、それがすでに商品の循環を阻害する方向に作用し始めている。それがこの世界的な不況の実相である。

★未熟で斉一的な消費行動の結果、さまざまな産業分野、さまざまな市場が「焼き畑」的に消滅している。資本主義は「単一の商品にすべての消費者が群がる」ことを理想とする。そのときコストは最小になり、利益は最大になるからである。
けれども、それは「欲望の熱死」にほとんど隣接している。
商品の水位差がなくなり、消費者たちが相互に見分けがたい鏡像になったところで、世界は「停止」してしまう。★資本主義はその絶頂において突然死を迎えるように構造化されている。私たちは現に「資本主義の突然死」に接近しつつある。

それはとりあえず「消費者の成熟」というかたちをとることになるだろう。
「パーソナルな、あるいはローカルな基準によって、予測不能の消費行動をとる人になること」、資本主義の「健全な」管理運営のために、私たちが今できることは、それくらいである。
★TPPは「国内産業が滅びても、安いものを買う」アメリカ型の消費者像を世界標準に前提にしている。まさにアメリカの消費者はそうやってビッグ3をつぶしたのである。

だが、それについての深刻な反省の弁を私はアメリカ市民たちからも、ホワイトハウス要路の人々からも聞いた覚えがない。
日本の車がダンピングをしているというタイプの非難はあったし、自動車メーカーにコスト意識が足りないとか、労働組合が既得権益にしがみついたという指摘はあった。だが、「アメリカの消費者はアメリカの車を選好することで国内産業を保護すべきだった」という国民経済的な視点からの反省の弁だけは聞いた覚えがない。

ビッグ3の売る車の品質に問題があろうと、燃費が悪かろうと、割高であろうと、それが彼ら自身の雇用を支えている以上、国民経済的には「つぶしてはならない。だから、泣いてキャデラックに乗る」という選択を「成熟したアメリカ市民」はしてよかったはずである。
でも、しなかった。誰も「しろ」と言わなかった。している人間を褒め称えることもしなかった。
そこからわかることはアメリカには「国民経済」という視点がないということである。
「二億五千万人をどう食わせるか」ということは政府の主務ではないということである。

★TPPの問題は「国民経済」という概念をめぐる本質的な問題である。
もう一つ、中国での工業製品生産はもう終わりだ。これからの生産拠点はインドネシアだ」「これから『川上』の経済活動を牽引するのは中国ではない、インドだ。
中国の没落は私たちの予想よりもずいぶん早い可能性がある。
というわけで、アメリカと中国は「もうそろそろ終わり」という話を・・(中略/内田樹)


 

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コメント
 
01. 2011年11月01日 17:17:09: y2UYF1WZ2I
どこでもいいのである。ある一点に金が集まるように仕向ける。
「金が集まるところ」に人々は群がり、さらに金が集まる。
集まった金をがさっと熊手で浚って、「仕掛けたやつ」は逃げ出す。
あとには「そこにゆけば金が儲かる」と思って群がってきた人間たちの呆け顔が残される。その繰り返しである
------------------------
その通り。

そしてこのプロセスの演出は、中央銀行とメディアを牛耳る者にとっては造作もないことである。


02. 2011年11月01日 22:35:17: jLYH3uUUCc
行過ぎた金融市場原理主義とグローバリズムという形での資本主義が終焉を迎えることはあるだろうが、多分突然死的な終わりにはならないと思う。 ギリシャ・ポルトガル・アイルランドの国債は、最終的にはドイツ・フランスなどが負担することで収まるんじゃないか。 仮にギリシャ国債をデフォルトにしてしまえば、CDSという時限爆弾が爆発する恐れがある。 CDSが連鎖反応を引き起こせば、世界中の金融機関が破綻せざるを得ない。 何しろ金額が天文学的数字になっているから、如何なる国家もそれを救済することは不可能だろう。 どの道最後には破綻するとしても、未練たらしく何時までもぐずぐずとした展開になる。 EUとアメリカの破綻、或いはチャイナの崩壊の何れが先になるのかどうかだが、チャイナの内乱による破綻の方が先に去るような気がする。 十年先と言うような余裕は無いだろうから、数年以内に世界中の金融機関が破綻する事態がやってくる。 日本も否応なしに巻き込まれるから、この先あまり楽しい話は無いと思うね。 N.T

03. 2011年11月02日 06:47:48: ZJrdqRMEkc
グローバルな企業活動の尻拭いを、ローカルな国家が国民の血税を使って行う、ということがEUで起ころうととしている。
儲けて笑っているのは一部の資本家で、搾取される国民こそいい面の皮である。
この捩れた資本主義(本来の、というべきか)を正すのは、世界国家の樹立か、若しくは革命の結果の(ホンモノの)共産主義かもしれない。

04. 2011年11月05日 17:39:05: cWDAFxlXS2
「成熟した消費者」とか「国民経済」と言う観点で見ると、アメリカやイギリスやオートスラリアと言った、いわゆるアングロサクソン系国家は欠けていると言わざるを得ない。1980年代、日本メーカーが自動車を欧米諸国に集中豪雨的輸出を行なっていた頃、日本車が爆発的に売れたのがアメリカ、イギリス、オーストラリアと言った諸国であった。これに対し、フランスや西ドイツは日本車があまり売れなかった。

当時、欧米諸国は日本車のシェアが高まらないように日本に圧力をかけていたが、その輸出枠を使い切らなかった国々がフランスや西ドイツだ。これについて彼らに聞いたことがある。「日本車には多少、興味はあるよ。しかしフランス人は、自国の経済を考えるからね。日本車を買ってフランス車の販売が減ったら、失業してしまうよ。」自らの雇用に跳ね返ってくることを彼らは警戒していたのである。

これに対し、イギリス人は自国の自動車メーカーが売れずに苦しんでいるのに、雇用のために積極的に自国の製品を買わなかった。1980年代の自動車版「ワールシュタットの戦い」(註 モンゴル帝国のヨーロッパ侵略を食い止めた戦い)に生き残ったのはフランス、西ドイツ、イタリアの旧フランク王国だったのに対し、ブリテン島は敗退したのである。

参考 ワールシュタットの戦い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

オーストラリアでも日本車は増えたが、彼らは今では韓国車に乗りつつある。これはアメリカでもそうだ。日本車の次は韓国車だと、アングロサクソン諸国は考えているようだ。


05. 2013年7月11日 13:49:52 : UpteQ6Xc3k
でも中身は日本製

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