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元巨人軍オーナー 正力亨氏死去
産経新聞 8月15日(月)11時12分配信
プロ野球巨人軍の名誉オーナーで読売新聞グループ本社社主、正力亨(しょうりき・とおる)氏が15日、敗血症のため、東京都港区の北里研究所病院で亡くなった。92歳だった。
近親者による密葬が執り行われるが、遺族の希望で弔問、弔電、香典、供物、供花は辞退。後日「お別れの会」が開催される予定。
正力氏は大正7(1918)年10月24日、東京都生まれで、プロ野球の創設者、故松太郎氏の長男。昭和39年から平成8年まで巨人のオーナーを務め、ロサンゼルス・ドジャースの故ウォルター・オマリー会長の球団経営法を手本に、フロントの組織化に尽力した。
また、松太郎氏の遺訓である「巨人軍は常に強くあれ」「巨人軍は常に紳士たれ」「巨人軍はアメリカに追いつけ、そして追い越せ」を奨励させ、球界のリーダーとしての役割を自覚させた。
平成3年5月に現オーナーの渡辺恒雄氏が読売新聞社長に就任して以来、巨人の実権を失い、同8年12月、巨人の経営母体「株式会社よみうり」の役員会で渡辺氏がオーナーに就任、正力氏は名誉オーナーになった。
正力氏は旧制・慶応普通部で投手兼四番打者として活躍。慶大では野球部のチーフマネジャーを務めた。昭和17年、慶大経済学部卒業。王子製紙を入社後、兵役。19年5月海軍主計大尉。復員後、王子製紙復社、湘南振興取締役などを経て31年、読売新聞社入社。34年、監査役、同35年、取締役などを歴任、同39年には報知新聞社社長に就任した。
昭和56年、米国ベロビーチ市名誉市民、グアム名誉大使、名誉市民などを贈られた。
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最終更新:8月15日(月)11時32分
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