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マスターマインド
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投稿者 taked4700 日時 2012 年 1 月 15 日 20:33:22: 9XFNe/BiX575U
 

http://blog.goo.ne.jp/leonlobo2/e/794fd7246a53546f274ef46bb05344bb

マスターマインド
2010年12月30日 02時52分28秒 | 時事・評論


 われわれは常にメディアを通して外の世界に接している。メディア以外のチャンネルはほとんどない。書物は書かれてから出版されるまでに相応の期間を要する。既存のメディアを脅かすようなインターネット・メディアも登場していない。結局、われわれは、隣町の出来事でさえ、メディアから知るのだ。

 そのメディアは世界の実相を正確に伝えているわけではない。われわれのところに届く前に、情報は選別され、不要なものを切り落とされ、適度なサイズに整えられ、そしてラッピングされて出てくる。元がどのような状態であったかは切り身から想像するのは難しい。われわれは、生まれたときからこうした加工情報に接しているので、それが正常な状態だと信じて疑わない。海の中では、きっとさまざまな切り身が泳いでいるのだ。

プロパガンダ・メディア
 
 戦時中の報道が、現実とは程遠いプロパガンダに満ちていたことは誰でも知っている。第二次世界大戦中、同盟通信が伝える連戦連勝また連勝の戦況を日本国民の大半が信じ続けた。戦後の長い冷戦期間中も、東西のメディアがプロパガンダ合戦を展開した。戦時や冷戦期間の報道を見れば、誰にでも子供だましのプロパガンダであることが分かる。われわれはすでに、すべての経過と結果を知っているからだ。

 しかし、現在の報道が、戦時報道とは別物だという保証はない。戦争が終わっても軍隊は存続している。軍備は近代化され増強され続けている。報道が、戦時プロパガンダから客観報道に切り替わったという根拠はどこにもない。プロパガンダ手法も、近代化され強化されているかも知れない。

 いまから50年後の人々が、過去を振り返り、いまわれわれが接している報道を概観すれば、メディアが煽る「テロの脅威」や「核拡散の脅威」は、子供にも張りぼての絵空事と映るだろう。21世紀初頭の人々は、こんな見え透いた報道を頭から信じていたのかと笑われるに違いない。しかし、現在を生きる当事者には、自分の生きる時代のことは簡単には見えない。

 西側世界は、冷戦期間中、共産主義の邪悪な野望や核戦争の脅威というプロパガンダを真に受け、莫大な税金を投入してアメリカ製の高価な兵器を導入し、アメリカ軍に恒久的な基地を提供し、稼いだ外貨をアメリカ国債につぎ込んだ。そして、アメリカの核の傘下に入って、ようやく安心して眠ることができた。しかし、すべてはアメリカ政府とメディアが描く架空の脅威を信じた結果だ。壮絶な無駄の歴史というしかない。

 メディアがスーパーパワーとして描き続けた悪の帝国ソビエト連邦は、1991年にあっけなく崩壊する。それは、到底、帝国の崩壊と呼べるようなものではなかった。どこかの小さな独裁国家が倒れるような感じだ。もちろん、そんな事態を予想していた者は西側世界にはいなかった。自分だけは予想していたと主張している人はたくさんいるようだが。

 冷戦期間中、メディアはソ連の実態を分析する能力など持っていなかったし、その必要もなかった。何を報じるべきかはあらかじめ決まっていた。筋書きに合うような報道を心がけていればよかった。メディアにとって現実などまったく意味を持っていない。筋書きに沿って、メディアが架空の世界を現実以上にリアルに描く。

都合のよい歴史

 不甲斐ない悪の帝国ソ連の自壊によって、地球滅亡という架空の脅威が取り除かれてしまった。世界が平和になってしまうと、もはや誰もアメリカの庇護を必要としなくなる。アメリカ製の兵器も基地も国債もいらなくなる。世界平和とともに、アメリカの圧倒的覇権構造は終焉する。そんな事態は筋書きのどこにも想定されていない。

 1989年11月、ベルリンの壁が崩壊。
 1990年8月、イラクがクウェートに侵攻。
 1991年1月、湾岸戦争勃発。
 1991年12月、ソビエト連邦崩壊。

 ベルリンの壁が崩れてからソビエト連邦が崩壊するまでの期間に、湾岸戦争がサンドイッチされている。イラクのクウェート侵攻で、世界はサダム・フセインの暴挙に激怒した。メディアは、原油まみれの水鳥に関する事実誤認報道やクウェート人少女の捏造証言を大々的に取り上げて、短期間でフセインの極悪イメージを世界に定着させた。新たなる脅威と憎悪の対象が世界の脳裏に焼きついたところで、悪の帝国ソ連が幻のように国際舞台から退場した。

 91年の湾岸戦争では、アメリカを中心とする多国籍軍の猛攻により、クウェートに侵攻していたイラク軍はあっという間に崩れ去り、イラク領内へと押し返えされた。そのままフセイン政権を打倒することは容易であったにもかかわらず、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領は停戦を宣言し、イラク軍とフセイン政権を温存した。以後、2003年のイラク戦争(第2次湾岸戦争)まで、『大量破壊兵器』を開発するフセインの脅威が世界に強調された。しかし、超大国旧ソビエト連邦に比べると、イラク一国の脅威はどう考えても限定的だ。

 1998年7月、ケニア・タンザニア米大使館同時爆破事件発生。
 2001年9月、ニューヨークで911事件発生。
 2001年10月、有志連合、アフガニスタンを攻撃。タリバーン政権崩壊。
 2003年4月、イラク戦争(第2次湾岸戦争)。フセイン政権崩壊。

 98年のケニアのナイロビとタンザニアのダルエスサラムで発生したアメリカ大使館に対する同時爆弾攻撃で、オサマ・ビンラディンとアルカイーダの名がワールドワイドにデビューした。そして、衝撃的な911事件の発生により、世界の脅威は、単品の極悪フセインからビンラディンを頂点とする実体不明の組織アルカイーダのテロへと移行した。

 アフガニスタンは、タリバーン政権がビンラディンを匿っているとして爆撃され、占領された。しかし、タリバーンの評議会はビンラディンが自主的に国外退去することを促すよう政権に勧告し、ビンラディンを匿う意志のないことを示していた。続いて、イラクも、大量破壊兵器の保有とアルカイーダとのリンクを理由に爆撃され、占領されたが、イラクには大量破壊兵器は存在せず、アルカイーダとの関係もなかった。

 両国は、爆撃占領される理由などなかった。しかし、理由などはどうでもよく、すべては最初からの筋書きなのだ。爆撃占領の既成事実さえ作ってしまえば、世界はその事実を受け入れる。理由の正当性など問題にはされない。アフガニスタンとイラクは、アメリカの要求をすべて受け入れたとしても爆撃される運命にあった。対テロ戦争を歴史の中で華々しく打ち上げるためには、アフガニスタンとイラクの爆撃は不可欠だった。

 アフガニスタンは容赦なくハイテク兵器で爆撃されたが、実に不思議なことに、ビンラディンもタリバーンの指導者オマル師も補足されなかった。米軍は、オマル師の潜伏地域を包囲していたにもかかわらず、オマル師はバイクで逃走したとされている。

 ビンラディンにいたっては、車とトラック1000台を連ねた大コンボイで逃走したと報じられている。ハイテク機器を駆使し、昼夜を問わず空から対象を監視できる米軍が、1000台もの車両を補足できなかったというのか?要するに、91年の湾岸戦争でサダム・フセインを打たなかったのと同じだ。生かしておかなければ、後々の脅威を演出できなくなる。

 ビンラディンが1000台の車両とともに忽然と消えたことで、冷戦からテロの世紀へのバトンタッチが完了した。

 結局のところ、極悪フセインとは、冷戦からテロの世紀への中継ぎ役だった。役目を終えたフセインの扱いはひどくおざなりだ。フセインの捕縛劇では、穴に隠れる臆病な小動物のようにフセインを描いている。そして、彼の処刑は、携帯で撮影された暗い不鮮明な動画の流出という形で世界に伝えられた。世界の憎悪を一身に負った人物の処刑というより、利用価値のなくなった邪魔者の適当な処分だ。

 世界の脅威は、ビンラディン率いるアルカイーダに移った。今回の敵は国家ではないので、さまざまなメリットがある。恒久的な陣地も固定されたメンバーもいないので、壊滅できないという設定が成り立つ。架空の国家を造ることはできないが、架空の組織ならいくらでも作れる。もともと存在しなければ、そもそも壊滅できない。いつまでも脅威として存続させることができる。ソ連のように自壊する心配もない。ジョージ・W・ブッシュ大統領は、911事件のあと対テロ戦争について「この戦いは5年で終わるかも知れないし、50年続くかも知れない」と示唆的なことを述べている。

 脅威による支配には問題点もある。人の感覚は持続しないということだ。核攻撃の脅威をいくら煽っても、毎日空を見上げて弾道ミサイルが飛んでくるか心配する人はいない。恐怖や憎悪というのは、日常の雑務によって案外簡単に脇に押しやられる。定期的に思い出させてやらなければならない。

 幸いテロは、発射してはいけない核弾頭ミサイルとは違って、実際に爆弾を破裂させることができる。いつどこででも簡単に爆発させ、効果的に脅威を演出できる。費用もかからず、ほんの数人単位で実行できる。

 2002年10月、インドネシア・バリ島の繁華街で爆弾事件発生。
 2004年3月、スペイン・マドリッドで列車同時爆破事件発生。
 2005年7月、イギリス・ロンドンで地下鉄バス同時爆破事件発生。
 2005年10月、インドネシア・バリ島でレストラン同時爆破事件発生。
 2005年11月、ヨルダン・アンマンでホテル同時爆破事件発生。

 アジア、欧州、中東と適度に爆弾事件が散らばっている。これら主だった事件以外にも各所で爆弾が炸裂している。爆弾が爆発すると、決まってアルカイーダの犯行を匂わす報道がなされる。実際、アルカイーダ"関連"の組織やアルカイーダの幹部が犯行声明を出すこともある。だが、誰もが関心を失ったころ、アルカイーダとの関連を否定するような報道が小さく流れたりする。

 マドリッドの事件では、アルカイーダ系の組織から犯行声明が出されていたにもかかかわらず、最終的にアルカイーダとはまったく関係がないと結論付けられた。ロンドンとアンマンの事件は、公式発表では自爆とされているが、自爆ではない可能性が高い。たいていの爆弾事件で、不自然な事例が数多く指摘される。しかし、人々の記憶には、すべての事件はアルカイーダの犯行であるという印象が残る。それが重要なのだ。細かい矛盾をいちいち気にする者はそれほどいない。

 われわれは、存在しないものに怯え、あるいは憎悪するように仕向けられている。架空の物語を現実であるかのように描くのがメディアの役割だ。メディアは戦時プロパガンダの時代からその本質は何も変わっていない。

マスターマインド

 メディアが権力から独立することはあり得ない。権力の動静に最も敏感なのがメディアであり、権力の意志を適格に代弁することがメディアの使命だ。メディアはわれわれの思考や感情を誘導する道具として機能している。では、メディアに接しなければいいのかというと、それは現実的ではない。メディアには十分利用価値がある。メディアの報道から逆にさまざまなことが読み取れる。報道を注意深く観察すれば、いままでとは違ったものが見えてくる。

 そうした作業を誰かがやってくれるなどと考えたら大間違いだ。人の解説などをあてにした時点で自分を喪失する。すべて自分自身でやらなければ意味がない。一つの事象を1000人が観察すれば、1000の見え方があっていいのだ。唯一絶対の答えなどこの世には存在しない。学校教育の輝かしい成果は、問いには正しい答えが一つだけ存在すると考えてしまうことだ。その結果、まったく見当違いなものをつかんでしまう。重要なのは、自分にはどう見えるかだ。照らし合わせるべき正解はどこにも存在しない。

 われわれは、何かを観察し、考えるとき、答えを導き出さなければならないと思い込む。思考するということは、解答を導き出す行為だと信じている。逆に言うと、解答を得られなければ思考する意味がないと考える。そうした固定観念は捨てるべきだ。

 学問の世界では、成果を得るのに何世代もかかることさえある。1年や2年、5年や10年考えたくらいで成果を得られると思ったら大間違いだ。探求し続けることが重要なのだ。まず体に染み付いた解答信仰を捨てることからはじまる。正解はどこにもないのだ。

 われわれは性急に答えを求めすぎる。その結果、何か出来事が勃発すると、翌日には、メディアが解説してくれるだろうと期待する。それは、思う壺だ。養殖魚のように与えられたものは何でも口にしてしまう。そういう状態に慣れてしまっている。人間と格闘してきた岩魚や山女はおいそれとは擬似餌を口にしない。

 自分の知りたいことは、時間をかけて自分で観察し、そしてじっくり考えるべきだ。他人の解説など害以外の何ものでもない。メディアが供給する解説や論説は、考えさせないためにある。メディアが撒き散らす安易で陳腐な解説を飽食しているうちに、思考は阻害され、感情は乗っ取られる。

 しかし、メディア報道を観察対象として捉え、適度な距離を置いて接すれば、一転して立場は逆転する。精悍な野生の魚に戻る。そうしてようやくメディアと対等に対峙できる。情報を与えてもらう立場から、撒き散らされる情報を精査する立場に変わる。そうした作業に慣れてくれば、さまざまなものが見えてくる。ここで必要となるのは、知識ではなく、思考の柔軟性だ。先入観や固定観念に縛られていては何も見えない。性急に成果を得ようとせず、とことん観察しなければならない。もちろん、長い長い作業になる。しかし、誰にも頼らず自分自身の頭脳で考える充実感を味わうことができる。


 映画や小説にはよく超越的指導者が登場する。マスターマインドだ。主人公は、マスターマインドの教えを忠実に守り、一心不乱に努力する。教えに疑問を抱くような不埒な主人公はいない。従順こそ勇者の美徳なのだ。そして、ついに主人公は超人的能力を獲得する。すべてはマスターマインドのおかげだ。こうした構図は、単なる盲従を奨励している。勇者になりたければ何も考えずに従え、と。

 人がメディアの解説をあてにするのも同じ原理だ。メディアは常に教えを垂れるマスターマインド役だ。権威あるメディアの報道を従順に受け入れる姿勢が、読者と視聴者に要求される。考えるのは、マスターマインドの役目なのだ。よく見渡せば、あらゆるところにマスターマインドが潜んでいる。テロの世界にもマスターマインドが存在する。没個性のマスターマインドと思考能力を捨てた勇者との心温まる関係は、あらゆる時代、地域、文化に通用する黄金パターンかも知れない。

 誰でも自分自身の頭脳を持っている。ありがたいマスターマインドはまったく必要ない。  

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コメント
 
01. 2012年1月16日 23:08:00 : txKoq6KBVw
でもねえ、そうすると読まなきゃいけないものが多すぎるんだよ
新聞やテレビだと上手くまとめてあると思えてつい頼ってしまうんだろうね。
今の時代、速読法は必修かな。

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