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ネット論壇進化論 ── ネット論壇はマスゴミ論壇を超えたのか? (文藝評論家・山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』)
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/603.html
投稿者 明るい憂国の士 日時 2012 年 1 月 25 日 11:50:10: qr553ZDJ.dzsc
 

http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20120125/1327422747
2012-01-25

ネット論壇進化論 ── ネット論壇はマスゴミ論壇を超えたのか?


ネット論壇進化論ーーネット論壇はマスゴミ論壇を超えたのか? 最近、新聞・テレビ・週刊誌類を覗いていると、ネットのパクリやネット情報の受け売りが少なくないことに気付いて愕然とすることが多い。今週のテレビタックルでは、さかんに野田総理の二年半前の「マニフェスト演説」がメインテーマとして論ぜられていたが、これもネット情報の受け売りである。「一市民T」氏の検察審査会論議も、「日刊ゲンダイ」その他が、「後追い」し、「受け売り」している。その他、枚挙に暇がない。さて、今度は、ネットを中心に政治経済評論を展開する天木氏と植草氏による「天木・植草時事対談」が、動画配信されるという。これは、テレビの「時事放談」に対抗・挑戦するものだろう。今や「マスゴミ論壇」は、利権とパクリの温床、奴隷が跋扈する植民地文化人の巣窟(ゴミダメ)と化している。そこに本質的な批評や言論があるとは誰も考えないだろう。多くの日本人が、批評や言論の再生の可能性は「ネット論壇」にしかないことに気付き始めた。「天木・植草時事対談」の動画配信開始は、我が国の論壇にとって画期的な意義を、つまり歴史的、革命的意義を有することになろう。


ネット論壇について語る人と言えば、みずからは新聞や雑誌、テレビを主な仕事場にして、ただネットやネット情報に詳しいという人が多い。若いネット評論家とかネットジャーナリストとかいう人に限ってそうである。彼等は、厳密な意味ではネット論壇で活躍している人でもネット論壇を仕事場にしている人でもない。そういう人は、ネットやネット論壇の可能性を語るが、同時にネットやネット論壇の弊害、限界・・・を語る。しかしそういう人たちはネット論壇やネット言論の可能性を限界まで追求したことはない。所詮、マスゴミ依存の三流マスコミ人間である。

彼等とは違って、文字通りネットやネット論壇を仕事場にして、そこで言論闘争を続けている人たちがいる。様々な理由から「ネット論壇」を言論闘争の場として選択した人たちである。彼等が繰り広げる言論空間こそ「ネット論壇」と言うべきだろう。

テレビや新聞、週刊誌での活躍を夢見ている若いネット評論家やネットジャーナリストたちのように、彼等はネット論壇を、マスコミへ売り出すためのステップと考えていない。

マスコミでできない事を、ネット論壇でやろうとしている。僕の狭い知見の範囲内で言えば、植草一秀、天木直人のような人たちである。無論、彼等の周りには、無数の匿名の表現者たちがいるだろう。

今、日本の論壇もジャーナリズムも死んでいるが、可能性があるとすれば、彼等が言論闘争を繰り広げているネット論壇であろう、と僕は思っている。


 文藝評論家・山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』Blog


 

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コメント
 
01. 2012年1月26日 02:33:40 : 4940NtmcT2
あらしが書く文など引用されないほうがいい。
---------------------------
[毒蛇] 多重アカ11個目@はてなAdd Star
山崎行太郎が、また、はてなで新アカウントを作成している。

メイン日記(id:dokuhebiniki)のコメント欄を開けるのは怖いのだろうが、わざわざ新アカウント(id:yama31517)を取得して毒蛇日記=掲示板のコピーブログを作成し「コメント掲示板」と称するとは、ややこしいことをするもんだ。

メイン日記から「掲示板」へのリンクはもう新アカウント(id:yama31517)宛てに書き換えられている。掲示板の代替として急遽作成したのかと思ったが、毒蛇日記=掲示板はまだ稼動している。荒らされた形跡はない。それなら掲示板をそのまま使っていればよさそうなものだが? 山崎にはコピーブログ作成を繰り返す妙な習性があるので今回のもその発作だろうか。

これで山崎のはてなアカウントは11個目。疑わしいものも含めると計14個。いくらなんでも多すぎ。去年5月にリストしたが(下記「関連エントリー参照)、再度まとめておく。
山崎行太郎のアカウント@はてな(確定)

id:dokuhebiniki(2003年11月)、id:kaimondake(2004年1月)

id:cogitoergosum(2004年6月)、id:yamasaki3(2004年6月)、id:tanigawadake(2004年7月)

id:nomatakeshi(2005年8月)、id:shintoshinpen(2005年8月)*1

id:yamazakikotaro(2007年5月)、id:satumahanntou(2007年5月)、id:makurazaki(2007年5月)

id:yama31517(2008年4月)
要注目アカウント

id:nankin-jiken(2005年7月◆)、id:ahoudorinikki(2005年7月◆)、id:baka-to-ahou(2005年7月◆)

(◆は2005年7月から11月にかけてコメント欄荒らし等に悪用されたもの。*2)


02. 2012年1月26日 07:21:05 : 8dKCLC0Lxo
政府の規制が少ないネットだから玉石混淆なのは当然で、論壇とは呼べないような誹謗中傷モノもあまたみかけるのだが、良質なものに注目するとネットは夙にマスゴミ論壇を超えている。つい先日も毎日新聞が高村薫という作家の小沢裁判傍聴記なるものを掲載し、その見識の低さをこの阿修羅でも暴露されたことが好例だが、昨年の福島第一事故以来、原子力・放射能問題についてはネットに較べてマスゴミ論壇は殆どまともな議論を提示できなかった。いやこうしたことはもっと早くから起こっていて、例えば、陸山会事件でも、この阿修羅で収支報告書の会計処理について、有名会計士・弁護士などより遥かに理路整然とした解説を続けて下さった方がいた。これこそ、ネット論壇の本質で有名・無名に関係なく只内容のみが(読者の読む)動機になるという直截性。有名新聞だから有名作家だから読むという動機、有名だから読んだ内容に同意するという催眠から解放されて、ただ、内容のみを批判し、賛同するという直截性こそがネット論壇の本質ではないだろうか。
マスゴミは死んだ。死してなお蠢き悪臭を放っている。

03. 2012年1月26日 07:37:12 : vtaXSg5Mqs
 イザという場でkm2295というネームにより「日々雑感」を公開している者です。日本の大手マスコミの酷さには呆れ果てていますが、せめてもの救いはネットの中に自分の頭で考え、自分の言葉で発信する人たちが増えていることです。
 まだまだ既存大手マスコミと比べれば巨象と蟻ほどの力関係ですが、確実に着実に成長しています。これから日本社会が特定の人たちによる世論操作の利かない、真に自由な言論空間になるのもネット市民の成長とともに確実ではないかと期待しています。

04. 2012年1月26日 08:50:20 : 26KVKZFDq2
>マスゴミ依存の三流マスコミ人間

三流評論家で2ちゃんねらーの山崎とやらは
マスコミから永遠に無視され続けるだろうね。


05. 2012年1月26日 19:37:15 : g5YNM3KfF2
02さん、03さんに賛同します。

>有名新聞だから有名作家だから読むという動機、有名だから読んだ内容に同意するという催眠から解放されて、ただ、内容のみを批判し、賛同するという直截性こそがネット論壇の本質ではないだろうか。

>これから日本社会が特定の人たちによる世論操作の利かない、真に自由な言論空間になるのもネット市民の成長とともに確実ではないかと期待しています。

■阿修羅とマスゴミの違いを挙げてみたい。

@まず動機が決定的に違うために比較的に内容の客観性や公平さが担保される。

マスゴミは利権集団の広報機能を果たすことによって対価を得るビジネスであり、そのために内容が極めて偏向し、場合によっては捏造される。そもそも広告・宣伝を収入源としている民放に客観的、公平な情報を期待するのは土台無理な話だ。

修羅に書き込んでいる方々は「カネ」をもらっているわけではないので動機がフリーである。(中には機密費等をもらってアルバイトで書いているのも少し混じっているようだが)

Aマスゴミの限られた紙面、限られた時間の中では情報に十分な付加価値がつけられない。

新聞のあの限られた紙面に政治・経済・社会のニュース、スポーツのニュース、株式欄、テレビ・ラジオの番組、広告、家庭欄、・・・・ありとあらゆるごった煮の記事を載せなければならない。テレビ番組の中には十分な情報を提供できるケースもまれにあるが総体としてはムリである。

正確に理解されるに十分な情報を提供することはマスゴミにはとてもムリである。

ネットでは多面的な情報が提供され、しかも関連づけて検索することでどんどん一つのテーマを深堀することができる。国会図書館、ウイキリークス、上杉リークスなどを手元において使えるのだからマスゴミが我々にかなうはずもない。

B新聞は地球環境問題を考えたとき「資源有効活用」の観点からは最悪のモデルである。

新聞は限られた紙面で情報提供しなければならないため、一時情報(らしきもの)が多い。一時情報とは言い換えれば「データ」である。そこには分析され提言されるといった付加価値がまだ加えられていない。

即ちそのままではほとんど無価値かもしれない「一時情報」即ち「データ」を提供するのに木を切って膨大なエネルギーを使って作った紙を使い、印刷し、そして膨大なエネルギーを使って運搬する。

非常に価値の低いものを膨大な資源を費消して提供するという今時珍しい犯罪的ビジネスモデルなのであり、必衰なのである。(関係者の方々は転職を真剣に考えた方がいいでしょう)

資源有効利用の観点からは実に時代遅れなビジネスモデルであり、なぜ未だに生き延びているのか不思議なのである。権力者の救済(税制、義務教育教材採用、押し紙・・・等)で生き延びているだけだ。

Cコラボレーションによる急速な付加価値の向上がネットにはある。

ネットは参加者が自由な時間帯で情報共有できる。そして問題意識のある参加者は相互にコラボレーションしいっきに付加価値の高い情報を生みだし、あるいは作り上げる。そしてその付加価値の高い情報が瞬く間に共有される。

一方通行のマスゴミにはない最も強力な機能と言っていいだろう。

●いずれにしてももはや『地球市民』が確実に誕生したのであり、その壮大な流れにマスゴミは逆らいようもないのである。


06. 2012年1月26日 19:41:36 : g5YNM3KfF2
05訂正します。

(×)一時情報

(○)一次情報


07. 2012年1月26日 21:02:30 : GIvSzWlmIT
05さんのコメントに大いに賛同します。

地球市民の誕生、どんどん増えてほしい。


08. 2012年1月27日 10:12:20 : g5YNM3KfF2
>最近、新聞・テレビ・週刊誌類を覗いていると、ネットのパクリやネット情報の受け売りが少なくないことに気付いて愕然とすることが多い。

■これはおおいに歓迎すべき現象であるとも言えます。

むしろ私はこの点にこそ阿修羅の新しい可能性を感じるものです。

●マスゴミの限界

これまでマスゴミは権力側の垂れ流し情報だけで記事を書いてきた。
(日刊ゲンダイなどの反権力的立場の情報誌紙も取材源はある程度限られる。)

そのため、マスゴミは権力の広報紙であることに身をやつし、雑誌類も、例えば、CIAや特捜の犬であった「立花隆」や野中(広務)システムの手ごまである「松田賢弥」などのようなエセ作家連中に権力側の垂れ流し情報でもっともらしいストーリーに仕立てあげさせ雑誌(文春や新潮etc)の記事にしてきた。

いずれにしても情報源は権力側の垂れ流しに頼った。

−−−(閑話休題)

※「松田賢弥」の名前も記憶に焼き付けてください。小渕恵三元総理を攻撃し続けた得たいの知れぬエセ作家(?)で今また野中広務の手ごまとして小沢元代表のネガキャンを執拗に繰り返しています。(文藝春秋など)

−−−

●阿修羅の可能性

阿修羅の参加者がそれぞれの持つ能力をいかんなく発揮し、事実情報に基づいて分析を加え、新たな価値を付加して「付加価値の高い情報」を生み出し、創り出して行くことができるならば、そこに新しい可能性を見いだすことができる。

阿修羅に投稿し、あるいはコメントを書き込んでいる方々は金銭的報酬を期待しているわけではない。従って、基本的にフリーな立場で、何のしがらみに拘束されることもなく、それぞれの価値観(真・善・美、正義、民主主義、平等、公平、自由、愛、やさしさ等々)に基づいて発言しコラボレーションしている。

ここに参加している人数はまだ限られているとはいえ総体として意思をもつ集団となってきているように思う。ここに民主主義を実現するための新しい機能の誕生を感じるのである。

阿修羅が混沌とした情報の中から多くの参加者のコラボレーションによって一定の方向を示す情報を創り出し、生み出していけるとすれば、その生み出された情報は新聞や雑誌等に取り上げられ拡散されることをおおいに喜ぶべきであろう。

未だ多数を占めるネットに参加できない人たちへ阿修羅の情報がマスコミを通じて提供されるとすれば大いに歓迎されていいのではないだろうか。

丁度、権力側が垂れ流す偏向・捏造情報の対極にある情報源として阿修羅が機能できるならば、そこに阿修羅の新しい可能性を感じるのである。

阿修羅は今まで通り、あまり制約のない場として、時には参加者の感情の発露の場であってもいいし、質疑応答の場であってもいい、希少な一次情報の場であってもいい、情報の分析の場・情報の統合の場であってもいい。

新しい可能性を信じて阿修羅の参加者の方々と一緒に微力ながら新しい可能性を信じて引き続き参加していきたいと思います。

いずれにしても一市民Tさんの活躍などには心から敬意を表するものです。


09. 2012年2月06日 11:52:03 : Mnxczxr6Dw
【論説】 20代女性 「2ちゃんねるなどが、愚民化を助長してる」→宮台真司「コミュニケーション稚拙な人がネットにハマると悪循環に」


1 名前:☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ 2012/02/06(月) 10:35:13.00 ID:???0
・司会者: 福岡県20代の女性からです。「ネットは、呪いの言葉で溢れているという評論もあったように、
 2ちゃんねるやmixiを始め、ネットが愚民化を助長しているように思います。その一方で、民意を
 組み上げる『一般意志2.0』だという評価もあったようですが、ネットは反愚民化に役立つと思いますか?
 お二人のネットの可能性についての意見が知りたいです」

大塚英志: 近代的な個人の前提は、自分の言葉を持っていて、それを発信して、なおかつ議論が
 できるパブリックな場が保証されているってことだったわけですね。だけれども実際には
 メディアにモノを書ける人間はついこの間まで限定されていたわけです、だから、そういう意味で
 近代的な個人を作る前提みたいな事は理念としてはあったんだけど、ツールとしての
 インフラは整ってこなかったわけです。でも今は本当に何かを言おうと思えば、各自が自分で
 言葉を発信できるし、それこそニコニコチャンネルで勝手に何かを言うことも可能だし・・・。
 というふうに言葉を発信するツールも、議論をしていくツールも出来上がって、いわば
 ”インフラとしての近代”はネットが可能にしたんだと思います。

 ただ、もう一つそこで重要になってくるのは、それが柳田國男の問題なんだけど、「言葉を
 どういうふうに作っていくのか」。その言葉は観察し記録する言葉であって、それから議論し
 コミュニケーションし、最終的にそこにある合意という公共性を作っていく言葉。そういったものを
 作っていくための、いわば言葉の技術や言語的なスキルの問題。そちらの方がネットは
 まだ提供できてないんだろうなという気がして。ネットに出来上がっている世論みたいなことを、
 いわば一つの空気として、それが「民意なんだ」と。それは多分違う形の何かなんでしょうね。

宮台真司: 僕は、ネットについては、一律に可能性があるともないとも言えない立場ですね。
>>2-10につづく)
 http://www.news-postseven.com/archives/20120205_85875.html


645 名前:名無しさん@12周年 :2012/02/06(月) 11:39:50.87 ID:smSbfKM90
テレビ見ようがネットしようがアホはアホ
ただ、ネットがアホをよりアホにしていく効果はあるだろうなw

646 名前:名無しさん@12周年 :2012/02/06(月) 11:39:55.34 ID:BaXamCDR0
>陣営帰属がまず決まって、そのあとの誹謗中傷合戦

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


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