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指定避難所で何が 東松島・野蒜小 証言で振り返る大津波(河北新報)
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/182.html
投稿者 赤かぶ 日時 2011 年 4 月 18 日 06:52:20: igsppGRN/E9PQ
 

指定避難所で何が 東松島・野蒜小 証言で振り返る大津波
写真http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110418t13026.htm
2011年04月18日月曜日 :河北新報

 東日本大震災の巨大津波は、自治体の指定避難所までのみ込んだ。「ここに逃げ込めば助かる」と疑いもしないまま犠牲になった人も少なくない。東松島市の野蒜小もその一つだった。あの時、何が起きていたのか。証言を基に再現する。
(藤田杏奴、野内貴史)

◎午後2時46分/徒歩や車で住民続々/ここは安全のはず

 3月11日午後2時46分。放課後の野蒜小には5、6年生約60人が残っていた。激しい揺れで電気が消えた。揺れが続く。子どもたちはおびえきっていた。
 直後から野蒜小には、子どもの安否を気遣う家族や近隣住民、高齢者施設の職員に付き添われたお年寄りらが、徒歩や車で続々集まってきた。
 多くの人が体育館に誘導され、校庭や近くの亀岡公民館にとどまる人もいた。
 住民たちの動きは素早かった。教職員と協力して避難車両を誘導し、校庭の一角に仮設トイレを組み立てようとする人もいた。亀岡公民館では、女性たちが中心になって炊き出しの準備を始めていた。
 「すごい揺れだったなあ」「家の片付け、どうする?」。校庭ではそんな会話が交わされていた。
 地元の消防団員斉藤剣一さん(53)は、野蒜小から離れた場所で大津波警報の発令を知らせる防災無線を聞き、車で野蒜小へ向かった。「野蒜小まで津波が来るとは考えていなかった」
 野蒜小周辺は1960年のチリ地震津波でも被害がなかった。東松島市が2008年に東北大の監修で作った津波防災マップの浸水想定区域にも入っていない。
 「津波が来ると分かっていれば、みんな逃げた。多くの人が『ここは安全』と思っていたはずだ」と斉藤さんは言う。
 体育館の中。「大丈夫、落ち着きましょう」。野蒜小校長の木島美智子さん(54)はステージ近くに立ち、ハンドマイクで子どもたちや住民を励ましていた。
 「先生、津波が来るって」。携帯電話を持った保護者が駆け寄ってきた。既に市との連絡手段は絶たれ、指示もなかった。「現場で判断するしかない」。木島さんがそう思ったとき、体育館の入り口付近でワゴン車が浮いている光景が目に飛び込んできた。
 次の瞬間、体育館に水が流れ込んできた。

◎午後3時52分/泥流高さ3メートルに迫る/水、一気に背丈超す

 「ステージに上がって、上がって!」。木島さんが呼び掛けている間にも、水かさは増していった。
 複数の住民の証言によると、野蒜小に津波が到達したのは地震の66分後、午後3時52分ごろとみられる。
 水は木島さんの膝まで来た後、一瞬の間を置いて一気に150センチの背丈を超えた。渦に巻き込まれた。以前教わった着衣泳を思い出し、力を抜いて浮かぼうと試みた。浮かんでいたマットにつかまり、2階のギャラリーにいた人に引き上げられた。
 泥流は高さ3メートルのギャラリーの床ぎりぎりまで達していた。木島さんが震えながら下を見ると、水の中でもがいたり、浮き沈みする人たちの姿があった。
 ギャラリーに逃れた人が、紅白幕をロープ代わりにして投げ込んだ。ステージ脇のカーテンにしがみつく人もいた。
 斉藤さんは体育館の入り口付近にいた。「ゴゴゴゴゴ」という低い音とともに「津波だ」「逃げろ」という叫び声を聞いた。校庭に止まっていた数十台の車が、渦を巻いて流され始めた。自分に向かって来る車をよけようと、体育館に飛び込んだ。
 とっさにバスケットゴールの鉄柱につかまった。母慶子さん(79)の手を握ったが、水かさが増すうちに離れ離れになった。
 何回も水を飲んだ。鉄柱から流され、死を意識した時、伸ばした手の先がギャラリーの縁に触れ、助け上げられた。慶子さんも別の人に救助されていた。
 「寒くて、寒くて。震えが止まらず、しゃべれなかった」と斉藤さん。窓越しに降りしきる雪が見えた。ギャラリーには150人以上がすし詰めだった。
 マットを浮かべ、一人でも多く助け上げようとしている男女がいた。
 「野蒜小、ファイトー」。子どもたちが叫んでいた。

◎午後10時30分/ようやく水位が下がった/暗闇、呼び合う親子

 体育館の中の水は、日が暮れても引かなかった。行方不明のわが子を捜そうと、必死に水をかき分けて体育館に入ってくる来る父親たちもいた。
 子どもの名前を繰り返し呼ぶ親と、「お父さん」「パパー」と応じる声が、暗闇の中で交錯した。
 「1人だけ、何回呼ばれても返事のない子がいた」。斉藤さんは鮮明に覚えている。
 午後10時半ごろ、ようやく水位が下がったのを見計らって脱出作業が始まった。校庭には泥水がたまり、がれきや車が折り重なっていた。
 消防団員や父親らが、板や畳で橋を造り、子どもとお年寄りを誘導した。全員が校舎に移動できたのは真夜中だった。
 この間、多くの人がぬれた服のままで待っていた。割れた窓から吹き込む冷気とギャラリーの床が体温を奪っていった。お年寄りらが低体温症で次々と息を引き取った。
 木島さんは「体育館の1階フロアで10人ぐらい、ギャラリーで8人ぐらいが亡くなったと思う」と証言する。
 斉藤さんは振り返る。「校舎に移った後も、暖房もなく、そこで亡くなったお年寄りがいた。校庭にも遺体があった。現実と思えない光景だった」

◎その後/繰り返したどる「あの日」/校舎に逃げれば…

 体育館は震災翌日の3月12日以降、付近一帯で見つかった犠牲者の仮安置所になった。13日には、100人以上の遺体が運び込まれた。
 「最初から体育館を使わず、校舎に避難していればもっと多くの人が助かったのではないか」。犠牲者の遺族からは、そんな声が上がっている。
 木島さんが当時、最も心配したのは、余震による校舎の倒壊だった。脳裏には2月のニュージーランド地震で崩れ落ちた建物の映像があった。
 動揺する子どもたちを落ち着かせるのに必死だった。「冷静に外の様子を確認する余裕はなかった」と木島さんは語る。
 震災から1カ月あまり。繰り返し繰り返し、あの日の行動をたどった。「あの時点でできる最善の判断だった」。同時に「津波に対する甘さがあった。校舎を避難場所にできればよかった」という思いも消えない。
 「6メートルの津波が予想されます」(午後3時)「(石巻市)雄勝で9メートルの津波を観測しました」(午後3時47分)。東松島市の記録では、防災無線は切迫した状況を伝えたはずだが、午後3時ごろに野蒜小に到着した斉藤さんは「聞こえなかった」と言う。
 住民の証言や目撃情報によると、津波に襲われた指定避難所は野蒜小のほか、鳴瀬川河口に近い新町コミュニティセンターなど市内に複数あるとみられる。
 東松島市防災交通課は「避難所にまで津波が来たという情報はあるが、今は野蒜小を含め、避難所で亡くなった人の数や状況まで確認できる体制ではない」と話している。
 

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コメント
 
01. 2013年5月26日 02:25:15 : wnEVOV3FgQ
誰も予想しなかった大地震と大津波。。誰にも責任は問えないと思う。どうしてああしなかった、こうしなかったと言われてもそう思ったからそうしたとしか言えないと思う。過去の話は聞いていても自分が体験したことのないことをどう教訓にすればいいかわかるわけがない。。これを体験した人たちが、これを教訓にしないといけないですね

02. 2013年5月26日 18:37:29 : inhl5S7KzM
人の言うことは嘘もあり。
自己責任ですかね。

03. 2013年5月26日 20:28:15 : 2GT0ondJv2
松島は一番被害が少なかった場所です

04. 2013年5月27日 22:00:39 : SJITJQOSyk
私は実際に一歳半の子供と野蒜小学校に避難しました。校庭に車を止めていました消防の方の声を聞かなければ今はないでしょう。
木島さんの話は事実だし大げさでもありません。
夜中にびしょ濡れの生徒が震えながら体育館から校舎に逃げてきました。
冷たい床にわら半紙を敷き詰めて寄り添っていました。
がれきの中から助けられた人が椅子に座りいつまでも震えていました。
私は子供を寒さから守るためにごみ袋に子供の体を入れて顔だけ出して一晩中抱きしめていました。
本当の話です。地獄です。
そしてここは東松島です。今でも住宅の多くは水に浸っているんですよ。

05. ペンネム 2013年5月29日 23:45:57 : Qd.sRtLGBdNb6 : RMljZL1ejA
教養の無いリーダー達に導かれ不幸を負う社会(組織)。
 
教養の無い者がリーダーになると社会(組織)を崩壊に導く事がある。
教養の無い者はリーダーになる資格が無い。
 
教養とは何か? 
多くの知識を身につければ教養が高くなるのか?
丸暗記で多くの知識を身に付け、各種試験をパスして、
資格と地位を得た者達は必ずしも教養人でない。
学校の先生は教養人と誤解される事がある。
 
身に付けた知識、最新の情報を持つ、想像力、時間の推量計算力、価値基準を見極める判断力がなければ教養があると言えない。
 
重要な場面における組織と所属する者の運命を左右するリーダーには、教養があり、価値基準を見極める判断力に基づいた決断力がある者だけがなれる。
 
東日本大震災で、この様な事が有りました。
震源地に近い場所でマグニチュード9の激震に揺れた巨大地震の衝撃は大変なものと推察されます。
誰しも、過去の人生経験に照らし比較する事の出来ない、ただならぬ異常事態と感じたはずです。
海岸線から1200mの場所なら大津波を予測して、直ぐに、大津波に対応すべき高台(校舎)への避難を最優先に行うべきと思ったはずです。
 
津波警報が出る出ないの問題ではないはずです。
津波警報が出る出ないは多くの情報の中の単なる一つの情報にすぎません。
 
自分一人の身の心配であるなら、他人が出す警報に身を委ね、誤報で己が死ぬようになっても自業自得でやむをえない事です。
だが、多くの人の命を左右する立場のリーダーは、多くの者の命を守らなければならない。
この場合のリーダーの最重要優先は人命を守る事です。
その為には、リーダーは身に付けた知識、最新の情報を元に想像し導き出した数通りの予測を、優先順位判断して、決断しなければなりません。
 
リーダーの身に付けた知識の中に、「大地震に於ける避難施設運用規定」と言うものがあります。
そこには、地震の場合は体育館に避難、津波の場合は校舎の3階以上に避難と書かれています。
 
リーダーは知識に囚われ、地震か?、津波か?、の判断を優先したのです。
 
その為に、リーダーは他者による大津波警報が出されるのを待ち、他者に自分の組織の運命を委ねたのです。
 
「マグニチュード9の激震 」だから、地震と判断して避難民を体育館に誘導した。
その為に、抗する事無く瞬時に津波に襲われた。
 
緊急に決断を必要とする状況に於いて、現状を自分で判断せず、他者に判断を委ねたことは残念ながらリーダーとして失格です。
 
リーダーとしての素質の有る者なら「マグニチュード9の激震 」 「 海岸線から1200mの場所」 だから、大津波もあり得る、海岸線からの距離を基に推測すれば時間的な猶予が無いと想像、今の状況なら多大の犠牲者が出ると推測判断し、高台(校舎)への避難を「マグニチュード9の激震 」後に即時、決断します。
 
この様な事が幾つもの教育施設に於いて東日本大震災時におきたようです。 
 
参照 http://ameblo.jp/clark1826/

6. 2019年3月12日 22:55:05 : ZUxTBGlKBE : NldxRVEvR0VvelU=[21] 報告
・・・

 大人=田舎者は教員でも脳みそがイヌが多い。こんなのが教員だから酷い世代が育ったねぇ。

 =======================

巨大津波の周期・・・120〜140年間 前回明治29年から119年目=ぴったり周期通り

  大津波の周期・・・40年3か月間〜過去3000年間の平均値

 ====================

 群馬大学の片田教授は避難訓練を施してた小学生達に向かって、何度も何度も繰り返して訴えていた

「大人達がここで十分だと必ず言うので、絶対に従ってはいけない。
 みんなが助からない。
 周囲の大人の手を引いて、強引にでも高台にまで連れてゆきなさい。
 絶対に、周囲の大人の言うことを聞いてはならない。
 大人(脳みそがイヌ)の言うことを聞いてると全員が死んじゃうから。」

 案の定、脳みそは犬の教員たちが避難所で十分だと留まろうとしたが、子供たちが必死で高台にまで
 引きずって行ったので、誰一人として被害者が出なかった。」
 釜石の奇跡とか言われてるけど、子供たちが常識を身に付けていただけだぁ。

 ===================

 火山の噴火の周期も同じ。

 御岳山の500倍規模の噴火は、毎世紀毎世紀ごとに3〜4回起きて当然の日本列島。
 過去の1世紀が穏やか過ぎて異常過ぎた。一度も起きていない異常事態。
 今後は日本の本来の姿に戻るだけだべ。
 しかも、マグマは消えない。溜まって分が一気に出ると被害は倍増する。

 311後の巨大噴火が海底であり西ノ島が出来た程度で済んだから日本は死ななかった。
 列島上で東京ドーム60杯分のマグマが何年もかけて噴き出したら日本が死ぬ。
 火山灰だけでも、飛行機は飛べない、高速道路は滑る、経済はどん底に落ちる。

 ====================

 周期が分かってるのに、ぼけぇ〜〜の脳みそがイヌな人間が多過ぎる。

 21世紀の寺田虎彦・夏目漱石
 
 「天災はすぐ忘れる脳みそ犬人間に襲い掛かる。このままではまたくりかえす。」

 「日本の将来は・・・」「滅びるねぇ〜〜」 終戦後と同じ現実が待っている。

 ================

 戦前===A級戦犯が日本を潰す
 現在===A級戦犯DNAが日本を潰す

 太平洋戦争時も、鳥取地震、東海地震、東南海地震・・・で軍需工場が壊滅して死んだ日本。

     このままでは必ずまた繰り返す!!!

・・・・

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