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ビキニ核実験・jealous(天文学的な規模のエネルギーは、負の方向ではなく、正の方向にフル活用されるべきです)
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak45/msg/339.html
投稿者 小沢内閣待望論 日時 2011 年 3 月 26 日 16:11:56: 4sIKljvd9SgGs
 

http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/nuclear_tests.html
ビキニ核実験


人体実験 消えぬ疑惑


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1998年1月20日(共同通信)


ビキニ核実験
マーシャル諸島への「医療ケア」
人体実験 消えぬ疑惑


1954年のビキ二核実験による放射性降下物で被ばくした南太平洋マーシャル諸島の住民らを対象に米国が実施した「人体研究プロジェクト」は、事前計画の可能性を示唆する公文書の存在が明らかになっただけでなく、研究内容自体に「人体実験的」な要素を否定できない事実が次第に明るみに出つつある。にもかかわらず、プロジェクトにかかわった元軍医や軍から研究を引き継いだ米エネルギー省は「医療ケアを目的としたもの」との姿勢を変えていない。米国は冷戦時代、核戦争に備えたデータ収集のため、市民へのプルトニウム注射など、一連の放射能人体実験を実施しており、軍のプロジェクトだった同研究の意味もこうした文脈のなかで位置づける必要がある。人体、環境への被害算定の見直しや、研究の対象となった住民への情報公開にもとづく真の「医療ケア」の実施も急務だ。(アメリカ総局=石合 力)


人種差別的要素指摘も

マーシャル住民らに実施した人体研究「プロジェクト4・1」は、これまで「医療ケア」プログラムとして知られていた。同研究の存在が明るみに出たことで、「ケア」の裏側で「放射能が人体に長期的に及ぼす影響」についての徹底的なデータ収集を進めていたことが判明した。現在も研究はエネルギー省の手で続けられており、特定の被ばく者集団を対象に40年以上にわたって追跡調査されたデータは、原爆傷害調査委員会(ABCC、放射線影響研究所の前身)が集めた広島、長崎の被爆者データとともに同省健康研究室で一括して管理されている。
セリグマン同省次官補代理(同室長)は、一連の資料を「完全なデータセット」と呼び、放射能の人体への影響を調べるうえでの基本資料であることを隠さない。マーシャル側が「モルモット扱いだ」と批判してきたのも調査目的の「2面性」とかかわる。
これまでの調査から、「医療ケア」では説明できない事例も判明している。赤血球の追跡調査目的で、放射性クロムを注射した事例と、主として被ばく直後に放射性物質の除去のために使われるエチレンジアミン4酢酸(EDTA)という物質を被ばくから7週間たってから投与した例だ。米軍による一連の「放射能人体実験」について調査した米大統領諮問委員会は95年、「全体が人体実験だったとはいえない」としながらも、2例は患者の治療目的を逸脱した研究だったと結論づけた。
こうした事例について、米政府は当時、マーシャル住民への説明や同意を得ずに実施したうえ、現在も「担当医師のプライバシー」などを理由に、対象にした住民らの氏名公表に応じていない。
マーシャル側は、独自調査で少なくとも20人以上が放射性物質を注射されたことを突き止め、うち生存者5人も特定した。ロンゲラップ環礁の議員ナビ・クンさんの母アトミネさん(58)もその1人で、乳がんや脳しゅように苦しんでいる。クン議員は、「本人への情報開示がないため、『実験』との因果関係を調べることが難しい」と話す。これに対し、研究にかかわった医師らは現在でも「ケアのために必要な措置だった」と強弁する。エネルギー省当局者はマーシャル側に「注射は、X線検査のようなもので害はない」と説明したという。
放射能実験にかかわる人権問題に詳しい米国人弁護士クーパー・ブラウン氏によると、米側が実施した被ばく者の甲状せん摘出手術についても、「摘出する必要がないのに、放射能以外の原因のがんや肥大との比較研究のために摘出された疑いがある」という。ブラウン氏は同時に、当時の米原子力委について、「(マーシャル住民は)文明化されていないが、ネズミよりは我々に近いと公言する幹部もいた」と述べ、人体実験の対象になったアラスカ先住民らと同様、「人種差別的」な要素が合まれていた疑いを提起する。


「意図的被ばく」傍証次々

被ばくについて、「爆発規模や気象の変化を予測できなかったための事故」と説明する米側に対し、マーシャル側は「意図的な被ばく」だったとする様々な傍証を提示している。
(1)米側は、気象変化について気象学者らの警告を事前に受けながら無視し、実験を強行した。
(2)死の灰が出ることが予測されていたうえ、過去の実験から居住地域に向かうことがわかっていた。
(3)ロンゲラップなど風下の4環礁の住民に対し、意図的に事前警告をせず、避難措置もとらなかった。
(4)米兵は34時間以内に救出されたのに、住民の救出には最大4日かかった。同程度被ばくしたアイルック環礁には避難措置はなく汚染した水や食料でさらに被ばくした。
(5)汚染の残るロンゲラップ環礁に対する安全宣言を出して避難した住民を帰還させ、人体への放射能の長期的影響を調べた。
(6)全島が被ばくしたにもかかわらず、人体研究の対象となった環礁以外では、医療援助や総合的な検診がない──などだ。
事前の避難や警告がなく、被ばく後も数日間、放置されたことについて、米側は「予算上の理由」から、「事前の避難が実施できず、避難に必要な船舶も十分用意できなかった」と説明する。4環礁だけを研究対象にしたことについて、担当医師らは「命令を受けた時点で、ほかの環礁の汚染は低いとの報告を受けていた」と話す。「研究はケア目的」と主張する医師が、軍の報告だけをもとにほかの島の住民のケアを無視したとの説明はあまりにも非科学的だ。
被害がマーシャル全体に広がっていることが確認された後も、プロジェクトの対象範囲は拡大されず、その内容も年に2回、医師団が訪れて血液や尿などのデータを収集する程度だった。


ネバダの100倍規模

興味深い地図がある=図(※江原注:割愛)。米ネバダ核実験場とその風下の被ばく地域をマーシャル諸島に重ねたものだ。実験が同規模なら、ほぼマーシャル全域に被害が及んでいたことになる。米国はマーシャルの被ばく地域を限定し、「医療ケア」の対象も特定の環礁にいた住民だけに絞ってきた。一方で国内では、88年にネバダ実験に参加し、被ばくした軍人らへの健康補償法を制定したのに続き、90年にいわゆる「風下法」(被ばく補償法)を制定し、ネバダ実験場の風下にあたるネバダ、ユタ、アリゾナ州の当時の住民らも補償の対象に含めてきた。
ところが、爆発規模を比べるとマーシャルはネバダと「同規模」どころか、はるかに大きい。マーシャル住民への健康補償に応じる核損害賠償裁判所が入手した資料によると、ネバダでの大気圏核実験は51年から62年まで計87回。1回当たり最大の爆発で100キロトン。全実験の合計は1096キロトンだった。
これに対し、マーシャル住民らが被ばくした54年3月のビキ二核実験ブラボーの爆発規模は、1回でネバダの全実験の合計を14倍以上も上回る15メガトン(1メガトンは1000キロトン)。全67回の合計は108メガトンで約100倍に達する。
ネバダ実験では、空中や、地表に穴を開けたうえで爆発させたものが多く、放射性降下物の多くは、兵器自体だったのに対し、マーシャルでは多くが海面付近で実施されたために大量の海水や砂が放射能を帯びて巻き上げられた。「そのことを考慮すれば、被ばくの範囲は100倍以上になるはずだ」と同裁判所の関係者は指摘する。
昨年、米国立がん研究所は、ネバダ核実験で大気中に放出された放射性のヨウ素131の過剰摂取などから、当時15歳以下の子どもを中心に推定1万人から7万5000人が甲状せんがんになった可能性がある、と発表した。同調査の推定では、米本土全域の平均値は、胸部レントゲン約5回分にあたる2ラド、特に、ネバダ州に近い一部の州では、最大16ラドだった。これに対し、「4・1」報告書は、ビキ二実験によるロンゲラップ環礁の被ばくについて、約175ラドと推定している。


第三者調査求める声も

マーシャルでは、米国に対し、「真の意味での医療ケアの拡大」を求める一方で、日本など第三国による健康調査を求める声も高まっている。
米国人弁護士で現在、マーシャル政府から核損害賠償裁判事に任命されているグレゴリー・ダンツ氏は「47年に米国がマーシャルを信託統治領にした際の協定で定めた、信託領の住民の健康を保持するという規定を冒して核実験を強行した法的責任だけでなく、実験の被害の実態を認めようとしないのは道徳的責任でもある」と指摘。そのうえで、マーシャル政府が近く米政府に求める自由連合協定の経済補償規定の見直しが不調に終われば、「米政府を相手取る裁判の動きも出かねないだろう」と予測している。


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【関連記事】

ビキニ被曝のカルテ入手 原水禁九州ブロック
AEC調査の島民66人分 甲状腺の障害が多発 がんや白血病も
22年前、第五福竜丸の悲劇を生んだアメリカのビキニ水爆実験で、死の灰を浴びたミクロネシア被曝(ひばく)者の招待治療をしている「原水爆禁止九州ブロック会議」(福岡県評内・山川一義事務局長)は、最も近距離で被曝したロンゲラップ島民に関するアメリカ原子力委民会(AEC)の未公開カルテ66人分を入手した。これには、被曝当時の詳しい状況から、1973年までの19年間に起こった後障害と治療経過など、原燥被災地の広島、長崎にはみられない医学データが記入され、カルテをみた専門家は「甲状腺(せん)異常の多発は驚くべき高率で、今後も白血病やがんなどを警戒しなければならない」と指摘している。このため、同ブロック会議は「島民の望んでいる日本での治療をできるだけ拡充するとともに、増大する核の恐怖を訴える資料にしたい」としている。
AECの発表によると、この水爆実験は1954年(昭和29年)3月1日行われ、アメリカ人科学者28人を含む計267人が被曝した。AECは毎年、現地に医療調査団を派遣、概括的な調査報告を出している。しかし、アメリカが、自国の信託統治領であるミクロネシアへ他国調査団の入域することを拒否しているため、個々の患者の医学的な第1次資料は、国際的にほとんど明らかにされていなかった。
原水禁国民会議は46年に調査団を派遣したものの、入域できなかったため、同九州ブロック会議は今年5月、初めてロンゲラップ島民2人を長崎市に招いて、日本での治療の道を開いた。こうした過程で、被曝島民86人(胎内被曝4人を含む)のうち66人分のカルテのコピーを入手。3日までに専門家の手でほぼ全容を分析してもらった。
カルテの内訳は、ロンゲラップ島で175ラドの放射線を受けた50人と、隣のアイリギンアエ島で69ラド被曝した12人と、胎内被曝の4人。
カルテによると、被曝直後に胎内被曝者を除く全員が、放射性降下物による放射線やけどや血球減少、吐き気、脱毛など広島、長崎の被爆者と同じ急性症状を訴えた。
175ラドグループでは、やけどが10歳以下の19人、31歳以上の10人全員、血球減少は同21歳−30歳の10人全員となっている(別表※江原注:割愛)。その後も流、死産や吐血を繰り返し、最近は白内障などの視力障害や「加齢化」現象が目立っている。
一方、広島、長崎にみられないものとして、半数以上ががんなどの甲状腺障害を起こしているのが注目される。これは被曝のあと、飲み水などを通して多量の放射性沃素(ようそ)を吸収したためで、175ラドグループの19人のうち、13人が米国側の手で甲状腺の全部または一部を切除され、ホルモン剤の常用でしのいでいる。このほか、これまでに死んだ20人の中に白血病や生殖器のがんなどによるものが5人おり、カルテをみた長崎大医学部付属原爆後障害医療研究施設の教授陣や、島民2人の診療に当たった日赤長崎原爆病院の医師らは「今後も、がんや白血病などの発生が予想される」としている。
これについて、第五福竜丸平和協会(東京)は「被曝船員がいまも放射能障害で苦しんでいる可能性が明らかになったのだから、政府は責任を持って実態調査を始め、救済をすべきだ」といっている。

<注> ラド=物質に吸収される放射線量を示す単位。短時間で100ラド以上被曝すると死んだり、がんなどが発生、800ラドを超えると全員死亡する、とされている。(朝日新聞 1976/08/04)

放射能、元に戻らぬ 核実験場だったエニウェトク環礁
米の秘密資料入手 マーシャル自治政府
【シドニー30日=青木特派員】米国信託統治下にあるミクロネシアのマーシャル自治政府筋は、このほど放射能汚染に関する米政府の秘密資料を入手したことを明らかにした。それによると、「核実験場だったエニウェトク環礁は、米国防省のクリーンアップ作戦(放射能汚染物質の除去)によっても、実験前の放射能レベルには戻すことができない」「旧島民が同環礁に帰って再居住後も、長期の放射能測定と監視が必要だ」という。これに対し、マーシャル自治政府は、(1)放射能汚染レベルを米国なみにせよ(2)核実験で“蒸発”した5つの小島の補償金を支払え、と米国政府に要求する方針で、この要求が認められない場合は、米信託統治の終了する81年1月以後、米国から完全独立するとの考えである。
自治政府は7月下旬から、ローゼンバーグ米大統領特使と現地で交渉中だが、同政府筋は「秘密資料には、『マーシャルとの交渉に不利になるから、残留放射能のことは公表しない』と記してある。米国系市民も危険なサンゴ礁の魚を食べ、汚染水域で泳いでいる。米国本土では、放射性物質にきびしい環境基準があるのに、ここでは放置している」と、米国を非難している。
エニウェトク環礁は、1948年から58年まで、米国の核実験場として使われ、43回の核爆発テストが行われた。当時、142人の住民が移住させられたが、米国防総省は72年から80年まで、1億500万ドルをかけて汚染物質の除去を進め、島民の再居住を認める、と地元に説明していた。マーシャル諸島海域は、今も米本土からのミサイル発射テストの落下点となっており、マーシャル自治政府が完全独立を目指せば、テストの続行も難しくなる。(毎日新聞 1979/07/30)

原爆実験参加の元米兵 子供9人全員が奇形
医療保護は認められず
【スチールビル(米イリノイ州)17日シカゴ・サン・タイムズ紙特約】初めてのマーシャル群島での米原爆実験に参加した元水兵、ロバート・ファーマーさん(55)は、子供9人すベてが先天性奇形を持って生まれたのは、ビキニ環礁での被爆によるものだとして米退役軍人局に医療保護を求めていたが、このほど被爆が原因ではないとの理由で訴えを却下された。
全米退役軍人被爆者協会イリノイ支部の運動で、被爆軍人子弟の医療無料化法案が連邦議会下院に提出されているが、ファーマ一家にとりついた“ビキニの妖怪”は、37年後の今も、また将来も消えうせそうにない。
ファーマーさんがビキニの実験に立ち会ったのは1946年7月1日と25日の2回で、当時は19歳の水兵だった。B29からの投下実験でファーマーさんらは約16キロ離れたところにいたが、実験の後、ビキニ環湖に連れて行かれ、投下目標にされて破壊を免れた艦艇に乗せられた記憶が残っている。
「考えてみれば、攻撃目標艦に乗せられた鶏や豚などと同類扱いされ、モルモットになったわけだ。彼ら(海軍と国防総省)は放射能のことは何一つ話してくれなかった。こういうことになるのがわかっていれば、9人も子供をつくるわけがない」と嘆く。
長男ロバート2世(33)は、生まれつき右肺奇形で78年から原因不明の出血を始めた。長女ダイアナさん(32)は頭ガイ骨に盛り上がったうねがあり、しばしば激しい頭痛で救急治療を受ける。二女ビクトリアさん(30)は心臓奇形、三女パトリシアさん(28)は腹部に3.6キロもあるシュヨウがあったが、15歳の時に除去手術をした。
二男のスチーブン君(22)は、腰骨と大タイ骨が欠け、1年生入学の時やっと義足がつけられた。三男ウィリアム君(21)は体中に包ノウ状のこぶが出来ている。四男マイケル君(17)は、不整脈でウィリアム君と同じようなこぶがある。
このほか五男ジェフリー君(15)は右足に余分な骨が生え、手術した。四女ジャネットさん(14)は呼吸器に問題がある。
「妻も妻の家系にも遺伝的に悪い面はない。私には姉妹5人、兄弟2人がいるが、本人も子供たちも異状はない」とファーマーさん。長年、家庭医や専門医に見てもらったが、ビキニの被爆のためだという医師もいれば、そんなことは全くないという医者もいて混乱し、証明は事実上不可能といわれてきた。
今回の退役軍人局の結論も、放射能汚染との因果関係を否定したものだが、これに対して退役軍人被爆者協会の医学顧問グレン・アルカレーさんは、現地住民の健康調査結果を全く考慮に入れない結論だとし、「被爆島民の半数は、数少ない類型の染色体の破壊を受けており、その子供たちに高率の奇形が見られる」と反論している。(中日新聞 1983/04/18)

核実験の被害認める 米ユタ州連邦地裁
風下の住民がんに 10人に6億円賠償
【ワシントン10日=小田特派員】米西部ユタ州などの住民が、がんなどに侵されたのは、核実験による放射性降下物によるものだとして、米政府を相手取り損害賠償を求めていた集団訴訟で、同州のソルトレークシチ一連邦地裁は10日、代表原告団24人のうち10人(この中の1人死亡)に対して、因果関係を認め、260万ドル(約6億円}を支払うよう命じた。政肘は控訴する見込みだが、一部とはいえこの種の訴訟でこうした判決が下ったのは初めて。同種の訴えに法的救済の道を開いただけでなく、核兵器競争のいま、米国の裁判所が自国民に核の被害者が存在することを認めたことの意味は大きい。
訴えは、ユタ、ネバダ、アリゾナ州の住民約1200人が起こしていたもので、本人またはその家族ががんになったのは、米政府が51年から62年まで、ネバダ州などで行った大気圏内核実験が原因で、実験場付近の住民に、放射性降下物の危険性について警告など適切な措置を怠ったためだと主張、計20億ドル(4600億円)の損害賠償を要求していた。
米政府はこの間、合計212回の実験を行った。訴えの中で住民は、「核実験で危険はない」と保証されていたために、わざわざ実験場近くまで、子どもを連れて見に行ったなどと証言している。こうした結果、住民のうち375人ががんなどに侵されたと主張、因果関係の認定を求めていた。
この日の裁判で、ジェンキンズ裁判長は、代表原告団24人のうち、10人のがんについて「核実験が引き起こしたものだ」と断定、合計260万ドルの支払いを命じた。10人のうち8人は白血病、2人は他のがんだという。
この訴訟で、被告の政府側は「住民は、放射性降下物を吸い込んだとしても、がんを引き起こすほど多量ではなく、しかも、十分に危険から守られていた」と主張すると同時に、核実験はソ連の核兵器開発に優位を保つ国家安全保障上、必要だったとして、訴えを却下するよう求めていた。しかし、同裁判長はこの点について「訴訟は、そうした政治的判断の是非を争ったものではなく、政府が政策を具体的に行うにあたって不適切な措置をとったかどうかについて行われたものだ」として、この主張を退けた。
米国では、住民だけでなく、核実験に参加して被ばくしたとする「アトミック・ソルジャー」と呼ばれる元兵士たちもおり、これらの人々は、元軍関係者だったことから、政府を直接相手取って訴訟を起こすことは禁じられているため、治療費負担などの救済措置を議会に求めている。ワシントンに本部がある被ばく兵士協議会は、この日の判決について「判決を細かく検討しなければわからないが、意義は大きい」と述べた。

【ニューヨーク10日=共同】核実験による放射能の損害賠償を認めた判決について、風下地区の被ばく者救済組織「市民の声」の代表者ジャネット・ゴードンさんは「風下地区住民だけでなく米国のすべての放射能被害者にとって素陣らしい勝利で、反核運動にとっても大きな前進だ」と語った。
また「裁判では、広島や長崎の被爆者の健康被害調査結果との比較が大きな意義を持った。私たちを支援してくれた多くの日本の被爆者に感謝する」と述べた。

核凍結運動に拍車か

<解税> 米ソルトレークシチ一連邦地裁が10日下した、核被ばく者に対する判決は、1200人にのぼる原告のうち、わずか10人に対して補償を認めただけだが、この判決が持つ意味は極めて大きい。それは、この訴訟が、「米国の内なる被ばく者問題」を告発したものであり、これに対して裁判所が「米国内の一般市民被ばく者の存在」を、1審とはいえ、公式に認めたことになり、今後各方面に大きな影響が予想されるからだ。
影響はまず、核実験や、広島、長崎の原爆投下直後に動員され、被ばくした元兵士たちに及ぶ。米国では、核実験による放射性降下物に被ばくしたためにがんになったとして、その因果関係の認定を求める兵士や適役軍人たちが多数存在するが、最高裁判例によって、元軍関係者ということで政府を訴えることができないため、やむなく議会に対して、国費による治療費負担などの救済措置を求めている。しかし、これまでに因果関係を認められた人は極めて少ない。被ばく兵士協議会関係者は同日、早速「新たな動きが出た。判決を検討したうえ、新しい行動を起こしたい」と勇気づけられている。
判決は同時に、核大国の米国ですでに公然化しているにもかかわらず、依然としてタブーである「被ばく者の存在」を明るみに出した。このことは、核凍結運動にも波及しよう。核凍結運動は、「米国一国だけで努力しても、ソ連が応じなければ効果は少ない」との失望感から、最近では停滞気味だが、これまで「ヒロシマ」を「よそのこと」と見て来た米国民に、「内なること」と考えさせるきっかけになるかもしれない。(ワシントン=小田特派員)(朝日新聞 1984/05/11)

原爆投下し兵士演習 54年ソ連で
汚染域での作戦能力試す 「赤い星」報道
【モスクワ29日時事】29日付のソ連国防省機関紙「クラスナヤ・ズベズダ(赤い星)」によると、ソ連軍が1954年9月、原爆の爆発効果を実測し、汚染域における軍事作戦能力を試すため、本物の原爆を投下、爆発させる軍事演習を行っていたことが明らかになった。
演習を指揮したのはジユーコフ元帥(当時は第一国防次官)。計画の準備は53年末から開始され、演習場所は南ウラル軍管区が選ばれた。兵員用の「たこつぼ」や耐火用ざんごうが掘られ、その上には遮へい幕が張られた。また、地下深くには二重扉のついたシェルターも建設された。
54年9月半ばまでには準備が完了。あとは放射能が居住地帯に運ばれないよう、風向きの都合のよい日を待つだけだった。
そして同月14日、爆撃機から原爆が投下され、原爆は地上300−500メートルのところで爆発した。投下地点周辺では何ら識別できるものは残らなかった。兵員は「与えられた任務を完全に遂行」し、放射能汚染もほとんどなく、ブルガーニン国防相は演習成功を宣言した。

冷戦下、疑問の声は出ず

当時は冷戦下で、また、西独が北大西洋条約機構(NATO)に参加しようとしていた(加盟は55年5月)時期でもあり、「ソ連軍の戦闘能力を高揚させるためにどのような方法をとろうと、それを疑問視する見方は皆無だった」という。
国営タス通信は演習3日後の17日になって、原爆の爆発効果を調べるための核実験が行われたと伝えたが、原爆が軍事演習に使用されたことには全く触れなかった。
「クラスナヤ・ズベズダ」紙は、グラスノスチ(公開性)の時代の今だからこそ、この秘密を明らかにできると説明している。(毎日新聞 1989/09/29)

ソ連、原爆で「人体実験」 35年前、核戦争想定
【モスクワ29日=共同】東西冷戦時代の1954年9月14日に、ソ連が核戦争を想定して防御能力を調べるため、実際に原爆を爆発させ、人体実験に近い演習をしていたことが明らかになった。
29日付国防省機関紙赤い星によると、演習はジューコフ元帥(当時国防次官)が指揮して南ウラル軍管区で行われた。演習現場には多くのざんごうが掘られ、兵器や兵士は地下の二重ドアの内側に入り、地上には戦車が配置された。
原爆は地上300−500メートルの空中で爆発、戦車は数十メートルも吹き飛ばされてキャタピラが宙に舞ったり、溶けて地中にめり込んだりした。兵士に死傷者はなく、放射能汚染も“軽微”で、ブルガーニン国防相(当時)は「演習成功」と報告した。
深いざんごうの中では、兵士は教えられた通り、身を伏せて目を閉じていたが、爆発時には、わずかに土が降りかかっただけだったという。
人体実験とも言えるこの演習は周到に準備され、風向きまで考慮に入れて実行されたが、兵士には演習内容は秘密にされた。国営タス通信は3日後の17日になってやっと「学術目的の核実験を行った」と発表した。赤い星は「ペレストロイカ(改革)、グラスノスチ(公開性)の前に何があったかを知るべきだ」とし、厳しい冷戦時代だったとはいえ、当の兵士にも国民にも知らせずにこうした演習が行われたことを批判した。(朝日新聞 1989/09/30)

ウラルで核実験の人体実験 1954年、秘密裏に
ソ連紙が報道
【モスクワ支局14日】ソ連共産主義青年同盟機関紙コムソモールスカヤ・プラウダは14日、1954年9月14日にウラル地方で核実験が行われた際、実験場の近くで住民にどんな影響がもたらされるかのいわゆる人体実験を秘密裏で行っていたことを、当時の住民の証言をもとに明らかにした。放射能や放射能を含んだ雲が通過した複数の村で人間が居住できるかも調べたとしている。
同紙によると、実験の日には村に軍人や党活動家がやって来て住居の窓を開けておくように指示。また外に出てもよいが爆発は見るな、などの指示を与えた、と同紙はしている。さらに同紙は、これは核実験に対して意図的に人体実験が行われたことの間接的な証拠ではないかとしている。
また、実験のあと、「頭が割れそうに痛い。なにも見えない」といっていた人がおり、この人は3カ月後に死亡した、という。
同紙は記事の最後で、ウラルでのこの核実験は、歴史上、1945年8月の広島、長崎への原爆投下、1986年4月のチェルノブイリでの原子力発電所事故と並んだ悲劇として記されるだろうとしている。(朝日新聞 1990/09/16)

核実験被ばく者50万人 ガンなど高い発生率
ソ連研究者明かす
放射線医学の研修のため広島市を訪れているソ連カザフ共和国のセミパラチンスク放射線医学研究所のボリス・I・グシェフ所長(52)は13日、広島大原爆放射能医学研究所で記者会見し、同共和国のセミパラチンスク核実験場周辺の被ばく住民が約50万人に上り、他地域の住民と比べ、ガンが40%、白血病が50%多く発生しているとのデータを、国外で初めて明らかにした。
グシェフ所長によると、1949年から65年にかけて、同実験場で200回以上の大気圏内核実験が行われ、爆心地から70−550キロの地域の住民約50万人が、ガンマ線だけでも1−160ラド被ばくしたと推定されている。
セミパラチンスク放射線医学研究所は、この被ばく住民のうち2万人と、被ばくしなかった別の地域の住民2万人を現在まで追跡調査したところ、被ばく住民のガン発生率が他地域より約40%高く、中でも食道ガンは7倍、肝臓がんと肺ガンは3倍だった。
白血病は約50%高く、大気圏内核実験が盛んにされたためか1955年から60年の間では白血病が約70%も多く発生した。
細胞の染色体分離異常は4−7倍多く見られ、乳児が免疫低下などにより1歳までに死亡する率は1.5−2倍多かったという。
セミパラチンスクでの核実験は地下実験を含めると500回以上に上るが、反核世論の高まりで、昨年10月以降行われていない。(日本経済新聞 1990/11/14)

ソ連最大級の核実験場セミパラチンスクの悲劇を知ってますか
約50万人が被ばく 衝撃的映像と証言でつづる
映画「ポリゴン」日本で今夏公開
ソ連のセミパラチンスク核実験場で40年以上にわたって続けられてきた核実験と周辺住民への放射線被害の実態を描いたドキュメンタリー映画「ポリゴン(実験場)」が今夏、日本で公開される。これまで未公開だったソ連国防省撮影の核実験の映像が多数含まれている衝撃的な作品だ。東京など主要都市では劇場公開されるが、地方では劇場の確保が難しいため、配給元では、上映の中心になってくれる映画サークルや市民グループを募集している。
セミパラチンスク核実験場は、カザフ共和国にあるソ連で最大級の核実験場。1950年前後からこれまで大気圏と地下で300回を超える核実験が続けられてきたとされる。放射線による周辺住民の健康被害については長い間秘密扱いにされてきたが、最近のグラスノスチ(情報公開)によって徐々に実態が明らかにされるようになった。
去年11月には、放射線の影響調査を続けている専門家が来日し、被ばく者が約50万人にのぼることを公表。また、今年秋には被害の実態を細かく描いたカザフ人の作家、カナト・カブドラフマノフ氏の著作「セミパラチンスク核実験場」が朝日新聞社から出版される予定だ。
映画「ポリゴン」は、核実験とその後の惨状を貴重な映像でつづっていく。核実験の歴史と障害をもった子どもを抱える親の証言を中心とする「ゼロポイント」と、核兵器の設計にかかわったサハロフ博士や核実験場の廃止を求める「ネバダ・セミパラチンスク運動」の指導者スレイメノフ氏らへのインタビューが続く「真実の瞬間」の2部構成。サハロフ博士が、多数の犠牲者を出した核実験を「間違いだった」と認めるのに対して、ソ連国防省の責任者は「実験はやめられない」と、あくまで軍の論理を語るのが印象的だ。
日本語版では、俳優の山本圭さんがナレーターを担当、鈴木瑞穂さんらが声の吹きかえをする。日本語版監督の橘祐典さん(58)は、「核抑止力というものが、どういう犠牲の上に成り立っているのかよくわかる。日本人の間で核兵器の体験は風化しっつあるが、核兵器の恐ろしさを改めて実感するきっかけになるのではないか」と話している。
「ポリゴン」は、6月末から東京・高田馬場東映パラスで上映される予定。その他の地区での上映予定や上映希望の申し込みは、大映内、「ポリゴン」配給委員会(03・3508・9761)へ。(朝日新聞 1991/04/28)

マーシャル諸島ロンゲラップ島 帰島阻む核実験の傷跡
被曝島民ら米公聴会に 信頼できる調査訴える
南太平洋に浮かぶマーシャル諸島のひとつ、ロンゲラップ島。常夏のこの島に1954年3月、白いものが降り積もった。子供たちは雪遊びを楽しむようにはしゃぎ、珍しさから口にする幼児さえいた。だが、雪ではなかった。米国の水爆実験で溶けたサンゴ礁の小さい粒。放射能を帯びた「死の灰」だった。それから37年余り。被曝(ひばく)後に離島した人々は健康に不安を募らせる。9日、米下院歳出委員会の内務小委員会公聴会で、島民代表は、安心して帰島できるようにしてほしいと訴えた。だが、まだその見通しははっきりしない。(ワシントン=吉田 文彦)

この公聴会は、マーシャル諸島共和国の島々から代表を招き、米国が取るべき対策について意見を聞いた。
「水爆実験で、島と島民は放射能にさらされました。今年こそ悲しい歴史を過去のものにしたい。ぜひ、島民が帰島できるよう、信頼できる環境調査を実施してほしい」。ロンゲラップ島出身の国会議員ジェトン・アンジャインさんが切々と訴えた。エーツ内務小委員長は何度もうなずいた。
ロンゲラップ島の悲劇は、「ブラボー」と呼ばれる米国初の実用型水爆実験で始まった。爆発規模はTNT火薬1500万トン相当。広島原爆の約1000倍だった。噴き上げられた大量の「死の灰」は、避難区域外に流れ、ビキニ環礁の爆心から160キロ離れた日本のマグロ漁船・第五福竜丸が被曝した。また、約200キロ離れ、「死の灰」が降ったロンゲラップ島には当時84人が住んでいた。うち2人は妊婦だった。
米政府は実験後にいったん島民を疎開させたが、57年、安全宣言を出して島に戻らせた。ところがそれから20年以上たった78年の調査で、依然としてプルトニウムなどが島に残っていることがわかった。しかも、この調査結果は82年になって明るみに出た。島民の中にはすでに、放射線障害を疑わせる健康異常も出ていた。だが米政府は「健康に支障ない」として安全宣言を撤回しなかった。
島民は85年、反核・環境保護団体グリーンピースに援助を求め、その船で200キロ離れたマジャト島に移った。その時の島民人口は、生まれた子供や新たな帰島親族を含め、220人に膨らんでいた。
同じ年、アンジャインさんは「安心して、永久に帰島できる措置」を求めて渡米。米議会はこれにこたえて島の環境調査、汚染除去への道を開き、米政府調査団による第1次環境調査が行われた。「大人なら島で生活して支障ない」との結論だった。だが、子供の健康への影響には明確に触れていないうえ、「官製」の調査では、島民の不安は消えなかった。
一方、米国内では核兵器エ場の汚染が相次いで判明し、「住民の安全より、核兵器づくりを優先してきた」との批判が高まった。エネルギー省はこれに対する対応と同時に、ロンゲラップの環境調査も前向きの姿勢を示し始めた。「遠いロンゲラップの人たちが繰り返し訴えた不満が、米国内にもこだましたようだ」と、アンジャインさん。
今回の公聴会の焦点は、米政府関係者だけでなく、世界各地の専門家も加えた第2次調査団をつくれるかどうか、だった。アンジャインさんはエネルギー省とも話し合った結果、担当官は外部専門家を含めることに柔軟な姿勢を示したという。
米政府が島民の望むような調査団設置を公式に受け入れれば、米議会も予算措置をとりやすくなる。「いよいよ、鳥の本当の様子が知れるかと、島民の期待が高まっている」と、アンジャインさん。
しかし、帰島への道のりは、まだ長い。第2次調査が終わっても、汚染除去はその先だ。安心して果物を食べ、魚を釣れる島に戻すのは容易ではない。88年に始まったビキニ島の汚染除去も、居住可能になるまで最低7年はかかると言われている。(朝日新聞 1991/05/11)

240万人 がん死の恐れ 核実験による影響調査分析
核戦争防止国際医師の会
【ワシントン16日共同】世界41カ国の医師で構成し、ノーベル平和賞を受賞したことで知られる「核戦争防止国際医師の会」(IPPNW)は16日、1945年以来の核実験によるがん死者は最終的に世界中で240万人に達する恐れがあるとの調査結果を発表した。
調査は、核実験の健康、環境影響を初めて地球規模で分析した。IPPNWは調査結果を基に、米国、ソ連、英国、フランス、中国の5大核保有・実験国は今後、地下核実験も中止し、健康と環境に関係ある情報を公開すべきだと訴えた。
調査は「核兵器生産の環境に及ぼす影響国際調査委員会」(アンソニー・ロビンス委員長)がまとめた。
それによると、46年間の核実験は1900回を超えたが、うち大気圏、水中、地表、宇宙での実験は518回に達し、人類に直接影響を与えた。
特にソ連カザフ共和国内の大気圏核実験では、1000−4万人の住民が公衆の許容被ばく線量(0.1レム)の1000倍を超える160レム以上の被ばくをした。
フランス・中国は今も実験結果や環境影響をひた隠しにしているため、地球規模の正確なデータがつかめないが、委員会は今世紀末までに43万人が体内外の被ばくでがん死すると予測している。
さらに、大気圏実験で降下した放射性物質には超長寿命のものが多いため、究極的ながん死者は240万人に達する恐れがあるとしている。(中日新聞 1991/05/17)

ソ連の「平和利用」核実験 人造湖も貯蔵所も放射能まみれ
使えず放置、住民被害も
「国民経済爆発」と称して、ソ連では100回以上の「平和目的」の核実験が続けられてきた。カザフ共和国で28年前、貯水湖を造るために行われた実験の跡をこのほど見た。核爆発でクレーター状にえぐられてできた湖付近の放射線の強さは、東京での測定値の100−200倍。湖は全く利用されず、放置されていた。ほかの平和利用実験の跡でも、放射能汚染が表面化している。
この人工湖は、セミパラチンスク核実験場の東北のはずれにあり、チャガン湖と呼ばれる。ヘリコプターから見ると、果てしなく続くステップが、そこだけ200メートル近く盛り上がっていた。中心部は直径約500メートルの円形状にえぐれ、濁った水をたたえていた。
実験は1964年12月に実行された。チャガン川とアシス川の合流点付近の地下約30メートルで200キロトンの核爆弾を爆発させ、川の流れをせき止めて湖を造る計画だった。
しかし、核の威力が大きすぎた。上を覆っていた土が吹き飛び、死の灰が周囲にばらまかれ、近くの村の住民たちが被ばくした。
流れのせき止めは失敗。3年後にダムを建設し、水をため始めた。が、放射能汚染の心配から、水は利用されないままだ。湖岸に降り立ってみると、爆発で焼け溶けた岩や土がガラス状になって散乱していた。
チャガン湖とよく似た「平和利用」は、76年にウラル山脈中央部の運河建設工事でも使われた。地下約200メートルで約15キロトンの核爆弾を爆発させた。やはり死の灰が飛び散り、付近の住民が避難した。湖は、いまも汚染されたままだ。
カスピ海沿岸のアストラハンでは、80−84年に地下で核を爆発させて空洞をつくり、ガスの地下貯蔵所を15個建設した。うち13は、内壁の岩が崩れ落ちるなどして、使えなくなった。放射能がしみ出し、地表が汚染された。
核弾頭の開発に当たってきた実験物理学研究所のY・トルートニフ副所長によると、成功した例もないわけではない。66年、ウズベク共和国ブハラ近くの油田で起きた火災は、3年近くも消火できなかったため、核爆弾を地下約2キロで爆発させ、井戸を破壊、数秒間で鎮火したという。
トルートニフさんは、放射性廃棄物を地中深く埋めたうえで核爆発させ、周囲の岩といっしょにガラス体にして閉じ込めるなど、平和利用の可能性はまだまだ広い、と主張する。
だが、閉鎖されるセミパラチンスク実験場の軍人たちは、こんなアイデアに冷ややかだった。「放射性廃棄物は人間が常に管理できる所に置いたほうが安全」「平和利用であったとしても、放射能汚染は残る。みんな反対するでしょう」(泊 次郎)(朝日新聞 1991/09/10)

旧ソ連で放射能飛散実験 住居地域も大気汚染
核戦争想定 データ収集も
旧ソ連カザフ共和国のセミパラチンスク核実験場(現在は閉鎖)で1954年から62年にかけ、毒性が激しいプルトニウムを化学物質の爆発で大気中に飛散させる実験をし、一部地域では放射線のレベルが許容範囲を大幅に超えていた、との同実験場元幹部の書簡を10日までに共同通信が入手した。旧ソ連での核実験は、最近の現地の報道では714回とされているが、核爆発以外での手段で大規模な放射性物質を放出する実験をしていたことが明らかになったのは初めて。
書簡はまた「核戦争の際、部隊は呼吸器を保護する必要があるかどうかが69年に討議された」としており、旧ソ連が核戦争を想定してデータを収集していたことをうかがわせる内容となっている。
書簡は同核実験場放射性汚染研究課課長だったセルゲイ・トゥラニン退役陸軍大佐が、89年5月にカザフ共産党セミパラチンスク州委員会や核戦争防止国際医師会議(IPPNW)カザフ支部長のサイム・バルムハノフ博士にあてた3通で、同博士が公開した。
書簡によると、同核実験場ではプルトニウム239を化学物質の爆発により大気中に放出。最長200キロの範囲で空気の汚染調査をしていた。
実験は特に59、60年に集中、63年には大気中の放射能汚染が住民の住む一部地域で許容範囲を超えたため、準備されていた実験が連邦政府レベルの判断で中止されたという。
実験による汚染の程度は2通目の書簡では「許容範囲の1000倍」、3通目では「記憶違いで、許容限度を2、3倍超えただけだった」と内容に食い違いがあるが、博士あてには「3通目の文書は多大な精神的圧力を受けて署名させられた」との手書きの追伸が付されていた。
3通の書簡は、旧ソ連政府が同核実験場の放射能汚染の調査委員会を発足させた89年に書かれた。トゥラニン氏は文中でプルトニウムと核爆発の死の灰による被ばくを考慮するよう訴えているが、同委員会の報告書は、この実験には言及していない。

放射能爆弾の実験か

高木仁三郎・原子力資料情報室世話人の話 理論的には以前考えられていた「放射能爆弾」の実験ではないか。英国がオーストラリアで同様の実験をしているが、旧ソ連の話は初めて聞いた。現在は兵器としてあまり効率的でないとされているが、「放射能をばらまく」という発想自体が非人道的でおぞましい。

<プルトニウム239> ウラン238が中性子1つを吸収してできる超ウラン元素。原子力発電所の核燃料再処理の過程などで抽出され、高速増殖炉の燃料として利用が進められている。しかし、原子爆弾の原料になるほか、毒性が極めて強いため、輸送や管理が問題となっている。(中日新聞 1992/02/11)

放射性ガスの塊を日本海上空で観測 中国の地下核実験で発生
【ワシントン11日共同】11日付のワシントン・タイムズはブッシュ政権当局者の話として「先月21日、中国が行った地下核実験で発生した放射性ガスの大きな塊が先週末、日本海上空で米軍機によって観測された」と報じた。
同紙によると、在日米軍所属機がガスの塊の中を飛行し放射能の量を測定した結果、人体に悪影響を与えるほどではなかった。当局者は同紙に「大規模な地下核実験の結果、放射性ガスが発生するのは珍しいことではない」と語っている。(中日新聞 1992/06/12)

先月25日の中国核実験 日本上空を汚染 米誌報道
【ワシントン24日時事】米誌USニューズ・アンド・ワールド・リポートは26日発売される最新号で、中国が9月25日に行った今年2回目の地下核実験のため、放射能汚染が日本上空で探知されたと報じた。同誌は「日本の天皇が中国訪問を始めたまさにその時、中国の核実験での手違いの結果、放射性の雲が日本に下降しつつあった」との書き出しで、短信欄でこのニュースを取り上げた。
同誌が米情報当局筋の話として伝えたところでは、新疆ウイグル自治区ロプノールで核実験が実施された際に、実験に使われた山中のトンネルの一部が吹き飛ぶ事故が発生、大気圏に放射性物質が放出された。その放射性の雲が4000キロ離れた日本上空に達し、現在、日本政府はその汚染の程度について報告を待っているという。一部の筋は、既に「かなりの程度」の放射性物質が降下したと推定しているといわれる。(中日新聞 1992/10/26)

カザフ 核実験反対の団体 発足4年
閉鎖は達成 後遺症重く 被ばく50万人 汚染今も
旧ソ連のセミパラチンスク核爆発実験場(カザフスタン)に反対する市民団体「ネバダ−セミパラチンスク」が生まれて、この2月で4周年を迎えた。団体の目的である同実験場閉鎖は、ナザルバエフ・カザフスタン大統領の大統領令で実現した。だが、過去40年に及ぶ実験による核汚染は極めて深刻で、今は団体も被ばく者救済が大きな仕事。世界の核実験場の閉鎖を求める運動も始め、国境を接する中国の核実験場の閉鎖のアピール行動を計画している。(モスクワ・伊藤 嘉英)

セミパラチンスク核実験場は、1949年8月、旧ソ連で最初の原爆の爆発実験が行われ、53年にはサハロフ博士(故人)が水爆実験を行うなど旧ソ連の核開発を担った実験場だった。63年までに地上核実験が113回、64年からは地下実験に切り替えられ343回行われた。実験に使われた爆弾の破壊力の総計は、広島に落とされた原爆の2500倍にのぼる。
ペレストロイカ時代の89年2月、実験場でガス漏れ事故が起きたのをきっかけに、住民の間に実験場反対のあらしがわき起こり、「ネバダ−セミパラチンスク」が結成された。運動は当局の妨害を受けたが、支持を確実に広げ、旧ソ連も89年10月を最後に実験を中止した。90年8月、ナザルバエフ大統領が実験場の閉鎖命令を出した。
実験場は現在、原子力発電など核の平和利用技術を研究する「国民核センター」への転換を進めており、団体も転換を監視している。
しかし、40年にわたる核実験の被害は大きい。90年にセミパラチンスクで開かれた国際会議の資料では50万人以上が被ばくし、病気発生率は広島、長崎の被ばく者に比べ肺がん3倍、胃がん2倍、食道がん15倍という数字が出ている。幼児死亡や免疫低下の比率も旧ソ連の他地域に比べて際立って高い。
ソ連崩壊後、カザフ政府は被ばく者救済に乗り出したものの、「ネバダ−セミパラチンスク」会長のスレイメノフ氏(詩人、元ソ連人民代議員)は「これだけではとても十分ではない」という。
このため同団体は白血病の子供を韓国やフランス、イスラエルに送って治療する独自活動を行っている。血液病の高度医療ができる病院をカザフスタンに建設するための募金も始めた。
さらに深刻な問題は、核実験場から出された長年の放射性廃棄物が無造作に国内に埋められ、汚染がいまも続いていることだ。
団体のもうひとつの目標は世界的な核廃絶で、各国に核実験の停止を呼びかけている。ロシア、米国などが核実験の一時停止を表明、フランスもムルロワ環礁の核実験を停止したので、中国の核実験場に目を向けている。
カザフスタンに近い中国・新疆ウイグル自治区のロプノルに核実験場があり、カザフスタンにも影響があるからだ。3月にも中国との国境で反核集会を開き、ハンストを行って中国の核実験の停止を訴える計画だ。(中日新聞 1993/02/21)

過去204回秘密核実験 プルトニウム人体実験も認める
米エネルギー省
【ワシントン7日江尻司】米エネルギー省は7日、米国が過去204回に及ぶ核実験を公表せず秘密にしていた事実など、機密になっていた米国の核実験の実態を明らかにした。米政府は核爆弾製造施設の縮小を進めており、同省は冷戦終了で機密にしておく必要がなくなったためと公表の理由を説明している。
同省によると、冷戦が本格化した1951年以来、米国はネバダ実験場で925回の地下核実験を実施。核軍備増強を競っていた旧ソ連に情報を入手させないため、そのうち204回は実験の事実を公表しなかった。アラスカや太平洋を含めた米国の全実験は1051回に上る。
秘密とされた実験の大半は1960−70年代に集中、最近では90年の実験が公表されなかった。
また同省は、米国が過去89トンの核兵器用プルトニウムを製造。現在33.5トンを貯蔵していることも明らかにした。

【ワシントン7日時事】米エネルギー省は7日、40年代に原爆開発のためのマンハッタン計画に従事していた18人を対象に、プルトニウムを体内に注入、その影響を調べるという人体実験が行われていたことを確認した。この人体実験については、既に米国内でも一部の新聞が報道していたが、被験者にきちんと情報を与えたうえで事前に同意を得たかどうか疑問で、同長官自身、「報告にショックを受けた」と述べた。
この18人は既に全員が死亡している。このほかにも、40年代以降、約800例の放射能人体実験が行われたという。(中日新聞 1993/12/08)

軍人も被害に 米「放射能人体実験」 ビキニ環礁などで実施
【ワシントン15日河野俊史】冷戦時代、米政府主導で行われた「放射能人体実験」問題で、15日までに公表された資料や議会報告書から、市民のほかに多数の軍関係者や復員兵が“実験台”になっていた構図が浮かび上がった。国防総省や復員軍人省は当時の内部資料の調査を進めている。
その1つが、水爆のキノコ雲が人体に与える影響を調べる実験。下院エネルギー保全小委員会が1986年10月に作成していた報告書によると、人体実験は西太平洋のビキニ、エニウェトク両環礁で56年5月から7月にかけて行われた一連の水爆実験(レッドウイング作戦)の際に実施された。
米空軍の5機のB57が、水爆爆発後20分から78分の間に27回にわたってキノコ雲の中を横断飛行、乗員の被ばくの状態が測定された。この実験で乗員7人が許容被ばく線量(年間5レントゲン)を超えたとして復員軍人局(復員軍人省の前身)の病院で特別検査を受けたとされる。(毎日新聞 1994/01/16)

死の灰、旅客機で運ぶ 英、50年代に「極秘」で 英紙報道
【ロンドン6日=尾関章】英国が中部太平洋のクリスマス島で1950年代に行った水爆実験の後、キノコ雲から採取した高レベル放射性の死の灰を、ひそかに民間の旅客機で英国に運んでいた、と英日曜紙オブザーバーが6日伝えた。
この報道は、英政府が長く「極秘」扱いにしていた資料などに基づく。それによると、当時の水爆実験では、直後に英空軍機が雲の中を飛んでちり状の灰を採取した。このとき搭乗員が浴びた放射線は、当時の安全基準の30倍を超える量だった。
これらの灰は、外交官用の荷物として持ち出され、オーストラリアに拠点を置くカンタス航空の旅客便で、ホノルル、サンフランシスコ、ニューヨークを通ってロンドンに運ばれた。
航空会社にも知らされていなかったが、米政府には内々に知らされた、という。(朝日新聞 1994/02/07)

ビキニの核実験から40年 責任追及いまも
米は被害を承知で実験 政府文書が「うそ」証明 島民代表指摘
【ワシントン24日=坂口智】住民に「死の灰」の被害が及ぶ風向きだったのを承知の上で米政府は実験を強行した──1954年のビキニ水爆実験について、突然の風向きの変化によって風下のロンゲラップ環礁の住民などに予期せぬ被害が出たとする、これまでの米政府の説明を覆す政府文書の存在が24日、明らかになった。
文書を発見したのは、ビキニの島民を代表する弁護士のジョナサン・ワイスガル氏。情報公開法を利用して関連文書を入手した。
同氏は、この日行われた米下院天然資源委の公聴会で証言し、「風向きが変わったのを知って、米海軍艦船を危険区域から移動させながら、住民の安全には構わず、実験を延期しなかった」と米政府の対応を厳しく批判した。議員の中からは、「事実上の人体実験」という声も出た。
ビキニ実験が及ぼした被害については、米政府が地元住民に約1億8000万ドルの補償金を払って一応決着を見ている。が、双方は、新事実が明らかになった場合は、この決着を見直すことで合意している。今回、米政府が事実を隠していたことが濃厚になったことで、今後一層の補償措置が問題となる可能性が出てきた。

サンゴ礁に残る大穴、帰還阻む放射能

「あれがブラボーショットだよ」。副機長が前方を指さした。エメラルドグリーンの内海と群青の外洋の間に、海の色がひときわ濃い部分が見える。機体が近づくと、それが巨大な円であることが分かった。海底が大きくえぐられている。米国の核実験場だった太平洋のビキニ環礁を、上空から見た。その円は、1954年3月1日、広島型原爆の1000倍以上の威力を持った水爆「ブラボー」があけた大穴だった。
黒々としたくぼみの直径は、2キロほどもあるだろうか。40年前の爆発までは白いサンゴ礁だったはずだ。堅いサンゴ礁は強烈な熱に焼かれて細かな粒子になり、放射能を帯びて爆風に巻き上げられ、海や島々に降り注いだ。被曝(ひばく)した島民たちはそれを「パウダー」と呼んだ。
あの日、「死の灰」を浴びたのは、風下のロンゲラップ島などに住んでいた人々と、近海で操業していた静岡県焼津市の第五福竜丸だった。ビキニ島民は、米国が環礁全体を核実験場にするため、46年に先祖伝来の地から追われ、島を離れていた。
ビキニ環礁は、日本から約3500キロの太平洋に浮かぶ。マーシャル諸島共和国に属する。「ブラボー」から40年を経た今も、残る放射能が帰還を阻んでいる。旧ビキニ島民が住むキリ島を訪ねた。ビキニ環礁から南東へ約800キロの孤島だ。島を追われたあと、ロンゲリック環礁に移され、クエゼリン環礁の米軍基地を経て48年11月に、無人のキリ島にやって来た。当時移り住んだのは166人だったが、いまは約700人に増えた。
首都マジュロから19人乗り定期便で4、50分。空港待合室に「ビキニデーにようこそ」という看板があった。3月1日は「犠牲者の日」の休日だが、島民は特別な追憶の日として、心に刻んでいる。
島の警察官たちは肩に星条旗のようなマークをつけている。自分たちを故郷から立ち退かせ、苦労を強いた米国の旗をなぜ?
が、よく見ると、星条旗ではない。星の数が違う。ビキニ島民の独自の旗だという。星の数は23個でビキニ環礁の島の数を表している。右上にある3つの黒い星は、度重なる核実験で吹き飛ばされて消えた3つの島だ。その下の2つの星は現在住んでいるキリ、エジェット両島を示している。汚染された故郷と、永遠に失われた島々。痛々しいほどメッセージのはっきりしたシンボル。「アメリカの責任を忘れないため」というのが、出迎えてくれた案内役の説明だった。
島のだれもが、「ビキニに戻りたい」という。ビキニでは、大きくて穏やかな環礁の内海を巡って豊富な魚介類を取り、ヤシなどの木の実を自由に生活の糧にしていた。キリでは米国からの援助食料に頼る。環礁の内海と違い、海は荒れ、簡単には魚がとれない。
しかし、キリはちょっとした建設ラッシュだ。「仮住まい」意識の強かったころは木造の簡易建築ばかりだったというが、今は学校もコンクリート2階建てに、高齢者用の民家も強い潮風に耐えられる建物に建て替えられている。島には現金収入を得る産業はない。資金はすべて米国からの補償金だ。(東京社会部・田中英也)(朝日新聞 1994/02/25)

1954年ビキニ島 米水爆実験に新事実
「死の灰」公表の数倍も広域に降っていた
被爆承知で実験 米公聴会で明らかに
【ワシントン24日田村雄司】米政府が1950年代に中部太平洋マーシャル群島で行った核実験で、これまで公表されていたものより数倍も広い範囲にわたって、「死の灰」が降っていたことが24日、米議会下院天然資源委員会の公聴会で明らかにされた。日本のマグロ漁船「第五福竜丸」が、ビキニ島付近で被爆してちょうど40年。米エネルギー省が進める情報公開により、秘密のベールがまた少しはがされた。
米国がビキニ島で、初の水爆実験を行ったのは54年3月1日。当局は、住民らを近くの島に避難させたが、放射性降下物の降る範囲を正確に公表せず「第五福竜丸」のほか、付近のロンゲラップ島などの住民多数が「死の灰」を浴びた。
ところが当局者は、気象観測により、当日は上空の風が強く、放射性降下物は、ビキニ島から南西の方向に大きく広がることを事前に知っていた。しかも「住民には知らせずに、一部の米軍関係者などに教えていた」(ワイスガル弁護士の証言)ことが、今回の情報公開で明らかになった。
証言などを総合すると、実際には同島から南西の方向に約1000キロ、幅800キロもの広大な範囲にわたって「雪のような」(同弁護士)放射性降下物が降ったという。これまでの政府見解では、ビキニ島から東へ約600キロ、南北に200キロ程度の範囲だけに「死の灰」が降ったとされていた。
関係者によると、米国が40−50年代にマーシャル群島で行った66回の核実験により、放射性物質による汚染はこれまで公表されている以上に深刻で、エベイェ島では、甲状せんがん患者が通常の100倍も発生しているという。
米エネルギー省はオレアリー長官の方針で秘密とされてきた核開発、核実験などに関連する資料の公開を積極的に進めており、すでに人体実験などのデータの一部が「冷戦時代の恥部」として明らかにされた。(中日新聞 1994/02/25)

核実験やその除染で100万人被ばくと推定
米国で1950年代に行われた核実験で被ばくした軍人は100万人にのぼる可能性があると、被ばく退役軍人協会のオスカー・ローゼン博士が23日、米議会から委任された委員会の調査に対して証言した。
米政府によると、広島、長崎への長崎投下のあと、235回の大気圏内核実験に約20万の部隊が参加、除染作業にも約20万が参加したという。これに対し、博士は被ばくした軍人は約100万人と推定。この中には、潜水艦の乗組員や核兵器取り扱い作業者、墜落機の救助参加者らが含まれるとしている。
別の証言では、638人の被ばく退役軍人へのアンケートで、重度の遺伝的障害とがんにかかっている子供がそれぞれ26%、骨の欠損障害を持っている子供が20%いることなどがわかったという。(AP)(朝日新聞 1995/01/25)

核実験後の爆心への軍事演習「恐怖克服のため」 米内部文書
【ワシントン1日河野俊史】1950年代、ネバダ州での核実験に合わせて行われた米軍の軍事演習は、広島・長崎の原爆投下で高まっていた放射能に対する恐怖を抑え込むのが目的だったことが、国防総省の内部文書で分かった。対ソ核戦争は避けられないとの認識を持っていた米軍指導部は被爆を恐れる下士官たちを「戦闘に好ましくない心理状態」と懸念、被爆承知の“ショック療法”を実行したという。
問題の軍事演習は51年から57年にかけて8回にわたり行われた「砂漠の岩」作戦。核実験場の爆心近くに部隊を配置、核爆発の直後に爆心に向けて進攻するもので、少なくとも4万人が参加していた。
今回明らかになった内部文書は当時の「米軍特別兵器計画」に関するもので、核人体実験を調査しているクリントン政権の大統領諮問委員会とAP通信が国立公文書館で入手した。
53年2月27日付の報告書は演習について「兵士の心理から、放射線被害など核爆発をめぐる迷信を取り除かなければならない」と指摘。対ソ核戦争を控えて「心理的操作」が不可欠だとの認識を明らかにしている。(毎日新聞 1995/06/02)

米が核の人体実験検討 51年に29項目 ビキニ関係者が文書入手
広島市で28日開幕した世界平和連帯都市市長会議・アジア・太平洋地域会議に出席したマーシャル諸島の関係者が、米国が太平洋で原水爆実験を繰り返していた1951−52年、核戦争の調査には人体実験が不可欠と米国政府内で考え、具体的に実験項目を検討したことを示す資料の存在を明らかにした。「米国公文書館から入手した」といい、最近、相次いで明るみに出ている米国の核人体実験の証拠の1つとしている。
明らかにしたのは、ビキニ・アトール市の代表に随行している米国人法律顧問、ジョナサン・ウェイスガル氏。米軍医療政策委員会が52年、国防省長官にあてたメモは「核及び生物化学戦争の調査は、人体実験なしにはデータを得られない時点まで到達している。委員会は、この種の調査に人体を利用することを満場一致で承認した」と記しているという。
ウェイスガル氏は、その前年に米国防省医療団が、29の放射能実験を提案した文書も入手。生存者体内の放射能汚染、核爆発のせん光の目への影響、核実験人員の体液の放射性同位体の測定などの項目があり、「将来の核兵器テストに、生物学者や医師の参加が必要と考えるべきだ」と結論付けているという。(毎日新聞 1995/06/29)

米の旧核実験地で甲状腺異常多発 大気圏内実験のマーシャル諸島
東北大医師団「女性に顕著」
米国が1946年から58年まで核実験をした太平洋のマーシャル諸島で、甲状せんに異常のある島民が1割を超え、「死の灰」(核分裂生成物)を浴びた可能性のある世代の女性では、異常の発見率がぐんと高いことが東北大医学部第2外科の医師団の調査で明らかになった。甲状せんがんも多く、調査した医師は「核実験の影響の可能性がある」と話す。当時は、フランスが強行した地下核実験と違い、大気圏内での実験が大半だった。
米国が同諸島で実施した核実験は66回とされる。54年、ビキニ環礁での水爆実験は第五福竜丸事件を起こした。
調査したのは、ビキニ環礁の南東400キロにあるクワジェリン環礁。2年前、同環礁に住む1368人の甲状せんを調べた。
その結果、女性の甲状せん異常の発見率は、25−34歳で6%だったが、被ばくした可能性のある世代では急増。35−44歳で14%、55−64歳で21%、65歳以上で23%だった。
死の灰のうち放射性ヨウ素は甲状せんに蓄積され、周囲の細胞・組織の機能障害やがんを誘発するとされる。甲状せん異常は女性に起きやすく、しこりなどの形で現れるため、大規模な被ばく影響調査の指標のひとつになっている。
また、検診を受けた男女の1.6%から悪性のがんが見つかった。日本国内のデータより高いという。
東北大学の高橋達也医師は「どこまでが核実験の影響なのか、はっきり示すのは難しい。しかし、死の灰を浴びた可能性のある世代で甲状せん異常の発見率が高いことは、核実験の影響が考えられる」と言う。(朝日新聞 1995/09/08)

50−60年代の核実験 “死の灰”全米に拡散 国立がん研究所報告
【ワシントン25日時事】米ネバダ砂漠で1950年代から60年代初めにかけて行われた核実験の際、放射性同位体ヨウ素131が風に流され、全米各州に降雨などとともに降り注いでいたことが国立がん研究所の報告でこのほど明らかになった。
同報告では住民への健康被害の程度は明らかではないが、汚染された牧草を食べた牛のミルクを飲んだ当時の子供たちへの影響が懸念されるという。
同研究所がまとめた報告は、9月下旬にも正式に公表される。25日付の米紙USAトゥデーによると、核実験に伴う放射性物質の拡散はネバダ砂漠に近いネバダ、ユタ、アリゾナ3州にとどまらず、中西部穀倉地帯やロッキー山脈山岳地帯、遠くは東部のニューヨーク州にまで届いていた。
ネバダ州などの周辺住民は以前から核実験とがん発生について因果関係があるのではないかと主張しているが、同報告ではこの点について結論付けていない。しかし放射性物質が全米に広く拡散したことが明らかになったことで、核実験の人体への影響があらためて問題となりそうだ。(中日新聞 1997/07/26)

多数の子供に発がんの恐れ 50−60年代の米核実験被ばく
【ワシントン30日共同】米国が1950年代から60年代初めにかけてネバダ核実験場(ネバダ州)で実施した大気圏核実験の影響で放射性物質が大気に放出され、汚染した牛乳を飲んだ多数の子供が、発がんの危険があるとされる1グレイ(100ラド)を超える被ばくをしていた可能性が強いことが30日、米国立がん研究所がまとめた調査報告書案の概略で明らかになった。
過去の放射能実測、気象データを基に当時の米本土人口約1億6000万人を対象に甲状腺(せん)の推定被ばく線量を解析した結果、平均値は0.02グレイに達していた。自然放射線による甲状腺の被ばく量に比べて異常に高く、米国内に核実験による隠れた被ばく者が多数存在することを示唆する初の公的調査結果として注目される。
同研究所は年内の報告書公表に向け最後の作業を急いでいるが、共同通信が入手した報告書案概要や関係者によると、ネバダ核実験場で120回以上実施された大気圏核実験で放射性同位体ヨウ素131が風に流され拡散した。
これによる甲状腺の吸収放射線量の推定値は調査対象となった48州、3071郡で平均0.02グレイ。核実験場に近い地域や一部東部地域では0.05から0.16グレイだった。
特に汚染牛乳を多く飲んだとみられる3カ月から5歳の子供の被ばく線量はこの10倍に達するとの解析結果が出され、相当数の子供が最大1.6グレイも被ばくした可能性があると推測した。
日本の専門家によると、被ばく線量が1グレイを超せば、甲状腺のがんや機能低下症が起きても不思議はないという。
同研究所は州ごとの推定被ばく線量などは明らかにしていないが、関係者は、被ばくが多い州は実験場に近いユタ州などのほか、ニューヨーク、ノースカロライナ、マサチューセッツなど東部の州も含まれるとしている。
調査は米議会の議決により1983年に米厚生省が中心になって開始。国立がん研究所は51年から62年まで実施した大気圏核実験の際の全米95カ所の放射能観測データを基に、記録に残る実験時の風力や風向き、降水量データをコンピュータで解析し、住民の吸収被ばく線量を推定した。

<甲状腺(せん)の被ばく> 放射性物質のヨウ素131は、体内に取り込まれると甲状腺に蓄積され、被ばく線量が1グレイを超すとがんや機能低下症になりやすく、特に子供への影響が大きいとされる。チェルノブイリ原発事故では、被ばくから5−10年で、子供を中心に500人を超す甲状腺がんが発生した。グレイは物質が放射線から受け取るエネルギーを表す吸収線量の単位で、1グレイは100ラドに当たる。(中日新聞 1997/07/31)

7万5000人に発がんも 米核実験被ばく
【ワシントン1日共同】米国立がん研究所は1日、米国が1950年代から60年代にかけてネバダ核実験場(ネバダ州)で行った大気圏核実験の被ばく調査の中間報告書を公表。当時15歳以下の子供を中心に推定1万−7万5000人が、放射性物質や汚染牛乳の影響で甲状腺(せん)がんになった可能性があることを明らかにした。
同研究所はまた、放出された放射性同位体ヨウ素131の市民1人あたりの推定吸収線量を郡単位で分析した地図を発表。ネバダ州に近いアイダホ、モンタナ各州の一部地域で最大0.16グレイ(16ラド)と推定するなど、風による拡散や汚染牛乳による被ばくが、中西部を中心に米本土の広範囲な地域に及んでいることを示唆した。
同研究所は、ヨウ素131の吸収と発がんリスクの関係など「まだ不確定な要素が大きい」として、チェルノブイリ原発事故を経験したウクライナ、ベラルーシの研究者との共同研究など調査を続けるが、今年10月の最終報告書発表を前に、政府の責任追及や損害賠償を求める動きが広がることも予想される。
報告書は、生後3カ月から5歳以下の子供が牛乳を多量の飲む上、ヨウ素131が蓄積される甲状腺も小さいため、最も被ばくの危険が大きいと指摘。これらの子供たちは平均値の3−7倍も吸収する可能性があるとしている。この結果、子供は最高で、一般に発がんの可能性があるとされる1グレイ以上の線量を吸収したことになる。
報告書はまた、放射性物質の拡散に関連して発がんした可能性があるとされる最大7万5000人は、大部分が当時15歳以下の子供としその4分の3は5歳以下と推定。甲状腺の被ばく線量を地域別に示した地図によると、当時の米国の平均値である0.02グレイを上回るのは、モンタナ、アイダホ各州となっている。(中日新聞 1997/08/02)

ビキニ核実験「人体影響調査」意図か 前年の文書に研究項目列記
マーシャル政府、米に調査要求
【ワシントン4日=石合力】米国が冷戦さなかの1954年3月に太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で実施し、島民や日本のマグロ漁船 「第五福竜丸」乗組員らが被ばくした水爆実験「ブラボー」をめぐり、米エネルギー省がマーシャル諸島共和国政府にこのほど公開した当時の公文書に、島民らを対象に米軍が実施した「偶発的被ばく者」の研究の報告書と、この研究の事前計画の可能性を示唆する文書が含まれていることがわかった。マーシャル政府は米議会に事実関係の再調査を求めている。米国は被ばくは偶発的に起きた事故で、研究も「医療を目的としたもの」としているが、報告書は「動物、できれば人体でさらに研究を進める必要がある」と結論づけるなど、調査・研究色の濃い内容になっている。
米軍が行った研究は「放射性降下物で偶発的に被ばくした人間の反応の研究──プロジェクト4・1」。94年以降、マーシャル側に公開された計約2万ページの公文書に報告書が含まれていた。被ばくした妊婦12人を含む島民253人を対象に、白血球数など血液の変化のほか、放射能による皮膚のやけど、つめの変化などについて分析している。
エネルギー省の説明では、風向きなどで島民に予期しない放射能被害が生じたため、海軍医だったユージン・クロンカイト医師らを中心とする医学チームを緊急に組織し調査した。現在もブルックヘブン米国立研究所(ニューヨーク州)が、人体への長期的影響などの調査を続けている。
この研究の「事前計画を示唆する文書」としてマーシャル側が注目しているのは、前年の53年11月に軍などの合同任務部隊が、実験に必要なデータ収集の項目、担当者などを記した「科学プログラムの概要」。「爆発規模の測定」や「放射能の影響」など全19項目のうち、第4項目「生物医学研究」の第一の研究課題であることを示す「4・1」項に、「大規模兵器からの降下物によるベータ、ガンマ線に被ばくした人間の反応の研究」と記されている。
このためマーシャル側は、この研究課題の結果をまとめたのが「プロジェクト4・1」報告書だと主張、事前に計画があったとする根拠としている。
だが、53年文書の「4・1」の項目は文書に別紙をはり付けた形になっており、ブルックヘブン研究所は、議会に研究予算を承認させるため「実験後に追加されたものだ」と説明。エネルギー省は、だれがなぜ、いつ追加したかについては確認できないとしている。
一方、在米マーシャル外交筋は、すでに米上院エネルギー委員会、下院天然資源委員会などに事実関係の再調査を要請しているとした上で、「文書は、米国がマーシャル住民らを対象に放射能の人体への影響を計画的に調べようとしていたとの疑いを強く抱かせるものだ」と述べ、「人体実験」への疑念を示した。
「事前計画」の可能性をめぐっては、同研究文書が公開される前の94年、マーシャル政府が米議会で「米軍は実験場の風向きの変化を事前に予測できたのに、住民を避難させなかった」などと証言した。

<ビキニ核実験> 米国が信託統治領だったマーシャル諸島で実施した核実験は1946年から58年まで計67回。ブラボーは広島原爆の約1000倍にあたる15メガトン級で最大規模だった。エネルギー省の前身の原子力委員会(AEC)と、各軍で構成する合同任務部隊(JTF7)が実施。科学、軍事両面からデータ収集を進めた。(朝日新聞 1998/01/05)

ビキニ実験「人体研究」 「事故後の医療目的」強調
指揮のクロンカイト医師に聞く
【ワシントン4日=石合力】ビキニ環礁での水爆実験(1954年)で、人体研究「プロジェクト4・1」を指揮したユージン・クロンカイト医師(83)は昨年12月中旬、ニューヨーク州の自宅で朝日新聞記者のインタビューに応じた。主なやりとりは次の通り。

──この調査の目的は?
調査とは事前に計画したうえで実施するものだ。これは事故後に、被ばくした米兵とマーシャル人の手当てをするためのものだ。

──なぜ、「4・1」と命名されたのか。
その質問に私は答えられない。最初からそういう名前だったからだ。(核実験を統括した各軍の)合同任務部隊が決めたのではないかと思う。

──53年の文書をどうみるか。
単なる作りごとだと思う。陸軍によっていくつかの動物実験は事前に計画されていたが、その後、不必要と削除された。

──医療目的の研究というが、「勧告」では医療にほとんど触れていない。
これは、どのような情報がさらに必要かを勧告するより科学的な文書で、別にマーシャル人の生涯研究を勧告した文書がある。

──なぜ、研究対象を4島だけに絞ったのか。
その質問には答えられない。なぜ、彼らを避難させられなかったのか、知らない。軍が放射能を測定し、医学的に問題ないと結論づけたのだろう。

──その決定は、科学者として正当と思うか。
合理的だ。重要なのは、ソ連の恐怖から実験プログラムの実施が急務だったということだ。当時、彼らは我々より進んでいたのだ。

略歴
1942年に海軍入り。専門は血液学で46年にビキニ核実験の担当血液学者に任命される。54年に「4・1」を指揮。同年秋、ブルックヘブン国立研究所に移り、今もビキニ実験被ばく者の研究をしている。

島住民の疑念さらに強まる

<解説> 米軍がビキ二水爆実験で被ばくしたマーシャル諸島の住民らを対象に実施した人体研究「プロジェクト4・1」は、全島が被ばくしたにもかかわらず、約250人だけを対象に選び、報告書が出た後も、現在に至るまで40年以上にわたり長期調査を続けてきた。米エネルギー省は「医療」と主張するが、報告書はデータを「被ばくした人間の最も完全なデータセット」と呼ぶ。事前に計画を示唆する米公文書の存在は、マーシャルの人々の「人体実験ではないか」との疑念を強めた。
この被ばくが「意図的」だったとの疑惑は、これまでも示されてきた。米政府文書によれば、被ばくが判明した後、米兵はシェルターに退避し、34時間以内に全員救出されたが、地元住民は、最も早い環礁で50時間も放置された。
研究を指揮したクロン力イト医師も「ビキ二実験では、それまで行われていた住民の事前避難が、予算上の理由で実施されなかった」ことを明らかにしている。「偶発的」の根拠とされている「風向きの変化」についても、マーシャル側は、米政府が気象学者らの事前の警告を無視して実験を強行したと指摘してきた。
ビキ二核実験にたずさわった原子力委や軍部の当局者の多くは亡くなり、生存者が「研究は後で追加されたもの」と口をそろえるなか、「事前計画」の立証は難しい。カギを握るのはやはり「情報公闇」だろう。
今回の文書公開のきっかけともなったオリアリー前長官の「公開政策」が復活すれぱ、エネルギー省が自らの公文書でそれを証明する時代が来るかもしれない。(ワシントン=石合 力)

<報告書要旨>

4日明らかになった米エネルギー省のプロジェクト4・1最終報告書「放射性降下物に偶発的に被ばくした人間の反応の研究」の抜粋は次の通り。

【目的】(1)放射性降下物で被ばくした程度の調査(2)被ばく者への治療提供(3)放射線による負傷の科学的研究を行う。
【被ばく者の状況】最大の被ばくをした現地住民は、ヤシの葉で簡単に造った家に住み比較的原始的な生活をしていた。
米軍の要員は放射性降下物の危険性を知っており、皮膚を守るため即座に重ね着をした。軍の任務に差し支えない限り、アルミ製シェルターに避難し続けた。現地住民でも降下時に泳ぎに行っていた子どもらは、水の中で多量の放射性物質が皮膚から洗い落とされた。
【爪(つめ)の変色】被ばく後23日目に、指の爪が青茶に変わる現象が観察された。変色が全体に及ぶと爪がはがれる現象が数例、観察された。変色は白人にはなかったことから、放射綜に対する有色人種に特有の反応とみられる。
【結論】(放射線の)べー夕線による皮膚の損傷について次の結論が導き出される。(1)核爆発地点から相当の距離があっても、放射性降下物による深刻な皮膚損傷が起きる可能性がある(2)広い範囲の皮膚損傷があっても、体内や血液への影響はほとんど見られない(3)迅速な皮膚の汚染除去が必要(4)皮膚損傷の兆候が見られる前の潜伏期間が数日から3、4週間ある(5)重ね着またはシェルターヘの避難により皮膚はほほ完全に防護される。
【放射能による体内汚染】現地住民と米国人グループの各体内の平均的なベータ線の状況を比較すると、ほぼ同じ被ばく量であるにもかかわらず米国人のほうが体内汚染の程度がやや低い。この違いは、現地住民が避難するまで汚染された食べ物や飲み物をとり続けたためとみられる。
【勧告】次の分類に従って実験室で追加データを得るための措置がとられるべきである。(1)ガンマ線に被ばくした大きな動物、できれば人体の血液反応。通常の被ばく後30日間を過ぎた、できれば最低1年経過後のデータが必要(2)ベータ線のエネルギーを変えるなどした際の人間の皮膚の反応。(朝日新聞 1998/01/05)

ビキニ核実験 致死放射線量を推定 「広島・長崎」と比較
元軍医ら認める
【ワシントン5日=石合力】米国が太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で1954年3月に行った水爆実験の際、被ばくした島民らを対象にした米軍の人体研究「プロジェクト4・1」で、広島、長崎の被ばく者のデータと比較して、核兵器使用を想定した作戦立案に欠かせない人間の致死放射線量を導き出していたことが、研究報告書や担当した元軍医の証言で明らかになった。この研究については、実験の前年から計画していた可能性を示唆する別の米軍文書が見つかっており、マーシャル政府は「人体実験の疑いがある」と米議会に調査を求めている。被ばく者のデータは、米国が広島、長崎につくった原爆傷害調査委員会(ABCC)=現・財団法人放射線影響研究所=によるもので、それが「灰色」の研究で軍事目的に使われていた。
米政府がマーシャル側に公開した研究報告書によると、広島・長崎で死亡した人の多くは、白血球の一種で殺菌機能を持つ好中球数が、1立方ミリ当たり1000以下と正常値を大きく下回っていた。動物実験では球数が1000以下に減る放射線の線量は50―100ラド(当時の単位でリンコン)と出ていたため、人間では100―200ラドと推定し、島民が浴びた線量と球数との関係を比較研究した。
最も被ばくの程度が大きかったロンゲラップ環礁住民の約4割が球数1000―2000だったが、病気の兆候はなく健康だった。このため、付近の空気中の線量約175ラドより50―100ラド高ければ死者が出ていたと推定し、人間が死に至る放射線の量を示す「最小致死吸収線量(MLD)」を約225ラドとしている。
当時軍医として研究を指揮したユージン・クロンカイト氏(現・ブルックヘブン米国立研究所)は朝日新聞記者に、「この推定値を得られるかが軍部が指示した研究の主要課題の1つだった」と語り、医療だけでなく軍事目的が含まれていたことを認めた。
MLDは「4・1」研究以前から推定されてはいたが、極めて高い数値となっており、「この研究で放射能の危険性への懸念が強まった」という。
ABCCは、原爆放射線被ばくの健康に及ぼす影響に関する長期的調査を目的にエネルギー省の前身、米原子力委員会(AEC)の資金提供で47年に設立された。翌年に調査を始めたが、被爆者から「検査ばかりで治療しない」との批判が相次いだ。ABCCの活動を引き継いで75年に日米合同でつくった放影研は、設立目的に「平和目的の下に、放射線の人に及ぼす医学的影響を調査研究」するとうたっている。

「偶発」説明 強まる疑念

<解説> ソ連との核軍拡競争のさなかだったビキニ実験当時、米軍がどうしてもほしかったデータがMLDだった。研究を指揮した医師は、このデータを得ることが軍が命じた主要課題の1つだったと明かしている。「主目的はあくまで医療」(米エネルギー省)と説明される研究に軍事目的もあったことは、マーシャル政府の疑念を強めるものといえる。
報告書を見ると、MLDは動物実験と「広島・長崎」に「ビキニ」が加わることで、初めて有効な推定が可能になったことがわかる。被ばくが「偶発的事故」だったならば、米軍にとって、これほど絶妙の事故はなかっただろう。
同時に報告書は、広島や長崎で被ばくした人たちが抱いてきた「検査ばかりで治療しない」というABCCに対する批判が的を射ていたことも示している。
ABCCが集めたデータは、原発事故の被害者治療や放射線を扱う職場の安全基準作りなどでも役立った。だが、ビキニ「核実験」は、そこで生活する人々にとっては、まさに「核戦争」だったことも忘れるわけにはいかない。(ワシントン=石合 力)(朝日新聞 1998/01/06)

米核実験のマーシャル諸島 財源細る被ばく補償
若年層にも被害が拡大 米からの基金支払い膨らむ
米国が冷戦期に実施した核実験の放射能汚染に苦しむマーシャル諸島共和国で、被害補償のため米政府からの基金をもとに設立された核損害賠償裁判所(本部・マジュロ)が、深刻な財源不足に陥っている。健康に障害を訴える人々が予想以上に増えたためで、支払いが追いつかないだけでなく、全額を受け取る前に亡くなる高齢者も目立つ。この裁判所の財源難は、マーシャル政府が、核の「人体実験」疑惑を理由にして米国に追加補償を求める動きの背景にもなっている。(マジュロ〈マーシャル諸島共和国〉=石合 力)

甲状せん7割

「ロンゲラップにいた人なら珍しいことではない」。避難先のマジュロに住むハリー・ボアズさん(51)は、首もとの手術跡を見せた。6歳で被ばくし、30歳を過ぎてから甲状せんがんの手術を受けた。心臓発作で昨年倒れ、伝道者の職を失った。
1946年から58年まで続いた核実験から長年を経た今、特に目立つのは甲状せんの異常だ。88年から補償の支給を始めた裁判所に対し、放射線に起因する病気にかかって補償を申請した計1500人の約7割を占める。実験後に生まれた若年層にも被害が広がっているという。
被害補償を盛り込んだ自由連合協定を締結した82年、米国は、被ばくの範囲をロンゲラップなど実験場周辺の環礁に限定していた。裁判所は米の公文書などから91年、マーシャル諸島全体を申請の対象に拡大した。米国は95年になって大統領諮問委員会の報告書で全島への被害を公式に認めたが、基金1億5000万ドルは増額されなかった。基金による「医療ケア」は4つの環礁だけが対象だ。
マーシャルに住む米国人で裁判所の広報担当ビル・グラハムさん(51)は、「米国がケアの対象にしていない島で93年から東北大の医療チームの協力で健康調査を実施したところ、甲状せんの異常が相次いで見つかった。これも申請急増の理由だ」と話す。

「米と不公平」

申請の増加に伴い、支払額も増えた。97年までの支払総額は6300万ドルを超え、協定が発効した86年から2001年までの15年間に見込まれていた運用益約4500万ドルを大きく上回っている。
この結果、病名ごとに定めた規定額の半分以上を申請時に受け取っていたのが、96年からは25%に減額された。97年以降、規定額の数パーセントしか支給できない。いま発病して2年で亡くなれば、本人の受取額は3割だけだ。
規定額は、米国が実験場の風下にあたるネバダ、ユタ、アリゾナ州の当時の住民らを対象にした「被ばく補償法」に準じて定めている。が、米国市民は申請時に全額を受け取れるのに比べて違いは大きい。同諸島のミュラー外相は「核実験でモルモット扱いされたうえ、米国の被害者よりも受取額が少ないのは不公平だ」と話す。
基金は、マーシャル政府が米民間投資会社などに委託して運用している。87年秋の株価大暴落で大きく目減りしたこともあり、今は1億ドル弱まで落ち込んだ。米国経済が好調を維持しても、十分な運用益を出すのは難しい状況だ。

協定に反対も

裁判所は、健康被害の補償のほか、死の灰で汚染され使えなくなった土地の賠償も扱うことになっている。当面、被害の大きいビキニ、エニウェトク、ロンゲラップの3環礁を優先して進めている。被害総額は、少なくとも数億ドル。
「ほとんど算定不可能でだれも分からない」(グラハム氏)のが実態だ。
これらの環礁の人々は協定発効前、米連邦地裁に損害賠償を申し立てていた。ところが、協定は核損害賠償裁判所が「唯一の窓口」と定めているため、独立後に訴えは門前払いされた。
ビキ二環礁の代理人、ジャック・ニーデンタールさん(40)は、「ビキニの人々は、補償が不十分だとして、8割以上が協定を結ぶのに反対していた。追加補償を求める動きは遅すぎる」と政府を批判する。
「核実験に関する過去、現在、将来のあらゆる請求権の完全な解決として制定」した、とうたう協定と、マーシャルが抱える現実との差は余りにも大きい。

<自由連合協定> 米国の信託統治領だったマーシャル諸島共和国が、内政と外交は自国で行う一方、安全保障を米国にゆだねて基地を提供する代わりに、経済援助を得ることを取り決めた。 86年10月の協定発効でマーシャル諸島は事実上独立した。協定のうち経済援助を得る条項は2001年に見直される。核被害補償に関しては、新事実が明らかになった場合、見直しできる規定がある。ミクロネシア連邦、パラオ(ベラウ)共和国も同様の協定を米国と結んでいる。(朝日新聞1998/01/14)

白血病のゴルバチョフ夫人・ライサさん 『核実験原因』とロ紙
【モスクワ17日共同】ドイツ北西部ミュンスターの大学病院で闘病生活を送っているゴルバチョフ元ソ連大統領夫人、ライサさん(67)の重度の急性白血病は、旧ソ連の核実験場の放射能が原因だった−。
15日発売のロシア週刊紙モスコフスキエ・ベドモスチは、ライサさんの病気が、旧ソ連カザフスタンのセミパラチンスク核実験場からわずか100キロのロシア南部アルタイ地方ルプツォフスクで、約20年間生まれ育ったことと関係があるとの見方を伝えた。
報道が正しければ、ソ連大統領時代に東西冷戦を終結させ、激烈な核軍拡競争に幕を引いたゴルバチョフ氏の妻が、旧ソ連核兵器開発の犠牲者となっている可能性もある。
同実験場では、米ソが核軍拡競争を続けた1949年から89年までの間、延べ500回に上る核実験が行われ、約30万人が放射能汚染の後遺症に悩まされているとされる。
同紙によると、特にライサさんが少女時代の40年代、セミパラチンスクとアルタイ地方の住民は強い放射線を被ばく、多くの住民が白血病に苦しんでいる。(中日新聞 1999/08/17)

NPT派遣団が米ネバダ核実験場で抗議の座り込み
24日から米ニューヨークの国連本部で開催される核不拡散条約(NPT)再検討会議に合わせて渡米した原水禁などの「NPT再検討会議派遣団」約20人が21日、ネバダ核実験場を訪れた。地元のネバダ州やカリフォルニア州、アリゾナ州などから集まってきた反核運動家らとともに抗議の行進をした後、「立ち入り禁止」と書かれた標識の前で、地元の警察官らの監視の中、米の未臨界核実験や核兵器開発に対する抗議の座り込みをした。
派遣団のほか、集まった在米の反核運動家や市民グループのメンバーは約30人。うち約10人は、意識的に境界線を越え、拘束されることによって抗議の意を示した。先祖代々の土地の中に核実験場が位置する先住民族ウエスタン・ショショーニ族のコービン・ハーニーさん(80)は、警察官に詰め寄って、「これ以上我々の土地を汚染するな」と訴えた。NPT派遣団のメンバーで被爆者の坪井直・広島県被団協事務局長(74)は「核兵器廃絶を願う心に、国境や民族の壁はない。互いに協力し合ってがんばっていきましょう」と呼びかけた。(朝日新聞 2000/04/22)

カザフスタン:ほぼ全土で核汚染 国連調査委で判明
【ジュネーブ30日大木俊治】中央アジアのカザフスタンで旧ソ連時代、軍事施設以外で地下核爆発を繰り返したり、放射性物質が含まれたミサイルの部品が地上に落下するなどの結果、約272万平方キロの国土の大部分が放射能に汚染されている懸念が強いことが、30日わかった。観測結果によると、自然放射線量の全国平均値は地球平均(2.4ミリシーベルト/年)の2〜3倍と推定される。この数値はただちに人体に影響を与えるものではないが、これほど広範囲にわたる放射能汚染は例がない。調査した国連欧州経済委員会(ECE、事務局・ジュネーブ)は近く一部の地域で住民の健康調査に乗り出す。
同委員会は昨年5〜8月に環境問題の専門家18人で結成したチームが現地入りし、カザフスタン政府から聞き取るなどの調査を行い、報告書にまとめた。
それによると、ソ連当局は1966〜87年、天然ガス液化貯蔵庫の建設や地質調査を目的とした「平和目的の核爆発」をカザフの地下9カ所で計32回実施。
西部のアズギル実験場(アティラウ州)では17回中10回の核爆発で、放射性物質が大気中に漏れた。跡地の土壌は放射性のセシウム137が最高地点で1平方メートルあたり320キロベクレルと汚染されていながら、遮ぺい物もなかった。風で周辺に拡散しており、住民の被ばくが懸念されている。
このほかバイコヌール宇宙基地などから発射されたミサイルの部品や破片が、弾道下の広い地域に落下していたことも判明。弾道コースはほぼ全土にわたり、ミサイル部品に含まれる放射性物質が汚染を広げている。ミサイルの弾道コース周辺ではいずれも高い放射能数値が計測されるのは間違いないとされる。
ソ連軍はカザフ東北端のセミパラチンスク核実験場で89年までに計456回の軍事目的の核実験を実施した。跡地周辺ではがんや白血病患者の急増など放射能汚染の影響とみられる健康被害が報告されているが、国土のほぼ全域での放射能汚染は同実験場以外の核爆発やミサイル部品などが主要因の可能性が高い。(毎日新聞 2001/05/01)

カザフスタン:放射能汚染 旧ソ連「負の遺産」重く
【ジュネーブ30日大木俊治】国連欧州経済委員会(ECE)がまとめた調査報告で、日本の7倍以上の国土を持つカザフスタンの大部分が広範囲にわたって放射能で汚染されている恐れが指摘された。旧ソ連の負の遺産が野放しになっている現状が浮かび上がったといえる。
ソ連時代、軍事目的とは別に「平和目的の核爆発」が各地で実施され、旧ソ連全土で非軍事利用の核爆発は153回行われたという。同委員会調査チームのカーネルト団長によると、カザフスタンでの32回の地下爆発の全容が公表されたのは初めてだ。
カザフでは現在の首都アスタナがあるアクモラ州でも1973年に地下400メートルでTNT6.3キロトン相当の核爆発が行われていた。核爆発が実施された地域の総面積は、セミパラチンスク実験場も含め15万平方キロに及ぶ。
しかし、いずれも当時はソ連当局の管轄だったため、現在のカザフスタン政府は詳細な実態を把握していない。加えて独立後のカザフ政府の資金難などで、住民の健康被害調査なども行われてこなかった。このため同委員会は、手始めにカプスチンヤール周辺とアクモラ州の2カ所で、カザフ政府などと合同で住民の健康調査を計画している。
今後の調査で放射能汚染が明確になれば、広範囲にわたる汚染地域の封鎖や、住民の汚染地域からの移住といった新たな難題が浮上する。さらに石油や天然ガスなどカザフが経済再建の頼みの綱としている地下資源の汚染対策も急務となり、その影響は深刻だ。(毎日新聞 2001/05/01)

核爆発実験:英、兵士の意図的な被ばくを認める
英BBC放送などによると、英国防省報道官は12日、同国が1950年代にオーストラリアの砂漠で実施した核爆発実験に参加した英、オーストラリア、ニュージーランドの兵士18人が、放射線防護服の性能を調べる目的で意図的に被ばくしたことを認めた。英政府はこれまで意図的に被ばくした兵士はいないとしていたが、同報道官は、兵士は事前に被ばくに同意しており、浴びた放射線量は「低レベル」と釈明した。(ロンドン共同)(毎日新聞 2001/05/14)

過去の核実験で米国民1万5000人が死亡 米紙報道
1日は、太平洋ビキニ環礁での米国の水爆実験(54年)で第五福竜丸が死の灰(放射性降下物)を浴びた「ビキニデー」。地上核実験の死の灰で米国内だけで1万5000人以上ががんで死亡したと、28日付米紙USAトゥデーが伝えた。米疾病対策センター(CDC)と国立がん研究所(NCI)による未公開の研究結果としている。
研究によると、従来知られていたよりもはるかに大量の死の灰が、旧ソ連や米英の核実験場から届いていた。このため、米ソの核実験が本格化した51年以降、米国に住んだ人は全員が死の灰の影響を受け、がんによる死者が少なくとも1万5000人増えた。さらに2万人以上が死には至らなかったものの、がんにかかったと分析している。
増えたがん死のおよそ4分の3は死の灰による外部被ばくで、残りは死の灰を吸い込んだり、汚染されたものを飲食したりして起きる内部被ばく。地上での核実験は63年以降禁止され、死の灰による健康影響は次第に小さくなっているという。
米国内では、ネバダでの核実験による健康被害に対して補償を求める訴訟などが起きている。研究はそうした動きに対応したものだ。昨年夏にまとまったが、「厚生省内部での再検討と同時多発テロの影響」で公表が遅れているという。(朝日新聞 2002/03/01)

核実験:影響で米国民1万1000人が死亡 多くは甲状腺がん
【ワシントン斗ケ沢秀俊】米科学アカデミーの研究委員会は11日、「51〜62年の核実験による米国民の過剰死は約1万1000人」と見積もった米疾病対策センター(CDC)の報告書が「妥当で、公表されるべきだ」との見解をまとめ、連邦議会に報告した。
同アカデミーは、政府や議会に助言する専門家の機関。CDCは97年に核実験の影響を検討して報告書をまとめたが、「再解析が必要」との理由で公にしていなかった。昨年3月、内容の一部が明らかになり、議会が同アカデミーに調査を依頼していた。
CDCの報告書は、51〜62年に実施された大気圏内や地下での核実験によって放出された放射性物質の影響で「米国民ががんで死亡する確率は0.03%増えた。1万1000人以上の過剰死を引き起こした」と指摘したとされる。多くは放射性ヨウ素による甲状腺がんによる死亡だという。
同アカデミーは「放射線量や人体影響の見積もりは合理的だ」と報告書の内容を支持し、CDCが文書やホームページなどで報告書の全文を公表するよう求めた。(毎日新聞 2003/02/12)

各国指導者は核もてあそぶ 第五福竜丸の大石さん批判
太平洋ビキニ環礁で1954年、米国の水爆実験で被ばくした第五福竜丸の元乗組員の大石又七さん(69)は4日、広島市で開かれた原水爆禁止日本協議会(原水協)などの主催する国際会議に出席し「この半世紀、水爆実験のために人生を変えられた」と被ばく者としての苦しみを訴えた。
大石さんは「乗組員23人のうち半数の12人が亡くなり、わたしも肝臓がんになった。最初の子どもは死産だったが日本政府は『被ばくとは関係ない』と言って認めていない」と批判。
さらに「核兵器は人類の敵として反対運動が続けられてきたのに、なくなるどころかますます造られ、各国指導者たちがもてあそんでいる」とした上で「死を選ぶか、生きることを選ぶかは指導者ではなく、わたしたち1人ひとりの行動にかかっている」と力説した。(共同通信 2003/08/04)

CIA、水爆実験偵察疑い第五福竜丸調査 証拠なし
54年のビキニ水爆実験で、米国が設定した危険区域近くで操業中に被災したマグロ漁船・第五福竜丸に対し、米中央情報局(CIA)が実験を偵察していた「スパイ船」の疑いをかけ、調査報告書を米原子力委員会に出していたことが分かった。報告書の結論は「証拠なし」だったが、冷戦下、核開発にしのぎを削った米ソ対立の一端を示している。
CIA報告書(覚書)の表題は「水爆実験における福竜丸の被曝(ひばく)状況調査」(全文3ページ)。54年4月29日付で、秘密工作担当部局の責任者が、核実験を管理していた米原子力委員会の委員長あてに作成した。90年代後半に機密解除された米公文書の中から広島平和研究所の高橋博子研究員(34)が見つけた。
報告書によると、調査の主目的は「核爆発偵察のために危険区域に近づいた形跡はないか」「帰港前にソ連側の船と接触したのか」など。1カ月余り調査し、「正当な漁業目的があり、スパイ活動の証拠はない」と結論付けている。
一方、朝日新聞社が入手した米国務省作成のビキニ事件記録によると、54年4月3日、日本の外務省は乗組員の政治思想などを在日米大使館に提供。米の調査に協力していたこともわかった。
米国は当時、ビキニ環礁を囲む東西630キロ、南北280キロを危険区域とし、警戒していた。第五福竜丸は同区域の東方約30キロで被災した。米国は核情報の手がかりとなる死の灰がソ連側に渡ることと、反米宣伝の広がりを警戒しており、米原子力委がCIAに調査を指示したとみられる。(朝日新聞 2003/11/16)

ビキニ水爆実験:大学院生が被ばく者に聴き取り調査
1954年3月1日、現マーシャル諸島共和国のビキニ環礁で行われた米国の水爆実験をめぐり、日本の大学院生が同環礁の南東約525キロにあるアイルック環礁の被ばく者48人に聴き取り調査を行った。被害実態が未解明で被ばく後の補償もないアイルック環礁での本格的な調査は初めて。日本の漁船「第五福竜丸」も被ばくしたこの実験から来年で50年。同国はアイルック環礁も含んだ補償を米議会に求めており、今後の動向が注目される。
調査したのは、早稲田大大学院アジア太平洋研究科の竹峰誠一郎さん(26)=千葉県松戸市。01年1〜7月の間、2回にわたりアイルック環礁に滞在し、48〜90歳の被ばく者48人から聴き取りをした。追加調査などを行い、今月8日、日本平和学会秋季全国研究集会で一部を発表した。
48人のうち、放射線被ばくの影響と見られる甲状腺腫瘍(しゅよう)があると答えたのは4人。「粉(死の灰)を浴びたところがかゆくなった」「夫と娘ががんで死んだ」など、自分や親しい人に被ばくによるとみられる健康被害を訴えたのも8人。流産や死産、障害を持った子どもが生まれたことを挙げた人は4人いた。竹峰さんは「答えなかった人の中にも、被害者はいるはず」と指摘する。
水爆実験の様子について、住民らは「空が黄色く光った」「“ボーム”という爆発音を聞いた」と表現。爆発の正体は分からず、危険な放射性降下物(死の灰)を触ってしまった人もいた。
実験の5日後、米特別調査隊が残留放射能調査のため到着し、この時初めて核実験だったことが分かった。しかし、住民たちは放射能汚染の重大さを知らず、避難しなかった。
マーシャル諸島共和国は86年に米国と自由連合協定を結び独立。協定の中で、ビキニ、エニウェトクなどの4環礁に対する核被害を認め、1億5000万ドルを拠出。しかし、アイルック環礁などの住民たちは追跡調査の対象にならず、補償もされていない。マーシャル政府は00年、4環礁以外の被ばく者への補償を米国に求めたが、回答はない。
竹峰さんは「ヒバクシャ自身が核実験をどう考えているかを明らかにしたかった。ヒバクシャの存在を忘れず、平和をどう取り戻していくかに目を向けてほしい」と話している。【中野彩子】(毎日新聞 2003/11/20)

健康被害:核実験に携わった、仏退役軍人ら提訴へ
【パリ福島良典】フランスによる核実験に携わり、健康被害を被った退役軍人らが28日、仏当局を相手取り、危険を承知しながら十分な防護措置を取らずに実験を強行したとして、損害賠償請求訴訟をパリの裁判所に起こすと発表した。
フランスは1960〜96年の36年間にアルジェリアのサハラ砂漠と、南太平洋に浮かぶ仏領ポリネシアで210回の核実験を実施した。実験に携わった関係者は推定15万人にのぼる。
原告団は白血病やがんなどに苦しむ退役軍人ら11人と退役軍人団体、ポリネシアにあった実験場の元労働者の団体。
原告団は「仏軍事・政治当局は実験に取り組んだ要員や近隣住民が晒される危険を知らないはずはなかった」「汚染や放射能への防護措置が手薄だった」と主張、当局の責任を追及している。
仏政府はこれまで核実験による近隣住民らへの健康被害はないとの立場を取っている。だが、退役軍人団体の調査によると、退役軍人720人のうち31.6%ががんに罹患、同年代のフランス人平均の17%を大幅に上回っている。(毎日新聞 2003/11/29)

病理標本、米側が独自調査 第五福竜丸事件から半世紀
【ラスベガス(米ネバダ州)8日共同】静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が1954年3月、中部太平洋・ビキニ環礁付近で米国の水爆実験による「死の灰」(放射性降下物)を浴びた事件で、半年後に死亡した無線長、久保山愛吉さん=当時(40)=の遺体の組織の一部が米国に渡り、病理標本となったことが8日、米ネバダ州のエネルギー省(DOE)核実験公文書館に保管されている内部文書で明らかになった。
それによると、久保山さんの組織は、ワシントンの米軍病理学研究所(AFIP)で標本にされ、同研究所と米原子力委員会(AEC、現DOE)の専門家が死因を調査したとされる。
久保山さんの死因をめぐっては当時、「放射能症」と発表した日本側と「輸血による黄疸(おうだん)」と主張する米国側との間で大きな食い違いがあった。(共同通信 2003/12/08)

米、マーシャル核実験被害者らへの医療援助打ち切りへ
太平洋マーシャル諸島で約半世紀前に実施された核実験の被害者らに米国が進めてきた医療援助などの健康管理事業が、今年末で打ち切られることがわかった。
米国はマーシャル諸島共和国の中で、1946年から58年にかけて核実験場にしたビキニ、エニウェトク両環礁と、風下で「死の灰」を浴びたロンゲラップ、ウトリック両環礁の計4環礁の島民とその子孫約1万6000人(同国の人口の約4分の1)を対象に、86年から毎年総額200万ドルを出資し、定期検診や巡回医療を実施してきた。
しかし本国の財政難や、被曝(ひばく)者ら核実験の直接被害者には既に1.5億ドルを拠出してがんなどの病気ごとに補償金を支払ってきたことから、健康管理事業については数年前から打ち切りの意向を表明してきた。
同事業の継続を米国側に求めてきたロンゲラップ環礁出身のアバッカ・マジソン上院議員が、朝日新聞記者の国際電話に、今年末で打ち切られることを明らかにした。同議員は「打ち切り決定でヒバクシャらは大きな衝撃を受けている。核実験による島民への健康被害は半世紀近くを経た今も続いており、米国には今後ともその責任を果たすよう再交渉していく」と話している。(朝日新聞 2003/12/08)

「計算ミス大量被ばくに」 ビキニ水爆目撃の米教授
【メンドシーノ(米カリフォルニア州)11日共同】ビキニ環礁で1954年3月に行われた米国の水爆実験を艦船上で目撃、その後住民の医学調査に携わったカリフォルニア大ロサンゼルス校のドナルド・パリヤ名誉教授(72)=病理学=が12日までに、共同通信の取材に応じ「北西の水平線いっぱいに太陽のような火の玉が上がった」と半世紀前の惨事を振り返った。
静岡県焼津市の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人やロンゲラップ環礁などの住民らが「死の灰」(放射性降下物)を浴びた水爆実験をめぐっては、当初5、6メガトンと予定された威力が、実際には15メガトンに上ったほか、想定外の東向きの風が吹いたとされる。
パリヤ教授は「威力の計算ミスや風向きの変化が重なり、大量被ばくにつながった」と指摘した。(共同通信 2003/12/12)

ビキニ被災50年 「死の灰」の危機再びか
米国が「ブラボー」と呼んだ水爆実験で、中部太平洋マーシャル諸島の住民や、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員たちが被曝(ひばく)した。この「ビキニ被災」から3月1日で、ちょうど半世紀を迎える。
広島原爆の1000倍という巨大な威力。その衝撃は、原水爆禁止運動がうねりのように全国に広がり、ヒロシマ・ナガサキの原爆被害をあらためて世界に広める契機ともなった。しかし、21世紀を迎えた今、核保有国は拡散を続ける。小型核兵器の開発の動きもある。人類と地球に再び、「死の灰」を降らせるのか―。(森田裕美)

実験名は「ブラボー」。15メガトンの水爆が爆発し、放射性物質が降り注ぐ。漁船「第五福竜丸」の23人が操業中だった。
1954年3月1日、米国は当時、国連信託統治領だった中部太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で水爆実験「ブラボー」を実施した。威力は、当時としては史上最大の15メガトン、広島型原爆の1000倍に上った。爆発で巻き上げられた砂やサンゴは、放射性降下物(死の灰)となって降り注いだ。風下にいた島民、米軍の観測兵、そして近海で操業していたマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員たちが被曝した。
第五福竜丸は、ビキニ環礁の東160キロ付近で操業中だった。乗組員23人が全員被曝した。2週間後の3月14日、母港の静岡・焼津に帰港。その年の9月、最年長だった無線長久保山愛吉さんが40歳で死亡。現在までに12人が亡くなっている。
日本政府は、日本の漁船の被災船数は856隻と発表している。これらの船の乗組員の汚染については不明のまま。水揚げされたマグロは放射能で汚染され、大量に廃棄された。
事件は、目に見えない放射線の恐怖を国民に突きつけた。広島、長崎の被害をあらためて感じさせた。こうして、東京・杉並の女性たちが署名運動に立ち上がるなど、原水爆禁止運動が盛り上がる。しかし、大衆運動として出発した運動はその後、政党色を強め、旧ソ連の核実験の評価をめぐり、分裂へと至る。
事件は翌年1月、米国が日本政府に200万ドルの慰謝料を支払うことで政治決着し、第五福竜丸の乗組員には1人平均200万円が支払われた。福竜丸はその後、数奇な運命をたどったが、現在は東京・夢の島で保存・展示されている。 「人類の平和のため」と住民は島を追われた。繰り返される移住。 放射能の除去作業は一部で今も続く。
マーシャル諸島は日本の東南約4000キロに位置し、29の環礁と5つの島からなる。
54年3月1日、水爆実験「ブラボー」は、風下のロンゲラップ環礁で86人、さらに東のウトリック環礁で166人(いずれも胎児を含む)の頭上に「死の灰」を降らせた。
被曝者は、この人数ではとどまらないとされる。米国は46―58年にかけ、マーシャル諸島北部のビキニ環礁とエニウェトク環礁で計67回の核実験を繰り返した。周辺の島民が、その放射性降下物を浴びたり、残留放射能で内部被曝したりした可能性は否定できない。
ビキニ環礁の住民は実験場となった当時、「人類の平和のため」との理由で島を強制退去させられた。ロンゲリック環礁、クワジェリン環礁、キリ島などを転々と移住。米国は68年にいったん安全宣言を出し、島民は帰ったが、ヤシの実から放射性物質が検出されるなどして、78年に環礁を閉鎖。島民は再び、キリ島に移住した。
現在は、短期間の滞在には問題のない汚染レベルとされ、ダイビングツアーもある。
ロンゲラップ環礁の住民たちは、「ブラボー」から丸2日以上が経過した後、米軍が避難させた。57年、米国の安全宣言によりいったん帰島したものの、放射線被曝の急性症状と似た症状が表れ、住民たちは85年、再び島から脱出した。
米国は98年から再定住計画を進め、今も放射性物質の除去作業が続く。住民たちは現在、無人島メジャトのほか、首都マジュロ、イバイなど人口密集地に暮らしている。
もう1つの実験場だったエニウェトク環礁は80年、米国の資金で環境整備され、移住させられていた住民たちは環礁の南部に帰島した。
米国はビキニなど4つの環礁での核被害を認め、1億5000万ドルを拠出。基金により住民への無料医療などが実施されてきたが、米側は追加補償には応じず、財源不足に。昨年末でとうとう事業打ち切りが決まった。
「ブラボー」実験では島によって避難措置などが異なることから、「人体実験」だったとの見方もある。(中国新聞 2004/01/01)

核実験過失 仏を提訴 南太平洋などで「健康被害」
【パリ2日坂井政美】フランスがサハラ砂漠や南太平洋で実施した核実験によって健康を損なわれたとして、退役軍人や現地作業員ら11人がこのほど、国に損害賠償を求める訴訟をパリの裁判所に起こした。核実験での国の過失責任を追及する集団訴訟は初めて。1960年から210回行った核実験について、政府は「クリーンで健康への影響はない」との立場だが、米、英など他の核保有国と比べ、被ばく被害者の救済制度は立ち遅れており、原告らは「日本の被爆者とも連携し、運動を進めたい」と話している。
提訴したのは、核実験に携わった退役軍人や、フランス領の南太平洋ポリネシアで実験場周辺の作業などに従事した住民らで、白血病やがんに苦しんでいる。サハラ砂漠で被ばくしたアルジェリア人元兵士らも近く訴訟に加わる見通しだ。
原告団によると、フランスが96年までの36年間に行った核実験には、約15万人が携わったとされるが、実験場周辺の汚染状況や軍関係者、住民の健康への影響などについて政府は軍事機密扱いとして公表していないため、実態ははっきりしないという。
しかし、退役軍人団体の調査では、実験に参加した元軍人のがん発症率は、同年代平均の2倍近く、「健康被害は明白」と訴えている。
原告団は「被ばくの危険性を十分知らせなかったうえ、放射能に対する防護措置も怠っていた」と主張。国の過失責任を明確にしたうえで、本人や遺族へ賠償金を支払うとともに、被ばくの実態を明らかにするために核実験に関する公文書の開示を求めている。
原告の一部は、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)が昨年8月、広島で開催したフランスの核実験被害を訴える国際会議に出席。広島、長崎の被爆者らと救済措置などについて意見交換した。
フランス、アルジェリア、ポリネシアの各被ばく者団体代表が一堂に会したのはこの時が初めてで、今回の提訴実現につながった。

■「安全対策怠った責任は重大」

フランス核実験退役軍人協会 バラックス会長に聞く
【パリ2日坂井政美】核実験が健康に与える影響を認めなかったフランスで、実験に参加した人たちが被ばくが原因とみられる深刻な健康被害に苦しんでいることが分かった。初めての集団訴訟に踏み切った原告団の中心となるフランス核実験退役軍人協会の会長で、医師でもあるジャンルイ・バラックス氏に被害の実情を聞いた。

──フランス政府は実験を「クリーンだ」としている。
「実験にかかわった元軍人や現地作業員の多くが、がんや白血病におかされている。同協会の退役軍人720人のうち32%ががんを発病。同世代の平均17%をはるかに上回る。この数字は、米、英での核実験参加者のがん発症率とほぼ同水準であることが、われわれの主張を裏付けている。広島、長崎で被爆した人々の医療データと照らし合わせても、原因が核実験による被ばくであることは明白だ」

──実験の安全対策に過失があったのか。
「元軍人らの証言によると、放射能の危険性を事前に知らされないまま、汚染地域で作業させられたり、防護服が作業員の半分にしか支給されなかったなどのずさんな実態が明らかになった。安全対策を怠った国の責任は重大だ」

──政府は過失責任を認めていない。
「個人で損害賠償の訴えを起こした数件について補償に応じたケースもあるが、あくまで“例外的な事故”という見解だ。実験関係者が被ばくによって発症する可能性のある疾病を大幅に認めている米国などと比べると、大きな開きがある。少なくとも、他の核保有国並みの補償を求めていきたい」

──この時期に提訴に踏み切ったのは。
「被ばくした退役軍人の高齢化が進み、多くの人が亡くなった。被ばくから数十年たって症状が現れる可能性もある。国にできるだけ早く過失責任を認めさせ、健康を損なわれた多くの人に救済の道を開きたい」

──昨年夏は広島を訪れた。
「人類史上初めて原爆が投下された象徴的な地で、フランスの実態を訴えた意義は大きかった。被爆者にささげられた千羽鶴や原爆ドームは胸に焼き付いた。ぜひ長崎も訪ね、日本の被爆者とも連携を深めたい」

──日本の被爆者団体は核兵器、核実験の廃絶を訴えている。
「退役軍人団体の会長としては、国防政策に絡む核保有の是非を論じられないが、個人として、また医師としては、一般市民を犠牲にする大量破壊は許しがたい」

<フランスの核実験> 米国の「核の傘」と一線を画した国防政策をとるフランスは、ドゴール大統領(当時)の「独自の核開発」宣言にもとづき、1960年にサハラ砂漠で最初の核実験を実施。以後、96年までサハラと南太平洋ポリネシアで210回の実験を行った。東西冷戦が終結し、包括的核実験禁止条約(CTBT)締結への機運が高まっていた95―96年に強行した核実験には国際的な批判が集中した。(西日本新聞 2004/01/03)

被ばく島民840人死ぬ 米実験で白血病など後遺症
日本に医療面で協力訴え ビキニ事件から半世紀
【マジュロ(マーシャル諸島)13日共同=和田茂樹】太平洋ビキニ環礁で米国が1946年から58年にかけ実施した原水爆実験で、白血病やがんなどの健康障害を負ったと認定された島民が1865人もおり、このうち約840人が死亡していたことが13日、マーシャル諸島共和国のまとめで明らかになった。
静岡県焼津市の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が死の灰を浴びたビキニ事件から、3月1日で半世紀。放射能に汚染されたビキニの島民は強制移住後の避難生活が今も続き、地元関係者は「同じ被ばく国の日本に医療面での積極的な協力をお願いしたい」と訴えている。
米国は46年から13年間にマーシャル共和国のビキニ、エニウェトク環礁で67回にわたり計約11万キロトンの核実験を実施した。
その当時から広い範囲で島民とその子供に放射線障害が表れ、米国は86年発効の自由連合協定の中で「核実験による被害賠償について責任を負う」と明言。91年から症状が認められる島民に対し健康被害補償の支払いを始めた。
白血病やがん、腫瘍(しゅよう)など35種類が対象で、症状により1万2500−12万5000ドルが支給され、総額約8300万ドル(約88億4000万円)が計上された。
同協定に基づき島民は地元の医療機関で個別の治療を受けているが、無料診断については財政難などを理由に今月末で打ち切られる予定。
島民の被害を審査する「核実験被害補償法廷」のビル・グレアム氏によると、昨年末までに約7000人が申請。このうち1865人が認定されたが、約4200人が却下された。「広島・長崎の放射線影響研究所の資料などを参考に認定を進めているが、ビキニ被ばくは甲状腺がんが多いのが特徴」という。
米国の核実験のうち、広島原爆の約1000倍に相当する「ブラボー水爆」は54年3月に実験が行われ、近くを航行中の第五福竜丸が死の灰をかぶり、乗組員23人が被ばく、12人が肝臓がんなどで亡くなっている。(共同通信 2004/01/13)

「第五福竜丸」死の灰運ぶ風、前夜から観測…米公文書
【ワシントン=笹沢教一】50年前の1954年3月1日、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」やマーシャル諸島の住民が被ばくしたビキニ環礁の水爆実験で、米国が前夜から当日朝にかけ、気象条件の悪化をめぐって実験の可否を何度も協議していたことが分かった。
本紙が米エネルギー省の核実験公文書館から入手した当時の資料から判明した。風向きが悪いことを知りながら実験に踏み切ったことは10年前に被害者側の弁護士の米議会証言で明らかにされたが、悲劇を招いた詳しい経緯が分かったのは初めて。
本紙が入手したのは、前夜の2月28日から実験直前まで数時間おきに行われた協議の記録や米軍の気象観測データなど。協議の記録には実験を行った米統合特別部隊のクラークソン司令官や米ロスアラモス研究所のグレイブズ博士ら責任者の名が記されている。
それによると、28日午前まで上空は風向・風速とも安定し、ビキニ環礁の南東に並ぶマーシャル諸島や、福竜丸が操業していた東方160キロの海域に被害が及ぶ恐れはないと判断された。午前11時の記録には「(実験に)好ましい」と明記されている。
しかし、同日午後、上空約2000―5000メートルの風向きが不安定になったことが判明。東のロンゲラップ島やロンゲリク島に死の灰を運ぶ恐れのある、主に西方からの風が上空に出てきた。午後6時の記録では「あまり好ましくない兆候がある」と短く記されている。
さらに1日午前零時には両島の汚染の可能性が検討されたが、「島に死の灰が到達するほど風は強くない」と住民の被害の恐れは軽視。一方、ビキニ東沖の米軍艦艇には万全の措置を取り、風下を避けて約80キロ南への移動を勧告した。
風の影響は実験直前の午前4時半にも協議されたが、米軍艦艇の退避措置を確認するにとどまった。
実験直前の気象データでは、上空2000―1万メートルで依然として北西―西からの風速2―13メートルの風が観測されている。しかし、延期の判断はなく、現地時間の午前6時45分、実験は決行された。
ビキニ環礁住民の法律顧問を務め、94年2月の米下院天然資源調査小委員会で実験は強行されたと証言したジョナサン・ワイスゴール弁護士は「明らかに実験に適さない条件だった。風向きの検討は行われたが、島の人たちのためではなく、米国側の安全のためだった」と批判している。(読売新聞 2004/02/23)

ビキニ水爆実験:被曝後遺症、50年経った今も
太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で米国が水爆実験をした「3・1ビキニデー」から50年。同環礁の東方海域で調査操業中だったマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が「死の灰」を浴び、無線長の久保山愛吉さん(40)が亡くなった事件は、日本の原水爆禁止運動の出発点となった。しかし、背後にあるマーシャル諸島共和国で大量の死の灰を浴びた島民の実情は、一般にはあまり知られていない。島民の現況と課題を探った。【沢田猛】

■残る放射能
「まだ多くの人たちが、被曝(ひばく)後遺症のがんなどに苦しんでいる。ロンゲラップの旧島民は避難先の島々に散在し、帰島にはまだ多くの時間がかかる」。2月13日、ロンゲラップ環礁選出の国会議員、アバッカ・アンジャイン・マディソンさん(37)は現地で語った。
同月21日、東京都内で開かれた「ビキニ水爆被災50周年研究集会」(日本平和学会関東地区研究会など共催)のため来日したマーシャル諸島短大核問題研究所のメアリ・L・シルク所長も、「ロンゲラップ環礁では水爆実験による死の灰が事前に告げられず、島民は被害をまともに受けた。残存放射能が一掃され、帰島できる日を心待ちにしている」と報告した。
米国の67回に及ぶ核実験は、核にむしばまれたマーシャル半世紀の元凶となった。残留放射能の影響で帰島できないロンゲラップ島の旧島民らは「放射能難民」として、別の島々に転々と移住を繰り返している。こうした「もう1つのヒバクシャ」の実情が日本に知られるようになったのは、70年代に入ってからだった。
首都マジュロにある「核被害補償法廷」(NCT)の核実験被害補償金受給者リストによると、認定被曝島民は93年で既に572人に達
し、米政府が従来報告してきた認定数の2倍を上回った。また、受給者がクワジェリンやマジュロのほか、ビキニから800キロ南にあるエボン島にも及び、マーシャルの全有人島に分布していることが明らかになった。

■島民への償い
米国の統治下にあったマーシャルは86年、独立した。米国はマーシャルに軍事的分野以外の外交と内政権を認める代わりに、米国が防衛権を維持し、15年間財政支援をする「自由連合協定」を締結し、マーシャルの独立を認めた。
協定の第177項で、米国はビキニ、ロンゲラップ環礁など4つの環礁への核被害とその補償責任を認めた。米国はマーシャルに1億5000万ドルを拠出し、これが原資となって「マーシャル諸島核賠償基金」が設立された。
同基金からは▽4環礁の地方自治体への補償金▽4環礁の島民への無料診療を含む健康管理措置▽米政府とは独立したNCTの運営による島民の疾病や土地被害に対する補償受け付け、認定、支払いの査定機関──が設けられた。しかし、同基金は現在、原資をほとんど使い尽くしている。
協定は昨年9月に失効し、新自由連合協定が同10月にスタートしたが、追加補償措置は盛り込まれなかった。

■帰島はいつ
ロンゲラップ環礁の本島・ロンゲラップでは98年以来、放射能汚染除去を含めた再定住計画が進められている。その費用は核賠償基金とは別に、4環礁の自治体がアメリカと個別交渉して得た補償金などを基にしている。
計画は帰島を図るステップが3段階に分かれ、滑走路拡張や主要道路の舗装化などインフラ整備は既に完了した。第1段階は米国から4500万ドルの提供を受けた。現在は第2段階で、第3段階は旧島民が帰島してから着手される。
計画によると、第2段階の施設費のうち、島民用住宅には250戸分、3910万ドルが用意されている。日本円にして1戸当たり約1700万円の勘定だ。
しかし、再定住計画の実施は、環礁全体で約60に及ぶ島々のうち本島だけに限られる。放射線被曝地調査でも、本島の残留放射能値は帰島しても安全な数値だったが、環礁北部は本島より高い汚染を示す数値が検出されている。環礁全域の再生は計画の中にはない。

◎ことば=ビキニ水爆実験
太平洋戦争後、米国はビキニとエニウェトック環礁で12年間に計67回の核実験を行った。広島型に換算して約7000発分に当たり、がんや白血病、甲状腺障害が島民に多発した。特に、1954年3月1日のビキニ水爆実験では、ロンゲラップをはじめ4つの環礁に暮らしていた島民239人に、放射能を帯びた「死の灰」が降り注いだ。(毎日新聞 2004/03/01)

“死の灰”はハワイまで届いていた…ビキニ核実験
【ワシントン=笹沢教一】50年前の1954年3月1日、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」やマーシャル諸島の住民が被ばくしたビキニ環礁の水爆実験で、実験直後に飛散した放射性降下物(死の灰)がハワイ諸島にまで及んでいたことが、読売新聞が米エネルギー省核実験公文書館から入手した秘密解除文書で明らかになった。
米国政府は1973年、死の灰による被ばく被害がマーシャル諸島の南側までを含めて計13の環礁にまで及んでいたことを認めていた
が、死の灰が微量ながらハワイ諸島にまで飛散していたことは公表していなかった。
今回の文書は54年4月19日に作成されたもので、実験当日から5日間に、米軍統合特別部隊が行った地上と上空からの1時間あたりの放射線量データが記載されている。それによると、ハワイ諸島のカウアイ島で毎時0.002ミリ・シーベルト(一般人の年間許容限度1ミリ・シーベルト)だったほか、ハワイ島、オアフ島などでも弱い線量が検出されていた。(読売新聞 2004/03/01)

ビキニ水爆実験から50年 第五福竜丸元船員 大石さん訴え 長崎市で講演
【長崎】太平洋ビキニ環礁での米国の水爆実験から50年たった節目として、原水爆禁止県民会議などは5日、被曝(ひばく)した第五福竜丸元船員、大石又七さん(70)=東京都=の講演会を長崎市筑後町の県教育文化会館で開いた。大石さんは800隻以上の日本の漁船が被曝したにもかかわらず、日米政府間の政治決着で調査されなかったことに触れ、「真相は隠され、忘れ去られた。私たち漁師は人柱だった」と怒りを込めて訴えた。
第五福竜丸は1954年3月1日に被曝し、23人の乗組員のうち、既に12人が死亡。「甲板に足跡ができるほど白い灰が積もった。白血球が激減し、大量の輸血で肝臓障害になり、1年2カ月入院した」と当時の状況を生々しく説明した。
被曝から9カ月後、政府は米国の責任を問わないまま、慰謝料を受け取って決着。ビキニ事件を発端にした原水禁運動がきっかけで成立した原爆医療法(現被爆者援護法)も、ビキニ被曝者は対象外になった。大石さんは「補償を求め声を挙げる人は少なく、大半は口をつぐんだ。自分が被曝者と知られることの方が怖く、私も東京に逃げ出した」と地元静岡で差別や偏見に苦しんだ体験を振り返った。
肝臓がん摘出後も各地で講演活動をしていることについて、「つらくて、公の場で恨み言を言ったことが始まりだった」と打ち明け、「人生半ばで死んでいった仲間の悔しさを、元気な私が伝え続けなければと思っている」と語った。(西日本新聞 2004/03/08)

50年代のビキニ核実験 日本近海に今も放射能
第五福竜丸が被ばくした水爆実験をはじめ、1950年代の一連のビキニ核実験で周囲にまき散らされたプルトニウムが、日本近海に堆積(たいせき)していることを、放射線医学総合研究所の山田正俊防護体系構築研究グループチームリーダーと鄭建研究員が31日までに確認した。
人体や環境に悪影響を与えるレベルではないが、この核実験によるプルトニウムの汚染が日本周辺で確認されたのは初めて。半世紀経た今も海流で運ばれてきているとみられ、過去の大気圏核実験で発生した降下物の海洋での動きを示すデータとして注目される。
山田リーダーは「プルトニウムが地球規模でどのような動きをしているかが分かれば、核事故の際の影響予測にも役立つ」としている。
原爆などに使われる核物質の組成は微妙に異なっており、放射性降下物の由来も、含まれるプルトニウム239に対する同240の割合を調べることで特定できる。
ビキニで発生した降下物の比率は約0.30だが、成層圏まで達し、さまざまな核実験によるものが混ざった降下物では約0.18となる。
研究グループは、相模灘などで90−91年に採取した海底泥試料を計測。50年代の層で0.28とピークになり、大半がビキニ実験の降下物と結論づけた。年代が新しいほど比率は低くなるが、80年代後半でも0.24前後で、詳しい分析の結果、ビキニ実験の降下物が含まれていた。放射能量は試料1グラム当たり最大13ミリベクレルで、米西海岸の10ミリベクレル、ペルー沖の24ミリベクレルに比べ特に高くはなかった。
プルトニウムはビキニ環礁付近から北赤道海流と黒潮で運ばれ、日本近海でプランクトンの死骸(しがい)や土の粒子などに付着して沈降しているとみられるという。(中日新聞 2004/08/01)

米軍機が水爆警告と元船員 「ビキニ50年」展閉幕
高知市桟橋通4丁目の市立自由民権記念館で開かれていた「ビキニ水爆50年 第五福竜丸の核被害を知ろう」展が15日、閉幕した。会期中は事件に巻き込まれたという元船員らが相次いで来場。半世紀の間、封印していた過去を証言した。
山下正寿・県ビキニ水爆実験被災調査団副団長(59)も「こんな話は初耳」という証言をしたのは、須崎市妙見町の横山寛さん(74)。当時、室戸のマグロ船に乗船。ビキニ環礁の西方で操業していた。
「アメリカの軍用機が頭の上へ低空で飛んできて、筒のようなものを落としていった。中に紙切れが入っておって、『水爆実験の危険区域に入っているので出るように』といったことを日本語で書いておった」
高知市一宮の西村俊明さん(67)は室戸船籍の安丸(約38トン)の甲板員だった。「大阪に水揚げしたらガイガーカウンター(放射線測定器)当てられてね。マグロがガーガー鳴って、沖へ持っていって捨てた。(船員の)補償金は2万円ぐらいやったかな」
その後、第五福竜丸の無線長、久保山愛吉さんが入院、死亡したのを知り、「自分らもそんなになるんじゃないか」「10年たったら死んどるかも」などと船員同士で不安を語り合ったという。
展示会場の新聞のコピーを「私が写ってるんです」と指さしたのは、70代の私立校講師の男性。昭和29年3月19日付高知新聞の「中央市場へ高大(高知大)ガイガー計数器」の写真だ。
男性は当時、同大文理学部物理学教室の3年生。同教室には高知に1台しかないガイガーカウンターがあり、室戸市へも漁船の放射線測定に赴いた。「船体より漁具から検出されましたねえ」
ただ「カウンターの当て方で数値が変わる。魚を捨てる基準となる数値も決めていたが、それも非科学的だったように思う」と証言した。
このほか、「同船した人から事件のことを聞いた」という捕鯨船員や元船員の遺族も訪れ、資料に真剣に見入っていた。(高知新聞 2004/08/16)

仏核実験:退役軍人らの提訴受け健康調査
フランスの核実験に従事し、がんや白血病に苦しむ退役軍人らの提訴を受け、パリの予審判事がこのほど実験が健康に及ぼした影響について調査を開始した。実験と健康被害の因果関係に司直のメスが入るのは初めて。
フランスは米国の「核の傘」に頼らない独自核開発路線を取り、1960年から96年までの間にサハラ砂漠と南太平洋ポリネシアで計210回の核実験を実施した。
退役軍人らで構成する原告団は昨年末、「仏当局は実験による被ばくの危険を知っていたのに防護措置を取らなかった」と国の過失責任を問い、損害賠償などを求める訴訟を起こした。
退役軍人団体が実施した独自調査によると、実験に携わった元軍人のがん発症率は同年代平均の2倍近い。パリの予審判事2人が今後、発症と実験の因果関係について調査を行う。
仏政府は「実験は防護基準を順守して実施された」として健康への影響はなかったとの立場を取っている。【パリ支局】(毎日新聞 2004/09/30)

50年前のビキニ実験 被ばく異常 機密扱い
第五福竜丸乗員の生殖機能低下
【ワシントン=共同】1954年3月1日、太平洋のビキニ環礁で行われた米国の水爆実験の後、「死の灰」を浴びた日本のマグロ漁船「第五福竜丸」乗組員の生殖機能が一時的に低下し、放射能との関連が強く疑われるとの情報を日米両国の関係機関が共有しながら「機密扱い」とし、患者の乗組員にも知らせていなかったことが、米公文書や当事者の証言から明らかになった。
当時は第五福竜丸事件を機に原水爆禁止運動が全国的な盛り上がりを見せていた。こうした情報が明るみに出れば、日本人の反米・反核感情に火を付け、東西冷戦の真っただ中で核軍拡を進める米国の軍事政策や日米の補償交渉に影響を与える可能性があった。日本側の関係機関が広島、長崎の被爆者に配慮したとの指摘もある。
公文書は、在日米大使館から、事件の医学調査を進めていた米原子力委員会(AEC、後のエネルギー省)のビューワー生物医学部長に送られた54年12月27日付の書簡や同年8月31日付の別のAEC文書。広島市立大広島平和研究所の高橋博子研究員や共同通信が米情報公開法などを通じて入手した。
8月31日付文書によると、被ばくした第五福竜丸乗組員23人のうち18人は54年3月から8月に日本で24回にわたり検査を受け、一時的な精子数減少などが確認された。
12月27日付書簡は、「東京の病院の医師3人」が9月に「検査の重大な結果」を機密扱いにするよう在日米大使館に打診、米側も了解した経緯を説明。医師の氏名などは記していない。
書簡は、東京で11月に開かれた非公開の日米放射能会議を日米双方が「傷口」を癒やす機会と位置付け、足並みをそろえて放射線被害に関する情報を封印しようとした動きを示唆している。

第五福竜丸の元乗組員、大石又七さんの話 自分も精子を検査されたが、結果は医師から一切知らされなかった。精子数の低下や、検査結果が告知されなかった事情は今回、初めて聞いた。当時は(医師の)先生方を全面的に信頼しており、悪いことがあっても言ってくれるだろうと考えていたし、嫌なことを聞き出したくないという思いもあった。しかし、今になってみると、なぜあの時に知らせてくれなかったのかと思う。当時は普通の患者と先生という関係を超えて、(日米の)政治という大きな枠があった。先生の方にも自由の利かない部分があったのだろう。政治に左右されたという憤りを感じる。

<第五福竜丸事件> 1954年3月1日、太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で、米国が行った水爆実験「ブラボー」により、静岡県焼津市のマグロ漁船第五福竜丸が「死の灰」を浴び、乗組員23人が被ばく、無線長の久保山愛吉さんが死亡した。事件を機に反核世論が高まり、55年には核廃絶に積極的役割を果たすよう世界の知識人に訴えた「ラッセル・アインシュタイン宣言」が出され、第1回原水爆禁止世界大会が広島で開かれた。(中日新聞 2005/02/28)

第五福竜丸事件関連の米公文書の要旨
【ワシントン27日共同】第五福竜丸事件に関する米公文書要旨は次の通り。

▽1954年8月31日付の米原子力委員会(AEC)文書
一、被ばくした第五福竜丸乗組員(のうちの)18人は54年3月29日から8月3日にかけ、日本で24回にわたり検査を受け、一時的な精子数減少などが確認された。

▽ビューワーAEC生物医学部長あての54年12月27日付書簡
一、54年9月、在日米大使館は東京の病院の3人の医師から、検査の重大な結果を機密扱いにしたいとの意見を添えた書類を受け取った。
一、それなのに、12月に非常に扇情的な記事が「TOKYO・MAINICHI」(毎日新聞)に掲載された。信頼できる筋によると、(乗組員の診療に当たった)都築正男博士が(情報を流した)張本人だ。
一、都築博士はこの問題を大衆に喚起しようとしている。彼は(11月に東京で開かれた日米の)放射能会議で癒やされることを期待した傷口をまた開こうとしているかのようだ。
一、日本側は(精子数の一時的減少などは)被ばくの結果で、他の身体機能が正常に戻るにつれて、ほぼ疑いなく通常の精子生成が再開されるとみているようだ。
一、米ロスアラモス研究所で深刻な事故に遭った男性は、第五福竜丸乗組員を大幅に上回る放射線量にさらされた。1年以上も病気だったが、今では完全に回復し、以来、2児の父親となっている。(共同通信 2005/02/28)

ビキニが核廃絶の原点 福竜丸の「灰」で解明
【ロンドン1日共同=上西川原淳】米国による1954年のビキニ水爆実験について、英国の物理学者でノーベル平和賞受賞者のジョゼフ・ロートブラット氏(96)は1日までに、当時を振り返り日本人科学者から託されたマグロ漁船・第五福竜丸の「死の灰」のデー タを分析し、ビキニ型水爆が原爆よりはるかに大量の放射性物質をまき散らす「汚い爆弾」であることを解明できたと強調。「死の 灰」をあまり出さないとの定説が覆されたことで恐怖が世界を覆い、国際的な核兵器廃絶運動の原点になったと証言した。
1日のビキニ51年を機に共同通信のインタビューに応じた。
証言によると、ロートブラット氏は実験後の54年、ベルギーで開催された国際会議で大阪市立大医学部助教授だった西脇安氏(88)=現ウィーン大名誉教授=と出会い、第五福竜丸で測定した放射能などに関する「自分の知らない」データを受け取った。
分析の結果、ビキニ型水爆が2段階の爆発構造しか持たず「死の灰」もあまり出ないという定説との矛盾を発見。同水爆が「核分裂 ・核融合・核分裂」という3段階の爆発構造を持つ新兵器(3F爆弾)だったことを突き止め、翌55年3月に論文で発表した。
最高機密とされた「死の灰」のデータ。それを封印しようとする米国などの圧力をはねのけ、日英の科学者が暴き出した水爆の非人道性は世界に衝撃を与え、知識人を動かし、反核のうねりを巻き起こした。
同7月、核戦争の危険を訴える「ラッセル・アインシュタイン宣言」が発表され、ロートブラット氏は署名者に名を連ねた。57年に「パグウォッシュ会議」を創設、科学者らによる核廃絶運動の先駆けとなり、95年に同会議とともにノーベル平和賞を受賞した。
ロートブラット氏は「ビキニからパグウォッシュに至る出来事はつながっており、段階的に発展した。西脇氏から提供された『死の灰』のデータは全人類の将来に貢献した」と評価した。(中国新聞 2005/03/01)

ロートブラット氏証言要旨
【ロンドン1日共同】英国の物理学者ロートブラット氏の共同通信に対する証言要旨は次の通り。

一、ビキニ水爆実験で使われた爆弾は2段階の爆発構造しか持たず、「死の灰」はあまり出さない「きれいな爆弾」と考えられていた。

一、1954年にベルギーで開かれた放射線生物学に関する会議などで西脇安氏から、第五福竜丸で測定した放射能などのデータの提供を受けた。分析の結果、「きれいな爆弾」という定説と大きく矛盾することに気付いた。大量の放射性物質をまき散らし「核分裂・核融合・核分裂」の3段階の爆発構造を持つ新兵器(3F爆弾)との結論に達した。

一、当時の英原子力当局トップで(51年の)ノーベル物理学賞受賞者のジョン・コッククロフト氏から、東側のスパイと見なされる可能性があることや英米関係を傷つけかねないとの懸念から、研究結果を公表しないよう強く警告された。

一、米政府は水爆実験による被ばく放射線量は少ないとの声明を出した。私が研究結果を発表すると、人々は核実験が危険だと気付き、英国は大騒ぎとなった。

一、日本への原爆投下を受け反核運動を始めたが、第五福竜丸事件で怒りを感じた。何かしなければと強く感じ、核廃絶運動により力を入れた。

一、西脇氏のデータは私が知らないものだった。西脇氏がいなければ、私がデータを発表することはできなかった。

一、データ発表後、大きな反核運動が始まった。「ラッセル・アインシュタイン宣言」が出され、パグウォッシュ会議が創設された。ビキニからパグウォッシュに至る出来事はつながっており、段階的に発展した。

一、西脇氏のデータにより汚い爆弾の構造をより早く分析でき、強い世論で実験を止めることができた。そういう意味で、西脇氏から提供された「死の灰」のデータは全人類の将来に貢献した。(共同通信 2005/03/01)

核実験 島民避難させず
60年代仏領ポリネシア
仏反核団体が文書暴露
【パリ=浅田信幸】フランスの反核団体である「平和と紛争に関する文献・調査センター」(CDRPC=本部リヨン)はこのほど、1960年代後半の南太平洋仏領ポリネシアにおける大気圏核爆発実験にあたりフランス当局が人体への危険を認識しながら島民を避難させなかった事実を示す軍事機密文書を暴露しました。
同センターによると、放射線医学安全保障合同機関の66年の文書は「(核)爆発実験に先立つガンビール諸島住民の予防的避難は政治的、心理的理由から排除される」と指摘。別の報告は「最小限の(放射性)降下物でも住民により吸収される量は最低基準を上回る」と予測しています。
ガンビエ諸島はポリネシアを構成するトゥアモトゥ列島の東南端に位置し、66年のムルロア環礁などでの一連の大気圏核爆発実験の風下にあたりました。
ブルーノ・バリヨCDRPC所長は「核実験にかかわった機関は情報を操作し、環境、実験要員、住民に対する影響を小さく見せようとした」と仏紙に指摘。放射性降下物による汚染は旧ソ連のチェルノブイリ原発事故による立ち入り禁止区域の142倍に相当するとしています。
ポリネシアの反核組織ムルロア・タトゥ協会は17日、この暴露が「ポリネシア住民にショックを与えている」とし、「住民を無知な状態に置き」「実験要員と住民の保護よりも核実験計画の遂行を優先させた」とする非難声明を発表しました。
同協会のロラン・オルダム会長は「核実験にかんするすべての事実の公表とともに正義を求める」と表明、「核実験による健康への影響評価を可能にするすべての情報と文書の公開」を求める要望書を仏国防省に提出しました。
仏核実験に当たって要員や住民の健康被害が軽視された問題では、核実験退役軍人協会とムルロア・タトゥ協会の告発を受けてパリの予審判事が昨年9月、「過失致死」と「過失傷害」の容疑で捜査を開始しています。

<仏の核実験> フランスは、1960年から96年まで50回の大気圏内実験を含め計198回の核爆発実験を行いました。うちわけは、60年から66年初めまでアルジェリアのサハラ砂漠で17回、66年から96年には仏領ポリネシアのムルロア環礁とファンガトファ環礁で181回。このほかムルロア環礁で12回の未臨界実験を行っています。2004年8月現在の保有核弾頭数は348発といわれます。(しんぶん赤旗 2005/05/20)

住民のがん530例増やす マーシャルの原水爆実験
半数 これから発症 米国立研予測
米国が1946−58年に中部太平洋・マーシャル諸島で実施した計66回の原水爆実験をめぐり、当時の住民約1万4000人で、がんの発生は放射性降下物(フォールアウト)被ばくの影響で9%増え、放射線起因のがんが約530例と見積もられることが、米国立がん研究所が米上院エネルギー委員会に提出した報告書で判明した。
約530例の半数近くは既に発生し、残りは、10歳未満で被ばくし現在50−60代を迎えた住民を中心にこれから発生すると予測しており、今後の医療体制充実を促す内容となっている。
被ばく線量推定などの不確実さを理由に、予測を「おおまかな上限値」と見なすよう求めているが、マーシャル諸島は、住民の健康被害や土地汚染をめぐり、米国に追加補償を請願しており、補償問題の行方にも影響を与えそうだ。
一連の核実験の大半は大気圏内で実施。このうち54年3月にビキニ環礁で行った水爆実験「ブラボー」では、ロンゲラップ環礁などの島民や静岡県焼津市のマグロ漁船第五福竜丸の乗組員らが「死の灰」に被ばく、「ビキニ事件」として知られている。
共同通信が入手した報告書によると、予測の対象は、54年の水爆実験当時、マーシャル諸島全域にいた住民1万3940人。
マーシャル諸島にはがん発生の正確な統計がないため、ハワイ先住民のデータを使い、核実験場に最も近いロンゲラップ環礁のほか、北部、南部の環礁などの住民の被ばく線量を再評価。広島、長崎の被爆者のデータも参考に解析し、がんの発生状況を見積もった。
その結果、生涯にわたるがんの発生は、被ばくがない場合には約5600例だが、被ばくの影響によって9%増え、約530例が過剰に発生するとみられることが分かった。中でも、ヨウ素131などの影響とみられる甲状腺がんはほぼ半数の約260例と推定。このうち40%は今後、発生するという。
同研究所は昨年6月、上院エネルギー委員会から諮問を受け、同10月に報告した。

<マーシャル諸島での核実験> 米国は広島、長崎へ原爆を投下した翌年の1946年から58年にかけて、マーシャル諸島のビキニ、エニウェトク両環礁で計66回、エニウェトク環礁付近の上空で1回の核実験を実施。爆発の総出力は広島原爆の約7000発分に上った。中でも54年3月1日にビキニ環礁で行った水爆実験は15メガトンの巨大爆発となり、大量の放射性降下物をまき散らした。日本のマグロ漁船第五福竜丸の乗組員23人が被ばく、久保山愛吉さんが半年後に死亡。多くの島民も事前の非難勧告なしに被ばくした。(中日新聞 2005/05/24)

第五福竜丸事件、米の意向で放射能調査中止…文書発見
太平洋ビキニ環礁で1954年3月、米国の水爆実験でマグロ漁船「第五福竜丸」が被ばくした事件に絡み、当時の厚生省がマグロの放射能汚染調査を事件から9か月後、突然打ち切った背景に米政府の意向があったことを示す文書が、米国立公文書館に残されていることが18日、広島市立大広島平和研究所の高橋博子助手(アメリカ史)の調査で分かった。
文書は、米マグロ調査協会が55年1月5日、米原子力委員会生物医学部のW・R・ボス博士にあてた書簡。A4サイズ1枚で、同委の科学者と日本の学者らが54年11月に東京で開いた「放射性物質の影響と利用に関する日米会議」に触れ、「会議は明らかに、マグロの被ばく検査を中止するよう(日本)政府に影響を与えた。(中略)検査中止は55年1月1日に実行される。この実現に寄与したあなたたちに祝福の言葉を贈る」と記していた。
厚生省は事件直後から調査を始め、福竜丸から水揚げされたマグロの放射能汚染を確認、廃棄処分にした。現場周辺調査でも広範囲での汚染を把握。しかし、日米会議の約1か月後には「放射能が多く含まれるのは内臓で、肉部分は安全」として急きょ、調査を打ち切った。その後、米国が慰謝料200万ドルを払うことで政治決着。福竜丸無線長の久保山愛吉さんの死と被ばくの因果関係もあいまいにされた。
石井修・一橋大名誉教授(国際関係史)は「米国にとって汚染調査結果は、同盟国・日本の反米感情を高めかねず、放射能データを東側に漏らしかねないものだった。原子力委がそれを阻止したことを、書簡は裏付けている」としている。
高橋助手は、この書簡を、他の研究者と共に今月刊行する「隠されたヒバクシャ」(凱風社)で公表する。(読売新聞 2005/06/18)

線量限度の被ばくで発がん 国際調査で結論
【ワシントン30日共同】放射線被ばくは低線量でも発がんリスクがあり、職業上の被ばく線量限度である5年間で100ミリシーベルトの被ばくでも約1%の人が放射線に起因するがんになるとの報告書を、米科学アカデミーが世界の最新データを基に30日までにまとめた。報告書は「被ばくには、これ以下なら安全」と言える量はないと指摘。国際がん研究機関などが日本を含む15カ国の原発作業員を対象にした調査でも、線量限度以内の低線量被ばくで、がん死の危険が高まることが判明した。
低線量被ばくの人体への影響をめぐっては「一定量までなら害はない」との主張や「ごく低線量の被ばくは免疫を強め、健康のためになる」との説もあった。報告書はこれらの説を否定、低線量でも発がんリスクはあると結論づけた。業務や病気の診断や治療で放射線を浴びる場合でも、被ばく量を低減する努力が求められそうだ。
米科学アカデミーは、従来被ばくの発がんリスクの調査に用いられてきた広島、長崎の被爆データに加え、医療目的で放射線照射を受けた患者のデータなどを総合し、低線量被ばくのリスクを見積もった。
それによると、100ミリシーベルトの被ばくで100人に1人の割合でがんを発症する危険が判明。この線量は、胸部エックス線検査なら1000回分に相当するという。また、100ミリシーベルト以下でもリスクはあると指摘。10ミリシーベルトの被ばくになる全身のエックス線CTを受けると、1000人に1人はがんになる、とした。
また、国際がん研究機関などが約40万7000人の原発作業員らを長期追跡した調査では、100ミリシーベルトの被ばくにより、がん死の危険が約10%上昇するとの結果が出た。調査対象の平均累積被ばく線量だった約19ミリシーベルト程度でも、がんの死亡率がわずかに高まる可能性が示された。
日本の商業原発では2002年度の1年間に作業員が浴びた線量の平均値は1.3ミリシーベルト、最も多く被ばくした作業員は19.7ミリシーベルトだった。(共同通信 2005/06/30)

核重視の米政権を非難 史上初の原爆実験参加者
【ワシントン15日共同】1945年7月16日に米ニューメキシコ州アラモゴードで行われた史上初の原爆実験から60年になるのを記念して、実験に関与した科学者11人が14日、ワシントン市内でシンポジウムを開催、核戦力を依然重視するブッシュ政権の不拡散政策に非難の声も上がった。
米国の核管理・維持を所管する核安全保障局のブルックス局長は基調講演で「悪が依然存在することを認識しなくてはならない」と述べ、北朝鮮など「ならず者国家」の抑止には核が必要との認識を表明。また「冷戦の遺産である現在の備蓄核は不適切だ」とも強調し、耐久性が高く安価で製造しやすい新しいタイプの核の開発を模索していく考えを示した。
これに対し、原爆の威力を測定する計器の開発に携わったパノフスキー・スタンフォード大名誉教授は「圧倒的な軍事力を使おうとする米国は、弱小国に核保有の動機を与えかねない」とし、先制核攻撃の選択肢を温存するブッシュ政権を批判。「特定の国を『ならず者国家』とか『悪』と呼ぶことは、公平な不拡散政策につながらない」とも述べ、現政権に苦言を呈した。
また原爆設計に携わり、戦後は広島、長崎の原爆後障害研究にも参加したクリスティ博士は「(核開発競争は)想像もできなかった。核兵器は許されない」と指摘。大胆な核軍縮に取り組むよう米国、ロシアなどに呼び掛けた。(共同通信 2005/07/15)

第五福竜丸:「発症原因は放射能ではない」 米公文書で判明
1954年3月、米国が行ったビキニ環礁での水爆実験で第五福竜丸(乗組員23人)の被ばくが発覚した直後の同年4月から、米・国家安全保障会議の作戦調整委員会(OCB)が、放射能による乗組員の発症の原因を「サンゴのちりの化学的影響」などとする情報操作を画策していたことが22日、分かった。情報公開された米公文書で判明。日本での反核反米運動の高まりを恐れた米政府高官の発議で、同委員会が検討していた。専門家は、真相隠ぺいの対日工作が極めて早期に本格化していたことに注目している。
文書は、東京工業大大学院の山崎正勝教授(科学史)が米国のアイゼンハワー図書館で入手。国務省や国防総省、CIA(米中央情報局)の高官で構成され、米国の対外心理戦略を扱う協議機関であるOCBが54年4月22日付で起草したもので、「水爆や関連する開発への日本人の好ましくない態度を相殺するための米政府の行動リスト」と題されている。
それによると、科学的対策として、「日本人患者の発病の原因は、放射能よりもむしろサンゴのちりの化学的影響とする」と明記。「放射線の影響を受けた日本の漁師が死んだ場合、日米合同の病理解剖や死因についての共同声明の発表の準備も含め、非常事態対策案を練る」としている。
第五福竜丸は3月1日に被ばくし、同16日の新聞報道で発覚した。同22日には早くも、アースキン国防長官補佐官(当時)がOCBに対し、反核運動が高揚しつつある中、事件がソ連の反米運動の扇動に利用されることへの危機感を示す書簡を送っている。
この事件では同年9月、無線長の久保山愛吉さん(当時40歳)が死亡。日本人医師団は死因を「放射能症」と発表したが、米国は現在まで、「放射線が直接の原因ではない」との見解を取り続けている。
山崎教授は「早い段階から、船員への賠償を言いながら、放射線の被害を小さく見せようとした米国の二枚舌を示す文書。米国はさらにその後、原子力の平和利用は価値の高いものと宣伝する工作を日本で進めており、背景には、日本人の反核反米意識をそぐ意図もあった」と話している。【遠藤孝康】

▽広島平和研究所の高橋博子研究員(アメリカ史)の話 米国がビキニ事件後、放射能の影響を小さく見せようとしていたことは知られていたが、4月の段階で乗組員の死を想定し、対策を練っていたのは驚きだ。そして久保山さんの死後、被ばくの直接的影響を即座に否定した姿勢を考え合わせると、予定通りに計画を実行したという印象だ。(毎日新聞 2005/07/23)

仏核実験場から1200キロ、タヒチ島にも放射性物質
南太平洋にあるフランス領ポリネシアでフランスが60〜70年代に実施した大気圏内核実験で、実験場の環礁から約1200キロ離れたタヒチ島に実験のたびに放射性物質が降下していたことがポリネシア領土議会の調査委員会の調べで分かった。タヒチプレスが伝えた。委員会は9日(日本時間10日)、調査報告書を議会に提出する。
報告書は公表されていないが、半年間の調査結果を約400ページにまとめたという。仏はムルロアとファンガタウファ両環礁で66〜74年に計41回の大気圏内核実験を実施。その後は地下核実験が行われ、96年まで続いた。
現地では毎年多数の人ががんを発病・死亡しており、核実験の影響が懸念されている。
仏領ポリネシアはリゾートとして有名なタヒチ島を中心に約130の島々からなる。タヒチ島には約17万人が暮らす。(朝日新聞 2006/02/09)

死の灰の影響、米が極秘調査…死産胎児の骨入手?
1950年代、米政府が、核実験の死の灰による日本人への影響を極秘に調査していたことが明らかになった。本紙記者が、米エネルギー省核実験公文書館で、機密指定を解除された当時の文書を入手した。
文書は、米原子力委員会のダドリー博士から、政府の計画にかかわっていた米ロチェスター大のスコット博士にあてられたもので、53年12月9日の日付がある。日本の漁船員がビキニ環礁での水爆実験の犠牲となった第五福竜丸事件の約3か月前にあたる。
調査の目的は、当時すでに50回を超えていた核実験で生じる死の灰の成分で、長く骨に蓄積する「ストロンチウム90」を測定するため。本来の目的は隠ぺいされ、表向きは「(自然界に存在する)ラジウムの分析」とされていた。
この極秘調査の存在は、1995年に放射能人体実験に関する米大統領諮問委員会の調査で初めて明るみに出た。過去の欧米の報道では、インドや豪州も調査対象になったことがわかっているが、今回入手した文書には、冒頭から「日本での(試料)入手に関心がある」と明記され、当時、広島・長崎の原爆による影響を調べていた「原爆傷害調査委員会(ABCC)」と在日米大使館の協力に言及するなど、日本に調査の重点を置いたことを示唆している。
日本が対象となったのは、ABCCの存在が隠れみのになるだけでなく、太平洋の核実験場に比較的近い地理関係にあることが重視されたとみられる。
文書は、死産した胎児だけでなく、死亡した乳幼児も対象に、日本からは「6〜8体を分析に使う」としており、日本から死の灰が蓄積しやすい胎児や乳幼児の骨を入手する極秘任務に着手していたことがうかがえる。(読売新聞 2006/03/08)

ビキニ島民が米本土で損害賠償訴訟 被害者増え続け、補償への不満高まる
【東京13日=広井孝明】南太平洋のマーシャル諸島のネット紙「ヨクエ・ネット」が報じたところによると、同諸島内にあり、米国の核実験場となったビキニ島の元住民らが4月11日、米政府を相手取り、米連邦裁判所に5億6100万ドル(約700億円)の損害賠償請求訴訟を起こした。ビキニ住民への補償はこれまで、米国が資金を提供して設立したマーシャル諸島の首都マジュロにある核損害賠償裁判所(NCT)を通じて行われてきたが、資金拠出額に対する元住民の不満が高まったことから、米本土の裁判所への訴訟に踏み切ったとみられる。...(日刊ベリタ 2006/04/13)

仏国立研究所:がんとムルロワ核実験因果関係認める
【パリ福井聡】フランス国立衛生医学研究所(INSERM)のがん研究者、フローラン・デュバテイア氏は7日までに、フランスが66〜96年に南太平洋の仏領ポリネシアのムルロア環礁周辺で実施した核実験と、地元住民に甲状腺がんが多発したことに「因果関係がある」と発表した。フランスの公的機関が核実験の影響を認めたのは初めてで、今後被害住民による仏政府への補償要求問題に発展するとみられる。
デュバテイア氏は「甲状腺がん患者239例の調査結果から、被照射時の年齢にかかわらず核実験との因果関係は明白だ。際立った数値の例は10症例に限られているが、これらの症例は(因果関係を)明白に示している」とした上で、仏政府による一層の調査への財政支援と当時現地で核実験に従事した仏軍関係者への調査を要請した。
ポリネシア人に甲状腺がんが多い原因について、仏人研究者はこれまで「病的な肥満」などを挙げていたが、同氏は「そうした他の要因を考慮に入れても、調査結果は際立った数値を示している」と述べている。(毎日新聞 2006/08/07)

米画家作『第五福竜丸』に、米詩人が文添え
米国の水爆実験の犠牲になった1954年の第五福竜丸事件。米国の社会派画家ベン・シャーン(1898−1969年)が描いた雄大な物語を伝えようと、日本在住の米国人詩人アーサー・ビナードさん(39)が日本語の文を添えた絵本が出版される。今、米国人によって第五福竜丸事件の絵本をつくる意味をビナードさんに聞いた。

「しばらくして 空から こんどは 白いものが ふってきた。 どこを見ても まるで 冬の ふぶきだ」

西の空に水爆がさく裂した後、操業しながら空を見上げる第五福竜丸の乗組員たち。そんなベン・シャーンの絵にビナードさんが寄せた一節だ。
絵本にはベン・シャーンが第五福竜丸事件をテーマに、57年から手がけた「ラッキードラゴン・シリーズ」の連作からタブロー画やドローイングなど約30点を収録した。木造船の第五福竜丸はその後、廃船となり、76年から東京都江東区の夢の島公園で展示・保存されている。
ビナードさんは子どものころ、父親の本棚にあったベン・シャーンの画集を見て、その絵が好きになったという。90年に来日し、日本語で書いた詩集が中原中也賞に選ばれ、講談社エッセイ賞も受賞した。「核実験は今も行われており、その意味で第五福竜丸事件は過去の話ではなく、現在進行形のもの。それにベン・シャーンの絵はまったく古びていません」と話す。「抑制の効いた線で、登場人物が立ち上がってくる。絵と綱引きして、時にはけんかするような思いにもなりました」と創作上の苦しみも明かす。
絵本は核に汚染された海が、黒く漂うシーンで幕を閉じる。世界に対する警鐘だ。

「波も うちよせて おぼえている。 ひとびとも わすれやしない」


×  ×  ×

冷戦終結後も、世界唯一の超大国として、イラクなど各国に軍隊を派遣している米国。そんな現状について、ビナードさんは「母国が大好きだから手厳しいことも言うんですよ」と前置きし、次のように嘆く。「アメリカはこの60年間、軍拡路線をひた走りに走ってきた。戦争で金もうけする軍需産業が政府を牛耳り、僕の愛している『アメリカ共和国』が『帝国』に成り下がった。でもおごる帝国は久しからず。そのうち帝国は滅びるのです」
近く退任する小泉純一郎首相は、ブッシュ米大統領と強い信頼関係で結ばれ、協調路線を貫いてきた。ビナードさんの目には「米国の属国」と映る。「今の日本はペンタゴン(米国防総省)の子会社になりつつあります。下請け業者としてではなく、独立国家として世界に役割を果たすべきだと思います。第五福竜丸事件がその進むべき方向を示しています」。小泉首相らの靖国神社参拝についても「政教分離の点から問題がある。米国でもキリスト教原理主義者が政治を大いにゆがめている面がある」。日米両国で指導者の行き過ぎをチェックするはずの、議会の機能が低下していることに懸念を示す。
広島、長崎そして第五福竜丸。核の悲劇を繰り返さないためにも、世界の人々が連帯していくことが大切だと力説する。「米国はたくさんの核兵器を保有していますが、朝鮮戦争でもベトナム戦争でも使えなかった。使えば世界の市民が許さない。イラクでは劣化ウラン弾の影響で、イラクの人だけでなく、大勢の米軍兵士も被ばくしている。核の被害は人種を選ばず国境を越えて広がる。それを知れば、誰だって核兵器をなくそうという気になる。なくす以外に、生き残る道はない」
絵本は「ここが家だ−ベン・シャーンの第五福竜丸」(集英社)。来月下旬発売予定。予定価格1680円。(文・山田雄一郎/写真・坂本亜由理)

<第五福竜丸事件> 1954年3月1日未明、中部太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で、静岡県・焼津港のマグロはえ縄漁船「第五福竜丸」が米国の水爆実験で被災。放射能を含んだ死の灰を浴び23人の乗組員全員が被ばく。半年後に久保山愛吉さん=当時(40)=が死亡した。事件は日本の原水爆禁止運動のきっかけになった。

<ベン・シャーン> 1898年、リトアニアで木彫り職人の子として生まれる。幼くして米国へ移住。石版工として働きながらデザインを学ぶ。1957年から58年にかけて雑誌で、物理学者ラルフ・ラップの第五福竜丸に関するルポに挿絵をつけ、タブロー画の「ラッキードラゴン・シリーズ」に発展する。日本のグラフィック・デザイナーやイラストレーターにも影響を与えた。(東京新聞 2006/08/21)

「何が起きたのかわからなかった」 仏のサハラ核実験 被曝者語る
【アルジェ=国末憲人】フランスがアルジェリアで実施した核実験の被害を検証しようとアルジェリア政府が13、14日、初めて「世界核実験国際会議 アルジェリア領内サハラの場合」を開いた。実験場が広大なサハラ砂漠にあったうえ、90年代が内戦状態にあったことも災いし、実態の解明は進んでいない。
「子どもが次々と病気になり、死んでいった。何が起きたのかずっとわからなかった」(遊牧民トゥアレグ族の代表)
「爆発があった翌日、実験場で仕事をさせられた。見たことは何も漏らすなと口止めされた」(現地の元建設労働者)
会場では、核実験による被曝(ひばく)者が自らの受けた恐怖や健康不安を証言した。実験場周辺の住民や元労働者だ。ただ、証言は断片的で、記憶もあやふや。被害を確認し、仏政府に補償を求める上で困難が予想される。
サハラ砂漠の住民は中央政府との関係が薄く、体験が長年外部に伝わらなかった。
加えて、核実験禁止の機運が高まった90年代、アルジェリアは内戦状態に陥り、被害の解明を目指す世界の動きから取り残された。「被害を話す人が出てきたのは90年代後半になってから」と地元ラジオ記者モンタサ・ウベトルン氏(42)は説明する。
実態解明を難しくするもう1つの壁は、資料の欠如だ。地元住民の医療データも含めすべて保管する仏政府は「核実験の被害者はいない」との立場で公開に非協力的。「書類の引き渡しを求めているが、仏側に応じる気配はない」と、アルジェリア退役軍人省の担当者は語る。被害者数の推計さえできない状況だ。
会議には各国の核実験被害者運動の代表も招かれた。仏領ポリネシアの核被害者団体のローラン・オルダム代表は「ポリネシアでも仏政府が資料を公開していない」と指摘。仏核問題研究誌「ダモクレス」のパトリス・ブブレ代表は「フランスで今、実験被害者救済の法制化の動きがある。協力し合って声を上げ、政治を動かす必要がある」と力説した。
日本から参加した振津かつみ・兵庫医科大非常勤講師(放射線基礎医学)は「補償制度などについて情報交換し、協力し合いたい」と話した。(朝日新聞 2007/02/16)

仏核実験の被害償え
元軍人ら政府を提訴
【パリ=山田芳進】フランス政府が過去に行った核実験に参加したためがんなどの病気になった元軍人たちの組織が27日、「危険にある個人に対する援助の欠如」を理由に、政府を相手に被害者への補償を求めてパリ大審裁判所に提訴しました。
提訴したのは、核実験にかかわった軍人や住民でつくる「フランス核実験の犠牲者たち」という組織。約200人の会員は、仏政府がアルジェリアのサハラ砂漠や南太平洋の仏領ポリネシアで行った核実験の放射性降下物が原因で病気に苦しんでいると主張しています。
同組織のポチエ会長は、「多くの会員が、がんや腫瘍(しゅよう)を患い、化学療法を余儀なくされている。しかし仏政府は防衛上の秘密を理由に、犠牲者が浴びた放射線量を公表することを拒んでいる」と非難。また同組織の弁護人ドチエンダ氏は「被害に遭った元軍人に対し、政府は彼らの病気が核実験の結果だと証明することを要求している」と政府を批判しました。
仏政府は、1960年から96年の間に、210回の核実験を行ったとされます。
核実験の被害者が放置されている問題については、今月3日に支援団体「真実と正義」が仏上院で記者会見。米国、英国、オーストラリアが核実験の影響を認め、一定の条件のもとで何らかの形の補償を行っているのに対し、フランスは、被害者に補償を受ける権利を認めていないとし、核実験の影響を認め、被害者に正当な補償をするよう求めています。(しんぶん赤旗 2008/06/29)

「ウイグルの原爆被害を知ってもらいたい」
広島と長崎の原爆忌に合わせて来日中のウイグル出身の外科医アニワル・トフティ氏が7日夜、北京五輪の開幕に先立ち都内で講演し、中国の核実験による汚染の実態を説明した。
アニワル氏は、中国の核実験場があった新疆ウイグル自治区で、大脳未発達児が数多く生まれ、がんの発生率も高いことなどを指摘。「原爆の悲惨さを一番知っている日本人に、原爆の被害に苦しむウイグル人が大勢いることを知ってもらいたい」と訴えた。また「ウイグル人の生命や財産の犠牲の上に、北京五輪が開催される」と述べ、中国によるウイグル人への人権弾圧を批判した。
アニワル氏は98年、英国テレビ局の番組で、中国に核実験による後遺症の実態を世界に向けて告発し、英国に亡命している。(産経新聞 2008/08/07)

中国核実験 96年まで46回実施か 住民19万人が死亡と推定
隣国カザフの調査 日本人科学者が分析
東アジアでは北朝鮮の核兵器開発が国際社会から問題視されているが、中国は既に1950年代半ばから核兵器開発にまい進してきた。少数民族が居住する新疆ウイグル自治区で行った核実験は40回以上に及ぶ。これらの実験による死の灰の影響で、死亡した周辺住民は延べ19万人と推定されるという。しかし中国政府は実験データはもちろん、実施の事実すら公表していない。核汚染や周辺住民への被害はこれまで闇の中だったが、その実態が日本人科学者の手によって初めて明らかになりつつある。(外報部・浅井正智)

旧ソ連が監視データを入手

「旧ソ連時代、中国の核実験による放射線の影響は、(新疆ウイグル自治区の)ロプノル核実験場から北西に約1000キロ離れた隣国カザフスタンで監視されていた。そのデータを2001年に入手したことは、中国の核実験の実態を追跡する上で大きな意味があった」
原発事故のチェルノブイリや臨界事故の東海村をはじめ、世界各地の放射線被害の現地調査を手掛けてきた札幌医科大学の高田純教授(放射線防護学)は、札幌市内の研究室でこう語り始めた。
中国は実験現場を公開していないが、どう調査したのか。用いたのは、旧ソ連が監視していた中国の実験の核爆発威力や爆発高度、風向き、さらに風下のカザフスタン東部マカンチに実験直後に降り積もった核分裂生成物の分析から、新疆ウイグル自治区の被害を推定するという手法。現地調査をせずに核汚染を科学的に分析するこの方法を適用することで、中国が隠し続けてきた核実験災害の実態解明に突破口を開いた。
中国が同自治区で行った核実験は、1964年か96年まで延べ46回とみられ、「これらの実験のために致死レベルの放射線を浴び、死亡した住民は19万人と推定される」と高田教授は具体的な数字を挙げた。劣悪な医療環境などから、その約4倍の75万人が死亡したとする説もあるという。
死に至らなくとも、白血病やその他のがんの発生、胎児への影響が高まる地域には129万人がいたとみられる。核実験はもう10年以上行われていないものの、「住民の健康被害は続いており、まさに現在の問題」にほかならない。
実験地点はシルクロードの要衝として栄え、日本人が好んで観光に訪れる楼蘭に近い。「地下核実験で地下水が汚染されている恐れがあり、飲むのは避けるべきだ」と警告する。

メガトン級の地表爆発3回

46回の実験のうち、広島や長崎の原爆より格段に規模が大きいメガトン級の地表核爆発は67年、73年、76年の3回。核爆発は爆発点により、空中、地表、地下に分類されるが、地表爆発は核汚染された土壌の粉じんを巻き上げ、周辺および風下に大きな放射線災害をもたらす。
高田教授によると、メガトン級の地表核爆発は米国も旧ソ連も内陸では行っていない。中国はそれを3回強行した。インターネットの動画サイト「ユーチューブ」では中国の核実験の映像が見られるが、防護服などを着ていない人々が巨大なきのこ雲に向かって万歳する姿が映し出されており、安全面の対策を講じないまま実験を行った可能性が極めて高い。
ただ中国当局は1つの重要な“配慮”をしたとみられる。67年と73年のメガトン級地表核爆発は同じ6月に行われ、当時の気象記録からカザフスタン方向に風が吹いていたことが分かっている。「毛沢東ら共産党指導者のいる北京に『核の砂』が飛んでいかない季節を選ぶという最大限の配慮をしたはずだ」と高田教授は皮肉を込めた。
残る1回のメガトン級爆発時(76年11月)の気象データは、今のところ判明していない。11月という季節から、核の砂は北風によって南に隣接するチベット自治区に運ばれた可能性が考えられるが、解明は今後の研究に委ねられている。

少数民族地区 安全対策なく

高田教授は研究成果をまとめ、北京五輪に合わせて今年、著書「中国の核実験」(医療科学社)を出版した。先月下旬、アルゼンチンで開かれた国際放射線防護学会で、また今月19日には北九州市で開催の日本放射線影響学会でも「中国の核実験災害と線量評価」と題し報告を行った。
これまで謎に包まれていた中国の核実験の実態から見えてくるものは、「主にウイグル人が居住している場所で、安全面の対策も立てず、国家によって犯罪的実験を行った」(高田教授)というおぞましい現実だ。
3回のメガトン級爆発は、すべて文化大革命(66−76年)という未曾有の大混乱の間に行われている。中国共産党は81年、新中国成立以来の歴史を総括する「歴史決議」で、その文革を「過ち」と公式に認めた。
「ならば」と高田教授は強調する。
「文革の熱狂の中で行われた危険な核実験の過ちも認め、データを開示し、被災者の補償をすべきだ。それをしない限り、中国は決して国際社会から信頼される国家にはなれない」

通常兵力後回し、「核」に重点

中国の核兵器開発のスタートは1955年ごろにさかのぼる。54年に日本で自衛隊が発足したのとほぼ同時期、当時の中国指導者、毛沢東は早くも核武装を決意していたことになる。国民経済は疲弊していたが、「毛沢東は核兵器が米国と渡り合うために必要な政治兵器だと明確に認識していた」と中国軍事専門家、平松茂雄氏は話す。
最初の核実験は64年。約10年で核兵器開発を成し遂げた。80年には米国に到達する大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験にも成功し、対米核抑止力を初めて獲得する。米英仏などが通常戦力を整備した上で核兵器開発に移行したのとは異なり、中国は通常兵力を後回しにし、いきなり核兵器に重点を移したところに特徴がある。
中国が核武装する究極的な目標は「台湾有事の際に米軍の介入を思いとどまらせることに置かれている」(平松氏)。中国は近年、軍事技術と密接にかかわる宇宙開発を精力的に進めており、ミサイル技術も着々と進化しているとみられる。
中国の核弾道ミサイル数十発は日本に照準を合わせているとされ、「北朝鮮より中国の核兵器の方が日本の安全保障にとってはるかに脅威だ」と平松氏は指摘している。(東京新聞 2008/11/21)

第五福竜丸事件 米軍研究所「標本送れ」
被ばく死の久保山さん 死因調査に躍起か
静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」が1954(昭和29)年3月、ビキニ環礁近海で米国の水爆実験に遭遇した事件で、放射性降下物に被ばくし、半年後に死亡した無線長、久保山愛吉さん=当時(40)=の死因をめぐり、米軍病理学研究所(AFIP、ワシントン)の所長が、解剖に立ち会った在日米軍の軍医に「組織を送ってほしい」と病理標本の入手を指示していたことが23日、米側文書で明らかになった。
総合研究大学院大の原爆資料調査に参加する高橋博子・広島市立大広島平和研究所講師(米国史)がAFIPの公文書館で文書を発見した。組織の一部や解剖記録が54年末、極秘裏に日本から米国へ送られたことを裏付ける書簡や、解剖を見守る日本側医師団の写真も見つかった。
死因をめぐり、被ばくの影響を重視する日本側医師団が「放射能症」と発表する中、「輸血治療に伴う血清肝炎」とみる米側が放射能との関連を否定するため死因の独自調査に躍起となった内幕が浮かび上がった。 組織の一部が米国でひそかに病理標本とされた事実は既に判明しているが、送達の経緯が突き止められたのは初めて。
発見されたのは(1)AFIPのエルバート・デカーシー所長(准将)が在日米軍のジェームズ・ハンセン軍医(中佐)にあてた書簡(54年9月30日付)(2)ハンセン軍医がデカーシー所長にあてた書簡(同年12月20日付)−など。
久保山さんの死から1週間後の9月30日付書簡によると、デカーシー所長は、国立東京第一病院(現国立国際医療センター)で行われた久保山さんの解剖に立ち会ったハンセン軍医に「報道対応や談話がうまくいっておめでとう」とタイプ打ちして労をねぎらい、「組織の送付を希望する」と手書きで付け加えた。
12月20日付書簡は、日本側から入手した組織や解剖報告書の送り状とみられ、ハンセン軍医は「機密指定はないが、極秘裏に取り扱っていただきたい」と所長に注意を促していた。
また写真は「54年9月23日、国立東京第一病院」と英語で説明が書かれ、久保山さんの解剖を見守る都築正男東大名誉教授ら日本側医師団の姿を伝えている。

高橋博子・広島市立大広島平和研究所講師の話 「久保山愛吉さんは水爆の犠牲者ではない」との論拠を極秘に入手しようと米側が奔走していたことがうかがえる。「死亡は放射線に起因しない」としたAFIPの「結論」は、水爆実験の影響をあくまで否定したい側によって作られ、政治的な思惑を反映し、核実験続行を正当化するのに有利な情報となった。久保山さんに限らず、被ばく者、核実験の犠牲者らは放射線被ばくの影響を軽視されてきた。久保山さんは「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」と言い残して亡くなった。一連の文書を読むと、その思いを踏みにじる米国の行為に日本がいかに協力してきたのか、考えさせられる。

<第五福竜丸事件> 1954年3月1日、中部太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で、米国は水爆「ブラボー」の実験を行い、放射能を帯びた「死の灰」が風下の島々や海上に降り注いだ。ビキニ環礁の東約160キロの公海上で操業中の静岡県焼津市の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」では乗組員23人が被ばく。無線長の久保山愛吉さんが同年9月23日に死亡した。放射能汚染はほかの漁船にも拡大、マグロの廃棄が相次いだ。国内外の反核世論が高まり、広島、長崎の原爆惨禍を掘り起こす原動力ともなった。補償問題は55年1月、米国が責任の所在を明確にしないまま200万ドル(当時7億2000万円)を日本側に支払うことで政治決着した。現在、乗組員のうち生存者は9人。(中日新聞 2009/02/23)

フランス:「核実験の被害者に補償」国防相、地元紙に
【ブリュッセル福島良典】フランスのモラン国防相は24日付の仏紙フィガロとのインタビューで、同国が過去に実施した核実験で健康被害に苦しむ被ばく者に補償するための法案を国会に提出すると明らかにした。これまで仏政府は実験の被ばく被害を公式に認めてこなかったが、「良心に従うべきだ」(国防相)と方針転換した。
フランスは1960〜96年に、アルジェリアのサハラ砂漠地帯と南太平洋の仏領ポリネシア・ムルロア環礁などで計210回の核実験を実施した。軍関係者や民間人の被ばく者は推定約15万人とみられている。
補償は白血病や甲状腺がんなど放射線が原因の病気に苦しむ人が対象で、初年度分として総額1000万ユーロ(約13億4000万円)が計上される。独立機関が補償申請を審査するが、申請者が病気の発症と実験の因果関係を証明する必要はない。
フランスの核実験を巡っては、退役軍人や地元被害者団体が賠償請求の訴訟や運動を続けてきた。(毎日新聞 2009/03/24)

仏が核実験の被曝者補償へ…方針転換、関連性認める
【パリ=林路郎】フランス政府が、1960年から96年にかけてアルジェリアのサハラ砂漠と仏領ポリネシアで行った計210回の核実験で被曝(ひばく)した人たちへの補償に向け、法整備へ動き出した。
半世紀にわたり、「安全対策は講じた」として被曝者と核実験の関係を一貫して否定してきた仏政府の立場を覆すもの。政府は核実験に関する機密情報公開も決めた。
政府は4月に国民議会に補償に関する法案を提出する。モラン国防相が発表したところでは、国防省は初年度1000万ユーロ(約13億円)で、補償を求めている人たちの健康状態の個別診断に着手する。
診断は専門医らからなる9人の「独立委員会」が担当。国連の診断基準を適用し、健康被害と被曝の関連性を判断するという。
また、これまでの賠償請求訴訟で「核実験と健康被害の関連性を証明する義務は賠償請求者にある」としてきた立場を改め、「関連性がない」と政府が証明した場合に限って補償しない原則を採用する。
フランスはドゴール大統領(当時)の下、独自の核抑止力を確保する政策を進め、1960年2月、サハラ砂漠で最初の核実験を実施。以後、サハラ砂漠のレガヌ、イネケルで17回、ポリネシアのムルロア、ファンガタウファ両環礁一帯で193回の実験を重ねた。
この間、国防省のまとめで最大15万人が何らかの形で核実験に関与したと言われる。これに加え、サハラやポリネシアでは多くの住民が被曝した可能性が高い。
方針転換の背景には、被曝者の高齢化に伴い、政府に対する賠償請求訴訟が増えている事情がある。軍OBの被曝者で組織する「核実験退役軍人協会」によると、現在約400人の旧軍人が補償を求めて係争中。このうち4人については政府の賠償責任が認められ、さらに30件の訴訟で第1審が政府に補償を命じた。
「協会」のミシェル・レジェ会長は「方針転換は一歩前進」と評価する一方、「被曝者の間には、補償するか否かの最終判断を独立委員会でなく国防省が下すのではないかとの不信がくすっている」と語る。
国防省は同時に、これまで機密扱いしてきた核実験関連の情報を公開し、被曝者の不信をぬぐい去りたい考え。現在、科学者2人が調査を進めており、調査結果を年末までに報告書にまとめ、公表する方針。(読売新聞 2009/03/29)

ウイグル核汚染 亡命医師が中国告発
中国が新疆ウイグル自治区で40回以上行った核実験による放射線災害の実態が少しずつ明らかになりつつある。今春、来日した同自治区出身の外科医、アニワル・トフティ氏(45)が本紙の取材に応じ、核実験場近くの村では「生まれてくる多くの子どもが先天性の障害を持ち、貧困で治療も受けられない状態にある」と証言した。(外報部・浅井正智)

がん専門の外科医として同自治区の区都ウルムチの病院に勤務していたトフティ氏が、重要な事実に気付いたのは1994年のことだった。
ウイグル人のがん発生率が、中国本土に住む漢民族に比べ35%も高いという数字だ。入院患者を調べたところ、同自治区に30年以上住んでいる漢民族は、ウイグル人同様の高いがん発生率を示したという。
その後2年間、トフティ氏は個人的に調査を続け、ウイグル人が白血病や悪性リンパ腫、肺がんにかかる率が、中国本土に比べ軒並み高いことを突き止め、「核実験の放射線と関連がある」と確信した。
あるとき、調査に気付いた漢民族の同僚医師から「命が惜しければ調査はやめた方がいい」と忠告され、資料を破棄するふりをしたという。
核実験災害の実態が徐々に分かるにつれ、トフティ氏の頭の中で、さまざまな記憶が核実験と結び付いてきた。
ウルムチの小学校で4年生だった73年、3日連続で空から砂が降り続いたことがあった。先生が「宇宙から来た砂です」と言うのを不思議な思いで聞きながら、空を見上げていた。
93年には、地元の新彊東部ハミで出会った羊飼いの老人に「私は神を見たことがある」と聞かされた。ある日、空が「太陽よりも明るく輝き、同時に地震が起こった」のを、老人は神と思い、すぐに祈りをささげたという。翌日現れた人民解放軍の兵士は、老人が飼っていた100頭以上の羊をすべて買い取って行った。老人はそれから2年後に亡くなった。
「宇宙からの砂」といい、「神を見た」というロマンチックな話の謎はようやく解けた。
中国は73年6月、2.5メガトン級(広島原爆の150倍)の核実験を行ったと推定されている。今、トフティ氏は自分が見た「宇宙からの砂」の正体は、風に運ばれてきた「核の砂」だったと考えている。「老人が見た『神』は核実験の閃光に違いない。軍が羊を買って行ったのは、放射能が与える影響を調べるためだろう」

何も知らぬ住民 治療・補償なし

トフティ氏は98年7月から6週間、英テレビ局のドキュメンタリー番組の取材に同行、英国人医師4人とともに観光客を装って自治区内を回り、核実験災害を受けたと思われる人々に聞き取り調査をした。核実験場だったロプノル付近の村には、先天性異常のため話すことも1人で歩くこともできない子どもが大勢おり、苦痛に耐えかね「足を切り落とすしかない」と母親に懇願する女の子も。親たちは「カルシウム不足が原因」という説を信じているようだった。
トフティ氏らは地元医師から、ある村の新生児の8割が口唇口蓋裂だったとの証言を得た。医師は「誰も言い出さないが、私たちは子どもたちに現れる先天性異常の原因を核汚染と考えている」と話したという。
中国のすべての省・自治区にはがん専門病院が置かれているが、同自治区の場合、病床数の増加が顕著だ。97年には約400床だったのが、2008年には5倍増の約2000床にもなった。一方、人口が1億人に近い人口最多地域の河南省では、97年に約500床だったが、2008年でも約850床で倍にもなっていない。
数字だけ見れば、同自治区はむしろ手厚い措置を受けているようにも見える。しかしトフティ氏によると、「病床が増えても金持ちか公務員でなければ入院もできず、貧しくコネもない人は治療など全く受けられないし、政府からは何の補償もない」という。
ドキュメンタリー番組の制作にかかわり、中国の“恥部”を暴いたことで英国亡命を余儀なくされたトフティ氏は、怒りを込めながら最後にこう言った。
「少数民族のウイグル人は中国政府から人間扱いされていない。彼らはウイグル人を核実験のモルモットとして使うことしか考えていないのか」

被爆国「日本唯一ではない」

中国の核実験によって引き起こされた核汚染や住民への被害はどのようなものだったか。中国政府は核実験データはもちろん、実験を行った事実すら公表していないため、全容は不明だ。
隣国カザフスタンで入手したデータを基に、中国の核実験災害を初めて科学的に推定した札幌医科大学の高田純教授(放射線防護学)によると、中国が新彊ウイグル自治区で行った核実験は、1964年から96年まで、延べ46回に及び、総爆発出力は20メガトン(広島原爆の1250倍)。死者19万人以上、129万人以上の被爆者に奇形や白血病、がんなどが多発したと推定されるという。
同教授によると、旧ソ連でも核実験の際は、日本の四国ほどの広さの実験場の周囲に鉄線を張って立ち入り禁止にしたという。「中国ではこうした安全対策がとられた様子はない。『安全なくして実験なし』は科学者の常識だが、中国の核実験は実験とすら呼べない『核の蛮行』だ」と言い切る。
放射線災害を受けたのはウイグル人だけではない。核の砂は南に隣接するチベット自治区にも達したとみられる。
高田教授はこれまでも原子力発電所事故のチェルノブイリや臨界事故の東海村をはじめ、世界各地で放射線被害の現地調査を手掛けてきた。今後はウイグルだけでなく、チベットについても人体や環境に対する放射線調査と被害者への人道支援を行う「シルクロード科学プロジェクト」を推進していく方針で、国内外の人道支援団体や個人に協力を募っている。
「中国の核実験は、核が平和時に使われた最悪のケース」と高田教授。「日本は最初に核攻撃を受けた国だが、決して唯一の被爆国ではない。中国が起こした核実験災害について情報を発信し、被害者を支援していくのが、同じく核の被害を受けた日本の役割だ」(中日新聞 2009/05/01)

中国核実験で19万人急死も…日本人観光客も被害か
中国が新疆ウイグル自治区で実施した核実験による被害で同自治区のウイグル人ら19万人が急死したほか、急性の放射線障害など甚大な影響を受けた被害者は129万人に達するとの調査結果が、札幌医科大学の高田純教授(核防護学)によってまとめられた。被害はシルクロード周辺を訪れた日本人観光客27万人にも及んでいる恐れがあり、高田教授は警鐘を鳴らしている。
高田教授は、1日発売の「正論」6月号に「中国共産党が放置するシルクロード核ハザードの恐怖」と題した論文を掲載した。2002年8月以降、中国の核実験に伴う影響を調査した高田教授によると、中国の核実験は1996年までに爆発回数で46回。爆発威力や放射線量、気象データや人口密度などをもとに被害を推定した。
爆発では楼蘭遺跡の近くで実施された3回のメガトン級の核爆発で高エネルギーのガンマ線やベータ線、アルファ線などを放射する「核の砂」が大量に発生した。上空に舞い、風下に流れた「核の砂」は東京都の136倍に相当する広範囲に降り、その影響で周辺に居住するウイグル人らの急性死亡は19万人にのぼる。甚大な健康被害を伴う急性症は129万人のうち、死産や奇形などの胎児への影響が3万5000人以上、白血病が3700人以上、甲状腺がんは1万3000人以上に達するという。
中国の核実験は、核防護策がずさんで、被災したウイグル人に対する十分な医療的なケアも施されておらず、129万人のうち多くが死亡したとみられる。
広島に投下された原爆被害の4倍を超える規模という。高田教授は「他の地域でこれまで起きた核災害の研究結果と現実の被害はほぼ合致している。今回もほぼ実態を反映していると考えており、人道的にもこれほどひどい例はない。中国政府の情報の隠蔽(いんぺい)も加え国家犯罪にほかならない」と批判している。
また1964年から1996年までの間に、シルクロードを訪問した日本人27万人の中には核爆発地点のごく近くや「核の砂」の汚染地域に足を踏み入れた恐れがあり、影響調査が必要と指摘している。(夕刊フジ 2009/05/01)

フランス:核実験被ばく者に賠償金、初年度予算13億円
【パリ福原直樹】フランス政府は27日の閣議で、核実験による被ばく者を対象とした核実験被害者補償法案を承認し、賠償を行うことを正式決定した。仏が全面的な国家賠償を決めたのは初めて。政府関係者は「賠償対象は数百人」と述べた。初年度の予算は1000万ユーロ(約13億円)だが今後、賠償対象が大幅に増える可能性もある。
政府声明によると、仏は現アルジェリアのサハラ砂漠と仏領ポリネシア(南太平洋)で1960年から96年まで計210回の核実験を実施した。被ばくが認められた45回の実験を賠償対象とし住民や実験に参加した軍関係者らの被ばく症状確認後、賠償金を払う。
今年3月、モラン国防相が賠償方針を表明していた。国防相は仏紙とのインタビューで、一連の実験で被ばくした可能性のある兵士らは15万人に達すると述べている。
仏政府は長年、「核実験の被害者は存在しない」との立場だったが、サルコジ政権で方針を転換した。過去、損害賠償を求めて提訴した場合、「被害者」側に核実験との因果関係の立証責任があったが、国防相は「被害者側に立証責任を求めない」と明言。政府が賠償金支払いを拒否する場合、国には実験との因果関係がないと立証する責任がある。(毎日新聞 2009/05/28)

カザフで「生命への犯罪」と糾弾 核実験停止20年で式典
【セメイ(カザフスタン北東部)18日共同】中央アジアのカザフスタンにある旧ソ連最大のセミパラチンスク核実験場の実験停止20年を記念し、近郊のセメイ(旧セミパラチンスク)で18日、住民ら2万人以上が参加して式典が開かれた。ナザルバエフ大統領は核実験を「生命に対する犯罪」と糾弾、核廃絶を呼び掛けた。
大統領は北朝鮮やイランの核問題を挙げた上で、ソ連崩壊後に世界4位の量の核兵器を引き継ぎながら、核兵器の放棄を決断したカザフスタンは「別の選択肢」を自ら示し「反核運動の世界的指導国の1つ」になったと演説。5カ国が条約を結び非核地帯になった中央アジアなどの先例を他の地域にも広げるべきだと強調した。
同実験場では、1949年8月に旧ソ連初の核実験が行われた。最後の核実験は89年10月で、40年間で地上も含め450回以上の核実験が繰り返された。
その結果、周辺には高度の放射能が残留、住民130万人以上が健康被害を受け、がんや異常出産が相次いだ。
ナザルバエフ氏はソ連カザフ共和国大統領だった91年8月、同実験場の閉鎖を命じた。(共同通信 2009/06/18)

第五福竜丸・久保山さんのカルテ発見 東京の病院
米国が1954年に太平洋ビキニ環礁で実施した水爆実験で被ばくし、半年後に死亡した「第五福竜丸」元無線長、久保山愛吉さん=当時(40)=のカルテと組織標本が都内の病院で発見されたことが19日、分かった。久保山さんの標本の存在は一部が判明していたが、カルテの発見は全乗組員で初という。
久保山さんの死因をめぐっては、米国側が輸血に起因する肝炎としているのに対し、日本側は被ばくによる放射能症と主張。カルテには検査結果の詳細なデータも記載されていることから、これを基に死因の解明が進む可能性もあり専門家は貴重な発見と話している。
第五福竜丸には久保山さんを含め23人が乗船。54年3月1日、水爆実験で生じた強い放射能を帯びたサンゴ片の「死の灰」を浴び全員が被ばくした。同船は同月14日に帰港、7人が東大付属病院に、久保山さんら16人が国立東京第一病院(現国立国際医療センター)に入院した。久保山さんは同年9月23日、乗組員の中で最初に死亡。その後ほかの乗組員も亡くなり、現在の生存者は9人。
カルテと新たな標本が見つかったのは、久保山さんの遺体が解剖された国立国際医療センター戸山病院(東京都新宿区)。今年に入り、カルテ保管庫に保存されているのを職員が発見した。
同病院によると、カルテは表紙が付けられ厚さ数センチ。主治医らの名前のほか、「診断名」欄には「放射能症」と記載されていた。入院日は54年3月28日、退院日は死亡日になっていた。
記載は被ばく当日から始まり、「だるいの度を超えちゃってる」「背中が痛い」などと体の不調を訴えた言葉のほか、白血球数の増減数値や、肝機能の状態を表す黄疸(おうだん)指数などの検査データが詳細に記載されている。
標本は久保山さんのものと明示されていたが、保存状態はあまり良くないという。
カルテを発見した同病院の木村壮介院長は「貴重な資料なので病院で永久に保存したい。遺族の了解が得られれば、死因などの検証のため、研究所に貸し出すことも可能かもしれない」と話している。

「現存するとは」驚く元乗組員

「乗組員のカルテが現存するなんて聞いたことがない」。第五福竜丸の元冷凍士大石又七さん(75)=東京都大田区=は、久保山さんのカルテ発見の知らせに驚きを口にした。「当時どんな検査や治療が行われ、どういう結果だったのか分かる貴重なものだ」と評価。「久保山さんの分だけでなく、全員分があるはず。ぜひ自分の分も自分の目で見たい。今後とも記録として残してほしい」と力を込めた。
久保山さんは、乗組員23人の中で唯一、半年という早い時期に亡くなったため、被ばくとの因果関係が注目されてきた。
米国側は死因について当時の日本の売血制度や医療水準を根拠に、輸血により感染した血清肝炎の「単独犯」説を主張。一方、日本側は肝炎の発症を認めた上で、被ばくによる放射線障害の影響を重視、カルテには「放射能症」と記載された。
現在では、被ばくで免疫機能が低下したところに、輸血によってウイルスが侵入し、肝炎が急激に悪化して死に至った「複合犯」説が主流だ。

<第五福竜丸> 1954年3月1日午前6時45分(現地時間)、国連信託統治領だった太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で米国が水爆「ブラボー」の核実験を実施。北東約160キロの公海上で操業中だった焼津市の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が放射性降下物(死の灰)を浴び、被ばくした。乗組員はがんなどで死亡、生存者の多くも肝がんなどの病気に苦しんでいる。(静岡新聞 2009/07/20)

国連本部で被ばく被害展示 日本とカザフスタン
【ニューヨーク共同】日本の広島、長崎の原爆被害と、カザフスタンにあった旧ソ連の核実験場の周辺住民への放射能被害を紹介する展示会が10日、米ニューヨークの国連本部で始まった。9月30日まで。
来年5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向け、核軍縮の機運を高めるのが狙い。
会場では広島、長崎の原爆投下後の写真、カザフスタンの放射能被害の様子など計約60点を展示。高校2年のカイロ・スチュアートさん(16)は「広島を訪れたことがあり、日本の原爆被害は知っていたが、カザフスタンのことは知らなかった。夏休みの宿題として、放射能被害のリポートを書きたい」と話した。
カザフスタンのセミパラチンスクは旧ソ連最大の核実験場で、1989年に閉鎖されるまでの40年間に450回を超える核実験を実施。周辺住民は今も、被ばくの後遺症に苦しんでいるという。(共同通信 2009/08/11)

フランス:核実験賠償 人権配慮、スピード審査 法案詳細判明、遺族申請認める
【パリ福原直樹】フランスがサハラ砂漠や仏領ポリネシアで60〜96年に行った核実験について、仏議会が策定中の被ばく者賠償法案の詳細が24日、わかった。政府が賠償を積極的に進めるのを前提に、1年以内のスピード審査で賠償を決めるなど、被ばく者の人権を重んじる内容。遺族や現地住民の申請も認められる。仏上下院は25日にも合同で最終の法案審査をし、来年初めの発効を目指す。
同国上院のクレアシュ議員によると、法案では核実験場や近隣にいた人が肺、肝臓、皮膚、甲状腺など約20種のがんを発症した場合、委員会(国防・保健省任命の専門家で構成)が審査、政府に賠償を勧告する。審査では、被ばく量が微小な場合などを除き、基本的に被ばくとがんの因果関係を認めていく方針で、政府が賠償を拒否する場合は、政府に立証責任がある。
また、法案は委員会に、最短で4カ月で結論を出すよう要請。現行法での被害者裁判は、判決まで長期間を要したが「被ばく者の命には限りがある」(仏上院関係者)との観点からスピード審査を求めた。遺族については、法律施行後5年以内に賠償申請を行うようにも求めている。
法案は60〜98年に実験地域にいた人を対象としていたが、当初、対象地域の特定であいまいな部分があった。だが両院の討論の結果、ポリネシアでは、タヒチ島周辺や兵たん部があった周辺の島など「放射性物質の降下の可能性がある」とされる地域にも対象が広げられる見込みだ。
被ばく者への賠償は今年3月、同国政府が実施を表明。一連の実験で被ばくした人は15万人に上るとされ、政府の決定後、上下院が法制を検討していた。同議員は「これまで約400人近くが損害賠償を求めたが、約20人しか認められなかった。新法では300人程度が認められると思う」と話している。(毎日新聞 2009/11/25)

仏、核実験被害補償法が成立 初めて上下両院が可決
【パリ共同】フランスの上下両院は22日、同国が植民地としていたアルジェリアのサハラ砂漠と南太平洋のフランス領ポリネシアで1960?96年に実施した核実験で被ばくした被害者への補償を定めた法案の採決を相次いで行い、いずれも賛成多数で可決、成立した。
フランスで同様の法律が成立したのは初めて。モラン国防相は「わが国は、ついに歴史のある章を閉じることができた」と核保有の負の側面を補償する法の成立を歓迎した。
法案によると、補償の対象となるのは計210回に及ぶ核実験で甲状腺がんなどを発症した軍関係者や現地の民間人ら。サハラ砂漠とポリネシアで被ばくした人々は計15万人になるとみられている。
フランス政府は最近まで、核実験に際しては安全確保のため最善の措置を取ったとの立場を崩さなかったが、サルコジ政権の発足以降、被害者救済に方針転換。国防省は国連が定めた基準に従い救済対象者のリストを作成した。
フランスは92年から核実験を凍結していたが、シラク前大統領は95年に再開。世界から非難を浴びながら96年まで実験を強行した後、98年2月に包括的核実験禁止条約(CTBT)を批准した。(共同通信 2009/12/23)

仏の核実験で「人体実験」か 爆心に兵士突撃し影響調査
【パリ=国末憲人】フランスが1960年代にサハラ砂漠で実施した核実験で、爆発直後に爆心に向けて兵士らを進軍させ、健康上、心理上の影響を調べていたことが、仏民間研究機関が入手した軍機密文書から明らかになった。同機関は、兵士を使った人体実験だったと批判している。
仏核実験被害者の救援活動に携わる「平和と紛争資料研究センター」(CDRPC、本部リヨン)によると、問題の核実験は61年4月25日、同国領だったアルジェリアのレッガーヌ核実験場で実施された。高さ約50メートルの塔の上での核爆発の20分後、攻撃役と防御役の二手に分かれた兵士約300人が爆心に向かって突進。部隊は爆心から650メートルの地点で止まったが、一部の兵士は爆心275メートルまで近づいたという。
実験の目的について、文書は「原子爆弾の人体に及ぼす生理学的、心理的効果を調べるため」と説明。「特別装備も多少の保護となるに過ぎない。(兵士は)このようなゾーンにとどまる時間を減らす必要がある」との結論に達したという。
文書は、仏が核実験を停止した後の98年に編集されたとみられる。モラン国防相はパリジャン紙に対し「その文書については関知していない」と話した。
フランスは60〜96年、サハラ砂漠と南太平洋で210回の核実験を実施。その後「わが国に被曝(ひばく)者は1人もいない」と公言し、核実験による被害を認めてこなかった。しかし、実験を遂行した軍人や技術者、遺族らから補償を求める声が上がり始め、2001年に、「核実験退役軍人協会」(AVEN)が発足。CDRPCと連携しつつ、政府の責任を追及している。
今月13日は、仏がサハラ砂漠で初めて核実験を実施して50年目にあたる。アルジェリアはCDRPCの協力も得て世界核実験国際会議を今月中に開催する予定。07年に続く2回目で、前回同様に被爆者を日本から招致する。(朝日新聞 2010/02/17)

仏が被ばく人体実験 機密文書 内容判明 60年代、兵士使い
【パリ高木昭彦】フランスが1960年代に北アフリカの旧植民地アルジェリアのサハラ砂漠で行った核実験で、兵士を故意に被ばくさせ、放射線が人体に与える影響を調査していたことが16日分かった。国防省の機密文書の内容として日刊紙パリジャンが伝えた。
国防省報道官は西日本新聞の取材に対し、「その機密文書は存在するが、軍事機密なので内容を把握しておらず、コメントできない」とした。
フランスの核実験は60−96年、サハラ砂漠や南太平洋の仏領ポリネシアで計210回実施。政府は長年否定してきた核実験の放射線被ばく被害を一転して認め、昨年12月に被ばく者賠償法を制定したが、核実験の情報は「軍事機密」としてほとんど公開していない。多くの退役軍人が「核実験のモルモットにさせられた」と政府を批判してきたが、今回の機密文書はこれを裏付けた。
同文書は暗号名「緑のトビネズミ」と呼ばれた1961年4月25日の核実験について、「核兵器による人間の身体的・精神的影響の研究」と目的を明記。参加した約300人の小隊は核爆弾の爆発20分後に避難施設を出て、間もなく爆心地に向けて歩き始めた。40分後には爆心地から約700メートルの地点に到着し、さらにパトロール車は275メートルの地点まで進んだ。
文書は、当局者が放射線汚染の危険性を認識したうえで、兵士たちにマスクを装着させなかったことを指摘。爆心地に近づいた兵士について、「精神的に強いダメージを受けていない限り、戦闘を続けることができる」と報告している。
文書は260ページで、日付は核実験終了2年後の1998年。文書の1ページ目には「第1巻」と記されている。(西日本新聞 2010/02/17)

仏がアルジェリア人で人体実験 核科学者証言、究明求める
【アルジェ共同】フランスが1960年代に植民地アルジェリアのサハラ砂漠で行った核実験に詳しいアルジェリアの研究機関の核科学者アンマル・マンスーリ氏(52)は20日、共同通信に対し「アルジェリア人150人を使った人体実験が行われた」と述べ、フランス政府の関連記録の機密解除と事実関係の究明を求めた。
フランス紙パリジャンは16日、軍の機密資料を基にフランス兵を使った人体実験が行われたと報じていた。サハラ砂漠で行われたフランス初の核実験から50年を迎え、首都アルジェでは22日から各国の被ばく者らが参加する国際会議が予定されており、実態解明を求める声が高まりそうだ。
マンスーリ氏は、実験に参加したフランス兵の証言などを基に説明。南部レガン付近での地上実験後、放射線の影響を調べるため、爆心地にアルジェリア人を連れて行くなど「モルモットとして扱った」ことを明らかにした。(共同通信 2010/02/21)

日本と同じ核被害訴え=鳩山首相を安保会議に招待−カザフ外相
来日したカザフスタンのサウダバエフ外相は25日、都内で講演し、日本が広島、長崎に原爆を投下されたのと同様、カザフも旧ソ連の核実験場にされた過去を持ち「共に核兵器の被害国だ」と述べ、核に対する共通の問題意識があると訴えた。
カザフには1991年の閉鎖までセミパラチンスク核実験場が存在した。同外相は「カザフ人150万人とドイツに匹敵する面積が被害を受けた」と批判するとともに、日本による被爆者支援に謝意を表明した。
また、日本の国連安保理常任理事国入りを支持。カザフが提唱する欧州安保協力機構(OSCE)のアジア版「アジア信頼醸成措置会議(CICA)」について「6月7〜9日、イスタンブールで首脳会議が開かれる。鳩山由紀夫首相もぜひ参加してほしい」と呼び掛けた。CICAには19カ国1地域が加盟、日本もオブザーバー参加している。(時事通信 2010/02/25)

フランス:海外核実験、被ばくした200人が賠償請求 国の補償認定に不安も
【パリ福原直樹】フランスが海外で実施した核実験で被ばくした被害者約200人が来週にも、仏政府に国家賠償を請求する。仏最初の核実験から50年の今年施行された被害者補償法に基づく初の集団請求となるが、「賠償認定の基準が厳しすぎる」との指摘もあり、仏政府の対応が注目される。
仏は1960〜96年にアルジェリアのサハラ砂漠と南太平洋の仏領ポリネシアで計210回の核実験を実施した。実験に従事した仏兵士や民間作業員の計15万人のほか、現地住民も多数被ばくしたといわれる。仏政府は長年、「核実験は安全確保のため最善の措置を取った」と主張してきたが、サルコジ政権は方針を転換し、被害者救済に乗り出した。
「核実験退役軍人の会」によると、今回賠償を請求するのは、元兵士やポリネシアの現地住民ら。第1陣に続き、今後さらに請求が増える可能性もある。
補償法は、核実験場の近隣にいた被ばく者で肺、甲状腺など18種のがんを発症した人への補償を規定。被害者の請求を受け、政府の専門委員会が核実験とがん発症の因果関係を審査し、賠償の是非を決める。政府は初年度に1000万ユーロ(約11億円)を予算化している。
法制定に携わった同国のクレアシュ上院議員によると、補償法成立以前は被ばく者が裁判で賠償を請求したが、がんと核実験の因果関係立証が難しく、「400人近くが提訴したが、約20人しか認められなかった」(同議員)という。
最初の核実験から半世紀たった今なお後遺症に苦しむ被ばく者にとって補償法は「朗報」となったが、同会は(1)賠償対象のがんの種類が少ない(2)被ばく者の継続的な健康対策がない──などの問題点を指摘。被ばく者を支援する非政府機関「武器監視」のブブレ代表も「政府が賠償を拒否した場合、その理由を開示しない恐れがある。被害者の多くは当時、被ばく量の測定機をつけておらず、反証は困難だ」と話す。
このため、被ばく関連団体は政治家や法律専門家を交えて補償法の条文を精査し、政府に法改正を求めることも検討している。(毎日新聞 2010/06/26)

カルテ写し16人分保管=研究施設に、元無線長も―第五福竜丸被ばく
米国が1954年に太平洋ビキニ環礁で行った水爆実験で被ばくした「第五福竜丸」の元乗組員23人中16人のカルテの写しが、放射線医学総合研究所(千葉市)に保管されていることが19日、分かった。被ばくの半年後に亡くなり、昨年7月にカルテが確認された元無線長久保山愛吉さん=当時(40)=の写しもあった。元乗組員の診療記録の存在が大量に判明したのは初めて。
放医研は「貴重な資料で永久に保管する。今は元乗組員の定期検診で過去の病状との比較に使っているが、要請があればほかの被ばく診療にも役立てたい」としている。
第五福竜丸は54年3月1日、操業中に水爆実験に遭遇。強い放射能を帯びたサンゴ片の「死の灰」が降り、乗組員23人全員が被ばくした。
約2週間後に帰港した乗組員は、7人が東大付属病院、久保山さんら16人が国立東京第一病院(現・国立国際医療研究センター、東京都新宿区)に入院。久保山さんは9月23日、乗組員の中で最も早く死亡。現在9人が生存している。
放医研は、放射能研究の専門施設として57年に設立され、両病院を退院した元乗組員の診療を引き継いだ。当初から担当していた医師が退職したため、90年代半ばにカルテを捜した結果、東京第一病院に入院した16人分を国際医療研究センターで確認、原本のコピーを入手した。東大病院の7人分は今も不明という。
放医研によると、写しはB5判で1人1〜2冊。退院までの体温の推移や白血球数の増減、肝機能の状態を表す黄疸(おうだん)指数、輸血時期などの検査データが詳細に記されている。データの質・量は原本と同じという。
久保山さんの死因をめぐっては、米国側が輸血起因の肝炎、日本側が被ばくによる放射能症と主張し対立。写しの表紙の診断名は全員が「放射能症」となっている。
放医研・緊急被ばく医療研究センターの明石真言センター長(55)は「カルテには個人情報も多く含まれ難しい点もあるが、広島や長崎などの医療機関から被ばく診療の問い合わせが来れば、ぜひ有効に役立てたい」と話している。(時事通信 2010/07/20)

「核なき日まで警鐘を」=元乗組員「自分で見たい」―カルテ写し・第五福竜丸
「核兵器がなくなる日まで、警鐘を鳴らし続けて」―。広島・長崎の悲劇後に起きた第五福竜丸問題。米国の水爆実験で被ばくした元乗組員16人分のカルテの写しの存在が、新たに確認された。「もう繰り返さないで」。オバマ米大統領が核兵器廃絶を目指す中、元乗組員や専門家からは「核なき世界」を求める声が改めて上がった。
「当然あると思っていた」。第五福竜丸の元冷凍士大石又七さん(76)=東京都大田区=は冷静に受け止める。16人分の写しには、当時の国立東京第一病院(現・国立国際医療研究センター)に入院した大石さんの分もあった。
大石さん自身も、肝硬変から肝がんを発症した。「ぜひカルテを見て、自分の体に何が起きたか知りたい。仲間は残り少ない。悲劇を繰り返さないためにも、検査結果をきちんと公表してほしい」と訴えた。
第五福竜丸の展示施設を運営する第五福竜丸平和協会(東京都江東区)の安田和也事務局長(57)は「元乗組員の被ばくと健康問題の関係が改めて分かるインパクトのある資料」とした上で、「専門家を交え、時間をかけてカルテの中身を検討してほしい」と話した。
被ばく問題に詳しい医師は「この問題の象徴的存在だった元無線長の久保山愛吉さん以外は診療記録が詳しく伝えられておらず、貴重な記録。核兵器がなくなるその日まで、カルテには人類に対して警鐘を鳴らし続けてほしい」と話す。(時事通信 2010/07/20)

ビキニ環礁、世界遺産に=核の威力伝える「証拠」―ユネスコ
【パリ時事】国連教育科学文化機関(ユネスコ)は1日、ブラジルで開かれた世界遺産委員会で、冷戦期に米国が核実験を行ったマーシャル諸島のビキニ環礁について、世界遺産(文化遺産)への登録を決めたと発表した。
米国は1946年から58年にかけて、当時国連の信託統治領だった同諸島のビキニ環礁周辺で計67回の核実験を実施。54年3月の水爆実験では、公海上で操業していた遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員らが被ばくした。
ユネスコはビキニ環礁が「核兵器の威力を伝える上で極めて重要な証拠」と指摘。「平和な地上の楽園というイメージとは裏腹に、核時代の幕開けの象徴となった」としている。(時事通信 2010/08/02)

ビキニの「死の灰」、世界122カ所に降った 米が観測
米国が1954年3〜5月に中部太平洋のビキニ環礁で実施した一連の水爆実験で、放射性降下物「死の灰」が太平洋を越えて広がり、日本や米国などにも降下していたことが日本の研究者が入手した米公文書で裏付けられた。米国が世界122カ所で観測した降灰量が数値で記されていた。第五福竜丸以外にも被曝(ひばく)が及んだことを示す資料として分析している。
報告書は55年5月に米気象局を中心にまとめられ、全227ページ。写しが84年に機密解除された。広島市立大広島平和研究所の高橋博子講師らが分析を進めている。その一部は研究者の間で知られていたが、今年3月、米エネルギー省のホームページで全文が見つかった。
かつて米国が公開した、最初の水爆「ブラボー」の爆発から2日後までの降灰の範囲を示した地図では、ビキニ環礁から風下の東に向けて1万8000平方キロに限られていた。その後、降灰が世界規模に広がったことも指摘されていたが、今回入手された報告書には4カ月間にわたる観測結果が数値で示されている。
ビキニ環礁から東西に長い楕円(だえん)状に降灰が広がり、日本や米国、アフリカ大陸など世界中に降灰があったことが示され、その総量は22.73メガキュリーと算出されていた。
報告書によると、米国は実験にあたり、放射性降下物の観測を目的として世界中に観測所を設置。粘着フィルムを使って降灰量を記録した。
6回の爆発による降灰量を1平方フィート(約0.09平方メートル)の粘着フィルム上で1分間に崩壊する原子の数で表し、太平洋側半球と大西洋側半球に分けて地図に記した。その上で各観測所の降灰量に応じて、等高線のような「放射能等値線」を記した。
報告書は「対流圏の流動パターンと観測された放射性降下物との全面的な関係は明らか」として、「太平洋で冬季に実験を行えば居住地域への早期の(降下)確率を縮小できる」と結論。放射能汚染を抑える方法を模索していたことがうかがえる。「合衆国南西部で日本の約5倍(の降下)」という記述もある。
各観測所の数値の単位は一般的に使われているものとは異なり、降灰の影響がどれほどあったかは今後研究していくことになる。
実験当時に近海を航行して被曝した漁船や貨物船は延べ1000隻を超えるともいわれ、がんなどの健康被害を訴える元乗組員も多い。だが、日米両政府は55年に7億2000万円の補償金で政治決着し、第五福竜丸以外の被害実態はその後調査されなかった。
高橋講師は「元乗組員らの被曝を裏付ける科学的資料で、核実験が地球規模の環境汚染問題であることも示している」と話している。
沢田昭二・名古屋大名誉教授(素粒子物理学)は「総降灰量22.73メガキュリーという数字は世界的な影響を物語る。これまで人体内部での被曝は過小評価されてきたが、その影響はある。地域ごとに濃淡が示されている降灰量を現在使用されている単位に換算すれば、近海で被曝した乗組員らへの影響も明らかにできる」と話している。(枝松佑樹)

<ビキニ水爆実験> 水爆開発に着手した米国が1954年3月1日から中部太平洋のマーシャル諸島(当時は米国の信託統治領)のビキニ環礁で行った実験。5月までに6回爆発させた(うち1回はエニウェトク環礁)。3月1日に爆発させた「ブラボー」は広島型原爆の1000倍の威力があり、近海で操業中だった第五福竜丸の乗組員23人が被曝。半年後に無線長の久保山愛吉さんが死亡した。ほかにも多くの漁船や貨物船、現地住民、米兵が被曝し後遺症に苦しんでいる。(朝日新聞 2010/09/19)

ビキニ水爆 「死の灰」世界規模
市民団体解析 日・米・アフリカ覆う
米国が1954年に南太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験(キャッスル作戦)による「死の灰」がアメリカ本土にも到達、放射能汚染が世界規模に広がっていたことが、米公文書によって明らかになりました。高知県太平洋核実験被災支援センターが解析をすすめていたもので、27日、同センターの山下正寿氏らが高知市で記者会見して発表しました。
米国の公文書は、米気象局を中心に55年5月にまとめられた報告書で、84年に公開されたときは、降灰地図や米国への降灰記録などの部分が欠落。今年3月、米エネルギー省のホームページで同報告書の全文を見つけ、広島市立大広島平和研究所などで分析をしていました。
報告書によると、粘着性フィルムを世界中122カ所に設置してデータを収集。キャッスル作戦の6回の水爆実験後100日間観測、その数値を地図上に「放射能減衰曲線」にして示しています。
キャッスル作戦の放射性降下物の総量は22.73メガキュリーで、ビキニ環礁から東西に楕(だ)円(えん)状に広がり日本や米国、アフリカまで降灰が広がっていることが分かります。
米国南西部に日本の5倍ほどの降灰を観測。報告書が「人の住んでいる所への『死の灰』を減らすには冬の太平洋で核実験をすることであろう」と書いていることから、同センターは「自国への影響を少なくするための調査ではないか」と話しています。
第五福竜丸など数百隻が被災した、54年3月1日のブラボー実験では、米国の危険水域設定が不十分なため、漁船や島民が多数被災しました。
山下氏らは「被災の深刻さを理解して政府は持っている資料を公開して被災者の救援などに努力すべきです」と話しました。(しんぶん赤旗 2010/09/28)

ビキニ首長「広島、長崎と同じ」 世界遺産後、初の来日
1940〜50年代に米国が核実験を繰り返した太平洋・マーシャル諸島にあり、昨年「負の遺産」として世界遺産に登録されたビキニ環礁のアルソン・ケレン首長(42)が、27日までに東京都内で共同通信の単独インタビューに応じ、住民が今も放射能汚染で故郷に帰れない状況を説明。「私たちは広島、長崎の人々と同じく、人類の歴史の中で最も悲惨な出来事に遭遇した。二度と繰り返さないためにも、忘れてはならない」と訴えた。
ケレン氏は、1954年に静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」が操業中に被ばくして57年となる3月1日の「ビキニデー」に合わせ、初めて来日。焼津市などで開かれる集会に参加する。
ビキニ環礁の島民は別の島に強制移住させられた。ケレン氏によると、環礁には現在、米エネルギー省職員が残留放射能測定のため、半年交代で常駐しているが、栽培している野菜は放射能の数値が高く食用が禁止されている。
「米国は『きれいで安全になった。住んでも大丈夫』と言うが、島の作物を食べることができなくて、何が安全だ。長期間滞在することはできない」と述べた。
元島民は今でもがんで苦しんでいる人が多く、ケレン氏の親族もがんで亡くなったという。(共同通信 2011/02/27)

ビキニ首長の一問一答
ビキニ環礁のアルソン・ケレン首長のインタビューの主な一問一答は次の通り。

─ビキニの現状は。
「私たちは別の島に強制移住させられ、ビキニに帰ることはできない。米国は『きれいで安全になった。住んでも大丈夫』と言うが、ヤシの実など島の作物は今でも食用禁止。何が安全だ」

─元島民の健康は。
「がんで苦しんでいる人が多い。ビキニの生活を知らない若い世代が増え、島民としてのアイデンティティーが失われつつある。自由がなく、米国による監獄のようだ」

─温暖化の影響は。
「高波が来て地面が水浸しになり、タロイモなど数少ない作物が枯れてしまう。島が沈んでいくようだ。以前、私の国は米国に奪われたが、今は世界に奪われている」

─世界遺産登録について。
「私たちは広島、長崎の人々と同じく、人類の歴史の中で最も悲惨な出来事に遭遇した。二度と繰り返さないためにも、忘れてはならない。悲惨な過去を共有し、核兵器廃絶と平和のために努力しなければならない」(共同通信 2011/02/27)


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【関連サイト】

いまもつづくビキニ核実験の被害(全日本民医連)


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