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3・11は、日本国民に「国家成立以前」「貨幣成立以前」「農耕生活以前」を疑似体験させ、農本主義に戻るよい機会です。
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak48/msg/318.html
投稿者 小沢内閣待望論 日時 2011 年 6 月 25 日 15:20:20: 4sIKljvd9SgGs
 


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権力者たちは、国民を信頼せず、国民によって選ばれる政治家を警戒すべき対象とした。官僚が日本ほど放任されている大国はない
http://www.asyura2.com/11/senkyo115/msg/628.html
投稿者 TORA 日時 2011 年 6 月 25 日 14:53:02: CP1Vgnax47n1s

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu242.html
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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少数の権力者たちは、国民を信頼せず、国民によって選ばれる政治家を
警戒すべき対象とした。官僚が日本ほど放任されている大国はない。

2011年6月25日 土曜日

◆日本の官僚制度の特殊性がある 6月24日 Electronic Journal
http://electronic-journal.seesaa.net/article/211561941.html

ウォルフレン氏のいうところの「管理者たち/アドミニストレーターズ」の中心は官僚です。日本の官僚制度は、何度もいうように、政治的野心を持った明治の強力な指導者──主として薩長重鎮たちによって作られたのです。

 しかし、彼らは民主主義の信奉者ではなく、独裁的な支配者であったのです。彼らは自分たちの作った「天皇の下僕」の機構を少数の人間で支配する寡頭制を選んだのです。しかし、それを次世代に受け継ぐシステムを構築していなかったのです。

 そのためその権力者たちが死ぬと、彼らに任命された各省や枢密院、それに軍の官僚たちは、そのあとを引き継いだのですが、彼らは政治的に統一された新しい寡頭制度を構築しなかったのです。そのため、それぞれの職務に権力が分散し、全体を取り仕切る権力者がいなくなったのです。

 もとよりかたちのうえでは、最高の権力者は天皇ということになっており、官僚は天皇の下僕として位置づけられたのですが、実際はそうではなかったのです。官僚たちは天皇の意思と称してさまざまなことを勝手にやったのです。しかし、官僚を管理するシステムがないので、国全体としてはまるで政策の整合性がとれず、ばらばらになってしまったのです。

 こういう日本の官僚制度について、ウォルフレン氏は次のように述べています。

―――――――――――――――――――――――――――――
 日本の官僚制度が注目を余儀なくさせる側面、同時にきわめて恐ろしい側面は、それを管理するものがいないことだ。日本の市民は、なかなかこれを実感できない。私は、日本が他の国と異なると主張しているとしばしば批判される。日本で見られる政治現象は、たしかに他の国でも見られる。だが、強大な権力が公的な権力として規定されないまま闇のなかに据えおかれている度合いや、日本の社会が政治化されている度合い、また官僚の権力が管理されていない度合いは非常に大きく、その点で日本はまったく異質である。日本の市民は、官僚が日本ほど放任されている大国はないという事実に気づくべきだ。
      ──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/鈴木主税訳
   『人間を幸福にしない日本というシステム』/OH!文庫
―――――――――――――――――――――――――――――

 しかし、明治の権力者たちは議会制度を導入し、国民の選挙で選ぶ政治家を登場させています。これは民主主義の制度です。これと官僚制度をうまく組み合わせて機能させることは可能だったのですが、彼らはそれをあえてしなかったのです。なぜなら、日本の議会制度と法の仕組みは、日本を近代国家に見せかけるためだけのものでしかなかったからです。

 明治の指導者たちの中には、巨大化する官僚機構の規制を強化すべきと唱えるものもいたのですが、少数の権力者たちは、国民を信頼せず、国民によって選ばれる政治家を警戒すべき対象としたのです。そのため、自由民権運動をはじめとする初期の政治活動に対して徹底的に弾圧を加えたのです。これでは、徳川時代の封建体制と何も変わらなかったわけです。

 ウォルフレン氏は、官僚の権力を野放しにして日本に起こった悲劇として太平洋戦争を上げています。この戦争は、軍の官僚が仕組んだものであり、それらの官僚へのコントロールが効かなくなった結果起こったものなのです。

 日本が、当時の日本の国力の10倍以上の工業力を持つ米国に対して戦争を仕掛けても勝てるはずがないのです。しかし、官僚が暴走すると、こういう悲劇が生まれるのです。それはまさに自殺行為であったとウォルフレン氏はいっています。「国民が慈悲深いはずの権力者に裏切られたまさに悲劇である」と。

 問題なのは、日本の官僚制度は現在も野放しであることです。なぜなら、官僚に対して政治的な管理がなされていないのは、昔と何ら変わっていないからです。彼らは、強固な組織と情報と資金を有しており、自分たちの身分と生活は法律で安全を保証されているのです。そして、彼らは日本を事実上コントロールしているのです。しかし、国民にはその姿が確認されず、姿なき権力者になっているわけです。

 そのため、政治家が革新的なことをやろうとすると、官僚側はそれが彼らにとって都合の悪いことであると、徹底的にそれを潰そうとします。現在の民主党がやろうとした政策がことごとく実現しないのは、野党ではなく、官僚──とくに財務省の協力が得られないからなのです。自民党によって「バラマキ4K」と名づけられた民主党の主要政策は、それが継続されると、官僚が使えるカネが減少し、財務省が危機感を感じたからなのです。

 かかる官僚機構に立ち向かうことは非常に困難なことです。公務員改革制度が進まないことにそれがあらわれています。これについては改めて取り上げるつもりです。

 1945年の終戦後において官僚制度はますます強固なものになります。それまで彼らの上には、絶対の権力者としての天皇が存在していたのですが、終戦によって天皇は象徴天皇になったからです。それでいて、アメリカの占領軍は官僚制度をそのままのかたちで残しています。これについて、ウォルフレン氏は次のように解説しています。

―――――――――――――――――――――――――――――
 日本にとって不幸だったのは、1945年の終戦後、アメリカの占領軍が日本の実情を完全に誤解していたことだ。占領軍は日本の政治家もアメリカの場合と同様に官僚を支配すると思い込んでいた。(中略)そして民主主義の実現のために日本が何 よりも必要としているものは中央政府の強力な指導力だという ことに、まったく思いいたらなかった。
        ──ウォルフレン著/鈴木主税訳の前掲書より

 

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