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[こちら特報部] 「あさま山荘事件から40年」 2012/02/19(東京新聞) 
http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/152.html
投稿者 赤かぶ 日時 2012 年 2 月 19 日 20:52:47: igsppGRN/E9PQ
 

【こちら特報部】「あさま山荘事件から40年」2012/02/19(東京新聞)
http://ameblo.jp/heiwabokenosanbutsu/entry-11169630112.html
2012/02/19 東京新聞 :平和ボケの産物の大友涼介です。
 

連合赤軍メンバー5人が女性1人を人質に立て籠もった「あさま山荘事件」の発生から、19日で40年。10日間にわたって繰り広げられた警官隊との攻防を、テレビ中継などで記憶している人も多いに違いない。事件とは直接関係ないものの、メンバーと一緒に運動を続けていた元活動家が、今、連合赤軍事件の全容を後世に伝えようとしている。連合赤軍とは何だったのか・・・。(秦淳哉記者)

■元活動家「死んだ仲間のために」 「全容を」記録積み上げ

「たくさんの仲間が死んだ。記録を残すことが義務だと思って始めた」

こう話すのは「連合赤軍事件の全体像を残す会」のメンバー、雪野健作氏(64)と金廣志氏(60)の二人。

共産党赤軍派と日共革命左派神奈川県委員会が合流して生まれた連合赤軍。雪野氏は革命左派の最大拠点だった横浜国大出身。名古屋市で活動を続け、一九七一年に逮捕される以前は、連合赤軍幹部の故永田洋子元死刑囚(二〇一一年、獄中で病死)と行動を共にしていた。金氏は赤軍派に所属し、やはり連合赤軍幹部の故森恒夫被告(七三年、拘置所内で自殺)らと活動を続けた。

全体像を残す会が発足したのは、あさま山荘事件から十五年後の一九八七年。事件の被告らが控訴審判決を受けた頃だ。雪野氏は「弁護士や支持者と話す中で、これだけの事件の調書や裁判資料が永久に保存されないのはよくないと思うようになった」と振り返る。

資料の収集・保存とともに取り組んだのは、連合赤軍を知る人の証言を集め記録すること。これまで約二十人の当事者に会った。インタビューの録音は、六十分テープで約百本に上る。二〇〇四年からはインタビューをまとめた冊子「証言 連合赤軍」も出版しており、すでに八冊目に達した。九七年には、あさま山荘事件前に、多くの仲間がリンチで死亡した群馬県の事件跡地を巡る「慰霊の旅」も開いた。

事件から年月が経過し、連合赤軍に関与した人の記憶が薄れてしまうことも恐れた。金氏は「事件の全体像を実際に見た人はいない。いたとすれば森か永田だろう。一人一人の立場や見方は異なるが、加工しない生のまま、証言を残したかった。そうしないと死んだ仲間が浮かばれない。死者は語ることができないから」と活動の意義を語る。

当時の週刊誌などが伝えた事件の内容にも抵抗感があった。雪野氏は「乱交と暴力ばかりが強調されていた。確かに一部はその通りかもしれないが、想像で書いたとしか思えないひどい表現もあった。実際の姿が残されていないと感じた」と、実情から乖離したイメージの定着を危ぶんだ。

残す会のインタビューに対して、関係者はどう応じたのか。金氏は「当時の出来事を驚くほど詳細に覚えていた。人のしぐさまで鮮明に記憶している人が多い。それぞれ感情の高まりがあったのだろう」と指摘する。一方で、今も固く口を閉ざす関係者も多いという。


■まだ歴史にはできない

永田死刑囚と森被告はあさま山荘事件の起きる前にいずれも山狩りの警察官に逮捕されており、事件の終結によって、連合赤軍は崩壊した。そして、逮捕後の取り調べで、群馬県の榛名山などの山岳アジトで連合赤軍のメンバー十二人が組織内のリンチで死亡していた「山岳ベース事件」が発覚。ささいなことでメンバーに”総括”と称して自己批判を迫り、顔を殴った上に食事を与えず厳冬の山中に放置して死亡させるなど、凄惨な事件の全容が明らかになり、世間に衝撃を与えた。

雪野氏は当時既に逮捕されていたため、東京拘置所の中であさま山荘事件のニュースを知った。その後、山岳ベースでの出来事も耳に入り、絶望感に包まれたという。

「新聞は一部が黒塗りにされていたが、リアルタイムで立て籠もった十日間の様子を知ることができた。事件を知って、天が崩れてくるような深い衝撃を受けた。拘置所にいた別の仲間も、恋人がリンチの犠牲となったのを知り、顔がげっそりと痩せていた。まさに破局だと感じた」

金氏があさま山荘事件の発生を知ったのは、東京都内の潜伏先で見たテレビ。ほんの少し前まで、警察に追われて群馬県の山岳地帯に逃避行をするメンバーと一緒に行動していた。「なぜ人質を解放しないのかと憤りを感じていた。事件終結の時、連合赤軍は壊滅したと思った」

それから四十年。雪野氏は一九八〇年に刑期を終え、今はIT関連の会社を経営。金氏はカリスマ塾講師として評判を集める。

二〇〇八年には事件の様子を描いた映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」が公開され、一〇年には山本直樹氏の漫画「レッド」が文化庁メディア芸術祭で優秀賞を受賞した。歴史の一部であるかのように事件に関心を示す若い世代もいる。しかし雪野氏は「世間の捉え方がそうであっても、当事者の私は客観的な歴史にはできない。戦争や原爆を体験した人が事実を歴史と受け止められないのと同じ」と話す。


■「議論尽くすべきだった」 連合赤軍の悲劇「繰り返さないで」

連合赤軍の歴史を知ることは、過去からの教訓を得ることにも繋がる。金氏は「当時は新しいカルチャーをつくり出そうという空気に満ち、左右を問わず論争、議論があった。今はそういう場自体がない。原発問題では、推進派と反対派の意見が噛み合わないまま、感情的な応酬に終始している。”総括”のようなメンタリティーは今の日本にもあると感じる時がある」と警告する。

雪野氏は、爆弾や銃で武装して派出所を襲撃しようとする永田元死刑囚らの計画に当初から反対したが、最後は周囲の意見に押し切られた。「議論が通じず、いずれ活動が壁にぶつかった時を待つしかないと思った」。ところがその機会より前に、仲間は破滅に向かって突き進んでしまった。当時を悔やみ、こう求める。

「例えば、原発がメルトダウンした時、あの時に津波対策をしておけばと思った技術者もいたはずだ。疑問点を最後まで詰めなかったことが、悲劇に繋がる。同様の歴史を繰り返さないためにも、多くの人があさま山荘事件に関心を持って欲しい」

残す会は二十五日午後六時から、東京都千代田区の東京しごとセンターで、今年も「連合赤軍殉難者追悼の会」を開く。

※デスクメモ 
「最近、若い人たちと話したら、みなさん生きづらさを感じていた。それが気になっている」と金氏。一方の雪野氏は「あの頃、閉塞感はあったが、空を見上げればまだまだ広く、未来をつくっていけると感じていた」と振り返った。事件から四十年。空は当時より狭くなってはいないだろうか。(木デスク)

※あさま山荘事件 
連合赤軍のメンバー5人が群馬県の山岳アジトから逃走中の1972年2月19日、長野県軽井沢にあった保養所のあさま山荘に、管理人の妻を人質にして10日間立て籠もった。包囲した機動隊との銃撃戦の末に人質は無事保護、メンバー5人全員が逮捕されたが、警官2人、民間人1人が射殺され、16人が重軽傷を負った。


 

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コメント
 
01. 2012年2月21日 17:37:52 : FHVyh15Kso
考えなきゃいけないのは、「連合赤軍」の「連合」って所なんだと思う。
つまり、AとBが合わさるから「連合」な訳で、
左派の学生運動が最終的に「連合に行き着く過程」なんだ、と思う。

「連合赤軍」の時点で、「太平洋戦争に突っ込んでいる」事と一緒なのだから、
赤軍派の行動が「理解しがたい」のは当然な訳で、考えるだけ無意味だ。
あさま山荘事件などは「サッサのオヤジ」にドヤ顔で語らせておけば十分だろう。

「連合赤軍」は反戦運動、安保闘争の末路の象徴ではあるが、末路の1つでしかなく、
従軍慰安婦や南京大虐殺も、末路の「別の形」なのかもしれない。
単に「あさま山荘事件」、「連合赤軍」と特化するより、戦後の左翼運動そのものの功罪という観点で検証しないと、意味のない話だろう。


02. パルタ 2012年2月25日 14:55:20 : BeExvDE2jO5d2 : KWEa32Be12
ソ連共産党もボルシェビキとメズィ・ライオンツィの連合だよな。
国全体が「あさま山荘」かオウム教団施設に閉じ込められているようだ。
その暴走心理メカニズムを解明せねばならない。日本は戦争末期はともかく戦後はまだ国全体がそこまでは行ってない。

03. 2012年2月28日 20:41:38 : Mnxczxr6Dw
デジタル鹿砦社通信
http://www.rokusaisha.com/blog.php?p=677

市民をゴネラー視する警察

    2012年2月24日 カテゴリー 社会問題一般 Share on Facebook

「ゴネラーへの処方箋」(東京法令出版)という警察官向けの本がよく読まれいるらしく、3巻まで
出ている。警察にたてつく市民を「ゴネラー」として、その対処法を語っているのだ。「税金返せ」
と絡んできた酔っぱらいに、「お前の分はこの位だ!」と、1円玉を投げつけた、などという武勇伝
が紹介されていて興味深い。

高級車の中に缶ジュースが置いてあると車内を汚すので、違法駐車でもレッカー移動しない、など
という俗説は否定。

「俺が乗ってる車がちょっと目立ってるからって、俺の車だけ引っ張ってくなよなあ」と文句を言う
高級車の持ち主に、「一罰百戒だよ。目立つ車をレッカーすると、皆注意するでしょ。協力してくれて
ありがとう。そもそも、違法駐車するのなら、リスクは覚悟しなきゃ。それはともかく、そんなに目立つ
の嫌なら、俺が乗ろうか?」と応じたという体験談もある。

「残念ながら、警察官だからと敬意を払ってもらえるご時勢ではありません」と書かれているように、
警察官受難の時代に、駐車禁止、スピード違反、信号無視、シートベルト無着用、酒酔い運転など、
様々な局面での対処の仕方について、詳しく述べられている。

若い頃危険なことをしてきた私は、これからは人生を大事にしていきたいと思っている。だから、
超安全運転で、取り締まられることもない。もちろん免許はゴールドだ。

ゆっくり過ぎると思える法定速度だが、確かにあのくらいで運転してれば、事故は起きない。
一時停止できちんと停まる車をめったに見ないが、そういった面では、警察官に頑張ってもらいたい
と思う。

だが、交通取締の根底にもこういう意識があるのかと、首を傾げてしまうのが「強制か? 任意か?」
という項目。

「最近、果たすべき義務も果たさないくせに権利意識ばかり強い輩が増えています」と始まり、そういった
人種がよく使うのが「これは強制か? 任意か?」という言葉なのだという。

そういう人種は、「反警察的」であり、「我々警察官にとって非常に嫌な奴ら」なのだそうだ。

しかし、心当たりのないことで警察署への同行を求められたときに、強制なのか任意なのかを確かめる
ことなど、当たり前のことではないか。よく考えもせずに警察に行ったあげく、犯罪者に仕立て上げられた
という例は、過去にはいくらでもあるのだから。

だが、任意だといっても、職質に応じない相手の腕を掴むなど、ある程度の実力行使が認められていると、
本書では語られている。その手を振り払えば、公務執行妨害で、一挙に逮捕の要件となってしまうの
だから、恐ろしい。

警察官向けの本書では、「まず隗より始めよ」として、警察官への戒めも説かれている。

パトカーが一時停止しなかったり、私服時の警察官が信号無視、スピード違反することも、けっこうあり、
警察官自身がゴネラー化することもあるようだ。

結局は、同じ人間なのだということが分かる。
市民をゴネラーと見なすのではなく、同じ人間と見ることから始めたら、どうだろうか。

(FY)
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