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飯塚事件に関する投稿をした翌日のニュースで、久間氏の死刑執行を命令した当時の首相麻生太郎氏と法務大臣森英介氏が並んで、自民党の総裁選に絡み、「安倍晋三氏を支持する」と記者会見を行っている映像を見て思わず苦笑してしまった。
そして、その安倍元首相が、「断固として国民の生命を守る」と演説している姿を見て、政治家の言動が、格好ツケの抽象的なものでいかに虚しいものであるか再確認させられた。
近代法の知識と思考力が少しでもあるひとなら、「えっ、こんな論証でひとを死刑にすることさえできてしまうのか!?」と思うに違いない飯塚事件裁判のデタラメぶりや死刑を執行された久間氏の無罪性についての説明は、前回の投稿で十分だと考えている。
被告人が有罪かどうかは、被告人による無罪証明に左右されるものではなく、物証と証言による有罪証明の質によって決まる(はずである)。そして、有罪証明が不十分であれば、有罪性を払拭できなくても無罪とするのが現在の法理である。
憲法は、第三十八条で「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」と規定している。
そうでありながら、飯塚事件の一審判決が、被告人の罪状否認について、悪し様に非難しているのは言語道断の所業である。
そのうえ、被告人有罪の挙証が明確にはできていないことを認めながら、被告人に「犯行の機会があった」とか、被告人が「犯人像と矛盾しない」といった有罪の根拠になり得ない論理(「状況証拠」)で有罪に持ち込むという犯罪的な論理の組み立てを平然と行っている。
被告人は“犯行の機会がなかった(アリバイ)”や“犯人像と矛盾する”といったことを証明する責を負っていない。「犯行の機会があった」とか「犯人像と矛盾しない」といった論理(話)は、ただ単に無実とは言えないということであり、有罪であることを意味するわけではない。
飯塚事件一審の判決文を読んで、その裁判が裁判員裁判でなくてよかったと思う。
裁判で確定した冤罪の責任は、警察や検察ではなく、裁判官にある。それゆえ、裁判員に冤罪判決の責任があるとは考えていないが、一審とはいえ、裁判員が死刑という判決を下すのは実に重たい行為だと思うからである。
飯塚事件を推理小説のようにあれこれ詮索しても仕方がないと思っているが、国家権力の手で命を奪うことになる判決が、「ものは言いよう」というレベルで下されている現実がよくわかる例なので、判決の問題点をもう少し取り上げてみたいと思う。
飯塚事件ではDNAや血液に関する鑑定はあれこれ語られているので、今回は、被害女児二人の「死亡推定時刻」に関する問題点を取り上げたい。
前回の投稿で、「そのような経緯であった可能性を全面的に否定するわけではないが、何を意味するものか不明である二つの目撃証言を事件と関係する重大な事実とみなすことで、犯行に使われた車種から被害者の死亡推定時刻までが、それらに沿うかたちで導き出された可能性がある」と書いた。
そして、「判決が、胃の内容物に関する解剖所見からは認めがたい午前9時頃を二人の死亡推定時刻としたのも、午前11時過ぎに目撃された自動車と運転手によって遺体が遺棄されたというストーリーに引きずられたせい」ではないかと補足した。
詰まるところ、二人の女児が失踪した2時間半後に遺体発見現場近くで目撃されたワンボックスカーとその運転手らしき人が、死刑に処された久間氏の自動車であり久間氏であるとするために、「死亡推定時刻」=殺害時刻を判断するための最重要証拠=遺体解剖所見までを歪めさせてしまったと思っている。
言い換えれば、被告人を無罪にするしかない厳然たる物証を軽んじ、被告人を有罪にできそうな「状況証拠」という“お話”や“思い込み”に重きを置く判断に流れたのである。
肝心要の物証でもある遺体解剖所見までもが歪められる状況が見逃されるようでは、手っ取り早い反証として有効な“アリバイ”さえ、無効になってしまうという恐ろしい状況が生まれる。
たとえば、殺害時刻が午後6時から午後9時のあいだなら、友人たちと飲み屋でワイワイ呑んでいたのでアリバイがあるのに、殺害時刻が午前9時頃となると、一人で営業に出ていたのでアリバイを証明できないということになる。
いつ殺されたのかという事件の基本構図さえ検察の都合がいい方に歪められるのなら、犯人でないのなら無実を証明できるはずだという話さえ吹っ飛んでしまうのである。
警察や検察が犯人として目を付けた人物に「犯行の機会があった」という状況を補強するために、「死亡推定時刻」をずらすことが可能なら、冤罪はあとを断たないだろう。
飯塚事件の一審判決文をベースに、解剖所見と「死亡推定時刻」のあやういロジックを確認したい。
末尾に、福岡地裁の判決文のうち今回のテーマに関する「一 事案の概要」の死体解剖に関わる部分を引用したので参考にしていただきたい。
■ 解剖医と裁判官で「死亡推定時刻」が最大13時間も食い違っているという不可解
飯塚事件の一審判決を読むと、「推定無罪」とか、「疑わしきは被告人の利益」といった最高裁も認めている法理がないがしろにされているにとどまらず、“警察が逮捕し検察が起訴したのだから、被告人は有罪なのだろう”という「推定有罪」の考えが意識的に貫かれているように思える。
飯塚事件の一審判決は、「推定有罪」を前提とした“思い込み”で“状況証拠”を作り上げることで、被告人を有罪に持ち込んだと言っても過言ではないものである。
久間被告人を有罪とした判決にとって、被害女児二人の「死亡推定時刻」は大きな意味を持っている。
なぜなら、女児二人の失踪から2時間〜2時間半のちに遺体発見現場で目撃された自動車と人物が、遺体を遺棄していた被告人である可能性が高いという判断が、有罪判決の大きな拠り所になっているからである。
逆に、遺体発見現場で目撃された自動車と人物が、女児二人の殺害及び遺体遺棄とまったく無関係ということになれば、その目撃証言によってなんとか事件に結びつけられている久間被告が有罪であるとした判決の支えが崩壊することになる。
● 一審の裁判官たちが認定した「死亡推定時刻」
一審の判決は、被害女児二人が殺された時期を、姿が確認されなくなった午前8時30分から午前9時のあいだと推定している。
被害女児二人は、略取されたのち、30分も経たないうちに殺されたと判断したことになる。
そのように判断した理由として、一審判決は、「A子の死亡推定時刻は、同日午前7時に朝食を食べてから1時間ないし2時間後である午前8時から9時ころまでの間ということになるが、A子の生存は午前8時30分の時点で確認されているから、その後午前9時ころまでの間に殺害された」と推定し、B子についても、「A子とB子が同時に行方不明となり、いずれも何者かの手によって首を絞められて殺害され、同じ場所に遺棄されていたことからすると、2人はほぼ同じ機会に殺害されたとみるのが自然である」と、「B子についても、朝食摂取後1時間ないし2時間で死亡したものと推定するのが相当」と述べている。
● 二人の遺体を解剖した九州大学医学部教授の「死亡推定時刻」
ところが、失踪した翌日夜(遺体が発見されてから約22時間後)、被害女児二人の遺体を解剖した九州大学医学部教授rは、遺体に関する総合的所見に基づき、判決とは大きく異なる「死亡推定時刻」を提示している。
解剖所見の「死亡推定時刻」は、一審判決が認定した時刻とは少なくとも9時間はズレた失踪当日の“午後6時から9時ころ”なのである。
ビックリすることに、一審判決も、
A子について:「死亡時刻を平成4年2月20日午後6時から9時ころと記載したA子の死体検案書(甲680)の作成者はr教授であり、同人の死体解剖に基づく死亡推定時刻の判断の方が正確であるのは論を待たない。」
B子について:「また、r鑑定人の死亡推定時刻及び同人作成にかかるB子の死体検案書(甲679)については、前記A子の場合と同様」
と述べ、解剖学的な死亡指定時刻が“午後6時から9時ころ”であることを確認するのみならず、結論の確からしさまで認めている。
被害女児がとった最終食事に関する情報や遺体発見現場で午前11時過ぎに目撃された自動車や人に関する情報を知らない(先入観を持たない)解剖医は、遺体の総合的な変化から、失踪が確認されてから9時間後の午後6時までは生存していたと推定しているのである。
この事件は二人の女児が揃って殺害されるという悲しく陰惨なものだから、一人の遺体だけの解剖所見ではなく、それほど違わない時期に殺害されたと思われる二人の遺体の死後の経過を総合的に見た上での所見ということになる。
また、“午後6時から9時ころ”と3時間の幅が設定されていることを考えれば、実際の死亡時刻がズレているとしても、前後1、2時間程度とみるのが妥当であろう。
それなのになぜ?と言いたくなるが、「死体解剖に基づく死亡推定時刻の判断の方が正確であるのは論を待たない」と言っている一審の裁判官たちが、死亡推定時刻を失踪直後の午前8時半から午前9時のあいだとしているのである。
■ 午前11時ころの遺体発見現場付近目撃証言に沿うようムリに合わせられた「死亡推定時刻」
遺体の解剖所見で示された「死亡推定時刻」を受け容れると、失踪から2時間〜2時間半ほどあとの午前11時過ぎに目撃された自動車や人は、事件とは無関係ということになる。
事件にまったく無関係とまでは言えないとしても、遺体を遺棄していたという“思い込み”は否定される。被害女児が殺害されたと推定される時間の範囲でもっとも早い午後6時からでさえ7時間も遡った時点の出来事だからである。
前回の投稿で示したように、死刑に処された久間氏が有罪であるという判断は、
1) 二人の女児は午前8時30分から8時50分のあいだに通学路から自動車で連れ去られた。
2) 二人の女児はほどなく殺害され、午前11時過ぎに遺体発見現場に遺棄された。
という関わりさえ不確実な二つの出来事を前提に、両方の出来事に共通している自動車の目撃証言が、久間氏が所有・利用していた紺色のワンボックスカーを示唆している可能性が高いことに拠っている。
しかし、1)の出来事は、女児二人の失踪時間が午前8時半から50分のあいだと20分間も幅があり、その時間帯に付近で停車した自動車でさえ目撃されておらず、どのような自動車が女児を連れ去ったかについては、関連性さえはっきりしないまま、いくつかの証言がまことしやかに取り上げられているというものである。
(※ 女児二人が自動車で連れ去られたというのも“思い込み”を超えるものではない)
遺体発見現場付近で午前11時過ぎに目撃された自動車や人も、事件との関連はわからないまま、まるで決定的な意味を持っている出来事であるかのように扱われている“思い込み”でしかないのである。
そのようなことから、午前11時過ぎに遺体発見現場で目撃された自動車や人が女児二人の遺体遺棄とは無関係ということになれば、判決が示した事件の構図や久間氏の有罪性は瞬く間に瓦解する。
前回も書いたが、山道を深く入った林のなかではなく、それなりに通行量もあるはずの国道沿いの林のなかに遺体を遺棄したことを考えれば、明るい昼間の午前11時頃ではなく、死亡推定時刻の始まりである午後6時から遺体発見時刻である翌深夜0時過ぎまでの夜間に行われたと考えるほうが自然であろう。
「状況証拠」で久間氏を有罪とするためであろうが、遺体発見現場付近で午前11時過ぎに目撃された自動車と人が遺体遺棄に関わっていたと説明したいため、一審の裁判官たちは、精神鑑定を受けたほうがいいのでは思わせるようなロジックを駆使して、死亡推定時刻をむりやり早めているとしか思えない。
● 時刻範囲で示された「死亡推定時刻」を無視することで殺害時期を遡らせた判決
解剖医は、女児二人の「死亡推定時刻」を失踪当日の“20日午後6時から9時ころ”としているのに、判決は、「A子の生存は午前8時30分の時点で確認されているから、その後午前9時ころまでの間に殺害されたと推定される。r鑑定書には死後経過時間として検屍開始までに死後約1日から1日半を経過しているとの記載があるが、これは時間単位での推測ではなく、1日半がより近いとすると、右推定時刻と矛盾するものとはいえない」という奇妙な説明によって解剖所見を覆している。
遺体の解剖を開始したのは翌21日夜10時だから、二人の死亡推定時刻が前日20日の午後6時から9時ころであれば、「死後約1日から1日半を経過している」という記述に矛盾はない。
しかし、判決自体がそのフレーズのすぐ後ろで、「死亡時刻を平成4年2月20日午後6時から9時ころと記載したA子の死体検案書(甲680)の作成者はr教授であり、同人の死体解剖に基づく死亡推定時刻の判断の方が正確であるのは論を待たない」と書いているように、日の単位だけではなく、時刻(時間)の単位で死亡した時間の推定がなされている。
だから、裁判官が、午前8時30分から9時までのあいだという死亡推定時刻の判断を、「1日半がより近いとすると、右推定時刻と矛盾するものとはいえない」と語るのは、詭弁にもならないデタラメな主張ということになる。
判決は、解剖所見の「死後約1日から1日半を経過しているとの記載」について、「時間単位での推測ではなく」とわざわざ説明しているが、誰も、日単位の説明を時間単位の説明とは思わないだろう。
裁判官たちが犯罪的なのは、解剖所見がきちんと「時間単位での推測」をしているのに、自分たちの時間単位の推測をもっともらしく思わせるため、日単位の推測を悪意をもって持ち込んでいることである。
裁判官たちも気にはしているのか、後出しジャンケンのように、「rは、捜査機関の質問に対して、A子同様「死後1日と1日半では1日半により近いと考えられる。」「2月20日午前9時ころの殺害であっても矛盾しない。」などと答えている(甲19)」として、裁判官の判断が正当であるかのような補強を行っている。
しかし、「捜査官の質問に対して、「死後1日と1日半では、1日半がより近いと考えられる。」「食後1時間ないし2時間くらいの死亡ではなかろうか。」と述べているが、鑑定書には記載しないと述べていた」と判決文自体が書いているように、鑑定書に記載があるわけではなく、有罪を求める立場にある捜査官の証言をよりどころにした正当化なのである。
捜査官の証言が真実だとしても、九州大学医学部教授という立場であれば、捜査機関からのちに、“死後1日と1日半では1日半により近いと考えてもおかしくはないですよね?”とか、“2月20日午前9時ころに殺害されたことは絶対にないとは言えないですよね?”と訊ねられれば、質問の趣旨を理解し、捜査機関の意を汲んだ返答をする可能性はあるだろう。
だからこそ、先入観がないまま、真摯に遺体と向かい合うなかで作成した解剖所見の内容が重要なのである。
九州大学医学部r教授のA子に関する解剖所見は、「胆汁がほぼ充満状態にあり、胃の米飯粒の多くが未消化であること等の所見から、食後間もない時期の死亡と推定される」というものである。
これを勘案すると、「「食後1時間ないし2時間くらいの死亡ではなかろうか」と述べているが、鑑定書には記載しない」と記載に“躊躇”した理由は、胃の内容物を食べてから1時間も経過しないうちに死亡した可能性を考えたからではないかとも推測している。
(※ A子が食後1時間ほどで殺されたことになれば、A子が朝食から1時間半ほど経った午前8時30分ころに目撃されている事実と矛盾する)
● 胃の内容物と判決の「死亡推定時刻」のあいだで見られる矛盾
警察や検察もそうなのだろうが、裁判官たちは、被害女児たちが何かを食べた最後は、失踪前の朝食という“思い込み”をしているように思える。
一審判決は、「A子の胃の内容物には、米飯とキャベツ片らしい菜片が、わずかに消化されたまま残っており、B子の胃の内容は、淡黄色の溶液を残すのみであった」と胃の内容物に関する解剖所見をまとめている。
遺体を解剖した九州大学医学部r教授のA子に関する解剖所見は、「「ほとんど未消化の米飯粒を主とした粥状物が約160グラム残る。一部に暗褐色の微細物と少数の白い菜片が混じっている。」、腸の所見として「十二指腸部には淡黄色粥状物少量」、死後経過時間として「検屍開始時(2月21日午後10日)までに死後約1日から1日半を経過しているのではなかろうかと推測される。胆汁がほぼ充満状態にあり、胃の米飯粒の多くが未消化であること等の所見から、食後間もない時期の死亡と推定される。」」というものである。
B子については、「淡黄色液状物(胆汁と認められる)約10ミリリットルを入れるのみ」との所見である。
(※ 「検屍開始時(2月21日午後10日)」というのは、「検屍開始時(2月21日午後10時)」の誤記と思われる。先ほど取り上げた“1日半”という話も、ぎりぎりまで遡っても、20日午前10時しかならない)
結末があのような悲劇的なものだからそう思い込むのもわかるが、遺体の解剖所見(胃の内容物)を先入観なしに読み解けば、B子はともかく、A子は失踪後にご飯やキャベツを食べた可能性が高い。
B子にしても、朝食に食べたロールケーキ関連の残滓(澱粉粒を含む)がないことから、判決が推定した午前9時までに殺されたと考えるより、朝食が完全に消化される時点まで生きていたと考えたほうが理に叶っている。
一審判決は、「p鑑定人は、A子の胃内容からして、A子が食後1、2時間で死亡したものと判断しているところ(職15r鑑定人の結論も同じである。)」と言っているが、それをもって、A子の最後の食事が失踪前の朝食と判断することはできないのである。
※ 引用者注:p鑑定人は事件発生から3年ほど経過して始まった裁判で指定されたた帝京大学医学部教授。「職15r鑑定人の結論」のrは、遺体を解剖した九州大学医学部教授だが、内容は捜査員の証言であり、所見として書かれたものではない。
A子の最後の食事が朝食とすることに引っかかりを感じるのは、A子が朝食で食べたとされる“めんたいこ”の残滓がない一方で、遅くとも事件前日の19日午後5時30分ころから午後7時30分ころまでに食べたはずのキャベツの残滓があることである。
A子は、朝食として、「午前7時ころ、大人の茶碗8分目のご飯に生のめんたいこの皮をはずした中身を混ぜて食べ、お茶を飲み、咳止めシロップ(エスエス製薬の小児用エスエスブロン液エース)を飲んだ」とされている。
B子は、朝食として、「いちごとミルク入りのカステラロール(直径約10センチメートル、幅約1センチメートルのもの)を約4分の1食べ、ヤクルトを半分飲んだ」とされている。
判決(検察の主張なのだろうが)は、朝食の内容と解剖所見のあいだに見られる矛盾を解消するため、解剖所見にないA子の“めんたいこ”の残滓について、
「A子の死体解剖は、九州大学医学部法医学教室において、r教授の執刀により行われた(甲12)。これに立ち会った福岡県警察本部刑事部捜査一課検視係長θは、執刀医であるrがA子の胃を切開した際その内容物を網で受け取り、これを他の捜査官が写真撮影した後、胃内容物の一部をスプーンですくい取り、別の網の上に載せて、上から水道水をかけて洗浄したところ、直径1ミリメートル以下の魚卵様の粒状物数個を網の上に認めたので、その旨をrに報告したが、rは頷いただけで、特に言葉を発することもなかった(証人θ)。」
とか、
「A子は、朝食時ご飯にめんたいこをまぶしたものを食べているが、解剖に立ち会ったθは、A子の胃内容に魚卵様の粒状物が含まれているのを確認し、A子の胃内容を撮影した写真(甲13の28)にも粒状物らしい物体が写っている。
もっとも、r鑑定書及びγ・i鑑定書には魚卵様の粒状物に関する記載がないが、p鑑定人はこれらの者が見落とした可能性を指摘しており(職15)、θからの報告に頷いただけのrがこれに興味を示していなかったため鑑定書に記載しなかった可能性や、γらがA子の胃内容に蒸留水を加えて静置し上澄液を廃棄する操作を数回行った結果、蒸留水より比重の軽いめんたいこをも廃棄してしまった可能性も否定できない」
といった警察サイドの後出しジャンケン的証言を持ち出すことで、あるとは書かれていない“めんたいこ”の残滓を勝手にあたかもあったかのようにしている。
(※ 「γ・i鑑定書」というのは、福岡県警察科学捜査研究所の技術吏員γ及び同iが作成した鑑定書で、「A子の胃内容をシャーレに移し、蒸留水を加えてしばらく静置した後上澄液を廃棄する操作を数回行って、固形物様のものを採取し、肉眼及び顕微鏡で検査したところ、ほぼ原形をとどめた米飯多数とキャベツ片(大豆大のもの数片)が識別できた」と記載されている。
このことから、解剖時点では、九州大学医学部r教授も、福岡県警察科学捜査研究所も、A子の胃のなかに“めんたいこ”の残滓を見出していないことがわかる)
一方の「A子の胃の内容物には、米飯とキャベツ片らしい菜片が、わずかに消化されたまま」で残っている可能性は考えにくい、失踪前日夕方に食べたと考えられるキャベツについては、
「弁護人は、法医学の通説的見解に従って、野菜は摂取後数時間内で胃を通過することを前提とすべきであると主張するが、p鑑定書(職15)によると、法医学書に記載された胃からの食後経過時間の推定に関する記載は、胃内容の平均的な動きをみているのであり、未消化物の胃内滞留時間については、これまでの法医学の記述は当てはまらないこと、近年に至り胃の幽門部には未消化物を通過させない作用があることが判明してきており、p鑑定人の体験としても、早朝に死亡した幼児の胃幽門部にホウレン草の野菜片が付着していた例があること、胃カメラを実施する場合、夕食後絶食させた状態で翌朝の検査で食物残渣が観察されることがあり、小児についても、食物残渣が残るとみても問題ないことが認められるので、弁護人の右主張は採用できない」と、“わずかに消化されたまま”のキャベツが残っていてもおかしくないとしている。
「米飯とキャベツ片らしい菜片が、わずかに消化されたまま」という解剖所見が、「法医学書に記載された胃からの食後経過時間の推定に関する記載は、胃内容の平均的な動きをみているのであり、未消化物の胃内滞留時間については、これまでの法医学の記述は当てはまらない」というよくわからない説明で否定できるはずもないだろう。
また、「胃の幽門部には未消化物を通過させない作用がある」とか、「胃幽門部にホウレン草の野菜片が付着していた」といった話を持ち出しているが、A子のキャベツ片が、胃の幽門部のみから見出されたという所見や鑑定内容は示されていない。
不思議なのは、残滓や血液中などの「咳止めシロップ」成分濃度に関する記述がないことだ。服用後2時間ほどで殺害されたという見立てが正しいのなら、体内に「咳止めシロップ」の有効成分が何かしら残っているはずである。
一審判決も、A子が朝食からあとに摂食した可能性をいちおう考慮したようで、「仮に、A子の胃内容が2月20日の朝食ではないとすると、A子は、行方不明になった後、魚卵様のものが入った茶碗1杯程度の米飯と咳止めシロップと矛盾しない暗褐色を呈する物を再度摂取したことになるが、偶然朝食で摂取したと同様のものを摂取する可能性は低く」と触れている。
しかし、解剖所見を確認すればわかるように、「魚卵様のものが入った茶碗1杯程度の米飯と咳止めシロップと矛盾しない暗褐色を呈する物を再度摂取したことになる」という反論は、解剖学的物証と裁判官自身の推察をごちゃまぜにすることでしか成立しない空想の話である。
解剖所見には、“魚卵様のもの”が見出されたという記載はなく、「暗褐色の微細物」が見出されたという記載はあっても、それが成分的に咳止めシロップの残滓だという鑑定結果も出ていない。帝京大学のp鑑定人の実験で、「咳止めシロップ(エスエスブロンエース液)と米飯粒を酸性下で混合すると褐色の沈殿が生じた」とあるが、「暗褐色の微細物」になるのは、咳止めシロップ(エスエスブロンエース液)だけというわけではないだろう。
朝食でそれほど多くない量の“いちごとミルク入りのロールケーキ”を食べたB子の解剖時点での胃の内容物は、「淡黄色液状物(胆汁と認められる)約10ミリリットルを入れるのみ」となっている。解剖時点で、朝食の残滓はまったく見出されていない。
判決は、奇妙なことに、市販品であると思われる「いちごとミルク入りのロールケーキ」ではなく、なぜか、「アンズ入りのロールカステラ」で実験した帝京大学医学部p鑑定人の実験を紹介している。
その内容は、「アンズ入りのロールカステラをビーカーに入れて人工胃液を加え、37度で2時間程度振盪した後、室温で一昼夜にわたって放置すると、カステラは完全に原形を失い、ビーカーの底には澱粉粒が沈殿したが、アンズはそのままゼリー状に残っていた」というものである。
このような実験も踏まえ、一審判決は、「B子の胃内容から、その死亡推定時間を食後1時間ないし2時間としたp鑑定人の判断(職15)は、その前提事実を欠くことになるので、これを採用することができない」と述べている。
それにもかかわらず、続けて、「しかしながら、A子とB子が同時に行方不明となり、いずれも何者かの手によって首を絞められて殺害され、同じ場所に遺棄されていたことからすると、2人はほぼ同じ機会に殺害されたとみるのが自然である」と、またもや、物証と推論をまぜこぜにした判断を提示しているのである。
さらに、帝京大学医学部のp鑑定人の実験結果があるにもかかわらず、「B子が2月20日の朝食に摂取したカステラロールに含まれていた「いちごとミルク入り」の具体的内容は明らかでないから、これがp鑑定人の実験の結果と同じく、そのままゼリー状に残るかどうかは分からないが、カステラ部分については、死後においても胃内に分泌したペプシンが活性を保持し続けるため澱粉粒まで消化されて(職15)固形物として残らなかったもの」という実験結果を覆すような解釈をしてまで澱粉粒の非存在を正当化している。
おいおいである。ひとを死刑にする判決を書いた裁判官たちが、当然行うべき市販品と思われる「いちごとミルク入りロールケーキ」を使った実験をやらないままで平気なのである。
また、まっとうな裁判官なら、食後2時間以内の「死後においても胃内に分泌したペプシンが活性を保持し続けるため澱粉粒まで消化されて固形物として残らなかった」と言える実験結果を提示しなければならない。
実験結果を踏み越えた推察を前提にできるのなら、食後1時間ないし2時間の死亡推定時刻でもかまわないことになるから、「B子の胃内容から、その死亡推定時間を食後1時間ないし2時間としたp鑑定人の判断(職15)は、その前提事実を欠くことになるので、これを採用することができない」というのは自家撞着である。
さらに言えば、「A子とB子が同時に行方不明となり、いずれも何者かの手によって首を絞められて殺害され、同じ場所に遺棄されていたことからすると、2人はほぼ同じ機会に殺害されたとみるのが自然」という推察も、意味がなく不要ということになる。
このように、一審の裁判官は、物証や実験を軽視し、警察や検察が考える事件の構図に寄り添った死亡推定時刻に合うよう、解剖所見を解釈しているのである。
しかし、解剖所見を先入観なしで読めば、判決文のような経緯ではなく、事件の経緯を次のように考えたほうが蓋然性が高いように思われる。
1)通学路でぐずぐずしていた被害女児の二人は、強制かダマシかはわからないが、自動車に乗せられたか、建物に引き込まれて姿を消した。
2)略取されたあと、A子は、犯人の奨めなのか自分の要求なのかはわからないが、ご飯とキャベツ(漬け物?)を食した。B子は、朝食のあと殺害されるまで何も食さなかった可能性が高い。
3)A子が犯人提供の食事をとってほどなく、二人は殺害されたらしい。解剖所見から、その時期は失踪した当日の午後6時から9時頃のあいだと推定されている。
4)殺害後、二人の遺体は遺体発見現場まで自動車で運ばれ遺棄された。
※ わいせつ行為に及んだ時期は不明だが、経緯が推定したようなものなら、失踪から相当時間が経った3)の段階に起きたように思える。
そして、事件の経緯がこのような流れであれば、遺体発見現場付近で失踪当日の午前11時過ぎに目撃された自動車や人は、女児二人の遺体遺棄に関与しているとは言えない。
であるなら、事件に使われた自動車が、死刑に処された久間氏のマツダ製紺色ワンボックスカーであるとの判断も無効になる。
飯塚事件の一審判決を読むと、「推定無罪」や「疑わしきは被告人に利益」という法理が平然と踏みにじられる裁判では、物証や論理ではなく、権力的に上位に立つ(決定権を持つ)ものの“言い草”が正しいことになってしまうという恐ろしい現実が見えてくる。
※ 関連投稿
「[飯塚事件]事件の経緯さえ未解明のまま死刑判決に踏み出した犯罪的裁判:DNA再鑑定の結果とは無関係で無罪のケース」
http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/529.html
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[飯塚事件福岡地方裁判所判決文の一部]
一 事案の概要
(1から4は略)
5 そして、死体解剖の結果、
(一) A子及びB子の死因は、頸部圧迫、それも扼頸(手による圧迫)による窒息であり、他殺であること
((二)と(三)は、被害者の出血状況を中心にした記述なので略)
(四) A子の胃の内容物には、米飯とキャベツ片らしい菜片が、わずかに消化されたまま残っており、B子の胃の内容は、淡黄色の溶液を残すのみであったこと
などが判明した(甲12、15、21)。
(6及び7は、遺体発見現場に関するものなので略)
8 被害児童の死亡推定時刻
(一) A子について
(1) A子は、平成4年2月19日午後5時30分ころから午後7時30分ころまでの間、飯塚市花瀬にあるカラオケボックス「楠」に家族と一緒に行き、焼きそば1人前の4分の1程度、のり巻きおにぎり1個、フライドポテトを食べて、カルピスを飲んだ。A子は、翌20日午前6時30分ころ起床し、午前7時ころ、大人の茶碗8分目のご飯に生のめんたいこの皮をはずした中身を混ぜて食べ、お茶を飲み、咳止めシロップ(エスエス製薬の小児用エスエスブロン液エース)を飲んだ後、家を出た(甲26、28職8、10、13)。
(2) カラオケボックス「楠」では、当時焼きそばの具として、豚肉、たまねぎ、キャベツ、もやし、にんじんなどを使っていた(証人β)。
(3) A子の死体解剖は、九州大学医学部法医学教室において、r教授の執刀により行われた(甲12)。これに立ち会った福岡県警察本部刑事部捜査一課検視係長θは、執刀医であるrがA子の胃を切開した際その内容物を網で受け取り、これを他の捜査官が写真撮影した後、胃内容物の一部をスプーンですくい取り、別の網の上に載せて、上から水道水をかけて洗浄したところ、直径1ミリメートル以下の魚卵様の粒状物数個を網の上に認めたので、その旨をrに報告したが、rは頷いただけで、特に言葉を発することもなかった(証人θ)。
(4) r鑑定書(甲12)には、A子の胃の所見として「ほとんど未消化の米飯粒を主とした粥状物が約160グラム残る。一部に暗褐色の微細物と少数の白い菜片が混じっている。」、腸の所見として「十二指腸部には淡黄色粥状物少量」、死後経過時間として「検屍開始時(2月21日午後10日)までに死後約1日から1日半を経過しているのではなかろうかと推測される。胆汁がほぼ充満状態にあり、胃の米飯粒の多くが未消化であること等の所見から、食後間もない時期の死亡と推定される。」との記載がある。なお、rは、右鑑定書作成直前、捜査官の質問に対して、「死後1日と1日半では、1日半がより近いと考えられる。」「食後1時間ないし2時間くらいの死亡ではなかろうか。」と述べているが、鑑定書には記載しないと述べていた(甲19)。
(5) 前記解剖時に採取されたA子の胃内容について、r鑑定とは別に、福岡県警察科学捜査研究所(以下「科捜研」という。)技術吏員γ及び同iも、鑑定を実施した。γ・i鑑定書(甲18)には、A子の胃内容をシャーレに移し、蒸留水を加えてしばらく静置した後上澄液を廃棄する操作を数回行って、固形物様のものを採取し、肉眼及び顕微鏡で検査したところ、ほぼ原形をとどめた米飯多数とキャベツ片(大豆大のもの数片)が識別できたとの記載がある。
(6) 当裁判所の鑑定人である帝京大学医学部法医学教室のp教授が実験したところによれと、以下の結果が得られた(証人p36回 職15、16)。
ア 成人用ご飯茶わん8分目の米飯の重量は約100グラムであり、これに生の皮をむいためんたいこを混ぜたものをビーカーに移し、人工胃液250グラムを加えてよく攪拌し、37度で2時間前後振盪した後、一昼夜にわたって室温に静置したところ、人工胃液のほとんどが米飯に吸収され、米飯の重量は250グラムとなった。また、めんたいこは、着色のものは容易に識別できるが、無着色のものは、水に濡れた状態で白い米飯の上に存在している場合には、識別困難であった。さらに、米飯の一部をシャーレに移し、蒸留水を加え、ガラス棒で攪拌すると、めんたいこは米飯粒から離れて周囲に散在するようになった。
イ 咳止めシロップ(エスエスブロンエース液)と米飯粒を酸性下で混合すると褐色の沈殿が生じた。
(7) 以上の事実を前提にA子の死亡推定時刻を検討する。
まず、A子の胃内容のうち、ほとんど末消化の米飯粒が約160グラムあったという点と、十二指腸にも淡黄色粥状物が少量あったという点について、p鑑定人は、胃内容について死後も胃粘膜からの水分の吸収が持続するので水分が減ることをも考慮すると、A子の胃内容が2月20日の朝食(大人の茶碗8分目のご飯)であると考えても量的に矛盾しないとしている(職15)。次に、p鑑定人は、A子の胃内容のうち、暗褐色調の微細物は、前記実験結果に照らし、A子が朝食後に服用した咳止めシロップが胃の中で米飯と反応した可能性があるとしている(職15)。そして、A子は、朝食時ご飯にめんたいこをまぶしたものを食べているが、解剖に立ち会ったθは、A子の胃内容に魚卵様の粒状物が含まれているのを確認し、A子の胃内容を撮影した写真(甲13の28)にも粒状物らしい物体が写っている。
もっとも、r鑑定書及びγ・i鑑定書には魚卵様の粒状物に関する記載がないが、p鑑定人はこれらの者が見落とした可能性を指摘しており(職15)、θからの報告に頷いただけのrがこれに興味を示していなかったため鑑定書に記載しなかった可能性や、γらがA子の胃内容に蒸留水を加えて静置し上澄液を廃棄する操作を数回行った結果、蒸留水より比重の軽いめんたいこをも廃棄してしまった可能性も否定できない。また、A子の胃内容のうち、少数の白い菜片(キャベツ片)は、2月20日の朝食時に摂取したものではないが、この点について、p鑑定人は、前日の夕食の焼きそばの具が胃の中に残留した可能性もあると述べている(職15 証人p36回)。
弁護人は、法医学の通説的見解に従って、野菜は摂取後数時間内で胃を通過することを前提とすべきであると主張するが、p鑑定書(職15)によると、法医学書に記載された胃からの食後経過時間の推定に関する記載は、胃内容の平均的な動きをみているのであり、未消化物の胃内滞留時間については、これまでの法医学の記述は当てはまらないこと、近年に至り胃の幽門部には未消化物を通過させない作用があることが判明してきており、p鑑定人の体験としても、早朝に死亡した幼児の胃幽門部にホウレン草の野菜片が付着していた例があること、胃カメラを実施する場合、夕食後絶食させた状態で翌朝の検査で食物残渣が観察されることがあり、小児についても、食物残渣が残るとみても問題ないことが認められるので、弁護人の右主張は採用できない。
仮に、A子の胃内容が2月20日の朝食ではないとすると、A子は、行方不明になった後、魚卵様のものが入った茶碗1杯程度の米飯と咳止めシロップと矛盾しない暗褐色を呈する物を再度摂取したことになるが、偶然朝食で摂取したと同様のものを摂取する可能性は低く、また、後にみるようにA子と同時に失踪したB子の胃内容からは同様の所見は認められないことからも、そのような可能性は極めて低い。
以上からすると、A子の胃内容は2月20日の朝食であると認めるのが相当である。そして、p鑑定人は、A子の胃内容からして、A子が食後1、2時間で死亡したものと判断しているところ(職15r鑑定人の結論も同じである。)、この判断は合理的であって首肯することができる。そうすると、A子の死亡推定時刻は、同日午前7時に朝食を食べてから1時間ないし2時間後である午前8時から9時ころまでの間ということになるが、A子の生存は午前8時30分の時点で確認されているから、その後午前9時ころまでの間に殺害されたと推定される。
r鑑定書には死後経過時間として検屍開始までに死後約1日から1日半を経過しているとの記載があるが、これは時間単位での推測ではなく、1日半がより近いとすると、右推定時刻と矛盾するものとはいえない。また、死亡時刻を平成4年2月20日午後6時から9時ころと記載したA子の死体検案書(甲680)の作成者はr教授であり、同人の死体解剖に基づく死亡推定時刻の判断の方が正確であるのは論を待たない。
(二) B子について
(1) B子は、平成4年2月19日午後7時30分ころ、寿司(納豆巻き、シーチキン巻き、カニサラダ巻き)を食べ、翌20日午前7時30分ころ起床し、その後朝食としていちごとミルク入りのカステラロール(直径約10センチメートル、幅約1センチメートルのもの)を約4分の1食べ、ヤクルトを半分飲んだ後、午前7時40分ころ家を出た(甲29、30)。
(2)B子の死体解剖は、A子と同じく九州大学医学部法医学教室においてr教授の執刀により行われた。
r鑑定書(甲15)には、B子の胃の所見として「淡黄色液状物(胆汁と認められる)約10ミリリットルを入れるのみ」、死後経過時間として「検屍開始時(2月21日午後10時30分)までに死後約1日から1日半を経過しているのではなかろうかと推測される。」との記載がある。なお、rは、捜査機関の質問に対して、A子同様「死後1日と1日半では1日半により近いと考えられる。」「2月20日午前9時ころの殺害であっても矛盾しない。」などと答えている(甲19)。
また、このとき撮影された写真(甲16の写真3)によって、p鑑定人は、B子の胃内容には、淡黄褐色の粘稠の表面に白色の膜状物が拡散しているように見えるほか、ゼリー状の黄白色の細長い物体が存在し、赤色の薄い皮膜様のものが数個認められる、というのである(職15証人p36回)。しかしながら、p鑑定人が指摘する白色の膜状物について、右写真の撮影者であるδは、写真撮影の際のリングストロボの反射であると述べているのであって(証人δ)、写真の専門家として長年の経験を有する同人の右供述は、これを信用することができる。そこで、δの供述を念頭において右写真を詳細に検討すると、B子の胃内容は、r鑑定書にあるように淡黄色の溶液のみであると判断するのが相当であって、p鑑定人が主張する白色の膜状物及びゼリー状の黄白色の細長い物体はリングストロボの反射の影響によってそのように見えるだけであり、また、赤色の薄い皮膜様のものは、胃内容物を入れたビーカーの壁面が赤味を帯びて写っているところからして、写真撮影の際の背景による色調の変化であると認めるのが相当である。
(3)前記解剖時に採取されたB子の胃内容について、γ・i鑑定書(甲18)には、前記A子の胃内容と同様の方法で鑑定を実施したが、固形物様のものは認められなかったとの記載がある。
(4)p鑑定人の実験によると、アンズ入りのロールカステラをビーカーに入れて人工胃液を加え、37度で2時間程度振盪した後、室温で一昼夜にわたって放置すると、カステラは完全に原形を失い、ビーカーの底には澱粉粒が沈殿したが、アンズはそのままゼリー状に残っていた(職15)。
(5)そこで、B子の死亡推定時刻について検討する。
B子の胃内容から、その死亡推定時間を食後1時間ないし2時間としたp鑑定人の判断(職15)は、その前提事実を欠くことになるので、これを採用することができないといわなければならない。
しかしながら、A子とB子が同時に行方不明となり、いずれも何者かの手によって首を絞められて殺害され、同じ場所に遺棄されていたことからすると、2人はほぼ同じ機会に殺害されたとみるのが自然であること、前記認定の事実によると、B子が2月20日の朝食に摂取したカステラロールに含まれていた「いちごとミルク入り」の具体的内容は明らかでないから、これがp鑑定人の実験の結果と同じく、そのままゼリー状に残るかどうかは分からないが、カステラ部分については、死後においても胃内に分泌したペプシンが活性を保持し続けるため澱粉粒まで消化されて(職15)固形物として残らなかったものであり、その他B子の胃内容は、B子が摂取した朝食と矛盾しないことからすると、B子についても、朝食摂取後1時間ないし2時間で死亡したものと推定するのが相当である。
また、r鑑定人の死亡推定時刻及び同人作成にかかるB子の死体検案書(甲679)については、前記A子の場合と同様であり、右推定と矛盾するものではない。
9 以上1ないし8の事実によると、本件の外形的事実として、何者かが、平成4年2月20日午前8時30分ころから午前8時50分過ぎころまでの間、通学途中のA子とB子をJ方三叉路あるいは同所から北側の路上付近で略取又は誘拐し、間もなく自分の手でA子とB子の首を絞めて殺害した上、2人の死体及び所持品を八丁峠の前記各現場に投げ捨てたこと、その際、犯人は自動車を使用していること、犯人が八丁峠で死体及び所持品を投棄することができたのは、同日午前9時過ぎころから翌21日午後0時過ぎころまでの時間帯に限られることが認められる。
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