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「世紀末ニッポン」について浅野さんと再び討論しました 鈴木邦男
http://www.asyura2.com/11/senkyo104/msg/794.html
投稿者 ダイナモ 日時 2011 年 1 月 17 日 20:46:28: mY9T/8MdR98ug
 

http://kunyon.com/index.html


@「西宮ゼミ」の第3弾は浅野健一さんです

浅野健一さんとは久しぶりに対談しました。1月9日(日)、「鈴木邦男ゼミin西宮(第3弾)」です。去年から始まったゼミで、第1弾は飛松五男さん(元兵庫県警刑事)。第2弾は水谷洋一さん(西宮冷蔵社長)でした。豪華なゲスト陣です。1月9日は前のゲストの飛松、水谷さんも来てくれました。賑やかなゼミになりました。

飛松、水谷さんと知り合ったのは最近ですが、今回の浅野健一さんとは昔からの知り合いです。ゼミの案内状には浅野さんのプロフィールが紹介されてます。

〈1948年生まれ。62才。香川県出身。慶応大学卒業。共同通信記者をへて同志社大学教授。『犯罪報道の犯罪』(講談社文庫)で話題に。鈴木邦男とは共著『激論 世紀末ニッポン』(三一新書)がある〉

そうだ。一緒に本を出してたんだ。それで本棚を探した。最近、家が雑然としていて、本や資料が探せない。自分の本や、自分が新聞に書いたコメントは取ってるはずだが、それが見付からない。本などが畳の上に、うず高く積まれていて、よく、躓いて転ぶ。あわてて受け身をとったりする。何やってんだ、お前は。と自分を叱っている。

何日も探して見付からずに、仕方なく、本を買い直したり。新聞社に電話して、「5、6年前だけど、私の載ったコメント探して下さい」と頼んで、送ってもらったりしてる。新聞社や出版社は、その点、キチンと整理されていて、すぐ探してくれる。ありがたい。わが家の「整理大作戦」も考えなくっちゃ。でも、整理の前に、「書く」ことが優先だし…。だから、整理は、どうしても後回しになる。

年末〆切の原稿も、遅れに遅れ、やっと10日の夜、宅急便で送った。正月もずっと原稿を書いていた。お雑煮だって食べてない。こんな時に、焦って食べたら喉につまって死んじゃう。だから食べない。

あれっ、そんなことをつぶやいた気がするな。ツイッターで言ったんだっけ。違うな。そうだ。「マガジン9」で、つぶやいたんだよ。

だから、いろんな問い合わせや手紙にも返事を出せてない。すんません。やる気はあるし、返事を書かなくちゃ、と思うんですが、時間的余裕がなくて、後回しになってるんです。ごめんなさい。

それで、浅野さんとの対談本だ。幸いにも、あった。西宮に行く、直前に見付けた。じゃ新幹線で読んで、予習しておこう。これを元に今日の対談をやろう。HPも書こう。そう思い、新幹線で、ノートパソコンを取り出し、本を読みながら、このHPを書いている。帰りの新幹線でも報告を書いていた。


Aそんなに昔か。でも、今でも新しい!

浅野健一さんとの対談は、5、6年前かな。いや、もっと前だ。じゃ、10年前かな。と思って本の奥付を見たら、1995年11月30日発行になっている。

ということは、今から16年前か。定価は750円で、新書だ。それに、浅野さんと私の共著だが、森川展男さんの名前も出ている。「司会」となっている。そうか、森川さんにもお世話になってたんだ。森川さんは、ヘミングウェイやサリンジャーに関する著作や訳書が多い。大東文化大学国際関係学部助教授となっている。今は教授だろう。そういえば、森川先生に呼ばれて、私も何回か大東文化大学に行った。今、思い出した。じゃ、浅野さんとは大東文化大学で対談し、森川さんに司会してもらったのかな。いや、関西に行ったような気がする。

この本は、「まえがき」を浅野さんが書き、「あとがき」を私が書いている。まず、そこから読んだが、大変な状況の中で対談は行われたことが分かる。さらに、追加の対論も何回かやっている。なぜなのか。その背景も、まさに激動的だし、世紀末なのだ。

事の発端は、1994年8月だ。今から17年前だ。京都の立命館大学のサークルの学生が浅野さんを訪ねて来て、こう言った。

「一水会代表の鈴木邦男さんと浅野さんの対談による集会を開きたいのですが…。お2人の立場は違っているかもしれませんが、我々若者にとって刺激的な対論になり、そこから何か新しい道筋のようなものが見付かるのではと思うので、ぜひ実現させたいのです」

そうか。2人で立命館大学で討論し、学生の質問にも答え、それが翌1995年に三一新書となって出たわけか。でも、なぜ私に? 浅野さんは有名だから分かるけど…。あっ、そうか。当時、「週刊SPA!」で「夕刻のコペルニクス」を連載していた。それで、知ったのかも知れない。

ともかく、1994年に立命館大学で集会をやり、そこで大討論会をやったわけだ。その時点で、2人は知り合いだったんだろう。初対面ではなかったような気がする。そう思って、浅野さんの「まえがき」を読み進めて行ったら、アレッと思った。

〈鈴木さんとは私が今から11年前に『犯罪報道の犯罪』(講談社文庫)を出版した時からの付き合いである。鈴木さんは本を読み、一水会の機関紙「レコンキスタ」に書評を載せ、その後、一水会主催の講演会に招いてくれた〉


B厳しい「内部告発」ですね、これは

あっ、そうだったのか。そうだ。一水会の講座に来てもらったことがある。「西宮ゼミ」の時、この話をしたら、「日の丸の旗をバックにして話したのは初めてです」と言っていた。それにしても、「11年前」と書いている。この「まえがき」は、本が出た「1995年」に書いたのだろう。とすると、1984 年頃に知り合ったのか。今から27年前か。そんな昔から、知っていたんだ。

ちょっと整理する。1970年に三島事件。1970〜1974に私は産経新聞にいて、74年にクビ。75年に三一新書で『腹腹時計と〈狼〉』を書き、〈左右接近〉と言われた。太田竜、竹中労、平岡正明さんらと知り合う。この本のおかげで、「左翼人脈」がグンと広がった。

その頃、浅野さんと知り合ったんだ。でも、「右翼」の私なんかと、よく付き合ってくれたもんだ。実は、浅野さんは「左翼」といわれ、左翼「人脈」が多いが、「左翼」には嫌な思いを随分としてきた。

そんな反撥があって、「人間はイデオロギーではない」と思ったようだ。それは、私も当時、漠然と思っていたことだ。そんな思いが2人を結びつけたのかもしれない。「左翼」に対する絶望について、「まえがき」でこう書いている。

〈頭の中だけが左翼で実践が伴わない人間や、体制側に転じた元「左翼」ほどたちの悪いものはないと感じることが最近多い。共同通信にいた時、自称「元一橋ブント」がいた。夜中に酔って外信部の職場に来て仕事中の私にからんできた。二度である。「俺は今でも左翼だ」。管理職になり経営者の「犬」になっているのにである〉

随分と厳しいことを言う。さらに言う。

〈犯罪報道の犯罪性を告発する運動を妨害するのも「左翼」関係者に多い。左翼(特に若い時だけ左翼だった人びと)には、権力指向が強い。マスメディアに出るのが好きなのだ。組織のためには平気でダブルスタンダードを使う。「オウム真理教」への公安警察の数々の暴挙を黙認するどころか、もっとやれと煽っているのが日本共産党関係者や元「新左翼活動家」らであるのを見ればよくわかる。原理原則より自分たちの運動の前進の方が優先する〉

内部にいるから、かえって、はっきりと見えるのだろう。「左翼も大変だな」と思うが、これは、他人事ではない。私も巻き込まれた。だって、「集会」は立命館では出来なかったからだ。「まえがき」では言う。

〈この集会は、立命館の学生たちでつくる「創論社」(高島博之代表)が企画したのに、なぜか同志社で開催されることになった。二人の顔触れが悪いということだろう。「学生に何を訴えたいのだ」と聞いた立命館大学関係者もいたという。私の周辺でも「一水会のような右翼となぜ同席するのか」という声もあった。集会を胡散臭く思う人は集会にけちを付けていた。しかし、いろいろな困難を乗り越えて討論は実現した。若い学生の人たちの力で実現した。また、司会の労を引き受けてくださった森川先生にあつく感謝したい〉


Cなぜ立命館で出来なかったのか

ここでは、オブラートに包んで、遠回しに言ってるが、17年も経ったんだから、いいでしょう。真実を教えて下さい。と、「西宮ゼミ」の時、浅野さんに聞いた。「日共(日本共産党)の妨害で潰れたんです」と言っていた。今はあまりいないが、当時は全国の大学の教授、教職員には「左翼」が多かった。その中でも、日共系は多い。又、反日共系でも、いろんなセクトがあって、そこでも喧嘩していた。

当時、立命館は、日共が強かった。大学教授もかなりいたし、教職員もいた。学生が「浅野、鈴木の講演会を開きたい」と言ってきた。「共産党に反対してる人間だから許可できない」とは言わない。そう言ってくれた方が、分かりやすいのに。

それで、いろんなことを言って文句をつけた。「何をやろうとしているのか」「開催趣旨もはっきりしない」…と。「鈴木は右翼だぞ。何度も捕まっている。右翼は殺人者だ。人殺しを学内に入れるのか」…とも言われたんだろう。どう言っても許可されない。

それで、浅野さんの勤めている同志社でやった。場所は同志社だが、主催は立命館大学のサークルだ。「まえがき」で書いている。

〈本書は94年12月10日、同志社大学今出川校地で開かれた「国際化とナショナリズム・戦後50年日本の常任理事国入り」と題した集会での記録と、その後二度にわたって東京・本郷の三一書房で行った対談を編集したものである〉

私の「あとがき」を読むと、集会の日に、浅野さんから「この討論を本にします」と言われたらしい。そして、テープを起こし、2人の校正が終わり、「もう本が出るだけだ」とホッとしていた。ところが「もう一度、補足対談をやりましょう」と浅野さんに言われた。そして、三一書房で2回やった。

しかし、この2回をやってよかった。というのは、同志社大学集会をやった後に、95年になってから、日本はガラリと変わったからだ。阪神大震災、オウム真理教事件と続き、かつてない大激動の年になったからだ。

だから急遽、補足対談を2回やり、それを第2部に入れた。それによって第1部の大学集会での対談も生きてきた。だから、今、読み返してみても、読み応えがある。


Dだから、いい対談が出来た

「西宮ゼミ」の時は、浅野さんは、この本を 10冊ほど持って来ていた。アッという間に売り切れた。浅野さんは、よく取っておいたものだと思った。もう今は絶版で本屋にはない。ネットの古書店にはあるだろう。調べて買ってみて下さい。2人は頑張って話しているし、編集も、かなり工夫している。2人の討論だけでなく、はじめに2人が「基調報告」をし、それに基づいて討論をしている。

〈目次〉を少し紹介すると、

まえがき 浅野健一
〈基調報告1〉 私の思想遍歴 鈴木邦男
〈基調報告2〉 いま、世界をどう見るか 浅野健一
〈対談1〉 国際化とナショナリズム=戦後50年を迎えた日本の課題=
1、南京大虐殺と従軍慰安婦問題が提示するもの
2、戦後補償と戦争責任
3、国際化と自衛隊のPKO活動
4、戦後50年目の課題と展望
〈対談2〉 阪神・淡路大震災とオウム真理教事件で何が見えたか
あとがき 鈴木邦男

なかなか、重厚で、内容の濃いものになっている。浅野さんと森川さんのおかげだ。1月9日の「西宮ゼミ」では、この本を中心に話し、そのあと、「なぜマスコミはダメになったのか」「なぜ冤罪は生まれるのか」などを話し合った。元刑事の飛松さんにも、時々、話を聞きながら討論を進めた。西宮冷蔵の水谷社長や、鹿砦社の松岡社長にも発言してもらった。

2人のトークの後、5時近くまで、質疑応答も活発に行われた。そして、2人のサイン会。そのあと、近くの居酒屋で打ち上げ。

写真にも載せましたが、この店の枝豆は凄い。桶に入っている。じゃ、毎回、ここでやりましょう。

では、皆さんも今年1年、まめで(=健康で)頑張って下さい。
 

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コメント
 
01. 2011年1月17日 22:14:48: J07Zw7emwc
鈴木邦夫のような電波芸者が出てくる幕じゃねえ!
「たかじんのそんなこと言って委員会」に出ている風見鶏芸能右翼じゃねえか。
すっこんでろ。てか、こんなバカを貼り付けるな!

02. 2011年1月17日 22:16:16: J07Zw7emwc
訂正 鈴木邦夫→鈴木邦男

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