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日本社会の病理 ― 天声人語にみるエスタブリッシュの精神構造 (日本人はまだ、小沢一郎に追いついていない)
http://www.asyura2.com/11/senkyo107/msg/455.html
投稿者 健康人 日時 2011 年 2 月 14 日 20:27:41: od4gE4D45Mdmk
 

日本社会の病理 ― 天声人語にみるEstablishment(エスタブリッシュ)の精神構造

(日本人はまだ、小沢一郎に追いついていない)
http://rww.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/establishment-4.html


すでに御覧になった方も多いと思うが、 『永田町異聞』の新恭(Arata Kyo)さんが、(http://ameblo.jp/aratakyo/day-20110123.html)1月22日の朝日新聞天声人語のなかに、日本のマスメディアがなぜ対米追随の論調を展開し、ひいては小沢一郎の排斥へと迷走し続けるのを止められないのか、その精神構造の謎の一端を垣間見た、と紳士的で穏やかな口調ながら、非常に鋭い知的な分析をされていて、さもありなんと感心して読んだ次第である。

以下がまずその天声人語の全文。


 知米家で知られる先輩記者の松山幸雄さんが、かつて米国の大学で学生らに話をした。日本の「企業ぐるみ選挙」の説明をすると、「それは政治学というより文化人類学の領域ではないのか」と質問され、恥ずかしい思いをしたそうだ。

その松山さんが、「米国の知日派の会合で『小沢一郎氏の力の源は何か』と聞かれるのが一番困る」と言っていた。思想的な牽引(けんいん)力があるわけではない。演説は下手。時々雲隠れし、たまに会見してもレベルの高からぬ話――。それでいて政治のリーダーなのが、彼らには何とも不思議らしい。

たしかに、納得させる答えは難しそうだ。日本人にとっても、小沢氏の輪郭はなぞりにくい。今回も、衆院政治倫理審査会に出ると思ったら、あれこれ駄々をこねている。民主党内はきしみ、またぞろのうんざり感が募る。

よく「司法の場にゆだねる」と言うが、一国の政治リーダーの場合、そう単純ではあるまい。権力をゆだねた国民に、潔白を進んで明らかにする道義的責任を常に負う。それを知らぬ氏でもなかろうに、と思う。

のどに刺さったトゲというより、国政の十字路に転がり落ちて動かぬ巨岩だろう。「与党街道」も「野党通り」も渋滞し、クラクションの音ばかり大きい。岩に足が生えぬなら、動かすしかない。

昔、元首相の吉田茂が「反対党は嫌いだが、反対党が強くないと内輪がおさまらない」と言っていた。言にならえば、民主党の内輪もめは野党の弱さゆえだろうか。週明けからの国会、政治学の領域の熟議が聞きたいものだが。


オレは新氏と違ってあまり紳士的ではないので、やはりこのようなイジケた精神構造の、ネチョネチョした、時代認識をも見誤り、おまけに小賢しい責任転嫁まで加わった陰湿で劣悪な文章をみると、罵詈雑言の類を浴びせたくなってしまう。

まず冒頭の部分だが、オレはこの松山幸雄という元新聞記者を良く知らないが、この人はアメリカの二十歳そこそこの若僧に、「お前はオレに似ていない。」と言われて、「恥ずかしい。」と思ってしまうのである。

この青年は「文化人類学」という言葉を、そういう意味で使っている。文化人類学は当初、あくまでも現代社会とは異質の、隔てられた、純粋に科学的な研究対象としての「未開社会」に対する学問としてスタートしたものであり、その意味で同様に「現代社会」を限定した対象とした政治学とは交わらない。

その共通認識を前提としてこの青年と松山氏の会話は成立しているのだが、しかし今やこの共通認識自体が完全な誤りである、ということを認めなければ、何も始まらないという新時代に、わたしたちは突入しているのではないか?


わたしたちの生きている現在とその未来は、圧倒的なグローバリズムの押し寄せる波のなかで、どうサヴァイヴし、これに拮抗する新秩序を打ち立てていけるのか、という一点に懸かってきている。


その為に、従来の限定された意味合いを超えて、まさに文化人類学こそが、大きく浮上してきているのである。垣根を打ち壊した、「文化人類学的政治学」あるいは「政治学的文化人類学」こそがいま求められており、むしろ政治学と文化人類学は積極的に交わらねばならないのだ。


そうした認識をもしこの松山氏が持ち得ていたら、この青年の問いに恥ずかしい思いをすることも無かったろうし、小沢一郎の力の源泉について問われた時も、堂々と文化人類学的に、狭小な現代政治学の想像も及ばない、“ 人間そのものの持つ力 ”について、語ることが出来たであろう。(新氏の回答を参照されたし。)


企業ぐるみ選挙に問題がないとはオレも思わない。経営者と労働者が必ずしも同じ候補者を支持しなければならない、という理由は無い。しかし政治学の側からそれは文化人類学の問題だ、と言われれば、「もちろんそうだとも。これは狭小な現代政治学では到底問題の糸口にも触れ得ない、<エロスの制度化>という、高度に文化人類学的政治学の領域に属する、それこそきわめて現代的な論点だからな。」とオレなら言い返す。ついでにニヤリと笑ってやる。


まあ、松山氏のこの体験談は、何時の事だかこの文面では分からないし、一昔、二昔前なら日本人のこうした精神構造も珍しく無かったろうが、いま現在の時点でこれを書いている、天声人語氏の罪は重い。


思想的な牽引力云々以下の文章は、もう論外であろう。ここに現れているのは、管直人の「平成の開国」と軌を一にする、途方もない時代錯誤に囚われた精神の、己のみならず周囲まで巻き込んで、地獄への道連れにしようというたくらみの、その醜悪な悪あがき、腐臭すら漂うその告白録に他ならない。


彼が小沢一郎に対して思想的牽引力がない、演説が下手、時々雲隠れ、会見してもレベルの低い話、等々の主観的印象を抱くのは彼の自由である。(オレはそうは思わないが。)しかしそのような極論を敢えて断じるのであれば、字数制限のなかでも多少なりともそう考えるだけの理由を挙げるのが「客観的」報道としての基本姿勢であると思われるが、それはひとつもなしに、あたかも文脈のなかでそれらの印象を「彼ら」(=米国の知日派)の言葉のようにいやらしくすり替えて、読者に「客観的」な印象を与えようとしている。


むしろこの場面は、新氏の想像力が指摘するとおりに、読者は逆に読むべきであろう。「米国の知日派」に意見を求められ、小沢一郎には良いところはひとつも無い、と吹聴する日本のEstablishment(エスタブリッシュ・政治的エリート=マスメディア人)。元々「反米」などではない小沢一郎が、なぜ必要以上に米国の支配層から敵視されるようになったのか、その原因を生んだ犯行現場の一場面に立ち会っているような生々しさが、図らずもこの文面からは透けてくるのだ。


いびつなイジケた精神が攻撃の対象に選ぶのは、己の内にあって、己の見ようとしないもの。(その意味で彼らは、ネトウヨと同質だ。)

その攻撃は、知らず知らずのうちに自壊運動と化し、狂った狗(いぬ)のようにいつまでもぐるぐると、自分の尻尾を追いかけ回すことだろう。もうこいつらには付き合っていられない。

政治学の領域の熟議が聞きたいものだ、とはよく言えたものである。つまらぬ会計処理の話を大仰に騒ぎ立て、政争の具として国民まで巻き込んだその当事者でありながら、他人行儀な顔をして相変わらずネチョネチョグチョグチョ一面コラムでアジる。

動かぬ巨岩がよいしょと一歩動いたら、イジケたウジ虫の大群が、下からわっと這いあらわれて、日本中がさぞかしぎょっと驚くだろう。

 

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コメント
 
01. 2011年2月14日 21:00:56: GX9wsCFvNY
小沢は演説は抜群にうまい。菅と比べたら月とすっぽん。

松山とやらや天声人語氏とやらとはけた違い。お前ら一度演説してみろ。
民主党代表選挙時の演説を聞いてみたら。


02. 北こぶし 2011年2月14日 21:24:27: ngxJmN6cD1mwI : 8hk0duzcU2
はい。 名演説ですよ。 お聞き下さい。

「わたしには夢がある」ー小沢一郎氏2010年9月14日 全文

【民主党代表選】小沢一郎前幹事長の決意表明全文(投票前)

2010.9.14

お集まりの皆様、そして国民の皆様、小沢一郎でございます。皆様には今回の代表選の期間中、菅(直人)総理と私の主張をお聞きいただき、また、激励していただきました。

ここに、まずもって心からお礼を申しあげます。

 また、昨年来、私自身にかかわることで、同志の皆様を始め、国民の皆様に大変、ご心配とご迷惑をおかけしたことを、この機会に心からおわび申しあげます。

 さて、今回の立候補にあたっては、今日の危機的な政治経済事情の中で、果たして自分にその資質があるだろうか、政治の最高責任者として国民の生活を守るという

その責任を果たすことができるだろうか、と本当に悩み、

自問自答いたしました。それにもかかわらず立候補を決意をしたのは、今、政治を変えなければもう間に合わないという、私の切実な思いを正々堂々、世に問いかけたかったからであります。

 思い起こせば、私は27歳で衆議院議員に初めて立候補した際、選挙公報にこうつづりました。「このままでは日本の行く末は暗澹(あんたん)たるものになる。

こうした弊害をなくすため、まず官僚政治を打破し、政策決定を政治家の手に取り戻さなければならない」と。意志なき政治の行き着く先には国の滅亡しかありません。

日本は敗戦を経て本質は変わっていないのではないか。若かりしころの、感じたその思いは初当選以来、いまなお変わっておりません。

 今日、わが国はデフレによる経済の収縮、少子高齢化の既存の社会制度のギャップによる不安など、経済も社会も危機的な状況に陥っております。

 世界で最も層が厚かった中間所得層が解体され、ごく少数の富裕層と数多くの低所得層への分化が急速に進んでおります。日本が誇った社会保障制度も崩れつつある中、

2年後には団塊の世代が年金受給者となる日を迎えます。

 今、日本は、最も大事にされなければならないお年寄りがいなくなっても誰も気づかず、また、就職できない多くの若者が絶望感にさいなまされ、

若い親が育児を放棄しわが子を虐待する。もはや高度成長がいろいろな問題を覆い隠してくれた時期はとうに過ぎ去って、社会の仕組みそのものが壊れています。

そしてまた、日本人の精神風土も興廃し始めていると思います。

今、ここで政治を見直し、行政を見直し、国のあり方を見直さなければ、もう日本を立て直すことができないのではないかと思います。多くの国民の皆さんも同じ

ように感じていたのだと思います。昨年、われわれ民主党に一(いち)縷(る)の思いを託し、政権交代を実現させていただきました。

しかしもう1年が過ぎ、残された任期はあと3年であります。

 私たちは今、直ちにこの3年間を国の集中治療期間と位置づけ、徹底した改革を断行し、実行していかなければなりません。しかしその改革は明治維新以来140年続く

官僚主導の政治を、根っこから国民主導、政治主導に変えなければとても成し遂げられるものではありません。私の頭の中を占めているのはその思いなのであります。

 しかし、私は官僚無用論を言っているわけではありません。日本の官僚機構は世界に冠たる人材の集まっているところであると考えております。

問題は政治家がその官僚をスタッフとして使いこなし、政治家が自分の責任で政策の決定と執行の責任を負えるかどうかということであります。

 私は40(歳)代でたまたま国務大臣、自民党幹事長に就任するという機会があり、国家はどう運営されているのか、その実態を権力の中枢でつぶさに見続けて参りました。

そこで見た官僚主導の、例えば予算作りでは、各省のシェアが十年一日のごとくほとんど変わることがありませんでした。官僚組織というのはそういうものであります。

 その中で私は、自民党の中にいながらこの改革は無理であることを骨身に染みて分かりました。だからこそ、政権与党である自民党を飛び出して、真にしがらみのない政党を作り、

政権を変えるしかないという決意をもってこの17年間、政治活動を続けて参りました。

 改めて申しあげます。昨年、政権交代が実現したのは、こんな日本を何とか変えてくれ、という国民の悲痛なまでの叫びからだったはずであります。

この声に応えようと、菅総理大臣始め閣僚の皆さんが一生懸命に取り組んでおられることを否定をするものではありません。

しかし、政治と行政の無駄を徹底的に省き、そこから絞り出した財源を国民の生活に返すという、去年の衆院選挙マニフェストの理念はだんだん隅においやられつつあるのではないでしょうか。

実際に来年度の予算編成は、概算要求で一律10%カット。これではこれまでの自民党中心の政権と変わりません。財政規律を重視するという、そういうことは大事なことではありますけれども、

要は官僚の抵抗で無駄を削減できず、結局マニフェストを転換して国民に負担をお願いするだけではないでしょうか。これでは本当の意味で国民の生活は変わりません。

 私には夢があります。役所が企画した、まるで金太郎あめのような町ではなく、地域の特色にあった町作りの中で、お年寄りも小さな子供たちも近所の人も、

お互いがきずなで結ばれて助け合う社会。青空や広い海、野山に囲まれた田園と大勢の人たちが集う都市が調和を保ち、どこでも一家だんらんの姿が見られる日本。

その一方で個人個人が自らの意見を持ち、諸外国とも堂々と渡り合う自立した国家日本。そのような日本に作り直したいというのが、私の夢であります。

 日本人は千年以上前から共生の知恵として、和の文化を築きました。われわれには共生の理念と政策を世界に発信できる能力と資格が十分にあります。

誰にもチャンスとぬくもりがある、

豊かな日本を作るために、自立した国民から選ばれた自立した政治家が自らの見識と自らの責任で政策を決定し実行に移さなければなりません。

 そして、霞ヶ関で集中している権限と財源を地方に解き放ち、国民の手に取り戻さなければなりません。そのため、国のひも付き補助金を順次すべて地方への一括交付金に改めます。

これにより、地方では自主的な町作りやインフラ整備が可能になります。国、地方を通じた大きな節約効果と、そして地域経済の活性化が期待できます。また、地域での雇用が生み出され、

若者がふるさとに帰り、仕事に就くこともできるようになります。

 また私は、国民健康保険、介護、生活保護などに対する補助金、15兆円を社会保障関係費として、一括地方に交付します。これにより各地方の実情に合わせて、

また地方の知恵を生かして、より効率的な福祉行政が行える仕組みに改めます。われわれに期待されているのは、いびつになってしまったこの国の形と日本人の生活を

もう一度蘇らせる大改革なのであります。

国民の皆さんにご負担をお願いするのは、ここにいる皆さんがありとあらゆる知恵を絞って、できることすべてに取り組んでからでいいはずであります。そしてそれが、

昨年の総選挙で民主党と国民との約束でなかったでしょうか。

 政府・与党の政策の一元化のもと、改革を実行するのが民主党です。政府が作成した法案に、後から与党議員が意見をいう、自民党と同じような事前審査の仕組みではありません。

私は政府と与党の議員、誰もが対等に話し合って、政策を一から作り上げる、全員野球の態勢を積極的に進めたいと考えております。

 また外交政策においては、日米関係は、わが国にとり最も重要な二国間関係と考えております。日中、日韓関係は、日米関係に次いで重要な二国間関係であり、長い歴史を踏まえ、

今後、政治、経済、文化とあらゆる分野で協力関係を深めていかなければなりません。

 特に拉致問題については、みずから対策本部長として全力で取り組みます。国際関係はまず市民の心の交流こそが必要であるとの認識のもと、実際私は長年にわたり、

草の根交流を続けております。さらには日中韓3カ国の協力のもとで、環太平洋諸国も含む東アジア共同体を推進したいと考えております。

 また農業、漁業の戸別所得補償制度の充実を前提として、EPA(経済連携協定)、FTA(自由貿易協定)を始め、広域的な経済連携も積極的に推進いたします。

 景気対策とデフレ克服にも最優先で取り組まなければなりません。日銀法改正などの制度改革や、インフレターゲット政策も視野に入れるなど、

金融政策と財政政策の両面からあらゆる手段を講じます。

 また、人と人との新たなきずな作りにも取り組みます。民主党として新しい公共の考えを積極的に届け出、NGO(非政府組織)やNPO(民間非営利団体)をはじめ、

ボランティアや企業の社会貢献活動を積極支援するとともに、政府の持つ情報もできる限り開示いたします。

衆議院の解散総選挙はこうした改革に与えられた任期を費やして、その結果を出してからのことであります。官僚支配の140年のうち、40年間、私は衆院議員として戦い抜いてきました。

そしてようやく官僚機構と対立できる政権の誕生にかかわることができました。われわれは国民の生活が第一の政治の幕開けにやっとこぎつけたのであります。

 官僚依存の政治に逆戻りさせるわけにはいきません。それはとりもなおさず、政治の歴史を20世紀に後戻りさせることになるからであります。私は代表になってもできないことはできないと

正直に言うつもりであります。しかし、約束したことは必ず守ります。

 こう断言できるのは官僚の壁を突破して、国民の生活が第一の政治を実行するのは、最後は政治家の志であり、改革のきずなで結ばれている皆さんとなら、長い時代の壁を突破できると

信じるからであります。そして私自身は、民主党の代表すなわち国の最終責任者として、すべての責任を取る覚悟があります。

 今回の選挙の結果は私にはわかりません。皆さんにこうして訴えるのも、私にとっては最後の機会になるかもしれません。従って最後にもう一つだけ付け加えさせてください。

 明治維新の偉業を達成するまでに多くの志を持った人たちの命が失われました。また、わが民主党においても、昨年の政権交代をみることなく、志半ばで亡くなった同志もおります。

このことに思いをはせるとき、私は自らの政治生命の総決算として最後のご奉公をする決意であります。そして同志の皆さんとともに、日本を官僚の国から国民の国へ立て直し、

次の世代にたいまつを引き継ぎたいと思います。

 そのために私は政治生命はおろか、自らの一命をかけて全力で頑張る決意であります。皆さんのご指示、ご理解をお願いいたしまして、私のごあいさつといたします。

ありがとうございました。

(終わり)  いかがですか?上手でしょ。


03. 2011年2月14日 22:32:17: Ff12HBKI4g
>[垣根を打ち壊した、「文化人類学的政治学」あるいは「政治学的文化人類学」こそがいま求められており、むしろ政治学と文化人類学は積極的に交わらねばならないのだ。]

拍手。近代主義(者)批判として慧文です。
稲垣勘尚という方の阿修羅投稿で、[小沢一郎の熊野詣にこめられた政治文化的メッセージ]を見ましたが、それと似た感慨を持ちました。


04. 2011年2月15日 09:08:10: vHs8iZ9eTw
健康人氏、
朝日新聞をはるかに超えた
明快な投稿!

だけど・・・ホントに朝日も、
ぼろぼろだわねぇ。


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