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徘徊する群像 世情の邂逅                  檀vs実行委員のゴタゴタの内幕暴露小説か。-c
http://www.asyura2.com/11/senkyo109/msg/123.html
投稿者 デモ・ジャーナリスト 日時 2011 年 3 月 03 日 13:34:30: p2LL4NW9W/E7Q
 

徘徊する群像 世情の邂逅
http://blogs.yahoo.co.jp/nagasakichanpon4649/1964882.html

噂の暴露小説入手!(1から6まで)↓
情報提供:大阪のあるお方より


徘徊する群像 世情の邂逅 その1


小沢一郎にも、ノーベル平和賞がほしかった。

中国の状態と日本の状態が同じである。

小沢一郎にもセットで受賞させれば良かったのだ!


平成の大獄 小沢一郎総理阻止の群藻。
民主党がまともな人達の集まりと信じて、国民は、政権を民主党に投じた。
しかし、小沢一郎総理だけは、既得権者一丸となって圧殺を挙行する。
詳しくは、植草一秀さんの政治ブログ「知られざる真実」や、最新著作「日本の独立」(飛鳥新書)に知識を得ていきたい。

秋山は、ふと何気に2010年10月24日、デモなるものの情報に出くわす。
いつもの自転車散歩コース。銀座一丁目にある小さな公園。わかりにくいところだが、デモの出発時間がせまると随分な人だかりとなって公園をうめ尽くす。
参加も決死の覚悟であった。
家を出る瞬間も、絶対に参加すると勇んで出かけたものの、つい、ひるんでしまう。

しかし、いよいよ時は来た。
ぞろぞろと最後尾に金魚の糞状態。それでも何とか参加している。
外堀通りまで出ると、なぜか、けたたましく消防車が物々しく数台。進路を塞ぐ。早くも、公権力の妨害か・・・。
デモ隊にもストップがかかる。
銀座プランタンのボヤであった。
やはり、デモは危険という潜在意識が働くのであろう。
参加者から同じ声が漏れていた。

隊列は、立て直す。
日比谷公園に着く頃には、当初350名程度だった群衆が、1000名規模に膨らんだのだから、いかに、人間の予知能力というか生命への危険を潜在的に察知したといえなくもない。
ニッポンへの危機をあらわにした国民意識への警鐘を投げかけたといえる。

こういうときに、火事場泥棒は、待ってましたとばかり必然的に現れる。菅公安(かん ともやす)その人である。
偶然を装って。これは、後々の話となる。

民間人は、みるみる干上がってきた。
我が世を謳歌するのは、巨大企業の内部留保と巨大利権のお役人上層、中層の世界。
庶民は、こんなはずじゃなかった〜〜とズルズルと転げ落ちていくニッポン。
その大きな変化は、1989年に始まったと見るべきか!

昭和天皇のいわゆる「崩御」、世界的指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンの死。その数ヶ月後のベルリンの壁、崩壊。その後のソ連邦、東欧の赤の扉が開き、チェコスロバキアにおいては無血革命で、ルーマニアにおいては、独裁者の刑死で歴史を回転させた。
人権の勝利の一シーンであった。
かたやニッポンは、世情的には、浮かれきった最後の饗宴を味わった。
その後の凋落は、リスクヘッジなき、植草一秀氏の造語の如く、悪徳ペンタゴンたる狂暴な既得権者によって、ニッポン繁栄のうたかたは、現状の通りである。
塗炭の苦しみに引きずり込まれるが如く、セーフティーネットなき小泉的残酷社会と恐怖国家が頭をもたげ、あからさまな、人権迫害が、沸々とあらわになってきた。
権力に逆らうものは容赦なくつけ狙われる。

徘徊する群像 世情の邂逅 その2


アメリカの権勢の弱体化から、肥満したニッポンは、資金を吸い取る格好のカモとなってきた。

そして、末期の自民党を小泉に託して操縦し、出がらし民主党をこさえる。
ついに、菅獄内閣を擁して、国家の屋台骨をさらに根絶やしにしていく。
この見えない侵食こそが、戦後ニッポンの自爆装置として仕掛けられている。

さて、デモに戻る。
こうして、2010年10月24日は、市民の会代表の小野慎一郎のリーダーシップで、予想外の好評価、成功に導かれる。2010年11月5日、今度は、外苑前のきらびやかな夜のデモ。
誠に、鮮やかなネオンに包まれ、車からも「頑張れよ〜」と逞しい兄ちゃんの雄叫びに、皆が奮い立った。
普段は何気に、小綺麗な通りでの珍しいシーンであった。
平和なデモ、市民の沸々たる感情が表現される。
市民運動の在り方に、一石を投じることになったことは間違いない。

時を同じくして、待ってましたとばかりにうごめく時代の撹乱児、菅 公安こと三沢 秀光。
この正攻法で攻める手口の「大澤まっ白」論法に多くの国民が扇動された。
秋山もその一人であった。
この正攻法というのは、大澤など一連の暴走権力にはめられた、もしくは、陥れられた冤罪事件に対し、完全無罪を訴えていたところに共鳴させる筋書きであったからだ。

2010月11日13日、午後4時 東京・八丁堀ハニーズでの「勉強会」が予定通り開かれ、出席者も8名を数えた。ここで問題人物が登場する。
秋山は、10月24日銀座デモでも目に留まっていた。その第一印象は、奇妙、すさんだ印象であった。
見た目9割、この感触、印象は、ほとんどはずれないと秋山は確信していた。
勉強会は、「大澤完全無罪」を巧みに説きながら、一方的に進む。
結局は、今振り返ると、それらもネタに過ぎず、純粋な大澤支持でもなく、結局、当初から主張していた「ビジネスモデル」の個人的展開に過ぎなかったのだ。

つまりは、当初から私物化のみが、後々、沸き起こる「菅公安とカネ」に帰着するのである。
ここで重要なのは、その人物を見極めるには、まさに人間性に尽きるということか。
振る舞い、思考性、行動、社会性、公共性。これらは、決して偽れない。何らかの嘘があらわになってくる。全人格を手向け、強引、傲慢、一人合点な要求やプランをクリアするために、これまで培ったノウハウ、人脈を提供する。ここで、おおよその人格や風体がわかる。
この人物は、社会性ゼロであった。

特に、散々世話になりながら、誠意ある対応をせず、日の出公会堂会場取得に、何の社会性、公共性も発揮しないばかりか、さも実行委員会が悪いかのようなデマを平気で行う厚顔無恥ぶりはその正体を、白日のもとに晒す、「菅真っ黒」を彷彿とする恥知らずであった。

この間、2010年11月6日には、大澤まっ白メーリングリストに空メールを送り、管理人に江藤、関山などあとあと何かとお騒がせなことを引き起こす人物がメーリングリストの監視、管理を行っていた。
その折も折、田山龍彦という人物がひつこく菅 公安に食い下がっていた。
大澤 次郎代議士の農地法絡みの期ずれがどうのこうのといちゃもんをつけているかに映る。
菅得意のすっとぼけと田山の暴走がメーリングリスト上で踊る。

田山の負けであった。メーリングリストの呈を成さなくなるので、残念ながら除かれた。

しかし、内容では、田山に軍配があがる。
菅は見た目通り、おおざっぱである。幼児と同じく、回りの介助、介護がないと何もできない。
そのわりに、出来上がったものは、すべて自分のものとなる。
セコい人物である。
また、ビラも作った。日刊実況のような紙面作りにも挑戦し、ガセネタで、地域の代表の不興を買い、市民運動に泥を塗った。
そうこうするうちに、ニッポンネタで飯を食う国際ジャーナリストのチェンバレンに目をつける。
ヨリコという海外在住の日本人がチェンバレンとコンタクトが取れたことで口から出まかせ、日本に呼び込んでしまった。

この空メール手法とは、無責任に個人情報を、ただで手に入れる詐欺師には好都合なものであった。なんら責任を問われないからだ。また、個人情報売買でもカネを得られたりする。
後々発覚する同じ手法をそっくり真似た詐欺師も登場する。事実は、誠に小説よりも奇そのものである。
当然ながらこの人物は、組織から除名された。
ここで思う。犯罪者の特徴というものに、人を人とも思わない鉄面皮な裏の顔であった。
儲かりさえすれば、仁義、道理、法律などどうにでもなるという思想である。

会談・会食は、ヨリコ夫妻、菅、チェンバレンで約2時間30分程度であった。
結果、講演会を受諾してしまう。
しかし、無計画、無鉄砲は、その後破綻する。
餌食は、実行委員会に名を連ねさせたお人よしにすべてを被せる巧妙なスケジュールを組む。
目的は、カネと名誉だから、何かが抜け落ちる。
同罪を多く作り、本人は、さっとずらかる計画なのだ。

まんまと成功したかに見える、その後始末、とうとう蟻地獄にハマったのだ。


徘徊する群像 世情の邂逅 その3


菅は当初、どこか会場はないか?大学での講演は出来ないか、などとつぶやいていた。

日にちがなかった。
尾崎行雄記念館がうってつけではないかと問い合わせをしている最中であった。
そんなこととは関係なしに、妄想御仁は、日の出公会堂に目星をつけ、暴走し始める。

ストーリーは、こうである。
2010年12月5日、日の出公会堂は、通称「ヒノヒカリ」の教団が、終日貸し切りであった。
日曜日であり、大概、夜はつかわれないであろうことにピントを合わせたのだ。
この人物は、空想と現実が錯綜する、または、社会のルールに疎いか無視を決め込む、唯我独尊の境地に身を置く。
過去にも、おそらく多大な迷惑とともに遁走した‘前歴’があろうことは、想像に難くない。
始末が悪いのだ。
日の出公会堂使用に向けての暴走は、菅の物語をそのまま信じるとして、主催団体探しから始めた。

伊豆に施設を探しに、タクシー代、往復10000円の費用をかけて向かうも、「ここではない!」と言われる。(この話も、本当かどうか疑わしい。)
結局、主催団体は、東京都区内であった。そして交渉の結果、条件付きで使用を許されたとのことであった。

条件とは、こうである。
教団側が、「明け渡すには、信者さんのお帰りのご都合で午後4時には終われない。午後5時までに退出するとして、この一時間の追加料金を払って下さったら、夜間、使用してもらっていい」ということに落ち着いたのだ。
しかし、主催者である菅は秋山実行委員長に手続き依頼も、お金も渡さず、講演会を本当に開催する気があるのか疑わしかった。

もともと、実行委員長に責任を負わせるという魂胆からスタートしていたのだ。
重要な証言も飛び出していた。

各方面への挨拶、仁義、誠意を欠き、とうとう舞台関係の打ち合わせの最大限譲歩の講演一週間前というタイムリミットも無視し、迷惑三昧、周辺に大変な負担と心労と責任を負わせ、その後も実行委員会は、紛糾し続ける。これが菅の狙い通りとすればすべて合点がいく。
菅の言葉巧みな、また天才的詐術で騙されやすい人の順番に懐柔、篭絡は行われていった。
菅の内外工作で、会計、監査、そして資金の独占で間際までどたばたを繰り返す。
梅木幸助の100万円カンパが私用に使われたかどうか、何に使ったかで、仮差し止め請求までおこされようとしていた。

日の出公会堂貸し出しの件に戻る。

ここで、次のハードルこそが社会的に無理難題なのである。
ここに、政治家の知恵とお力を拝借することになる。

なぜか?
現在の行政は、面倒な仕事は、民間にやらせることにする法律をこさえる。

「指定管理者制度」もその一つである。

つまり、行政のトップダウン以外にこんな無理難題の要望など通用しない。
しかし、この時は、まだ前向きであった秋山実行委員長は尽力し、山田裕美子都議会議員を紹介。同席させ、請願にあたった。
菅は、ストーリーをいつものように丁寧に話していく。
山田議員は、内容をよく把握し、早急に担当部所に交渉を重ねていった。


返事はきた。11月21日お昼に名古屋で受け取ったのだ。
秋山は、早速、菅に連絡。

その後突然、予定のなかった新潟に行くと言うことで出掛けていった。
大きな軍資金が入ったからだった。
梅木からの100万円が、ツイキュウ口座に入金されていたのだ。
日ごろ見たこともないカネにちょっと気が緩み、気が大きくなった菅は、老婦人を伴ってでかけた。
いつもいつも、苦労ばかりかける妻へのご恩返しのつもりだったのだろう。
しかし、これは、紛れもない公金である。
40万円ばかり口座から引き出している。何にいくら消えたか、会計報告がないのでまったく不明であった。

このように菅の場合、突発的、衝動的に、自分勝手に進んでいく。
本来、こんな計画はなく、東京に留まって、会場の手配を第一にやるのが、責任ある立場の最大の責務であった。後に、教団側への値切り交渉など、ばかげたことをやって破談になったことも後々ばれてしまう。

このように、あらゆる行為において相手を振り回す。
人間の感情に欠けるからだ。人間は機械ではない。高度で複雑、繊細な心を持った生き物なのだ。
予定通りにいかないことは、このように突発的行動から、あらゆるプランが先送りとなる。おそらく頭の中では、会場が決まったと思い込み、動員をかけ、カンパを集めやすくするため出掛けたのだろう。
実際、カンパは、懐に収まる。

菅は、日の出公会堂会場使用の支払い手続きを11月26日、つまり週末までに済ますと言うことだったのだ。

江藤が、証言する。
「責任は、すべて秋山実行委員長に、カネは、梅木から取ればいい」と。
そして、大混乱も本格化する。

ところが、実行委員をチラシに入れ込む事だけに集中し、日の出公会堂はおろか、教団側にも、実行委員会にも、チェンバレン側へも連絡せず、これも単なる、菅の策略濃厚と疑われても弁明は無理であろう。
後々、全責任を実行グループの立木 友夫に負わせる撹乱、迷走、分断に見事成功した。
しかし、これも蟻地獄の一ページに過ぎなかった。


徘徊する群像 世情の邂逅 その4


秋山誠一実行委員長は、関西に出掛けるべく準備をしていた。
2010年11月20日の事である。
この日、関西・御堂筋でのデモに参加するためである。
関西へは、市民の会代表の小野慎一郎からも期待されていた。
中心者に連絡を入れていた。
デモスタートは、午前中。秋山は、高速移動が苦手だったので、新幹線「こだま」で出掛けた。何とか間に合ったが、体調は良くな
かった。
乗車中も、大阪行きを断念し、21日の名古屋のデモだけに参加しようとも考えた。

車窓からの景色は良好である。笠懸の富士山は白眉であった。そうこうしているうちに体調は、徐々に持ち直してきた。
まもなくして、新大阪。御堂筋までは、もう少しだ。
デモの現場に着く。
大阪は、大阪。
独自のカラーを感じる。若干の色がついているように感じる。

御堂筋の緑の木々と木漏れ日、そして天の祝福を受けるかのように心地好く、若干暑くも感じる晩秋であった。
東京・銀座デモ10.24を目の当たりにし、衝撃を持って挑んだ御堂筋デモ。
大阪の会代表の原口の声明が記憶に残る。
関西は立ち上がった。不偏不党、市民運動の深化が望まれる。

終了後は、「健康寿司」での懇親会がもたれた。30名程度と見ず知らずの群雄が集い来たった。

料金の割に、いい感じの宴であった。
愚痴の多いベテランリーダーもある種の満足を心に残し、爽やかに終了した。

関西の雄志、熊田が、親切に名古屋までの経路やディスカウントチケットの売場まで案内してくれた。
そして、しばらく休憩の後、いよいよ私鉄で名古屋に向かった。
久々の名古屋は、駅前の景色を一新していた。
ひとまず、明日のデモの集合場所の下見に出掛ける。

栄の噴水のあるところが目印であった。
テレビ塔がきらびやかにそそり立っていた。
結局、目的の場所は分からずじまいだったが、ある程度、距離感はつかめた。
明日、明るい時に来ると大丈夫かなと思いながら、今度は宿探しである。
ところが、栄近辺は、どこも全館満室状態。やむなくカプセルホテル。めったなことでは訪れない。
使い勝手がイマイチ。ここ栄は、札幌のすすきの的なイメージを感じた。とにかく賑やかである。
食事をとりにちゃんぽん屋に出かける。昔懐かしいちゃんぽん屋には出会えなかったが、そこそこ美味しかった。

翌朝は、カプセルホテルで朝食をとり、午前10時、集合場所を再び探す。
テレビ塔下に、丁度いいテーブル席があり、そこに佇む二人を発見。
穗積と遠藤であった。穂積は、山梨。遠藤は、岐阜からの参加であった。
初対面ということで挨拶を交わし、集合場所探しに出掛けた。
二人も集合場所を間違えて、ここで軽作業を始めているのであった。
その後、しばらくして集合場所らしいところで作業をしている人たちを発見。
チラシの折り込みやのぼり、いろいろと手分けしてなんとか間に合ったようだ。

名古屋市民の会の代表板垣治雄には、この時が初めての出会いであった。
実直な市民のためのリーダーである。

大阪から昨日に続き応援に来ていた島村と再会。
テレビ塔近辺にいる人たちや間違えてここを集合場所と勘違いして来られた方を目的地に誘導する。
デモは時間通りに、公安委員会による適正な判断の下、行われるデモである布告があり、警察署員に守られながら、粛々と行進が始まった。
このデモというものが、市民の共感を得られ、市民の正義感や共感を得るスタイルになってもらいたいと願った。
社会の風潮に対する良好な刺激となって共に讃え合えるような友好関係を構築できるまで運動は続く。
名古屋には、期待が大きい!

名古屋では、デモのあと少々の時間、遠方の参加者をねぎらって、お茶会である。
関西から、少年のび太君も、同時中継の撮影に訪れていた。
大阪御堂筋に続いての活躍だった。
その健闘を讃え、ご家族用に、ケーキを持ち帰ってもらった。
少年の心に燃えたぎる正義感、あっぱれであった。
一騎当万の人材に育ってほしいと秋山は願った。
こういう貢献、行動は、生涯の宝になる。ダイヤモンドの思い出になるだろう。
送り出す偉大なるご両親の心のままに、勇躍していくことだろう。

さて、その後、懇親会も用意されていた。 名古屋主要役員と関西、東京から一名ずつ、その後、しばらくして例の問題人物も現れる。彼を除いては、楽しく盛り上がる。
実にセコい男なのである。彼の飲み代まで払わされる始末なのだ。
チラシ代だのカンパだのといつもの調子で殿様気取りである。
皆すべて手弁当であったのに。
秋山も少しでもお役に立てたらと訪問し、少々ながらカンパもしている。
菅というたかり屋は、見た目どおり、日に日に心証を悪くしていくのだった。

秋山は、昔からの定宿を予約し、ようやく、安堵し、落ち着いて過ごすことができた。
とても気持ち安らかであった。
翌日は、ゆっくり過ごし、東京への帰路につく事にしていた。
すると、お昼前、例の日の出公会堂、夜間使用の件で、都議会議員より、電話がある。

朗報であった。
菅公安の申告通り、当局と交渉した結果、2010年12月5日当日の夜間の使用は許された。
そして、障害になっていた午後4時から午後5時までの追加料金を支払ったら、使っていただいて構わないと教団側の了解もあるとのことであった。
そもそも、菅のストーリーを信ずるなら、教団側との夜間使用の了承をとりつけたことが政治家に依頼する前提条件であったのだ。
元来、日の出公会堂の規定外の使用便宜をお願いすることから始まった交渉だったのだ。
それがどうしたことか、菅は、払う払うと誤魔化し誤魔化しで、とうとう公会堂側も、教団側も、何の音沙汰もないので、使用不可に落ち着いてしまったのだ。
2010年11月24日の実行委員会あてのメーリングリストにもその記述があった。
「最悪でも、26日までに支払う」旨、記されていた。

どんなに誤魔化してもこの事実は、消しようもない。
一体全体、どんな生き方をしてきた男なのだろうと、その非常識ぶりに目を疑ったのだ。
このあともすったもんだは、続く。


徘徊する群像 世情の邂逅 その5


超人的迷惑男、超人的変人、超人的自己顕示欲、超人的傲慢さ、超人的詐術。
よくここまで生きながらえたものである。
今日、ここまでのこの男の生き様は、今回の暴虐においてついに終焉を迎えるにあまりある言動、行動となるであろう。
菅公安(かん ともやす)の不作為は、後々の展開からおよそ予定された行動であったことが明かとなってくる。

協賛者のチラシへの羅列に異常なまでにこだわり、ここでも多くの関係者をてこずらせる。特に立木への辛辣な詐欺は、彼の性格を知り尽くし、好都合に利用できることに味をしめる。
チラシの校正や印刷等に約8万円を計上しているものの、明らかに赤字である。しかも、どこにいくらかかったかなどまったく不明である。
菅の撹乱で、度重なる会場変更などもあり、実際は、公費でなく、菅の自腹で決済すべきものであろう。

当日供された、おにぎり事件もまた、興味津々のエピソードである。

先に進む。
わざわざ、こき使われるためにアメリカ合衆国から呼ばれたヨリコや、チラシ校正、印刷などで立木を用い、立木宅に泊まり込んでまで、究極の混乱と迷惑の中、会場確保をほったらかして、本末転倒の作業は続いた。
その間も、実行委員会は開催される。2010年11月30日のことである。
突然キャンセルした白紙委任の三人、5人ブラスオブザーバで会議は進む。

ML会実行委員並びにチェンバレン実行委員会は、あまりの杜撰さと莫大な時間のロス、実費ボランティアなど、混乱が続く。
そして、いよいよ不透明、独裁体制の財布であるツイキュウ口座の民主的管理を求める糾弾が大勢を占める。
会計、監査、通帳や口座の合議制管理と、2010年10月24日、市民の会代表小野慎一郎のひとり荒野に立った呼び掛けを利用した「大澤まっ黒グループ」の不透明さを改善するための、やむにやまれぬ更正のため、ツイキュウ口座のML会合議の口座管理と「ML会実行委員会」メンバーの市民の会への移行を全会一致で決議したのだ。
こうして、市民の会への移行による健全管理。市民運動の保全、発展を全会一致で決議しなければならなかった。

時は、2010年11月30日。
参加するはずの実行委員会も意図的に蹴り、実行委員会参加者5名とオブザーバーは、会計の透明化、郵便振替口座の開示の要求決議。そして、公的預金の保全のため、多くの寄付者の誠意、真心を踏みにじらないため、公的浄財の私物化を防ぎ、実質上のML実行委員会並びに、チェンバレン講演会実行委員会がその公的会計の保全・保持を合議したのだ。ML会の健全な市民運動が開始されるはずであった。

ここから、実行委員会へのあからさまな妨害が始まる。
ML発表後、菅公安は、これまでほとんど活動していなかった関山一裕などを巧みにあやつり、すっくと介入してきたのだ。
まず、実行委員会への出席を意味不明の能書きから突然出てこなくなったばかりか、盛んに、実行委員会の意図するところでないクーデターに加担していった。
菅公安のような、わけのわからないトラブルメーカーは、おそらく過去にも同様なマヌケなサギを繰り返したであろう。
これも後々の話となる。

テンモウカイカイ ソニシテモラサズ・・・

悪運尽きた男は、何をやっても裏目裏目と歴史を回転させる。
それは、本人が気づく気づかないとに関わらず、坦々と進んでいく。ガン細胞の蠢動によって全身を覆っていく。残る講演会開始日まで、まる4日。菅公安は、会計担当者がいるなどとうそぶき、実際は、自分で管理していたのだ。

屋台骨である会場すら確保されていない。チラシも出来ず、とうとう、しびれをきらした実行委員会は、2010年12月1日、日の出公会堂へ会場確保確認のため、公会堂管理事務所へ訪ねる。
しかし、まったく相手にされない。
異常事態である。
まさに恐れていたことが、目の前にある状態を想像してみると、実行委員長の苦悩は、あまりあるものであったろう。

会場は終日、教団「ヒノヒカリ」が使用することで最終最後の舞台関係打ち合わせは、とっくに終わっていたのだ。
結局、この会場は、使用することが出来ない。
都議会議員のカオを潰し、実行委員長の誠意を踏みにじり、善意の実行委員の落胆は拭い去れない。
社会的影響は計り知れない。かろうじて、料金設定を無料にしていたので、大混乱は避けることができる。
それにしても、菅公安の社会人としてのていたらくは、永久に免れ得ないであろう。

いよいよ、計略通りの菅公安は、翌日、アリバイ作りのつもりで、今度は、市民の会代表の小野 慎一郎を抱き込もうと、泣きついてきたのだ。
東京都、日の出公会堂事務局、教団を巻き込み、はた迷惑な「菅公安狂騒曲」は、ボリュームがはち切れんばかりに鳴りやまない。

2010年12月1日午後、秋山実行委員長は、たまりかねて、市民の会代表であり、筆頭実行委員でもある小野慎一郎に連絡、報告をし、善後策を協議した。
小野は、その機動力とリーダーシップを生かし、菅公安に再三再四連絡を入れるが反応がない。
ようやく、午後3時頃、電話が繋がる。教団側へ話しに行くことになった。電車に乗ると切れる。また、暫らく繋がらない。
午後5時に電話が繋がり、菅は教団側と話してると伝えるも、合意が得られるか分からないと告げ、また連絡を待つことになった。

連絡がきたのは、午後8時半頃であった。
そのマイペースな身勝手さこそ一流といえよう。またいきなり「これから会いたい。」
呆れかえる小野も、八王子まで出てこれるなら対応する旨を告げた。
のこのことやってくる。
話が始まる。いつ終わるともなく続く話しに、落ち着き払った小野は、菅の終電を気にしながら、慰労する。
菅は、味方に付けようと同情を取り付けるよう芝居する。

話しは、本筋に至る。
結局、教団側には、取り合ってもらえなかったのである。社会通念、礼儀の欠落した人間のオトシドコロは、こういうパターンとなる。
やることなすこと墓穴を掘るのだ。

教団側は、あらためて明日回答するということになったが、もはや相手にされるはずもなかった。
次の日も小野を利用し、アリバイづくりに精を出す菅公安。見苦しさも堂にいっている。
都庁公園課に同行せよとの菅の要請に応える小野。
必らず公会堂使用料を持参するように言う。

翌日は、午前10時45分、東京都の公園課長、課長代理と4名で面談。
菅は、いつものように妄想と言い訳に終始する。
妨害工作が行われたと主張するも失笑を買う。

妄想、言い訳はこうだ。
公会堂事務所はサポタージュし都庁側には教団側がダメと言い、教団側には都庁側がダメと言っていると作り話しをする。
山田議員の執り成しで、追加料金さえ支払えば済む話しに、10日間もほったらかしにしていれば、社会は、使用しないものと判断するだろう。世間知らずのおめでたいマヌケである。

一重に菅の社会生活の勘違いから大混乱は巻き起こる。
ただそれだけのことなのである。
一般の社会人はたまったもんではない。
人間は、年をとるとより本性に近づくと言われる。
その悪い傾向を、いとも明快に表してあまりある老醜に満ちている。

公園課は、当然、反駁する。

きっぱり・・。
「そんなことはありません。教団側に使用する優先権があるのですから、教団側と貴方が夜間使用に関して合意が出来ていたら、決まり通り手続きさえしてもらえば良いだけです。申請も内容も今に至って何もこちらは正式に聞かされていない。もう、普通なら間に合わないが公会堂にも電話して、特に配慮し、受付をするようには言うがあくまで教団側との合意が前提です。」
非の打ち所がない回答である。


この後、菅は教団に行くと言うので、小野は公会堂に向かって教団側の合意許可を待つことにした。
しかし、予想された通り、午後1時前に教団側から使用を許可しない旨の電話がくる。
上層部が許可をださないのだ。
わけの分からない処には関わるなとの指示だった。
猿芝居は、この後、絶頂を極める。


徘徊する群像 世情の邂逅 その6


秋山実行委員長は、講演会不可能を察知した。
しかし、おにぎり企画は、もう走り出していた。
これには、変遷がある。
菅は、午後に行われる集会の2000人近くを日の出公会堂へ誘導させる計略を練っていたが、あまりに無計画、稚拙な浅知恵であった。
カップラーメンをエサにお客様を呼ぼうとしたのである。
しかし、お湯をどうするのだろうか?
自衛隊の給湯車でも呼ばせようとするのであろうか(笑)
このマヌケな計画は、すぐに頓挫するのであった。

実行委員長は、それなら・・、と提案したのが、おにぎり作戦だった。
菅スポンサーの賛同を得て、さっそく評判のお米(千葉県産多古米)に目をつけたのだった。
菅の要請で4000個、2000人分のおにぎりを調達させる作戦である。
さっそく、自然食品のおいしいおにぎりの供給を目指した。
通常、コンビニおにぎりには、約80種類もの添加物が入るという。ここまでくるともう、毒に違いない。

今回は、史上最大の作戦に挑戦したのだ。
さっそく交渉である。まず、すべてが手作業。二日がかりで、取り掛かることになった。
なにせ、三俵(180キロ)を超える量である。かなり値段を抑えて、しかも最上級のおにぎりである。
四つの釜を、火力が弱まらないように、2時間おきに点火していく。
工程に、4〜5人を必要とし、一日2000個仕上げる。
まず、天然塩を使用してまろやかさを出す、いまどきの「塩にぎり」。この有機米が美味しいので引き立つ。しかも、さめて美味しいのだから言うことはない。これにキョウギ(薄い竹の皮)を上下に乗せて湿度を保つ。そして翌日は、焼きたてのノルウェー産サーモンを挟んでおにぎりにする。

文句のつけようのないものに仕上がるはずであった。
しかし、菅の杜撰な計画から、とうとう計画を縮小しないと大損害を出すことに成り兼ねず、その夜のうちに防御措置を取らざるを得なかった。おにぎりやさんに緊急連絡。
単価を少し上げ、1200個(600人分)に頼み込まざるを得なかった。大迷惑甚だしい。
実行委員会は、まるまる16万円の身銭をきらされる寸前であった。
こんなおバカに、忍耐強く付き合うのだ。給料をもらうわけでもなし、ねぎらいの言葉があるわけでもなし、議員を紹介しても、お礼にも出かけない。経費も出さない。すべては、カンパコジキの供養坊主の呈である。
これをあわよくば全国に広げ、ぬくぬくと寄付金私物化とお手伝いの役員を食い物にしていく段取りである。市民は、そこまでウマシカではない。
実行委員会の面々の太っ腹ももはや限界を過ぎていた。
極悪人の面の皮は厚い。権力の岩盤の分厚さとの長きにわたるであろう闘争の前哨戦、デモンストレーションの様相を呈している。

「熟練工、おマヌケ詐欺師、菅公安(カントモヤス)」。
菅は、八丁堀ハニーズを、真っ黒MLグループの会議の拠点として用いることに決めていた。
理由は、単純。席料が必要ないこと。

営業面で言えば、220円の一杯のコーヒーで、六人かけの席を数時間あまり占拠されるわけだからたまったもんじゃない。そのセコさは一流である。
飲み代をケチる。例の講演会会場費を払わない。マヌケな詐欺師は、痕跡、足跡も満載である。

このハニーズでは、重要な決議が行われていた。
それは、今後の市民運動の正統な発展に欠かすことのできない、会計、監査、すべてを合議制に民主化すること、野放図な菅にカネをタッチさせないこと、など極めて社会的な決め事であった。
欠席裁判を主張したり、乗っ取りなどと誹謗中傷のデマを飛ばしていたクーデターグループも、実際、会議から逃げ、白紙委任で挑んだ。
これが裁判なら、被告側の敗訴である。
民主主義のルールは、その出来、不出来に関わらず、合議を基とするからである。
この顛末も、つまるところは、ただ菅公安のデタラメに起因するのみである。
 

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