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諸外国に比べ所得再分配機能が極めて小さい日本の税・社会保障制度― 小泉龍司衆議院議員
http://www.asyura2.com/11/senkyo112/msg/236.html
投稿者 忍 日時 2011 年 4 月 25 日 16:28:19: wSkXaMWcMRZGI
 

1.これまで数回に分けて、人生の各ステージにおける「機会の平等」を確保するための分析について述べてきた。
 機会の平等を整えた環境の下で各人が努力し、その結果を享受するという仕組みこそが、より多くの人々の「努力と意欲」を引き出し、それが社会の活力を生み出して、最大多数の最大幸福をもたらす、ということについては大多数の皆様の賛同を得ることができるであろう。
 一人一人の「努力と意欲」は、様々な経済社会活動を通じて相互に相乗効果を生み出し、経済社会全体の繁栄をもたらす。そして、その経済社会の繁栄は、ひいては多くの人に恩恵をもたらす。
 そういう意味では、一人一人の国民が努力する意欲を持つということ自体が、結果として社会全体の支え合いを実現する道に通じている。
そして、人々の努力する意欲を生み出すための大元となるのは、「努力すれば報われる」ということが保証される仕組みである。報われるのであれば人は努力する。報われないのであれば人は努力しなくなる。
 これまで述べてきた「機会の平等」とは、「努力が報われる機会を国民に平等に提
供する」ということがその事柄の本質である。
 あるべき社会の最も基本的な理念はここにある、ということを、まずはっきりさせるべきである。

2.しかしである。これを基本に据えた上で、なお我々は次なるステップに考えを進めて行かなければならない。
 それは、果たして現実に本当に「努力が報われる機会を国民に平等に提供する」ことができるのだろうか?という疑問である。
 「機会の平等」についての制度的な環境をいくら精緻に整えても、最終的に個々人の置かれた環境の差違を完全になくすことはできない。
 比喩的には、努力の機会は平等に与えられるが、スタートラインは異なる、という言い方もできるかもれない。
 親の経済状況、男女の差、あるいは大都市に生まれたか過疎の町に生まれたか、などの差違を是正していっても、なお残る不平等はある。
 例えば、人が持つ多様な能力や才能のうち、たまたま本人が持つ能力や才能が現代社会で有用されるか有用されないか、という不平等がある。
 因みに、まじめでコツコツ積み重ねができることは大きな才能ないし能力であるが、現代の就職戦線では言葉を操る能力=コミュニケーション能力が過度に重視される傾向にあること一例である。
 また、結果や成果の大きさは努力にかなりの程度比例するであろうが、その過程で働く「偶然性」と完全に無関係ではない。
 こうした点を認識すれば「機会の平等」を社会としてギリギリ確保した上で、なお残される不平等についても、これをしかと考慮に入れて社会の仕組みを作る必要がある。

3.厳密に考えれば、こうした各人がスタートラインでもつ個別の差異(これも偶然性に由来する)や努力の過程で発生する「偶然性」は、これを明確に把握し計量することはでないため、これを除去する直接的な方法はない。
 そこで、「偶然性」の部分を除去する近似的方法がとられることになる。
 それが「所得の再分配」という方法である。相対的に富裕な人から貧しい人への所得の移転という方法である。これは、ある意味で「結果の平等」という方向からのアプローチであり、無条件では受け入れられないものであろう。すなわち、すべての国民に完全な機会の平等が与えられているとすれば、その結果は公平なものであり、それに手を加える(所得を再分配する)ことは、逆に不平等なことである。
 「努力が報われる機会を平等に保証すること」には反することである。
 しかしながら、スタートラインにおける個別の差異や努力の過程における「偶然性」を完全には除去できないという事実を前提とすれば、所得の再分配は社会の仕組みにおいて必須の基本要件となる。
所得再分配とは日常用語でいえば「格差の是正」である。
かつて小泉総理(当時)が「格差はあってよい」といった趣旨の発言をしたが、正確に言うとすれば「努力の差違による格差はあってよい」ということであろう。「努力が同じであるのに結果が異なる、という格差があっても良い」とは小泉総理も考えていなかったであろう。

4.一昨年の政権交代の大きな原動力は、国民の格差是正、つまり所得再分配への希求であったことは間違いない。
 にもかかわらず民主党政権は、この最も強く国民が求めている所得再分配について、この1年半の間、体系的な検討を全く行ってこなかった。

 〇所得分配の現状はどうなっているのか?
 〇どういうルールでどこまで所得再分配することが適当か。
 〇所得再分配の方法はどうするのか。

 こうした問題意識をほとんど持たず、子ども手当て、高校無償化、高速道路無料化、農業戸別所得補償などの断片的な政策を羅列するのみであった。それによって所得再分配がどう変化するかも、推計されていない。
 しかも、子ども手当については、従来の児童手当てにはあった所得制限をはずし、富裕層にも給付を行うという所得再分配とは全く逆の政策になってしまっている。
 また、最近になって、財源不足に行き当たってから、税と社会保障の一体改革の必要性を訴えるようになってきたが、動機が正しくない。
 財源がない=予算が組めないから税・社会保障改革が必要、というのは全く順序が違う。
 今国民が求めている政策は、適切な所得再分配はどういう姿かという国民合意を作り、それを実施することである。
 国民が強く求めているのは格差の是正である。つい一昨年のことなのに、与野党ともに、もうそのことをすっかり忘れてしまっている。
 これまで述べた考え方を国民に説明し、理解を得た上で、国民が納得する所得再分配の仕組みという尺度を当てて、税と社会保障制度を根本的に設計し直すというアプローチこそ、政治が真に説得力を持ち得る道であると思う。

1.先の稿で所得再分配が必要になる理由として、個々人に与えられた環境や条件の差違(これもスタート地点における広い意味での偶然性である)を完全に除去して、完璧な「機会の平等」を国民に付与することは難しいという点と、努力が結果に結びつく過程において「偶然性」が働くという点をあげた。
 所得再分配の必要性について、もう一点補足しておかねばならない重要な問題がある。
 それは、近年の経済・雇用構造の問題である。

2.かつて我が国では持続的な経済成長の下、「フルタイム・終身・正規雇用」の場、すなわち「努力する機会」が国民に広く提供されていた。
 経済成長を目指し、完全雇用を目指すことは、「努力が報われる社会」の大前提である、働く機会=努力する機会が提供されることを意味していた。
 しかし、東西冷戦終了後、中国を含む旧東側諸国の安い労働コストに押されて、日本でも労働規制の緩和が行われ、非正規雇用が拡大する中、「フルタイム・終身・正規雇用」の場は次第に狭められてきた。
 加えて1996年には、現役世代人口の減少が、また2006年には総人口の減少が始まり、消費マーケットの縮小が顕著になり、この傾向は近年一層強まっている。
 その結果、「機会の平等」と言ってみても、そもそも努力する場=働く場が与えられない、あるいは努力しても非正規雇用であるため、努力に見合う賃金、あるいは正当な社会保障給付(医療・失業・年金給付など)が受けられない=結果に結びつかない、という事態が起こってきている。
 例えば、小泉政権時代の2002〜2006年、経済は実質2%の成長を続けたが、給与所得者の給与総額は約1兆5000億円減少した。他方で、東京などの都市富裕層の所得と資産は着実に増加した。給与総額が減少したのは、給与所得者が努力を怠ったからではない。
 それは、経済全体の「構造」として努力が結果に結びつかない状況が生まれてきたからだ。
 これを端的に表す言葉が「ワーキングプア」である。いわゆる「構造改革」政策の結果、こうした歪んだ雇用「構造」が生まれてきたことは皮肉なことであった。
 正当な努力の機会さえ与えられず、人間の尊厳すらも脅かされる人々の貧困の問題が、国民誰の目にも触れるようになってきた。

3.このような経済・雇用構造の歪みを正すアプローチとしては、人口減少社会への対応、成長戦略、積極的雇用政策(職業訓練、就業支援)、適切な労働規制などがある。これらも非常に重要な施策であるが、それによっても解決できない部分については、所得再分配を行うことが必要となる。それは、その所得水準に着目し、あくまで努力=勤労を大前提として現役世代を支える=所得を補償するというアプローチになる。

4.民主党マニフェストでは、積極的雇用政策や労働規制までは視野に入れているが、現役世代を対象とする所得再分配政策は、全く視野に入れていない。
 結婚ができて子どもも持つことできた家庭の支援の前に、経済構造の歪みの中で、十分な経済力を持てずに結婚できない若者、結婚できても同じく経済的な理由で子どもを持つことができない若者をこそ、まず一番に、その努力=勤労することを条件に、その経済・雇用構造の歪みに由来する所得の目減り分を「補正」すべきである。
 アメリカでは、クリントン大統領が「フルタイムで働いているにもかかわらず貧困線の下の生活しかできない社会にはしない」という哲学の下、勤労を条件に給付付き税額控除を導入した。
 明確な哲学と的確な政策である。
 遠からず稿を改めて、この給付付き税額控除の日本への導入について提唱したい。
 
1.前回までの稿で述べたとおり、「機会の平等確保」について、いかに精緻に制度設計を行っても排除できない偶然性がある。
 また、グローバル化が進み、新興国との厳しい競争にさらされる日本の企業に、かつてのような「フルタイム・終身・正規雇用」を、しかも完全雇用の形で常時に提供することを求めることは難しくなってきている。
 政府による成長戦略や積極的雇用政策(失業保険のような受け身の対処ではなく、職業訓練、雇用支援などの能動的な雇用のサポート策)も必要であるが、これらによっても、かつてのような完全雇用に近い状況を作り出すことは簡単なことではない。
 すなわち、そもそも競争の機会(=雇用の場)そのものが与えられない人々も数多く存在することを、常に考慮しなければならないという状況になってきた。

2.こうした状況を勘案すれば、社会全体として、自由な経済競争の結果として生まれてきた所得分配の状態に事後に手を加えて所得を再分配し、貧富の差を緩和することが必要となる、と考えられる。
 「努力すれば報われる社会」というものが、例えば一つの「競技会」だとすれば、その競技会に出場して良い成績を修めれば、良い賞品をもらうことができる。
 しかし、そもそもその競技会に参加できない人がいる。まず高齢者、そして子どもたち。また、成人であっても、その競技会に参加できる定員が大きく減らされてくれば、これまで参加できた人も参加できなくなってくる。競技会に参加できなければ、そもそも努力することもできない。
 こういう競技会に参加できない人に、競技会に参加し、かつ入賞して賞品をもらった人から「おすそ分け」するのが「所得再分配」である。それによって競技場の中に入れなかった人たちにも競技会の恩恵が及び、社会の一体化が確保される。
 また、競技会に参加できた人も、将来自分が競技会に参加できなくなった時の不安を和らげることができる。

3.こうした所得再分配機能を担うのが、税制と社会保障制度である。
 税制には国民の共通経費(教育費、防衛費、公共事業費、公務員の人件費など)を賄うという役割と、社会保障と一体となって所得の再分配(所得を移転させる)を行うとう2つの役割がある。
 大きな政府か小さな政府か、という議論があるが、前者の共通経費の部分については、無駄遣いがなく、かつ経費の規模も少ない「小さい政府」がしばしば求められる。
 しかし、後者の所得再分配機能が大きい方が良いか、小さい方が良いかということになると、一概に答えを出すことは難しくなる。国民の皆さんのそれぞれ置かれた立場により、また考え方により答えは異なってくるであろう。だからこそ国民的議論を行って合意を作っていくことが必要となる。
 しかし、その前に最も大切なことは、現状を知ることである。現状を知らなければ正しい議論はできない。

4.日本の税・社会保障の機能はどうなっているのか?という点については、これまで国会でもマスコミでもほとんど問題にされてこなかった。そもそも、所得の再分配という考え方が日本では未だに希薄である。
 それには理由がある。すなわち、日本では常に「雇用の再分配」に重きが置かれてきたからだ。
 公共事業により、地方に雇用の場を作る。
 商店街を守り、地方の雇用の場を守る。
 といった形で「雇用の再分配」が「所得の再分配」の代わりに行われてきた。
 そこにも2つの理由がある。
 まず、日本では高度成長期以降、雇用そのものが拡大を続け、また雇用再分配の波及効果(景気の刺激による雇用の拡大)も大きかった。
 第2に、雇用の再分配は「目に見える政策」であり、かつ「裁量が効く政策」である。政治家にとって、これほど自分たちの存在価値を高めてくれる政策はない。税や社会保障などの仕組みにより、目には見えない形でかつ自動的に再分配が行われても、誰も政治家には感謝しない。
 こうした事情から、日本では所得再分配を雇用を通じて行おうとする政治のインセンティブが強く働き、また、それを可能とする経済、財政事情があったために、公的な税・社会保障制度の機能は軽視され、代わって雇用=企業による終身雇用の提供が重視されてきた。

5.しかし、1990年代はじめのバブル崩壊から今日までの間に、こうした雇用の再分配は非常に難しくなってきた。グローバルな競争の激化と財政事情がそれを許さなくなってきたからだ。
 また、政治の裁量によるルールなき恣意的な雇用再分配は、国民の間に政治と行政に対する根強い不信感を醸成し、それが再分配そのものを否定する「小さい政治論」や、小泉構造改革支持の背景にもなっていった。
 90年代以降、再分配における雇用の力が弱まっていく過程で、本来であれば税・社会保障の再分配機能を強化すべきであったにもかかわらず、逆に小泉政権が「小さい政府」の方向に走っていったのも、国民にそうした政治・行政不信があったからである。
 90年代以降実際にとられた政策は、労働のインセンティブを高めるという理由に基づき、所得税の最高税率の引き下げ、累進税率構造の簡素化であり、全体として所得税の累進構造は著しく弱められることとなった。
 また、消費税の導入(1989年)及び消費税率引き上げ(1997年4月実施)の際にも消費税の税収以上の所得税減が行われたことも、税制全体の所得再分配機能を弱めることになった。 

6.さらに97年の消費税率引き上げ後、社会保障費用の増加が顕著となってくる中、歴代内閣は経済立て直しを優先し、増税を封印した。そこで、代わりに引き上げられたのは社会保険料負担である。
 その結果、税収と社会保険料収入の割合は逆転し、2000年には社会保険料収入が税収を上回ることとなった。社会保険料負担は、ある程度所得水準に見合う負担の部分もあるが、均等割による負担部分も相当に大きく、低所得者にとっては大きな負担となる逆進性を持つ。その社会保険料負担が国民負担の過半を占めるようになってきたことによって、我が国の歳入構造における所得再分配機能は大きく崩れることとなった。

 @ 所得税の累進構造が弱まり、
 A 税の中で所得税のウエイトが下がり、
 B 国民負担の中で税のウエイトが下がった。

 この3つの要因が重複して生まれ、税収自体も減り始めるとともに、国民負担の面における所得再分配機能は急速に低下した。
 次稿では、より詳しくこの点を見ていくこととする。

1.前稿などで述べたとおり、高度成長期以降、我が国では「フルタイム・正規・終身雇用」の提供(完全雇用)を目指すことが可能となり、かつ専業主婦と世帯主という「男性一人稼ぎ手モデル」の下で、「家庭」において育児、両親との同居やケアなど、多くの社会保障機能を担う仕組みができ上がった。
 そして、主な社会保障機能(子育て、高齢者の所得保障やケアなど)は家庭が代替し、社会保障制度が持つ所得再分配機能は、「雇用の再分配」がこれを代替することになった。

2.「雇用の再分配」とは、雇用の創出と減少を完全なる市場原理に委ねず、規制(商店街の保護など各業界への参入規制)や補助金、あるいは公共事業の配分などの形で、特定分野の雇用を維持しあるいは拡大することを意味している。
 こうした手当てを受ける分野には、より大きな雇用吸収力が生まれ、国の基幹産業部門での生産性の向上(=人員の削減)により生み出された余剰人員を常に吸収して、人々の生活を支えた。これが「雇用の再分配」である。
 この仕組み(受け皿)があったからこそ、日本では先端分野の人員削減と生産性向上が円滑に図られたということがしばしば見落とされている。

3.他方、こうした雇用再分配の受け皿になった産業(例えば建設業や流通業など)は、相対的に大きな雇用を抱えることになり、その結果、当然産業としての生産性は、低い水準に停滞することとなる。
 こうした低生産性部門の合理化と生産性向上の必要性がしばしば指摘され、小泉構造改革も、こうした「遅れている」(とされる)部門の生産性向上をうたい、かつ現実に公共事業費の削減や地方交付税の削減を続けた。その結果、こうした部門から余剰となって外へ出された人々は、行き場を失うこととなった。

4.これを救うべき公的な社会保障制度に、しっかりとした所得再分配機能が備わっていれば、こうした人々を救う道はあったが、日本では所得再分配を主として「雇用再分配」に負ってきたため、公的制度の所得再分配機能は極めて弱いままであった。
 結局、「構造改革」の下で、社会保障制度の所得再分配機能を強化しないまま、むしろ逆に社会保障費を削減しつつ、一方で「雇用再分配」の仕組みを壊してしまったために格差問題が生じ、それがその後の政権交代にまでつながっていったのである。

1.我が国では、先に見たとおり、「雇用の再分配」の仕組みが経済成長の下で自然に形作られていったが、むしろそれ故に、「所得再分配」の必要性については、正面から議論されることはほとんどなかった。
 戦後、日本の税制の中心体系となった所得税を中心とするシャウプ税制は、税制による所得再分配を通じて日本に大量の中産階級を生み出し、それをもって社会の民主化を図り、民主化をもって戦争(日米再戦)の歯止めにしようとの意図をもって日本に導入された。
 しかし、その後日本の税制は、1989年の所得税減税と消費税導入、また、それに続く1990年代以降の累次にわたる所得税の累進構造の緩和、1997年の所得税減税と消費税率の引き上げ、また、2003年の証券優遇税制の導入と継続による富裕層への優遇措置などを経て、その所得再分配機能は大きく損なわれてきた。
 労働インセンティブの付与、あるいは投資の促進という理由でとられてきた上記の措置は、結局、富める者から貧しい者への所得の移転という税の再分配機能を著しく弱める結果となった。

2.現在、日本の税制の所得再分配機能の大きさは、OECDの先進諸国の中で最も下位である。かつ、その水準も他国とはかなり隔たりがある(飛び抜けて低い)。
 その理由を改めて整理すると、次のような点が指摘できる。

@ 所得税の最高税率の引き下げや、税率ブラケットの簡素化により、所得税の累進構造が90年代以降、著しく弱められてきた。
A かつ、この所得税については累次にわたり減税が行われてきた(1989年消費税導入時、94年消費税率引き上げ決定時、99年小渕内閣の景気対策として)。
その結果、国民所得に占める個人所得税負担割合は、2009年度で4.2%であり、アメリカ9.9%、イギリス13.7%、ドイツ9.4%、フランス10.5%に比べて半分以下の水準まで低下している。国民所得に対する所得税の割合が小さいため、日本の所得税制は大きな再分配機能を発揮することができない。
B 因みに、国税収入に占める個人所得税収の割合は、32.6%(2009年度)であり、アメリカを除く主要国とそう変わらない(イギリス37.7%、ドイツ37.5%、フランス34.0%)。
つまり、ヨーロッパ諸国では消費税率は15%〜20%であり、大きな税収となっているが、所得税も3割台の税収ウエイトを占める大きな主要税目であり、先に見たように、国民所得に対して10%程度の負担水準が維持されている。その結果、ヨーロッパ諸国の所得税は一定の所得再分配機能を担うことが可能になっている。
日本よりも消費税率が相当に高いにもかかわらず、ヨーロッパ諸国の税制の方が所得再分配効果が大きい理由は、所得税も相応に大きなウエイトを占めているという点に求められる。
日本では消費税は5%の水準に留まっているが、所得税収の個人所得に占める割合も、累次の減税により相当に小さくなったため、所得税は消費税を上回る大きな税目ということにはならず、税収もほぼ同じような水準に並んでいる(2009年度 所得税収:約12兆6000億円 消費税収:約9兆6000億円)。
C 証券優遇税制の導入、継続により富裕層を優遇してきた影響も無視できないと考えられる。
D なお、所得税の最高税率は諸外国より低い(富裕層を優遇している)、あるいは課税最低限が諸外国より低い(低所得の人にも課税している)ということはない。
ということは、その間の税率水準の違いにより、累進性並びに所得税のウエイトの差違が生じているということになる(この点については、改めて確認したい)。


3.次に、社会保障給付(公的移転:保育、医療、介護などの現物給付は含まれていない)による所得再分配機能の大きさは、アメリカと韓国に次いで下から3番目である。
 その理由は次のような点に求められる。

@ 日本における社会保障給付(主に現金給付)は、主として、現役世代の負担に基づく高齢者への現金給付(年金)である。その結果、高齢者の間の所得分配の不公平はかなり是正された。
しかしながら、現役世代への給付はほとんど行われないために、現役世代間での所得再分配はほとんど行われていないのが、日本の社会保障制度の大きな特徴となっている。
子ども手当てが導入されたが、これまでの児童手当てと異なり、所得制限が課されていないため、所得再分配機能はむしろ後退してしまったと言える。
A ヨーロッパでは、我が国と同じように高齢化が進み、高齢者には日本以上に手厚いケアが行われているが、それに加えて、現役世代に対しても相応の給付が行われ、社会保障制度全体としての所得再分配機能が果たされている。
高齢者だけではなく、現役世代も所得再分配の対象に入れるため、当然社会保障の規模は日本よりも大きくなる。日本は先に見たとおり、現役世代の生活保障は主として「雇用の再分配」で行い、現役世代を社会保障の対象とはしなかったために、その分社会保障の規模も小さい。
こうした意味では、我が国の社会保障給付の再分配効果の弱さは、社会保障の規模の大きさの違いに由来すると言うこともできる。
B もう一点、社会保障の分野で指摘されている「社会保障の逆機能」という言葉がある。(注)
その意味については、次稿で述べることとしたい。


4.こうして日本では、税・社会保障制度が共に十分な所得再分配機能を発揮できないために、

@ 我が国の税制と社会保障制度が貧困率を低下させる幅は、OECD諸国の中で比較可能な17カ国中、最低となってしまった。(注)
A また、2007年にまとめられたOECD経済部のワーキングペーパーによれば、2000年の数値であるが、税と社会保障が所得分配の不平等をならす力の大きさ(「ジニ係数」の低下幅)は、現役世代に対しては、比較可能な14カ国の平均の半分以下の水準となっている。(注)
B また、2009年の内閣府の「年次経済財政報告書」によれば、我が国の税・社会保障全体の再分配機能は、イギリスやカナダなどアングロサクソン諸国と同程度であるとされている。
C 同じく内閣府の分析によれば、次の指摘が行われている。
(イ) 日本の税制にはほとんど見るべき再分配機能がない。
(ロ) 60歳より若い世代に対し、所得再分配効果がほとんど及んでいない。
(ハ) 社会保障負担全体の中で、下位20%の低所得層が負担している割合及び社会保障給付全体の中で、同じく下位20%の低所得層に給付されている割合を国際比較すると、日本の低所得層はより大きな負担をし、より小さな給付しか得ていない。


5.「格差の是正」が強く求められた一昨年の総選挙以来、我が国の社会のあり方の根本問題に直結する税・社会保障制度の再分配機能に、政治が目を向けてきたとは言い難い。
 確かに税と社会保障制度は複雑で専門的で分かりにくい。
 政治家の中でも、この分野に入って行ける人はそう多くないかもしれない。
 しかし、だからこそ時のリーダーは、雇用の再分配に頼れない今、「所得再分配」の問題に焦点を当て、国民に分かりやすく現状を説明した上で、国民の合意を得るべく提案を行うことが強く求められている。

(注)大沢真理(生活経済政策、2008.5 NO.136)

http://www.ryuji.org/column/


 

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コメント
 
01. 2011年4月25日 16:43:44: 8HikxGtgtU

 いまや いろんなメニューは止めて

 ベーシック・インカム(BI)+ ワークフェア で統一すべきだろう

 そうすれば 公務員の半数は要らなくなる
 


02. 2011年4月25日 17:38:46: PPAJr6WqwQ
所得の再分配には3つの方法がある。

@低所得者の社会保障負担や税負担を減らす
A高所得者の税率を上げる
B政府機関や金融機関にたまった貯蓄部分を政府が借りて使う。

Bは、埋蔵金と高所得者の貯蓄である。
これが需要不足を招いている。

したがって@を実施し、その財源としてAとBを充てるのが正しい所得の再分配だ。


03. 2011年4月26日 02:29:10: rZzUdFqOsw
まず減税日本のような直接税の減税がよくないと思う。

04. 2011年4月26日 08:06:39: Wb16rRwkLQ
減税するなら、“人頭税”ともいうべき、極めて逆進性の高い国民年金保険料や国民健康保険料でしょうね。


政策を分析・総合・評価したよい投稿だと思います。
>減税日本の公約は次の3つしかない。

>1.市民税10%減税継続
>2.選挙による地域委員会全市拡大
>3.市会議員報酬年額800万円に

私個人は、2.と3.は、反対しませんが、
1.は、反対です。

減税するなら、
定率減税ではなく、定額減税か定額給付(事実上の減税)にするべきでしょう。

一律10%減税は、高額所得者層が得するだけで、
庶民に恩恵はほとんどない。
(住民税非課税世帯は、恩恵ゼロ)


定額給付>定額減税>定率減税

左に行くほど、庶民減税。右に行くほど、富裕層減税。

さらにいうなら、「庶民革命」に値するもっともふさわしい「減税」は、
(1)逆進的な社会保険料を「減税」(減免)
(2)所得反比例減税&給付(負の所得税≒給付突き税額控除)
定率減税や最高税率引き下げといった高額所得者優遇減税では、
「庶民革命」の名に値しない。
「高額所得者革命」だ。

河村氏公約の定率減税↓
夫婦と子供2人世帯の場合…(名古屋市による試算)
・年収300万円 → 減税額(年間)1400円
・年収500万円 → 減税額(年間)9500円
・年収1000万円 → 減税額(年間)3万2900円
高額所得者層ほど、減税額が大きい。

ちなみに、住民税非課税世帯(貧困層)は、減税額ゼロ。
まったく恩恵無し。

だから、定率減税より、定額減税、定額給付、そして“人頭税”である社会保険料減免、
さらにいうなら、所得反比例減税&給付(負の所得税)が望ましいのだ。
「高額所得者革命」ではなく「庶民革命」と称するならね。

逆進性が高い順:
社会保険料>消費税>所得税
要するに、「庶民革命」と称するならば、「減税」は、左からやってくれということ。
ところが、減税日本は、右からやろうとしている。
これは、「庶民革命」ではなく「金持ち革命」である。

>河村市長のもとで、国民健康保険料は大幅に値上げされました。
>モデルケースで見ると、40歳未満単身者の場合、
>年収300万円で国保料は年額3万5520円増、年収400万円で5万2350円増、500万円で7万790円増となっています。
>加えて、保育所20園削減、市立病院の縮小・民営化も進められています。
>河村市長の「減税」で、一部の大企業は2億円以上、高額所得者は1千万円以上の恩恵を受けました。
>大企業・大資産家優遇の一方で、福祉は民営化し公的責任を放棄する―。
>自民党政権以来の古い政治そのものです。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2011-03-04/2011030405_01_0.html

>「既成政党か地域新党か」の対決を煽り立て、
>「市民税10%減税」を旗印にした河村市長をトップにいただく「減税日本」。
>実はこの一律市民税10%減税がくせ者なのだ。
>一律10%の減税だから当然、市民税負担額が大きい大企業と大資産家は減税額が大きくなり、一般市民の減税額はわずかとなる。

>そのくせ減税によって空いた穴を河村市政は、国民健康保険料の大幅値上げなどで埋めようとする。

>年所得400万円で4人の標準的家族の場合、減税額は1万1千円になるが、
>国保料の負担増が5万7千円になって、差し引き4万6千円が増税されたのと同じことになる。

>そのほか、河村市政下で「10%減税」が実施された2010年度には、
>減税による税収減を埋めるため、私立高校や幼稚園の授業料補助、
>学童保育への助成、民間保育所や障害者保育、児童養護施設への補助がばっさり削られたのである。
http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10830295168.html

これは、ひどい。。。減税どころか「4万6000円」の負担増。
これは、「減税日本」「庶民革命」ではなく、
「庶民増税日本」「高額所得者・大企業革命」ではないか。

国保料が「4万6千円」負担増なんて、たまらんわ。


05. 2011年4月26日 08:07:01: Wb16rRwkLQ
■雇用環境も福祉も欧米以下!
▼日本は「世界で一番冷たい」格差社会  米国の著名社会政治学者が大警鐘
日本の格差問題も英米に比べればまだまし――。そう考える人は多いことだろう。
しかし、ハーバード大学のマルガリータ・エステベス・アベ教授は、
福祉機能で米国に劣り、雇用環境で欧州以下の日本こそが、
先進国で一番冷たい格差社会であると警鐘を鳴らす。
http://diamond.jp/series/worldvoice/10012/

そういうと生活保護が挙げられるが、日本は、
支給要件が極めて厳しく、かつ、違法な門前払い(水際作戦)があるため
捕捉率が極めて低い。(日本9〜20%、英独は90%近い)
上記、ハーバード大学教授が指摘している通り、
アメリカのほうがはるかに生活保護を受けやすい。

さらに、日本の制度は、やくざや貧困ビジネス業者に食い物にされ、
もらってはいけない人がもらい、本来、もらえる人がもらえない。
極めて不公平で欠陥だらけの制度だ。

こんな制度はなくし、
それこそベーシックインカムや負の所得税のような制度を導入したほうがいい。


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