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オキナワとフクシマから考えさせられる日本人 無関心と云う逃避行 (世相を斬る あいば達也) 
http://www.asyura2.com/11/senkyo116/msg/427.html
投稿者 赤かぶ 日時 2011 年 7 月 10 日 18:16:56: igsppGRN/E9PQ
 

オキナワとフクシマから考えさせられる日本人 無関心と云う逃避行
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/c1e239363eec73bf3379f58cf5843ef4
2011年07月10日 | 日記 :世相を斬る あいば達也

先ずは東京新聞の日本人の深層に触れる社説を読んでいただこう。

≪ 週のはじめに考える オキナワとフクシマ
 沖縄で、こんな声を聞きました。オキナワとフクシマは同じではないか、ともに無関心が生んだのではないか。その視点から私たちを考え直してみます。 先月、沖縄であった会合でのことでした。講師に招いた沖縄国際大教授の佐藤学さんが「他人事の論理を超えるために」という題で話をしてくれました。 テーマは基地問題。佐藤さんは日米の政治の研究者です。 こう問いかけます。なぜ、日本政府は辺野古(米軍普天間基地の移転予定地)に固執するのだろうか。そう問うて、佐藤さんは言いました。 「それは、日本国民の圧倒的無関心からではないか」

◆無関心がつくる誤解 本土の無関心はこれまでにも指摘されてきたことでした。圧倒的かどうかはともかく、沖縄での米軍基地の占有率は、本土の人の想像をはるかに超えるものです。その戦争目的や騒音への関心はどれほど実感できるか。しかも沖縄の人を一番落胆させるのは、沖縄は基地なしでは経済が回ってゆかないという誤った想像が、無関心をさらに強めていることです。
 それらをより合わせると、沖縄は基地を望んでいるという、本土側に都合のいい偽りの正当化、論理の擬制とでもいうべきものへと発展してゆく。つまり声の小さい少数者を相手に絶対多数のにせの論理がまるで正しいかのようにふるまい始めるのです。 そこでフクシマです。 オキナワとフクシマは似ているというのが佐藤さんの話の論旨でしたが、それをもう少し膨らませて考えてみます。 (フクシマとカタカナで書くのはつらいのですが、世界的原発事故が起きてしまったということで許されたい。オキナワのカタカナ書きは米軍の大きな基地が集積している世界性からです)

◆民主主義の核心部分 事故で放射能を放出したフクシマ原発は、一九七〇年代、日本では最もはやい時期に動きだした原発でした。立地する太平洋岸沿いの浜通りは、福島県内でも特に過疎の地域で、電力は首都圏へ。原発の以前、水力発電の時代は福島西部・只見川のダム群が電力を送っていた。だがその電力を使う都会は、実はどれほどフクシマを意識していたのだろうか。
 そのあと、原発立地をめぐる争いが全国各地で起きた時、そこから遠い都会では、争いをニュースでは知っていても結局、無関心だったのかもしれない。国の税金が投入されるほど、無関心が許されるという仕組みだ。それはオキナワによく似ています。
 世界では、米国のスリーマイル島、またソ連時代のチェルノブイリの原発事故が起き、その恐るべき危険性が実感されたはずだったのですが、日本ではそんな愚かな事故は起きるはずがないという安全神話が逆に強められたのでした。無関心は温存されたのでした。オイルショックがもたらしたエネルギー安保と いう国策も神話を補強しました。
 考えるべきは、無関心の構造です。政治学では、政治に対する無関心は民主主義をその内側から崩壊させ、政治そのものを死なせるといいます。逆にいうと人々の関心こそが民主主義の核心部分であり、活力なのです。関心こそが政治を社会を成長させるのです。 関心の対象はわが街であり、自治体であり、また国家、もっと広げるのなら世界でもあります。 共同体の中のはるか遠い所で起きていることをいちいち見に行くわけにはゆきません。しかしそこに住む人の身になって考えることはできるはずです。 関心をもつとはそうすることであり、無関心とはそうしないことです。
 オキナワの基地について政治家はよくこんなふうに言います。 「現実に、受け入れるところはない。沖縄の皆さんにお願いせざるをえない」 さらりと聞けば正しいように思われても、沖縄には忍従を、本土には無関心を促しかねない言葉です。日本という共同体の全体で考える機会を消し去るような言葉です。これはフクシマでも、また他の原発稼働地でも同じです。

◆共感は不可能でない 共感はとても難しそうに見えますが、例えば日本では水俣病やイタイイタイ病などの公害に対し関心は全国から集まり、世界では人種差別や飢餓などに対しやはり関心は集まりました。今は津波の三陸や原発のフクシマに対し、全国また世界の関心が集まります。 もちろん、物事は関心だけで解決するわけではなく、負担が公平化されるわけでもない。しかし関心をもつとは、問題をだれかに押し付けるのではなく、ともに考える始まりとなるはずです。大震災が与えた悲しき教訓です。≫(東京新聞:社説)


この東京新聞の社説を読みながら、筆者は沖縄、福島問題を通して見えてくる、現代日本人の心のあり方や国家観を思わざるを得ない気分になっている。ただ、現役としてリアルな都会生活をしている筆者が、常に日本のことを思いとか、他人のことを慮った日々を送っているかといえば、答えはノーだ。

隣の家族のことすら考えた事がないのだから、一区画の街のことも考えない。区政にも興味がなく、都議会にも興味がない。国会の政策になって初めて僅かな興味を抱く。その程度の単なる生活者なのだよな、と省みて思うのである。勿論、必要に迫られて、社会政治問題を書くような時には、俄か勉強で知識を詰め込み、自分なりの感性で結論じみたものを導くのだが、常に絶対的正解に辿りついた満足感はない。 おそらく、政治や行政と云うもの、司法と云うものが、まさに他人事のように目の前を通り過ぎてゆく、踏切で電車の通過を待つ飼いならされた一国民なのだと、つくづく思う。

ブログなどで、多くのことを発信するが、それも書いている時の興味であり、日々の生活では忘れ去られる。では、筆者が特別地球や世界や日本や日本人に無関心でいる人間なのかと云うと、そうでもないだろう。“無関心”よりは少し関心ある派のような気もするのだが、それでも所詮、自分の生活を犠牲にする領域を超えることはない。

今では“トウホク”“フクシマ”が日本の話題を独占しているのだが、あの盛り上がった筈の“オキナワ”は何処に行ったのだろう。前原が超党派議連を引き連れて、仲井真弘多沖縄県知事と夕食を共にするそうだ。目的は、先の日米安全保障協議委員会(2プラス2)で米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設が再確認されたことを踏まえ、前原氏らは移設への理解を改めて求める事のようだ。

6月21日ワシントンで開催された日米安全保障協議委員会は日本側から松本剛明外務大臣,北澤俊美防衛大臣、米国側からクリントン国務長官, ゲーツ国防長官が出席したわけだが、2005年10月に日米双方は「日米同盟:未来のための変革と再編」によって変質させられた日米安保条約を更に変質させる会議であったことはたしかだ。

≪「より深化し,拡大する日米同盟に向けて:50年間のパートナーシップの基盤の上に」と題する共同発表を決定したことが最も重要である。ここでは2005年の「日米同盟:未来のための変革と再編」における戦略目標を再確認し、日米同盟の「深化」と「拡大」を計るとした。しかし日本の報道機関は普天間米軍基地問題と中国への対応により大きい焦点 を当てた。従ってこの論評でもこの2つの問題から見てみたい。  普天間問題では、(1)キャンプ・シュワブ辺野古崎地区に移転する、(2)滑走路をV字型の2本の滑走路とする、(3)2014年より後のできる限り早い時期に完了させることで合意した。普天間基地に関する過去の日米合意を守ることに合意した。従って、本来なら「めでたし、めでたし」というところである。しかし、実態は異なる。  日米双方とも、普天間基地移転の合意内容である辺野古への移転と、米軍人約8000人及びその家族約9000人のグアムへの移転が実現不可能になってきている。≫(孫崎亨)

松本も北沢も、この2プラス2の意味をあまり理解せず、外務省・防衛省の掌に乗っているのだろうが、実効性のない日本が米国に対する約束事だけを増やし続けている。兎に角、米国軍産複合体勢力の圧力に押しまくられているのだ。米国は現在大きく二分されており、中国との関係を良好にする派と中国を威嚇とする派に別れている。ただ一つ共通する利害が彼らにはある。それが「金がない!金は日本から貰おう」この合言葉だけは、仲良く共有している。

日米関係しかりだが、筆者も含め日本人は“誰か、何かに頼る”と云う体質を脱皮させないと、波間に漂う藻くずのような国になって行くのだろうと思う。つまりは、運に任せる国家と云う事になる。最終的には考えたくない、誰かがやるに違いない、最悪は自己防衛しかない、そのように考える国民性だとすると、日本には民主主義は不釣り合いな国家体制なのかもしれない、とあまりの猛暑の中思うのである。
 

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コメント
 
01. 2011年7月10日 18:26:17: rhUM72cLn2

米軍基地の真の目的は、、、、
日本を米国の支配下に留めておいて、中国と手を結ばせないようにすること
アメリカの軍事評論家・ロバート・ナイマン氏「週金」2011-1-21
韓国・北朝鮮を乗っ取っている「軍部という人殺し組織」が
軍事挑発を繰り返し遂に同民族同士の砲撃合戦。
ウオール街の軍需経済に国家間憎悪の覚醒剤を脳天に打たれ続けて
報復を叫ぶ哀れな貧乏国民。
http://esashib.web.infoseek.co.jp/koreanwar01.htm


02. 2011年7月10日 19:51:19: c0UeqEikFs
そう、無関心ですね。「所詮他人事」なんですね。
目の前で自国民が何十万も狂気の政府に平然と棄民にされるのを見れば、明日はわが身という想像力が多少は働くはずでしょうが、男はAKB、女は韓流タレントに心を奪われ、白痴にされている有様です。
暴論かもしれませんが、これ以上享楽や贅沢にふける者は今度こそ正に「天罰」を受けて滅びるべきだと思っています。
今回亡くなられた人たちの多くは数少ない第一次産業を担う貴重な人たちでしたが。

追伸:菅に政権延命の知恵をつけていろいろ根回ししているのは村上正邦ー亀井静香ラインですが、よい悪いは別にして全く彼らの意図がわかりません。何を目指しているのでしょうか?


03. 2011年7月10日 23:07:35: 2miLXbRHhs
>それは、日本国民の圧倒的無関心からではないか


敵を恐れることはない,せいぜい君を殺すだけだ。
友を恐れることはない,せいぜい君を裏切るだけだ。
無関心な人びとを恐れよ,殺しもしなければ裏切りもしない。
だが、無関心な人びとの沈黙の同意があればこそ、地上には裏切りと殺戮が存在するのだ。
(ヤセンスキー『無関心な人々の共謀』 工藤幸雄 訳)


04. 2011年7月11日 19:11:34: 2jEWYxP9pU
この文章を読む前はまた、あいばさんの夢想に付き合わねばならんのかと観念していましたがクリーンヒットでした。失礼しました。夢想は夢想を語る者には楽しいでしょうが、読む者には時間の無駄です。あーあ!また憎まれ口言っちゃた。ついでに前日の、菅直人の延命には協力者は不可欠 それが誰なのかが謎といえば謎 (世相を斬る あいば達也)は空振り三振前の大ファールでした。



05. 2011年7月11日 19:25:26: tnhC0rXKqo
日本人は利害得失には敏感ですが、権力には弱く相手が強大ならドレイにされても沈黙する民族だと思います。江戸時代。軍国主義時代のしきたりとシステムが今も機能している「フアシズムとナチズム」によりて立つ国です。原発推進派の産官学やメデイアや政財界の国賊たちを一掃するため、菅総理が8月にヒロシマ原発忌に「反核「脱原発」を世界へ宣言すべきです。

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