★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK116 > 587.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
そしてみんな「脱原発」になった。菅直人首相まで脱原発宣言!!!何処かに原発推進論者はいないのか?(山崎行太郎)
http://www.asyura2.com/11/senkyo116/msg/587.html
投稿者 元引籠り 日時 2011 年 7 月 14 日 19:28:53: dkOnWN./sADdA
 

そしてみんな「脱原発」になった。菅直人首相まで脱原発宣言!!!何処かに原発推進論者はいないのか?しかし、現実には「脱原発」は、選挙用の飾り付けでしかない。今こそ原子力エネルギーに注目せよ、と言いたい。20世紀、最大の発明。人類はこれとうまく付き合っていくしかない。後には戻れない。
実は作家の村上春樹が、スペインで、カタルーニヤ国際賞の受賞式のスピーチの中で、フクシマ原発事故を受けて「脱原発」を宣言し、「核」に対してももっと早くから「ノー」と言うべきだったと反省する演説をしたらしい。「効率」主義がよくなかった、と。村上春樹のスピーチは、明らかにノーベル賞を意識したもので、営業的匂いがするが、それはさておき、問題はこの村上演説の日本国内の受け止め方である。東京新聞の「文芸時評」で、沼野充義が、「分かりやすさ」という観点から、この村上演説を絶賛している。それに対して「文学界」8月号の匿名コラム(相馬悠々)「鳥の眼・虫の眼」が噛みついている。なかなか面白い噛みつき方である。このわずか1ページの巻末コラムを僕は愛読しているが、ここにだけ、古き良き批評精神というものが生き残っていると思うからだ。さてそのコラムは、こう書いている
「分かりやすさ」が胸を打つ」という見出しで、沼野充義が、東京新聞の文芸時評(6/23)を書いている。本当にそうなのか?村上春樹が六月九日、スペインのカタルーニャ賞授賞式でのスピーチで、「日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった」と訴え、「原子力発電に代わる有効なエネルギー開発」を追求すべきだったと主張したことに対して、沼野さんは、「当然の主張」「まっとうな言葉」と賞賛、「いま「わかりやすい」言葉で語るのをおそれるべきではない。私は人気作家の勇気に対して「よくやった」と声援を送る。」と記している。
欧州で脱原発の動きのある中、「よくやった!」は、大げさでしょう。
なかなか鋭い批評である。「寸鉄人を刺す」とは、こういうことを言うのだろ う。「脱原発」も「反原発」も決して少数意見でも、危険な意見でもない。フクシマ原発事故以前ならともかく、フクシマ原発以後、もっとも安全な、人畜無害な意見が「脱原発」「反原発」である。それが一種の流行語となっていること、あるいは大衆的な世論になっていること、このことを自覚していないとすれば、かなりの鈍感か、あるいは自己欺瞞なのである。少なくとも作家や批評家が、そのことの自覚なしに、無条件に「脱原発」や「反原発」を主張するのには疑問を感じる。大江健三郎のように、四、五十年も前から「反核」を叫んできたものの言うことは傾聴に値すると思うが、「311」以後、「脱原発」や「反原発」を主張することは、逆の意味で相当の勇気がいることだろう。言い換えれば、今、「脱原発」宣言をするやつは、かなりの「恥知らず」ということである。と、ここまで書いているところで、吉本隆明が、「脱原発」批判を展開しているということを、読者からのコメントで知った。吉本が、今、何歳になるか知らないが、相当の高齢のはずである。それにもかかわらず、「脱原発批判」とは恐れ入る。吉本は、科学技術の進歩は自然過程であり、止められるものではない。それよりも科学技術のさらなる進歩によって、「原発の暴走」という危険も克服していくべきだというようなことを言っているらしい。「月刊ビッグトゥモロウ 2011年8月号」をお読みください。次のような記事が掲載されているらしい。
月刊ビッグトゥモロウ 2011年8月号」 青春出版社   
 *考え続ける87歳インタビュー 吉本隆明 思想家

  「思い描いていた大人に僕はなりきれていない」/「誰かが示した安易で簡単な答えに飛びつかないことが大切です」/「大震災後をどう生きるか。僕は考え続けて生きたいと思う」今回の大震災で「原発はもうダメだ」と口々にいう社会。そんな言葉にすぐ引っ張られてしまう日本人に対し、“思想界の巨人”は、静かに「待った」をかけた。
まったく同感である。「脱原発」や「反原発」をいくら声高に叫んでみたところで、大衆の人気は得られるかもしれないが、それが有効な意見として採用されることはありえない。「脱原発」も「反原発」も、個人の思想信条としては無駄ではないだろうが、現実的にはほぼ有効性はない。原子力工学をはじめとする科学技術の発展と進歩は、誰にも止められない。文字通り自然過程だからだ。

(続く)
山崎行太郎インタビュー
存在論的国民論
ーー政治家は国民が育てるものだ。

しかも、心情倫理に対して責任倫理ということもウェーバーは言っている。政治には責任倫理が重要だと。責任倫理とは、言い換えれば結果責任ということだ。その意味で言うと、マスコミや国民のバッシングによる松本龍批判は、心情倫理を問題にしただけで、責任倫理、つまり結果責任を問うていない。松本は、むしろ結果に責任をとると言っている。国民の側に政治家に不可欠のウェーバー的な責任倫理という視点が欠如している。以前、政治家を語る時、よく使われた「清濁併せ呑む」とか「懐が深い」「腹が座っている」という言葉を国民もマスコミも忘れている。複眼的、重層的、つまり、存在論的視点を回復すべきだ。本居宣長は、「古事記」を読む前に、まず「源氏物語」を読めと言ったが、それは、道徳的読み方を捨てろ、ということだ。それでなければ「古事記」は分からないということだ。

http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20110714/1310599522  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2011年7月14日 19:46:22: ra3FotiHG6
山崎行太郎は原発プロ推進派。
よくわかるね。
赤かぶも原発プロ推進派。
原発はもう止めろ!

02. 2011年7月14日 20:06:32: EW8V0RamPY

↑つまらねえコメントだな。
犬を指さして「これは犬だ」というようなコメントは要らないんだよ。
せめてもっと工夫して言ってくれ。

ところでついでだから聞くが、
「原発プロ推進派」の“プロ”ってなに?
ただ「原発推進派」と呼ぶのとなにが違うんだ?


03. 2011年7月14日 20:12:48: kL4fvo29dY
>>科学技術の進歩は自然過程であり、止められるものではない。それよりも科学技術のさらなる進歩によって、「原発の暴走」という危険も克服していくべき


日本には地震が多い。プレートテクトニクスなど、これも科学の知見でそのことがはっきりした。
だから、今後1万年以上大地震が起こらないところで、何十もの防御をした上で、核分裂を応用研究したらいい。日本列島でするな。

危険を避けて予防すのも立派な科学。麻薬をするな、公衆前でタバコを吸うな、不特定多数とsexするならゴムぐらいつけろ、みんな立派な科学の進歩。

吉本や山崎はバカか。


04. okonomono 2011年7月14日 20:32:38: ufgCmUGS6CG6M : J9dZICgf3A
原発事故後の茂木健一郎氏のいくつかのツイートと内容が似ていると感じた。
この記事で山崎行太郎氏は心情倫理(「職業としての政治」)を否定しているが、この文章こそ心情倫理で書かれた見本のようなものではないか。
こんな中途半端な記事を書く暇があったら、いっそ「脱原発」など無視して、ウェーバーでも本居宣長でもそのエッセンスを紹介してくれた方が、多少なりともわれわれB層国民の啓蒙のために役立つかもしれないのに。

05. 2011年7月14日 23:58:44: 05UhnFBHRM
原発・・脱原発。同じことを繰り返す日本人。どっちがいいといえば脱原発に決まっている。しかし、原発にかかわっている人の生活、地域社会の生活は、管総理は理想・夢を述べるけれど国民の生活は述べない。すべての原発を止めるといえばかっこいいかもしれない。しかし、そこには生活している国民がいる。
一に雇用・二に雇用・三に雇用って言っていた管総理・・管は生活よりも命が大事といいたいみたいだが、生活ができなかったら命はなくなる。
年収100万の人がたくさんいるこの時代、本当に世間と言うものを知っているのだろうか?こんな人間に脱原発を語ってほしくない。

06. 2011年7月15日 10:56:38: 3mLOMMdSmM
>>科学技術の進歩は自然過程であり、止められるものではない。それよりも科学技術のさらなる進歩によって、「原発の暴走」という危険も克服していくべき

全然解ってねーな
原発の危険は
技術の問題じゃなくて
管理の問題なんだよ

保安院と安全委がまともに機能してれば
福島第一は3/11の日に停止していた


07. 2011年7月15日 10:58:53: c94xjBVpEs
山崎行太郎がはじめてまともなことをいった。
これは甘く見てはいけないな。この人は立派だ。

08. 2011年7月15日 19:04:17: esmsVHFkrM
「そしてみんな「脱原発」になった」だって、嘘つくな。

だったら、なんで、枝野は管の「個人的希望「に過ぎないと解説し、岡田は「党の方針ではない」と駄目を出し、谷垣は「論評に値しない」とまで非難するんだ。マスコミは無視し、経団連も経済同友会もいっせいに非難している。

「脱原発」が多数派になどなっていない。少なくとも日本を支配する政治家、官僚、経済人、(御用)アカデミズム、マスコミにおいては、原発推進が大多数だ。そいつらは、自分たちに都合の悪いことが国民に広まりそうになると、いつも、多数派の中で少数意見を言う勇気とか多数派に流されない正論とか言い出す。いつもの手だ。

そんなに、多数派に流れない少数派の意見が注目されるべきだと言うのなら、原発安全神話の中で少数派に追い込まれ孤立していた原発反対派の主張に対してこのような配慮を見せたことがあるのか。ありはしない。

勝手を言うな、卑怯者。


  拍手はせず、拍手一覧を見る

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
 重複コメントは全部削除と投稿禁止設定  ずるいアクセスアップ手法は全削除と投稿禁止設定 削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告」をお願いします。 最新投稿・コメント全文リスト
フォローアップ:

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK116掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

     ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK116掲示板

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧