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小沢の無罪を主張に思う
http://www.asyura2.com/11/senkyo120/msg/375.html
投稿者 Ddog 日時 2011 年 10 月 07 日 03:55:59: gb2b4T9TetGkU
 

これが一般人の刑事事件の裁判でであれば、有罪になることはあり得ないだろう。
刑事裁判は合理的な疑いを挟む余地がない程度まで厳格に犯罪事実を立証することが求められている。「疑わしきは被告人の利益」が大原則です。この状況で小沢一郎を有罪にするのは確かに難しい。いや不可能だろう。

小沢を「政治資金規正法違反」で、東京地検が総力を挙げて立件しようとしたが、起訴できなかったのだ。

秘書3人も「共謀」を完全に否定している。
東京地検が裁判で立憲できないから「起訴できない」と断念した案件を、「検察審査会」が、強制起訴を決定したのだから、「小沢が無罪だ」「裁判は暗黒裁判で不当だ」と小沢親派の国賊たちが騒いでいるのも理解できる。

だが、小沢が不当に政治資金で肥え太っているのは常識を持ち合わせている人間なら誰しも思う自然な疑問であって。裁判のテクニックで証拠がないから無罪だと主張しているのはお天道様(世間様)が許さないのである。

国賊たちには「世間様」という日本が古来より有するコモンローの存在を忘れているのだ。中国や朝鮮の情報操作に踊るような小沢を支持するバカには日本人が共有するニューマ(空気=世間様)を感じることができないのだろう。

9月26日、東京地裁が秘書3人を「有罪」とする判決はまさにこのニューマによるものである。この判決の延長線上では「小沢裁判」は有罪である。

秘書3人が有罪となった裁判では、水谷建設からの1億円を認定しているので、十分小沢を有罪にすることは可能だろう。

小沢側からすれば暗黒裁判だと主張するだろう。確かにそういう側面もある。

だが、小沢側が自分の無罪を世間様に納得させることが出来ると思ったら大間違いだ。世間様は納得できないのである。

判決が認定した「小沢事務所の天の声」や「建設会社からの裏金」といった事実を全く無視することはできない。小沢の地元では小沢に対して次々と反旗が上がっているのだ。

小沢が語る「僕は旧来の仕組みを変えなくてはいけないと思っている。だから、既得権を持っている人には『あいつだけは許せない』という意識が働く。政権交代のスケープゴートにされた」などと言うのは、世間様がもっとも許せない。日本は古来より独裁者を生かしておかない。いや生み出さないような仕組みが出来ているのだ。

それが世間様というものだ。仮に小沢がこの件でまったく起訴されなければ今頃日本は小沢に導かれ中国の一自治省に成り下がる道を歩みだしていたのだ。
小沢を独裁者にしたくないといのが世間様の意思だ、官僚や旧体制既得権者が恣意的に有罪にしようとしていないのだ。

日本人が有する共同無意識というニューマが小沢有罪へ傾いているのだ。

かつて田中角栄は、旧ソ連とのエネルギー外交を進めようとしたことが米国のの逆鱗に触れ、ロッキード事件で逮捕された。私は今でも田中角栄を支持しているが、小沢は師匠と違い人徳も無ければ日本を愛してもいない男だ。潰されるべきだ。

小沢一郎を有罪として、民主党内から除名して小沢グループを離党させ、一刻も早く亡国の民主党政治を終焉させなくてはならない。

小沢が無罪と主張するバカどもの中にはこれは官僚による旧体制の維持だとか正義の味方面して言うが、今の民主党体制ほど官僚による支配に都合がいい体制は無いだろう。官僚にとって小沢無罪の方が都合が言いに決まっている事すら見抜けないのである。

この20年間、小沢一郎が政界の中心にいたからこそ日本は停滞していたのである。
小沢を抹殺して早く日本の政治を機能させなくてはならない。

小沢を支持する人間のバックには中国や北朝鮮がいる。小沢無罪は中国や北朝鮮の情報操作である事をはやく気がつけ!

もし小沢が無罪になったのであれば、中国が高笑いししまう。そうなれば、この国はもう終わりだ。

【Ddogのプログレッシブな日々】http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/35822704.html  

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コメント
 
01. Ddog 2011年10月07日 04:02:51: gb2b4T9TetGkU : aphu12iZ8E
さてさて、どんな私への罵詈雑言が書かれることやら。


02. 2011年10月07日 04:35:08: FZ5Us6ScQQ
あなた、論理が支離滅裂ですよ。

03. 2011年10月07日 04:42:34: IOzibbQO0w
小沢は、政治献金をもらったとしても、過去の政治家としては普通だろう

既に社会的な制裁も受けているし、証拠が無ければ法治国家では推定無罪が原則だ

本来は、もっと政界再編で活躍してもらいたかったが

残念だが、そろそろ限界かもしれないな


>小沢無罪は中国や北朝鮮の情報操作

きちんと根拠を示さなければ、ただの妄想だろう


04. 2011年10月07日 05:19:44: WE2lTW3E4B
Ddog君。ニューマは結構だけれども、政治権力闘争と法廷闘争を同一ののもと定義してはだめですよ。ニューマでは済ませられません。この文章のどこから手をつけてよいやら皆目見当が付きません。これは今年の阿修羅に投稿されたすべての文章の中で燦然と輝くものでしょう。ネットとはいえこれほどまで己のアホーを晒した文章を私は見たことがない。要旨は千路に乱れ錯乱と幻想の中に浮遊し、何故かは不明だが何かに憑かれた怒りは行く場を知らぬため虚空を彷徨い回っている。
この人は世間様の意思だという。日本人が有する共同無意識というニューマという難しいことをいう。だからこそなのだろうか、裁判のテクニックで証拠がないから無罪だと主張しているのはお天道様(世間様)が許さないのである、などというのである。嗚呼、お天道様お助けを。

05. 2011年10月07日 06:04:54: BEo1BhvPYw

何か多くのコメントを期待しての投稿のよう。
もっとも打撃のあるのは、無視すること。
マスコミ由来の憶測にもとづいた、ほんとに、つまらない、投稿。


06. 2011年10月07日 07:57:57: d4KeTRp3oY
 月と星みたいに、コメントが欲しいだけ。
構ってほしいだけ。

07. 2011年10月07日 07:59:04: FEoHOU0mco
世間様と自分の意向と裁判制度をごっちゃにした。頭の悪い人の願望ですか。
屁理屈などこねずに素直に、小沢は嫌いだから、無罪かどうかに関わりなく有罪になればいいと書けばいいじゃないですか。

08. 2011年10月07日 08:34:49: 79xEP8DoCg
Ddogの文章力は「真相の道」よりやや上だが、記述内容はほぼ互角。

09. 2011年10月07日 08:48:31: LpO6MhNizE
恥ずかしくねえのか。 あんた。

10. 2011年10月07日 09:16:51: lGQ9x4NIUs
> 小沢を支持する人間のバックには中国や北朝鮮がいる。

その通り。

> 小沢無罪は中国や北朝鮮の情報操作である事をはやく気がつけ!

「中国や北朝鮮の情報操作である事をはやく気がつけ」と言うよりは
中国や韓国・北朝鮮の命ずる情報操作を実行しているのがこのサイトへの投稿者。
中国や韓国・北朝鮮の工作員が小学生でも書ける単純な文章しか書けない者まで動員して書かせているのは間違いない。


11. 2011年10月07日 09:59:11: y9rvQQlQVg
Ddog君、

小沢嫌いはいい、わかった。

でも君には政治をまともに語るほどの頭脳も才能もない。

旅行とか、スポーツとか、ゲームとか、セックスとか、仕事とか、他のことに関心を持ちたまえ。

その方が、小人物の君には合ってるし、身のためだ。


12. 2011年10月07日 10:44:21: pphEUA8yso
何ホザク!小沢親派の国賊たちだと?この20年間、小沢一郎が政界の中心にいたからこそ日本は停滞していたのである?アホ抜かせ!失われた20年は自公政権の悪政が原因は周知の事実。政権交代の立役者が小沢氏であるはこれも周知の事実。一般論として、小沢氏無罪を指摘しておきながら、無罪になったら日本壊滅なの?バックに中国、北朝鮮がいる?根拠のない悪質な戯言。言っている事が支離滅裂、ヒッチャカメッチャカ!逆に、小沢氏有罪の場合は米国が操ったって言う事。これは正解じゃな。

13. 2011年10月07日 11:02:17: lEN4OnP2v6
マスコミの嘘・捏造報道をそのまま鵜呑みした内容で書かれてるだけなので反論する気にもならないけど。
早い話があんたは無知というだけ。

14. 2011年10月07日 11:25:42: yWn7Gonfa6
投稿子の言説は古代から続き今も我々に共有されている政治制度や政治家、政治活動への特異な態度をタブーなく正直に発露している。しかし本人は気づかないかもしれないが、対象的になっているだけ似非知識人たちよりずっと日本人の共同意識からは覚めているのだ。
日本人の無意識の共同意識は投稿子の主張する以上にすさまじいものがあるし根は歴史時間的にも深い。近世や明治以降の優れた思想家・知識人達は、例外なくそれに抗するか最終的に親和するかにかかわらず正面から格闘して来たそれほどのものなのだ。
それでも、それら先達の営為のおかげではっきりしてきていることがある。日本人の共同意識は結局は奇形なのではないか、あるいは子供の肢体のままでミイラになってしまったような不全さが本質ではないのか、とそのあたりまでは言えるのではないだろうか。今たまたま小沢氏がそのような共同意識と暗闘を繰り広げているからといって、投稿子のように固有の共同意識に託すような姿勢は、それこそ奇形なニヒリズムとなって未来性はどこからも出てこない様に思う。

15. 2011年10月07日 11:54:21: oXjyYrHR4I
>小沢が不当に政治資金で肥え太っているのは常識を持ち合わせている人間なら誰しも思う自然な疑問

 世界の著名な政治家が、「金を持たずに人を動かせる」とでも考えているのか!
「常識を持つ・・」→普通に常識が有るなら、この「陸山会問題」の裁判自体が如何わしいと考えるはずだ。「4億円について国会で証人喚問・・」云々の記者は、小沢氏が「君は三権分立をどう考えているのか」との問いに、何も応えられなかった。
 会社の命令に従うだけで、何ひとつ事の重大性を考えない記者クラブの愚か者は、即刻、仕事を変えるべきだ。


16. 2011年10月07日 12:21:50: lGQ9x4NIUs
>>15. 2011年10月07日 11:54:21: oXjyYrHR4I
> 世界の著名な政治家が、「金を持たずに人を動かせる」とでも考えているのか!

インドの独立を達成させたマハトマ・ガンジーは金をばらまいて人を動かしたのか?
それとも、マハトマ・ガンジーは世界の著名な政治家ではない、世界の著名な政治家とはヤミ献金で政治を動かす小沢一郎だけだと言いたいのか?

嘘を100回吐いて嘘を真実だと思いこませる朝鮮式政治家の小沢一郎だけが、世界の著名な政治家だ?

> 小沢氏が「君は三権分立をどう考えているのか」との問いに、何も応えられなかった。

国会は証人を喚問し、その証言を求めることができることは、憲法62条に定められている。
小沢一郎は憲法を無視する無法者か、憲法を知らない愚か者。

国会の証人喚問
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%BC%E4%BA%BA%E5%96%9A%E5%95%8F
憲法62条では、「国会の各議院は、議案等の審査及びその他国政に関する調査のため、証人を喚問し、その証言を求めることができる」としている(議院の国政調査権)。これを具体化する立法として「議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律」(「議院証言法」、昭和22年法律第225号)が制定されている。
この証人喚問権は「各議院」の権限とされており、衆参の各議院はそれぞれ独立して行使できる。各議院規則では、委員会にその権限を行使させることとなっている(衆議院規則第53条、参議院規則182条第2項)。


17. 2011年10月07日 16:09:11: 8mTYU8q4tk
>Ddog


三権分立も知らなかったくせしてw
国際政治に無知、国内政治にも疎い手合いが何寝言言ってる?ww

待ってたぜぃww
また一丁、玩んでやるぜよw



18. 2011年10月07日 16:33:38: y9rvQQlQVg
>>16

アホ。

ガンジーがもし日本の政治改革をしようとしたら、

司法官僚どもにかかって、ガンジーだって有罪とされるよ。

いくら乞食のような生活をしていても、何か別の難癖をつけられて、有罪とされる。

わかってないな、お前。


19. 2011年10月07日 19:02:54: sWDtD0HhJI
世の中にはこの投稿者のようなアホもいる。
ある意味多様性はいいことだ。少数のゴミ仲間はいるだろう。

なにDクラスつまり最低レベルのイヌかね。


20. 2011年10月07日 21:35:55: 7XRJFph6NA
Ddog=創価学会だからな。
さもありなん

21. 2011年10月08日 00:55:42: bewqggIZg2
つまんない釣りだ

22. Ddog 2011年10月09日 00:33:09: gb2b4T9TetGkU : aphu12iZ8E
最新版だ

「小沢の無罪を主張」に思う

これが一般人の刑事事件の裁判でであれば、有罪になることはあり得ないだろう。
刑事裁判は合理的な疑いを挟む余地がない程度まで厳格に犯罪事実を立証することが求められている。「疑わしきは被告人の利益」が大原則です。この状況で小沢一郎を有罪にするのは確かに難しい。いや不可能だろう。

小沢を「政治資金規正法違反」で、東京地検が総力を挙げて立件しようとしたが、起訴できなかったのだ。

秘書3人も「共謀」を完全に否定している。
東京地検が裁判で立憲できないから「起訴できない」と断念した案件を、「検察審査会」が、強制起訴を決定したのだから、「小沢が無罪だ」「裁判は暗黒裁判で不当だ」と小沢親派の国賊たちは騒いでいるのも理解できる。

だが、小沢が不当に政治資金で肥え太っているのは常識を持ち合わせている人間なら誰しも思う自然な疑問であって、裁判のテクニックで証拠がないから無罪だと主張しているのはお天道様(世間様)が許さないのである。

国賊たちには「世間様」という日本が古来より有するコモンローの存在を忘れているのだ。中国や朝鮮の情報操作に踊るような小沢を支持するバカには日本人が共有するニューマ(空気=世間様)を感じることができないのだろう。

9月26日、東京地裁が秘書3人を「有罪」とする判決はまさにこのニューマによるものである。この判決の延長線上では「小沢裁判」は有罪である。

秘書3人が有罪となった裁判では、水谷建設からの1億円を認定しているので、十分小沢を有罪にすることは可能だろう。

小沢側からすれば暗黒裁判だと主張するだろう。確かにそういう側面もある。

だが、小沢側が自分の無罪を世間様に納得させることが出来ると思ったら大間違いだ。資金の出所を二転三転させ、潔白だと主張しているのに、国会の証人喚問に応じない態度では世間様が納得できないのである。

今までこういった悪徳政治家の闇に司法の壁が立ちはだかり、鉄槌が下されなかったことが多かったので多くの国民は苛立っていたのである。

判決が認定した「小沢事務所の天の声」や「建設会社からの裏金」といった事実を全く無視することはできない。小沢の地元では小沢に対して次々と反旗が上がっているのだ。

小沢が語る「僕は旧来の仕組みを変えなくてはいけないと思っている。だから、既得権を持っている人には『あいつだけは許せない』という意識が働く。政権交代のスケープゴートにされた」などと言うのは、世間様がもっとも許せない。日本は古来より独裁者を生まないようにニューマ(共同無意識)が働く。邪馬台国の卑弥呼は豪族連合の担ぎ上げた象徴的な統治者で実質的な権力は無く、その統治方法が天皇家へと受け継がれていった?のである。以来日本では独裁者を生み出さないようなニューマ(共同無意識)が働き独裁者を生み出さないような力が働くのだ。

そのニューマ(共同無意識)こそ世間様というものだ。仮に小沢がこの件でまったく起訴されなければ、小沢政治が日本の伝統を破壊し、皇室すら脅かす可能性を日本人は感じた。小沢独裁は日米関係を破壊し、古来日本人が忌み嫌う中華圏への吸収になると日本のエスタブリッシュ層は感じたのである。

小沢独裁は日本を中国の一民族自治区に成り下がる危険性をはらむ。

小沢を独裁者にしたくないといのが世間様の意思だ!世間様とは国民の全てではない、学識があり日本を愛する日本のエスタブリッシュメント層の意思だ。官僚や旧体制既得権者が己の利益の為に恣意的に有罪にしようとしているというのは無知無学な下層民の思い込みである。単なるルサンチマンに過ぎない。

日本を愛する日本人が有する共同無意識というニューマが小沢有罪へ傾いているのだ。

かつて田中角栄は、旧ソ連とのエネルギー外交を進めようとしたことが米国のの逆鱗に触れ、ロッキード事件で逮捕された。私は今でも田中角栄を支持しているが、小沢は師匠と違い人徳も無ければ日本を愛してもいない男だ。潰されるべきだ。

小沢一郎を有罪として、民主党内から除名して小沢グループを離党させ、一刻も早く亡国の民主党政治を終焉させなくてはならない。

小沢が無罪と主張するバカどもの中にはこれは官僚による旧体制の維持だとか正義の味方面して言うが、今の民主党体制ほど官僚による支配に都合がいい体制は無いだろう。官僚にとって小沢無罪の方が都合が言いに決まっている事すら見抜けないのである。

この20年間、小沢一郎が政界の中心にいたからこそ日本は停滞していたのである。
小沢を抹殺して早く日本の政治を機能させなくてはならない。

小沢を支持する人間のバックには中国や北朝鮮がいる。小沢無罪は中国や北朝鮮の情報操作である事をはやく気がつけ!

もし小沢が無罪になったのであれば、中国が高笑いしてしまう。そうなれば、この国はもう終わりだ。


23. Ddog 2011年10月09日 00:41:14: gb2b4T9TetGkU : aphu12iZ8E
>02. 2011年10月07日 04:35:08: FZ5Us6ScQQ
あなた、論理が支離滅裂ですよ。

支離滅裂度では小沢を擁護する論理には負けると思います


24. Ddog 2011年10月09日 01:06:17: gb2b4T9TetGkU : aphu12iZ8E
>03. 2011年10月07日 04:42:34: IOzibbQO0w
証拠が無ければ法治国家では推定無罪が原則だ

その通りだ。だが小沢を裁くのは日本古来からのコモンローだ。

法的には赤穂浪はテロリストであり殺人を犯した。わたしもそう思っているが日本古来からのコモンローでは無罪だ。織田信長は傑出したイノベーターであったがコモンローによって暗殺された。

>>小沢無罪は中国や北朝鮮の情報操作
>きちんと根拠を示さなければ、ただの妄想だろう

私は職業ジャーナリストではないので取材をしたりしているわけではない。
だが、小沢を擁護したり反米を煽る民主党に中国や朝鮮の資金が流れ込んでいる。
妄想といわれれば妄想になってしまうが、そう推定しない小沢支持派の目の節穴度合いよりはましだと思っている。

中国は世界中で工作活動を行っている。日本で活動していないわけがない。小沢の発言の変節をたどれば容易に想像がつく。小沢が日米離反のような政策や発言をするようになった。

覇権を目指す中国の最大の障害は日米同盟である。日米離反工作は米国においてはマイクホンダによる慰安婦問題などが有名だ。中国は世界中で工作活動を行っている。日本で活動していないわけがない。

小沢が保守から簡単に左翼にぶれた裏には旧社会党系を取り込む為ではあったが資金提供があったとわたしは睨んでいる。


証拠はないが状況証拠で十分だ!


25. Ddog 2011年10月09日 01:30:01: gb2b4T9TetGkU : aphu12iZ8E
>04. 2011年10月07日 05:19:44: WE2lTW3E4B

まあ、阿修羅ばかり読んでいるからアホになる。
そしてニューマを感じられない・・・

あの不遜な無罪会見を視て怒りを感じないのかね?

昔の記事だが読んでおけ。

【Ddogのプログレッシブな日々】
小沢一郎不起訴に思う 2010/2/4(木) 午後 11:18
http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/31215136.html

不起訴処分、公平・公正な検察当局の結果と受け止め=小沢氏
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-13724220100204
「公平・公正な検察当局の結果」?断固戦うといっていた御仁の言葉とは思えない。何か取引があったと思うのは私だけではないと思う。

日本は、小沢問題に心血を注いでいる場合ではないのに、小沢報道に明け暮れている。

この問題で私が異様と思うことがある、阿修羅掲示板の政治板は、週刊朝日や日刊ゲンダイのごとく、小沢擁護のジャーナリズムに煽動された小市民達が、権力者小沢一郎を擁護し、東京地検が権力を濫用していると、反東京地検の投稿に満ち満ちている現象だ。その狂気にあきれはてた私が投稿すると、毛沢東を崇拝する文革中の紅衛兵の如き”小沢衛兵”達が喰い付いてくる。

彼らの主張は、「悪の東京地検が、正義の味方小沢一郎を無実の罪に陥れている」、「大手マスコミは反小沢報道をしている、報道統制だ!」「我らが革命を守れ」と、まああきれ返るレスが投稿される。
そういった小市民達は、ブッシュ大統領時代、反米反ブッシュで自慰行為していた奴らだ。オバマになって、怒りの矛先を自民党政権に向けたのもつかの間、今度は民主党が政権を奪取してしまった。彼らのルサンチマンを吐き出す先として白羽の矢が立ったのが、東京地検であった。反地検=親小沢となり、反東京地検をおかずにしているだけの解りやすい図式だ。

しかし、1990年の湾岸危機で自衛隊の派遣反対を唱え、その後のカンボジアPKO反対を唱えていたような連中が当時の自民党幹事長であった小沢をこんどは擁護するとは時代も変わったものだ。

わたしは日本の不幸は政治の貧困にありと考え、昨年の衆議院選挙前までは二大政党制を実現する為に小沢を支持してき。だが今権力を手にし、反日路線を突き進む小沢を支持する気にはなれない。今の小沢擁護者とは完全に一線を引きたい。

今の小沢擁護者の多くは論理的には小泉改革支持者とダブル人がいるはずだ。中には違う方もいるだろうが、ジャーナリズム・メデイアに流される浮動票の多くは小泉支持から小沢支持へ流れたことは否定できない。

デモクラシー国家におけるジャーナリズムの役目は、天下の木鐸などという生易しいしいものではなく、天下の護民官でなけれぱならない。権力の作動を市民の名において拒否する力をジャーナリズムが失ったら最後、デモクラシーの息の根が止まる。ところが「権力の監視」しているはずの日本のジャーナリズムの一部が、最高実質権力者の擁護に狂奔しているのは私にとって異様にしか見えない。

日本は、世界各国のインテリジェンス機関による工作に対して脆弱である。小沢擁護に狂奔する一部ジャーナリズムは小沢の親中国的政策を後押ししたい工作機関であることを自ら暴露するようなものである。

小沢「不起訴」は捜査未了の1つの過程であって、これで捜査の「終わり」、を意味するものではなく、“小沢一郎の潔白”の証明ではない。

「不実記載」について不起訴でも、今回の捜査過程で巨額の脱税に関わるものとみられる数多の事実が、リークされ白日の下に曝されることとなった。けして終わろうはずがない。

西松建設の疑惑裁判と配下の秘書元秘書が起訴された事実は動かし難いことであり、小沢一郎との関連性を立件するのが、配下の起訴で、小沢氏一郎の議員は窮地にたったといえよう。

小沢氏の秘書ら最も重要な役割を担ってきた3人が逮捕されたということ自体、政治的な倫理観、小沢幹事長の監督責任と、説明の責任という3点が政治論として問われると思う。

不起訴であっても、国会では説明責任や道義的責任、監督責任について説明しなくてはならない。

予算委員会でも特別委員会でも開き、自民党は、引き続き参考人招致を求めていくと思う。

総理と与党の実力ある幹事長が、ともに政治とお金、税の問題で国民から疑念を同時期に持たれるということは恥ずかしいと思わないと、日本の倫理観がおかしくなっているのではないかと思う。

それにしても、東京地検特捜部が1月31日、小沢氏から2度目の事情聴をした直後の唐突な幕引きである。当然誰しも、小沢と地検との間で何かしらの裏取引があったと想像するのは至極容易である。

保守本流の思想に近い私からすれば、外国人参政権問題や対中国、対米外交の転換、普天間問題の進展等ではないかと希望するが、興味深い記事がある。

キャンベル氏が小沢氏に直談判
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100202/plc1002022222019-n1.htm
米国防総省の「4年ごとの国防計画見直し」(QDR)発表に合わせるように、日米両政府は2日、外務・防衛当局の局長級による日米安全保障高級事務レベル協議(SSC)を開き、同盟深化協議を本格化させた。キャンベル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)は民主党の小沢一郎幹事長と直談判し、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)移設問題で生じた亀裂を修復する筋道を探った。だが、鳩山政権は安保政策でなお迷走を続け、事態打開の糸口は見えない。

 「私どもは二国間の同盟をさらに強化するための再確認をしている。これはアジアにおける米国の政策の核心となるものだ」

 キャンベル氏はSSC終了後の2日午後、国会内の民主党幹事長室で小沢氏に訴えた。米政府高官が国会に出向くのは異例だが、オバマ政権きっての知日派として、鳩山政権の最高実力者である小沢氏のメンツを立てようと考えたようだ。

 会談は1時間に及んだが、冒頭発言以外は一切非公開。事後説明も小沢氏の意向で中止になった。小沢氏はキャンベル氏を衆院玄関まで丁重に見送り、キャンベル氏は記者団に「ナイス・トークス(いい会談だった)」とほほ笑んだ。

 会談で普天間問題が話題に上ったことは間違いない。米側は閣僚の発言不一致に不快感をあらわにし、小沢氏だけが事態を打開できると踏んでいる。キャンベル氏の“表敬訪問”には小沢氏の腹を探る狙いがあるようだ。

 QDRは普天間飛行場のキャンプ・シュワブ沿岸部(同県名護市辺野古)移設を含めた日米合意の「履行」を明記し、日本政府に現行案の着実な実施を求めた。キャンベル氏はSSCで日本側にこうした米政府の立場を伝え、記者団に「現行計画がベストであることは明確に伝えた。緊密に作業を進め、前進させたい」と強調した。

 だが、鳩山由紀夫首相は移設先の検討を政府・与党の沖縄基地問題検討委員会に任せきり。その検討委も与党3党の足並みがそろわず迷走している。

 2日夕の検討委では、社民党が移設先として主張するグアムに政府・与党視察団を今月中旬に派遣することで合意したが、米側は視察団受け入れに難色を示しており、1月中に予定していた各党の移設先案提示は2月下旬以降にずれ込むことが確実になった。

 岡田克也外相が普天間飛行場の継続使用の可能性に言及し、社民党が反発したことも協議にブレーキをかけた。首相は2日夜、社民党の反発を受け「普天間飛行場の移設が発端だから、(同飛行場に)戻ったのでは答えにならない。外相も理解している」と記者団に語ったが、外相は2日夜の記者会見でも「最悪の場合は今のままということになりかねない」と重ねて述べ、火種はなおくすぶる。

 移設問題に限らず、安全保障に関する政権内の認識はバラバラだ。防衛省幹部はこうため息をついた。

 「QDRを踏まえ、日本が取るべき戦略を練ることができる政治家は今の政権には皆無だ…」

小沢幹事長が訪米検討 キャンベル次官補の要請で
http://www.47news.jp/CN/201002/CN2010020501000159.html
 【ワシントン共同】日本を訪れていたキャンベル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)は4日、東京で民主党の小沢一郎幹事長と会談した際、4月下旬からの大型連休中を念頭に民主党議員団のワシントン訪問を希望したことを明らかにした。この要請を受け、小沢氏は米国訪問の検討に入った。国会日程に配慮しながら調整を進める方針。

 キャンベル氏が米国への帰国にあたりワシントン郊外の空港で記者団に語った。2日に小沢氏と会談したキャンベル氏は、これまで自民党議員団が大型連休に訪米して米側当局者と意見交換することが恒例だったと指摘。「何年もワシントンを訪れていない影響力のある民主党議員は多い」と述べ、民主党とのパイプづくりに意欲をのぞかせた。

 小沢氏については「彼の予定が(渡米を)許せば、われわれは敬意を持って迎える」と歓迎する意向を示した。

 会談では、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題でも意見交換したが、詳細な議論はしなかったと説明。小沢氏は、自身は日本政府の政策決定に関与していないと強調していたという。

東京地検の影には米国のインテリジェンス工作の影が見え隠れする。

宗主国様のエージェントである地検と小沢の間で、不起訴と引き換えに某(なにがし)かの取引をしたことが考えられる。地検で脅した翌々日に帝国勅使のキャンベル次官補との会談である。

直近に逮捕されるかも知れない人間に直談判に行くだろうか?不起訴だと知っていたのじゃないだろうか!

米国は、小沢の不起訴と引き換えに、普天間問題と対中国外交見直し、対米関係の是正、米国債の引き続きの引き受け等々が取引材料となったであろう。小沢は不起訴のお礼として米国へ参内し、今度は米国へ擦り寄り、某(なにがし)かお約束して帰ってくる可能性は高い。

小沢は非常に冷徹なリアリストであるが、米国の力を甘く見すぎて、己の権力が窮地に立たされてしまった。地検では、次の切り札「所得税法違反」をちらつかされたに違いない。

自分自身が逮捕起訴され、参議院選挙で敗退を避ける為には今後、外国人参政権問題や、普天間問題等々小沢が路線を変えてくる可能性が考えられる。小沢の路線変更=民主党の路線変更である。

もし、小沢一郎が路線を転向したり、民主党を離脱した場合、あっけなく民主党は瓦解してしまう可能性をひめている。小沢は次どう動いてくるか?そのことで地検との取引内容があったのかなかったのか?あったとしたらその取引の内容は?以上の事が読めてくるかもしれません。

今回の反東京地検のムーブメントは、米国の動きを察した中国公安が動き、その影響下の売国奴のジャーナリズムに反地検を煽らせた結果だ。

売国奴のジャーナリズムに煽られ小沢を擁護した連中は、権力の亡者小沢を擁護することが、反権力=正義であると摩り替えられているのも気がつかず、小沢を擁護していた。アホとしか言いようがない。

小沢一郎はよくも悪くも、日米中のトライアングルのそれぞれの距離を決める重要なキーマンであることにはかわりはしない。

私は小沢をリアリストであるがゆえにずっと支持していたが、再び権力を握った小沢は、リアリストゆえに中国へ擦り寄る姿は愛国者としてとても許せるものではない。

今はかつての二大政党制の理想を掲げる小沢ではなくなった。醜い権力を振り回す怪獣へと変わり果てていたのである・・・・残念である。

それが読めない今の小沢擁護者は・・・・まったく救いようが無い


26. Ddog 2011年10月09日 01:43:11: gb2b4T9TetGkU : aphu12iZ8E
To 05. 2011年10月07日 06:04:54: BEo1BhvPYw

マスコミ由来の記事だと!これでも読んでおけ!

小沢一郎問題で思う:儒教的倫理観が日本のデモクラシーの成熟を妨げている。 (阿修羅投稿版)
http://www.asyura2.com/10/senkyo78/msg/457.html 。

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私は、政治家なんぞは禽獣のごとき存在で、悪魔か怪獣であり、政治家に聖人君主のような倫理を求めることは無知蒙昧な民のすることだと思っています。そして今件は、日本の政治を舞台に中国インテリジェンスVs米国インテリジェンスの代理戦争で、世論をどう操作し合うか知恵を絞る戦いだと感じています。

まず私の立場を明らかにしておきます。小沢一郎が自民党離党後、日本に二大政党制を作るという小沢の理想、国会の定数削減などについて共感し、私は支持し、小沢の党へ投票し続けてきました。

昨年の衆議院選挙には熟考したうえで民主党に投票をしませんでした。権力奪取後の小沢一郎の中国や半島国への媚び諂う態度については、とても支持できるものではなく、日米同盟を危機な状況にしてしまった事に対して、私は国益を損じる行為と考えています。故に、今回石川議員の逮捕され世論に迎合して小沢不支持に回ったのではありません。

マスコミや世論は、近代デモクラシーの論理(=政治家は禽獣と同じ)と、儒教的論理(=政治家は聖人君主)とを、混同しているし、その区別がつかない。

近代デモクラシーの論理が中国や半島日本のような儒教圏で定着できない理由は、儒教的倫理観を政治家や中国であれば共産党員に求めてしまうからであろう。

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子日、苟正其身矣、於從政乎、何有、不能正其身、如正人何(論語:子路第十三〜十三)

子日わく、苟(いやし)くも其の身を正しくせば、政に従うに於いてか何か有らん。其の身を正しくすること能(あた)わざれば、人を正しくすることを如何(いかん)せん。

わが身を正しく律することができるならば、国の政治を行うことなど、わけなくできるさ。わが身を正せないような者には、他人の教化などできっこないやね。
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以上論語の一節ではあるが、また孟子の一節に「人の禽獣と異なるゆえんのものは、人倫(道徳)あるにあり」とある。

「人と禽獣の異なるところは恥を知ることにある」とはまさに典型的な儒教的発想である。

しかし、このようには、絶対に考えないのが近代デモクラシーなのである。人間は本来エゴイスティックな生き物であるという西欧的考え方こそこれがデモクラシーの基本考え方出発点である。

君主論の中でマキャベリは、

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政治思想は徹底したリアリズムと目的合埋主義の立場に立ち,政治学を神学や倫理学から解放し,政治学の自立化と世俗化をはかった。アリストテレスに典型的に見られるように,それまでの政治学は,倫理的な徳についての考察や「如何にして善く生きるか」という問題,あるいは「理想的な政体はどのようなものか」といった問題の考察と不可分だったが,マキャヴェリは、『君主論』において、政治的な判断や行為を宗教や道徳の世界から切断し,現実主義的態度を表明した。「人間というものは恩知らずで、移り気で、陰険で、危険にあうと逃げ出し、そのくせ転んでもただは起きない。利益を与えれぱ味方するが、いざ犠牲を捧げる段になると、たちまち尻をまくって逃出すものだ」と言った。
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また近代政治学の基礎を築いたがホツプスは、

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人間は自分が望むことをすることができる自然の権利を有しており、その原初的な欲求は「自己保存」であり、その目的を達成するための必要なすべての手段をこうじることができると考えました。

しかし、その自己保存の手段を個々人が自己中心的に行うと、それは、必然的に他者の権利を侵害することとなり、自己の権利獲得のための戦争と略奪の混乱が生じてしまう。人間は根元的には凶暴な動物である、とホップスは指摘します。

この混乱と破滅を裂けるために、互いに契約をして、ある程度、自分の自然的権利を放棄し、その契約を確実にするために、ひとりの支配者あるいは属している集団に権利を委譲する必要がある。

こうして社会が形成され、国家が形成され、個人の自己保存が図られるのだから、人は、権利を委譲した支配者に従わなければならない、と主張したのです。

そして、たとえ支配者が不正を行い、最悪の者であっても、支配者に権力が与えられる前の身勝手な戦争や略奪の状態に比べれば、それほど悪くはないと言います。

従って、彼にとっては、絶対王政は最善の政治形態でした。彼は唯物主義者でしたが、国王は地上における神の代理人であり、神は王を通してその意志を表明するのであり、国王の宗教が国民の宗教でなければならないし、宗教的自由の寛容は認められない、と語ります。

これは、国王のプロテスタントへの改宗によって生まれたイギリス国教会(聖公会)の姿勢ともなりましたが、絶対主義的な国家統一の観点の代表とも言えるように思われます。

ホップスは、人間の自然の権利としての生存権を認めましたが、その人間観が根本的に「性悪説」でしたので、何らかの強制的な制圧が必要だと考えたのです。
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ホップスが『人間は人間に対して狼である』といい、人間は本来エゴイスティツクなものだから、権力者を監視しなくてはならない。そこにデモクラシーの出発点があるのだ。

政治家とは、「無制限の悪と暴力とを行なうことが正しいとされる」動物なのである。少なくとも、かくのごとき強い求心力を内包している。このこと自体は、古今東西をっうじて変わらない。ただ、デモクラシーの特徴は、このことを明確に認識し、このことを前提としてすべての制度が組み立てられていることである。

政治家とは、もともと悪と暴力が正しいとされる動物である。小沢一郎も、この権力を得る為に自民党を飛び出し、権力を得るために一種の求道者に化けた。権力を獲得するためなら、政治家は、どんなことでもする。しかもそれが正当化され、当人も信念をもってこれを断行する。私はこの権力を得るために求道者であった小沢を支持した。しかし、権力を得た小沢は怪物へと躊躇無く変身した。いや本性を現したといえよう。

前近代社会においては、王(将軍)の大権は存在したが、例えば寺社領地や堺など自治領や大名など特権が存在し、絶対権力を握る事はできなかった。江戸幕府も絶対王政に近かったものの、薩摩などの大大名領は特権へは大権が及ばなかった。ところが近代国家はデモクラシー絶対主義国家である。デモクラシーにおいては、全員が平等であるので、権力者は、権力を妨げる特権は存在しなくなってしまった。

権力者という怪物を監視するために、まず考え出されたのが、モンテスキューいらいの三権分立の思想である。分断して統治する、この恐ろしい「近代権力」をまず三分する。そしてお互いに牽制させる。

誰でも気づくところであるが、権力は恐ろしい怪獣だから、これを引き裂いてしまわないことには何をしでかすか分かったものではない。どんな代償を支払っても、三権は分立させなけれぱならない。

そして三権は、チェックス・アンド・バランシズのメカニズムでお互いに牽制しあうだけでなく、そのそれぞれを市民が監視する。

ところが日本においては、議会は市民が選挙するが行政に関しては、地方の首長は選挙できるが、国家の行政府は市民のチェックが及ばない。そこで大切なのがジャーナリズムによる監視である。

デモクラシー国家におけるジャーナリズムの役目は、天下の木鐸などという生易しいしいものではなく、天下の護民官でなけれぱならない。権力の作動を市民の名において拒否する力をジャーナリズムが失ったら最後、デモクラシーの息の根が止まる。

ところが「権力の監視」しているはずの日本のジャーナリズムが、デモクラシーを理解しておらず政治家に儒教的倫理観を求めてしまう。それが故に、日本の政治が逆に機能しなくなってしまっているのも事実だ。バブル崩壊以降、日本は国家権力と国民が総力を挙げて国家を再建すべき時に、政治の些細な贈収賄をめぐり空転し、前政権にいたっては漢字の読み書きまで問題にして国家の大局を歪めさせてきた。

また、今回の問題は検察=米インテリジェンスVs民主党=中国インテリジェンスの構図で見るべきだと思う。

第二次世界大戦敗戦後、大手マスコミはGHQの検閲下の構造より脱却しておらず、依然米国の言論統制下にある。また、ネットジャーナリズムにおける小市民達の反応は、まちまちというか混乱しているようにも見える。反小沢的意見・親小沢的意見ともに米中のインテリジェンス活動の影が見える。

大きく大別すると反小沢=嫌中派、親小沢=反米派の傾向にあり、石原都知事のように反中反米路線のブロガーにとっては立ち位置が難しい。私もようやく反小沢側に立ち位置を置く決意をした。

だが、誤解しないで欲しい、たかだか4億円程度の金(小生にとっては1万円は大金である)で国家の体系を揺るがす騒ぎは喜劇でありどうでもいいことだ。日本の立ち位置を太平洋寄りとするか、東シナ海寄りに置くかが重要なのだ。私は、あくまでも東シナ海寄り(親中路線)に反対である。ゆえに小沢を応援することを止めたのである。

また、たかが4億円だろうと、個人資金でコツコツ積み立てたとの小沢氏の金銭感覚には違和感を感じる。小沢氏は実業家出身ではないのだから、個人資金が潤沢に積み立てられること自体異常だという感覚が無いらしい。仮に3億円が相続した資金であったとしても、そんな金は1.2回の選挙で消えてなくなるものである。秘書の給料や事務所経費を払って蓄財できた事自体不自然だと思っていないのであろうか?

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【Ddogのプログレッシブな日々】
http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/31015873.html


27. Ddog 2011年10月09日 01:45:33: gb2b4T9TetGkU : aphu12iZ8E
@『日本の悲劇:副題怨念の政治家小沢一郎論 中西輝政 著(PHP)』を読む その1

私(Ddog)は、二大政党政治の実現を目指すとしていた小沢を、認識の甘さから前回の衆議院選挙(みんなの党へ投票)の前までは支持していた。私は日本の政界を再編することは間違いではないと信じていたが、小沢の怨念と彼の血に流れるDNAを正しく読み取っていなかったことを本書を読み改めて認識した。小沢に対する自分の見識のなさに恥じ入ってしまった。そもそもリクルート事件以来「政治腐敗の一掃」を目指した、平成日本が行ってきた政治改革と呼ばれるそのものが民主党政権という壮大な失敗作を作り出した。このことは「日本の悲劇」として収斂(しゅうれん)することになってしまいそうだ。

悲劇的な今日の日本が救われるとすれば、参議院選挙後に政界再編が起き信頼できる保守政党が結成される事を期待するしかない。鳩山が辞任して安堵してはいけない。参議院選挙で破滅的な民主党および自民党内のリベラル派と呼ばれる政治家の惨敗こそ、次の希望へ繋がる細い蜘蛛の糸に思えてならない。

これは「対中追随」へ国策を転換する革命だp22〜28
あゝ、やっぱりこういうことだったのか。
2009年12月、民主党の小沢一郎幹事長に率いられた総勢600人以上(うち国会議貝は約140名)の訪中団が、大挙して北京を訪れた。日本のTVニュースでは連日、中国の胡錦濤国家主席とのツーショット写真の撮影に列をなして順番待ちし、一瞬のショットに収まる民主党国会議員たちの姿を映し出していた。

一方、そのころ東京では、沖縄の米軍・普天問基地の移設問題の紛糾が連日ニュースで伝えられ、11月の日米首脳会談で合意を見たとされる「年内に結論を出す」という期限が迫っているのに、鳩山政権はなぜこれほど先延ばしを繰り返すのか、といぶかる声が日米双方から、しきりに発せられていた。

そこへ次のような報道が日本に伝わってきた。一足先に韓国経由で帰国した小沢氏と別れ、訪中団の団長を務めていた山岡賢次国会対策委員長は、上海市で開かれたシンポジウムに出席して次のように語ったという。

「日米関係が基地問題で若干ぎくしゃくしているのは事実だ。そのためにもまず、日中関係を強固にし、正三角形が築けるよう米国の問題を解決していくのが現実的プロセスだと思っている」 山岡氏はこう語ったあと、さらに続けて、「(12月10日の)小沢幹事長と胡主席との会談でも確認されたが、日中米は正三角形の関係であるべきだ。それがそれぞれの国と世界の安定につながる」と強調したという(『産経新聞」2009年12月15日付、『日本経済新聞』12月14日および15日付)。また、民主党訪中団の名誉副団長を務めた輿石東参議院議員も、訪中前の12月3日、記者会見で「日米中は等距離の三角形の関係にある」と語っていたと報じられた(上掲『産経新聞』)。

やっぱり、これは「普通の政権交代」ではなかったのだ。少なくとも、12月の民主党の大訪中団の本質は、「正三角形への旅立ち」を中国と世界、とりわけアメリカに対してデモンストレーションする、という点にあったのである。

ワシントンにとって山岡氏の言葉は、普遍的な外交の常識からいって、衝撃的ですらあったろう。というのも、それは「日米関係がぎくしゃくしているいまこそ、日中関係を強固にして日中米の正三角形を実現する現実的チャンスだ」といっているわけで、これは日本にとってたんなる政策の転換ではなく、国策の転換を意味するからである。

とすれば、日本の民意はこれを了としているのか。少なくとも二〇〇九年八月の総選挙ではいっさい問われていない。しかし、そのことは中国の国家主席と日本の「最高実力者」のあいだですでに合意がなされていることも山岡氏は明らかにしており、おまけに山岡氏と並んで民主党内でも小沢幹事長の最側近として脇を固めている輿石氏までが、いまや日本の国家戦略の基本は「正三角形戦略」に置かれていることを口にしているわけである。

やはり、これは「普通の政権交代」ではなく、民主党関係者がこの三カ月ずっと口にしてきた「無血革命」だった、と見るほかないだろう。「革命」ならば、民意を問う必要はいっさいなく、「子ども手当マニフェスト」を掲げて奪取した権力に依拠して、一気呵成に進めても「革命的正統性」はあるのかもしれない。

ただ、それでは民主的正統性はどうなのか。大いに疑問といわざるをえない。
考えてみると、この間の米軍基地問題をめぐる鳩山由紀夫菅相の変幻自在の変わり身、それはもう「ブレまくり」とか「朝令暮改」の域を越える、およそ人間業とも思えない、あたかも天女の舞を思わせるほど優雅な揺らぎの手練を見せていた。2009年11月13日のオバマ大統領との首脳会談で「私を信じて(トラスト・ミー)」と迫った、まさにその翌日、「向こうがそう思いたいだけ」と言い放つ。両首脳間に何ら一致した合意はないのだ、と鳩山氏は今度はタチ役風に「ちゃぶ台をひっくり返した」と称される猛々しい所作にも出たのであった。

すべては、たんなる「宇宙人」の世迷い言ではなかったのである。たしかにこれは何かある、とは感じていたが、ここまでのことがあるとは私でさえ思っていなかった。これは、やはり「隠密の革命」を包み込んだ政権交代だったというしかあるまい。
2010年1月号の『Voice』で鳩山外交を論じた、「一人芝居の鳩山『反米』政権」というタイトルを付けていたが、それはけつして「一人芝居」ではなかったのである。先の山岡発言や、小沢訪中団が帰国した2009年12月15日に鳩山内閣がついに断固たる姿勢で決断を下した「普天問移設問題は際限なく先延ばす」との決定からも、あれは「一人芝居」ではなく、北京との「二人芝居」だった、と推測せざるをえない。少なくともワシントンは問違いなく、そう断定することであろう。

あの8月30日、有権者ははたしてここまでのことを念頭に投票したのであろうか。
「日本外交の自立」は多くの日本人の心の琴線に触れるこの国の大目標であり、多くの人びとの願ってやまないところである。私自身もつねづね、21世紀の世界における日本の国家戦略は、「自立」をおいてほかにはないことを力説してきた。
しかし、「正三角形」戦略はけっして日本の自立にはつながらないことを、われわれは銘記すべきなのである。この戦略が、「対米追随」を「対中追随」に置き換えるにすぎないことは火を見るよりも明らかである。

日本の自立には、まず何よりも日本自体の力を付けることが第一であり、それには何年もの時間と国内体制の変革が伴わなければならない。たとえば、「憲法九条」を改正して正規の軍隊をもてるようにしなければ、そもそも国家としての自立の第一歩は到底踏み出せまい。当然、それには少なく見ても数年から十年の時問とともに、大幅な政治の活性化が不可欠であろう。また、そのあいだにできうることとして、戦略情報能力(インテリジェンス)の涵養(かんよう)や技術力の確保と向上に専心すること、さらには財政構造の転換や国民世論の喚起なども避けては通れない。
こうした「自立のためのロード・マップ」をもたない自立論ほど危ういものはないのである。

しかるに、憲法改正はおろか、「集団的自衛権」の行使にさえ完全に背を向けたまま、「これまでアメリカに依存しすぎていたが、これからはアジア(つまり中国)との連帯を進める」という鳩山=小沢政権の路線は、おそらくもっとも危うい、自立路線。といわなければならない。
(略)
繰り返すが、それはまさに「対米従属」を「対中従属」に置き換えるだけのものであり、それがいかに危うい結果につながるか、歴史の偶然が絶妙のタイミングでわれわれの目の前に示してくれたばかりではないのか。


28. Ddog 2011年10月09日 01:47:57: gb2b4T9TetGkU : aphu12iZ8E
A『日本の悲劇:副題怨念の政治家小沢一郎論 中西輝政 著(PHP)』を読む  その2http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/32381138.html


小沢一郎は、バブルのピークから崩壊、と同時に冷戦の終結という歴史的節目の時に政権与党である自民党幹事長(1989年8月〜1991年4月)を勤めていた。1990年8月湾岸戦争が勃発し、自衛隊を派遣することを模索した。反対する外務省や、ハト派の海部首相の慎重論を抑え、法案を提出(法案は野党の反対で廃案となり、後に国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律が成立)

私(Ddog)は、この時の小沢を評価し、知識人の多くもおそらくそうであったに違いない。

しかし、ご存知の通り小沢は経世会の跡目相続で、小渕恵三に破れ反主流派となってしまったのである。もし、あの時小沢が反主流派とならなければ、小沢は左翼と融合することもなく、民主党政権は成立しなかったであろう。小沢も悪魔に心を売らなかったかもしれない。

そして、小沢が政治改革ではなく、憲法改正へ向け動き出していたならば、今の日本は、ここまで衰退していなかったであろう。
20数年におよぶ、政治改革は、混乱に次ぐ混乱でまったくの徒労としか言いようが無い。冷戦が終結し、湾岸戦争という新たな現実を直視し、馬鹿な大衆を相手にせずひたすら国家百年の計を考えたのであれば、自民党幹事長小沢一郎は憲法改正へ動き出すべきであった。
国家の根幹は安全保障であり、経済や政治改革は後からついてくるものである。
p46〜50
そしてここでもやはり、小沢一郎というマキャヴェリストの登場が非常に大きな意味をもっている。小沢氏が代表になるまでの民主党は、いわば汚れを知らない「うぶな民主党」だった。菅直人、岡田克也、鳩山由紀夫、前原誠司の四氏が代表の時代は、いずれも政権奪取能力はなかったかもしれないが、「消費税を上げる」という公約は外さなかった。つまり、本来の政権担当能力は辛うじてあったのである。

「政権しがみつき」の自民党ですら、麻生政権の最後の最後まで「消費税アップの可能性」を言い続けた。「消費税」という言葉は、本当に日本の衰退を食い止めようとしているのか、あるいは自分の権力志向だけで政治を動かそうとしているのか、の最大の「リトマス試験紙」であった。

ところが小沢氏が2003年に民主党入りし、2006年に代表になった途端、民主党はこの言葉を完全に引っ込めた。この瞬問、民主党は大義を失い、未来を託するに足る政党でもなくなった。政権は見事に奪い取ったが、しかし、ただの権力集団に成り下がったのである。そしてもはや、四年後に民主党が正気を取り戻したところで、すでに手遅れの可能性は高い。

「このままいくと、日本はアルゼンチンのような破綻国になる」という言葉が、徐々に迫真性を帯びるようになってきた。忘れてはいけないのは、アルゼンチンがかつて南米随一の経済先進国であり、イタリアやスペインよりもずっと高度な生活水準を誇っていたことである。第二次世界大戦後、ペロン政権がポピュリズムの権化となって左派リベラルの路線をアピールし、徹底したバラまきの福祉政策を展開したために財政の大崩壊を招く。

以後、アルゼンチンが辿った道は、数十年にわたる国家デフォルトと軍事独裁の繰り返し、という大混乱のなかでの果てしない衰退であった。
衰退の第一段階では、皆が「改革だ」と騒ぐ。しかしその第二段階に入ると、改革熱も徐々に萎えて、やがて「衰退」という言葉も聞かれなくなる。すべてにおいて、あちらを立てればこちらが立たずというトレードオフが現れ、すべてがお手上げになる状況が始まる。誰もが「これではいけない」と思っているその眼前で、止めどない崩壊が続いていく。いま「日本のアルゼンチン化」が始まろうとしているのか。

「国としての精神」の基盤の違い

「国家の衰退」について、1970年代、私がこの目で見て学んだのはイギリスの衰退と、そこからの回復であった。「老大国」「イギリス病」などといわれ、「衰退の極致」にあるかのようにいわれた70年代のイギリスは、いま考えると、じつに立派な衰退だった。何より、政治がしっかりしていたからである。いわば「素晴らしい衰退」であつた。よくぞ、あれほどの状況のなかから立ち直ったものだと思う。ひとえに「政治大国」の底力があったからだ。

2008年のリーマン・ショック以降のイギリス経済は、たしかに苦境にある。しか
し、強固な社会的基盤を築いたいま、再び70年代の衰退に落ちることはあるまい。イギリスが完全に衰退を脱した理由を考えると、やはりその主因は「政治の強さレに求められる。そして緕局それは、「国としての精神」の基盤の違いなのかもしれない。

フォークランド戦争(1982年)のとき、イギリス軍兵士は何百人と戦死した。あるとき英海軍の駆逐艦が撃沈され、一度に数十人の戦死者を出したこともあった。このとき全同民は悲しみに暮れ、喪に服した。しかし、ここでサッチャ〕首相は「わが領土を守るため、イギリスは戦い抜く、女王万歳!」と叫び、国民の先頭に立って戦いつづける決意を示した。これでイギリス人はウィンストン・チャーチルの時代を思い出し、大きな苦難が予想されたあの大改革へと向かう。これこそ政治の主導によって、国家としての生命力を復活させたということである。

象徴的なのは、止めどない衰退を続けた1970年代には保守党と労働党の二大政党のあいだで短期間に頻繁な政権交代を繰り返していたが、サッチャー以後はそのようなことがなくなったことである。そして、18年続いた保守党政権ののち、97年、労働党が政権を奪取しても、もはや大きな枠組みの変更には走らず、現在まで安定した政治を実践している。

つまり、二大政党制での頻繁な政権交代は、国家を衰退に導く早道でしかないのである。そして、日本では二大政党制は必ず頻繁な政権交代につながる。「抜け駆け」を狙うマキャヴェリストに操られ、権力奪取またはその維持しか念頭にない政党が、必ず「禁じ手」を使うからである。日本の政治的民度にふさわしい「改革」とは何か、を考える必要があったのである。ここに日本の識者はもっと早く気付くべきであったろう。

国家がつねに一定の生命力をもち、安定的な成長と再生産を実現して、次の世代に高い水準の生活と国家の安全、守るべき価値観を受け継がせる。政権交代や政界再編は、まず何よりも、そのような価値観から考えなければならない。そうした視点を戦後の日本人は失ってしまった。国家観を喪ったからである。ここにこそ、日本の混迷の本当の理由があるのである。
その1
その2
その3


29. Ddog 2011年10月09日 01:51:56: gb2b4T9TetGkU : aphu12iZ8E
B『日本の悲劇:副題怨念の政治家小沢一郎論 中西輝政 著(PHP)』を読む その3http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/32385197.html

小沢一郎は、バブルのピークから崩壊、と同時に冷戦の終結という歴史的節目の時に政権与党である自民党幹事長(1989年8月〜1991年4月)を勤めていた。1990年8月湾岸戦争が勃発し、自衛隊を派遣することを模索した。反対する外務省や、ハト派の海部首相の慎重論を抑え、法案を提出(法案は野党の反対で廃案となり、後に国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律が成立)

私(Ddog)は、この時の小沢を評価し、知識人の多くもおそらくそうであったに違いない。

しかし、ご存知の通り小沢は経世会の跡目相続で、小渕恵三に破れ反主流派となってしまったのである。もし、あの時小沢が反主流派とならなければ、小沢は左翼と融合することもなく、民主党政権は成立しなかったであろう。小沢も悪魔に心を売らなかったかもしれない。

そして、小沢が政治改革ではなく、憲法改正へ向け動き出していたならば、今の日本は、ここまで衰退していなかったであろう。
20数年におよぶ、政治改革は、混乱に次ぐ混乱でまったくの徒労としか言いようが無い。冷戦が終結し、湾岸戦争という新たな現実を直視し、馬鹿な大衆を相手にせずひたすら国家百年の計を考えたのであれば、自民党幹事長小沢一郎は憲法改正へ動き出すべきであった。
国家の根幹は安全保障であり、経済や政治改革は後からついてくるものである。
p46〜50
そしてここでもやはり、小沢一郎というマキャヴェリストの登場が非常に大きな意味をもっている。小沢氏が代表になるまでの民主党は、いわば汚れを知らない「うぶな民主党」だった。菅直人、岡田克也、鳩山由紀夫、前原誠司の四氏が代表の時代は、いずれも政権奪取能力はなかったかもしれないが、「消費税を上げる」という公約は外さなかった。つまり、本来の政権担当能力は辛うじてあったのである。

「政権しがみつき」の自民党ですら、麻生政権の最後の最後まで「消費税アップの可能性」を言い続けた。「消費税」という言葉は、本当に日本の衰退を食い止めようとしているのか、あるいは自分の権力志向だけで政治を動かそうとしているのか、の最大の「リトマス試験紙」であった。

ところが小沢氏が2003年に民主党入りし、2006年に代表になった途端、民主党はこの言葉を完全に引っ込めた。この瞬問、民主党は大義を失い、未来を託するに足る政党でもなくなった。政権は見事に奪い取ったが、しかし、ただの権力集団に成り下がったのである。そしてもはや、四年後に民主党が正気を取り戻したところで、すでに手遅れの可能性は高い。

たとえば、象徴的なのは憲法改正論である。かつて総合雑誌(『文塾春秋」1999年9月号)のなかで小沢氏は、日本国憲法九六条「憲法改正条項」こそが、憲法をめぐる最大の問題点であるとし、改憲を容易にするため国民投票法の一刻も早い成立を当時の自民党が提案していることを高らかに調っていた。さらには、自民党右派よりも右に位置する立場の意見に呼応して、「いったん日本国憲法の無効を同会で宣一言し、そのうえでまったく新しい憲法を作り直す」という、いわば極右的な選択肢すらある、と述べていたのである。

だが、安倍内閣の下で国民投票法案が国会で議論されたときには、参院選の勝利をめざすという政略から、反自民路線を際立たせ「与野党激突」を演出して、それまで自民.民主両党の議員が延々と積み上げてきた与野党協議のすべてをひっくり返した。民主党の枝野幸男憲法調査会長をして、「責任は安倍首相と小沢代表にある」とまでいわしめている。

たしかに、そのような政略的対応に徹した小沢氏の動きが、2007年の参院選での民主党の勝利につながったといってよい。

だが、このような小沢氏の手法には、結局、根本的に自己否定につながる契機を感じないわけにはいかない。そこには、小沢氏が掲げてきたそもそもの政治的目標を、いや小沢氏の人格的な基盤をすら突き崩すほどの根源的な矛盾が垣問見えるからである。小沢氏がそれをどこまで自覚しているかは私は知らない。だが民主党と日本政治の行方を論じるとき、いま問われるべきは、まさにそこなのである。

田中政治のニヒリズムの申し子

2007年7月の参議院選挙を顧みて、まず第一に挙げるべき大きな問題、それは、年金問題をここまで争点として利用し尽くしたことの危うい意味である。

イギリスの思想家ベンサムは二百年前、政治家と世論との関係について、
 「最低の政治家は世論に反抗する。二番目に劣った政治家は世論に追随する。そして最艮の政治家は世論をリードする」
としている。しかし、「大衆操作」が政治の常套となった大衆民主主義の時代には、いまやこの位置づけは反転するのである。いまや、「世論に従うことだけが民主主義ではない」というのは、民主主義の先進国における政治で最も重視されるべき命題である。

ところが2007年の参議院選挙は、「民意がすべてである」という日本の戦後民主主義の危うさを大きく露呈させてしまった。

中国コネクションヘの懸念p116〜119
2007年の参議院選挙の結果を受けてアメリカが注目しているのが、小沢氏がアジア、つまり中国に対し、どのような態度をとるかである。最近公開された外国の情報資料によれば、アメリカもソ連も田中角栄について、ある種の社会主義的な世界観をもっているのではないか、との見方をしていたようだ。

イギリス政府がかかわって最近公表されたKGBの秘密文書集『ミトローヒン文書』のなかで、田中の側近の一人は「FEN」というコードネームを与えられたKGBのエ-ジェントであったことが、はっきりと記されている(Christopher Andrew and Vasili Mitrokhin, The Mitrokhin Archive 11 : The KGB and the World, Allen Lane, 2005, P.302)

アメリカはおそらくこれをつかんでいたのであろう。アメリカがもっとも警戒したのも、田中のクレムリン.コネクションであったのかもしれない。、もしそうだとしたら、いまも一部にある、「田中の金脈問題が浮上したのは田中がソ違に接近しようとしたことをアメリカが恐れたから」という見方は、もしかすると因果関係が逆なのかもしれない。

一方、小沢氏は自民党幹事長時代、アメリカに協力して湾岸戦争に自衛隊を出そうとするなど、かつては少なくとも表面上、親米的な立場を取っていた。だが小沢氏を政治家として引き上げたのは、田中角栄であると同時に、金丸信でもある。金丸も「アメリカあっての日本」というその言葉にもかかわらず、内心の政治的志向は完全に「アジア大陸志向」であったといわれる。田中訪中以来の「中国ODA利権」を握ったのも、金丸をはじめとする経世会の政治家だった。表では、防衛関係などでアメリカとの関係を強調する一方で、中国や北朝鮮との密接な関係を背景に出世していったのが、金丸的あるいは経世会的行動様式であった。

小沢氏は、テロ対策特別措置法の延長をめぐってアメリカに「ノー」という姿勢を示しており、2007年8月21日の講演では、同法に基づく自民党政権によるインド洋での海上自衛隊の給油活動を「米国の機嫌を取るために多少、何かやらないといけないと言って、世界から軽蔑される行為」とさえ言い放った(『読売新聞」同日付夕刊)。

このような態度はこれが初めてではない。最初に自治大臣になった1985年にも、アメリカに強く「ノー」といえ、という声を上げていたとされる。

だからであろうか、自民党幹事長として湾岸戦争で自衛隊の国連軍参加を打ち出したときも、アメリカは、小沢氏の姿勢につねにクエスチョンマークを付けつづけたという。

自民党幹事長時代の小沢氏に対して、アメリカがいちばん関心をもったテーマも「小沢はマハティールの東アジア経済共同体構想をどう思っているか」であった。この質問をアメリカ大使館員らは、小沢氏に直接会って何度も投げ掛けたという。当時アメリカは、この構想は「アメリカを排除するものである」と強い警戒心を抱いており、日本の政財界も、この構想をめぐって議論が二分していた。そんななか小沢氏がどちらに乗るかに注目したのだ。

小沢氏の中国コネクシヨンには、大きく二つあるとされる。一つは、王家瑞・中国共産党中央対外連絡部長や、「ポスト胡錦濤ナンバーワン」とされる李克強・遼寧省党委員会書記一現・副首相一らとの関係がよく取り沙汰される。もう一つは、田中眞紀子氏がもっている、父の角栄から引き継いだ北京とのパイプだという。

そして、この田中眞紀子・小沢一郎関係が、今後の民主党の行方をめぐって一つのポイントになるかもしれない。眞紀子氏が国民的人気をいかに回復できるか、ということにもかかっているが、おそらく眞紀子氏は劇的な場面で民主党陣営に完全に合流し、もしかすれば「小泉・眞紀子」で大旋風を巻き起こした2001年の総裁選のドラマを再現しようとするかもしれない(その後、2009年に民主党に入党)
いずれにせよ今後、国民が小沢民主党を選ぶか、自民党を選ぶかによって、日本という国が、鮮明になってきた小沢氏の「反米・親アジア」の方向をとるか、はたまた伝統的な日米関係または中国・朝鮮半島に対時する外交戦略をとるか、という国としての歴史的選択にまで及んでくるだろう。
初出はVoice2007年10月号だが
田中真紀子の復活はおそらく参議院選挙後、菅の失政の後となるであろうが、
中西輝政教授は小沢と田中真紀子の結託と田中真紀子の復活を予言している!
中西教授のを尊敬しているだけにこの予言は当たって欲しくはない。

「このままいくと、日本はアルゼンチンのような破綻国になる」という言葉が、徐々に迫真性を帯びるようになってきた。忘れてはいけないのは、アルゼンチンがかつて南米随一の経済先進国であり、イタリアやスペインよりもずっと高度な生活水準を誇っていたことである。第二次世界大戦後、ペロン政権がポピュリズムの権化となって左派リベラルの路線をアピールし、徹底したバラまきの福祉政策を展開したために財政の大崩壊を招く。

以後、アルゼンチンが辿った道は、数十年にわたる国家デフォルトと軍事独裁の繰り返し、という大混乱のなかでの果てしない衰退であった。
衰退の第一段階では、皆が「改革だ」と騒ぐ。しかしその第二段階に入ると、改革熱も徐々に萎えて、やがて「衰退」という言葉も聞かれなくなる。すべてにおいて、あちらを立てればこちらが立たずというトレードオフが現れ、すべてがお手上げになる状況が始まる。誰もが「これではいけない」と思っているその眼前で、止めどない崩壊が続いていく。いま「日本のアルゼンチン化」が始まろうとしているのか。

「国としての精神」の基盤の違い

「国家の衰退」について、1970年代、私がこの目で見て学んだのはイギリスの衰退と、そこからの回復であった。「老大国」「イギリス病」などといわれ、「衰退の極致」にあるかのようにいわれた70年代のイギリスは、いま考えると、じつに立派な衰退だった。何より、政治がしっかりしていたからである。いわば「素晴らしい衰退」であつた。よくぞ、あれほどの状況のなかから立ち直ったものだと思う。ひとえに「政治大国」の底力があったからだ。

2008年のリーマン・ショック以降のイギリス経済は、たしかに苦境にある。しか
し、強固な社会的基盤を築いたいま、再び70年代の衰退に落ちることはあるまい。イギリスが完全に衰退を脱した理由を考えると、やはりその主因は「政治の強さレに求められる。そして緕局それは、「国としての精神」の基盤の違いなのかもしれない。

フォークランド戦争(1982年)のとき、イギリス軍兵士は何百人と戦死した。あるとき英海軍の駆逐艦が撃沈され、一度に数十人の戦死者を出したこともあった。このとき全同民は悲しみに暮れ、喪に服した。しかし、ここでサッチャ〕首相は「わが領土を守るため、イギリスは戦い抜く、女王万歳!」と叫び、国民の先頭に立って戦いつづける決意を示した。これでイギリス人はウィンストン・チャーチルの時代を思い出し、大きな苦難が予想されたあの大改革へと向かう。これこそ政治の主導によって、国家としての生命力を復活させたということである。

象徴的なのは、止めどない衰退を続けた1970年代には保守党と労働党の二大政党のあいだで短期間に頻繁な政権交代を繰り返していたが、サッチャー以後はそのようなことがなくなったことである。そして、18年続いた保守党政権ののち、97年、労働党が政権を奪取しても、もはや大きな枠組みの変更には走らず、現在まで安定した政治を実践している。

つまり、二大政党制での頻繁な政権交代は、国家を衰退に導く早道でしかないのである。そして、日本では二大政党制は必ず頻繁な政権交代につながる。「抜け駆け」を狙うマキャヴェリストに操られ、権力奪取またはその維持しか念頭にない政党が、必ず「禁じ手」を使うからである。日本の政治的民度にふさわしい「改革」とは何か、を考える必要があったのである。ここに日本の識者はもっと早く気付くべきであったろう。

国家がつねに一定の生命力をもち、安定的な成長と再生産を実現して、次の世代に高い水準の生活と国家の安全、守るべき価値観を受け継がせる。政権交代や政界再編は、まず何よりも、そのような価値観から考えなければならない。そうした視点を戦後の日本人は失ってしまった。国家観を喪ったからである。ここにこそ、日本の混迷の本当の理由があるのである。
その1
その2
その3


30. 2011年10月10日 00:02:04: zrOt2Ml8uw
ダラダラと、長いだけの、つまらぬ文章だ。 一々批判する気も萎えるというもの。
自身認めてる様に、根幹にあるのが妄想だから、それで継ぎ合わせて出来上がったシロモノが情弱の”B”文となるのは当然なんだろう。w 
まぁ、妄想で判決が出るご時世だから、”B”もオクメンも無くなるという訳だ。w

山本七平を引用して、ニューマに従うことは危ういとかっては言っておきながら、今度はニューマを盾に断罪する。
田中角栄を支持しておきながら、その政治的後継者である小沢一郎は否定する。
政治家に清廉潔白を求めるな、と言っておきながら、その舌の根も乾かぬ内に、小沢氏に清廉潔白を求める。

相矛盾することを平気で書いて何も感じてないところを見ると、ここに在るのは、論理ではなく、感情だ。

即ち、この駄文の中心にあるのは”中国嫌い”という感情のみだ。 後は、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとばかり、己の”嫌中感”を刺激するモノに、妄想を加えて、当り散らしてるだけ。
また、古臭い(失効した)図式に当て嵌めて(思考するということが出来てないからね)、○×付けてるだけ。

まぁ、原発の「専門家」レベルの御仁を「尊敬している」のだから、何をか言わんやだが。www


31. 2011年12月06日 18:53:34: 5nPePzbV5g
Ddog先生、

「ボク」は消去法とよりまし選択で現在でも仕方なく小沢先生投票なのですが

小沢一郎先生がこの事件では無罪でも、理念として有罪になる決定的な証拠を

Ddog先生は握っておられるのではないか?と思っています。


これは「ボク」の身の回りの貧弱な状況証拠でしかないのですが

1、小沢先生のファンは警察官とその親族一家の関係者が多いです

2、1の理由として小沢先生の国連待機軍構想が問題で、小沢先生と

  警察庁には密約があって、警察官の血は一滴も流させない代償に

  自衛官の血は「国際貢献」の美名の元に、

  自衛官の血は鳩の羽よりも軽い戦時体制に持ち込むような密約です

3、この目的で、小沢先生は簡単に、親中派の野中広務先生と

  池田大作先生の軍門に下ってしまいました、=そういう援助がないと

  民主党は選挙に勝てない体制に、なってしまいましたですね

4、Ddog先生が未だに原発擁護なのも、理念の二つとして

  原発こそが、日本人ばかりでなくて世界中の人々を

  労働=救済の空気(ニューマ)に洗脳する「効能」があったことと

  Ddog先生ご自身の体質が定量被爆ならば

  本当に体質改善になるからなのではないでしょうか?


「ボク」は一度も原発に賛成したこともなくて、エネルギー問題に限れば

不動明先生紹介の、テスラ発電方式に賛成なのではありますが、

テスラ方式は簡単にばらまき福祉体制に転落する可能性がありますです。


時々、Ddog先生の投稿が、美技といえる場外ホームランまたは

ハットトリックを思わせる内容なので、これからもご活躍を

楽しみに致しております。

以上の「ボク」の駄文、失礼をば致しました。


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