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アメリカがでっち上げた朝鮮半島奴隷化論という策略 (ch桜 高山 正之)
http://www.asyura2.com/11/senkyo120/msg/504.html
投稿者 少人長 日時 2011 年 10 月 10 日 05:30:15: MYO0GJqDvq1DM
 

【高山 正之(ジャーナリスト)】

先程、GHQの洗脳とかね、いわゆる韓国・朝鮮問題てのは一番の根源にあるのは、そこなんですよ。先程、GHQと言ったけど一番最初に動き出したのは、ルーズベルトのカイロ会談なんですよ。アメリカが『日本は侵略国家だ、残虐な国だ。東南アジアで残虐行為を繰り返す』って言ってんだけど、残虐さってのは元々アメリカが持ってたもんでね。日本を非難するのに、仮に日本がやってたとして、そこの残虐さについてはシナ人と一緒になって南京大虐殺みたいなのをでっち上げときゃいいわけだ。

ただ一つだけどうしてもアメリカ人が日本にかなわないもの、これは奴隷なの。奴隷と差別なわけね。日本では奴隷と言うのが制度になったことは無いの、一度もね。それがアメリカにとっての非常なウィークポイント。日本を倫理的に非難するに当たってものすごく弱い。

それで、ルーズベルトが何を言い出したかというとカイロ会談で、『日本は朝鮮半島を奴隷化してる』と、『朝鮮人を奴隷にして搾取してる』と、これ全く根拠は無いわけ。根拠は無いけど、彼はそういう発言をカイロでやった。それからルーズベルトの記録を見ると繰り返しそれをやってるわけね。例えばエルミナーズの本なんか見ても、44年の終戦の前の年のカイロ会談の翌年、8月20何日、こういう『アジア人は日本の奴隷になりたくない』というような公式発言をボコボコやっている。

これを踏まえて、終戦、日本の占領統治政策が行われるんだけど、その時に、日本にいる在日それから朝鮮に対して何を言ったかって言うと、『今日は奴隷解放の日だ、朝鮮人が開放された日だ』。で、それを受けて、マッカーサーが日本に来て、厚木に降り立って1ヶ月後に、在日朝鮮人連盟、今の民潭だとか、総連の母体になるやつなんだけど、これがGHQの指導の下で、結成される訳だ。

その結成趣旨はどういうことかって言うと、『朝鮮人は奴隷から解放された。もう今や我々は、連合国民だ、戦勝国民だ』って言い出すわけですね。それで、この奴隷扱いした日本に対して、『日本人、お前等がどういうことしたか、十分理解させるのが我々の義務だ』。

それを追認するようにマッカーサーは、日本の新聞なんかに、連合国人について、つい最近もほら、あのサンフランシスコ講和条約の後も、「米兵の犯罪について裁判権を持たない、放棄した、させられた」って密約が出て来たって騒いでたけど、8月末かな、各紙乗ってたね、あれと同じ事で、逮捕権も裁判権も、連合国の兵隊やなんかには一切、日本人は持たない、新聞コードでも、そういう連合国人を批判するようなことは書いちゃいかんとある。それを9月の段階でもうすでにプレスコードやなんかで、それから裁判権放棄なんかを要求している動きと言うか、飲まざるを得ないんだけど。

で、その翌々月に、その連合国人に対する扱いは朝鮮人にも与える、これをはっきりGHQでも出しているわけだ。戦勝国民という扱いをしろと、それから、新聞で叩いちゃいけない、裁判権も無い。

それで何が起きたかって言うと、もう有名なのでは、直江津事件てあってね、闇米ってか、満員電車に、あれは信越線か、窓を割って入ろうとした朝鮮人を乗客が注意した。で、彼らは『この野郎』って直江津駅に着いたら、注意した日本人をホームに引き出してね、スコップで殴り殺しちゃうんだよ、みんなが見ている前で。

それからもっと有名なのは、浜松事件てあるの。これは浜松でやっぱり朝鮮人が全ての闇マーケットを握って、それに警察が介入したら、逆に警官を人質に取ってそれこそ嬲り殺しにし始めたわけね。それでどうしたかっていったら、そこにいたのが関東霊巌島一家小野組ていう、任侠の徒だよ。これは警察が手を出せない、警察官ぱくられてる、やられているってんで、小野組が立ち上がって、彼らを救出したんだよ。で、これを発端にして、あの浜松の町の真中で天満町という所で、5日間、市街戦があって、300何人の死傷者出てんだよ。

こんな事、日本の歴史にも載らないし、新聞も報道しないわけだよ。で、こういう時はさすがに焚き付けたアメリカは、『兎に角、日本は、朝鮮人を奴隷にしたんだから、解放して、解放奴隷が少々はね上がっても黙認してた、ここまでやるか』ということで、MPが出て処理したんだけどね。

でも、事程左様に、日本は奴隷扱いしたってんで、ありもしない強制連行か何かを口実にして特別永住権を彼らに与えたのよ。日本は無くてもいい奴隷扱いしたみたいな格好で歴史を引きづらされてる。結局全ての根源がそこにあるの。今、在日の参政権要求も、『強制連行して連れてきたんじゃないか、こっちに住んでる俺達にそれぐらいやるべきだ』みたいな贖罪を訴えているわけ。

で、メディアは、今言った浜松事件や直江津事件なんてのは調べてみれば、あと、坂町事件、これ闇米全部使ってたのを拠点にしてたの、坂町の方で、警官が袋叩きにされてんの。それから富坂署事件とか生田署にみんな朝鮮人が殴り込みかけてんだよ。生田署事件で『この野郎』ってやったのが、田岡一夫なんだよ。昔は本当に任侠の徒だったんだよ。だけど、今は逆転しちゃったけどね。中に在日が入っちゃっておかしく成ってるけど。

こういう背景を全く知らないままで、今の現状の参政権問題なんか考えたら、とんでもない事になる。(我々は、)そういう格好でGHQじゃなくアメリカ自体が、自分達が奴隷問題を引っさげて、日本を黙らせるために、でっち上げた朝鮮半島奴隷化論みたいな、こういう押し付けがあった。戦後の朝鮮問題って全てこれが根っ子にあるのよ。

だから、日韓交渉というのがあったね。あれも向こう側の言い分てのを見ると、GHQが作った作文そのものだよ。長い間植民地支配して、何とかてくだりだね。こっちは持ち出しして、鉄道敷いてやり、電気引いてやり、窪田貫太郎ってのは言ってるけど、その通りやってんのに、ありがとうでもなくて、彼らは今でもその思いに乗っかって、誤解の上に乗っかって日本にいろんな要求してんのよ。それをやっぱり踏まえて、今の韓流て見て欲しいと思うね。

2/3【討論!】フジテレビ・NHK問題、マスメディアの終焉2[桜H23/10/8]
http://www.nicovideo.jp/watch/1317991839 (3:51-)

=====

フジテレビ問題・小沢問題を統一して考えるならば、この歴史は外せないと思う。
また、古代日本の実態と比較するのも興味深い。

日本はふたたび唐の支配を受けるのか  
http://okaji0004689.iza.ne.jp/blog/entry/1540774/
唐王朝による列島征服の軌跡
http://kodaishi-21.web.infoseek.co.jp/to-m.html  

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コメント
 
01. 2011年10月10日 06:09:41: ErJ33IJZhs
チャンネル桜(笑)
戦争の間、米民主党政権だったとはいえ
決して共和党は批判しない

似非右翼が蠢き始めた
小沢の攻めの姿勢が焦りを呼んだのだろう
TPPなどもずいぶん後から反対しだすし
混乱が狙いであろう


02. 2011年10月10日 08:04:09: U2wt6EHusg

平成の我われにも君が代や日の丸は侵略強盗のキモイ象徴であり、掲げたり歌ったりするイカレタ若者はいない。
それを散々な目に合わせていた朝鮮人に強制したというのだから、
わが子を特攻させ、大陸に侵略殺人に送り出したキ印国家の面目躍如ではある。
http://esashib.web.infoseek.co.jp/teposodo01.htm

「朝鮮への皇民化政策」

1937年   「皇国臣民の誓詞」制定

1938年4月「国家総動員法」公布: 国民精神総動員朝鮮連盟結成

神社参拝、宮城遙拝(ようはい)、日の丸掲揚など強要

  教育令改定 学校での朝鮮語の教育、使用を禁止、官庁でも日本語使用

陸軍志願兵制度実施

1939年  「創氏改名」強要

1941年 朝鮮語の新聞、雑誌の廃刊、朝鮮語学会の解散

日本が支配していた時代の朝鮮には、「笞刑」があった。要するにむち打ちの刑である。
朝鮮笞刑令(1912年3月制令第13号)
第一条 三月以下の懲役又は拘留に処すへき者は其の情状に依り笞刑に処することを得
第二条 百円以下の罰金又は科料に処すへき者左の各号の一に該するときは其の情状に依り笞刑に処することを得
    一 朝鮮内に一定の住所を有せさるとき
    二 無資産なりと認めたるとき
第六条 笞刑は笞を以て臀を打ち之を執行す
第七条 笞刑は笞三十回以下に在りては之を一回に執行し三十迄を増す毎に一回を加ふ
    笞刑の執行は一日一回を超ゆることを得す
(中略)
第十三条 本令は朝鮮人に限り之を適用す
(朴慶植/著 青木書店「日本帝国主義の朝鮮支配 下巻」P-265より)
・・・このように1日30回以下と定められていたにも拘らず、実際はそれ以上の回数が行われることもあり、先端に鉛をつけた笞の激痛で気絶させてしてしまうこともあった。
「執行心得」によると、受刑者の両腕両足を板に縛りつけ、泣き叫ぶ声を抑えるために水を濡らした布で口を塞ぐことが指示されていたという。
植民地朝鮮では綿の栽培が進められていた。穀類よりも商品価値が高い作物を奨励するのは植民地経営として当然のことだったと言える。そして貧しい農民に強制するために笞による暴力が利用された。
当時の日本政府にとって輸出品となり得る綿の増産が重要だった。朝鮮総督府は農村の現状など構わずに、この作物の栽培を強制していったのである。
外貨獲得のために暴力的な手段によって農民自身の利益とはならない作付転換が強制され、一方で官と癒着した業者が暴利を貪る・・・という、典型的な植民地経営が行われていた。
http://esashib.web.infoseek.co.jp/mitubishi01.htm

「コリア国際戦犯法廷」は、米軍が朝鮮戦争中に朝鮮民族に対して犯した虐殺蛮行をはじめ、これまでの約50年間のあらゆる犯罪を世界の良心とともに、歴史の正義の前に明らかにし、米国の国家責任と謝罪・補償を勝ち取るための民間法廷だ。
南と北の弁護士たちが共同で作成した起訴状に基づき、国際的にも著名なラムゼ・クラーク氏(元米国司法長官)をはじめ世界各国から集まった平和運動家らとともに、米国に有罪を言い渡した歴史的な法廷だった。

「動いているすべての民間人は敵とみなし、発砲しなければならない。」米師団長ウィリアム・キーン少将の命令
 99年にAP通信は、朝鮮戦争時に米軍が老斤里(ノグンリ)をはじめ朝鮮全土で民間人を虐殺したと報道した。
老斤里の民間人虐殺とは、1950年7月25日、韓国忠北道永洞老斤里で米軍が避難民ら700余名を「安全なところに避難させてやる」と言って集め、道路下の川辺と鉄道上の2回に分けて一斉爆撃や機関銃乱射で虐殺した事件だ。
 AP通信の報道を受け、これまで沈黙と泣き寝入りを強いられてきた犠牲者・遺族が韓国各地で堰を切ったように証言し始めた。調査によると、現在わかっているだけでも民間人虐殺が行なわれた場所は朝鮮半島全土で160余箇所を数え、犠牲者の数は250万〜300万名におよぶという。無差別に何十人、何百人、時には何千人単位で虐殺が行われた。機関銃で、あるいはガソリンをまいての集団虐殺、生き埋めなど、米軍はあらゆる犯罪行為をほしいままにした。
 とりわけ女性に対する性暴力の実態は凄惨を極めていた。「焼けた鉄棒を膣の中に差し込んで」殺し、妊婦の女性の腹を裂いて胎児もろとも虐殺し…。レイプ・虐殺が各地で相次いだ。 

 「私は母と妹と一緒にいて、爆撃にあいました。今思い出してもぞっとしますが、妹の片方の目玉が飛び出してブラブラ下がっていたんです。痛くてたまらないし、目も見えない妹は、垂れ下がっているのが何なのかわからずにつかんで捨ててしまいました。いとこのおばさんは臨月でしたが即死しました。祖母も兄もその場で亡くなりました。」−犠牲者・遺族の証言より



03. 2011年10月10日 11:14:51: lGQ9x4NIUs
> 日本が支配していた時代の朝鮮には、「笞刑」があった。要するにむち打ちの刑である。

最近毎日放映されているBS4 午後4時の朝鮮王朝ドラマを見ると、当時の鞭打ち刑が如何に残虐なものか、全身血まみれになって殴り殺す様を見ることができる。

「日本が支配していた時代の朝鮮には、「笞刑」があった」のではなく、
「日本が支配する前の大昔から朝鮮には、「笞刑」があった」が正しい書き方。
朝鮮人が如何に歴史を歪曲して書くか、朝鮮人の嘘吐きの好例。

小沢一郎の「国民の生活が第一」は「韓国・北朝鮮国民の生活が第一」と同類の大嘘。

日本政府は、初めは長年の「鞭打ち刑」の朝鮮文化を尊重して温存したのだろう。
しかし、1920年になってその蛮行は廃止させた。

朝鮮半島の笞刑 [編集]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%9E%E7%BD%AA
朝鮮王朝・大韓帝国において、刑法は明の法典『大明律』(1397年)と『経国大典』(1460年以降。以後『続大典』、『大典通編』、『大典会通』と名を変える)を併用していたが、その中に刑罰として笞刑(ちけい)があった。1905年に近代的法律の形式を整えた刑法大全(全680条)が施行されたが、その内容は従前の大明律・大典会通とあまり変わることがなく、笞刑も存続した。

1910年の日韓併合後の1912年に施行された刑法大全に替わる朝鮮刑事令で、笞刑は選択刑となり、朝鮮笞刑令が公布された。 朝鮮笞刑令は1920年の朝鮮笞刑令廃止制令(大正9年4月1日)で廃止された。


04. 2011年10月10日 11:20:12: lGQ9x4NIUs
>>03 への加筆訂正
>>02 へのコメント

誤 全身血まみれになって殴り殺す様を見ることができる。
正 全身血まみれになって殴り殺される様を見ることができる。


05. 2011年10月10日 11:36:28: lGQ9x4NIUs
>>02
> 1938年4月「国家総動員法」公布: 国民精神総動員朝鮮連盟結成
> 教育令改定 学校での朝鮮語の教育、使用を禁止

一九三八年南総督が民意を聞くために開いた面談会で、「朝鮮人の進むべき道」などを書いた朝鮮人の玄永燮は朝鮮語の全廃を主張したが、南総督はそれを拒否している。
 そして、一九三九年(昭和一四年)まで官庁では朝鮮語の学習を奨励する朝鮮語奨励費が支出されている。

我が国が朝鮮語を使うのを禁じたと報じた嘘つきのアホ記者・前田安正
http://www.tamanegiya.com/tyousenntoujijidainokyouik.html


06. 2011年10月10日 14:27:10: U2wt6EHusg

朝鮮、中国、東南アジア、
海を渡って侵略強盗殺人を働いた犯罪者はいま靖国の宙空で呻吟している。
英霊という侵略強盗殺人犯罪者の罪は祀られて消えるものではない。
http://kknanking.web.infoseek.co.jp/mondai/gyakusatu.html

日本の皇軍はアメリカ人も焼いて食った。

http://www.zkaiblog.com/kokugoryoku/33631
日本皇軍の実体。
http://kknanking.web.infoseek.co.jp/mondai/gyakusatu.html
http://kknanking.web.infoseek.co.jp/butaibetu/114D.html
参考文献
秦郁彦「昭和史の謎を追う」(文春文庫)下巻 ISBN 978-4167453053
堀江芳孝「闘魂 硫黄島―小笠原兵団参謀の回想」(光人社)

有名な父島人肉食事件・・
陸軍、海軍の上層部がアメリカ人捕虜を殺害してその肉を酒の肴にして大宴会。
第109師団の師団長は栗林中将である。
本来は師団本部は父島にあったが、米軍が上陸するのは硫黄島とにらみ栗林は自ら硫黄島で戦う決意をして父島には堀江を残した。ここには師団とは別に陸海軍があった。陸軍混成第一旅団立花少将9000人と海軍6000人であった。
堀江少佐は、ホール中尉という捕虜を、自分の英語教師として身近に置くことで守っていた。しかしそのホール中尉も遂には連行され、喰われた。だが堀江少佐は『闘魂硫黄島』の中では、立花少将を頭の鋭い実行家、的場少佐をマレーの勇者、森少将を自らケーキを作り振舞うなど気さくな人物という風にしか書いていない。
吉井静雄海軍大佐が捕虜殺害人肉食を部隊でみんなで食った。
硫黄島と違い父島には食料は十分にあったのにである。
・・・最初は海軍が処刑した捕虜を喰ったが、そのうち喰うために処刑するようになった。
またその処刑も、一思いに殺すのではなく、木に針金で縛り付けて行われるなど、残虐なやり方であった。
旅団長命令で、嫌々捕虜を斬った召集の60歳代の中佐は、後に絞首刑となった。
一方海軍の森中将は、米内光政の参謀を務めていたことがあり、非常に米内を尊敬していた。しかし「人間の肝は日清日露の戦役では薬用として食べられ、征露丸と呼んでいた」というような怪しげな知識を振り回していたという。そのせいか、海軍は陸軍に対して、「今度捕虜を処刑したら肝臓を持ってきてもらいたい」というようなことを頼んでいる。
戦後、遂にこの事件を嗅ぎつけた米軍は、果たして怒り狂った。
森中将だけは死刑を免れたが、立花、的場、吉井を含む5人が絞首刑となった。ちなみに、ここで処刑を逃れた森中将もマカッサルの裁判に於いて刑死している。岩川隆『孤島のつちとなるとも』によれば、立花少将、的場少佐は、処刑の前日まで、踏む、蹴る、殴る、壁に叩きつける、気絶したら水を浴びせかけるといった凄まじい虐待を受け続けた。
二人は這うように処刑台を上がったのではないか。ただ父島の通信隊司令であった吉井大佐は、「無差別空襲をするパイロットは処刑されて当然。人肉は戦意高揚のために食した。命令はすべて自分が出した。部下に責任は無い」という態度を崩さなかった。そのせいか、海軍で極刑となったのは彼一人である。
参考ー「昭和史の謎を追う」〈下〉 秦 郁彦
    「父島人肉事件の封印を解く」梯久美子

http://esashib.web.infoseek.co.jp/tuzimoto39.htm
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/eirei.html


07. 2011年10月10日 15:30:48: tQ0dwlsohA
失礼致します。
以下の参考に出されていた書籍は、歴史的価値のある第一次証拠使用に基づかれた記述であり書籍、ということでしょうか。

>参考ー「昭和史の謎を追う」〈下〉 秦 郁彦
    「父島人肉事件の封印を解く」梯久美子


08. 2011年10月10日 19:09:10: NZy2exYNKM

アメリカは日本を植民地に、日本人を(事実上の)奴隷にしようとしている。

これは、ペリーが来る以前からの超長期計画である。

そして、それは徐々に達成されつつある。


09. 2011年10月11日 09:35:16: lGQ9x4NIUs
>>06. 2011年10月10日 14:27:10: U2wt6EHusg

下記のサイト[1]には

ウオーレン・アール・ボーンという捕虜将校の処刑、
秦氏は米軍事法廷の起訴状「殺害したあと、ボーンの肉や内臓を摘出して死体を損壊」
「人肉食への言及はないが、関係者の回想によると…」とし、人肉食に結びつけようとする文脈、
があるが、しかし、事実は
土屋さんは当直将校で、その深夜、飢えに苦しむ兵2人がボーンの遺体を掘り起こし食べようとするのを戒めており

とある。つまり、米軍事法廷の起訴状には人肉食は書かれていないし、現場にいた土屋公献少尉候補生(後に日弁連会長)は人肉食[2]を強く否定している。
それ故、父島人肉食事件は南京事件と同様の中国・韓国工作員の偽装工作の可能性が極めて高い。

それに反し、韓国・北朝鮮では今も人肉食は長年の伝統として続いている[3]ー[6]。
すなわち、>>06 の「海を渡って侵略強盗殺人を働いた犯罪者はいま靖国の宙空で呻吟している」は息を吐くように嘘を吐く朝鮮人の大好きな大嘘。


[1] 父島事件 真相の一端
〜米捕虜の処刑に立ち会ったある少尉の証言〜 澤田 猛
http://www.powresearch.jp/jp/activities/workshop/chichijima.html
戦犯容疑と紙一重

土屋さんは当初、捕虜の首を切ることを命令されていた。土屋さんは学生時代、剣道をしていて二段だった。上官はそれを知っていてそういう命令が出ていた。軍隊では上官の命令には逆らえない。ところがその後、学徒出陣組の中に四段のいることが分かり、彼がボーンの首をはねた。戦争が終わり、彼は戦犯容疑に問われ、逃げ切れずに郷里で自殺した。土屋さんはもしあのとき、当初の命令通り自分が切っていたら、自身が殺人容疑の戦犯になっていた。土屋さんは父島事件の真相の一端を以上のように語った。

実際、戦場とはむごく、愚かなもの。そういう現実を目の当たりにしたことが、戦争を繰り返してはいけないという思いにつながり、弁護士への道を歩むことになったと土屋さんは締めくくった。

記録と表現

土屋さんの証言から考えなければならない点がいくつか挙げられるように思う。父島事件は処刑した捕虜の人肉食事件にすり替えられ、事の真相があいまいにされてきたきらいがある。例えば、秦郁彦氏の『昭和史の謎を追う(下)』(文春文庫)の第32章「人肉事件の父島から生還したブッシュ」で、秦氏は「殺害したあと、ボーンの肉や内臓を摘出して死体を損壊」との米軍事法廷の起訴状を引用しながら、「人肉食への言及はないが、関係者の回想によると…」とし、人肉食に結びつけようとする文脈でこの部分は構成されている。

土屋さんの証言によると、ボーンの殺害された日、土屋さんは当直将校で、その深夜、飢えに苦しむ兵2人がボーンの遺体を掘り起こし食べようとするのを戒めており、またボーンの首をはねた場所は「砂浜」(秦氏)でなく、米軍の砲弾で穴の開いた土の上。ボーンの肉を食ったというのは事実に反する、と土屋さんの語気は鋭かった。

[2] 小笠原事件 別名、父島人肉事件。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6
一、大隊は米人飛行家ボーン中尉の肉を食したし
二、冠中尉は此の肉の配給を取り計らうべし
三、坂部軍医は処刑に立会い、肝臓、胆嚢を取り除くべし
1945年3月9日 午前9時 大隊長 陸軍少佐的場末男 発令方法…冠中尉並に坂部を面前に呼び口頭命令、報告は立花旅団長へ、通告は堀江参謀へ
一方で、当時少尉候補生として、父島に配属されていた土屋公献(元日弁連会長)は、ボーン中尉を殺したのは事実だが、ボーンの遺体を損壊して食べた事実は無いと食人行為については、否定している。

[3] 死んだ幼児で作った中国産『人肉カプセル』、
「最高の滋養強壮剤」として韓国で流通 2011年08月06日
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1651289.html

「人肉カプセル」で中国人摘発 韓国、密輸の4千錠押収 2011.9.22
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110922/kor11092220000001-n1.htm
朝鮮族の中国人を密輸容疑で摘発、カプセル約4千錠を押収した。

[4] 北朝鮮で人肉販売!食糧難…同僚殺して食べ残り市場へ 2011.06.21
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110621/dms1106211230005-n1.htm
 食糧難が長年続いている北朝鮮で、人肉が売られるというショッキングな事件が起こっていた。
 20日付の韓国紙「国民日報」は、北朝鮮の犯罪事例が掲載されている同国当局の内部資料の内容を報道した。韓国のキリスト教団体が入手した資料で、食糧難を反映した事件が最も多かったといい、その一例として、警備員として働いていた男が同僚を殺害して一部を食べ、残りを羊肉と偽って市場で売った事件が掲載されていた。
 同紙によると、資料は2009年6月に警察に相当する人民保安省(現在の人民保安部)が参考資料として作成し、地方の出先機関に配布。721件の事件が具体的に紹介されており、人肉関連事件は5件もあった。

[5] 【北朝鮮】子供の肉がソーセージに 脱北者「私も食べた」
■人肉事件「私も食べた」、脱北者が米上院で会見
http://mizuho14.blog3.fc2.com/blog-entry-809.html
北朝鮮の食糧難が深刻だった90年代半ばから後半にかけて、子どもを殺して人肉を食べる惨劇が起こったと、脱北者が証言した。
今年5月、脱北者としては初めて「非政治的亡命」が許可され、3ヵ月間米国で生活している脱北者6人は19日、ワシントン米上院で記者会見を開いた。米国への亡命を助けたサム・ブラウンバック(共和・カンサス州)上院議員の仲介で行われた同日の会見で、彼らは身元が明らかになることを憂慮し、濃いサングラスをかけ、野球帽を深くかぶって証言した。97年に北朝鮮を脱出して中国に滞在したが、3度も北朝鮮に送還されたシン・ヨセフ氏(仮名・32)は、「96年、直接見聞きしたこと」として、残酷な人肉事件を振り返った。
「私の家の隣町の市場で、スンデを売っていた夫婦がいた。その夫婦は、親が食料を得るために出かけている間、市場で物乞いをしていた子どもたち13人を殺し、その内臓で作ったスンデを売って逮捕された。私も買って食べた…。13人目に死んだ子どもを発見した時、どこの家の子どもか分からず、学校の校庭に子どもの頭を置いて、全校生に直接確認させた。妹のチャンミもこれを目撃した」

[6] 北朝鮮では人肉が取引?・・・2011年6月23日 (木)
http://azemichi-nikki.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-be8c.html


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