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科学的社会主義・日本共産党批判――マルクス主義の反人間(労働者)的・抑圧的本質を批判する。(その2)
http://www.asyura2.com/11/senkyo122/msg/328.html
投稿者 Y. Kakasi 日時 2011 年 11 月 14 日 15:06:04: BW32mpuE76J86
 

 日本共産党の不破哲三さんが社会科学研究所所長として講演されている内容はとてもわかりやすく、マルクス主義を理解するためにおすすめです。
  http://www.jcp.or.jp/kk_kyousitu/#fragment-2               http://www.jcp.or.jp/kk_kyousitu/#fragment-1

 不破さんが、千年の思想家のうちで最も頼りになるのはマルクスであった、というのはその通りでしょう。しかしそのマルクス思想が現在でも科学的に正しいというのは間違っています。
 商品交換の等価性(等価交換)は、労働力の等価性によるのではありません。労働の投下量は、人間の「交換の判断」材料の重要な一つですが、商品への欲望の強さも判断材料になります。商品価値は「交換結果」でしか決まりません。学者は権威に弱いから、スミスやマルクスが言ったことだから正しいと考えているので、自分の「判断」ができません。
 商品価格は一般に市場で決まるので、絶えず変動し一定ではありません。マルクスが重視する価格の平均性(平均価格)は単なる判断材料であるに過ぎず、平均性が市場を支配するように“見える”のも、単にそう“見える”からに過ぎません。マルクスやスミス等は、西洋思想(合理主義)と時代の制約(競争と発展の時代)から、単なる平均性を法則性と見なしてしまったのです。詳しくは 
   http://www.eonet.ne.jp/~human-being/page9.html
を参照してください。

 不破さんの話によると、聴講者の感想ではマルクスやエンゲルスの古典を読んでいない人がほとんどであったそうですが、おそらくこの「阿修羅」でもマルクスや共産党とは関係のない人がほとんどでしょう。Kakasiも昔つきあっていた共産党員たちは、マルクスは知らずとも、みんな正義感が強くいい人ばかりでした。クリスチャンが純真ないい人達が多いのに、教会の言葉と組織に縛られて怯えているのと同じように、共産党員も信念を持ちきれない人は、単に組織に依存して活動しているに過ぎないのです。

 「阿修羅」投稿者は時事的な話題がお好きのようですが、日本と世界の政治にマルクスが(そしてヤ−ヴェもイエスもムハンマドも)まだ生きています。彼らの価値観が国際政治に大きな影響を与えているのです。グローバル化の大波を乗り越えるには、「現状維持的な国益」にとらわれることなく、世界の一体化をめざす新しい科学的契約思想が求められるのです。  

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コメント
 
01. 天橋立の愚痴人間 2011年11月14日 16:05:05: l4kCIkFZHQm9g : M1dRyg1AKE
Y. Kakasi さん

手の込んだ論理を展開されているようですが、要するにマルクスを見直そうと言うつもりでしょうか。

それならば、そりゃ無理な話ではないでしょうか。
マルクス主義は世界の多くの国で、すでに70年以上に渡り実践されました。

何故、旨く機能しなかったと言う反省をするのに、資本論を書き直すことなく、理解の仕方で解決しようとは、話になりません。

マスクス主義は、共産党革命が世界に行き渡り、競合する資本主義社会がなくなってしまっていれば、その独裁性により、成功例として長らく続いたことでしょう。
宗教国家の様に。

人間の価値観、生き様というようなものを、どのような形にせよ、集約しようと言う試み、そのものが間違っているのです。

そういう意味で、紹介されているマルクスの間違いなどと言うテーゼは成り立たないのです。
資本論の背景として、マルクスの哲学的認識はあれで、正当なのです。

資本論の考え方を変えないで、もしくは一部を変えたとしても、マルクス主義が再生することはないでしょう。

もともと、利己を求める人間性の多くの部分を規制して、社会のありようを求めること事態が人間には合わないのです。

ですので為政者側に強健が必要なのでしょう。
また、マスクスの様に、人間社会の仕組みの多くの部分を生産と関連つけることも、生産手段が飛躍的に発達した現代社会では無理なのです。

人間社会は平等、公平と言う概念よりも、難題が存在していることを見て欲しいものです。


02. 2011年11月14日 17:55:06: FUviF2HWlS
●マルクス主義経済学は、その提起する問題は、今日的価値を持っている。

「消費者を求めて全地球をかけめぐる大工業は、国内大衆の消費を飢餓の最低限にまで制限し、これによって自国の国内市場を破壊するのである。」(エンゲルス『空想から科学へ』)

「産業予備軍とよんだものであって、それは産業界が多忙な時期には自由に利用でき、それに必ず続く恐慌のときには放り出される労働者である。」(ibid.)

前者は、国境を越えた無政府的な市場主義の問題であり、TPP問題そのものである。
後者は、雇用の調整弁として使われる非正規雇用製造業労働者の問題を語っている。
いずれも19世紀的問題であるにもかかわらず、21世紀初頭の世界経済の中心的問題であり、いまなお解決不能な課題である。

●しかし、自然科学史と比較すれば、同時代に築かれたマクスウェルの電磁気学理論のように、今なお古典力学の一体系として普遍の価値を持つ一方で、自然科学史においてその後の相対性理論や量子論、ゲージ理論の登場を待ってしか説明できない幾多の現象があるのと同様、現代的経済理論によって解明せねばならない事象があるのも、また事実である。

●経済学者シュンペーターは、資本主義は究極において、産業資本家は衰退し、金融資本家と労働者からなる社会に行き着き、やがて社会主義に至ると結論した。

「最後にシュンペーターは、資本主義はその成功のゆえに崩壊するという、衝撃的な結論を導く。革新を導くためには、トラスト化資本主義を認めるが、これは企業者の衰退をも招く。また個人主義的功利主義の出現によって、革新の力が失われてゆく。企業者のようなロマン的心情が消え失せ、企業そのもの、いや社会そのものが官僚化してゆくのである。
 壮大なシュンペーターの議論には反対論もあるが、しかしそれでも今日の政策問題に重要な示唆を与える。企業者の革新こそが発展の原動力という基本的視点が、多くの人々に共感されるからである。また同時に、資本主義は成功のゆえに衰退するという彼のビジョンが、今の日本にあまりに当てはまっているのだ。」
(竹中平蔵のポリシー・スクール、『企業者の革新が発展の原動力 ― シュンペーターの政策観』、日本経済研究センター、
http://www.jcer.or.jp/column/takenaka/index208.html

●さらに、シュンペーターは、資本主義社会を社会主義へと導く者が、必ずしもマルクス主義者ではないと断じた。

「社会主義の真の先導者は、それを説法した知識人や扇動者ではなくて、ヴァンダービィルト、カーネギー、ロックフェラーの一族のごとき人々である。この結論は、あらゆる点においてマルクス主義的社会主義者のお気に召さないものであるかもしれない。いわんやいっそう通俗的な(マルクスならば俗流と呼んだにちがいない)種類の社会主義者にはなおさらであろう。」(シュンペーター「資本主義・社会主義・民主主義」)

●社会主義を標榜する国家が存続していた間は、歴代の自民党政権は、国民の社会主義への関心をそらすために、労働者に対するあらゆる懐柔政策をとった。企業の労働賃金は上昇し、原則的には雇用慣行は守られた。20世紀末に社会主義を標榜する国家群が消滅した結果、1990年代において、日本は欧米追随型の産業技術から脱して日本独自の産業技術が次々と開花した(ステッパや反応性イオンエッチングなど半導体の新しい露光技術・加工技術、大型液晶ディスプレイ技術、リチウムイオン電池、青色発光ダイオード・青色レーザ、メモリカード・メモリスティック技術、など)にもかかわらず、日本の世界戦略上の地位が低下したことにより日本企業の株価は下がり、日本の産業競争力は低下していった。

社会主義国家群の消滅により、世界の労働運動が社会主義化につながる可能性がゼロになった後に、新自由主義の台頭めざましく、新自由主義の名を借りた19世紀的労働環境が再来した。

この状況を打破するヒントのひとつが、マルクス・エンゲルスやシュンペーターの古典的著作であると考えるとともに、自然科学史における相対論や量子論に匹敵する革命的な経済理論の登場を期待する。


03. 2011年11月14日 18:42:49: HCF3LmPLDo

 TPP + 消費税 + マルクスの資本論 + BI

 これらが 現代のほとんどの問題を解決すると 考えます
 
 世界中 同一労働 同一賃金 と 同一商品 同一価格

 結果的には 最低賃金を下げて 物価を下げていくので 一見 デフレスパイラルになる

 そこに BIが 加わるので 日本は豊かになるのです
 


 *** 愛の愛は愛の 善意 ***

 経済とは 一言でいうと 善意 と 善意 の 交換 なのだが

 資本主義経済では 善意が 資本となったとき 善意は悪意に代わるものだ

 マルクスは そのことを 「数学的に証明」したわけで 

 マルクスの資本論は 理論的に正しく 疑問の余地はない

 現在起きていることは まさに マルクスの予言どうりになっている

 ===

 結果としていえることは

 金融(金貸し)は 労働者(人々の善意)を搾取する(善意が悪意に変わる)のだ

 そして この同じことを イスラムでも 金利をとるべからずと 規定している

 実際に リーマンショックに代表される 事例を見ても マルクスの正しさは

 証明されて 余りあるものがある
  

 *** 愛の愛は愛の マルクス資本論 *** 2011/10/24

 私は マルクスの資本論を 深く信ずるものです

 経済 = 善意  というのが 私の基本的な考え方です

 善意 = 無償の労働  と定義しますと

 マルクスの資本論は

 労働者 = 有償の労働 + 無償の労働   となり

 経営者 = 無償の労働を 収奪する人  となります

 ===

 愛の公式に変換すると 

 労働者 = 有償の労働 + 善意   となり

 経営者 = 善意の収奪者     となります

 ===

 たとえば これに 数字を当てはめて考えると

 労働者 = 1000円(賃金労働) + 1000円(無償労働) となり

 マルクスの資本論の基礎が出来上がります

 当然

 経営者(資本家)は その無償労働の1000円を 手にすることになります

 


 断っておきますが 愛は 資本主義には賛成なのです

 なぜなら 経済は「善意」なので 経済を回転させるためには 無償の労働が

 必要なのです 

 ===

 そして マルクスは 言いました 「富は工場の労働者」により作られる

 愛は 考えるのです 「善意」は「工場の労働」によって「のみ」作られる
 
 ===

 極論するならば   人間は働くことによってのみ  善意を作り出すことができる

 善意がない世界は さみしい世界だ だから 資本主義は必要だ
 

 *** 愛の愛は愛の 善意 ***  2011/09/04


 経済の原則は 「善意」 である

 ===

 江戸時代は 農民の善意(年貢)によって 日本の経済は回転していた

 「善意」の 大元は 山川海の自然の幸であり  太陽の恵みである

 ===

 消費税5%の意味  100円(実質的価値) + 5円(善意)

 消費税は 『善意』を強制的に徴収する仕組みである

 日本人は 100円のものを手に入れるとき 5円分しか 余分に働く必要がない

 日本人は 消費税が少ない分 健康な人の 強制労働が 少ないわけだ

 善意は 健康な労働者によって作られるのです

 政府とは 善意を集めて 善意を分配することである

 善意を受け取るのは 年寄り 子供 女性 障害者などである

 善意の分配は 日本古来の美徳に反するものではない

 「老人を大切にしよう」

 「子供を健やかに育てよう」

 「困っている人を助けよう」

 「妊婦に過酷な仕事をさせない」

  ということになる

 ===

 消費税が 30% なら 100円のものを手にいれるのに

 130円分 働かされるわけで 健康な人は 30円分 強制的に働かされる

 この30円が 働くことのできない人に 分配されるわけである
 

 消費税が多い国(北欧の国々)は 「善意」に満ち溢れることになり

 年寄り 子供 女性 障害者 などに 優しい国となっている

 ===

 現在 日本では 消費税が少ないため 善意の欠乏した社会になっている

 日本は どこか ギスギスした 社会になっているのは

 弱者に善意が届けられていないからだ

 「労働なき善意は 偽善である」   by  愛

 
 愛は ベーシックインカム(善意の効率的配分方法)に賛成であり

 ミニマムインカム(善意の欠乏)には 賛成しない
 



04. 2011年11月14日 21:01:52: v9I0GzB2Vc
日本共産党と科学的社会主義なるものとはは何の関係もない。

日本共産党が勝手に主張しているだけ。

もとより人間の生活、幸福の尺度と科学とも特に関係はないが。


05. Y. Kakasi 2011年11月14日 21:28:50: BW32mpuE76J86 : fXOQhCwWGs
天橋立の愚痴人間さんの、愚痴(失礼)ではなく、有益なコメントについて考えているうちに、いろんなコメントをいただきました。ありがとうございます。

天橋立の愚痴人間さんの「阿修羅」での精力的な活躍には、とても太刀打ちできません。天才マルクスについても全面的な批判はできないでしょう。不肖Kakasiには、案山子のように沈黙して雀の監視をして、たまに風に任せて警告することができるぐらいです。
 今日のように、何事にも検証の必要な科学の時代には、絶対的な真理などというのは不可能です。しかし、人間とは何か、人間にとって言語や知識・理論の意義や役割については、現代哲学の混乱が顕著で「集約する」ことは可能です。さらに西洋思想の限界についても明確にできます。HP「人間存在研究」では、言語論の革新によって政治経済学をはじめとする人文科学の前提を転換できるとしています。

>手の込んだ論理を展開されているようですが、要するにマルクスを見直そうと言うつもりでしょうか。
→というのは、見直すというのでなく単に批判するということです。社会主義が人類史の必然的発展の結果であるという決定論が、人間の階級闘争の結果であるというのであれば、あまりにも人間性を矮小化しているのではないかと思うのです。マルクス主義(それを体現する共産党)には、労働が、人間性を抑圧する危険性が常に潜んでいます。その意味で宗教以上に抑圧的です。

>マルクス主義が再生することはないでしょう。
→これはその通りだと思います。そしてその原因の一つが、『資本論』の要である、「等価交換を通じての剰余価値説」の誤りであるということになれば、マルクス主義の崩壊にとどまらず、欧米由来の主要な経済学大系自体が崩壊することになるのです。また逆に、商品市場の取引交換が平均的に「等価交換」であるとされれば、市場には平均的に不正はなく、個別的な不正(独占や不公正取引、不正な金融商品等)であっても合法化され、労働力商品においても強者支配が貫徹されることになってしまいます。
  天橋立の愚痴人間さんは、マルクス主義と新自由主義が正当化する「等価交換」を支持されるでしょうか。これは単なる理論の問題だけでなく、現代の政治的経済的「難題」を解決する入り口にすぎないのです。

>もともと、利己を求める人間性の多くの部分を規制して、社会のありようを求めること事態が人間には合わないのです。
→この点については、人間の利己心は本性ですから半分は正しいと思います。しかし人間は、言語によってみずからを合理化しそれで満足する動物でもあります(あのブドウは酸っぱい、のように)。理論武装をするということや、般若心教を唱えて欲望を抑えなさい、といわれるようなことも可能なのが人間です。主体的自律的に社会のありようを考えれば、自己規制が可能なのが人間です。
 Kakasiはそのように考えますがいかがでしょうか。人間は信じることができると思います。再度のコメントありがとうございました.


06. 2011年11月14日 22:32:04: fXOQhCwWGs

 Kakasiの疑問は、剰余価値は、強い資本家と弱い労働者の力関係から、つまり生産過程ではなく交換過程(契約)から生じるのではないか、商業利潤と産業利潤の根源は同じではないかということです。
 19世紀の商品交換は、win winの関係ばかりではなく、労働力商品のように劣悪で非人間的な条件の取引交換が、交換過程で常態化していたのです。この点ではマルクスが『哲学の貧困』で批判した無政府社会主義者のプルードンが正しいという考えです。

 政治経済学が趣味で、『資本論』を読まれている方におたずねします。
エンゲルスが、社会主義を科学にしたといわれる剰余価値の発見、すなわち剰余価値の搾取が、等価交換を通じて行われるというのは、科学的に検証できるのでしょうか。
 03の「マルクスの資本論は 理論的に正しく 疑問の余地はない」と『資本論』を深く信じられる御仁には、ぜひご教示をお願いしたいです。


07. 2011年11月14日 22:50:49: l6kUvuqLA6
政治板の9割が、アジる劣投稿かつ回転速い
(すぐスレッドが下に降りていって見つけ難い)ので、
議論板に移動した方がようのでは。

08. 2011年11月14日 23:11:04: 6kuobrWeYc
>>06
おれも詳しくは知りませんが、
> Kakasiの疑問は、剰余価値は、強い資本家と弱い労働者の力関係から、つまり生
>産過程ではなく交換過程(契約)から生じるのではないか、商業利潤と産業利潤の
>根源は同じではないかということです。

この場合、生産過程で生じる「剰余価値」が交換過程の「力関係」で配分がきまる、とも言えるのでは?
(ちなみに、近経の一般均衡的手法でも、優等生産財の偏在から分配の不平等が生じることは証明されている。)


09. 天橋立の愚痴人間 2011年11月14日 23:22:44: l4kCIkFZHQm9g : M1dRyg1AKE
Kakasi さん、
先ほど、貴方のHPへ行かせていただきました。

>手の込んだ論理を展開されているようですが、要するにマルクスを見直そうと言うつもりでしょうか。

と言うのは、私の早とちりであり、申し訳けありませんでした。
貴方のHPでは、大層広範囲な認識から人間の存在を問い求められているようです。

行ったと言いましても表題を眺めたようなものですが、その中で気がつきましたのは、カント、マルクス、現象学(実存主義も含まれていると勝手に解釈しています)へと近代哲学を全て非難の対称にされているようです。

それに引き替え、ギリシャからデカルトまでの哲学、及び東洋哲学が出てこないのは、検証する価値がないものとされているのか、それとも特別な存在として、そのまま受け入れておられるのかは判りません。

私は、実に浅く広くですが、ギリシャから実存主義、東洋思想の古典くらいを40年も前の若いころ読んでいたものです。

40年も実社会で難儀しているうちに、それぞれの文言など忘れてしまいましたが、どのようなことが書いてあったくらいは残っています。

それによりますと西欧哲学は、カント以降、発展したようでいて、その実、人間社会をむやみに囲い込みすぎている愚を冒していると思いました。

現象学という分野も随分と広いと思いますが、メルロポンティなどから垣間見るところでは、人間の思考(存在)を生物学(医学的、心理学的)な分析に走るあまり哲学と言う範疇をも突出してしまっているように思います。
応用哲学とでも言いましょうか。

結局は、それは人間社会の実生活にはシステム的に結果を生みませんでした。生まなかったことが幸いで、哲学に人間を支配されては溜まりません。

詰まるところカント以降の哲学は死んでしまったといえます。
それに引き変えギリシャからデカルトまでの哲学は、今尚、我々の中に生きています。

この様な意味で、貴方がカント以降の哲学を総なめにされていることは理解できます。

ところで、貴方は、現象学意向の哲学再興(哲学といえるか判りませんが)を目指しておられるかに思います。

それも必要な試みと思いますが、私は至って簡潔に考えています。
要するに人間の利己心を、生きる糧と認めます。
そうして民主主義という形態により始めてそれがシステム的に可能になったのです。
逆に言えば、この状態が古代から哲学で探求してきた理想的なかたちです。
ただし無放任な利己心は人間社会を破壊します。

それを規制するにも従来の倫理、道徳と言う観点も無力であると思います。
これを前提に、私たちは何が出来るかという事です。

それも、理屈的には、思いも拠らず簡単なことなのです。
アメリカの禁酒法は失敗に終わりましたが、現在の独占禁止法、タバコ、酒などの専売法などの規制は、概ね人々は受け入れています。

利己心の開放と言っても部分的な制約を受け入れる余地は人間にはあるという事です。
例えば、今、問題とされているTPPでも、農業分野についてはTPPに参加せずに、少々食料費が高くついても、国民はそれを受け入れることも出来ると信じています。

ある意味、部分的な計画経済を受け入れることになりますが、問題は制度のことより多くの国民がそれを受け入れるか、否かであります。

民主主義の名の下に個人の権利も共生のために束縛されることも止むを得ないとする心情を芽生えさせることも哲学の分野ではありませんか。

まあ、これを哲学などと称してはしかられるかも知れません。
本来の人生哲学と言うものについては、人間の成長の過程で、それぞれギリシャから実存主義までを体得すれば良いかと思います。

ここでは触れませんでしたが、多神教的な宇宙観の方が、私は魅力的であり、アングロサクソンの世界文明に変わるものとして推奨したいと思います。

以上、失礼をした代わりに、マルクスとは別の分野の、私の考えを述べてみました。

言語学からアプローチする哲学論は珍しいですね。


10. 地には平和を 2011年11月14日 23:32:34: inzCOfyMQ6IpM : Seni0xKm2s
社会をよりよくするという事は問題をリストアップしてそれぞれに対してどのような対策で解決していくかを具体的に考えなければなりません。貧困を獏滅する為には貧乏人に金を配ればいいです。しかし、そうは考えずにこの社会の根本問題は何かを考え、その結論を解決しさえすれば全てうまくいくという発想にインテリを中心になり勝ちです。ゴミを掃除するのに既にある箒とチリ取りを使うのではなく何故ゴミがそこにあるのか原因をさぐりその原因を取り除こうとするような思考があるのです。つまり問題とその手っ取り解決から限りなく遠ざかるという思考です。マルクス主義もそういう類の思考だと私は思います。科学の定義は何ですか?社会科学って何ですか?定義がハッキリしないブラックボックスの言葉を使って思考を観念論のアリ地獄に誘導するのです。労働者階級なるものの権力などというものの実態は官僚支配でしかありません。労働者階級などという曖昧な概念を使って思考しても意味不明にしかなりません。経済学なるものも恣意的な人間の活動に法則を見出そうという徒労でしかないと思います。

11. 2011年11月14日 23:41:21: l6kUvuqLA6
横やりすみません。
>言語学からアプローチする哲学論は珍しいですね。

山のようにありますよ。
ハイデガーをはじめ、
フレーゲやウィトゲンシュタイン、サール、デリダ.........

哲学が印欧語中心で発展してきた経緯から、
日本語で哲学を語るのはかなり無理な文法構造を持っています。
西田幾多郎の射程にもその問題意識は含まれていましたが、
あまり継承者がいませんね。
まだご活躍中の木村敏くらいですかね。

スレ主さんのBBSが復活すればいいのにと思います。


12. 地には平和を 2011年11月14日 23:51:35: inzCOfyMQ6IpM : Seni0xKm2s
人間自体は恣意的にいい事も悪い事もするので法律によって人間をどのようにコントロールするかが全てです。市場原理主義が未だに存在するという事は性善説という誤った思想の基づくものでありこの地球において一番ヤンチャな生物である人間をどうコントロールするかという問題しか基本的に存在しません。いい人間を作るという宗教の発想が非力である事は誰もが納得できるでしょう。いい人間を利用する人間の登場を防ぐ事ができないからです。お人好しを生産する道具としての宗教は人間を支配しようとする人々の発明でしょう。人間自身が倫理に頼る事なく人間を統治するシステムを構築しないといけないという事です。富を再分配する為の税制もそういう中で生まれてきたのでしょう。金持ちから税金を取って貧乏人に配るのが税金の当初の目的のハズであり不公平でなければ富の再分配はできません。消費税などというのは税思想からの逸脱です。このように社会はつぎはぎのシステムで管理していくしかなく改革を否定的に論じる革命派の論理は社会をよりよくする事はできません。

13. 天橋立の愚痴人間 2011年11月15日 00:51:43: l4kCIkFZHQm9g : M1dRyg1AKE
11 さん、ご教授ありがとうございます。

ハイデガーは名前くらいは知っていますが、

フレーゲやウィトゲンシュタイン、サール、デリダ.........

となると、全く知りませんでした。
今から、勉強と言いましても、とても適わないので、今後は、その言葉に注意することにします。


14. 天橋立の愚痴人間 2011年11月15日 01:01:10: l4kCIkFZHQm9g : M1dRyg1AKE
>人間自身が倫理に頼る事なく人間を統治するシステムを構築しないといけないという事です。

地には平和を さんらしい発想です。
しかしながら、これをやりすぎるとマルクスに行くつくのではありませんか。

科学的に!


15. 2011年11月17日 00:01:15: HCF3LmPLDo

 *** 愛の愛は愛の 資本論 ***

 06さんへ

 >エンゲルスが、社会主義を科学にしたといわれる剰余価値の発見、すなわち剰余価値の搾取が、等価交換を通じて行われるというのは、科学的に検証できるのでしょうか。

 実は 私は それほど 資本論に詳しくはないですが 

 マルクスの資本論の 第1巻 部分は正しいのだと思うのですが

 正直 エンゲルスの 第2巻以降は 良くわからないというか 興味がないのです

 ===

 私の考え方は 労働者の 給与は 有給部分と 無給部分がある ということだけで

 十分だと思うわけです 

 つまり 2部3部は 人間の強欲が 関与する問題なのだと思うので

 そうだろうな〜〜〜 程度で いいのではないでしょうか??

 搾取する側は より多く搾取しようとするわけで 搾取される側が弱いのです

 ===

 この辺は 普通に考えれば わかる話で その結果 金融が 巨大になることは

 新自由主義で 問題点がはっきりしてきたのだと思います

 ===

 私の稼業としても 賃貸物件を ビルごと購入する リートみたいな仕事を

 しているわけですが そうゆう 金融まがいの稼ぎは やはり

 弱者(一般大衆)から 金を吸い上げているような 感触が有ります

 ===

 マルクスの資本論では 山田電気などの 流通業も 銀行などと同じ 

 搾取する側にいるとされていて 素直に その通りだと 感じますね

 私は そのように考えられるだけで 資本論に感謝しています
  
 ===

 私の 幸福論から いうと 物質(サービスを含む)は 人の心を豊かにする

 物質(サービス)は 労働からのみ 生まれるのだと 

 マルクスの資本論の 新しい解釈をしているので その意味でも マルクスは

 我々に 正しい方向性を示しているのだと 確信するわけですね

 ===

 愛は 同時に 労働なき善意は 偽善だと考えるわけで

 創価学会に代表される 宗教などに 何らの価値もないと 

 ある意味 共産主義的思想にも 正しい未来のための 方向性があると考えます

 ===

 したがって 日本の 靖国神社が 日本国民に 間違った 方向性を強制することに

 真っ向から反対したくなるわけですね〜〜〜

 
 


16. Y. Kakasi 2011年11月20日 00:58:33: BW32mpuE76J86 : fXOQhCwWGs
15)さん 愛のあふれたコメントありがとうございます。

06)というのは、投稿したKakasiのコメントです。

>私の考え方は 労働者の 給与は 有給部分と 無給部分がある ということだけで 十分だと思うわけです
→確かに、おそらくすべての『資本論』読者はそのように理解しておられます。
マルクスは、契約時点で低賃金でもみなが納得しているから、無給部分があることに気づいていない。だからこの隠されていた剰余労働を発見し、生産過程から生じているとしたのです。
しかしKakasiが思うには、労働者は、雇用契約時点で有給部分が自分の労働力の価値(人間の価値)よりも低く搾取されていることに気づかないでしょうか。不利な立場の労働者は、すでに契約時点で不当に低賃金に抑えられているのではないでしょうか。と、考えれば当然、その場合は交換過程の契約における不等価交換としてもおかしくないでしょう。Kakasiは経済学全体における「等価交換」のとらえ方が事実と異なり、マルクスの価値理論の誤りが、市場の捉え方の誤りにつながっているとおもいます。

>私の 幸福論から いうと 物質(サービスを含む)は 人の心を豊かにする 物質(サービス)は 労働からのみ 生まれるのだと 
→について、言われることはよくわかります。Kakasiの言いたいのは、無給部分の搾取が、交換契約から生まれること、つまり搾取とは隠されたものではなく、強い立場の資本家による弱い立場の労働者に対するあからさまな詐取による収奪であるということです。小さな違いのようですが、すでに述べているようにとても大きな問題をはらんでいると考えています。

マルクスの支持者にも愛を・・・忘れたところに愛がある。
愛ある人により深い愛を。


17. 2012年11月27日 18:10:32 : wXPShKYgaw

 (その3)につづきます。kakasi
 ⇒ http://www.asyura2.com/11/senkyo122/msg/413.html

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