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「いまだに天皇機関説に立つ官僚」(EJ第3151号){Electronic Journal}
http://www.asyura2.com/11/test23/msg/454.html
投稿者 メジナ 日時 2011 年 10 月 01 日 18:58:38: uZtzVkuUwtrYs
 

「いまだに天皇機関説に立つ官僚」(EJ第3151号)
http://electronic-journal.seesaa.net/article/228132096.html
 2011年09月30日 : {Electronic Journal}

 羽毛田宮内庁長官の発言についてさらに考察を続けます。この問題については、メディアは一方的に「小沢一郎の天皇の政治利用」と批判を強めていますが、事実はかなり異なるのです。

 たまたま小沢幹事長が大勢の民主党議員を連れて中国に行き、戻ってきたばかりだったので、メディアは小沢氏が中国側の要請を受け入れて宮内庁に圧力をかけたというストーリーになっているのですが、EJの調査ではまったく事実と異なるのです。小沢氏は次のように発言しています。

 私が中国要人を天皇に会見させよと言ったことはない。自分は この件には関係していない。
  ──小沢幹事長(当時)

 この件に関し、あの評論家・副島隆彦氏は次のやりとりがあったことを明かしています。これは内閣の仕事であり、幹事長の小沢氏の仕事ではないのです。

 事実はどうやら、まず、羽毛田長官のほうが平野博文官房長官に対して、天皇会見の要請を拒絶した。そのあと、再び、今度はアメリカ国務省が日本外務省に「習近平を天皇に会わせろ」と要求してきた。それを外務省は鳩山首相に直接連絡したところ、平野官房長官が再度羽毛田に「なんとかならないか」とお願いした。それでも羽毛田が首を縦に振らなかった。そうしたら、なんと今度はヘンリー・キッシンジャーを通して、子分の中曽根康弘・元首相に直接電話が行き、「習近平を天皇に会わせろ」となった。そこで中曽根は平野官房長官に電話して「習近平を天皇に会わせろ」と圧力をかけた。困った平野官房長官が再々度、羽毛田に会見を要請したら羽毛田が怒りだして、それで12日の宮内庁長官としての暴走会見をしました。
  ──副島隆彦/佐藤優著/日本文芸社刊  『小沢革命政権で日本を救え/国家の主人は官僚ではない』

 副島隆彦氏の情報というと、その真偽を疑う人もいますが、私の知る限り、副島氏の情報は正確です。ちなみにこの件に関し、中曽根氏自身のコメントは産経新聞の記事として載っています。

 中曽根康弘元首相は、12月24日、都内の事務所で記者団と懇談し、天皇陛下と中国の習近平国家副主席との会見を実現させた政府の対応について「慎重に処理してきたと思う。あの程度の時間的ズレは(30日ルールの)原則の枠内のことなので認めていい」と述べた。自らが首相官邸サイドに会見の実現を要請した点に関しては「ノーコメント」とした。
  ──産経新聞/2009年12月25日付

 問題はどうして羽毛田長官はここまで抵抗したのでしょうか。

 それは羽毛田長官をはじめとする官僚が、現在でも自分たちが明治維新以来の「天皇の官僚」という考え方に立っているからです。この考え方は、終戦で天皇は象徴天皇になり、天皇の地位は憲法第3条に示されている通り、天皇は「内閣の助言と承認に基づいて国事行為を行う」と定められているのですが、意識の方がそれについていっていないのです。これは「天皇機関説」そのものであるといえます。

 したがって、今でも官僚は天皇を擁して日本国を支配していると思っているのです。そのため、宮内庁は「1ヵ月ルール」なるものを作って天皇を管理し、その慣例を金科玉条のものとしているのです。これこそ天皇の政治利用そのものです。

 しかもこの「1ヵ月ルール」を守らなかったケースは1995年以降22回もあり、この事実を羽毛田長官自身が知らないはずがないのです。それに宮内庁の長官ともあろう人が官房長官との内輪の話を記者会見を開いて勝手に公表するのは言語道断なことであり、思い上がりも甚だしいといえます。

 これに対して小沢幹事長(当時)が「内閣の一部局にすぎない宮内庁が内閣の指図にあれこれ反対するのは許されないこと」と批判すると、マスコミは「小沢がそういうことをいうのはけしからん」と書き立てて、大騒ぎになっています。

 これほど黒白が明白なことでも、小沢氏がいうと、何でも批判する人が多いのは明らかに異常です。これは改革派官僚といわれる人でも同じなのです。その意見を何回も取り上げている元経産省官僚の原英史氏も、こと小沢一郎のことになると、羽毛田擁護に回ってしまうのですから、唖然とします。やはり、官僚の側からはそう見えてしまうようです。

 30日ルールを破って、会見実現を働きかけた鳩山総理や平野官房長官の対応に、羽毛田信吾宮内庁長官が異例の批判会見。

 これに対し、小沢幹事長が「日本国憲法、民主主義というものを理解していない人間の発言としか思えない」と強烈に批判して、騒ぎとなった。(中略)しかし、一連の発言は、民主党政権の「脱官僚」の危うさを世に知らしめるものだったといってよい。特に、小沢氏の「国民の選んだ内閣だから、天皇に何をさせても自由」と言わんがばかりの発言は、憲法と民主主義に対する理解の浅さを露呈するものだった。言うまでもなく、憲法上、天皇は「日本国および日本国民統合の象徴」だ。天皇を政権の外交の道具として利用することは、「象徴」としての地位を脅かしかねないので、あってはならない。「政権として、日中関係が重要と考えるので、中国の要人と会っていただくことを『優位性が高い』と位置付ける」という小沢氏の発想は、まさに「天皇の政治理由」そのものであって、認められないのだ。 
 
官僚のレトリック

  ──原英史著『官僚のレトリック』/新潮社刊

  ――── [日本の政治の現況/77]


≪画像および関連情報≫
 ●羽毛田長官の事件について/佐藤優氏

 この間題は、今起きている「小沢政治資金問題」における検察の態度と一緒です。このように「官僚が権力を握るのか」あるいは「選挙によって選ばれた政治家が権力を握るのか」という権力闘争が、日本の国家のあらゆる場面で出てきている感じがします。ここのところが見える人と見えない人、この基本線が見える人と見えない人で、今、世の中が違って見えてくると思うのです。村上春樹さんの『IQ84』(新潮社刊)を読むと問題の本質をとらえることができます。ある特殊な人たち、ある特定の経験を遂げた人たちには、月が2つ見えるというのです。『IQ84』というのは、「1984」、と「クエッション(Q)」の84を含意しています。

 別の世界ではなくて、同じ世界がある人にはこう見えて、別の人にはこう見える、と。仏教で言うところの「地獄の血の池」と、「天上の蓮の池」が同じというのと一緒です。だから、2009年12月の羽毛田長官の不当な会見に対してもどこに自分の視座を置くかによって、全然異なる事件に見えるはずです。
 
小沢革命政権で日本を救え
 
  ──副島隆彦/佐藤優著/日本文芸社刊
  『小沢革命政権で日本を救え/国家の主人は官僚ではない』
 

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