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<古代朝鮮と日本を絆ぐ高木神>「朴正煕」は何故「高木正雄」なのか?
http://www.asyura2.com/12/bd61/msg/364.html
投稿者 会員番号4153番 日時 2014 年 3 月 08 日 13:12:04: 8rnauVNerwl2s
 


★「高木正雄」とは「正当な高麗王」という名乗り

 高麗 ⇒ 高来 ⇒ 高木

朴正煕の本貫は、高霊朴氏。

高霊=高麗。

なんと「高木正雄」とは「正当な高麗王」という名乗りであったのである。


★新羅の始祖、金・朴・昔は正真正銘倭人

高霊朴氏とは、あの新羅の始祖「赫居世居西干」の子孫である景明王の次男高陽大君朴彦成を始祖とする。

赫居世居西干=瓠公は倭人で卑弥呼の後を継いだ壱与(居世)で伊勢神(居西干)という名乗りを持っている。
(三国史記では男尊女卑を反映して「男王」に書き換えられている)

壱与の邪馬壱国は九州にあり、本拠地の一つは「高木神」を祀る「筑後国一の宮」高良大社にあった。

※何故か韓国では高木神は祀られていないが、高木神は日本全国で祀られている。


★高麗=高来=高良=カウリー(ホーライ)

では「カル」「コーリー」「カウリー」とは何か?

柳田国男の「海上の道」にある「宝貝」こそ、「カウリー」である。

韓国「半万年」の歴史ではないが、「カル」とは「カルディア」=「バビロニア」を指し、古代の通貨であった宝貝を貿易した「「カルディア」の海人、そして宝貝そのものを「カウリー」と呼んだ。

古代沖縄は宝貝の一大産地であり、中東からインド経由で移住したカル人がいた。

彼らは、沖縄 ⇒ 種子島・屋久島 ⇒ 九州と拡大し、一部は「海北」の朝鮮半島に渡って国を拓いた。


★古代朝鮮と日本を絆ぐ高木神

異端の歴史家・鹿島昇は意図的に隠しているが、浜名の「日韓正宗溯源」によれば、新羅の金・朴・昔は鳥人熊襲(球磨・大隅 熊毛)とあり、南海から半島に拡大したことは明らかだ。
韓国では高木神は祀られていないが、高木神(高皇産霊尊)こそ、日韓の祀るべき祖先である。

「祖国」に仇するパク・クネには早く目を覚ましてもらいたい。


<参考リンク>

■朴正煕(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E6%AD%A3%E7%85%95


朴 正煕(パク・チョンヒ、박정희、1917年11月14日(時憲暦9月30日) - 1979年10月26日)は、大韓民国の軍人、政治家。第5 - 9代大統領(在任:1963年 - 1979年)を務め、軍事独裁・権威主義体制を築いた。また、日韓基本条約の締結を行い、「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長へと結びつけた。韓国はこの経済成長により最貧国グループから脱した。本貫は、高霊朴氏。号は「中樹」(チュンス、중수)。
 
 
■高霊朴氏(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%9C%8A%E6%9C%B4%E6%B0%8F
 
 
■赫居世居西干(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%AB%E5%B1%85%E4%B8%96%E5%B1%85%E8%A5%BF%E5%B9%B2

赫居世居西干(かくきょせい きょせいかん、紀元前69年 - 後4年 )は、新羅の初代の王(在位:紀元前57年 - 4年)であり、姓を朴、名を赫居世とする。
目次 [表示]
建国神話[編集]

『三国史記』新羅本紀によれば、辰韓の今の慶州一帯には古朝鮮[1]の遺民が山合に住んでおり、楊山村(後の梁部もしくは及梁部)・高墟村(後の沙梁部)・珍支村(後の本彼部)・大樹村(後の漸梁部もしくは牟梁部)・加利村(後の漢祇部)・高耶村(後の習比部)という6つの村を作っていた。この六つの村を新羅六部と呼ぶ。
・・・

現代で朴姓を持つ一族のうち最大の規模をもつ慶州朴氏は赫居世の子孫を名乗っている。朴一族は創氏改名の時代に日本名を名乗ることになった当時、赫居世が新羅国を建国した事と蘿井という井戸に近い場所で生まれたという故事から新井姓を通名として使用する事を好んだ[11]。他に朴の字を分解した「木下」姓を名乗ることも多い[独自研究?]。そのため苗字が新井または木下という人は韓国・朝鮮籍の人間であるという話が広まったが、新井や木下という苗字自体は日本に古くから存在しているため新井姓や木下姓がイコール通名というわけではない。ただ通名である場合本姓は朴であることが多い。
 
 
■Old Cowry money Shells
http://beyulonlineshop.com/?p=5082


■「古代難民カリエン人の東方大移動」
http://matmkanehara.blogspot.jp/2011/05/blog-post_07.html

その「貝人」は「カウリー・高離人・カリエン・カレン・高麗」などと呼ばれてきましたが、これは韓国・北朝鮮をコーリアと呼ぶ語源です。

 この名は宝貝のインドや英語の名である「カウリー」「コウリー」と全く同じものです。

 中国に素晴らしい絹を織る南海の「蛟人=カゥリエン」の話がありますが、その名も、やはりこの人々のことだったのです。

 私は幸いこの事実に早くから気づいていて、カレン語が日本語と同系であることなどを、テレビや新聞で発表してきましたが、篤志な視聴者の好意で、ミャンマーのカレン人がこの一族であり、その語り部がタイ国に現住していると教えられ、タイの奥地まで調査に行きました。

 そのカリエン人たちは、バビロン崩壊とともに四方へ散った旧カルデア人のうち東へ大移動した集団の子孫であり、南インド経由で沖縄から日本列島そして朝鮮半島へ広がつていった、という詳細な歴史記録をもっていて、私にそのすべてを教えてくれました。

彼らはインドの南、セーシェルの海から出発して、次第に東へ移動し勢力を拡大しながら、最近まで世界最大のタカラガイ産地だった沖縄に進出して、そこを本拠に中国のイン(殷=商帝国)に貝貨を供給して、その中国統一を実現させるなど、大規模な経済活動で東アジアの大勢力になりました。

 高句麗、蒙古は今でいえばその海外販売担当支社だったのです。


 「超古代に実在した「壮大な倭人圏」

 しかし高句麗にいた人々は不運でした。

 前漢が滅んだ後に政権をにぎった王莽(オウモウ)と、

 隋(ズイ)の皇帝・煬帝(ヨウダイ)とが二度も高句麗を攻めて負かし、高句麗の男性を根こそぎ江南地方に移住させて水田の開発に当たらせました。

 その子孫が逃亡して次第に中国西部に広がって、雲南省から、さらに西に拡大して、ミャンマーにカレン、カレンニの二州をつくるまでに発展したのです。

 だから彼らは3000年前の縄文時代から日本にいた先住民で、その後に入ってきた倭人とは、はっきり区別する必要があります。

 しかし彼らを「前期倭人」とみるなら、その勢力範囲は日本から江南、そしてミャンマーまでの広大な地域にまたがることになります。
 
 [カリエンの語り部の物語ったカリエンの歴史]によると彼らは沖縄から日本列島、朝鮮半島を経て拡大し移動しました。

 忘れてはいけないのは、古代には今のような厳重な国境はなかったということです。

 だからカリエンたちは、幾らでも故郷へ帰ってこれたのです。

 ただ今と違って、その旅には長い年月がかかりました。

 しかし丈夫な男なら、数年歩いた後、船に乗れば、また日本列島まで帰りつくことができたのです。


 「カリ工ン=宝貝人=高麗人」

 日本では[カレン]という名のほうがポピュラーですが、タイやミャンマーの現地へ行ってみると、その名は正確に[カリエン]と発音されています。

 この一音差の[i]が謎を解いてくれたのです。どんなに小さなことも見逃してはいけないという教訓です。

 いま朝鮮半島の人々を、英語ではコリアンとかコレアンと呼ぶことはよくご存じでしょう。

 これをローマ字で書くと[KOREAN]。

 これは訛の強い英語やその先祖のインド語では[カリエン]と発音します。

 では[コレアン]とは何のことでしょう?

 それが[高麗人]という名の英語読みであることはご存じだと思いますが、では[コーレ][コウリ]と発音できるこの[高麗という国名は一体……なにを意味していたのでしょう?。

 それと全く同じ発音の[コーレー][コウリー]という印欧語(インド・ヨーロッパ語)の名をもった海の生物がいるのです。

 それがこれまでお話ししてきた[宝貝]なのです。

 昔は物の名や商品の名は、それを供給する人々の名や産地で呼ばれました。

 日本刀に「長船=オサフネ」というのがありますが、それは岡山県の地名ですし、「虎徹(こてつ)」というのは作者の名前です。

 だから[コーレー]という宝貝の英語名は、高麗貝という意味なのです。

■新羅建国神話は日本建国神話の写し損ない:高靈朴氏の祖先は実は高靈=孝霊天皇
http://www.asyura2.com/12/bd61/msg/123.html

■高良大社(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E8%89%AF%E5%A4%A7%E7%A4%BE

高良大社

所在地 福岡県久留米市御井町1番地
位置 北緯33度18分5.83秒
東経130度33分57.28秒
主祭神 高良玉垂命
八幡大神
住吉大神
社格等 式内社(名神大)
筑後国一宮
旧国幣大社
別表神社
創建 (伝)履中天皇元年
本殿の様式 権現造
例祭 10月9日(高良山くんち)

高良大社(こうらたいしゃ)は、福岡県久留米市の高良山にある神社。式内社(名神大社)、筑後国一宮。旧社格は国幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
古くは高良玉垂命神社、高良玉垂宮などとも呼ばれた。
・・・

高良山にはもともと高木神(=高御産巣日神、高牟礼神)が鎮座しており、高牟礼山(たかむれやま)と呼ばれていたが、高良玉垂命が一夜の宿として山を借りたいと申し出て、高木神が譲ったところ、玉垂命は結界を張って鎮座したとの伝説がある。山の名前についてはいつしか高牟礼から音が転じ、良字の二字をあてて「高良」山と呼ばれるようになったという説もある。現在もともとの氏神だった高木神は麓の二の鳥居の手前の高樹神社に鎮座する。なお、久留米市御井町にある久留米市役所の支所の名前「高牟礼市民センター」や、久留米市内のいくつかの小中学校の校名や校歌の歌詞に「高牟礼」の名前が残っている。

 
 
■高来神社(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9D%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE

高来神社(たかくじんじゃ)は、神奈川県中郡大磯町高麗(こま)に鎮座する神社。高麗神社とも呼ばれる。旧社格は郷社。
社名は一説に朝鮮半島にあった高句麗からの渡来人に由来するといわれる。


■種子島・広田遺跡について:天武天皇は仙境を求めてやってきた除福の子孫
http://momo-momomat-momo.blogspot.jp/2011/11/blog-post_26.html


■柳田國男『海上の道』
http://www.miyakomainichi.com/2010/07/2928/

柳田國男は晩年『海上の道』を著しロマンに満ちた日本人先祖の仮説を発表。大陸南部から稲作技術をたずさえた人々が宮古島、琉球諸島から北上した。彼らは貨幣となるタカラガイを求めた    ▼ 先島の先史時代は日本の縄文・弥生時代に相当するがその影響を受けていない。むしろ南方的要素の強い文化だ。土器を作る時代と作らない時代に大別され、宮古島では前者は未確認。シャコガイ製の貝斧が多いのが特徴   ▼時代は紀元前700年ごろから紀元後200年ごろまで約1千年海岸砂丘地に生活する。その後、約1千年の空白期間があり、1100あるいは1200年ごろ、人々が宮古島に定住、現代まで続く ・・・


■<朴・金・昔は鳥人熊襲の族>新羅の三王家、朴・金・昔は南九州からやって来た!!(契丹古伝)
http://www.asyura2.com/12/bd61/msg/117.html


■高車(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E8%BB%8A


 

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コメント
 
01. 2014年3月08日 14:39:19 : gtqEzts6jg
タケミカヅチは八咫烏(やたがらす)の孫。事代主は蘇我大王
http://matmkanehara-momo.blogspot.jp/2012/03/8-web-my-googleweb-google-yahooweb.html

では出雲へ隠棲した大国主とは、一体?誰だったのであろう?。

もう一度、登場人物たちの名乗りを詳しく分析してみよう。

建卸雷男神の「建御」は、彼に命令した高木の神と共通の名乗りをもっている。

建=高だから御・ゴ=木・コである。

この高木は大隅語だとタケチだから武内である。

武内ヌ大臣はタケチヌウミ。

京都下鴨にある賀茂御祖(みおや)神社の祭神・賀茂の建角身命もタケツヌミで、

同じ名乗りだとわかる。

すると天照大神と高木の神のセットは、

神功皇后と武内宿祢のセットだったことが判るのである。

この建角身命は神武天皇を先導した頭八咫烏(やたがらす)として有名である。

八咫はハタ。

武内宿祢の子に羽田(ハタ)八代(ハタ)宿弥がいる。

頭八咫烏は羽田韓子(カラス)だったのである。

この建角身命の孫が賀茂別雷命で、

上賀茂の賀茂別雷神社に祭られている。

建御は武内・雷は雷、男神は日子=別(ビチ)で、

建卸雷男神は完全に賀茂別雷命なのである。

彼は八重事代主に迫って国を譲らせた。

八重はハエでもあり、大隅語ではハエは「速い」である。

事はジ。日はジツで、八重事は「速日」に合う。

代はダイ=大。主は王でもある。

この事代主は恵比寿(エビス)として知られている。

関西では「十日えびす」を祭る。

十は「ソ」日は「カ」で速日・蘇我・ソナカ。

八重事代主は蘇我大王であってヤエコトシロヌシではない。


08. 2014年3月09日 08:34:13 : gtqEzts6jg
全国の高木さん、高樹さん、高城さん、高橋さん、高村さん、高田さん、駒田さん、駒村さん。自分の祖先について考えてみてはどうでしょう?


九州古史譚2 高木神氏族と狗人。
http://blog.goo.ne.jp/araki-sennen/e/d1cc201baa508296b5b36664ec6ee4c2

「九州北部域の高木神。」英彦山神宮と鷹の神祇。
http://aburabaku.blog.jp/archives/cat_171468.html


13. 2014年3月09日 14:58:29 : gtqEzts6jg
居世神社 - 鹿児島県神社庁
http://www.kagojinjacho.or.jp/search/ohsumi/tarumizu/post-406.html


神社名:居世神社
神社名カナ:コセジンジャ
鎮座地:〒899-4632 垂水市牛根麓591
例祭日:旧二月初の日曜

以下三国名勝図会によれば、上古十二月二十九日の夜、居世神門の農夫が潮を汲もうと浜辺に出たところ、七歳の童子の乗った船が漂着した。この童子は、帝位を継ぐことあたわずと流された欽明天皇の第一の皇子であった。農夫は皇子を撫育したが、十三歳にして薨去されたため、その霊を祀ったという。



14. 2014年3月09日 15:08:02 : gtqEzts6jg
摂津の式内社/垂水神社
http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/hokusetu-tarumi.html

大阪府吹田市垂水町1丁目
祭神−−主神:豊城入彦命
相殿:大己貴命・少彦名命

主祭神の豊城入彦命(トヨキイリヒコ)とは、崇神天皇の第1皇子だが、皇位を弟に譲り東国経営に派遣されたという皇子で、崇神紀48年条に次の挿話がある。
 「天皇が豊城命(トヨキ=トヨキイリヒコ)・活目尊(イクメ=垂仁天皇)を呼んで、『二人とも可愛いので、どちらに皇位を譲る決めかねるので、夢で占いたい』とおっしゃった。
 二人は身を浄め神に祈って寝、それぞれ夢を見た。兄トヨキ命は、“御諸山(三輪山)に登って、東を向いて八度槍を突きだし、八度刀を振る”夢を見た。イクメ尊は“御諸山の頂に縄を四方に引き渡し、粟を食む雀を追い払う”夢を見た。二人は、自分の見た夢を天皇に報告した。
 天皇は、『兄は東に向かって武器を用いたので、東国を治めよ。弟は四方に心を配って稔りを考えたので、吾が位を継げ』と告げ、イクメ尊を皇太子とし、トヨキ命には東国を治めさせた」(大意)
 皇位継承を夢占(ユメウラ)によって決めた事例だが、実態は、イクメ尊の母が物部氏出身で、トヨキ命の母が紀氏出身という母方の出自によるものであろう。なお、夢占の場が三輪山だったことは、アマテラス伊勢鎮座以前のヤマト朝廷において、三輪山の神(オオモノヌシ)が特段に崇拝されていたことを示唆するという。


16. 2014年3月10日 06:22:48 : WzX8nPCmYM

  投稿者 会員番号4153番さん

世の中の事象に対する目の付け所は間違っていないと思います。ただそれならば、多かれ少なかれ世の中の誰であっても類似した考えを持つことがあるのではないでしょうか。ほとんどの人が既に同じ思いをしていると考えられます。

多くの日本人がそのような思いをしていながら、現実社会で繰り広げられている事象について投稿者さんの思いが語り掛けられています。それに対して様々なコメントが寄せられています。

まさに空即是色・色即是空の般若心経の意味にピッタリだと思われませんか? 怒りをあらわにした様々なコメントや人それぞれ直接的な思いが集まってきます。

世の中を般若心経で見るなら全てを諦めるより他はありません。何故ならお釈迦様の方便の教えだからです。世の中の見方を初等教育として教えた権経だからです。

日本は未だ法華経誹謗の科により国家としても個々の国民としても世の中の事象に対して正しい判断をする能力が備わっていないくにです。だから日本史を辿ればいつの世も間違った判断による国家の営みが繰り返されてきました。

丁度それは阿修羅の投稿文に対して個人の感情が炸裂したかのようなコメントが寄せられる様相と同じようにも思われませんか? 

それなら衆目が認めるまともな結論や正しく認識が共有されていくにはどうするべきか。日本は確かに謗法の歴史を改めれば解決するはずです。権経に基づいた考えから実経に依る知恵を人間が行使しないならば、世の中は投稿文に対してコメントして疲れ果てることを繰り返すだけでしょう、延々と。

今の日人に必要なのは世の中の事象をどのように観ると言うことではありません。日本人の謗法を改める儀こそが先ず必要なんです。結局は全てが空しいだけにしかならない権経の世界にとどまるべきではありません。


17. 2014年4月04日 18:21:05 : AiChp2veWo
カラ族、世界に雄飛した太古日本民族だと吉田信啓さんが書いている。私は信憑性が高いと考えている。現、半島人は南下したエベンキ族と他書に書かれている、それ以前の半島人はすでにいないと。百済も日本から行った人物が作ったと、これも信じている。インカを作ったように。それぞれの国が民族が誇りをもって暮らせばよい。互いに干渉せずに。


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