http://www.asyura2.com/12/china3/msg/265.html
Tweet |
(回答先: 尖閣諸島「中国が日本の領土と認めていたことは明白」と識者(NEWSポストセブン) 投稿者 馬鹿まるだし 日時 2012 年 9 月 30 日 12:25:57)
2012年9月29日 21:00〜23:10 フジテレビ放送
「土曜プレミアム・池上彰緊急スペシャル! そもそも“領土”ってなんだ?▽尖閣…中国の矛盾が見えてきた!証拠はコレだ▽竹島…韓国が熱くなるホントの理由▽問題の原点が分かる!日中国交正常化の裏側」
番組紹介:「尖閣諸島」「竹島」などの領土をめぐる問題!その正しい歴史を池上彰が徹底解説!さらに生放送で最新ニュースを解説!
[キャスト] 【解説】 池上彰 【進行】 高島彩 【出演】 えなりかずき 坂下千里子 柴田理恵 船越英一郎 宮下純一 (五十音順)
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/120929premium/index.html
池上彰緊急スペシャル!(領土をめぐる問題) 1/2
池上彰緊急スペシャル!(領土をめぐる問題...
http://www.dailymotion.com/video/xtyqeh_yyyyyyyyyy-yyyyyyyy-1-2-2012-09-29_shortfilms
池上彰緊急スペシャル!(領土をめぐる問題)2/2
池上彰緊急スペシャル!(領土をめぐる問題...
http://www.dailymotion.com/video/xtyqpv_yyyyyyyyyy-yyyyyyyy-2-2-2012-09-29_shortfilms
元NHKキャスターで現在はジャーナリストとして広く活躍する池上彰氏は、番組のなかで尖閣諸島が日本の領土であることを以下のとおり解説した。
今も魚釣島に残っている石垣は、1900年ごろ、日本人がそこで暮らしていたことを伺わせる石造りの小屋の跡で、実際に住んでいたことを示す石垣小屋の集落風景の写真を紹介、多いときには200人近くの人が住んでいたという記録があるという。また、当時はカツオでかつお節を作る工場まであったとしてその写真も紹介した。
そして、台湾が尖閣諸島(中国名;釣魚島)の領有権を主張したのは1971年6月11日、続いて中国も同年12月30日に主張。中国側は古文書を出してきて、この島を昔から認識していた、もともと中国のものだと言い出しているのだが、それを言い出したのはわりと最近のことで、少し前までは中国はそんなことを言っていなかったという証拠がある、と池上氏。
その証拠の一つとして、1958年に中国で発行された世界地図集を持参して紹介。そこにはっきりと「魚釣島 尖閣諸島」と表記されており、中国が尖閣諸島を日本の島だと認識していたことを証拠立てて説明した。さらにその地図は、台湾(中国表記:中華人民共和国)と日本との国境線の位置からも明らかに尖閣諸島が日本の領有であることを差し示すものだった。中国政府の方針がそのまま地図帳になっており、そこに魚釣島と書かれていると。
また、もう一つ証拠があるとして、1953年1月8日付の中国共産党の機関誌「人民日報」紙の4面に、沖縄の人たちが反米闘争に立ち上がったという記事を紹介。中国の国民向けに、琉球群島とはどこかという解説が書かれているが、そこにはっきり「包括尖閣諸島」(尖閣諸島を含む)とあると。つまり中国は尖閣諸島が沖縄のものだという認識を持っていたことを示している。
なお、池上氏はこの番組以前にも、2010年9月28日放送のフジテレビ「教えてMr.ニュース 池上彰のそうなんだニッポン」で尖閣諸島問題を取り上げ、尖閣諸島は日本の領土であることを以下のとおり解説した。
(以下、青山繁晴氏のファンサイト・淡交 ブログより抜粋)
「実は日本の領土だよ、ということを向こうも認めていたよね、という証拠の品が色々あるんですね」
「今からそれを、いくつかお見せしましょう」・・・という言葉から始まります。
(前半の大事な部分を簡単にまとめてみます)
先ず現在の共産中国ではない「中華民国」の時代の話から。
1920年(大正9年)、尖閣諸島周辺で中国の漁民が遭難したのを、日本の漁民が救出した。
これに対し、中華民国から感謝状が日本側に贈られている。
その感謝状には、はっきりとこう書かれている。
「日本帝国 沖縄県 八重山郡 尖閣列島」
つまり中華民国の時代には、尖閣諸島を日本の領土だと認めていたことになる。
しかし、証拠はこれだけではなく、
現在の「中華人民共和国」も、尖閣を日本の領土と認めていたという証拠がある。
1953年、中国共産党の機関紙である「人民日報」1月8日付の記事に、沖縄での反米運動の記事が出ている。
その時に、中国の国内向けに「そもそも琉球群島とは何処か?」という解説が出ていて、
これを見ると、「琉球群島には尖閣諸島が含まれる(包括尖閣諸島)」と書いてある。
また中華民国以前の「清の時代」に於いても、
日本は「尖閣諸島は何処の領土でもない」という事を確認、「清の領土でもない」という事も確認した上で、尖閣を日本の領土とした。
1917年当時(感謝状の3年前)は、かつおぶし工場などもあったため、中国の漁民を助けることも出来たが、燃料代が上がったりしたこともあって工場を放棄し、その後はずっと無人島となっている。
さらに1958年、北京で発行された地図にも琉球群島を解説しているものがあり、「沖縄などの琉球群島の中に尖閣諸島も含まれる」と書いてある。
http://blogs.yahoo.co.jp/tankou_2008/33989127.html
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。