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胡錦濤による「見えない院政」が始まった    配下の中央軍事委員メンバーが習近平を監視?
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投稿者 MR 日時 2012 年 11 月 27 日 14:51:25: cT5Wxjlo3Xe3.
 

JBpress>海外>中国 [中国]
胡錦濤による「見えない院政」が始まった
配下の中央軍事委員メンバーが習近平を監視?
2012年11月27日(Tue) 阿部 純一
 予想外の胡錦濤完全引退によって、習近平が中国共産党と人民解放軍のトップの座を同時に手に入れ、名実ともに習近平時代の幕が開けた。

 2013年3月の全国人民代表大会(国会に相当)で、国家主席の座も胡錦濤からバトンタッチされるのは確実な情勢であり、そうなれば、習近平が党・軍・国家のすべての権力を一手に握ることになる。

 胡錦濤にとって「党中央政治局常務委員会」の人事は皮肉な結果に終わった。従来の9名の枠から2名を減らし、7名の体制にしたのは胡錦濤の意向だったはずだ。2002年に江沢民が引退する際に、自分の影響力を残すため、常務委員の枠を2名増員し、イデオロギー担当と政法委書記を常務委員会入りさせ、江沢民派で押さえた経緯がある。この増員分をなくし、7名として胡錦濤に近い李源潮、汪洋を常務委員に押しこむことによって、習近平に代表される太子党や江沢民派に拮抗しようとする狙いがあった。

 だが、結果は皮肉なものとなった。9名から7名への削減は実現したものの、李源潮、汪洋の2人は政治局委員に据え置かれた。結果として、常務委員に留任した李克強を除く6名は太子党・江沢民派によって占められてしまった。

 2007年の第17会党大会で胡錦濤が李克強を自分の後継者にすることができなかった事実と重ね合わせると、胡錦濤の「詰めの甘さ」が際立つ結果となった。

過去の昇進ケースを踏襲しない中央軍事委員会の人事

 「党中央政治局常務委員会」の人事で苦杯をなめる結果となった胡錦濤は、しかしながら「中央軍事委員会」人事では江沢民の影響力を一掃し、かなりの程度まで独自色を出すことに成功したように見える。

 実際、党大会直前に、北京の西長安街にある革命軍事博物館の東側にそびえる中央軍事委員会メンバーの執務室などが置かれている「八一大楼」から、江沢民の執務室が撤去されたという報道があった。2004年に引退したはずの江沢民が執務室を依然として持っていたことは「さもありなん」という印象だが、それが撤去されたことで江沢民の影響力が排除され胡錦濤が人事の主導権をとったということが分かる。

 しかし、新たな中央軍事委員会メンバーの陣容が、党大会前に報じられたことも異例だった。

 従来は党大会後の中央委総会が終わってから公表されてきたが、今回は10月下旬に副主席1名、4総部(総参謀部、総政治部、総後勤部、総装備部)のトップ、さらに空軍司令員の人事が明らかにされ、その後、第二砲兵部隊司令員人事が続き、11月に入り党大会直前の17期7中全会でもう1人の副主席人事が報じられ、唯一の留任人事だった海軍司令員については党大会終了後も報じられなかった。こうした「五月雨(さみだれ)式」の人事発表は異例中の異例だろう。

 発表の仕方が異例なら、人事そのものも異例だった。過去の昇進ケースを踏襲しない人事は中国研究者泣かせであるとともに、今回の人事がそれだけ特殊な環境のもとでの人事だったことを窺わせる。

 薄熙来失脚事件の影響もあったろうし、江沢民や軍長老、また習近平との綱引きの中で、胡錦濤が主導し、決まったところから順次発表していった結果なのかもしれない。

中央軍事委員会の人事を読み解く

 では、新たな中央軍事委員会メンバーを具体的に見ておこう。

・主席  習近平

・副主席  范長龍
・副主席  許其亮

・国防部長  常万全

・総参謀長   房峰輝
・総政治部主任  張陽
・総後勤部長  趙克石
・総装備部長  張又侠

・空軍司令員  馬暁天
・海軍司令員  呉勝利
・第二砲兵部隊司令員 魏鳳和

 副主席は2名で、済南軍区の司令員だった范長龍(65歳)が主席に次ぐ常務副主席となった。その下の副主席に、空軍司令員だった許其亮(62歳)が抜擢された。

 実は、軍歴から見ると許其亮の方が上位に来る。上将の任命は許其亮の方が1年早く、上将ポストである副総参謀長になったのも2004年7月で、范長龍の済南軍区司令員就任より2カ月早い。年齢差を考えると、許其亮のスピード昇進ぶりが分かる。

 なぜ逆転したかは、もちろん憶測になるが、空軍生え抜きの許其亮を制服組のトップにすることがためらわれたのだろう。人民解放軍は陸軍優位の組織である。

 では、なぜ陸軍出身の総装備部長だった常万全が国防部長にまわり、副主席にならなかったのか。それは常万全に総参謀部勤務の経験がなかったからと思われる。范長龍は2003年12月から2004年9月まで総参謀長助理を経験していたから、大軍区の司令員から直接、副主席への抜擢があり得たのだろう。

 88年の階級制度復活以来、歴代の軍令系副主席はすべて総参謀長あるいは副総参謀長を経験してきた。その意味では范長龍は例外に属するが、かろうじて総参謀長助理の経験があったことで異例の昇進になったのだろう。そして、まさに例外なのは常万全であり、総参謀部勤務の経験のない国防部長は88年の秦基偉以来である。

 そうすると、副総参謀長経験者、あるいは現任の副総参謀長の中で副主席や国防部長の適任者がいなかったのかということになる。経験者としては呉勝利海軍司令員(67歳)がいるが、彼を副主席にすると海軍、空軍で副主席を占めることになり、これは陸軍の面子を失わせることになってしまう。また国防部長は歴代、陸軍出身者で占められてきた。副主席については、年齢的に若く、今後2期10年を務めることができる許其亮が優先され、1期5年しか残されていない呉勝利が海軍司令員に留任するしかなかったのだろう。

 現職の副総参謀長として、筆頭に位置するのが章沁生であり、彼の副主席ないしは国防部長、総参謀長の就任はあり得たはずだ。しかし、結果は現職に留め置かれた。人民解放軍きっての戦略理論家である彼が冷遇されたのは、一部の報道で報じられたように、彼が現在の人民解放軍ではタブーとされる「軍の国軍化」を主張したことと関連するのかもしれない。もう一人の馬暁天は空軍出身のパイロットであり、許其亮の後任の空軍司令員への昇進が順当であった。さらに孫建国がいるが、彼は海軍出身であり、いずれ呉勝利の後を継ぐ立場にある。

 総参謀長は、北京軍区司令員の房峰輝が抜擢された。このポストも、従来なら4総部の中から選ばれるケースが多く、大軍区司令員からの抜擢は2002年の梁光烈(南京軍区司令員)以来である。房峰輝は、2009年の建国60周年軍事パレードの総指揮を務め、胡錦濤の好むテクノクラート的軍人である。

 総政治部主任は、広州軍区政治委員の張陽が抜擢された。ノーマークの異例な抜擢である。胡錦濤は軍権掌握を狙い、軍政系の軍人の昇進を心がけてきた経緯があり、張陽もその1人だったのであろう。

 軍政系のホープとして、総後勤部政治委員の劉源(元国家主席の劉少奇の息子)と、第二砲兵部隊政治委員の張海陽(元軍事委副主席の張震の息子)がいたが、ともに失脚した薄熙来(前重慶市党委書記、元副総理の薄一波の息子)と親密な関係にあったことから昇進は見送られ、現職にとどまった。これが張陽に幸いしたと思われる。大軍区政治委員からの抜擢は、1987年の楊白冰(北京軍区政治委員)以来だ。

 総後勤部長に抜擢された趙克石、総装備部長に抜擢された張又侠は、明らかに習近平の人事である。趙克石は南京軍区司令員からの抜擢だが、彼は第31集団軍(福建省厦門)の所属が長く、同様に福建省に長く勤務した習近平の「老朋友(ラオポンヨウ)」である。瀋陽軍区司令員から抜擢された張又侠は、今回中央軍事委入りした中では唯一と言っていい「軍内太子党」であるが、彼の父・張宗遜は習近平の父・習仲勲が第一野戦軍政治委員だった時の戦友であり、習近平とは幼なじみでもある。趙克石、張又侠の2人は、習近平体制下の中央軍事委において側近的役割を担うことになろう。

 海軍司令員の呉勝利留任、空軍司令員の馬暁天就任についてはすでに触れた。残る第二砲兵部隊の司令員は、副総参謀長の魏鳳和中将が抜擢された。これは「順当」と言うよりもむしろ「準備された人事」と言ってよいだろう。というのも、彼は第二砲兵部隊出身で初めて副総参謀長に抜擢された人物であり、「次の司令員」就任が約束されていたと見ることができるからである。

習近平の軍歴は軍のコントロールに役立つか?

 今回の党中央軍事委人事は、すでに指摘した通り、過去の昇進パターンが無視された抜擢人事が目立つという意味で「政治任用」であり、また聞こえの悪い言い方をすれば「情実人事」がまかり通った結果であった。

 確かに、選抜された陣容を見れば江沢民の影響はほぼ払拭されたと言っていいだろう。しかし、胡錦濤の政治的意思を反映した人事であるとはいえ、習近平に近い人物も入っていることから一定のバランスにも配慮したことが分かる。

 胡錦濤は、党・軍から完全引退したとはいえ、人事で自分の意思を託したはずだ。ただし、後任の習近平は胡錦濤や江沢民といった軍歴のない指導者とは異なる。父親の習仲勲は副総理も務めた大物だが、初代国防部長を務めた彭徳懐が第一野戦軍の司令員だった時の、そのパートナーである政治委員であった。これは軍人に対して非常な重みになる。

 習近平自身、清華大学卒業後に最初に得たポストは、中央軍事委弁公庁で中央軍事委秘書長だった耿ヒョウの秘書であり、そのとき習近平は軍の制服を着ていた。つまり軍歴もそれなりにあるわけだ。しかも、夫人の彭麗媛は人民解放軍歌舞団の団長で、国民的人気のある歌手であり、少将の階級を持つ軍人である。よって、軍の中で習近平は「身内」同然と思われているはずであり、習近平自身、軍歴がなかった江沢民や胡錦濤が抱いたはずのコンプレックスとは無縁である。

 ただし、だからといって習近平が軍に都合のいい指導者というわけではない。軍のことに口を挟まず、軍の意向に忠実な指導者が軍に都合のいい指導者であり、軍についての経験や知識がない指導者の方が、軍にとってはありがたい。

 軍歴のない江沢民や胡錦濤は、人事とカネ(予算)で軍をコントロールしようとしてきた。江沢民は上将79名を任命し軍権を固めたが、胡錦濤が任命した上将は45名にとどまり、しかも今回改組される前の中央軍事委メンバー10名の内、胡錦濤が任命した上将は3名(許其亮、常万全、呉勝利)に過ぎない。胡錦濤の軍権掌握に疑問符が付けられてきた原因の一端が窺われる。習近平の経歴や血統が軍権を握るうえでうまく機能するかどうか、注目されるところだ。

胡錦濤に任命された上将たちが監視

 今回の中央軍事委メンバーは、10名中9名が胡錦濤の上将任命である。残る1人は魏鳳和中将であり、近く上将に昇格になるが、彼が初めての習近平人事になる。

 引退した胡錦濤が習近平に残したのは、胡錦濤が上将に任命した将軍たちの中央軍事委員会であり、今後5年は、習近平は彼らとその背後にいる胡錦濤に監視されることになる。

 副主席の2人は党中央政治局のメンバーになり、また政治局委員には胡錦濤直系の共青団出身者が数多くいるから、習近平を頂点とする政治局常務委員会もまた胡錦濤に監視されると言っても過言ではない。

 胡錦濤による「見えない院政」が始まった。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/36584  

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