07. 2013年3月12日 00:39:55
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尖閣で中国が負った「深い傷」2013年3月12日(火) 坂田 亮太郎 外資の対中投資は減少が続く。人件費高騰に日本企業の投資減が追い打ちをかけた。日本製品ブランドへの消費者意識も回復は鈍く、投資を増やせる状況にはなっていない。中国が対日強硬姿勢を今後も続ければ、経済成長へ与える痛手は深刻になるだろう。 「中国の総合力は上がり、国際的影響力が大きく向上した」 3月5日、北京の人民大会堂で開幕した全国人民代表大会(全人代、国会に相当)。首相として最後となる「政府活動報告」を発表した温家宝氏は、在任中の成果をことさら強調した。 それも無理はない。国際通貨基金(IMF)によると、中国の名目GDP(国内総生産)は2012年が52兆1837億元(約782兆7555億円)。10年間で3.8倍に拡大し、日本より4割以上も大きくなった。1人当たりの名目GDPは6094ドルで、自動車などの消費が急増する3000ドルを大きく超えた。 既に共産党総書記である習近平氏は17日まで開かれる全人代で国家主席に、首相には李克強氏が就く。党、政府の体制が決まり、新政権は本格的なスタートを切る。だが、前途は多難だ。外資をテコに成長する中国の「勝ちパターン」が破綻しかかっているからだ。 外資の対中投資減少、深刻に 四半期ベースの外資による対中直接投資額は2011年第4四半期から5期連続で前年同期を下回った。中国商務省が2月20日に発表した今年1月も前年同月比7.3%減。このままでは6四半期連続のマイナスとなる可能性は高い。
大きな要因は人件費の上昇だ。農村部の安価で豊富な労働力を沿岸部の工場に集め、「世界の工場」として発展してきた。しかし、平均賃金は過去10年間で4倍以上になり、労働集約型製造業の採算は合わなくなった。独アディダスなどが工場閉鎖を決定。米アップルは米国への投資回帰を表明した。 それに追い打ちをかけたのが、昨秋まで外資投資を下支えし、増え続けてきた日本企業の投資減速だ。昨年9月に各地で広がり暴徒化した反日デモと、日本製品への不買運動が原因であることは言うまでもない。 今でも日本企業誘致を地元発展の牽引役にしたいと考え、誘致活動を続ける中国の都市も多いが、デモ以降は日本企業が慎重になり、投資減に歯止めが利かない。日本企業の対中投資は今年1月、前年同月比2割減となり、外資全体の対中投資の減少幅を大きく上回った。今後さらに減るとの見方がある。 振り返ってみれば、中国の発展に日本が果たした役割は大きい。円借款を中心に対中ODA(政府開発援助)は3兆円以上。空港や港湾、発電所など大型インフラ整備に重要な役割を担ってきた。 民間も投資に積極的。1989年の天安門事件後も、2008年のリーマンショック後も、欧米に先駆けて回復したのは日本企業による投資だった。 それでも対日強硬姿勢は続く だが、尖閣問題で後へ引けなくなった中国政府は今、日本に厳しい姿勢を取り続けている。全人代の傳榮報道官(外務次官)は4日の記者会見で、「領土紛争を巡る問題では断固対応する」と述べた。 政府要人が繰り返すこうした発言は、中国人の日本製品への意識にも影響を及ぼしている。 本誌は昨年9月以降、中国で日本製品の購入意識を調査している。1月18〜24日の調査結果を都市別に集計し、2月18日号で掲載した。今回、それをブランド別に分析したのが下の表だ。 自動車・小売りで回復遅く 調査概要
日経ビジネスは2012年9月以降、中国の主要12都市(北京、上海、広州、瀋陽、大連、青島、南京、長沙、武漢、深圳、成都、西安)で日本製品の購入意識を定点観測している。その中で上記50ブランドについて認知度と愛着度を尋ねた。調査はEmbrain Infobridge Chinaの協力の下、消費の中核となっている20代、30代、40代を対象にインターネットでアンケートを行った。各都市で男女比や年代がほぼ均等になるように回答者を集め、調査数は前回(昨年10月18〜24日)と今回(1月18〜24日)ともに約2400人。日本のブランドとして認知度が平均値よりも低かった28ブランドはランキングから除外した。 「昨年9月に起きた釣魚島(尖閣諸島の中国名)を巡る事件の後でもこのブランドが好き」と回答した人の割合は、50ブランド平均で42.2%。前回(調査は昨年10月18〜24日)に比べて2.0%の向上にとどまった。 特に厳しいのが自動車だ。反日デモの際、日本車の破壊が相次いだことも響いている。トヨタ自動車と日産自動車は今年1〜2月の販売が前年同期比2ケタ減った。一時期より戻ったとはいえ、本格回復には時間がかかる。安定して売れる見通しが立たなければ、対中投資を増やせる環境にはならない。 今後、日本企業の対中投資を減少させる要因はほかにもある。急速な円安で、日本円に対する人民元の為替レートも急上昇し、ここ数カ月で対中投資は2割も負担が増えた。人件費上昇なども考慮し、東南アジアで投資する企業が増えている。 中国は反日デモとその暴徒化を許したことで、格差拡大や役人の腐敗などへ不満を募らせる国民のガス抜きに成功したかもしれない。だが、日本からの投資急減という痛手を負った。それだけではない。欧米など世界に中国リスクを再認識させた。その傷は深い。 5日の活動報告で温首相は2013年の経済成長率を昨年と同じ7.5%とした。高度成長期と比べると控えめだが、外国からの投資が先細れば、これすら達成は困難だろう。 坂田 亮太郎(さかた・りょうたろう) 日経BP社上海支局長。入社してから6年間はバイオテクノロジーの専門誌「日経バイオテク」で記者として修行、2004年に「日経ビジネス」に異動、以来、主に製造業を中心に取材活動を続けた。2009年から北京支局に赴任し現在は上海支局。趣味は上手とは言い難いがバドミントン。あと酒税の安い中国はビール好きには天国です。 時事深層
“ここさえ読めば毎週のニュースの本質がわかる”―ニュース連動の解説記事。日経ビジネス編集部が、景気、業界再編の動きから最新マーケティング動向やヒット商品まで幅広くウォッチ。
万5000円)以下。 2. 靴の値段は800元(約1万2000円)以下。 3. 結婚前のガールフレンドは3人以下。 4. 年末ボーナスは1万元(約15万円)以下。 5. “康師傅(Master Kong)”<注2>のペットボトルの緑茶を飲む。 6. “真維斯(Jeans West)”のブランド「361度」の服を着る。 7. 1箱(20本入り)で20元(約300円)以下の安タバコを吸う。 8. 価格が10万元(約150万円)以下の低価格の車を運転する。 9. 飲む酒は“白酒(アルコール度の高い蒸留酒)と“啤酒(ビール)だけ。 10. 最近3〜5年間は長距離の旅行をしていない。
<注2>中国で最大の台湾企業。中国のインスタントラーメン市場では第1位でシェアは約5割、飲料市場でもシェアはコカ・コーラに次いで第2位。 【2013年女屌絲の新基準】 1. 今までビキニの水着は買ったことがない。 2. 明るい色のマニキュアは持っていない。 3. 上下セットの下着は綿じゃないから着られない。 4. ヒールが5センチ以上の靴を履いたことがない。 5. 髪型は半年以上新しいものに変えない。 6. 年に5カ月以上はダイエットをしている。 7. 歯をむき出して大口を開けて笑う勇気がない。 8. 男性の後ろを歩くのを好む。 9. 鏡を見ることはあまり好まない。 “女屌絲”は新標準9項目中の5項目がファッションに関連する内容で、正面から収入のレベルとかブランド物に言及していない。これに対して、“男屌絲”の新基準10項目はそのほとんどがカネに関わる内容となっている。これは若い男性たちの中で経済格差がいかに深刻かということを示しているように思われるし、若い女性たちはカネがあるなしには関係なく、おしゃれに関心を寄せているかどうかが“女屌絲”になるかどうかの分岐点になるようだ。 本来、“屌絲”は農村出身で都市へ移り住んだ若者たちを指し、彼らにとっては住宅や車を持つことなど遥か遠い夢にすぎず、そうした彼らが自らを卑下した呼び名であった。ところが、ネットの流行語として“屌絲”が知られるようになると、農村出身でない若者もこれに共鳴して、自分たちも“屌絲”であると自認するようになったことからその人口は瞬く間に増大し、現在に至っている。 だからこそ、2013年の“屌絲”の新基準が報じられると、その項目を見て納得し、自分も“屌絲”に該当すると認識を新たにする若者が増えているのである。外見上は世界第二の経済大国として繁栄する中国だが、そこに住む若者の多くが自らを“屌絲”であると自嘲気味に卑下するのはなぜなのか。そこには時代とともにより深刻さを増す格差社会の現実が大きく影を投げかけているように思われる。 周囲の人は不憫に感じている 2012年4月11日付でポータルサイト“百度(baidu.com)”の掲示板に作者不詳で書き込まれた「“屌絲”とはどういう意味か」という表題の記事には次のように書かれていた。ただし、ここで言う“屌絲”は男性の“男屌絲”を指している。 【他人は“屌絲”をどう見ているのか】 1. 性格が内向的で、話をすることが苦手。 2. 内心は善良だが、自分および世界に対する正確な認識が乏しい。 3. 愛情はなく、あるのは悔恨と幻想のみ。 4. 仕事が比較的辛く、不満が充満している。 5. 夢はあるが、それを実現するための努力はしたくない。 6. 尊厳はあるが、自尊心はなく、ひたすら他人からの施しを渇望している。 【“屌絲”は自分をどう見ているのか】 1. “窮(家庭が貧困)”“丑(容貌が醜い)”“矮(背が低い)”“挫(挫折した)”“苯(愚かな)”を一身に背負った存在である。 2. 人に跪いて額ずき、ご主人さまと呼ぶ、奴隷根性。 3. 女性にとっては予備タイヤ(=予備の恋人)でもなく、単なるジャッキでしかない。 4. 人に叩かれたらひたすら死んだふりをするだけで、死を恐れて反撃はしない。 5. 永久にうだつが上がらない。 他人は“屌絲”にその人間としての不器用さに不憫を感じている。その当事者たる“屌絲”自身は自らを“矮窮挫(背が低く、貧しく、挫折した人間)”と呼んで卑下しているのが実情である。そして彼らは永久に社会で成功する見込みはないと考え、社会の底辺に生きることが宿命なのだと、自己の思い通りに行かない人生を諦めている。 対極の存在「高帥富」 この“屌絲”の“矮窮挫”と対照的なのが、“高帥富(こうすいふ)”と呼ばれる若者である。“高帥富”とは、“高(背が高い)”“帥(イケメン)”“富(裕福)”の三拍子揃った若者を意味する。このような若者は当然ながら多くの女性に人気があり、恋愛も結婚も思いのままで成功率が高い。<注3>なお、“高帥富”は日本のアニメ「ガンダム」に影響を受けて中国で作られたアニメの主人公の名前である。“高帥富”は、身長1メートル85センチ、体重72.5キロ、イケメンで格好良く、一人っ子、両親は中国の高級官僚、家庭は裕福、某有名校卒業などの好条件を備えた理想の人物として描かれている。こうした条件を満たす若者が中国にどれほどいるのかは分からないが、“屌絲”の“矮窮挫”とは天地の差であることは明白な事実である。 <注3>“高帥富”の“帥”は“教師”の“師”とは漢字が異なるので注意。 一方、“女屌絲”と対比されるのが“白富美(はくふび)”と呼ばれる若い女性である。“白富美”とは“白(色白)”“富(裕福)”“美(美貌)”の三拍子揃った若い女性を意味する。日本では「色白は七難隠す」と言われるが、中国ではもっと激しく、「“一白遮百丑(色白は百難隠す)”」と言うほどに肌が白いことを賛美する。それに美貌が加わり、家庭が裕福であれば鬼に金棒である。カネがあるから最新のファッションを装うことも、高級なエステで身体に磨きをかけることも、習い事で教養を高めることも自由自在。この好条件があれば、高級官僚や資産家の子息と結婚して一生安楽な生活が保障される可能性が高い。こちらも又、中国に“白富美”がどれだけいるかは分からないが、“女屌絲”とは天地の差であることは間違いない。 “屌絲”の“矮窮挫”と“高帥富”、“女屌絲”と“白富美”。この対照的な若者像は中国のネット世界における流行語となっているものだが、大多数の若者は前者の“屌絲”と“女屌絲”に属すると自認しているのだという。大学を卒業しても就職できない若者、都市に出稼ぎに来ても生活は一向に良くならず、都市住民なら享受できる社会福利を受けられない若者、就職はしたものの希望の職業とは程遠く、低賃金にあえぐ若者。こうした若者には未来が見えない。ところが格差社会の対極には“高帥富”と“白富美”がいて、何不自由ない生活を謳歌している、それが中国社会の実像なのかもしれない。 冒頭に述べたネットゲーム企業の上海巨人は“屌絲”と“屌絲網游”の商標登録が認可された暁には、どのような内容のゲームを作ろうとしているのだろうか。“屌絲”が多くの困難を乗り越え、艱難辛苦の末に社会の成功者となるようなゲームを是非とも作ってもらいたいものである。そうすることによって、“屌絲”と“女屌絲”に将来の夢を持たせ、その実現に努力するよう激励してほしいものである。 北村 豊(きたむら ゆたか) 中国鑑測家。1949年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。住友商事入社後、アブダビ、ドバイ、北京、広州の駐在を経て、住友商事総合研究所で中国専任シニアアナリストとして活躍。2012年に住友商事を退職後、2013年からフリーランサーの中国研究者として中国鑑測家を名乗る。中央大学政策文化総合研究所客員研究員。中国環境保護産業協会員、中国消防協会員 世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」
日中両国が本当の意味で交流するには、両国民が相互理解を深めることが先決である。ところが、日本のメディアの中国に関する報道は、「陰陽」の「陽」ばかりが強調され、「陰」がほとんど報道されない。真の中国を理解するために、「褒めるべきは褒め、批判すべきは批判す」という視点に立って、中国国内の実態をリポートする。
米国大学のウラ事情は、中国人が一番良く知っている
口コミで世界を席巻する「超国家コミュニティー」 2013年3月12日(火) 入山 章栄 この連載では、米国ビジネススクールで助教授を務める筆者が、海外の経営学の最新動向について紹介していきます。 さて、私は昨年11月に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』(英治出版)という本を刊行したのですが、そこで大きな反響をいただいた話題の1つが、「米国とアジア各国などのあいだで『超国家コミュニティー』とでも呼ぶべきものが出現しつつあり、それが各国の起業活動の活性化や国際化に寄与している」というものでした。 知識はインフォーマルなものこそ重要 起業家が一定の地域に集積する傾向があることは、経営学ではよく知られています。米国ならシリコンバレーがその代表です。なぜなら、起業をするには、人と人が直接会うことを通じてしか得られない「インフォーマルな情報・知識」がとても重要だからです。文書のやりとりでは出てこないような「内輪の話」を得るために、起業家はシリコンバレーなどに集積するのです。 「今の時代はインターネットがあるじゃないか」という方もいらっしゃるでしょう。確かにインターネットのおかげで、今は世界中どこでも同じ情報が手に入りそうに思えます。しかし考えてみて下さい。みなさんが「これは新しい商売のネタになりそうだ」と思えそうな情報を仕入れたら、それをわざわざネットで文書にして公開するでしょうか。むしろ信頼できる知人と食事でもした時に、「ここだけの話だけど」などと言って打ち明けるのではないでしょうか。 このように商売のネタになるような情報は、人と人の関係を通じてしか得られない、口コミなどの「インフォーマル」なものが多いものです。さらに、いま起業が盛んなITやバイオ関係など知識集約型のビジネスでは、そもそも文書化が難しい、いわゆる「暗黙知」が重要になることも多いでしょう。 また、起業では優秀な人材を獲得することも重要ですが、こういった人材は別の人を介したインフォーマルな「つて」で知り合うことが多いですし、また直接その人に会って「目利き」する必要もあります。したがって多くの起業家はインフォーマルな情報、暗黙知、そして優れた人材を求めて一定の地域に集積するのです。 ところが、最近はたとえば米国のシリコンバレーと台湾、シリコンバレーとインドのバンガロールなどのあいだで、起業家やエンジニアが国境を越えてインフォーマルな情報・知識をやりとりするようになっています。これまではローカルだったインフォーマルな知識が、国を超越して行き来するようになってきているのです。 台頭する超国家コミュニティー そしてその牽引役が「移民ネットワーク」であることが、最近の研究で明らかになりつつあります。 たとえば、米デューク大学の調査によると、1995年から2005年にシリコンバレーで設立されたスタートアップのうち53%は、設立メンバーに移民がいるそうです。このような人たちが米国で事業に成功して、やがて本国に帰り、その後も本国と米国を足しげく往復することで、これまでは一定地域に集積していたインフォーマルな情報・知識が、国境を越えて「飛ぶ」ようになってきているのです。 拙著『世界の〜』でも紹介していますが、このような移民の起業家・エンジニア・研究者などが国境をまたいで活動することでインフォーマルな「超国家コミュニティー」が出現していることについては、米カリフォルニア大学バークレー校の社会学者、アナリー・サクセニアン教授の研究が有名です。同教授の著書「最新・経済地理学」や「現代の二都物語」(共に日経BP社)は日本でも出版されています。 そして経営学でも、超国家コミュニティーを介して(1)これまで遠くに「飛ばなかった」知識が国と国をまたいで移動・循環しつつあること、(2)国境を越えたベンチャーキャピタル投資が促進されていること、そして(3)超国家コミュニティーに関係している起業家ほど本国で輸出ビジネスを成功させやすいこと、などが実証研究の成果として発表されるようになってきているのです(詳しくは拙著をご覧下さい)。 ところで、超国家コミュニティーが興隆しているのは、起業分野だけではありません。実は、まさにアカデミックの世界、なかでも私がいる米国の「ビジネススクール業界」でその台頭が顕著なのです。 米国の大学業界を席巻するインド移民 先月、米国の名門カーネギーメロン大学が、新しい学長として、現マサチューセッツ工科大学(MIT)エンジニアリング学部のスブラ・スレッシュ教授を任命することを発表しました。スレッシュ氏はインド・ムンバイの出身で、学部はインドの大学を卒業しています。 実をいいますと、私のいるニューヨーク州立大学バッファロー校の学長も、インド出身の方です。このように、いま米国のアカデミアでは、すべての学問分野がそうというわけではありませんが、インド系の人々の台頭がとても目立ちます。とくにエンジニアリング関係などはそうかもしれません。 そして、この状況はビジネススクール(経営学界)も同じです。インド人が席巻している、とさえ言えるかもしれません。たとえば、ハーバード・ビジネススクールの学長(ディーン)として2010年に就任したニティン・ノーリア氏は、米国の市民権は持たれていますが、そもそもの出身はインド・ムンバイです。実は、私のいるビジネススクールの学長もインド出身の方です。 さらにいうと、ビジネススクール内で私が所属している学科長もインド出身の方でして、私をヒラ社員とすると、上司である「社長、部長、課長」が全員インド出身ということになります。当ビジネススクールの卒業式では、この学長と学部長が壇上に立つわけですが、ビジネススクールの学生(大部分は米国生まれの米国人)に、インド出身の2人がインドなまりの英語で「おめでとう」といいながら修了証書を渡すのは、なかなか興味深い光景です。 みなさんも米国の有力大学のビジネススクールのホームページをご覧になれば、いかにインド出身の方が多いかお分かりになると思います。ちなみに私の場合は、博士号をとった母校の指導教官、今の共同研究のパートナー、仲良くしている同僚のいずれもインド出身です。(私の場合、特にインド人と親しくなりやすい個性があるのかもしれませんが) そして、私の肌感覚では、インド人の次に米国のビジネススクール業界を席巻しつつあり、今後さらに台頭するのは中国人で間違いありません。それに韓国人と台湾人が続く、といった感じでしょうか。 次に米経営学界を席巻するのは中国人 実際、最近の米国ビジネススクールの教員や博士課程の学生に占める中国人を中心とした東アジア人(日本人を除く)の割合はすごいものがあります。たとえば、私は博士課程の授業で、教員・学生の全員が東アジア人かインド人で、アメリカ人は1人もいない、という状況を何度も経験しています(それでも授業はもちろん英語です)。 また、私のいる学科は少し前に新しい助教授をリクルーティングしまして、先日、候補者の1人である韓国人の方が当校に来て研究発表しました。そのときに発表会場に集まった教授・博士学生の総勢20人のうち、アメリカ人は1人で、残りは大半が中国人、そしてインド人と韓国人が数人、そして日本人(=私)という構成でした。思わず「ここは本当にアメリカなのか」と言いそうになってしまいました。 そして、これはあくまで私の肌感覚なのですが、インド出身の方と比べると、中国系の人たちの方が、同胞内での「インフォーマルなコミュニティー」をより活用している印象があります。 たとえば、私が数年前に米国で就職活動したときに会った某大学の中国人助教授は、全米の多くの有力ビジネススクールの助教授の初任給を把握しており、「○○大学より、この大学の方が給料はいいわよ」などと私に教えてくれました。全米のビジネススクールに多くの若手の中国人教員がいるので、彼らは同胞同士でそういう情報を普段から交換しているのだそうです。 情報戦は出願前から始まっている 実は、私は就職活動をしたときに、この中国人コミュニティーの情報にかなりお世話になりました。この連載の前々回で申し上げたように、米国の経営学界では日本人の教員や博士課程の学生がとても少ないので、アカデミア内での「日本人コミュニティー」がそもそも存在しません。私は、仲の良い中国人の友人が同じ時期に就職活動をしたので、彼から色々と中国人コミュニティーでまわっているインフォーマルな就職情報を教えてもらって役立てたのです。 そして、起業家のコミュニティー同様、この学者のインフォーマルなコミュニティーも、国境を越えるようになってきています。「超国家コミュニティー」が経営学のアカデミアでも生じているのです。 たとえば、私の友人の台湾人助教授によると、台湾では多くの学生が米国の博士号を目指すのですが、彼らの間では米大学院に出願する前から、たとえば「某M大学の経営戦略学科は、仲の悪いA教授の派閥とB教授の派閥に分かれていて、どちらの派閥に入るかで博士課程で生き残れるかどうかが違う」などといったインフォーマルな情報が交換されるのだそうです。私が10年前、日本から米国の大学院に出願したときは頼れる日本人がほとんどいなかったので、この話を聞いて「出願前からこんなに情報量で差がついていたのか」と愕然としたのを覚えています。 さて、アジアではいまビジネススクールの設立・拡大ブームです。そして特に中国や香港のビジネススクール・ブームを下支えしているのは、この「超国家コミュニティー」ではないか、と私は考えています。 香港の有力ビジネススクール(たとえば香港科技大学)や中国本土の有力ビジネススクール(たとえばCEIBS)のウェブサイトでそこにいる教員の経歴をみると、そのほとんどが欧米で博士号をとっており、中には米ビジネススクールでの教員経験がある中国人も少なくないことがわかります。 こういった方々は、今も欧米の経営学アカデミアとのつながりを保ち、両国を足しげく行き来しています。そして、欧米に今いる同胞の若手教授や博士学生とのインフォーマルなコミュニティーを通じて、世界の経営学アカデミアの動向や研究動向など、最先端のインフォーマルな情報を母国語でやりとりして、それらを自国に取り入れていると推測できます。 日本の大学はどう立ち向かうべきか また、中国・香港のビジネススクールは資金力を生かして、いま大量の若手教員を欧米から採用したり、欧米の大物・中堅教授を引き抜いたりしています。このようなリクルーティング面でも、超国家コミュニティーを通じてのインフォーマルな情報が有用であることは言うまでもないでしょう。 私は、「日本の大学やビジネススクールも同じように超国家コミュニティーを育てるべきである」と短絡的には考えていません。たとえば欧州の有力ビジネススクールは、欧州内で比較的「完結した」コミュニティーの中でも競争力を高められているように見えます(それでも、最近は多くの欧州有力校が米国から教員を引き抜いていますが)。 しかしながら、もし日本の大学やビジネススクールがこれから国際化を目指すのであれば、当然ながらその主戦場はアジアになります。そしてアジアで競争するということは、こういう「超国家コミュニティー」の恩恵を十分に受けた大学・ビジネススクールと戦うことである、という点は念頭に置く必要があるでしょう。 入山 章栄(いりやま・あきえ) 1996年慶応義塾大学経済学部卒業。1998年同大学大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所で主に自動車メーカーや国内外政府機関への調査・コンサルティング業務に従事した後、2003年に同社を退社し、米ピッツバーグ大学経営大学院博士課程に進学。2008年に同大学院より博士号(Ph.D.)を取得。同年よりニューヨーク州立大学バッファロー校経営大学院のアシスタント・プロフェッサーに就任し、現在に至る。専門は経営戦略論および国際経営論。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』(英治出版)がある。 米国発 MBAが知らない最先端の経営学
ピーター・ドラッカー、フィリップ・コトラー、マイケル・ポーター…。日本ではこうした経営学の泰斗は良く知られているが、経営学の知のフロンティア・米国で経営学者たちが取り組んでいる研究や、最新の知見はあまり紹介されることがない。米ニューヨーク州立大学バッファロー校の助教授・入山章栄氏が、本場で生まれている最先端の知見を、エッセイのような気軽なスタイルでご紹介します。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130305/244514/?ST=print 『月(ゆえ)とにほんご』に見る、中国人にありがちな誤解 『月とにほんご』監修の矢澤真人筑波大学教授に聞く 2013年3月12日(火) 中島 恵 当「再来一杯中国茶」は「中国の人と」「お茶を飲みながら」「じっくり話し合う」コラム。私がさまざまな縁で知り合った一般の中国人との会話を取り上げてきたのだが、今回は日本語学が専門の日本人、筑波大学・矢澤真人教授にお話をうかがうことにした。 矢澤教授は、大人気ブログを書籍化したベストセラー『中国嫁日記』と同じ作者による『月(ゆえ)とにほんご 中国嫁日本語学校日記』(井上純一著、アスキー・メディアワークス)で日本語の監修をつとめた方で、もちろん中国にも詳しい。このマンガは40歳オタクの日本人男性のもとに嫁いできた20代の中国人嫁が、都内の日本語学校で日本語を学ぶ中でのとまどいやドタバタを描くもの。主人公の中国人嫁、月(ゆえ)さんが「なんで日本語は○○なの?」とか「日本語の○○な表現はおかしい!」と素朴に感じた疑問を、マンガとマンガの間で矢澤教授が解説するという形になっている。 『月(ゆえ)とにほんご』(井上純一著、アスキー・メディアワークス) 今や在日の全外国人登録者数の中で、中国人は韓国・朝鮮人を抜いて最大の約70万人。居酒屋やコンビニだけでなく、日本企業で働くビジネスマン、ビジネスウーマンにもずいぶんと中国人のホワイトカラーが増えてきた。 そんな私たちのすぐ隣にいる在日中国人が、どんな日本語に躓き、どんな点を不思議に思うのか、ひいては、日本人とのコミュニケーションにどんな齟齬を感じ悩んでいるのか、について紹介したい。「なるほど、中国人はそういうふうに考えるのか!」と、外から見た目線を知ることで、我々日本人も日本について再発見することができるし、日中間の意識のズレの一端も理解するヒントになるのではないかと思っている。(※なお、以下に引用する月さんのセリフは原文のママです) 以前香港に留学していたとき、日本のマンガ家の家に修業に来る予定の香港人マンガ家の卵たちにアルバイトで日本語を教えていたことがあって、日本語教育にはとても関心があるのですが、『月とにほんご』を読んで改めて、日本語の難しさについて考えさせられると同時に、一生懸命日本語を勉強する月さんの言動に、心がほんわかと温まる気持ちになりました。そもそも、中国人が来日して日本語学習する際、最初にびっくりすることや、ぶち当たる壁は何なのでしょうか? 矢澤:日本語と中国語は共通する漢字や単語も多いことが、かえって戸惑いの元になっています。中には意味がまったく違うものがあったり、微妙にずれているものもありますから。日本語の「勉強」は中国語では「無理強いする」だし、日本語の「手紙」は中国語では「トイレットペーパー」、日本語の「娘」は「お母さん」という意味になります。「湯」は中国語では「スープ」ですから、中国人が日本の銭湯や温泉に行ってこの大きな一文字を見ると、ぎょっとするわけですね。 あと、中国語の「愛人」は「奥さん」であって、日本語でいう「愛人」は「情人」といいますので、ややこしい(笑)。 中国語と日本語は、一見同じように見える漢字でも、どこかが突き抜けていたり、一画少なかったり、よく見ると違う字だったりしますね。 矢澤:中国人の場合、中国語の漢字が“本家”だという意識が強いので、つい「中国語が正しくて、日本語がおかしいのでは?」と思ってしまうこともあるようです。 私は月さんが「なんでカタカナありまスカ」「一種類で十分デス、どちか捨ててクダサイ!!」と怒っている場面に笑っちゃいました。確かに、中国人に限らず、日本語を学ぼうとする外国人にとって、ひらがなとカタカナの使い分けは難しいのでしょうね?
矢澤:そうですね。日本人が聞くとびっくりしますが、月さん同様、多くの日本語学習者は、学び始めるときの素朴な疑問として「どっちか一つでいいんじゃないの?」と思うらしいです。こんなにたくさん覚えるのは大変だと。 実は、日本語の大きな特徴のひとつが、この「文字種が多い」という点。漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットの4種類を使い分けるということです。いちばん面倒なのが漢字の読み分けで、一つの漢字で漢音、呉音、訓読みがあることが大変なんです。中国語では原則、一つの漢字は一音なので。 月さんも指摘していますが、中国人にとって、日本語って不思議のかたまりなんですね。たとえばこの4コママンガにあるように、日本語の「ビルが建っている」「お茶が入りました」っていう表現は、中国人にとっては変なのか、と私もびっくりしました。 矢澤:日本語ではほかに「砂糖が入っている」「木が植わっている」という言い方も自然にしますが、これらも中国人は変だと感じるようです。中国語では“人”が関わったことは他動詞を使うのが普通です。 「(私が)砂糖を入れた」「(あなたが)木を植えた」でないと、おかしいだろうと。
日本語は「誰がやるのか、やったか」の扱いが難しい 矢澤:中国語では「誰がやったか?」が重要で、たとえば、“私”がお茶を入れたのだから、日本語でも「お茶を入れましたので、飲みますか?」と強調する中国人が少なくないのですね。ですので、日本人が「お茶が入りました」というと、誰かがわざわざお茶を入れてくれたのに、なぜやった人を明示せず、あたかも空中から沸いて出たように「入りました」と曖昧にするのか、混乱するようです。 それはおもしろい違いですね。日本人は出しゃばらず、自分のやったことをことさら表沙汰にしないからでしょうか。一方、中国人はちょっとしたことでも、私がやった、私がやった、と騒ぐということにもつながるのでしょうか? 矢澤:一概にそうとはいえないと思いますよ。基本的には、その言語でどのような言い方が好まれるのかという違いだと思います。中国人にも控えめな方はたくさんいらっしゃいますし、日本人でも小さな手助けを大げさに言いつのる人はいますのでね。ただ、日本語は行為のあとの「結果」に注目する言語なので、誰がやったかとわざわざ言わないのだと思います。 日本語では、誰がやるのかを表さなくてはならない場合、表さなくてもよい場合、表してはいけない場合があります。たとえば、自分の責任が問われる場合には、行為を表す「する」型が望まれ、変化や出来事の発生を表す「なる」型を使うと、ときには無責任だと叱られてしまいます。 えっ、具体的にはどういう場合でしょう? 矢澤:日本語では自分が間違ってコップを落としてしまった場合は「コップを落としてしまいました」と言いますよね。うっかりバスに乗り遅れた場合も「バスに乗り遅れてしまいました」と主体行為を表す他動詞に非意図的な実現を示す「〜てしまう(〜ちゃう)」をつけて言わなくてはいけません。これによって、自分の責任を自覚していることを表すわけです。 矢澤:しかし、中国語ではうっかりの場合でも、わざとじゃない場合は自動詞を使うので「コップが落ちました」という表現になります。 もし中国人アルバイトのウェートレスさんがこのように言ったら、マスターから「落ちたじゃないでしょ! あなたが落としたんでしょ!」と怒られてしまうかもしれません。「落ちた」というと、日本人にはまるで他人事のように聞こえてしまいますから。でも、中国人にしてみれば「あれはわざとじゃなかったのに……」という、嫌な気分になります。 また、お店でモノが壊れているのを見つけたとき、「これ、壊れています」と言わなければいけないところ、中国語をそのまま日本語に訳すと「これ、壊れました」という表現になる。すると、すごく嫌な顔をされてしまうようです。 中国語では「壊れた」(変化の発生)も「壊れている」(状態)も同じ表現なので。こうした間違いはけっこう重要で、コミュニケーション上、心のしこりにもなりかねませんが、案外、日本語上級者もやってしまうミスなんです。 う〜ん、ありそうな話です。そういう場面が目に浮かんできます。私も日本語がかなり上手な中国人を取材することがありますが、それでも、記事化するときに細かい点を確認すると、中国人から「少し違う」と指摘されることがあります。日常会話より数段時間を掛け、細心の注意を払っても、母国語が違う人と100%理解し合うのは難しいですね。 ところで、知り合いの中国人から、最もおもしろい日本語は「雨に降られた」という表現だと言われたことがあるのですが、これは日本語学的にはどういう説明になりますか? 「相手に直接指示」を非礼と考える日本人 矢澤:英語や中国語では、受け身は他への働きかけを表す他動詞しか作れません。「太郎(A)が花子(B)を打つ」の場合、「花子(B)が太郎(A)に打たれる」が一般的な受け身です。日本語も同様です。 しかし、日本語では、働きかけだけでなく、事柄の影響関係からも受け身を作ることができます。「雨が降る」「赤ん坊が泣く」のような自動詞では、英語や中国語では受け身は作れないのですが、日本語では、その事柄によって、迷惑を受けたものを主語にして、「(私は)雨に降られた」や「(私は)電車の中で赤ん坊に泣かれた」のように影響関係を表すことができるのです。 おもしろいですね。私たちはふだん自然に使っていますが、英語や中国語にそういう表現はないんですね。そういえば、私は『月とにほんご』の中ですごく好きなシーンがあります。「キレイに使ってくれてありがとう」というシーンなんですが、月さんが中国では「『綺麗シテ下さい』トカ、して欲しコトばかり書いてありマスネ。いつも自分下にスる!!日本人らし好きデスヨ」とニコニコしながら日本を褒めてくださっているところです(笑)。 矢澤:日本のお店ではお客様に対して「来て下さい」という言い方をするのを避けるのです。「相手の行動を直接指示するのは失礼」という日本人独特の意識からなんですね。そこで、「お越しいただけたら幸いです」という言い方をするわけです。「もし〜だったら」という仮定の世界で感謝を表すのです。 あ、私も日本で働く中国人から、仕事上のメールで「〜していただけたら幸いです」と日本人は書くけれど、「〜しない場合も想定していいのか、しなくてはいけないのか、一体どっちなんだろうと悩んだ」と聞かされたことがあります。日本人の婉曲な表現は、日本で働く中国人にとってわかりにくいようですね。私たちは「もしお忙しくなかったら、お越しください」なんて日常的に使っちゃっていますが。
矢澤:そうそう、そうですよね。日本人にとって、前半の「もしお忙しくなかったら」の部分は意味のない枕言葉のようなもの(笑)。いわば相手の方への「気遣い」の部分です。本当に言いたいのは「お越しください」、つまり本当は「ぜひ来てください」と言いたいのですが、直接的に言わないのが日本人なんですね。 私は以前『「すみません」の国』(日経プレミアシリーズ)という新書を読んで、日本人が頻繁に口にする「すみません」には単なる謝罪や「ありがとう」の意味だけでなく、相手に対する「思いやり」が込められていると書いてあって、まさにその通りだと納得したのですが、今回、本書を読んで、「すみません」は相手に「負担をかけたのではないですか?」と気遣って詫びる言葉だと書いてあって、さらに日本人への理解が深まった気がして、感動しています。それにしても、日本人の気遣いってすごいんですね。 矢澤:ははは、そうですね。ひとつ、中国人がわかりにくい日本的コミュニケーションの例として、私が体験したエピソードをご紹介しましょうか。 私が北京に行く際、ある地方都市に住む日本語がわかる中国人の先生から「こちらにも来てください」というお誘いを受けました。私は日程的にかなり厳しいので、申し訳ないけれど、お断りするつもりで「……でも、○○まで行くとしたらかなり忙しくなりますよね」とメールに書きました。こう書けば、日本人なら「ああ、断りたいのだな」とすぐにわかってもらえます。 小さな誤解が大きなギャップにつながりかねない 矢澤:日本人はメールや電話などによる相手との会話のキャッチボールの中で、常に本音を打診し合っているのです。そこには“本音”と“気遣い”が見え隠れしていますが、それは外国人にはなかなかわかりにくい。中国人の先生は私の返信を見て、「忙しいけれど無理して来てくれるんですね、よかった」と解釈してしまったのです。 結局、私は「少し大変な思い」をしてその都市まで行くことになったのですが、日本人と中国人がコミュニケーションする場合、気を遣っているからこその行き違いは日常茶飯事的に起きていると思います。 私にも何十回も身に覚えがあります(笑)。最近、日本にも本当に外国人が増えてきて、彼らとコミュニケーションすることも多いですが、今ご指摘されたような問題を始め、さまざまな場面でコミュニケーションギャップが生じていることは容易に想像できます。慣習の差もありますが、やはり言語の違いは大きい。 矢澤:お互いの母国語にはもともとない表現や、あるいはあったとしても、表現方法や、どの深度で意味を言語化するかなどが違う。そうした微妙なズレは大きな誤解につながる可能性があります。最近、日本には中級の日本語話者がずいぶん増えてきたと感じていますが、日本で育った外国人の子どもは、ある程度日本語は話せるものの、実は母国語を日本語に翻訳しているだけというケースもあるように思います。 日本語を話していても、発想は中国語ということも多い。たとえば、中国語には「給(gei)」(〜してあげる)という表現がありますが、これをそのまま日本語に訳してしまうと、(立食パーティーのときに)「先生、お料理を取ってきてあげましょうか?」と言ってしまう。気持ちは「先生にお料理を取ってきて差し上げたい」と思っているのでしょうが、ただ自動的に頭の中で中国語を日本語に翻訳しているから、こういう表現になってしまう。こうした問題から生じる小さなギャップはそこここに存在していると思います。 おっしゃる通りですね。日本国内の問題もそうですが、昨年は中国で大規模な反日デモが起きました。そうした影響により、中国人で日本語を学ぶ学生というのは減ってきているのでしょうか? 矢澤:残念ながら、減ってきていると思います。中国の日系企業のプレゼンスが落ちてきていることも関係していますね。日本語を学んでも中国で仕事に結びつかないとなれば、学ぶ人のモチベーションも下がってしまいますので…。 日本人がビジネスの観点から見て、中国にはリスクがあるから東南アジアに行くという選択肢があることは理解できます。でも、中国はお隣の国なんだし、既成概念に捉われないで、バイアスをかけないで中国を見てほしいと思います。私は昨年末、北京、重慶、成都に10日間行き、現地で5回講演会を行いましたが、一度も嫌な思いはしたことはありませんでした。中国には、心の中では親日と思っていても、歴史的背景から、それをおおっぴらに人前で言えない人もまだ大勢いる。そういうことを少しでも理解していただけたらと。 我々は「東アジアの常識」を根底で共有している 日本人は高校時代に漢文を勉強しますよね。漢文では「論語」や「史記」に代表される東アジアの古典を学びます。私は、これは「東アジア共通の常識」を学ぶことだと理解しています。ヨーロッパでいえば「聖書」がそれに当たるでしょう。中国人、韓国人、日本人はこの漢文を学ぶことによって「東アジア共通の常識」を持っていると思いますが、違いもある。その違いは言語にも端的に表れています。そこがおもしろいところでもあり、難しいところでもあると感じています。 私が『月(ゆえ)とにほんご』の中で最も好きなシーンは、月さんのクラスメートだった中国人と韓国人が、現実世界の延長として、ネットゲームで会話しているところでしょうか。バーチャルな世界で、現在の居住地や国籍を超えて、中国と韓国の若者が「日本語で」意思疎通しながらゲームをしているなんて、けっこういい風景だと思います。 月さんが日本語を学びながら、日本社会や日本文化への理解を深めていったように、日本や中国に住む日本語学習者の日本への理解も深まればいいですね。今日はどうもありがとうございました。
中島 恵(なかじま・けい) フリージャーナリスト。1967年、山梨県生まれ。1990年、日刊工業新聞社に入社。国際部でアジア、中国担当。トウ小平氏の娘、呉儀・元副総理などにインタビュー。退職後、香港中文大学に留学。1996年より、中国、台湾、香港、東南アジアのビジネス事情、社会事情などを執筆している。主な著作に『中国人エリートは日本人をこう見る』(日経プレミアシリーズ)。
再来一杯中国茶 マクロではなく超ミクロ。街中にいる普通の人々の目線による「一次情報」が基本。うわさ話ではなく、長時間じっくりと話を聞き、相互に信頼を得た人から得た、対決ではなく対話の材料を提供する企画。「中国の人と」「差し向かいで」「お茶を一緒に」「話し合う」気分を、味わってください。
権利の線引きと移行が一度に行われて迅速に市場経済へ
『中国共産党と資本主義』第6章を読む(6) 2013年3月12日(火) ロナルド・コース 、 王 寧 中国経済は1990年代以降、市場転換を桁はずれに加速させる。毛沢東以来の非集権化された政治構造と経済におけるし烈な地域間競争がその背景にあった。伝統的な経済学の理解では、国家は所有権の線引きをしたあとは経済から手を引く。しかし、中国では地方政府同士が個別企業のように激しい競争を展開していった。 『中国共産党と資本主義』の本節では、マーシャルの「内部経済」の損失が「外部経済」によって補完されるプロセスとして中国の市場転換のユニークさを捉えている。 1990年代になって国内共通市場が構築され、国有企業が民営化されたあと、地域間競争が復活した。80年代には地方の保護主義やさまざまな国内取引の障害により事実上、国内経済は分裂状態にあった。経済は非集権化したが、地域間競争は抑制されていた。 90年代に国有企業がますます財政負担になるにしたがい、地方政府はイデオロギーにこだわらず私有セクターに接近した。ほどなく地方経済の基盤として認めることになった。地方財政の視点からいえば、94年税制改革後には増殖税と地代とが地方政府の主な収入源となった。どちらも明らかに地方経済の成長と結びついていた。 同時に、国内共同市場の発達によって、地方間競争はいまや厳しい市場原理に支配されていた。90年代以降の地方間競争は、経済改革の最大の牽引力となっていく。 非集権化した政治構造と経済の熾烈な地域間競争との強固な結びつきは、大いに注目されてきた。地方政府の役職は、地方の経済実績をもとに結局のところ北京が任命するため、地方政府は自らの管轄区である省、市、県、郷、鎮を会社のように運営する。 政府が演じる積極的な役割は企業幹部のそれに似ている。また政府はいまだに国家独占部門へのアクセスのほか、銀行貸付など多くの重要な経済資源を掌握している。中国政府が経済改革の決定力として、しかるべく重視されてきたのも当然のことだ。 市場の規律に従っていた郷鎮企業 台頭する市場経済で国家の優越が続いたのは、中国経済改革の独特の性質の産物だった。前章まで(※『中国共産党と資本主義』の5章まで)に詳述したとおり、この改革は青写真に沿ったものでなく、草の根の策と国家主導の政策実験との組み合わせで進められた。市場経済の発展は、一部の所有権の経済学者が示した道をたどりはしなかった。 しかし中国の市場転換の経験が、市場経済運営の法的基盤としての所有権の保証と明確な定義に疑義を呈しているわけではない。郷鎮企業の成功は私的所有権の重要性を否定するものではなかった。郷鎮企業の多くは実際には私有だったからだ。地方政府所有の郷鎮企業でも、国有企業と比べれば、所有構造はより明確だった。しかし本当に重要なのは、郷鎮企業は市場の規律に従っていたが、国有企業はそうでなかったことだ。郷鎮企業の所有構造に注目したのはむしろ誤りだった。 中国が特殊だったのは、まず所有権の線引きをし、他の関連する制度の規則を具体化して、それから市場原理で最高入札者に権利を割り当てさせたのではなかったことだ。 農民の農地に対する自由裁量権、国有企業経営者が保有した残余請求権など、経済主体に認められた権利を行使する際に直面する制度上の制約が示されたのは、国が支配権を私的経済主体に譲渡したときだ。権利の線引きと移行とは同時に行われた。 改革の最初の20年間、中国はまだ社会主義にこだわって、あからさまな私有化に反対していたから、私的な経済主体が国から与えられる権利は個別交渉にゆだねられた。 権利の線引きと権利の委譲または分配を同時にした最大のメリットは、市場の力の経済への導入が迅速になったことだ。国が権利の線引きを終えるまでビジネスの交渉がいっさいできなかったとしたら、国は、企業家間の競争で経済価値が明らかになる前に権利を正さなければならないという知恵の試練にみまわれ、私企業経営者は、国がすべての権利を線引きするまで待てるかどうかの忍耐力を試された。 前者の試練は、所有権の市場価値の情報がほとんどないまま、権利の線引きについて、いきなり正しい判断を国に求めるものだ。このあまりの難題には、経済改革は頓挫しないまでも、たちまち失速していたことだろう。 経済学の伝統的な説明と矛盾する改革 この改革への取り組みは、経済学における国家の伝統的な説明と矛盾している。一般に経済学で想定される国家が経済で果たす主たる役割とは、所有権を線引きしたあとは経済から手を引き、私的な経済主体どうしで自由に取引するに任せることだ。相反する権利主張が起こって解決を求められるのでない限り、国家は経済から距離を保つ。 中国の場合には、権利の線引きと移行が一度に行われたから、どの権利が重要で線引きに値するのかの判断は、経済主体と国家との交渉に依っていた。国家から委譲される権利の大半は、初めは譲渡不可とされた。たとえば家庭請負責任制では農民に土地使用権の譲渡を認めなかったし、国有企業の経営者はその権利を譲ることができなかった。そのため、権利者が変わるたびに国は交渉の場に呼び戻された。 さらに、時とともに経済状態が変わるにつれ、元の交渉では除外された権利が経済的に重要になることもあり、元の契約に含められた権利も重要性が大きく変わってしまい、改定が認められることもあった。国は権利構造の改定と再定義のために必要とされた。 加えて、元の契約が更新されるときにも、国は再交渉の場に引っぱり出され、権利の明細の再規定にもかかわった。多くの土地売買契約のように75年もの長期契約もあったが、もっと多かったのは、国有企業経営者と監督当局、企業と工業団地が結んだ請負責任契約の5〜10年契約だった。中国では国家が重要な経済主体でありつづけたのも当然だった。 しかし中国の経済改革が、市場原理に対する国家の干渉の勝利を表わしている、というのは誤解である。たしかに地方政府は、地方経済の運営に深く関与している。たいていは、地元の状況にとって最善の経済開発モデルを見つけるべく、地方政府どうしで生産要素の用意を競い合っている。 この働きは本質としてはアルフレッド・マーシャルが組織(オーガニゼーション)と呼んだもの、独自に唱えた第四の生産要素である。地方政府が新たに工業団地を開設し、投資を募るとき、そこで土地を切り拓き、舞台をしつらえ、私企業の始動と成長とを促進している。地方政府は計画の構想や主体の選択にはかかわるだろうが、事業を運営するのは企業である。そして工業団地の運命は、そこを拠点とした企業が生き残って成長できるかどうかは、政府が握っているのではない。市場競争が決めるのだ。 「外部経済」に補われた「内部経済」の損失 地域間競争に地方政府が与えた最大の貢献は、中国の国土の広さと国内の多様性を利したことだ。地方政府の行動が、広大な国土という強みを工業化の桁はずれのスピードに転換している。 中国の地方政府のそれぞれが、32の省級政府、282の市政府、2862の県政府、19522の鎮と14677の郷の政府が、地方経済の開発のしかたを実地に試みるとき、無数の異なる実験が同時に、競い合うように行われる。試行錯誤にもとづく集団学習の時間が大幅に削減され、成功した慣行がすぐさま簡単に広まる。 地域は1990年代半ば以降、資本と労働の移動性がますます高まった生産要素市場と生産物市場だけでなく、地方の公共財提供、政府と企業の関係構造、地方の生産組織でも競い合っている。投資が重複反復することは不可避であり、むしろこの過程には不可欠だ。 これは資本の過小利用による規模の経済の低下を招いたが、工業化を大幅に加速普及させ、30年とたたないうちに中国を無敵の世界の工場に変えた。アルフレッド・マーシャルのいう「内部経済」の損失は「外部経済」に補われて余りあった。これが90年代以降の中国市場転換の桁はずれのスピードを理解するカギである。 (次回に続きます) ロナルド・コース (Ronald Coase) 1910年生まれ。100歳を超えて現役の英国生まれの経済学者。論文の数は少ないが、そのうちの2つの論文 “The Nature of the Firm”(「企業の本質」)(1937年)と“The Problem of Social Cost”(「社会的費用の問題」)(1960年)の業績で、1991年にノーベル経済学賞を受賞。シカゴ大学ロースクール名誉教授。取引費用や財産権という概念を経済分析に導入した新制度派経済学の創始者。所有権が確定されていれば、政府の介入がなくても市場の外部性の問題が解決されるという「コースの定理」が有名。著書に『企業・市場・法』(東洋経済新報社)、『中国共産党と資本主義』ほか。 王寧(ワン・ニン) アリゾナ州立大学政治国際学研究科准教授。 103歳のノーベル賞学者の 中国資本主義論
1910年生まれ、今年103歳となるノーベル経済学賞受賞者のロナルド・コース氏は、いまも現役の研究者である。肩書きはシカゴ大学ロースクール名誉教授だが、中国人の王寧アリゾナ州立大学准教授との共著で、中国社会主義の資本主義への制度変化を分析した『中国共産党と資本主義』(原題はHow China Became Capitalist)を2012年に出版した。この連載は、2013年2月に出版された邦訳の中でも、白眉である第6章「一つの資本主義から複数の資本主義へ」をまるごと公開するものだ。中国的特色をもつ資本主義の到達点と限界を独自の視点から分析する。 |