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大都市で金を稼ぎ郷里で住宅購入 地方の価格を押上げる:都市と農村の“電位差”が中国内需拡大の支え
http://www.asyura2.com/12/china3/msg/461.html
投稿者 あっしら 日時 2013 年 3 月 08 日 12:28:45: Mo7ApAlflbQ6s
 


大都市で金を稼ぎ郷里で住宅購入 地方の価格を押上げる

 春節(旧正月、今年は2月10日)期間は住宅市場の閑散期にあたることが多いが、ここ2年間、中・西部地域では郷里で住宅を購入する「Uターン住宅購入ブーム」のために、やや異なる様相を呈している。春節期間に中国指数研究院が主要27都市を対象に行った調査によると、8割近くの都市で住宅市場の成約数が昨年より増加し、増加幅は平均513.4%に達した。このうち上海や南京など東部の重点都市では増加幅が比較的小さく、重慶や深曙Vではマイナスにすらなっていた。一方、貴陽など14都市では2倍以上に達した。中国青年報が伝えた。

 人民網の2月17日付報道によると、春節前に行われたUターン住宅購入に関するネット調査では、一線都市(北京、上海などの進んだ大都市)で苦労して働くネットユーザーの62.5%にUターン住宅購入の計画があり、現在はそのふさわしい時期との回答は87.5%に上った。

 不動産業者も今年の「Uターン住宅購入ブーム」への準備を早々に整えている。「中国の声」の報道によると、二線都市(一線都市以外の地方の中核都市)、三線都市(二線都市以外の多くの地方都市)の不動産開発業者は数多くの若者が帰省する春節期間を利用して、「肉親の情カード」で販売促進に努めている。肉親の情に訴える様々な公告やキャッチフレーズのほか、慌ただしく来てすぐに帰るという帰省者の特徴に目をつけ、物件までの送迎サービスなどを行っている業者もいる。

 Uターン住宅購入は、自ずと住宅価格を押し上げている。鳳凰網のネット調査によると、郷里の住宅価格が昨年少なからず上昇したとの回答は全体の70%に上った。回答者の68%は三線都市、四線都市(立ち後れた地方の田舎都市)の出身で、一線都市の出身者は6%のみ。このほか、1割は農村部出身と回答した。

それでもまだ、大部分の人の郷里は一線都市、二線都市よりも住宅価格がずっと低い。3000-5000元/平方メートルとの回答が4割近くで、大多数は1万元以下だった。一線都市で苦労して働く多くの若者にとって、すぐに1万元を超える住宅は手が届かないのが実情だ。たとえ十分な頭金を蓄えても、重い経済的負担を背負い、住宅ローンの支払いにがんじがらめとなる。相対的に郷里の物件は十分手頃で、「超安値」のものすらある。一線都市でお金を稼ぎ、二線都市で住宅を買えば、自分の生活水準を保つことができるし、今後郷里で働き、両親の世話をする拠点にもなる。

 一方、別の人々にとっては、経済的、文化的に発達した一線都市は依然魅力的だ。郷里で購入した住宅の価格が上昇すれば、資産を増やすことができる。彼らは一線都市では頭金にしかならない金で二線都市、三線都市で住宅を購入して人に貸し、その家賃収入を一線都市での自分の家賃に充てる。あるいは住宅価格の上昇を待って売りに出し、一線都市での住宅購入の資金を蓄える。

 Uターン住宅購入は二線都市、三線都市の住宅価格をある程度押し上げた。鳳凰網のネット調査では、回答者の約12%が郷里の住宅価格はすでに1万元を超えたと答えた。不動産業界の大物、潘石屹氏の郷里である甘粛省天水市の住宅価格はすでに1万元を超え、一線都市、二線都市の平均価格に迫って、地元の人を苦しませている。

 だがこうした状況でも、大都市に残る、または流入する人の方が多いのも事実だ。経済学者の辜勝阻氏は先日のインタビューで「中国は『大都市病』の集中発生期に入り、住民生活と都市の発展に対するマイナスの影響が日増しに顕在化している。大都市に働きに出る人の多くは良い居住環境を得られず、完全な社会保障も享受できず、生活の質は郷里に及ばない」と指摘した。

住宅購入地と居住地が別という選択は、小都市や農村で大量の住宅が放置されるという無駄も招いている。特に農村部の状況は深刻だ。九三学社が先日発表した報告によると、農村では住宅建設ブームが起きているが、4分の1の住宅は誰も入居していない。

郷里に住まないUターン住宅購入者は、購入した住宅に両親を住まわせることが多い。先日発表された「中国高齢者事業発展報告」によると、60歳以上の高齢者は昨年末で1億9400万人に達し、うち9900万人が独居老人だ。子どもは住宅を購入しても一緒に住むわけではない。独居老人問題は依然解決の道が見えない。

高い建物を建てたり新地区を拡張しても、郷里の見かけが立派になるだけのことだ。Uターン居住者にとっても、大都市で暮らす出稼ぎ族にとっても、最も重要なのは生活の質だ。昨年、中国の都市化率は52.6%に達した。だが2009年の統計指標で見ると46.7%で、世界平均の50%を下回る。

 先日開催された第2回中国都市管理トップフォーラムで、北大資源集団の余麗総裁は「都市化の質の向上はシステムエンジニアリングであり、居住、雇用、教育、衛生、交通などの全体的計画を立てなければならない。次の段階の都市建設では、民生中心、自然共生、文化先導など複数の目標の統一を実現しなければならない」と述べた。(編集NA)

 「人民網日本語版」2013年3月8日


http://j.people.com.cn/94476/8158440.html

 

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コメント
 
01. 2013年3月09日 00:26:53 : sDksu9jb2U

市場経済への移行を容易にしたのは「二重構造」の手柄

『中国共産党と資本主義』第6章を読む(4)

2013年3月8日(金)  ロナルド・コース 、 王 寧

 1980年代に中国社会主義経済に、意図せざる辺境革命(マージナル・レボルーション)が生じた。地方が主導する改革の柱である私営農業、郷鎮企業、個人企業、経済特区という4つの辺境パワーが、北京が主導する改革の停滞を乗り越えて、社会主義から資本主義への制度変化を担った。
 この節では『中国共産党と資本主義』におけるロナルド・コースの主張の核心部分が述べられる。
 中国の市場転換における2つの別個の改革の存在がとくに際立ったのは、1970年代末から80年代半ばの時期だった。1992年10月に開かれた第14回党大会で、社会主義市場経済が改革の主な目標として公式に採用され、そもそもは辺境革命によって中国経済に導入された私有セクターと市場原理が政治的に容認されていく。かつて周縁の経済主体であったものが次第に新興の社会主義市場経済の中心勢力となっていった。

 ほどなく第2の改革路線に対するイデオロギー的敵対心が弱まりだした。それでも90年代以降も、北京が指導する第一の改革と地方が主導する第二の改革、この改革の二重構造は中国の市場転換の特徴でありつづけた。地方が引っぱる改革路線の変わらぬ存在感と市場転換推進に果たした類のない先駆的役割は、90年代初頭の深センと上海の証券取引市場開設に、国有企業の民営化に、90年代後半からの工業団地の急増に、明瞭に表われていた。

徐々に不規則に起きる制度変化

 2つの別個の改革があることを認めると、経済改革の正しい全体像が得られるし、少なくとも関連文献によく見られる事実の誤りを避けられるばかりか、中国の市場転換の本質の理解がより深まる。とりわけ最も不可解な2つの側面、すなわち、改革の桁はずれの速さと、資本主義への移行が中国共産党主導で行われたことの探求に役立つ。

 スティーヴン・チュン(張五常)による制度変化(インスティチューショナル・チェンジ)の分析では、制度変化の費用の出所は2つある。代替制度を発見する情報コストと、変化自体を遂行または強制するコスト、とくに変化で利権が害されると思われる社会構成員に黙従を強いるコストである。

 ポスト毛沢東の中国の変化の趨勢を洞察し、非体系的な観察に裏打ちされた、シンプルだが強力な分析枠組みによって、中国は必ずや資本主義へ向かうというチュンの予測が可能になった。その分析は明晰で論理は厳密だったにもかかわらず、この枠組みには弱点があった。社会を均質な存在として、制度変化を1回きりの出来事として、一撃で社会が一掃され、優れた制度が劣った制度に取って代わるかのように扱っている。20年がたった現在でも、制度変化は社会科学の文献の多くでほぼ同様に扱われている。制度変化にはプロセスも時間も存在しない。

 制度変化の静的な見方は、経済学の比較静学分析と同様、制度変化の過程よりも結果または終点を主眼に置いている。中国のような大陸的スケールと顕著な地域差をもつ国の制度変化が単一の出来事として起こることは稀だ。そうではなく、徐々に不規則に起きる。したがって制度変化は、時間と空間のなかの過程として扱わねばならない。

 初期の変化が他の場所で同様の変化が起こるよう促すかどうかは、ほかの場所の主体(アクター)が初期の変化の結果をどう見るか、自分が向きあっている新しい制約と機会をどう評価するか次第だ。そのため、制度変化の初期の実験が勢いをつけてやがて広まるか、反感を買って拒絶されるかは予測がつけにくい。この発展の過程で、国家が突出した不安定要因となっているのは、他の主体が向きあう費用、インセンティブ、選択肢を変更できる統制者の役割と強制力を担っているからだ。

 ベンジャミン・フランクリンの観察では、巨大帝国は大きなケーキのように、端が最も傷みやすい。そのたとえが中国の辺境革命に表われた様相は、改革の二重構造に大きく影響されていた。2つの改革を認めることで、時間の経過のなかの両者の相互作用と、競合する考えの相互影響をたどることができる。ここから独自のやり方で、中国指導部の政治信念、とくに社会主義についての考えと、その市場と私有セクターとの関係の変化の型を吟味できる。

 これまで見てきたとおり、指導部の変化は、主に国家主導の改革に失敗し、私有セクターの改革への態度を改めたうえで、急変しつつある経済の現況に適応する反応だった。結果として、私有セクターと国有セクター、双方の経済改革の範囲が広がった。

イデオロギーへの執着を弱めざるを得なかった指導部

 4つの辺境の勢力である私営農業、郷鎮企業、個人企業、経済特区は、1980年代の中国経済改革のパイオニアだった。草の根レベルで開始された経済実験は、まさにそれが社会主義経済の外れで行われ、体制にとって直接の政治的障害にならないと思われたから黙認された。劣った、取るに足りないものと見なされた改革の辺境勢力は、その存在が社会主義を脅かさないかぎり、政治的自由を得た。

 農民と都市部の失職者がひとたび起業する自由を許されると、彼らの努力は国有セクターを凌駕し、その実験が社会主義に有害というより有益であるとプラグマティズムの指導部に認めさせるのに時間はかからなかった。こうした正統でない慣行を公認したとき、指導部は社会主義イデオロギーへの執着を弱め、政治思想に幅をもたせざえるをえなかった。

 これに対し国有セクターの改革は、華国鋒政権の経済計画も、1978年に着手した企業改革も含め、ほとんど効果がなかった。社会主義経済の中核をターゲットとした改革は否応なく国家に指導され、厳しく監督された。いずれにせよ、社会主義経済全体の安寧と政治的安定に不可欠と思われる経済セクターに手をつけないでいる余裕は、指導部にはなかった。圧制的な手法をとったのは、国家主導の策が社会主義イデオロギーにがんじがらめになっていたことを示している。たいていは期待はずれの結果に終わった。中国が社会主義を掲げつづけたことの代償だった。

 幸い、私有セクター改革に関しては、政府は不干渉の態度をとった。社会主義と矛盾するような策を容認する傾向が強かったのは、当時の指導部が国有企業を統制していけば社会主義は保たれると信じていたからでもある。政治イデオロギーと国家官僚主義にはさほど縛られず、競争に厳しく統制されて、社会主義国家の片隅で生じた周縁の経済勢力は国有セクターを追い抜くことができた。

 時が経つにつれ、社会主義経済の周縁で起きた辺境革命は、大衆の支持を得て政治的抵抗をやり過ごしただけではなく、政治イデオロギーの変化のきっかけにもなった。社会主義は市場経済のアンチテーゼという従来のイメージから次第に離れていき、政治は経済改革の推進に寛容になった。国家主導の改革はもっと市場原理を受け入れる準備ができ、その主唱者はさほど私有セクターを敵視しなくなった。政府は数多くの経済資源とともに政策内容を掌握していたから、政府が導入した改革策は思いどおりに進んでいなくても非常に重要でありつづけた。

 たとえば、1950年代に毛沢東が急激な社会主義への移行を実現し、市場をすっかり排除したあとに培われた陳雲の社会主義観によって、「計画経済を主とし、市場調整を従とする」ことが中国経済改革の初期の基本方針となった。市場と私有セクターの急速な拡大から国民の生活水準が改善されるにつれ、政府は当時「商品経済」と呼ばれたものの受け入れに前向きになった。このマルクス主義用語のおかげで、政治的に微妙な「市場経済」という言葉を使わずに済んだのだが、社会主義の教義と高まりゆく市場の優越との境界を曖昧にしておくこともできた。

 1987年10月の第13回党大会の開催時には、中国経済は78年と比べて2倍の規模になっていた。党は意気揚々と経済開発への取り組みを宣言した。社会主義と党による統治とともに、改革・開放にもふたたび邁進する、と高らかに述べた。この政策は、当時「1つの中心、2つの基点」と都合よく要約された。私有セクターの発展は、その中国のさらなる経済成長への貢献のために奨励され歓迎された。資本主義の強烈なシンボルである証券市場までもが1990年に上海で、その1年後に深センで開業を許された。

改革の政治リスクを減らした二重構造

 改革中、北京が監督した国家主導路線は政治イデオロギーに強く影響されていた。私有セクター改革から生まれた政策は、はるかにイデオロギーの制約が小さかった。私有セクターから始まって成功した改革策は幾度も中央に受け入れられ、国有セクター改革に適用された。計画的にではなく、改革の二重構造によって、北京政府が中国を市場経済へ導くための有効かつ柔軟な制度的枠組みが与えられた。

 二重構造は北京にとって、改革の政治リスクを減らす緩衝材となった。社会主義への忠誠がまだ根強かった改革当初、私企業制と市場原理がまだ政治的に危険視されていたころにも、北京は社会主義に対する忠誠を損なうことなく改革の第二路線の実験を黙認できた。

 実際、北京がまだ社会主義の教義から解放されていないときにも、改革の第二路線はあちこちで行われた。そのうえ、経済改革は政治リスクを伴った。政権が支持する改革がうまくいかなかったら、政治指導者はその地位を追われかねない。改革の第二路線があったことで、北京には地方政府主導の改革策に自らを結びつけず改革計画をめぐらせる余地が与えられた。この構造こそが、まだ一党支配下にある政治体制を、これがなかった場合よりも経済変動に対してはるかに柔軟に、順応性高く、受容的にしたのである。

 改革の二重構造とその裏の非集権化した政治体制は、市場転換の間じゅう、集団学習を容易にするという重要な役割も果たした。市場改革は、2つの障害にぶつかった。1つはイデオロギー上、もう1つは実際上の障害である。

 北京が初めて「商品経済」を受け入れた1984年まで、市場と私有セクターへのイデオロギー的敵対が主な障害となっていた。加えて、社会主義改革の実務上の困難は、80年代に失敗した2つの価格改革で明らかなように、あまりに大きかった。

 市場改革へのイデオロギー的な反対が弱まり、市場経済が足場を固めるにつれ、改革の妨げとなったのは、多くの相互依存するサブシステムをもち、活動し、発展するシステムである市場経済の機能についての理解不足と、こうした抜本的な措置につきものの不確実性であった。

市場経済への移行を容易にした

 改革に2つの路線が並行したおかげで、中央政府は省や副省級政府がその開発計画から得た熱意と知識を引き出すことができた。成功が確認された地方主導の策は、北京がじっくりと吟味したうえで国策に採り入れた。これは諸城の企業民営化のケースや上海と長沙の国有企業再建で見事に示されている。中央がもっと積極的に動き、まず地方レベルで政策の実験を行ってから、それを全国に課すこともあった。この例として、1984年以降、経済特区を拡大して沿海地方の多くの都市を加えたことや、中国全土に広がった工業団地、94年の税制改革も挙げられる。

 スティーヴン・チュンが、社会主義から資本主義への移行は効率性を向上させると推定したことに疑義を呈する者はまずいないだろう。こうした潜在的利益があるとわかって、中国では変化への欲求が生じた。

 だが欲求と実際の変化の過程は別の話だ。中国が変化する過程では指導部のもっている情報が完全にはほど遠く、結果の見通しがまったく立たないなかで措置を講じることになった。

 改革の二重構造は、この改革の政治リスクを緩和し、実施コストを削減して、中国の市場経済への移行をかなり容易にした。チュンが早くに中国は資本主義になると予測したのは正しかったが、実際この国を資本主義に移行させたのは、改革の二重構造の手柄だった。

(次回に続きます)


ロナルド・コース (Ronald Coase)

1910年生まれ。100歳を超えて現役の英国生まれの経済学者。論文の数は少ないが、そのうちの2つの論文 “The Nature of the Firm”(「企業の本質」)(1937年)と“The Problem of Social Cost”(「社会的費用の問題」)(1960年)の業績で、1991年にノーベル経済学賞を受賞。シカゴ大学ロースクール名誉教授。取引費用や財産権という概念を経済分析に導入した新制度派経済学の創始者。所有権が確定されていれば、政府の介入がなくても市場の外部性の問題が解決されるという「コースの定理」が有名。著書に『企業・市場・法』(東洋経済新報社)、『中国共産党と資本主義』ほか。

王寧(ワン・ニン)

アリゾナ州立大学政治国際学研究科准教授。


103歳のノーベル賞学者の 中国資本主義論

1910年生まれ、今年103歳となるノーベル経済学賞受賞者のロナルド・コース氏は、いまも現役の研究者である。肩書きはシカゴ大学ロースクール名誉教授だが、中国人の王寧アリゾナ州立大学准教授との共著で、中国社会主義の資本主義への制度変化を分析した『中国共産党と資本主義』(原題はHow China Became Capitalist)を2012年に出版した。この連載は、2013年2月に出版された邦訳の中でも、白眉である第6章「一つの資本主義から複数の資本主義へ」をまるごと公開するものだ。中国的特色をもつ資本主義の到達点と限界を独自の視点から分析する。


02. 2013年3月09日 00:28:07 : sDksu9jb2U
習近平体制に真の「改革派」はいるのか
遠のいた中国の政治改革?〜中国株式会社の研究(205)
2013年03月08日(Fri) 宮家 邦彦
 3月5日、北京で第12期全国人民代表大会(全人代)が開幕した。冒頭、温家宝が国務院総理としては最後となる政治活動報告(中国語では「政府工作报告」)を読み上げた。今年の全人代は3月17日まで続き、14日には国家主席、副主席らが選出されるという。

 翌15日には国務院総理などを、16日には国務院副総理以下の閣僚らをそれぞれ選出する。さらに、最終日の17日には新国家主席の演説と新総理の記者会見が予定されている。今回は温家宝国務院総理の最後の政治活動報告を取り上げたい。(文中敬称略)

割れた主要紙の社説


全人代で、政府活動報告を読み上げる温家宝首相〔AFPBB News〕

 温家宝の政治活動報告に対する評価は割れた。まずは日本の主要紙の3月6日付社説の見出しを比べてみてほしい。以下の通り、「日経」から「産経」までニュアンスや程度の違いはあるものの、日本の新聞では概ね中国の国防費増を懸念する論調が多かった。

(日経)質の高い経済成長へ道筋を描けぬ中国
(毎日)中国は岐路に立った
(東京)平和的に台頭してこそ
(朝日)軍頼みの大国では困る
(読売)海洋強国化は危険な軍拡だ
(産経)武力の威嚇を強めるのか

 さらに、筆者の勝手なコメントを付け加えれば次の通り。「日経」は経済紙らしく経済政策に注目するが、どうも結論部分が煮え切らない。その点は「毎日」も同じで、中国批判を避けようとでもしたのか、どこか奥歯に物が挟まったような書きぶりだ。

 「東京」は中国に平和的台頭論への回帰を求めているのに対し、「朝日」と「読売」は中国により厳しく、国内不満を解消するための対外冒険主義を戒めている。「産経」は例によって日米による対中抑止を主張する。いずれも軍事面の潜在的脅威に注目しているようだ。

 これに対し、欧米では論調が若干異なる。少なくとも3月7日の時点で、中国の軍拡を懸念する主要紙社説は見つからなかった。恐らく、尖閣問題をめぐり中国との緊張が高まっている日本の方が、欧米よりも、中国の軍事費増大に対する関心が高いのかもしれない。

 例えば、ニューヨーク・タイムズ(NYT)は「(温家宝の)演説では政治改革に一切言及がなかった」と書いていたし、ワシントン・ポストは、中国の国防費増大だけでなく、温家宝が格差や腐敗など未解決問題の存在を認めたことにも言及し、胡錦濤・温家宝体制の下で政治改革が進まなかったことを暗に批判していた。

習近平は改革派か?

 まあ、日米間でこの程度の温度差はよくあること、特に驚くにはあたらない。むしろ今回筆者が最も注目し、かつ驚いたのはウォールストリート・ジャーナル(WSJ)の記事だ。正確には特派員が書いた記事ではなく、北京在住の米国人学者が寄稿したブログである。

 「中国の両会、今回は違う」と題されたこのブログ、確かに変わっている。今回に限らず、中国の両会(全人代と政治協商会議のこと)については壮大なる茶番劇であり、「名ばかりの政治ショー」といった評価がほぼ定着しているからだ。

 それにもかかわらず、同ブログは今回共産党内部で初めて真の意味での「改革」機運が高まっていると主張し、その理由として以下の諸点を挙げている。WSJといえば「中国に厳しい」新聞というイメージが強い。それだけに筆者も思わず「ホンマかいな」と唸ってしまった。


第12期全人代の様子(2013年3月5日)〔AFPBB News〕

●今回の指導部交代では共産党内部の「制度化」が進み、こうした動きが具体的改革に結びつくことを党内の「改革派勢力」は歓迎している。

●無駄の排除と仕事の簡素化を求めた習近平の「八項目規定」により党幹部の言動が変化しつつあり、共産党内では「公開の秩序ある政治参加」への機運が高まっている。

●習近平の軍事重視姿勢は、単に解放軍から政治的支持を求めるためだけでなく、共産党内の文民幹部が解放軍の質素で組織的なスタイルを見習うよう求めたものでもある。

 昨年12月、習近平は中国共産党総書記に就任後初の地方視察先として広東を選んだ。改革開放政策の象徴であった深圳ではケ小平の像の前で献花した。香港のマスコミは「中国の新たな指導層が改革開放を推進しようとする強いシグナルを発信した」と報じた。

 今回ご紹介したブログもこうした論調の延長上にある。要するに、習近平はケ小平路線を引き継ぐ改革派であり、新体制の下で共産党内の改革が進む可能性があるという分析だ。このブロガー、中国に長く居過ぎたのではないか。ちょっと出来過ぎた話のような気がする。

温家宝の政治体制改革

 話を温家宝演説に戻そう。改革開放と言えば、温家宝総理も「改革派」と言われる。これまでも「政治改革を断行しなければ、中国の近代化という目標は実現できない」と述べるなど、現在の中国共産党中央では最も「改革志向」の強い指導者の1人と考えられてきた。

 昨年の全人代での演説では、「大衆のイニシアティブを尊重し、大胆に模索し、さらなる決意と勇気をもって、引き続き経済体制や政治体制など諸般の改革を全面的に推進」しなければならないと述べている。

 さらに、「法律に基づく行政と社会管理の刷新を推進し、政府と公民・社会機構との関係を明確化することにより、サービスを重視し、責任を持つ廉潔な法治政府づくりに取り組む」とも述べた。温家宝が一貫して政治制度改革を説き続けてきたことだけは間違いない。

 今回の演説では、NYT指摘の通り、「政治改革」なる言葉こそ使っていないが、温家宝の主張は変わっていない。以下は、今回の演説中、温家宝が腐敗に言及した部分を要約したものだ。ある日本の新聞は「温家宝の政治的遺言」と評していたが、恐らくそうだろうと思う。

●断固として腐敗と闘い、政治的全体性を強化し、権力の過度の集中や権力のチェックの欠如に終止符を打つ制度を確立し、公務員は正直で、政府は清廉であり、政治業務が高潔さをもって確実に処理されなければならない。

●政策の決定、実施と監視の権力が律し合って正しく機能し、政府機関が法で定められた権能と手続きに従って権力を行使することを確実にしなければならない。

共産党版「徳治主義」の限界


新旧の指導者。左から胡錦濤国家主席、習近平総書記、李克強副首相、温家宝首相(2013年3月5日)〔AFPBB News〕

 温家宝にはクリーンなイメージが強いが、その「庶民派」なる評判も昨年9月のNYT「不正蓄財疑惑」記事により地に落ちてしまった。それでも、今の中国で党のために「政治改革」を主張し続ける温家宝の姿勢は決してポーズだけではないだろう。

 問題は温家宝が考える「政治体制改革」の中身だ。彼が求めているのは「権力の過度の集中や権力のチェックの欠如に終止符を打つ制度」であり、「公務員が正直で、政府が清廉」であり、「政治業務が高潔さをもって確実に処理される」ことではないかと推測する。

 だが、現在の共産党には既に権力が十分集中しているではないか。これを改めない限り、「過度の集中」を是正することなど無理だ。また、中国の歴史上「正直な公務員」と「清廉な政府」があったためしもない。アクトン卿の言うとおり、「絶対的権力は絶対に腐敗する」からだ。

 中国政治の「腐敗の伝統」の根源は「徳治主義」、というのが筆者の現時点での見立てだ。「徳治主義」とは「徳のある統治者が徳をもって人民を治める」という儒教の政治理念であり、その本質は「統治者性善説」である。この点は中国共産党の考え方も基本的に変わらない。

 徳治主義の対極にあるのが民主主義だ。民主主義の本質は「統治者に対する不信」、すなわち「統治者性悪説」である。必ず腐敗する統治者の横暴を回避するために、統治権力を分散させ、相互チェックさせたうえで、定期的に選挙を行い、統治者を交代させるのだ。

 最大の問題は温家宝が望む結果が「徳治主義」では得られそうもないという現実である。振り返ってみれば、1989年の天安門事件以来、中国共産党はこの構造的とも言える矛盾と戦い続けてきた。しかし、現在に至るまでこの戦いに一度も勝利したことがないのだ。

 考えてみれば当然だろう。権力分立を拒否しながら、権力をチェックすること自体が無理だからだ。習近平が真の改革派なら、まずこの当たり前の現実を受け入れる必要がある。そうすれば中国は劇的に変わるだろう。

 逆に、それを拒否するならば、習近平・李克強体制も胡錦濤・温家宝体制の二の舞いに終わる可能性が高い。その意味でも、3月17日の習近平国家主席の演説と李克強国務院総理の記者会見の内容に注目する必要がある。


03. 2013年3月09日 01:14:35 : sDksu9jb2U
013年 3月 08日 12:12 JST
不幸な中国の中所得層−給与伸びず、家賃は上昇  
By WEI GU

中国には、世界で最も多くの億万長者がいる一方で、7億人の貧農がいる。その中間にいるのが驚くほど少数の不幸な中所得層である。

 北京で開催中の今年の全国人民代表大会(全人代、国会に相当)に出席している3000人の代表のうち、労働者や農民の比率は2012年の8%から13%に上昇した。農村出身の出稼ぎ労働者(農民工)は昨年の3人から30人に増加した。一方で、富裕層の代表も多く、中国で最も金持ちの最大手飲料メーカー、ワハハ・グループの宗慶後会長も出席している。


Businesses have been targeting China's growing middle class, but it may be some time before this strategy pays off. The WSJ's Wei Gu tells us why China's middle class isn't in a spending mood.

 両側から締め上げられている中所得層はもっと気に掛けられるべきだ。中国衛生部は2011年に、同国の専門労働者の最大51%がうつ病にかかっていると発表した。その理由として、社会の急速な変化や競争の激化、長時間労働、不動産価格の高騰を挙げた。

 コンサルタント会社のチャイナ・マーケット・リサーチのショーン・レイン代表取締役は、自著の「安い中国の終焉(エンド・オブ・チープ・チャイナ」で、「世界の最大のリスクは、中国の中所得層が幸福でないということだ」と指摘し、「彼らは世界で最も悲観的である」と分析する。

さらに、「富裕層は気に入ったところならどこでも住めるし、貧困者は毎年2ケタの賃上げを享受している」とした上で、「中所得層はいつか自動車や家を持ち、金持ちになりたいと思ってきたが、給与の伸びは鈍化し金持ちにはなれそうもないことに気付いている」と論じる。

中国政府は、出稼ぎ労働者への支援を最優先課題に置いている。政府統計によると、12年には25の省で最低賃金が平均20%引き上げられた。だが、企業管理職の賃上げは鈍化しているか、止まっている。

コンサルタント会社のマッキンゼーによれば、現在中国国民の大部分は年間可処分所得が6000ドル(約57万円)―1万6000ドルの労働者で、これだと生活必需品を賄える程度。年間可処分所得が1万6000―3万4000ドルの中所得層は、都市人口に占める比率が6%にとどまっている。3万4000ドル以上の中所得層上位ないし高所得層はわずかに2%だ。

経済協力開発機構(OECD)は、中所得層を「購買力平価ベースの1日の1人当たり平均支出が10〜100ドルの間にある家計」と定義している。その定義に基づくと、中所得層が最も多い国は米国。約2億3000万人で、人口に占める比率は73%だ。これに対し、中国の中所得層の比率は最大で10%。ただ、2020年には40%に上昇すると見込まれている。

中国の大富豪番付の「胡潤百富」によると、中国人の億万長者は408人いるが、そのうち317人超は米国に住んでいる。

中国の生活必需品は依然として相対的に安いが、中国で中所得層の生活をしようと思えば高くなる。スターバックスのグランデ・ラテの価格は、サンフランシスコでは3.55ドルなのに対し北京では4.81ドル。フォルクスワーゲンのパサート・セダンは、米国ならば3万3000ドルだが中国では最高5万ドルにもなる。

中国の中所得層は、住宅価格の高騰にも苦しんでいる。国家統計局によれば、1月の北京の家賃は9%上昇した。ボストン・コンサルティングのパートナーであるジェフ・ウォルターズ氏は、「家賃だけをみても、中所得層が主要都市で多額の貯金をするのは難しい」と語る。

普通、中所得層は社会の安定勢力である。だが、中国の場合は中所得層がより健康で自由な生活を求めるようになってきている。12年には、裕福な寧波市で化学工場の建設に反対するデモが繰り広げられた。

中国政府は、中所得層が多いオリーブの葉の形をした社会を目指している。昨年秋の共産党大会では、成長モデルの転換や所得再配分により平均所得を20年までに倍増させるための新計画を打ち出した。しかし、そこには見落としているものがあるようだ。

中国経済改革研究基金会(CRF)の王小鲁氏は、「政府は問題の核心に取り組んでいない」とし、「金融システムや土地政策、社会福祉、行政システムを改革せず単に所得を増加するだけでは中国の中所得層の問題を解決できない」と断じる。


04. 2013年3月09日 02:06:16 : bGfSt7EHJo
 資産の逆サインカーブが出てくるってのはレッセフェールというかアダムスミスの時代ッちゅうことか。資本主義の原型が出現してるんだな。

05. 2013年3月15日 01:36:31 : xEBOc6ttRg
急増する50歳以上の出稼ぎ農民を待ち受ける悲しい老後

年金加入率はわずか16.4%という現実

2013年3月15日(金)  北村 豊

 2012年4月27日に中国政府「国家統計局」のサイトに「2011年中国農民工調査報告」が掲載された。中国語で“農民工”とは「居住地域の郷鎮企業や都市・町部に出て就労する出稼ぎ農民」を意味するが、居住地域に留まる者を“本地農民工(地元出稼ぎ農民)”と呼び、居住地域を離れる者を“外出農民工(外地出稼ぎ農民)”と呼んで区別している。「出稼ぎ農民」という本質的な意味で言えば、後者がそれに該当する。

2億5000万人の農民工、その15%が50歳以上

 同報告によれば、2011年における全国の農民工の総数は2億5278万人で前年比1055万人増であったが、その内訳は、本地農民工が9415万人で前年比527万人増、外出農民工が1億5863万人で前年比528万人増であった。2011年末の農村人口は6億5656万人であるから、農村戸籍者の5人に2人が農民工となり、4人に1人が外出農民工となっている計算になる。農村人口には14歳以下の児童および60歳以上の老齢者が含まれるから、農村人口に対する農民工の比率は実質的にはもっと高いものとなっている。

 さて、同報告で最も注目されたのは年齢構成で、50歳以上の農民工が14.3%を占め、同調査が始まった2009年以来初めて、その人口が3600万人を突破したことだった。50歳以上の農民工の構成比は、2009年には4.2%であったが、急速に上昇して2011年には14.3%に達し、わずか3年で3倍となったのである。しかしながら、中国政府「人力資源・社会保障部」が2012年6月5日付で発表した『2011年度人力・社会保障事業発展統計公報』によれば、「2011年末時点で“城鎮職工基本養老保険(都市労働者基本年金)”(以下「都労年金」)の加入者数は2億8391万人、このうち農民工の加入者数は4140万人で、前年比856万人増」とある。

 これは総数で2億5278万人いる農民工のうちの4140万人(16.4%)しか都労年金に加入していないことを意味する。その理由は、

(1)農民工が仕事を求めて職場を移動する流動性が高い
(2)都労年金の保険料が高い
(3)都労年金を加入した地区から他の地区へ移動させることが困難
(4)年金の受給条件が累計15年間の加入と長い
(5)地方政府は補助金支出の増加を好まない
(6)企業が農民工のために企業が負担する保険料の支払いを望まない

−−などである。このため、多くの農民工が加入した都労年金を解約して積み立てた保険料の払い戻しを受けることが一般化しているのである。

 このように低い加入率から考えても、50歳以上の農民工で都労年金に加入している人が極めて少ないことは疑う余地がない事実である。そればかりか、50歳以上の農民工は、医療保険にも、労災保険にも、失業保険にも加入していないために、社会保障の恩恵を何一つ受けられない状況にある。今後も50歳以上の農民工は増大を続けるだろうが、50歳を超えれば肉体的な衰えが始まり、農民工からの引退を余儀なくされる日は近い。引退後の彼らは故郷で老後の生活を送ることになるが、果たして年金なしで彼らの生活は成り立つのだろうか。

 2月26日付の上海紙「東方早報」は、「50歳以上の農民工が3600万人を突破、中国の老後問題は爆発寸前」という見出しで農民工の老後問題の実情を報じた。その概要は以下の通りである。

中国の老後問題は爆発寸前

【1】その人口が3600万人を突破したと政府が公表した「50歳以上の農民工」には、“第一代農民工群体(第一世代農民工グループ)”が含まれるが、彼らは長年にわたって苦しい出稼ぎ生活を送り、そして間もなく困難な老後を迎えようとしている。その実態を調査すべく、記者は重慶市の東北部に位置する“開県”(人口165万人、そのうち外出農民工55万人)の典型的な出稼ぎ村“団鳳村”を訪れた。

【2】団鳳村は898世帯、3086人の村落であるが、50歳以上の農民工は300人以上、そのうち55〜60歳が50人以上いる。2013年1月時点では、1576人が外出農民工として外地に出ており、そのうちの50歳以上は196人となっている。なお、団鳳村の最新統計によれば、2012年の村人の平均年収は7200元(約10万8000円)で、そのうち外出農民工の収入が占める比率は80%に達している。

【3】団鳳村では72人の村民に取材したが、そのうち50歳以上の農民工は19人で、最年少は50歳、最長老は65歳だった。19人の中でかつて団鳳村の役人であった1人だけが、都労年金の受給資格を持ち、今年の7月から毎月700元(約1万500円)以上の年金を受け取る予定である。その他の18人は“新型農村社会養老保険(新型農村社会年金)”(以下「農村年金」)の最低保険料である年間100元(約1500円)のコース<注1>に加入しているが、老後に受領可能な年金は毎月80元(約1200円)だけで、子供の扶養に頼らなければ生活できない状況にある。

<注1>農村年金は中国政府が農民の年金制度を確立するために2009年から始めた制度で、現在まだ試行段階にあり、2020年に全国に全面実施を目指している。2011年末の加入者数は3億2643万人で、前年より2億2367万人増えた。年間保険料は100元、200元、300元、400元、500元の5段階で、これに政府補助金を加えて年金支給に充てる。

【4】現在64歳の“謝国万”は病気がちな64歳の妻と2人暮らしだが、36歳から外出農民工として外地へ出稼ぎに行っている。この5年間、謝国万の収入に占める出稼ぎ所得の比率は急上昇しており、2012年には90%に達した。もし出稼ぎを止めたら、彼ら夫婦に残るのは、年間960元(毎月80元×12カ月)の年金、年間1000元の“居民最低生活保障(生活保護)”が夫婦2人で2000元、さらに年間500元の雑収入の合計3500元(約5万2500円)だけとなる。これでは1カ月当たり約290元(約4350円)にしかならず、到底夫婦2人で生活して行くことはできない。

【5】記者が初めて謝国万に会ったのは5年前だったが、当時の彼は動作が俊敏で、とても59歳には見えなかった。しかし、今回再会してみると、足取りがふらふらしており、頭髪も大半が抜け落ち、老いが目立ち、謝国万自身も「俺は老いた」と認めていた。しかし、65歳の村人が昨年広東省深圳市の工事現場で月に3000元(約4万5000円)稼いだ話を聞くと、今年も出稼ぎに出ることを決意した。

【6】63歳の“向可平”は、早くに父親を亡くし、貧困の中で成長した。結婚適齢期だった1980年代には“提親費(仲人料)”さえ捻出することができず、37歳でようやく結婚して、1男1女をもうけた。現在23歳の娘はすでに嫁いだが、20歳の息子は湖南省の“株洲大学”で学んでいる。2010年に60歳となった向可平は毎月80元の年金を受け取るようになったが、20年間の出稼ぎ生活で蓄えた資金では息子が大学を卒業するまでの費用には足りず、いまだに外出農民工として外地へ出稼ぎに出ている。

【7】2011年まで向可平はずっと広東省湛江(たんこう)市の建設現場で働いていたのだが、1日当たり30元(約450円)多く稼げることから、2012年からは遼寧省に出稼ぎに行った。こうして1日130元(約1950円)の労賃を蓄えて、息子の学費と生活費2万元(約30万円)を賄い、8800元(約13万2000円)のコンピューターを息子に買ってやった。子供の為なら苦労は厭わないと言う向可平は、2016年に息子が大学を卒業するまでは出稼ぎを止められないのだというが、その時には66歳になっている。

一顧だにされなかった年金問題

 50歳以上の農民工の生活実態が上述の通りであるならば、それは中国にとって由々しき事態である。今まで農民工問題と言えば、雇用者による賃金の支払い遅延や不払い、労働環境の不備などが大きな問題として注目を集め、老後の年金問題は一顧だにされなかった。

 しかし、2012年4月の政府統計が50歳以上の農民工の人口が3600万人であることを公式に発表していたことを今になって知った人々はその問題の深刻さに衝撃を受けたのであった。東方早報は老後問題を爆発寸前と形容したが、あるメディアは「過去30年間の農民工問題の累積として、彼らの老後問題は5年以内に爆発する」と報じた。その発火点が何年先になるのかは予測できないが、恐らく50歳以上の農民工の人口は数年以内に5000万人を突破し、かつての農民工たちが生活苦にあえぎ、大きな社会問題となることは想像に難くない。

 ところで、中国の“養老保険(年金)”は、上述した都労年金と農村年金に加えて、就業していない都市住民を対象とした“城鎮居民社会養老保険(都市住民社会年金)”(以下「都市年金」)の3種類で構成されている。既に引用した『2011年度人力・社会保障事業発展統計公報』によれば、2011年末の各年金の加入者数は以下の通りとなっている。<注2>

1.都市労働者基本年金(略称:都労年金):2億8391万人(前年比2684万人増)
2.新型農村社会年金 (農村年金):3億2643万人(前年比2億2367万人増)
3.都市住民社会年金 (都市年金):539万人

<注2>上述の通り2はまだ試行段階だが、3も同様に施行段階で、全国展開とはなっていない。

 その実質的な内容はともかくとして、2011年末時点で何らかの年金に加入している人の合計は6億1573万人で、2011年末時点の全人口13億4735万人の45.7%、15歳以上の人口11億2571万人の54.7%を占めている。

 その中国の年金に関して、中国政府のシンクタンクである“中国社会科学院”(以下「社会科学院」)が2013年2月22日に発表した報告書『中国社会保障収入再分配状況調査』には、興味深い内容が含まれていた。同報告書は、社会科学院が河南省、福建省、陝西省、内蒙古、重慶市の5省市で2000人を対象にアンケート調査を行った結果を取りまとめたものであるが、その要点を列記すると以下の通り。

(1)調査対象者が2011年8月に受領した年金の月額は、最高が1万元(約15万円)であるのに対して最低はわずか200元(約3000円)で、その差は50倍であった。この差は年金の種類によるもので、種類によって異なる年金制度に起因している。

(2)都労年金に加入していた退職者では、75.4%の人の年金が月額2000元(約3万円)以下で、最低は200元であった。一方、4000元(約6万円)以上の都労年金を受給している人は1.8%であった。

(3)都市年金に加入していた老人3人が受給している年金は月額2000元以下であった。

(4)官公庁や政府系事業組織を退職した老人の92.3%が月額4000元(約6万円)以上の年金を受給しており、2000元以下の人はいなかった。

(5)上記のような状況を背景に、自分の年金受給額を他の階層の人の年金受給額と比べて、25%の人が「あまり公平ではない」、26%の人が「極めて不公平」と答えた。また、年金受給者の40%近い人が、「年金額が少なすぎて、必要な生活費を賄えない」と回答した。

先進国になる前に高齢化社会になる

 最高額であると言っても月額1万元の年金は、中国では大手企業の管理職の月給に相当する額である。中国と日本の物価差を考えると1万元は60万〜70万円の価値がある。そうした人がいるかと思えば、上述した団鳳村の農民工のように年金が月額80元(約1200円)しかもらえない人がある。その一方では、役人や政府組織の退職者は優遇されて、庶民の2倍以上の年金を受給し、官尊民卑を当然のこととして老後を謳歌している。彼らの優遇がどういう仕組みで成り立つのかは調べていないが、庶民から見れば不公平以外の何者でもないことは明白である。

 中国の高齢化問題は“未富先老(先進国になる前に高齢化社会に入ること)”という前提条件の下で急速に進んでいる。世界第二の経済大国となったとは言っても、中国は依然として中進国であり、その目標とする全国民が生活に多少のゆとりを持てるようになる「全面的な“小康社会(いくらかゆとりのある社会)”」にはほど遠いのが実情である。50歳以上の農民工の人口が増大すればするほど、生活困窮者の人口は増大し、国家目標である全面的な小康社会はますます遠くなる。中国が優先すべきは軍事費の増大ではなく、民生の充実でなければならない。


北村 豊(きたむら ゆたか)

中国鑑測家。1949年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。住友商事入社後、アブダビ、ドバイ、北京、広州の駐在を経て、住友商事総合研究所で中国専任シニアアナリストとして活躍。2012年に住友商事を退職後、2013年からフリーランサーの中国研究者として中国鑑測家を名乗る。中央大学政策文化総合研究所客員研究員。中国環境保護産業協会員、中国消防協会員


世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」

日中両国が本当の意味で交流するには、両国民が相互理解を深めることが先決である。ところが、日本のメディアの中国に関する報道は、「陰陽」の「陽」ばかりが強調され、「陰」がほとんど報道されない。真の中国を理解するために、「褒めるべきは褒め、批判すべきは批判す」という視点に立って、中国国内の実態をリポートする。


06. 2013年3月15日 01:49:11 : xEBOc6ttRg
資本主義と共存する中国共産党の謎
 

奇跡的な経済発展は「全知全能の党・政府」の成果か

『中国共産党と資本主義』第6章を読む(8)

2013年3月15日(金)  ロナルド・コース 、 王 寧

 中国の奇跡的な経済発展は、毛沢東やトウ小平が率いた「全知全能の党・政府」の成果ではなく、エネルギーにあふれた13億人の中国人の存在があってこそ実現した。彼らは、より良い仕事、より良い暮らしを願って農村から都市部へ、国有企業から私有セクターへ移動した。
 『中国共産党と資本主義』の本節は、大躍進を遂げた私的企業活動を阻害する国有セクターの専横、とくに2008年以降のインフレ政策から現在に至る状況を解説している。
 2010年一月、『フォーリン・ポリシー』誌は、ロバート・フォーゲル教授の大胆な予測を発表した。2040年、中国経済の世界のGDPに占める割合が、第2位となるアメリカ(14パーセント)に大差をつけ、40パーセントになるというのだ。フォーゲルの予測は、同じ号に掲載された記事で「中国政府が全知の存在であると買いかぶった」ものだ、と反論を受けた。

 重要なので、本書で絶えず強調してきたポイントをくり返すが、中国が近年著しい成長を遂げたのは「政府が全知の存在」だからではありえない。もしそうだとしたら、中国市場経済の未来へ寄せる信頼はずっと弱まってしまう。中国がいかに資本主義化したかの本書の説明では、たびたびトウ小平をはじめ、指導部の果たした重要な役割に言及している。ただしトウは毛沢東とは違い、アダム・スミスが「体系を重んじる人(マン・オブ・システム)」と呼んだものでは断じてなかった。

 毛が得々とユートピア的な計画をこしらえては人民に課したのに対し、地に足の着いたトウは、事実に反する理論など大切にできなかった。トウ小平がしたことは、政治にイデオロギーを寄せ付けないで政府を冷静に保つことだった。トウのたゆまぬプラグマティズムと抜け目のない政治手腕がなかったら、経済改革の成り行きと結果はかなり違っていたことは、疑う余地がない。しかし中国経済に奇跡的な隆盛をもたらしたそもそもの要因というのは、楽観主義、エネルギー、創造性、決断力にあふれた中国人民である。

 私たちも、フォーゲル教授が中国の将来に抱いていた楽観的な考えを共有するが、この本で提示する分析の枠組みは、中国経済の量的な軌跡を予測する経済成長モデルを提供するものではない。フォーゲルは中国を過大評価しているとの批判が多かった。しかし本書はフォーゲルの予測を半分に割り引くとしても、その大局的な見方を変えるわけではない。

最大の強みは勤勉で辛抱強い13億の国民

 中国の最大の強みは、進取の気性に富み、勤勉で、辛抱強い13億もの国民をかかえていることだ。1970年代末に産児制限政策(一人っ子政策)を導入したにもかかわらず、中国はいまだに世界一の人口大国である。急速に都市化した数十年を経た現在も、国民の半分は農村部に住んでいる。農村住民の心の奥底には、都市へ移り住んでもっと良い仕事につき、もっと良い暮らしをしたいという願望があり、さらなる都市化と工業化の余地が残っていて、それが今後の経済成長の継続に不可欠となるだろう。

 とはいえ、中国の人口はますます高齢化している。先進国の多くが出産に助成金を支給する時代に、なおも大家族を望む中国人が多いことに政府は感謝すべきなのだ。国民一人ひとりが教育を受け、創意に富み、社会主義体制下のように雇用を求めて待つでもない、この現代中国で、政府が産児制限を強いるのは誤った政策だと思われる。一人っ子政策は一時的な緊急策のはずだった。長く続きすぎれば、中国経済と社会への悪影響も長引き、深刻になるだろう。

 高度な教育を受けた能力ある労働力でも、国内のどこでも経済的機会を見つけたいと願い、自由に探せるのでなければ、経済的機会を求めて自由に起業でき、他の経済主体と自由に競争できなければ、その能力は発揮されはしない。改革初期から中国は労働力の移動を容易にし、私的企業活動を奨励することに大きな進歩を遂げてきた。何百万人もの農村労働者の都市への移動と国有企業の私有化は私有セクターへの人材の移動を可能にし、労働力移動の2大ルートとなっている。

 国内労働市場が徐々に形成され、労働生産性が大いに改善されただけでなく、現実に農民に経済的恩恵をもたらしもした。しかし今日でも、労働市場にかなりの障害が依然として存在する。なかでも戸籍登録制度(中国語で「戸口」)をはじめとして、制度上の障害はいろいろある。これらを漸次取り除いていくことが、今後の労働生産性を向上させる大きな力になるだろう。

私企業家の手強い相手は国家の独占

 中国の私的企業活動は明らかに大躍進を遂げた。改革前は、そうした活動は違法だった。現在では、経済の第一の牽引力と認められている。にもかかわらず、私企業家はまだ多くの偏見や逆境に直面している。最も手強い相手が国家の独占だ。1990年代半ばから、ほとんどの国有企業は再編されるか民営化されてきたが、残りの企業は銀行、エネルギー、通信など少数の独占セクターに閉じこもった。

 こうした独占産業の国有企業は中国経済の強大な利益団体を形成した。2008年から実施されたインフレ政策により、国有セクターはさらにテコ入れされた。景気刺激策で支出された4兆元(約5860億米ドル)の銀行融資は、国有企業と地方政府に向けられた。国有セクターは私有セクターを犠牲にした低利融資で成長する。2009年、フォーチュン・グローバル500に中国企業が空前の34社(香港の3社は含まず)ランク入りしたが、そのうち私企業は1社だけだった。2010年、中国企業42社(香港系4社は除く)がリストに入ったが、私企業は2社だった。

国有銀行は国有企業をひいきにする

 憂慮すべきは国有企業それ自体ではなく、国有企業のほうが私企業より公益のためになるという、一見もっともらしい前提である。これは国家独占を正当化し、政府が「戦略的に重要」とする多くの産業への私企業の参入制限に利用されてきた。現実に国家独占のおかげで多数の国有企業が収税官の役割を果たして莫大な利益を得たことで、2000年代に入って以降、GDPのほぼ2倍の成長率で政府歳入が増えている。

 国有企業はたやすく利益を得られることで市場原理から守られ、弱みを隠される。独占利益を得られるので、国有企業は絶えず消費者を満足させるための技術革新の重圧から解放され、企業が市場競争を生き抜くのに不可欠の学習メカニズムをいつしか失っている。

 人為的に高められた利ざやは独占部門と競争部門との賃金格差の拡大に直結している。たとえば、国家独占セクターの労働者は中国の非農業労働力の8パーセントにあたるが、その8パーセントが賃金の55パーセントを受け取っている。そのうえ、国有企業は独占利益があるおかげで、私企業に開かれた部門でも優位に立てる。政治的なコネと独占利益を使って私企業を締め出したり買い占めたりもして、市場競争を害している。

 国有企業の存在は、資本市場の発達を損なってもいる。金融機関は、利益が守られた国有企業のほうに融資をしたがる。国有銀行が国有企業を政治的にひいきすることは言うまでもない。私有でさらに新規企業では先行きが不透明で破綻する可能性が高いため、銀行融資を断られることも多い。結果として、安全な得意客をもつ国有銀行は、私企業と取引しなくてすむから、借主の審査・管理はどうすれば有効に行えるかを学べる機会を自ら手放してしまう。このため銀行は私企業に対し、いっそう貸し渋るようになりさえする。

 いまだに中国政府がよく引き合いに出す定着した社会主義的な考えである、公有制はつねに公益のためになり、繁栄の共有を保証する、という見方は、明らかに希望的観測にすぎない。この件については、いにしえの中国の為政者や哲学者のほうが、実際もっとわきまえていた。重要なので、長くなるが中国の古典『商君書』から引用する(この著者である商鞅=しょうおう=が2度、秦の始皇帝の国家改革に力を尽くした結果、紀元前221年に、中国は統一された)。

権利と義務が定まらなければ国は滅びる

 「法は人民の権威ある指針にして政府の基盤である。人民を形づくるものである。法を廃止しながら統治に努めることは、食糧を捨てながら空腹を避けたいと願うこと、服を脱ぎながら寒くないようにと願うこと、または東へ行きたいのに西へ向かうことに似ている。実現する見込みがないのは明らかだ。」

 「100人の男が、逃げ出したただ1匹のウサギを追うのは、そのウサギゆえではない。ウサギがどこかで売られているとき、法的所有権は明確であるから、泥棒でさえあえて手出しはしない。法的所有権が明確でなければ、堯、舜、禹、唐のような人でも、こぞって追いかける。つまり法と義務がはっきりしていないし、法的所有権も明確でないならば、帝国の民には論争をする機会がある。論争では意見が分かれ、明確な答えは得られない。統治者は上からの立場で法を定めるかもしれず、身分が低い者は反論し、法は確定せず、身分が低い者が優勢となる。これは権利と義務が定まらない状態と呼べるかもしれない。権利と義務が定まらないと、堯や舜のような聖人でも心がねじくれ、邪悪な行為を犯すのだから、どれほど大衆はひどくなることか! このようにして不正、悪行が蔓延していき、統治者は権威と支配力を奪われ、国を滅ぼし、国土と人民に災厄をもたらす。」

 同様に、やはり中国初期の哲学者の著作『慎子』で、所有権の線引きが強調されている。「ウサギが1匹、通りを渡っていくとき、100人が追いかける。このウサギを追う者たちは強欲ではあるが、誰のものとも定まっていないのだから、責められない。食肉の市場にずらりとウサギが並んでいても、通行人はほとんど見向きもしない。それはウサギが欲しくないからではなく、権利が定まると、もはや強欲な者も争わなくなるのだ」

 国有企業の存在感がたとえ強大でも、商鞅が勧めたように国が法の支配に従っていれば、さほど問題にはならない。しかし国有企業の存在が強い社会主義経済が、法の支配に従う政府に治められた例は、わずかしかなかった。

 政府が法より上位のままだが、膨大な数の資産を所有するとき、どうしても多くの権利が明示されず、誰でも許可なく使用できる状態(パブリックドメイン)になる。それが政治を腐敗させ、略奪を招き、不正を引き起こして、社会不安と政治的混乱の種をまく。国有企業が法の支配を受けずに営業し、市場競争に影響されなければ、私企業の活動を脅かすだけでなく、慎子と商鞅が明らかにしたとおり社会全体の政治経済の基礎を危うくもする。

(次回に続きます)

  

 


大震災追悼式典、中国と韓国が欠席の揃い踏み
筋を通した日本、墓穴を掘った中国〜中国株式会社の研究(206)
2013年03月15日(Fri) 宮家 邦彦
 “Win the hearts and minds (of the people)”という英語がある。

 意味は「人心を掌握する」、ベトナム戦争時代の米軍のプロパガンダだ。何とかベトナム民衆の心を掴み、米国に協力させたいという気持ちが滲み出ている。最近ではイラクやアフガニスタンでも使われた。元々は英国の政治家が1950年代のマレー半島で使った言葉だ。

 3月11日の東日本大震災2周年追悼式典に中国と韓国が欠席したことを知り、この“hearts and minds”という言葉を思い出した。中国外交のレベル低下については以前にも書いたが、今回は2周年追悼式典での台湾代表の献花を巡る「騒動」を取り上げたい。

台湾に対する待遇


岩手県陸前高田市で開かれた犠牲者の追悼式典〔AFPBB News〕

 発端は3月11日の式典で日本政府が台湾の代表に「指名献花」を認めたことだ。今回の式典で日本政府は台湾に「外交団・国際機関等」の席を用意したそうだ。

 さらに、出席した各国、在日米軍、パレスチナ代表部に続いて、台湾についても名前を読み上げたらしい。

 これだけ聞けば、何の問題もなさそうだ。もちろん台湾は「国家」ではないから、米軍、パレスチナの後に名が呼ばれて全く不思議はない。2年前に台湾から送られた義援金はダントツの250億円、台湾の人々の善意はこの金額以上に尊いものだった。

 それにもかかわらず、昨年日本政府は台湾に「指名献花」を認めなかった。もちろん、名前の読み上げもない。それどころか、用意された席は「外交団・国際機関等」ではなく、「その他」向けで一般民間団体と同じ扱いだった。日本国内でも「あまりに冷遇」と批判された。

 当然台湾は「今年こそ指名献花させてほしい」と要望したに違いない。日本政府も昨年の判断はバランスを欠いたと思ったのだろう。今年は台湾を「外交団・国際機関等」のカテゴリーに含め、名前を読み上げたうえで「指名献花」を認めたようだ。ここまでは当然だろう。

中国が欠席した理由

 ところが、これに対する中国側の反発はほとんど子供染みたものだった。各種報道によれば、3月12日、外交部の華春瑩報道官は次のように述べ、日本側の対応を強く非難したという(ちなみに中国語原文は未入手、微妙なニュアンスの誤りがあるかもしれない)。

●日本側は、今年の追悼式で、台湾の代表を各国からの外交使節団や国際機関の代表と一緒にした。
●日本政府の措置は日中共同声明の原則と精神、および日本側が台湾問題で行った約束に違反するものだ。

●台湾を国として扱い「2つの中国」を作り出そうとする企てには、いかなる国家であろうと断固として反対する。
●日本側に対しては、過ちを正し、約束を守るよう求める。

 これらがいかに奇妙な主張かを理解して頂くためにも、例によって、筆者の独断と偏見に基づく注釈を加えてみたい。

人の心が分からない中国外交


追悼式典で手を合わせる少女〔AFPBB News〕

 そもそも、今回日本政府は台湾を「外交使節団」や「国際機関」として扱ったことは一切ない。一方、台湾が通常の「民間団体」と異なることも事実だろう。だからこそ、台湾は「外交団・国際機関等」の「等」のカテゴリーなのだ。「等」はすべての役人を救うマジックワードである。

 また、日本外務省のウェブページによれば、「台湾との関係に関する日本政府の基本的立場は、1972年の日中共同声明にあるとおりであり、台湾との関係を非政府間の実務関係として維持してきている」とある。このことは中国側も十分承知しているはずだ。

 ちなみに、日中共同声明の第2項で日本政府は、「中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であること」を承認している。従って、日本は台湾が「中国の政府でない」ことを認めている。この点も疑いがない。

 他方、第3項では「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国政府の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第8項に基づく立場を堅持する」とも述べている。

 要するに日本は、台湾が中国の「領土の一部である」という中国の立場を「理解」し「尊重」はしても、「承認」まではしないのだが、そのうえで、日本は中国が1つであると認識しつつ、台湾とは交流協会、亜東関係協会を通じ、「民間及び地域的な往来を維持」してきたのだ。

 一体このどこが「2つの中国」を作り出す企てなのか。大震災に見舞われた日本に対し隣人として格別の善意を示してくれた人々が「国家」であろうが、「地域」であろうが、その善意に感謝する日本人の気持ちに変わりはないだろう。中国はこんなことも分からないのか。

日本政府の説明

 3月12日午前の記者会見で菅義偉官房長官は、新華社通信記者からの質問に対し、次の通り述べている。ちょっと長くなるが、重要なポイントが含まれているので該当部分を書き下してみたい。

●日本政府として中国側に対して、本式典の趣旨および台湾から破格の支援を受けたことを踏まえて、台湾に対してもふさわしい対応を行うものである、そのことを説明しました。

●今回の式典のアレンジは日中共同声明にある台湾に関する我が国の立場を変更するものではありません。

●こうしたことを説明しましたけれど、中国側がこれを理解せず、本式典を欠席したことは日本政府として極めて遺憾であると思います。残念であります。

●また、今回の中国側の対応は台湾各界から我が国に行われてきた支援に対して日本政府が感謝の気持ちを伝えることを否定的に捉えたものであり、残念に思っています。

 要するに、「台湾各界からの破格の支援に感謝することまで否定する中国の態度は極めて遺憾・残念だ」と言っている。人間の善意とそれに対する感謝までも「政治化」する中国外交は日本人の“hearts and minds”を失いつつある。どうしてこのことが理解できないのか。

墓穴を掘った中国外交

 中国はなぜこんな拙劣な外交を続けるのだろう。筆者が尊敬するある友人の見立てはこうだ。

●3月11日はタイミングが悪すぎる。第12期全人代は既に始まっているが、重要人事の正式発表はいまだ行われていない。中国政府関係者にとっては政治的に最も微妙な時期の1つであり、わずかなミスでも命取りとなる可能性がある。

●外交部も悩んだに違いない。こんな時に中国政府の代表を「日本で開かれ台湾が献花する追悼式典」に派遣したことが万一北京で批判でもされたら一大事だ。かと言って、こんな些細なことの判断で政治局常務委員をいちいち煩わせるわけにもいかない。

●ここは安全第一。日本政府の対応に適当な「いちゃもん」をつけて、それを口実に追悼式典を欠席するのが最もリスクが少ないとでも考えたのだろうか。もちろん確認のしようはないが、当たらずとも遠からずではないか。

 これには筆者も全面的に賛成する。付言すれば、こうしたレベルの低い官僚的判断を続ける限り、中国は確実に日本人の“hearts and minds”を失っていくだろう。そのくらいのことがなぜ優秀な中国外交官たちに理解できないのだろうか。

 ちなみに、韓国も式典を欠席した。ただし、韓国大使は欠席する意図など全くなく、「事務的なミス」だったと釈明したそうだ。真相は分からないが、ノーの返事が来たことだけは間違いない。だが、同じ欠席でも、韓国側の説明の方がまだ人間としての温もりを感じる。

 中国ももう少し上手にやればいいのに。「2つの中国の企み」などと居丈高にならず、「ファクスが届かなかった」「メールが消えてしまった」とでも説明した方がまだよかったのではないか。人間の顔が見えない中国外交は相変わらずピントが外れているようだ。

 

 


07. 2013年3月18日 10:00:43 : Qs2ppwNA3w
温家宝の愛読書はアダム・スミス

『中国共産党と資本主義』第6章を読む(9)

2013年3月18日(月)  ロナルド・コース 、 王 寧

 中国の経済発展の裏面は、深刻な社会問題となっている経済格差の拡大、経済的不平等である。その中国で経済学の父アダム・スミスの本が広範に読まれている。『国富論』ではなく、『道徳感情論』だ。温家宝の愛読書としても有名だ。
 『中国共産党と資本主義』の本節で、コースは中国社会における道徳、正義のあり方を考察する。
 市場経済は制度的空白状態では機能しない。価格制度が、その下で機能する広義の制度的背景と分けて吟味されるとき、国家、法律、社会規範、道徳律といったすべての非市場的制度は外にあると考えられ、市場の機能から切り離されてしまう。だがこれはとんでもない誤りだ。

 経済学者は、たいていの経済現象は社会学者が「社会的事実」と呼ぶもの、つまり自然的・物理的事実とも心理学的データとも異なるものである、そのことを忘れるよう訓練されてきた。契約、通貨、所有権は社会的構成だ。社会現象が自然または心理現象とは異なる顕著な特徴は、ハイエクが何十年も前に指摘したとおり「人々がそうと思うもの」であるということだ。一つの社会で一つの時代に社会的事実として通用していること、たとえば取引先には誠実に対応するとか、ビジネスの契約はたいがい尊重されるといったことは、別の社会の別の時代にはそうでないかもしれない。

『国富論』『道徳感情論』ともに重視されている

 この点で、中国の市場経済の長期の見通しに対する私たちの自信は、中国のもう一つの発展によりいっそう強化されている。中国の経済成長や市場制度の出現ほど目立たないが、この国の市場経済の未来にとって同じくらい重要な発展である。2004年、新版の中国語訳『国富論』が刊行された。初版は厳復(1854〜1921年)による翻訳で、1902年に上梓され、第2版は1930年に出版(72年に改訂)されていた。

 この最新の中国語版の序文で新訳版が必要な理由を訳者がこう説明した。「中国はいまや市場経済に復帰した。市場経済には相応の経済理論が求められる。そしてスミスの『国富論』は市場経済の理論的基礎である」。市場経済をふたたび受け入れてからは、庶民も『国富論』に触れる必要に迫られたが、最初の二つの翻訳版は現代の読者にはあまりに時代後れで専門的すぎた。

 これは非常に興味深いので指摘するが、近年の『国富論』の訳者は現代経済学者の『道徳感情論』に対する不当な評価を嘆いている。これはアダム・スミスに対する偏った理解と、もっと悪いことに、とても貧弱な経済学のせいだ。中国ではスミスは『国富論』と『道徳感情論』がともに読まれ、重視されている。

 2009年2月2日、『フィナンシャル・タイムズ』紙ライオネル・バーバー編集長のインタビューで、中国の温家宝首相はこう述べた。「私たちが望むのは平等で公平な社会、国民が自由で平等な環境で多方面の発展をなしとげられる社会です。これは私がアダム・スミスの『道徳感情論』を愛読している理由でもあります」。中国の政治・経済改革の将来について問われると、温は以下のように答えた。

 「アダム・スミスは1776年に『国富論』を書き、同時期に『道徳感情論』も書いた。アダム・スミスの『道徳感情論』での主張は素晴らしい。社会の経済発展の成果をみなで分かち合えなければ、道徳的に不健全で危うく、社会の安定を脅かすに違いない、という主旨のことを述べている。社会の富が少数の人々の手に集中しているなら、それは人民の意志に反しており、社会は必ずや不安定になる。」

 これより前の2008年9月23日に行われた『ニューズウィーク』誌のファリード・ザカリアのインタビューで、温家宝は同様のコメントを残していた。「私は道徳性をきわめて重視する。企業家も経済学者も政治家も一様に、もっと道徳性と倫理性に気を配るべきだと強く思っている。私の考えでは、倫理、道徳の最高の規範は正義だ」。

 2009年2月28日、温家宝はインターネット経由で自分のアダム・スミスについての理解を中国読者に伝えた際、スミスは実のところ商業社会を機能させる二つの「見えざる手」の存在を、一つは市場、もう一つは道徳性に働く要因を主張していたと力説した。

スミスによる正義とは

 アダム・スミスは社会が機能するために正義の法と道徳基準をきわめて重視した、そのことを認めた点で温家宝はまったく正しかった。スミスによる正義とはこうだ。

 「それは構造物全体を支える屋台骨である。これが外されてしまったら、人間社会という巨大な構造物、言うなれば自然の特別な愛情に満ちた配慮として現世に打ち立てられ維持されているこの構造物は、瞬時に瓦解してしまうだろう。そこで自然は、正義の遵守を強制するために、背いた場合には報いを受けるという意識、相応の罰が待ち受けているという恐怖を人間の心に植え付けた。この意識が人間社会の安全装置となり、弱者を守り、暴力を食い止め、罪を懲らしめる役割を果たしている。人間は共感を抱くように生まれついているとはいえ、自分と関わりのない他人のことについては自分自身のことに比べるとまったく鈍感であり、単に同じ人間であるというだけの誰かの不幸よりも、自分自身のつまらぬ災難を重大視する。そもそも人間は他人に危害を加える力をたっぷりと持ち合わせているうえ、ひどくそうしたがっていると考えられる。だから、正義の掟が心の中で歯止めになり、罪のない他人を尊重するよう圧力をかけなかったら、野獣のごとく隙あらば襲いかかろうとするだろう。となれば、人間の集団の中に入って行くのは、まるで虎の檻に入るようなものだ。」

 正義と道徳とを比べて、スミスはこう考えた。「正義の原則は厳密で正確な唯一の道徳上の原則であり、それ以外の徳の原則はいい加減で曖昧ではっきり決まっていないこと、前者は文法の規則に似ているかもしれないが、後者は優雅で気品のある文章を書くために評論家が定めた原則であるため、完璧を期すための明確で確実な指示を与えるのではなく、めざすべき理想の文章のおおまかな基準を示すにすぎないことを指摘した」。

 それにもかかわらず、スミスはこの厳密で明確な正義の規則は、ゆるやかだが広範な道徳基準の支えがなければ機能しえないということも指摘した。

 アダム・スミスの不平等論に対する温家宝の解釈は、中国に生じている経済的不平等に明らかに影響されている。近年、深刻な社会問題となっていることだ。『道徳感情論』に「正義」という語は93回、「不正」は52回も出てくる。それに比べて「平等」は4回、「不平等」は2回である。スミスが不平等について語るとき、多くは主権による全臣民の扱いの平等に関してであって、これを破ることは紛れもない不当行為であった。スミスは労働からの全生産の分配の平等について述べたのではなかった。それどころか、スミスが認めたとおり、最近の認識でも経済的な不平等は不可避のこととされている。

 「巨額の資産をもつものがいれば、必ずや大きな不平等がある。大金持ちが1人いれば、少なくとも500人の貧乏人がおり、少数の人が豊かであるなら、貧困に苦しむ人が必ず多数いる。金持ちの豊かさを見れば、貧乏人は憤慨し、生活苦に突き動かされると同時に妬みに駆られて、金持ちの財産を奪おうとする。司法制度によって守られていなければ、高価な資産をもつ人、長年の労働によって、それどころかおそらくは何世代にもわたる労働によって獲得した資産をもつ人は、一夜でも安心して眠ることはできない。金持ちは、いつも見知らぬ敵に囲まれており、自分が怒らせたわけではないが、宥めることができない。金持ちが守られているのは、犯罪に懲罰を加える司法制度の強大な力で、絶えず敵を威圧しているからである。だから、高価で莫大な財産が獲得されるようになると、必ず政府が必要になる。」

 経済的不平等は必ず生じるから、社会秩序を維持するためには正義の規則が不可欠となる。スミスは「大多数の人が貧しく、惨めであれば、社会が繁栄していたり幸せであったりするはずがない」と重々承知していた。ほかに理由はなくても、目に余る富の分配の偏りは金持ちへの怒りを燃え立たせる。そうした怒りが高まり広まっていくと、いくら強力で容赦ない国家でも威圧だけでは抑えることができず、金持ちはつねに不安で、恐怖に襲われもする。

 たとえ金持ちのためだけでも、富の獲得は正義の規則に従わなければならない。正義が守られ、機会が誰にも開かれていると思われれば、社会でいちばん不遇な階級でも概して既存の社会制度をどんな欠点があろうと尊重し、自らの社会的地位を受け入れる。革命を起こして現行社会体制を攻撃するとか転覆させるなどと考えず、子供にもっと良い状況を与えられるよう身を粉にして働くはずだ。

道徳性と倫理的基礎も受け入れた

 30年前ならば、社会主義国の指導者が、アダム・スミスという現代資本主義の知の源流を読み、まして称賛するなどは考えられないことだった。毛沢東の死から32年後の中国にアダム・スミスが指針となる人物として登場したことは、きわめて印象深い。中国の首相が『国富論』と『道徳感情論』の著者としてのスミスを称賛しているのは、なおさら驚くべきことだ。西側諸国の何人の政治指導者が『道徳感情論』を読んでいるだろう。

 温家宝は機会があれば、実業家、作家、大学生、一般大衆に『道徳感情論』を勧めてきた。中国で人気のオンライン書店、当当網(dangdang.com)には、訳者も出版社も異なる十数種もの中国語版『道徳感情論』がある。そのうち数冊の表紙には、大きな赤い活字で「温家宝総理が5回推薦の古典的名著」と記されている。市場転換の30年を経て、中国は資本主義を、富の創出を促す経済システムとして承認したばかりか、それなしには資本主義を維持できない道徳性と倫理的基礎をも受け入れたのである。

道徳哲学者が称賛されるのはある意味当たり前

 しかし、ある意味では、道徳哲学者で現代経済学の祖でもあるアダム・スミスが中国で称賛されるのは驚くべきことではない。儒教では、社会の調和の基礎として個人の倫理の重要性を強調している。法が社会秩序の唯一の、または第一の源泉とはなりえないと孔子は力説した。代わりに仁を最高の徳とし、社会の調和の基礎とした。

 明らかに道徳だけでは現代社会をよく治めるには不充分だ。スミス自身、この点は主張している。だが同様に、確固とした道徳律がなくては、どんな社会もよく治められるはずがないことも明らかだ。現代経済学ではめったに考慮されない点である。経営者がそろって日和見主義的に行動して、騙せると思えばいつでも取引先を騙し、目先の利益のために契約を反故にしていたら、市場経済はひどく損なわれてしまう。

 中国の伝統的な道徳の教訓、「善、小なるをもって為さざることなかれ。悪、小なるをもって為すことなかれ」(小さな善だからといって、これをしないのはいけない。小さな悪だからといって、これをしてはいけない)は表面上は、現代経済学の基本的教義と矛盾している。最大化の経済原則は、個人的利得が費用を上回るかぎりは不法行為を犯すよう要求する。これは犯罪への経済的アプローチに明確に示されている。

 それに対し、善行を施すのは、もしそれが私利に背くことならば嘲笑されるのが関の山だ。この中国の教えは、現代経済学でほとど無視される人間性に、人間の性格はその行動によって徐々に、いつしか形成されることに主眼を置いている。経済は本来、生活者についての学問なのだから、国の経済の性格には必ずや国民性が反映している。

 フランク・ナイトはこういう重要な指摘をした。社会は「欲求が存在する時点でそれを満たす効率性よりも、社会が生み出す欲求、それが形成する国民性のタイプ」によって判断されるべきだ、と。

 現代経済学では、資源分配の選択で満たすべき欲求を所与のこととして、その選択が否応なく欲求の形成に与える長期的な蓄積効果――そこに継続的なプロセスの一端がかいま見える――をないがしろにしている。だが経済は欲求を満たすと同時に新しい欲求の種をまきもして、それが次の段階の経済生産と消費を推進する。目先の利益を保証しながら国民の道徳性に悪影響を及ぼす行為は、市場経済の長い目で見た将来を曇らせる。

(文中のアダム・スミス『道徳感情論』の引用は、村井章子、北川知子訳、日経BPクラシックス=2013年日経BP社より刊行予定=より。次回に続きます)


ロナルド・コース (Ronald Coase)

1910年生まれ。100歳を超えて現役の英国生まれの経済学者。論文の数は少ないが、そのうちの2つの論文 “The Nature of the Firm”(「企業の本質」)(1937年)と“The Problem of Social Cost”(「社会的費用の問題」)(1960年)の業績で、1991年にノーベル経済学賞を受賞。シカゴ大学ロースクール名誉教授。取引費用や財産権という概念を経済分析に導入した新制度派経済学の創始者。所有権が確定されていれば、政府の介入がなくても市場の外部性の問題が解決されるという「コースの定理」が有名。著書に『企業・市場・法』(東洋経済新報社)、『中国共産党と資本主義』ほか。

王寧(ワン・ニン)

アリゾナ州立大学政治国際学研究科准教授。


08. 2013年3月18日 15:36:35 : xEBOc6ttRg

2月の中国新築住宅価格は前年比+2.1%、抑制策で今後鈍化か
2013年 03月 18日 12:53 JST
[北京 18日 ロイター] 2月の中国主要70都市の新築住宅価格は前年同月比で2.1%上昇した。中国国家統計局が18日発表したデータに基づき、ロイターが算出した。前年比での上昇は2カ月連続。1月は0.8%の上昇だった。

2月の住宅価格は前月比では1.1%上昇。過去8カ月のうちプラスは7カ月目となった。

ただ、中国国務院(内閣に相当)は今月1日、住宅価格が高騰している都市を対象に、不動産取引にかかる20%のキャピタルゲイン税や2軒目の住宅購入者に対する頭金比率と貸出金利の引き上げを発表したため、住宅価格の上昇は今後鈍化が予想される。

みずほ証券アジアの中国担当チーフエコノミスト、Jianguang Shen氏はロイターに対し、「政府の新たなルールを受けて、これ(上昇)は持続しないだろう。価格上昇ペースは和らぐだろうが、下落することはないだろう」と語った。

同氏はまた、先週正式に発足した新指導部は住宅建設用に土地供給を増やす必要があり、不動産市場の鎮静化に向けて住宅所有者に課す資産税を拡充する必要があると指摘した。

中国メディアによると、地方政府は月内に不動産購入の厳格化に関する計画の詳細を公表する見込み。

国家統計局によると、北京の新築住宅価格は前年比5.9%上昇、上海は同3.4%上昇した。1月はそれぞれ3.3%、1.3%の上昇だった。

統計局が調査した主要70都市のうち、2月の新築住宅価格が前月比上昇したのは66都市で、1月の53都市から増加した。

*内容を追加して再送します。


 


中国の不動産バブルは崩壊へ 英専門家が激辛予測(字幕・15日 ...
jp.reuters.com › ホーム › ニュース - キャッシュ
2 日前 – 再生中; プレイリスト. 中国の不動産バブルは崩壊へ 英専門家が激辛予測(字幕・15日). (02:43). 中国の高度成長を支えてきた不動産分野では巨大なバブルが発生しているとみられるが、英専門家は今年後半にバブルが崩壊すると予測。

中国の不動産バブル懸念について - みずほ総合研究所
www.mizuho-ri.co.jp/publication/research/.../asia-insight100805.pdf
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat
過剰流動性を背景に、中国で不動産バブルが発生しているとの見方は非常に強い。実際、. 不動産価格は大きく上昇しているが、実体経済も好調であり、本当に不動産バブルが発. 生しているのか、その深刻度はどの程度なのか、といった点については、今一つ ...


中国 不動産価格再び上昇の兆し バブル抑制に逆行 背後に太子党の影 ...
sankei.jp.msn.com/world/news/130112/chn13011210030003-n1.htm
2013/01/12 – 【北京=川越一】中国で不動産価格が再び上昇する兆しを見せている。昨年11月の中国共産党大会で「新型の都市化」を推進する方針が決められたことが関係業界に弾みをつけ…


中国の不動産バブル崩壊リスクは極めて小さい(PDF ... - 日本総合研究所
www.jri.co.jp/file/report/rim/pdf/6058.pdf
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - クイック ビュー
52 環太平洋ビジネス情報 RIM 2012 Vol.12 No.45. 要 旨. 中国の不動産バブル崩壊リスクは. 極めて小さい. 調査部 環太平洋戦略研究センター. 研究員 関 辰一. 1.不動産開発投資はこれまで中国経済の高成長を牽引してきた。土地が不動産投資. の主な ...


09. 2013年3月19日 00:52:22 : xEBOc6ttRg
中国経済の深刻な欠陥とは

『中国共産党と資本主義』第6章を読む(10)

2013年3月19日(火)  ロナルド・コース 、 王 寧

 中国的特色をもつ資本主義は、急激な発展とともに、その構造的欠陥も顕著になってきた。世界経済の覇権国であった19世紀のイギリス、20世紀のアメリカは、生産性とイノベーションで傑出し、新しい産業を生み出した。それに引き換え、「世界の工場」中国の内実はお粗末だ。
 致命的なのは、アイデアを創造し、広め、消費する「アイデア自由市場」が育っていないことだ。共産党による厳しい思想統制と国家の監視が変わらないからだ。
 『中国共産党と資本主義』の本節は、財・サービス市場の発展とは裏腹に、依然として抑圧されている「アイデア市場」問題に言及する。
 中国がいかにして資本主義になったのかは途方もない話である。30年前に中国が資本主義化すると正しく予想したスティーヴン・チュンでも、この国の市場転換がこれほど急速に起こるとは思いもしなかった。中国指導者も国内外の経済学者も、辺境革命がこの国に迅速に市場の力を復帰させたときには不意を打たれた。

 1970年代末に中国を資本主義へと傾けた経済力が、この30年で強大になっている。経済的な不平等が生じたにもかかわらず国内に経済的利益が広く行きわたった。経済的な自由と私的企業活動は、まだ残っている国家独占に制約されながらも、全国で栄えている。近い将来には中国は市場経済の実験を継続していくだろう。商業と私的企業活動の豊かで長きにわたる伝統を利して、中国的特色をもつ資本主義は、わが道を行きつづけることだろう。

 しかし、中国的特徴をもつ資本主義とはいったい何なのか。言い換えると、中国はその驚異的な市場転換のあとで、どのような資本主義に行きつくのか。解説者のほとんどは中国政府の見える手と、依然として残る中国共産党の独占力を際立った特徴として中心的に扱ってきた。これらはたしかに重要ではあるが、中国の資本主義を理解するためのカギを握ってはいない。

世界最大の経済で生産性が最高にならないことに

 世界銀行によれば、破壊的な不景気のさなか(2010年データ)のアメリカのGDP(国内総生産)は14・58兆米ドルだった。これに比べて中国のGDPは5・88兆米ドルである。中国の人口はアメリカの4倍(13・4億人と3・12億人)だから、中国はまだ1人あたりGDP(4260ドルと4万7140ドル)と労働生産性ではるかに後れをとっている。

 おおかたの予想どおりに21世紀の半ばに中国が世界最大の経済となっても、中国は開発力を大幅に向上させないかぎり、生産性の面では二等国のままになるだろう。これは現代の人類史に空前の例を示すことになる。すなわち世界最大の経済で、生産性が最高にならないという例だ。

 中国経済の同じ構造的欠陥が別の形で、海外の識者にもっと目立つように表われている。今日「メイド・イン・チャイナ」の商品は、ウォルマートのような安売りチェーン店でも、高級小売店やデパートでもすぐ見つけられる。靴や衣服から家具や電気製品まで、中国の製造部門はほぼあらゆるタイプの消費財を生産している。中国の輸出品の急速な質の向上で、「中国価格」の幅広い消費財が手に入る世界の消費者は、明らかに利益を得た。

 ところが、ほとんどのアメリカの消費者は、家には中国製品があふれ返っているというのに、中国のブランドを挙げろと言われると困惑する。

 この中国経済の弱点は、歴史的な視点から見るとすぐわかる。19世紀にイギリス経済が世界のトップだったとき、また20世紀にアメリカが経済超大国になったとき、幅広い新製品を発明したのみならず、新しい産業を創出してもいた。両国の経済力を規定したものとは、イノベーションと生産性における優位だった。

 1851年に水晶宮で開かれたロンドン万国博覧会で、イギリスの展示は「強度、耐久性、利便性、品質に関するほぼすべての分野で、鉄鋼でも機械でも繊維でも最高位を占めた」。

 20世紀にはアメリカの巨大企業が台頭した。ロックフェラー、カーネギー、フォード、GM、GE(ゼネラル・エレクトリック)、ボーイング、IBM、コカ・コーラ、P&Gに、もっと最近ではHP、アップル、インテル、モトローラ、マイクロソフトと枚挙にいとまがない。

 1960年代後半に日本が世界第2位の経済大国になったときは、ソニー、富士通、トヨタ、ホンダ、日産、マツダ、キヤノン、東芝、パナソニック、JVC、シャープを擁していた。経済が中国の6分の1でしかない(人口は4800万人にすぎない)韓国には、サムスン、LG、現代、起亜、大宇といった世界に誇れる企業がある。

 これに対し、中国で最もよく知られた企業、レノボ、ファーウェイ、青島、ハイアール、吉利などは西側では聞き慣れない。『フォーチュン』誌が選んだ中国企業トップ10社は、シノペック(中国石油化工)、中国石油、国家電網、中国移動通信、中国人寿保険、中国銀行、中国建設銀行、中国南方電網、中国電信だ。これらはすべて国有企業でエネルギーとサービス(銀行、通信、保険)に集中している。

いまだに「製品なき製造」という状況

 中国の製造会社は国際競争力があるが、ほとんどは低い製造コストを利して、国際市場で価格で張り合えるというだけだ。新しい優れた製品の開発にはまだ苦労している。開発力と独自の商品に欠けるため、多くの中国企業は受注生産(OEM供給)に稼ぎを頼っている。海外市場から受注し製造した品が外国ブランド名で売られる。

 この状況は、せいぜい良い言い方をしても「製品なき製造」であるが、世界の頂点をねらう経済にとって良い兆候ではない。2009年にも、アメリカの製造業の生産高(製造業付加価値額で1・7兆ドル)はまだ中国(1・3兆ドル)を上回っていた。数十年にわたる雇用減少(2010年の第2・四半期には労働者数が1200万人を切った)のあとでも、アメリカの製造部門はまだ、製造部門の雇用が1億人を超えた中国を大差でリードしている。そのうえ中国では外国企業や合弁事業の存在が大きいことを考えれば、中国の製造業の国内生産力の成長は「世界の工場」という呼び名が示唆するほど立派なものからはほど遠い。

アイデア市場を生み出せないどころか統制と監視下に

 ほとんどの中国企業を自由にし、市場競争に直面させた経済改革だが、中国の大学には同じ開放的効果をもたらしはしなかった。中国の大学の大多数と教育制度全般はいまだに国の統制下にある。中国の市場改革の最も深刻な欠陥がここに露呈している。この欠陥も、中国経済のほかの欠点と同様、前に指摘した悩ましい兆候に根ざしている。

 皮肉なことに、ポスト毛沢東の経済改革は、1978年の三中全会より早い77年、大学入学試験の復活をもって開始された。当時、トウ小平は中国の科学者、研究者が科学調査を自由に独立して行えるようにする「装備部門」に共産党はなるべきだと唱えた。中国を科学的発見と技術革新の国にしなければ、「社会主義的近代化」の達成はとうていおぼつかないと、トウや他の指導者たちは考えた。

 残念ながら、トウの提唱にもかかわらず、中国の大学と研究機関の運営を政府が命令する体制は変わらなかった。ほとんどの大学は学問の府というより、徹底的にイデオロギー統制された官僚組織として運営されている。その結果、中国は市場転換によって財・サービス市場が急速に発展し、製造業で国際市場の主要国になれた一方で、活発なアイデア市場(market for ideas)をまだ生み出せてはいない。それどころか、教育制度からメディアまで、アイデアを創り出し、広め、消費する全プロセスが、厳しい思想統制と国家の監視下に置かれてきた。

 急速な市場改革の過去数十年で、中国の大学が最も変わった点は、商業化と高等教育が拡大したことだ。社会主義体制下では、高等教育はすべて国家の資金負担とされ、教育が受けられるとしても(文革中は多くの大学が完全に閉鎖されていた)一握りの国民にしか門戸が開かれていなかった。

 1980年代末に、全国一斉大学入学試験の成績が悪いため進学できなかった学生を、授業料の自己負担とひきかえに入学可とする制度が始まった。これで国家は高等教育にとっての唯一の資金源ではなくなった。

「世界に通用する科学者をただの一人も生み出していない」

 高等教育機関の商業化と拡大のペースは1990年に大幅に加速し、「中国の高等教育の大躍進」と広く呼ばれる状況が生じた。1995年には18〜22歳人口のわずか5パーセントしか高等教育の機会が得られなかったが、2007年には23パーセントに上昇した。中国はいまや世界最多の博士号を産出している。それでも中国で最も尊敬される科学者だった銭学森は、2009年に死去する前、こんな粛然とさせる問いを発していた。

 「なぜ中国の大学は、1949年以降、世界に通用する独創的な思想家や画期的な科学者をただの一人も生み出していないのか」

 この教育制度は、数の増加では質の停滞は埋められないことを明らかにして余りある。中国では「銭の問い」として一般に知られている銭の提起した疑問が、メディアに大々的に取り上げられたのも無理はない。

 中国の大学の重大な制度的欠陥は自主権がないことだ。多くの大学はいまだに国が主な財源であり、教育部の厳しい統制を受けている。主要な大学の党書記と学長は教育部が任命する。学内では党書記のほうが学長より地位が高く、運営についての決定権も強い。大学のすべての学位取得課程はまず教育部の承認を得なければならない。

 財政、人事、学位取得課程の直接支配をつうじて、教育部は中国の大学に広範な影響を及ぼしている。これほど大きな支配力というと、改革前の時代に中国政府が国有企業に及ぼしたものだけだ。国有企業が政府当局から自主権を得て競争へと開かれていった改革期に、大学はまったく逆行していた。

 大学が直面した最も顕著な競争とは海外との競争である。何万人もの中国のきわめて優秀な学生たちが毎年国を離れ、日本、オーストラリア、カナダ、アメリカ、ヨーロッパの大学へ留学している。こうした学生の決断こそ、自国の大学から与えられるものに失望したというあかしである。

 政府に厳重に統制された中国の大学は、革新的な研究や教育に役立つ課程の提供よりも教育部にへつらうことが得意になってしまった。この状況は改革前の国有企業と大差ない。それに加えて、資金源の不足で困った中国の大学は、入学者数を競い合うと同時にほかの金儲けに血道を上げている。

 結果として、中国の高等教育は商業化され拡大はしたかもしれないが、この教育改革はアイデア自由市場をもたらしはしなかった。むしろ、国が世界最高レベルの大学を生み出したいと考えて、特定の研究課題に金を注ぎこむにつれ、教育局はなおさら大学に影響力を振るうようになった。つまり大学は、高等教育に新たに生じる課題よりも監督当局の指図に敏感だということだ。

論文の強要は創造性と独創性をてきめんに妨げた

 1995年と98年に中国政府は、少数の世界最高レベルの大学と重要な学問分野を構築する目的で、221計画および985計画を立ち上げた。教育部は大学に出来高報奨制度を導入した。製造会社には有効だった制度である。

 大学教授が論文発表によって評価され、報酬を受ける。教授の全報酬はたいがい大学での職位に応じた基本給と、主に論文発表を基準とした能力給から成っている。ほとんどの場合、基本給はとても低く設定されていて、教授がまともな稼ぎを上げるには論文を発表するしかない。現在広く採用されているこの給与体系のせいで、教授がこぞって論文発表マシンと化してしまったのも無理からぬことだ。プラス面をいえば、中国は世界の重要な学術論文産出国となった。だが、この発展には法外な代償を払わされた。それは「銭の問い」に最もよく示されている。

 およそすべての人間の活動において、平均と最高の達成の隔たりが非常に大きいことは多々ある。歴史的に見ても、科学のあらゆるテーマは少数の巨人に牽引されてきた。自己選択し、動機づけられた研究者が自身の研究を進める自由と支援を与えられているとき、人間の創意は最も発揮され、科学が進展する公算は高まるのだ。報奨制度で学者に論文を書くことを強要はできても、こうした物質的利益とのあからさまな結びつきほど、創造性と独創性をてきめんに妨げるものはほかにない。

 国家の広範囲にわたる干渉を考えれば、中国の大学が並みの業績しか上げられないのは理解できなくもない。ミルトン・フリードマンの評言どおり、産業を破壊する最も確実な方法とは国家独占でその産業を保護することだ。中国の国家独占は、アイデアを生み出すことを著しく抑制してしまった。行政による干渉がひどいせいで、物理学や生物学や科学技術といった政治イデオロギーの影響が限られた分野にさえも、アイデア自由市場はほとんど存在しない。そのため中国の伝統的な格言「百花斉放・百家争鳴」は絵空事にとどまっている。

 中国の大学に関しては、基本的に政府が投入(財政と人事)も産出(学位取得課程)も掌握しており、大学にほとんど自主権が与えられていない。近年の南方科技大学の開校の遅れは、いらだたしくも、この状況をわかりやすく示す例となった。

 この大学の設置は地方主導策で、深セン市政府の全面的な支援を受けている。私立大学ではないが、教育部からも地方政府からも独立した運営を行っていく。香港科技大学の成功に倣い、中国南部の一流の研究機関として、急速に発展する地域経済が大いに必要としている科学研究と技術革新の中心となることが目標だ。2010年秋に開校の予定だったが、3年以上もかけて準備したあげくに教育部から学位取得課程の認可が下りなかったため、学生募集が困難になってしまった。

法律と政治までアイデア市場がないことが影を落とす

 教育だけでなく中国の法律と政治もまた、活発なアイデア市場がないことで著しく損なわれている。経済は期待をはるかに超えた成果をあげたが、政治改革にはかばかしい進歩は見られない。1978年コミュニケではっきり認められた多くの問題がまだ残っていて、目標の多くはまだ達成されていない。「人民の生活にとって喫緊の問題にまったく注意を払わぬ官僚的な態度」はなおもはびこっている。「憲法に定められた公民の権利は断固として保障しなければならず、何人もそれを侵害してはならない」という段階からは大きく隔たっている。30年以上たった現在も、中国の法体系は「人民が自らの法律の前で誰もが平等であることを保障し、何人も法律を超越した特権をもつことを許されない」段階からはほど遠い。

 政府によるアイデアの独占から、トウ小平が改革当初に嘆いていた悲惨な状況、すなわち「指導部の考え方に反対する」のは違法とされるような状況が生じた。懸念を表明したり自分の意見を述べたりするための公開討論の場がなければ、反対の意見をもつ人は政府と対立せざるをえない。どんな社会でも最も貴重な人材となる、批判的思考や独自の思考の持ち主たちは往々にして、気づいたときには政治的な反体制派のレッテルを貼られている。そして、その反体制派はややもすると「反共産党」とか「反社会主義」という、命までは失わないまでも将来を奪われかねない誹りを受けるのだ。

 経済から教育まで、また法律から政治まで、活発なアイデア市場のないことが中国社会全体に影を落としてきた。うわべは、中国経済はアイデア自由市場がなくても、改革当初か目覚ましい発展を遂げている。財とサービスの自由市場から富と権限を与えられ、終わりなき経済成長をその正統性の根拠とする政治指導部は、必要なのは財とサービスの市場だけだと考えるかもしれない。

 しかし、それほど真実とかけ離れた話はない。アイデア市場を欠くことは科学技術の革新の欠如、中国の成長途上にある製造セクターのアキレス腱の直接の原因なのである。技術革新の乏しさと依然として残る国家独占のせいで、中国企業は利益になる投資機会を大幅に減じている。自社製品を生み出すよりむしろ受注生産をすることが、中国企業の戦略の主流となっている。

金融資本の余剰に匹敵する人的資本の莫大な欠損

 アイデア自由公開市場がなくては、中国はその経済成長を持続することも、技術革新や科学的発見の世界の中心になることもできない。改革の初期、中国はイデオロギーの障害が除かれたとたん、西洋との科学、技術、ノウハウの甚大な隔たりを急速に埋めていった。だが同様の成長率を維持するには、もっと革新的になって、少量のクリーンなエネルギーの利用で新しい製品を世界の消費者へ提供しなければならない。30年という比較的短期間に貧しい社会主義農業国から世界経済を牽引する製造装置へと変貌したとはいえ、中国がアイデアの製造装置になるまでにはまだ道は遠い。

 そのうえ、アイデア市場を欠いたせいで、和諧社会を建設し、文化をよみがえらせる中国のもくろみは損なわれている。和諧は中国語で階層間の調和を意味しているとおり、異なる声の存在が前提となる。調和というものは、アイデア市場で異なる多様な声が相互作用した結果として、はじめて成立するのだ。どの国の政府の運命も、物質的な豊かさを育み、保つ能力にかかっている。

 このアイデアの領域は、カール・ポパーが「世界3」と呼んだものにも似て、自分とは何者か、自然界と人間社会はどう機能するのかを理解しようとして生じた人知の産物である。中国でしばしば「物質文明と精神文明」の発展と呼ばれる2つの課題は、本質的に関連しあっている。物質的な豊かさの世界は、豊富なアイデアで質的に高められなければ、退屈で壊れやすいものになるはずだ。

 アイデアの領域は、物質的な豊かさの世界のしっかりした土台がなくては、空虚ではかないものに終わるだろう。経済がますます情報集約型になる現代の世界では、財市場の長期的な健全さは、情報が発見され、共有され、蓄積される活発なアイデア市場にかかっている。新規企業の設立、新商品の開発、新産業の創出のペースは、活力に満ちたアイデア市場に大いに依存している。

 さらには、アイデア市場は、財とサービスの市場を動かす根本要因となっている。財市場が消費者主権の前提で動いているとき、消費者のニーズを直接に形成して、その経済に見いだせる消費者(また企業家、政治家、法律家)のタイプとその特徴や価値観を規定し、そうして最終的に財市場のありかたと、いかに有効に機能するかを決めるのは、アイデア市場なのである。

 財・サービスの競争市場をもった中国は、久しく外資の人気の投資先として、数多くの世界フォーチュン500社から出資を受けてきた。しかしながら、活発なアイデア市場に欠けるせいで、中国の人材は海外へどんどん流出している。中国が蓄積してきた金融資本の余剰に匹敵するのは、人的資本の莫大な欠損ぐらいのものだ。この明白なアンバランスに、現在ある形の中国的特色をもつ市場経済の深刻な欠陥が露呈している。

(次回に続きます)


ロナルド・コース (Ronald Coase)

1910年生まれ。100歳を超えて現役の英国生まれの経済学者。論文の数は少ないが、そのうちの2つの論文 “The Nature of the Firm”(「企業の本質」)(1937年)と“The Problem of Social Cost”(「社会的費用の問題」)(1960年)の業績で、1991年にノーベル経済学賞を受賞。シカゴ大学ロースクール名誉教授。取引費用や財産権という概念を経済分析に導入した新制度派経済学の創始者。所有権が確定されていれば、政府の介入がなくても市場の外部性の問題が解決されるという「コースの定理」が有名。著書に『企業・市場・法』(東洋経済新報社)、『中国共産党と資本主義』ほか。

王寧(ワン・ニン)

アリゾナ州立大学政治国際学研究科准教授。


今だからこそ考える「日本で何を造るか」
カイゼンがあぶり出す中国生産・調達の落とし穴

部品内製化で財務体質を強化したネポン

2013年3月19日(火)  高野 敦

 生産拠点としての中国の位置付けが揺らいでいる。「世界の工場」と呼ばれた中国だが、人件費の高騰や他産業への人材流出などにより、以前ほどの魅力がなくなっている。日系企業にとっては、昨年の尖閣諸島の問題をきっかけに起きた反日デモも追い打ちとなった。そうした問題もあって、自社の生産拠点や部品の調達先を中国以外の国に分散させる動きが出始めている。そのときに多くの企業が向かう先はタイやベトナムといった東南アジアだが、興味深いのは一部に国内に回帰する動きがあることだ。

 あらかじめ述べておくと、巨大な市場を抱えている中国の生産量は、全体的には今後も緩やかに増加していくだろう。中国での生産が一気に縮小するという話ではない。また、今後の成長が期待できる東南アジアへの進出が活発化するのも必然だ。ならば、生産拠点や調達先を国内に戻す動きにはどういう意図があるのか。その謎を解き明かすためのカギは“カイゼン”である。

即納のために大量の在庫を保有


ネポンの温風暖房機「ハウスカオンキ」
 農業用ビニールハウス向け温風暖房機などの農業用機器を手掛けるネポンは、ここ数年、それまで中国企業に外注していた部品の内製化を進めている。同社の製品は基本的に国内市場向けで、製品の組み立ても国内工場だけで行っている。だが、温風暖房機のボイラーに用いるステンレス鋼製の“缶体”という部品については、加工コストが安いことを理由に中国企業に外注していた。このように、国内市場向けの製品に用いる部品の製造を中国企業に外注することは、多くの企業で見られる。

 ネポンでは、2000年代に入って売り上げが伸び悩み、一時はフリー・キャッシュフローがマイナスになる事態に陥った。だが、そうした財務状況の悪化を招いたのは、売り上げという外的な要因に加えて、完成品や仕掛かり品の在庫が多いという内的な要因も大きかった。

 農家のビニールハウスで温風暖房機が故障した場合、代替品を即納することが求められる。そうしなければ、ビニールハウスで育てている作物が全滅してしまうからだ。そうした即納体制を実現するために、ネポンは在庫を多く持つことで対応していた。

 即納が求められるという事情から、完成品の在庫を持つことはやむを得ない。しかし、仕掛かり品の在庫は明らかに過剰だった。そこで同社は、仕掛かり品の在庫を減らすための生産革新に取り組む。ところが、その過程でネックになったのが、中国企業に外注している缶体だった。


缶体の内製工程
 仕掛かり品の在庫を減らせば、工程と工程の間を仕掛かり品がスムーズに流れていき、リードタイムを短縮できる。だが、途中で外注している工程があると、発注してから納品されるまでのリードタイムの分だけ社内に在庫を持っておかなければならない。特に中国からの輸入では、40フィート型コンテナが輸送の最小単位になるので、ネポンが中国企業に外注していた缶体の場合、発注のロット数が125個、発注から納品までのリードタイムが120日だった。他の工程でも仕掛かり品の在庫がたくさんあるうちは気にならなかったが、在庫削減を進めてからは缶体の在庫だけが突出してきた。


缶体の内製に用いる金型
 中国企業に外注した場合の加工コストは、確かに安い。だからこそ、外注しているわけである。しかし、生産革新を進めていくにつれ、加工コストの安さというメリットよりも外注するために在庫を持つデメリットの方が目立ってきた。そこでネポンは、缶体を自社の国内工場で内製することを決断する。

 そうした内製化の取り組みによって、同社では2010〜2012年の3年間で累計4500万円のコスト削減効果(外注を続けた場合との比較)が得られた。さらに、仕掛かり品の削減によってサプライチェーン全体のリードタイムが短くなったため、完成品の在庫も少なくて済むようになった。

経営判断を誤らせる在庫

 カイゼンは、現場の活動として、経営層には低く見られがちである。しかし、ネポンの事例からも分かるように、カイゼンによる在庫の削減はサプライチェーンの効率に大きなインパクトを及ぼすため、中国生産・調達にするか国内生産・調達(内製を含む)にするかといった経営判断にも関わってくる。

 局所的な人件費や加工費などを見れば、昨今は高騰しているとはいえ、それでも中国の方が日本よりもまだまだ低い。だが、サプライチェーン全体の効率という観点で見れば、中国生産・調達が有利とは必ずしもいえない。中国生産・調達が安く見えるのは、単純に自社が非効率なサプライチェーンを抱えているだけかもしれないわけである。

 そもそも、完成品なり仕掛かり品なり在庫というのは、工程と工程の間にたまっていくものである。現場の作業者も管理者は自身が担当している工程の品質や生産性は気にするが、工程間の在庫は「必要悪」として誰も責任を持とうとしない。しかし、その在庫こそがサプライチェーンの効率を下げる元凶であり、経営判断を誤らせる恐れがある。

 ネポンの場合、2006年に社長に就任した福田晴久氏が従業員に「(同社の生産拠点である)厚木工場でしかできない付加価値のある仕事をやろう」と呼び掛け、それに呼応した現場の努力で缶体の内製化を実現した。現場を見て判断できるトップがいたからこそ、これほどの生産革新を達成できた。

パソコンを国内生産する日本HP

 近年、日本ヒューレット・パッカード(日本HP)が国内市場向けパソコンを中国のODM(相手先ブランドによる設計・生産)から同社昭島事業所での国内生産に切り替えたことが話題になったが、これも即納性を重視してのことである。もともと、富士通やNECといった国内メーカーも国内市場向けのパソコンについては国内生産を貫いてきた。両社は共にトヨタ生産方式を導入し、自社のサプライチェーンを徹底的に効率化している。だからこそ、国内市場向けは国内生産という方針が揺らぐことはなかった。

 今後、あらゆる分野で納期の要求は厳しくなるだろう。サプライチェーンを効率化するカイゼンもますます重要になる。そうした中では、国内市場向け製品/部品は国内で造るという選択肢がより現実的になっていくかもしれない。


高野 敦(たかの・あつし)

日経ものづくり記者。


10. 2013年3月19日 01:15:17 : xEBOc6ttRg
中国の政治:旧体制と大革命
2013年03月19日(Tue) The Economist
(英エコノミスト誌 2013年3月16日号)

中国が政治的な転換点に近づいていると考える人がいる理由

 中国に5億人以上いるインターネットユーザーの一部にとって、3月第3週のビッグニュースは、習近平氏が国家主席に就任したという、ずっと以前から予定されていた話ではなかった。習氏は既に中国共産党と同党の中央軍事委員会の運営というもっと重要な職務を担っている。


中国・上海の主流河川でブタの死骸を回収する衛生当局職員〔AFPBB News〕

 彼らにとってのビッグニュースは、予定されていた話ではなく、嬉しくもなく、そして説明もつかない事件だった。何千匹ものブタの腐敗した死骸が、川を下って上海に流れ着いたのだ。上流の畜産農家が投棄したものと思われている。

 中国では公衆衛生や汚染、汚職に関するスキャンダルが次から次へと表面化しており、この一件はその最新事例となる。

 だが、インターネットユーザーたちの間で一般的な認識、つまり、中国という国は驚異的な経済発展を遂げているものの、どこか腐っており、変化せざるを得ないという見方をこれほど明確に(しかも嫌な形で)象徴する出来事は、ほかにあまり思い浮かばない。

限界に近づく一党支配

 多くの人が、中国は変わると考えている。米国の学者アンドリュー・ネイサン氏は、10年前に、中国共産党の適応力、生存能力を表現するために「独裁主義のレジリエンス(回復力、打たれ強さ)」という言葉を生み出した。

 そのネイサン氏が最近、米国の季刊学術誌ジャーナル・オブ・デモクラシーの「中国は転換点にあるのか?」という刺激的な標題の特集に論文(PDF)を寄稿し、「中国の独裁体制のレジリエンスは限界に近づいている。1989年に天安門事件が起きて以降、現在ほどこの共通認識が強まったことはない」と書いている。

 1976年に毛沢東が死去してから、外国人はずっと、一党独裁の崩壊を予想してきた。実質的に民間部門が存在しない中央計画経済を想定して築かれた政治システムが、活気ある開かれた新しい中国で、いつまでもそのままの形で存続できるわけがない。

 1989年に、中国は革命の寸前まで行った。ソビエト連邦とその衛星国で改革が起きてからしばらくの間は、次に倒れるドミノは中国であるように思われた。しかし、中国共産党は、1989年時点で想像されたよりもはるかに耐久性が高く、国民の支持も強かった。

 そして、中国の経済が急成長する一方で、西側の民主主義は低迷し、独裁主義はかつてないほどのレジリエンスを見せた。好景気に沸く中国では、2011年に起きたアラブの春を真似ようとする者はほとんどいなかった。いたとしても、国中に浸透する「安定維持」機構によって容易に抑え込まれてしまった。

 中国が転換点に近づいているかもしれないと考える理由を、1つの変化によって説明することはできない。しかし、社会の発展が一党独裁の基盤を蝕んでいるのは確かだ。

 党に対する恐れが縮小しているのかもしれない。5億人近くいる25歳以下の国民には、天安門事件の流血の弾圧の直接的な記憶がない。何しろ中国政府は懸命に、事件について若者に知られないようにしてきた。

 少数ながらまだ、公開書簡を提出し、裁判所に悩まされ、実刑判決を受ける反体制派も存在する。しかし多くの国民は、オンラインで体制打破を掲げるチャットに参加し、共産党など無視するか、そうでない時は党をあざ笑うような態度を取る。

 抗議行動やデモなどの「集団事件」は急増している。農民は強欲な地方役人による土地の強奪に腹を立てている。中国東部に集まる輸出製品の工場に勤める第2世代の労働者は、両親の世代より野心的で反抗的だ。そして、都市部の中間層は急激に拡大している。

急増する中間層の不満

 中間層の台頭は、ほかの国では、民衆の力により(韓国など)、あるいは話し合いにより(台湾)、独裁政権の打倒につながった。中国の中間層の多くも不満を抱えているように見える。彼らは、共産党が蔓延を許した汚職や格差に怒りを抱き、食品に含まれる有害物質や窒息しそうな大気汚染、水源に流されたブタの死骸にうんざりしている。

 インターネットや携帯電話の通信技術は、ニュースや怒りを国中に広める手段を与えてくれる。共産党は、ばらばらに散らばったこうした不満が集積し、1つの運動に発展しないよう、必死にならざるを得ない。党はたくさんの金づちと釘を持っている。しかしその努力は、糠に釘を打つようなものだ。


中国北京の人民大公会堂で17日まで開かれた第12期全国人民代表大会(全人代)の様子〔AFPBB News〕

 変化を予想するもう1つの理由は、習政権が、こうした現状を把握しており、政治改革に真剣に取り組むと公言していることだ。

 年1回開催される形式的な議会、全国人民代表大会(全人代、国会に相当)が開催されたが、今回も政治改革が議題となった。

 収賄役人たちの誇示的消費を一掃する取り組みは、共産党が本気になったことを示唆している。省庁を統合し、政府を「合理化」する計画は、強力な既得権と改めて戦う決意の表れだ。

 習氏は共産党に対し、「硬い骨に噛みつきながら危険な浅瀬を渡るような」勇敢な改革を要求している(「歩きながらガムを噛む」のは弱虫がすることだという)。

 ただし、ここで改革が意味するのは、一党独裁に手をつけることではない。むしろ、全人代の報道官、傅莹氏も述べているように、中国の政治改革とは「社会主義を中国風に自己改善し、発展させる」ことだ。言い換えれば、一党独裁を弱めるどころか、強化することを意味する。

 習氏もそう考えているようだ。ニューヨークを拠点とするウェブサイト「北京之春」には、習氏が2012年後半に中国南部を視察した際に行った演説からの引用が掲載されている。習氏はその中で、「共産主義の実現」への信念を明言している。

中国における民主主義

 習氏はまた、ソ連の共産党の失敗から学ぶべき教訓を挙げている。「共産党が軍の手綱をもっと強く握らなければならない」。中国とソ連の決定的な違いとして、軍が国民に銃を向けたかどうかを挙げたのは正しい。習氏にとって、「中国のゴルバチョフ」以上に屈辱的なあだ名を考えるのは難しい。習氏の立場からすれば、ミハイル・ゴルバチョフの経歴は失敗の実例だ。

 中国の知識人の間では、アレクシ・ド・トクビルが1856年に出版したフランス革命を題材にした著書『旧体制と大革命』を読むことが流行している。中国で最も共感を呼んでいるのは、旧体制が革命に倒れるのは変化に抵抗した時ではなく、革命を試み、期待を裏切った時である、という主張だ。

 もしトクビルが正しければ、習氏は乗り越えられないジレンマに直面している。共産党が生き延びるには、改革が必要だ。しかし、改革こそが最大の危険かもしれないのだ。

 もしかしたら、習氏はもっと抜本的な政治改革に解決策を見いだすかもしれない。しかしその場合、ブタが川で腐敗するくらいでは済まない。ブタが空を飛ぶくらいに、考えられないことが起こるはずだ。


11. 2013年3月19日 17:12:22 : xEBOc6ttRg
焦点:中国は大胆な経済改革へ、新政府に朱元首相時代の顔ぶれ
2013年 03月 19日 13:42 JST
[北京 19日 ロイター] 16日に発足した李克強首相率いる中国の新政府には、朱鎔基元首相が進めた経済改革の立案に加わった改革派が多く抜擢されており、中国は1990年代以降では最も踏み込んだ経済改革に着手する態勢が整った。

馬凱・副首相、楼継偉・財政相、周小川・中国人民銀行(中央銀行)総裁らはいずれも、国営企業改革を推し進めた国家経済体制改革委員会で朱元首相の側近だった人物だ。

以前から中国金融当局のアドバイザーを務めるMESアドバイザーズ(ニューヨーク)のポール・マーコウスキ社長はロイターに対して、「中国は構造改革を実施し、最終的に旧態依然とした国営企業は灰燼に帰すだろう。経済チームは入れ替わり、さながらクリントン元大統領の経済チームがオバマ大統領の経済政策を担うかのような状況だ」と話した。

朱元首相は、中国を世界貿易機関(WTO)加盟を成し遂げたことで高い評価を得た。加盟で生産効率の悪い企業が数千社も破綻に追い込まれたが、中国の輸出は拡大し、経済は米国に次ぐ世界第2位にのし上がった。

その後、改革のペースは鈍った。国営企業は市場シェアを伸ばし、銀行からの借り入れでも優遇されており、民間に資金が回らず技術革新が止まっているとの批判もある。

積極的な経済改革が急務なのは、既に手に掛けやすい改革は実施済みで、朱元首相の時代の5倍以上もの規模に拡大した中国経済は改革への反応が鈍ることだけが理由ではない。李首相は17日の会見で、成長エンジンを再調整し、長期にわたる安定的な成長を維持する上で必要な改革を確実に実行するため、既得権益に切り込むと表明した。

<生産性向上が必要>

中国は2015年までの5カ年計画で成長率を年7%と見込んでいるが、向こう10年間で家計の所得を2倍に引き上げるとも約束しており、そのためには10年以上にわたり7%の成長が必要となる。

エコノミストによると、そのためには中国は経済生産性を大幅に改善しなければならない。次期都市開発計画で40兆元(6兆4000億ドル)を投資する計画なだけになおさらだ。

李首相は報道陣との質疑応答で「改革」という言葉を20回以上も口にし、政策の力点がここにあるのは疑いの余地がない。改革計画の第1弾は共産党のトップが集う秋の会合で発表される可能性が大きい。

それまで李首相の政策は財政政策の見直しに重点が置かれるとの見方が有力だ。これにより所得を再配分し、個人消費を促進、投資主導で輸出依存型の成長からの転換を図るとともに、内需主導型経済に向けて都市化の次のステップを進めるというものだ。

バンク・オブ・アメリカ・メリルリンチ(香港)の中国エコノミスト、Ting Lu氏は、朱元首相の時代が終わっても中国の改革はゆっくりと継続しているとの立場で、「改革が加速していくと比較的楽観している。これは言い過ぎではない。改革の再開、と言う方が大げさだ。過去10年にわたって大幅な改革は行われなかったかもしれないが、ある程度は実施されてきた」と主張する。

2002年から人民銀行の総裁を務め、金融改革の立案者である周総裁の留任は、始めた仕事は仕上げなければならないという明確なメッセージだとみられている。

楼財政相は就任前の昨年11月にロイターのインタビューで、容易な改革は既に完了しており、残っているのは税制改革や移動の自由の徹底、人民元の完全な交換可能化など困難なものだけだと指摘。中国の銀行はかなり強固になっている一方で、資本市場は脆弱で、その改革が必要だとの認識を示した。

<金融業界の慢心に釘刺す>

17日に中国証券監督管理委員会の委員長に指名された肖鋼氏は、資本市場改革で大きな権限を持つ。周総裁の下で人民銀行の副総裁を務めた肖氏は2月、チャイナ・デーリーに寄稿し、「金融業界は慢心すべきではない。この機会を捉えて改革と構造変革を進めるべきだ」と訴えた。

中国国家発展改革委員会(NDRC)傘下のシンクタンク、国家情報センターとつながりのあるアナリストによると、共産党は長期にわたる権力維持を可能にするために経済改革が重要だとみており、政治的に生き残るために経済政策を練っている。「(全国人民代表大会の)各代表は、何もしないのが最大のリスクだということで見解が明らかに一致していた」という。

(Nick Edwards記者)


12. 2013年3月20日 00:10:46 : xEBOc6ttRg
2013年3月19日


中国の大衆化時代の足音が聞こえる
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お金儲けの神様「邱永漢」人生最後の弟子で、2005年より中国四川省成都に在住、日本生まれの韓国人。グループ会社3社の社長兼取締役が、中国・成都からレポートを届けます。

駄目になる高級店

とある日の夜、突然iPhoneの着信音が。中国では、ほとんどの用件はWeixin(海外名We Chat)というアプリを通じてくるので、今では電話が鳴ることの方が珍しくなりました。


WeiXinの実際の画面
 補足すると、中国は通話大国です。中国旅行をしたことのある人ならわかると思いますが、ちょっと前の中国はどこもかしこも「ウェーイ(もしもし)」と言いながら大きな声で電話していました。

 その電話は、思いがけず政府部門に勤めている友人からでした。その彼が突然、「お前は素晴らしい!」と言い出します。わけがわからず、携帯に耳を押し当てる私。

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「いやー、習近平がリーダーになってから汚職防止に力が入って、成都の高級店という高級店は軒並み商売あがったりだぞ。そこに来てお前んところのレストランは商売がいい。さすがキム、先を見る目がある」


閑古鳥が鳴く中国・成都の高級店
 とべた褒めです。こっちはこっちで、「大衆化路線はやっぱり儲けが少ないなー」と決算書とにらめっこ中であっただけに、思わず吹いたのです。

中国政府の格差対策

 さて、自己紹介もままならないまま原稿だけが進むわけですが、上記のとおり、私はここ成都でレストランやらフード関係の仕事をやっています。そのすべてが大衆路線の店で、焼肉やしゃぶしゃぶ、もしくはケーキショップです。

 また機会があればお話しますが、本当はホテルの総支配人になるために来た成都で、たった3日でその計画がくずれ、何の因果か焼肉屋をやっているわけです。その間、ボーリング場の経営を手がけたこともあり、経緯を説明するだけでもたっぷり1回分のコラムが終わってしまいそうなのですが、今回は本題とずれますので割愛。

 で、まあ大衆化路線をやっていて、ここ数カ月、「あっ、中国の大衆化がやってくるな」と肌で感じることが多くなってきました。

 振り返ると1985年、時のリーダーケ小平の
「一部の地域、一部の人から先に豊かになれ。そうして先に豊かになった人々が、その他の地域と人々を助け、牽引せよ」(簡略)

 という講話の後、中国はそのとおりに一部の地域と一部の人々が豊かになりました。その意味で、この講和は現実のものになったわけです。

 問題は、先に豊かになった人が、貧しい地域や人々をほとんど気にしていないことでしょう。

 しかし、さすがにこの問題に気づいた中国政府は、経済格差に徐々にフォーカスを当てているようです。

 最近「ほぉー」と思ったことは、
@中国各地の最低賃金を今後5年間は毎年12%以上上げること

A昨年末の共産党大会で、2010年と2020年比較で所得を倍増するとしたこと

そして生活者および経営者の視点からは、

Bここ数年の物価上昇の荒波の中で、米、豚肉、油等の生活必需品の価格が安定していること

 です。

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中国の大衆化が始まっている

 実際、弊社の従業員の給料もじりじりと上がってきているわけで、経営サイドはそれに必死に抵抗しようとするんですが、私はそれが無理だと思っているので、5〜6年で給与が倍になることを前提に経営を組み立てることに集中しようと考えるわけです。

 そもそも日本だってやってきたことですから、何もそんなに難しい話ではないはずです。

 とここまで話して、最近、「この店ちょっと高いよね」という顧客の声が少なくなってきたことを思い出したりもします。

 こうことを総合的に(まあ、きわめて肌感覚的ではありますが)判断して、私の中で、
「あー、中国の本格的な大衆化がいよいよはじまるんだな」という感慨を強くしているわけです。

 当たり前のことなんですが、日本人の月給20万円が40万円になるのと、中 国人の給料2万円が4万円になることはまったく異なる意味合いがあります。

【日本人の20万円→40万円の変化がもたらすこと】

 すでに基本的な欲求(住むところ、食べるもの、着るもの)が満たされているのですから、所得が増えたところで消費行動にあまり大きな変化はみられないはずです。みんなが海外旅行にバンバン行くかといえば、あまりそれも考えられない(多少は増えますよ)。つまり、可処分所得の増加が消費へと大きくは繋がらないということです。

【中国人の2万円→4万円の変化がもたらすこと】

 一方、この変化は大きいです。何せ、いまあらゆることに飢えや不満、不足を感じているわけですから。増えた分の所得がかなりダイレクトに消費に繋がっていきます。

 中国経済の安定には国内の需要の健全な発達が必要なわけですが、海外では中国経済のソフトランディングに懐疑的な論調もあるようです。

 その根拠は、不安定な、もしくは一党独裁的な政治体制にあるという議論もあるわけですが、お金の流れが政治の流れを作るのであって、政治の流れがお金の流れをつくるのではないのです。

 中国の本格的な大衆化がはじまりますよ。


中国人の所得が倍増した時の消費イメージ 

文/写真・金伸行

著者紹介:金伸行(きむ・のぶゆき)
お金儲けの神様「邱永漢」人生最後の弟子。2005年より中国四川省成都に在住、日本生まれの韓国人。グループ会社3社の社長兼取締役。主な事業は、焼肉 を中心としたフードサービス。5カ国語を話し、前職は世界最古の戦略コンサルティングファームADLにてコンサルタント。現在は、アジア最高の焼肉チェー ンを作るため、年間100フライト及び肉食400食をこなしつつ、マラソンで体を絞っている。
http://diamond.jp/articles/-/33070


13. 2013年3月22日 01:05:45 : 5FidTbXBPE
中国経済がさらに強大かつ持続可能になる条件

『中国共産党と資本主義』第6章を読む(最終回)

2013年3月22日(金)  ロナルド・コース 、 王 寧

 中国社会主義が資本主義化すると予測した唯一の専門家がいる。スティーブン・チュンだ。しかし、その彼も、市場経済への転換には100年かかると見ていた。現実の中国は1976年の毛沢東の死去以後、急速に資本主義化を果たした。それは脅威の物語だ。
 『中国共産党と資本主義』のこの節は、中国の課題に触れて、この章を締めくくる。
 過去数十年間にわたるポスト毛沢東体制の中国の経済改革は、経済と社会を根本から変革した。1976年に毛が死去したとき、中国は一人あたりGDPが200米ドルにも届かない世界の最貧国だった。それが2010年には一人あたりGDPが4000ドルを超す世界第2位の経済大国となった。

 同じ時期に中国の世界経済のシェアは2パーセント以下から約9パーセントにまで上昇した。毛沢東時代に厳禁とされていた私企業活動は、いまでは全土で繁盛して、中国経済の屋台骨となっている。世界一のインターネット・携帯電話利用者数を擁し、世界最大の自動車市場である中国社会は開放的でエネルギーにあふれ、移動性が高く、情報が豊富で、活力と向上心に満ちている。中国の大学でさえも近年は改善のきざしを見せており、卓越のための必須条件である学問の自由を実現している。中国経済にはまだ非常に大きな成長の余地がある。

 中国の市場転換の物語は、前もって語られていたとしても、誰も信じなかったことだろう。市場転換の到来を予測していたおそらくは唯一の経済学者、スティーヴン・チュンは再三そのスピードを下方修正した。チュンの分析と予測を信じた数少ない人たちでも、20年や30年ではなく、まず100年はかかると考えていた。

辺境で自ら社会主義は敗北した

 これが異例というには、もう一つ別の理由がある。ポスト毛体制の指導部が行った改革は「社会主義革命」を志向し、中国を後進国から「強大で近代的な社会主義国」へと変えることを意図していた。中国は改革を始めたとき、社会主義を捨てはしなかったのだ。

 改革中ずっと中国政府は社会主義に忠実でありつづけた。飢餓と失業の途方もない重圧を受けてはじめて私企業が農村部と都市部でわずかに活動できる余地を許された。しかし私企業活動の歯止めが解けたとたん、国家主導の改革策よりもむしろ一連の辺境革命が、中国経済にたちまち市場原理を復活させたのだ。モスクワで、ワルシャワで、プラハで、社会主義は単に駆逐されたのに対し、四川、安徽、浙江、広東では自ら敗北した。

 これはまた中国ならではの特徴の物語でもある。改革中に生じ、その方向を決定づけた政治討論、とりわけ社会主義の本質をめぐる論争は、他国に類を見ないものだ。中央集権化と非集権化に関する政策選択は、中華帝国の政治史にもとづき、特徴づけられていた。実践を真理の検証基準とすることをめぐる哲学的議論には、伝統的な中国文化の影響ならではの重要性と意義深さが備わっていた。

 今後の何十年にもわたって、資本主義の中国は必ずや中国的でありつづけるはずだ。社会主義の中国が、20世紀のあいだ中国の伝統にひどい暴力を加えたにもかかわらず、そうでありつづけたのと同様に。

 現状では、新興の中国市場経済は、何世紀もかけて資本主義が発展してきた西側諸国の観測筋の目には粗雑に映るかもしれない。中国的特色をもつ資本主義は、中国の都市の交通にとてもよく似ている。西側から来た旅行者はたいてい、その無秩序なさまに恐れをなす。それでも中国の道路は、他のどの国の道路より多くの商品を運搬し、多くの客を輸送する。

 同様に興味深い形で、中国の市場経済は独自の道を歩んでいる。その無類の文化的伝統と政治制度ゆえに中国の市場経済は、この国独自の特質をとどめ、さらに増していくだろう。中国式の資本主義から固有の性質を除くことは可能でもないし、望ましくもない。

 これは断じて、欠点や短所が明らかで隠しようもない中国の現行の資本主義を全面的に支持するというのではない。しかし同時に、私たちは自分に似たものを受け入れ、珍しいものを遠ざけたがる人間の本能に抵抗すべきである。開かれた社会は多様性と寛容さを糧として栄える。自らに課した画一性と硬直性のせいで、かつて強大で止まらないように見えた社会主義という列車は止まったのだ。社会主義の失敗から学べる教訓が一つあるとしたら、それは多様性とは祝福すべきもので、警戒や疑惑の種ではないということだ。

資本主義のために原点に戻った

 中国は歴史上つねに通商と私的企業活動の国であった。孔子は国を治める方法を問われ、「(まずは)国の民を増やし、(それから)富ませ、(最後に)教育する」ことを勧めた。道教の祖である老子は「われ〔統治者〕無事なれば民おのずから富む」と述べた。

 中国の偉大な歴史家、司馬遷は「国を治むるの道は、必ず先ず民を富ます」と言っている。1980年代にトウ小平の言葉「金持ちになることは素晴らしい」が改革のスローガンとされたことは、いかに中国がその通商と治国の伝統的な教えから自らを遠ざけていたかを示している。

 20世紀末に中国的特色をもつ市場経済を建設しようと試みるなかで、自己不信と自己否定の一世紀半を経た中国は、資本主義のために原点に戻って、自らの文化的出自を受け入れたのだ。2011年1月11日、天安門広場に高さ9・5メートルの孔子像が、静かに建てられた。

 中国の悠久の歴史と現代の政策表明が、この国の資本主義を決定的に形づくってきた。中国的特色をもつ市場経済が、今日の私たちの想像を絶するほど発展しつづけるあいだ、中国の歴史の積み重ねがその揺るぎない土台となっている。

 この点で、毛沢東時代の一つの教訓は重要な意味をもつ。中華人民共和国成立直後に、毛は梁漱溟(りょうそうめい)と会談した。ある中国研究者がのちに「最後の儒者」と呼ぶことになる人物に、新中国の建国について助言を求めたのだ。

 梁は高名な中国哲学(とくに儒教と仏教)の専門家できわめて誠実な学者であり、プラグマティックで社会問題に積極的に取り組んでいた。同年(1893年)生まれの2人は、北京大学で梁が教授、毛が司書助手をしていた1910年代後半からの知り合いだった。

 梁は「新しい中国の建国」と「古い中国の理解」は協調して歩まねばならないと確信していた。古い中国の強みも弱みも充分理解しなければ、新しい中国は道を誤って動かなくなるだろう。ところが毛は、そうは思わなかった。毛と当時の中国指導部のほとんどは、社会主義が繁栄への信頼できる道しるべになると信じ、過去の遺物は何であれ中国の社会主義への発展の妨げにしかならないと考えた。

 現在の中国はもっと分別があるが、それも30年間の社会主義実験の失敗と、さらに30年間の市場転換を経てようやくのことだ。21世紀の中国は急速に前進し、独自の市場経済を発展させ、国際分業に深くかかわりながら、同時に、その文化的伝統に回帰しつつある。広く対外開放し、また過去を未来へと組み込んでいる中国は、いまひとたび文芸復興期を迎える見込みが大いにある。開放的で、寛容で、自信に満ち、革新的な中国は今後さらに世界を驚かせることだろう。

中国資本主義化の驚くべき物語は続く

 本書の中国がいかに資本主義化したかの説明は、中国市場転換に関する結論ではない。この驚くべき物語については、まだ学ぶ余地がたくさんある。私たちが主に試みたのは、資本主義化をもたらした一連の出来事の歴史的記述だ。

 だが一定の理論的視点をもたずに、中国がいかに資本主義化したかの首尾一貫した記述を行うことは不可能である。事実を選択し、その重要性を評価しなければならない。理論の適切な導きがなければ、どちらも達成できはしない。

 私たちの見解はこうである。「経済システムの働きの理解は、理論と実践の相互作用によって進展する。理論はどの実践が好成果を生みそうかを示唆し、その結果行った実践はどんな理論の修正または再考が必要かを示唆し、次にはそれが新しい実践につながっていく。科学研究は正しく行われれば終わりのないプロセスであるが、そのつど理解が深まっていくプロセスでもある」。

 中国がなぜ独自のしかたで資本主義化したかが充分に説明しつくされ、興味深い謎がすべて解けるまでには、何世紀とはいわないまでも何十年もかかるだろう。だが、まずは中国がどうして資本主義化したかの理解を堅固にすること、あやふやな説明をあえて試みるより先に説明できる内容を確定することが必要だ。

 本書も巻末に近づくにつれ、これまで記してきた物語は、中国社会主義の終わりというより始まりであることは明らかだ。中国の市場経済は独自の特徴を備え、豊かな伝統と現代世界の多様性を統合しながら発展しつづけることだろう。やはり資本主義は最終状態ではなく、集団学習と自己改革の果てしない進化過程なのである。

 毛沢東没後の中国がどうなったかには、なるほど驚かされる。もし毛沢東が霊廟から出てきたとしても、今日のこの国があの昔の中国とは認めがたいはずだ。私的企業活動と自由市場がおのれの見果てぬ夢を、19世紀から中国人民と共有してきた、中国を豊かで強大な国に改造するという夢を実現したと知ったら、びっくり仰天したに違いない。

 もしアイデア公開市場が構築されるなら、中国経済の成長はさらに強大かつ持続可能になるだろう。ロバート・フォーゲル教授による2040年には中国経済が世界の5分の2を占めるとの推定は高すぎるかと思えるが、あるいは低すぎるのかもしれない。

 中国の1人あたり生産額(4393米ドル、2010年データ)は、アメリカ(4万7184ドル)や、イギリス(3万6100ドル)、フランス(3万9460ドル)、ドイツ(4万509ドル)のほか、日本(4万3137ドル)や韓国(2万757ドル)や香港(3万1758ドル)といったアジアの近隣諸国と比べても、まだ非常に低い。中国の経済的生産性には急成長する余地がたっぷり残っている。

 良質な人材を確保できないことが、中国企業の成長の足かせになっていた。今日では、北京や上海は、増大している西洋で教育を受けた中国人帰国者はもちろん、アメリカの新社会人にとっても新たなチャンスの街となった。そして中国企業は、カリフォルニアからニューヨークまで、イリノイからアリゾナまでに研究開発の拠点を開いてもいる。世界の人材プールをどんどん利用できるようになって、中国経済には技術レベルを上げ、革新性と生産性を高められるチャンスが大いにある。

アイデア市場の発達が経済成長を革新的なものにする

 どんな社会の経済的生産性でも、基本的には人材の構成と質と、人材の養成訓練がいかに効率的になされるかを決める人材市場の機能とによって決まってくる。現代経済の運営には商品取引所や証券取引所、銀行、裁判所、政府がきわめて重要であることを否定する人はいないだろう。だが、これらの制度を管理し運営しているのは人間である。誰でも扱える制度も絶対確実な制度もない。制度がどう機能するか、状況の変化にどう対応するかには、必ずや管理者、運営者の性格が反映されるものだ。

 人材市場の質と機能に、アイデア市場よりも多大な影響を与える要素はない。「銭の問い」から、活発なアイデア市場は学術面の卓越の前提条件でもあり、開かれた社会と自由な経済という、多種多様な人材を活かす場にとって必須の道徳的・知的基盤でもあることは明らかだ。

 過去数十年の改革開放中に、中国は財の市場の導入で繁栄を取り戻し、図らずも自国の文化的ルーツを回復することになった。アイデア市場が発達することで、中国の経済成長はさらに知識主導で革新的なものになるだろう。

 もっと重要なのは、現代世界の多様性との変革力ある統合をつうじて豊かな伝統を復活させることができるだろう。そのとき中国は、世界の工業の中心のみならず、創造性と革新性の潤沢な源泉にもなっているはずだ。

(この項終わり)


ロナルド・コース (Ronald Coase)

1910年生まれ。100歳を超えて現役の英国生まれの経済学者。論文の数は少ないが、そのうちの2つの論文 “The Nature of the Firm”(「企業の本質」)(1937年)と“The Problem of Social Cost”(「社会的費用の問題」)(1960年)の業績で、1991年にノーベル経済学賞を受賞。シカゴ大学ロースクール名誉教授。取引費用や財産権という概念を経済分析に導入した新制度派経済学の創始者。所有権が確定されていれば、政府の介入がなくても市場の外部性の問題が解決されるという「コースの定理」が有名。著書に『企業・市場・法』(東洋経済新報社)、『中国共産党と資本主義』ほか。

王寧(ワン・ニン)

アリゾナ州立大学政治国際学研究科准教授。


103歳のノーベル賞学者の 中国資本主義論

1910年生まれ、今年103歳となるノーベル経済学賞受賞者のロナルド・コース氏は、いまも現役の研究者である。肩書きはシカゴ大学ロースクール名誉教授だが、中国人の王寧アリゾナ州立大学准教授との共著で、中国社会主義の資本主義への制度変化を分析した『中国共産党と資本主義』(原題はHow China Became Capitalist)を2012年に出版した。この連載は、2013年2月に出版された邦訳の中でも、白眉である第6章「一つの資本主義から複数の資本主義へ」をまるごと公開するものだ。中国的特色をもつ資本主義の到達点と限界を独自の視点から分析する。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130318/245162/


【第320回】 2013年3月22日 
名実ともにスタートした中国・習体制
財政・税制改革が現状打破の試金石
――日本総合研究所理事 呉軍華

ご・ぐんか
日本総合研究所理事・主席研究員。日総(上海)投資コンサルティング有限公司董事長・主席研究員。ウッドローウィルソンインターナショナルセンター公共政策研究フェロー。1983年中国復旦大学卒業、90年東京大学大学院博士課程修了。日本総合研究所入社後、香港駐在首席研究員、香港駐在事務所所長、ハーバード大学客員研究員、米AEIリサーチフェロー、ジョージワシントン大学客員研究員などを経て、現職。『中国 静かなる革命―官製資本主義の終焉と民主化へのグランドビジョン―』(日本経済新聞出版社)など著書多数。
 3月5日から、中国では日本の国会に当たる全国人民代表大会(全人代)が開かれ、習近平氏を国家主席に、李克強氏を首相に選出し17日に閉幕した。名実ともに習・李体制のスタートである。そこでここでは、改めて習・李体制の中国がどの方向に向かうのか、改革が行われるとすれば、何がそのメルクマールとなるのかを考えてみたい。

 まず、昨年11月に中国共産党大会が開かれ、習氏が共産党総書記に就任した際に、ダイヤモンド・オンラインに「中国共産党大会開幕!習近平新体制の行方」を寄稿し、習体制の行方についてシナリオを提示したが、その検証から始めたい。その際に提示したシナリオは図表1にまとめているが、最も実現性の高いシナリオは、シナリオ2のケースB(政治改革を遂行しつつ対外強硬路線の施行)であるとした。習氏が共産党のトップとなってから、現在までの4ヵ月間の足取りを見ることで、このシナリオに修正は必要になっただろうか。

革新?それとも保守?
二つの相反する顔

 習氏は昨年の11月29日に、北京国家博物館で開催されていた「復興への道」を見学した際に、「今のわれわれは中華民族復興の夢の実現」に最も近いところにいる」と公言し、「中華民族復興の夢の実現」を政権の目標として提示した。翌12月4日に、「八二憲法」(現在の憲法は1982年にできた)30周年記念会で「憲法に基づく統治」の重要性を強調した。


 さらに、12月7日には初めての外遊先として深セン(センの字は土篇に川)を訪問した。ご存じのように深センはケ小平が、改革開放路線を推進することを再確認した南巡講話を発表した地だ。習氏はケ路線の正統な後継者であることを示したわけだ。今年に入って1月22日には、共産党規律委員会で、「権力を制度のかごに閉じ込める」と訴えたほか、2月23日には政治局勉強会で、「違法したくない、違法できない、怖くて違法しない法的環境作り、いかなる組織、個人も憲法の範囲内で活動すべきだ」との認識を示した。中国を法の支配に基づいて運営される国にする、ということを表明したのである。

 その一方で、気になる動きもある。一つ目が、毛沢東時代と改革時代の関係についての認識である。2004年〜05年にかけて、中国では論争が巻き起こった。1979年から始まる改革開放時代とそれ以前の毛沢東時代を明確に分け、経済的には改革開放路線以前は失敗であり、それ以降が成功であるというのが公式見解だった。

 これに対して、左翼の保守サイドからそれ以前の中国があったからこそ、今の改革開放路線があるとの問題意識が提起され、論争になった。習氏は社会主義中国を改革前と改革後に分けて考えるのは、正しくないという認識を示している。つまり、保守サイドと同じ認識を示したということだ。

 二つ目は政治改革と経済改革の関係についての論述である。習氏はどこから先に改革するかが重要ではなく、改革すべき分野とすべきでない分野をきちんと区別すべきだとの認識を明らかにした。つまり、中国は経済的には成功したが、政治改革では失敗しているという見方は間違いで、ある分野は将来も改革をしてはいけないという含みがある。

 三つめが旧ソ連の崩壊に関する解釈である。習氏はソ連崩壊の最大の原因は共産主義への信念が動揺し自己否定をしたことであり、軍の国家化が進んだからだとの認識を明らかにした。ちなみに、ほとんどすべての国では軍が国家に所属しているが、旧ソ連や中国の場合、軍は共産党の軍である。

 そして、四つ目には共産党のトップになってから、軍を頻繁に訪問し、「戦争に勝てる軍隊づくり」を強く求めていることだ。たとえば、習近平氏が「富国」だけでは「中華民族の復興」を成し遂げられない。中華民族を本格的に復興させるには「富国強兵」にならなければならないという認識を示している。

 以上の動きを踏まえて、習政権を現時点で評価してみよう。

 第1に、胡錦濤路線、特に腐敗・汚職した官僚の摘発を強化しつつ、軍事力増強を重視する胡錦濤時代の後半の路線を継承することを、一層強く鮮明にしているといえる。

 第2は保守・革新両サイドに配慮し、バランス重視のパフォーマンスを演じている。最初に指摘した法の支配、開放路線の継承などは革新的な側面であり、気になる動きとして指摘した面は、ある意味で保守的である。

 では、本音はどうなのかと言えば、それが明らかに分かるまでには、まだ時間がかかるが、現時点までの状況から判断する限り、4ヵ月前に提示したシナリオを変更する必要がまだないと考えている。

中国経済を巡る
三つの常識を見直す

 それでは、将来の中国をどうみたらよいか。その際、経済要因はやはり重要なポイントとなる。ここでは中国経済にまつわる三つのパラドクスについて考えてみる。つまり、@短期的な景気変動がハードランディングにつながりかねない、A家計所得の比率が大幅に低下、B消費需要は弱い。

 中国経済を語るとき、この三つのことは当たり前のように語られることが多い。しかし各々を改めて吟味すると、必ずしも中国経済の実態を反映するわけではないことが分かる。

 改革開放以降、中国経済は大きなアップアンドダウンを繰り返してきた。経済成長率が落ちるたびに、ハードランディングするのではないかとの議論が高まる。現在も、同じような議論が行われている。かつて私もこうした議論に興味を持っていたが、最近、こうした議論がそもそも意味を持っていないと思うようになった。

 AとBについても同様だ。国民所得に占める家計部門の比率が低く、そして消費需要が小さいために、中国経済の成長が投資と輸出に引っ張られなければならないというのは、ある種の通説になっている。

 しかし、その一方、世界のぜいたく品の約3割近くが中国人に買い占められているとの数字をよく聞かされる。また、日本企業の中国進出を考えてみても、10年ぐらい前なら生産拠点としての進出がほとんどだったが、今や中国国内の消費需要を狙っての進出がもっぱらだというのも実態だ。通説と経済の実態が明らかに矛盾している。こうした矛盾をどのように説明すればよいのか。

 中国が分配面からみたGDPの構造に関する資料を公表していないので、GDPに占める家計部門の比率を推計するしかないが、一般的に40〜50%と言われている。それだけを世界他の国、とくに米国や日本などと比べると確かに低い。しかしその一方、中国で統計に反映されていない非公式の個人所得が年間8兆元から10兆元に達しているとの推計がある。中国社会の実態をみると、非公式の個人所得がかなりあるのも確かだ。

 失脚した薄熙来氏を例にみてみよう。氏の公式年収は約10万元(日本円で150万円)だ。しかし、その子息が中学校から英国の貴族学校に通い、大学院もハーバードだ。氏の公式所得だけでその子息の留学を支えきれないのは明らかである。

 こうした非公式の所得が仮に推計通りの8〜10兆元だとしよう。中国のGDPは約50兆元なので、GDPに占める非公式所得の割合が20%前後になる。それを公式所得と合算すると、GDPに占める家計部門の比率が60%前後となり、これといった目だった低さではなくなる。中国人の旺盛な購買力を所得の面から相当程度説明することができる。

高成長依存症の原因は
雇用の確保ではない

 一方、消費についての通説も同様に中国の人々の実際の消費パワーと大きく乖離している。図表2を見ていただきたい。図中の赤線が消費需要の対前年比伸び率、青線がGDPの伸び率、黄色で塗りつぶしている部分がGDPに占める消費の比率である。


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 この図が示している通り、消費需要の伸び率が実はそれほど低くない。具体的に改革開放が始まった1979年以降の33年間のうちの13年において、消費需要の伸び率が名目GDPのそれを上回っている。2000年代に入ってから、ほとんどの年で名目GDPの伸び率が消費のそれを上回っているが、消費需要そのもののはほぼ毎年二ケタで増加している。いわば、消費は結構頑張っているわけだ。にもかかわらず、なぜ問題視されるかというと、GDPに占める比率が低下しているからである。

 以上の図から読み取れるのは、消費需要が頑張っていないわけではなく、消費需要の増加以上に高い成長率が追い求められていることに問題があるということだ。いわば、中国がある種の「高成長依存症」にかかっているわけだ。そこで、なぜ、中国がこのような「高成長依存症」にかかってしまったのかという新たな疑問が出てきた。これについてもっともよく聞かされたのは成長率が高くないと、たとえば8%を下回ると、失業者が巷にあふれるからだという常套句だった。本当にそうであろうか。中国社会の実態をみると、それもあやふやだ。

 たとえば、失業圧力が増大すると、賃金が下がってくるはずだ。しかし、少なくともこの数年来の中国ではこうした関係がみられない。景気変動と関係なく、賃金がコンスタントに毎年二ケタの伸びを続けている。例えば、2011年は景気がスローダウンしたのに、平均賃金は17%も上昇した。さらに、日系企業を含むどの企業の人事担当にとっても、人手の確保が大きな課題になっている。こうした状況をみる限り、中国の「高成長依存症」をもっぱら雇用の側面から説明することができない。

土地財政の改革が
習体制の試金石に

 では、一体だれがそこまで高成長を欲しているのか。答えは「政府」である。図表3を見ていただきたい。過去20年間において、名目GDPが14.8倍増大したのに対して、中央・地方政府合算の財政収入が実にほぼその倍の27倍拡大した。そのうち、中央政府の財政収入だけ見ると、なんと58倍も急増した。


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 この図からはっきりと分かることは、高成長の果実を最もエンジョイしているのは政府だということである。この事実から、少なくとも過去20年間において、経済成長と政府の間にある種の自己サイクルが出来上がったことが分かる。

 つまりまず政府が無理をしてでも成長率を高めることによって、政府が財政収入を増やす。それから景気がスローダウンする局面でそれまでの高成長から得られた財政収入の一部を景気対策としてばらまき、その結果、経済に対する政府の統制力が一層増強する。中国政府が相当程度、景気の短期変動をコントロールすることができるわけで、この意味でこれまでに中国の景気がスローダウンする度に繰り返されれてきたハードランディングとソフトランディングをめぐっての論争はほとんど意味がない。

 無論、中国政府であっても未来永劫に景気変動をコントロールできるわけではない。いずれこの構造を改める時期が訪れてくる。この場合に備えてどうしたらよいか。答えは政府が自己改革をしなければならない。これは既得権益を切ることを意味するために、政治改革と一体的にやらないと進めることが難しい。

 習近平体制のもとで政治改革が遂行される可能性はあるのか。それをみるために、まず政治改革の定義を明確にしなければならない。一般的に政治改革というと、複数政党による一般選挙と連想する。もしそれを政治改革の定義とすると、短期間に実現する可能性は極めて低いと予想される。短期的視点から注目すべきは、政治改革につながるような改革をどこまで遂行することができるかのことである。

 習指導部がどれだけ真剣に改革を考えているかの試金石は、財政・税制改革への取り組み方だと考えられる。中でも、前出の統計には入っていない「土地財政」をどう改革するかである(中国では土地は公有のため、政府が使用権を売って多額の財政収入を得ている、図表4参照)。


 政府が「高成長依存症」にかかった要因の一つは土地である。経済成長のスピードが落ちると土地価格が下がり、土地売却による政府の収入が落ちる。しかしその一方では、不動産価格の急上昇が大きな社会問題になっている。この意味で、「土地財政」は経済問題であると同時に、社会問題であり政治問題でもある。この土地財政の問題をどこまで解決していくかが改革の試金石の一つになる。

既得権益層は
政府関係者だけではない

 財政・税制の改革は一見して政治改革と直接的な関係がないが、その遂行は決して簡単ではない。なぜなら、既得権益層は政府関係者だけではないからだ。

 中国のジニ係数(1に近づくほど所得格差が大きく不平等)は、統計局が0.47と公表しているが、西南財経大学の試算では、0.6以上に達している(ちなみに米国は0.37で日本は0.33)。先進国でも一般的に初期所得では格差が大きいが、税制や社会保障などを通じた再分配によって所得格差が結果的に抑えられる。しかし中国の場合、社会保障システムが都市部、なかでも政府関係者を中心に整備されていることに加え、資産課税が全くなく、税制が間接税中心であったため、再分配後の所得格差はむしろ一層大きくなっている。

 こうした財政・税制システムが不合理だと広く認識されているが、実際それを改めるのがなかなか難しい。政府関係者だけでなく、知識人や一部都市住民や都市近郊の農民も、こうした制度から多くの恩恵を享受しているからである。例えば、戸籍制度の改革に対して、都市住民のほとんどが反対する。

 改革を進めるには、たとえば、より公正な財政制度に改めるために、財政収入の合理化を図るとともに、その支出の透明化も進める必要がある。そのために言論の自由と法体制の整備が不可欠になる。これが結果的に政治改革につながってしまう。この意味で、政治改革に向けての習指導部の方向性を見極めるに当たって、財制・税制改革が重要な指標の一つとなるだろう。

「改革」、「革命」、「戦争」
出口は三つのうちのどれか

 最後に、習体制の長期展望に触れておきたい。それを考えるには、習近平指導部のパーソナリティからアプローチする方法が有効だろう。

 指導部に共通しているのは、第1に多くのメンバーが「官二世」ということである。父親が戦争を通じて現在の中国を実現した世代であるということだ。習氏は父親が毛沢東やケ小平と並ぶ共産党の幹部である「紅二代」であり、李氏は父親が地方レベルの幹部である「官二代」である。したがって、彼らは現体制の維持に強い使命感がある。

 第2に中学、高校時代に紅衛兵だった経験を持つ。紅衛兵の特徴は、既存秩序やルールの破壊者である一方で、理想主義者である。

 第3に文革時代に中学、高校を卒業した後、知識青年として田舎に行った経験があるということである。したがって、底辺社会にも理解があり、民生をより重視する可能性が高い。

 第4に「老三届」と「新三届」であるということだ。このうち、「老三届」は、1966年、67年、68年に中学、高校を卒業した人たちを指すのに対し、「新三届」は文化大革命後、大学受験制度が復活した1977年以降の三年間に大学に進学した人たちを指す。「老三届」の多くが学生時代に紅衛兵であったが、卒業後知識青年として農村に下放された。習近平指導部を構成するメンバーのほとんどが「老三届」であると同時に「新三届」でもあるために、農村を含め中国社会の実態に対して深い理解を持っていると同時に、良好な教育のバックグラウンドをも持っている。

 以上のパーソナリティからどのような示唆が得られるのか。

 胡錦濤指導部のプライオリティが現状維持であったの対して、習近平指導部の施政のプライオリティは現状打破だと思われる。なぜなら、指導部の間には、今の中国はフランス革命前夜のような状態にあるという認識があるからだ。ただし、現状打破の目的は、当面あくまでも共産党一党支配の現体制維持だと思われる。

 中国に激変が起こるとすれば、その可能性が最も高いのは習体制の第2期(1期5年)の後半、つまり2020年前後だと予想される。それまでは、直面する問題の解決に向けて精一杯の対症療法的な対処がされるが、その間社会的不満のマグマが限界まで高まってくるだろう。

 最後に、今、私はワシントンを拠点に研究活動を展開している。ワシントンでは習体制のもとでの中国の行方を一般的にどのようにみているかを一言で紹介すると、「改革」、「革命」、「戦争」の三つのうちのどれかになるのではないかということになる。


14. 2013年3月22日 01:39:06 : 5FidTbXBPE


【最終回】全人大から読み解く習近平政権の内実と対日政策

2013年3月22日(金)  遠藤 誉

 3月5日に始まった中国の全人代(全国人民代表大会)は3月17日に閉幕した。この日から習近平新政権が本格的にスタートする。

 「中国国盗り物語」はちょうど1年前の全人代からスタートした。その1年後の全人代の閉幕を見届けて最終回としたい。今回は全人代から見えてくる習近平政権の課題と内実、そして対日外交を読み解くこととする。

人事の注目点――李源潮が国家副主席になった意味

 この大会で選ばれたのは国務院(中国人民政府)という中国の行政を司る機関を構成する人事だった。その結果は、2012年11月29日に公開した本連載の「新たなチャイナ・セブンに隠れた狙い―実は胡錦濤の大勝利」で予測した結果と完全に一致した。何よりもホッとしたのは国家副主席人事が的中したことである。

 3月14日、全人大では国家副主席などの重要なポストの選挙が行われたが、国家副主席に当選したのは李源潮。昨年の党大会で「チャイナ・セブン」(中共中央政治局常務委員)に抜擢されるだろうと早くから期待されていた共青団のホープだ。利益集団に果敢に切り込み、あちこちから恨みを買っている。   

 幹部を断罪するか否か、実際に決定してきたのは胡錦濤時代のチャイナ・ナインで、その指示を受けて中共中央紀律検査委員会が取り調べを行うのだが、処罰に関する宣言をするのは中共中央組織部の長である李源潮だったため、利益集団は彼を嫌った。その結果が投票数にも如実に表れている。

 たとえば習近平の国家主席就任に関する票決は2956票中、「賛成:2952票、反対:1票、棄権:3票」に対して、国家副主席にノミネートされた李源潮に対する投票結果は「賛成:2829票、反対:80票、棄権37票」と、議場に軽いどよめきが起きるほどに反対票が多かった。

 胡錦濤が李源潮を推し、習近平が支援していなければ、ノミネートさえされなかっただろう。李源潮は政治局常務委員ではなく、単なる政治局委員だ。通例は常務委員でなければなれない国家副主席に李源潮がなった意義は大きい。

 その背景にあるのは「チャイナ・セブン」に関しては妥協するしかなかった胡錦濤派閥の事情だ。習近平と連携している胡錦濤率いる共青団は、江沢民に代表される利益集団と対立した。それを補うためのパワーバランスであったと思う。

 ただ、となると「チャイナ・セブン」でない国家副主席が、どのような役割を果たすかということになる。飾りだけだと批判する者もいるが、それは少し違うだろう。なぜなら中共中央には多くの直属組織や特定分野の「領導小組」(指導グループ)がある。その中の「中共中央外事工作領導小組」の組長は一般に国家主席が、副組長は国家副主席が担う。李源潮は今でもすでに中国の特別行政区である「香港・澳門(マカオ)・厦門(アモイ)」を管轄しているので、外事を担いながら国家主席を補佐することになろう。

 国家主席が事故や病気で公的行事に出られない時には国家主席代理として登場するのも国家副主席だ。決して「形だけ与えておいてやろう」といった利益集団の思惑通りにはいかない。

 李源潮を国家副主席に持ってきた意味は、「利益集団に切り込む姿勢」を人民に見せるメッセージでもある。習近平体制はチャイナ・セブンの顔ぶれに代表される利益集団寄りではなく、彼らを解体し、政治体制改革を断行するのだ、というメッセージだ。こうして現体制に対する国民の不満を解決する方向のシグナルを発したと言っていいだろう。

10年後のトップは胡春華

 胡錦濤系列の周強(共青団)を最高人民法院院長(最高裁判長)に指名したのも、利益集団に有利な判決が出ないようにするためだとみなしていい。

 周強はかつて、10年後の国家主席(&総書記)として胡春華とともに宿望されていた人物の一人。この胡春華に関する詳細は本連載の2012年11月2日「間もなく党大会。チャイナ・ナインの空席は最大7つ」にある小見出し「10年後の国家主席? 胡春華」の部分をご覧いただきたい。

 また2012年11月29日に公開した「新たなチャイナ・セブンに隠れた狙い――実は胡錦濤の大勝利」の中の小見出し「5年後を見据えたグランドデザイン」でも胡春華というキーパーソンに関して説明している。

 筆者は10年後の後継者としては周強ではなく胡春華だと、2012年1月の時点で断言していた(『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』)。なぜなら胡錦濤との結びつきと信頼度が群を抜いているからだ(それに周強には悪いが、国家主席になるには、実は「マスク」にそれなりのカリスマ性がなければならないからでもある)。


『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』
 周強が昨年の党大会で中共中央政治局委員に入っておらず、胡春華が入っていた時点で、胡春華の線がなお一層濃厚になってはいた。しかし今般の周強と李源潮の職位決定により、利益集団に偏っていたチャイナ・セブンの布陣を、他の要職に共青団を就けることによってバランスを取ろうとしていることが見えてきた。

 現在の中国政権の対立軸は共青団と利益集団。習近平は太子党ながら理念は「反利益集団」だ。ということは共青団と理念を共有している。

 チャイナ・セブンを決定する昨年の党大会までは利益集団の代表である江沢民が最後の抵抗を見せ、チャイナ・セブンに自分の傘下の重鎮を入れることに成功。かたや胡錦濤は逆にチャイナ・「ナイン」をチャイナ・「セブン」にすることによって江沢民の牙城である中共中央政法委員会の降格に成功している。おまけに潔く中共中央軍事委員会主席を退いたために、習近平は胡錦濤に対して尊敬と、ある意味「借り」を作ったことになる。

 こういった力関係と本連載でご説明したグランドデザインという視点から見ると、今般の李源潮、周強の登用によって10年後の国家主席(&総書記)は胡春華になると断言できるのである。そのつもりで今後の5年間、そして10年間を読み解いた方がいい。

 李源潮の国家副主席就任は、そこまでの断言を可能にさせてくれる大きな意味を持っていた。

国務院機構改革を読み解く2つのポイント

 全人大で大きく注目されたものの中に、国務院機構改革がある。27あった中央行政省庁が25に統合再編され、職能改革を行った。

 その中で注目される二つを考察しよう。

 一つは腐敗の温床として名高い鉄道部の解体である。鉄道部は「独立王国」と呼ばれてきた。1949年10月1日に中華人民共和国が誕生する前の革命戦争(解放戦争、国共内戦などの別称)において、中国人民解放軍のための鉄道線路の構築・破壊は鉄道兵が担ってきた。そのため鉄道部は革命戦争期には中共中央軍事委員会の中に組み込まれていた。

 建国後は国務院という人民政府の中央行政省庁の中に位置づけられたが、建国後最初に設置された中央行政省庁として特別の位置づけにあった。まるで鉄道部自身が一つの政府であるかのごとく「独立王国」として振る舞い、改革開放がメスを入れることのできない最後の砦と化していたのだ。その利権を江沢民傘下の利益集団が独占していたため解体が断行できなかった。

 今般、遂に鉄道部解体にこぎつけたことは、利益集団の解体と江沢民勢力の衰退・消滅を意味している。ただし、鉄道部解体によって「政企分離」(政府と企業経営の分離)は実現したものの、三権が分立していない中国にあっては「司法が党の指導の下にある」ため、腐敗が根絶することはないだろう。

 注目される機構改革の二つ目に国家海洋局の統合再編がある。

 国家海洋局はこれまでファイブ・ドラゴンと呼ばれてきた5つの命令指揮系統により動いていた。ファイブ・ドラゴンとは「1:国家海洋局、2:中国海監(中国海洋環境監視監督船隊)、3:公安部辺防海警(公安部国境海洋警察)、4:農業部中国漁政、5:税関総署海上密輸取り締まり警察」のことを指す。

 これらを統合して中央行政省庁の一つである「国家国土資源部」に新たに国家海洋局を設けた。これまでは、ある行動を起こそうと思っても、その行動に相当した命令指揮系統の許可を得なければ動けなかった。日本からすれば、「あの領海領空侵犯は、いったいどこからの命令なのか」といった疑問や、漁船の領海侵犯が「偶然なのか、それとも命じた背景があるのか」といった疑念を抱かせた。

 今後は、国家海洋局は自らの意思一つで決定指示ができ即戦力が高まったことになると同時に、命令指揮系統が明確になり、日本としては分析が容易になったという側面も持つ。

 その職能としては、中国海警局の役割を果たしながら海洋権益を保護し、公安部の指示なしに警察行為が可能となることなどが挙げられる。要は海洋権益の強化を図ったということである。

 目的は海洋環境、法による海洋資源保護などを挙げているが、何と言っても領土問題に関する速戦的行動=即応性の向上にあるだろう。「速戦」と言っても、国家海洋局は中共中央軍事委員会管轄下の中国人民解放軍とは異なるので、企業の即戦力といったニュアンスの「速戦的行動」ではあろう。

 しかし2013年2月7日に本連載の「中国の『レーダー照射』『領空侵犯』は何を意味しているのか」で述べたように、海空軍と国家海洋局は強力な連携プレーで動いているため、「速戦」の「速」の文字ではなく「戦」の部分にも警戒は必要となろう。

習近平政権が抱える3つの課題

 習近平政権が抱える三大課題は、「党幹部の腐敗」「貧富の格差」そして大気汚染等の「環境問題」だ。

 昨年11月8日の第18回党大会初日、中共中央総書記としての最後の演説で、胡錦濤は「腐敗を撲滅しなければ党が滅び、国家が亡ぶ」と語気を荒げた。そのために政治体制改革を断行しなければならないと強調したのだが、しかし前述したように「三権分立を絶対に認めない共産党体制」で市場経済原理に基づく自由競争を遂行すれば、特権乱用を招き、利益集団が生まれるのは不可避。腐敗の根絶は困難だと思う。

 全人大会期中の3月10日、最高人民検察院(最高検察庁)検察長・曹建明は、収賄や横領などの汚職で摘発された公務員は4年連続で増加し、2012年は4万7338人にのぼったと報告した。過去5年間では21万8639人が立件されている。胡錦濤政権の第一期である2002年から2007年の5年間よりも4%の増加である。

 そのうち、地溝油(下水油)や豚肉の赤みを増やす違法食品添加物など、食品の安全を脅かす犯罪者も1万人以上おり、監督のずさんさが浮き彫りになっている。対策として、国務院行政改革の中で食品衛生に関しての機構改革も行われた。

 たとえば一つの饅頭(まんとう)(餡のない肉まんのような中国人にとっての主食)が人の口に入るまでに、小麦の育成から乾燥、小麦粉製造、饅頭という製品に至るまでの製造過程、運搬(物流)、販売に関して9つ以上の行政省庁の管轄があり、問題が起きた時には責任回避ができるとともに監督の空隙を生み、犯罪の温床になっている。そこで監督機関の一本化が全人代で決議された。

 こうしたコンプライアンスの対策をとる際に、中国で問題になるのは監督権だ。省庁、機関の上の監督権が「党の指導」にある限り、これもまた利益集団同様、根治は困難である。

 したがって憲法では保障されているはずの「人民による監督権」が「暴動」によってしか表現できない。ここに、中国共産党政府の根本的問題がある。年間の暴動件数が18万件(1日約500件)という天文学的数値は、「憲政」の実現を切羽詰まった課題として習近平政権に突き付けている。

政府の環境対策に“叛乱”

 公費で飲み食いする「節約令」(ぜいたく禁止令)も強化されている。三公消費というのがある。三公とは「タクシー券、接待、出張」などを公費で賄う消費のことだ。公費だから知ったことではないとばかりに贅沢の限りを尽くすことが公務員の間で慣習化していた。

 1日にレストランで捨てられる食べ残し料理の量は、その日の食事にも困っている2億人を1日食べさせることができる量に匹敵すると言われている。「盛菜」(セン・ツァイ)(盛大な料理)を同じ発音の「剰菜」(セン・ツァイ)(食べ残した料理)に置き換えた新語が生まれたほどだ。

 「貧富の格差」や「環境問題」の根源も、すべては利益集団にある。格差は説明するまでもないだろうが、環境問題もまた利益集団が目先の利益を優先するために招いた結果だ。環境を重視する技術を入れればコストがかかる。そのコストを節減して利益増加を優先したこれまでの成長モデルが限界に来ている。

 それを象徴するかのように、全人大始まって以来の「反乱」のような投票結果が3月16日に現れた。環境資源保護委員会委員を選ぶ投票で、なんと「反対:850票、棄権:125票」という前代未聞の意思表示があったのである。約1000人が政府の環境対策の現状に、「手ぬるすぎる」と「ノー」を突き付けたのだ。

 反対票は、利益集団がもたらした結果に対する非・利益集団層の「ノー」でもある。「人民」による公的な場での初めての叛乱と言っていいだろう。全人代の「全国人民代表」の中には非共産党員が30%ほどおり、その中には農民工(出稼ぎ農民)、工場労働者あるいは農民の代表もいる。

 全人代では経済発展モデルの転換が議論され、量より質を、という方向で多くの決議が成された。人民の要望に寄り添うメッセージが中央テレビ局CCTVで毎日のように放映されている。

 しかし利益集団の解体と憲政の本道の実現による「人民の監督権の保障」を本気で断行しない限り、人民が満足する社会は来ないだろう。三権分立を許さない社会主義国家の限界が、そこにはある。

 最後に、何と言っても気になる対日政策を見ていこう。

 日本人がまず大きな関心を示したのは国防費の10.7%増だろう。金額的には7406億元(約11兆円)。2010年には7.5%増とひとケタ増に落ち、また2011年の12.7%増、2012年の11.2%増と比較すると減速しているのだが、3年連続のふたケタの増加であることは確かだ。大雑把に過去25年間を見れば、連続して増加を続け、額で見ると10年間で約4倍になっている。

 ただ、中国の国内総生産(GDP)の増加傾向と重ね合わせると伸び率はほぼ一致している。たとえば1980年と2012年を比べるとGDPは20倍になっており、2002年と2012年という10年間を比較すると2.7倍になっている。中国の国防費増加は金額の絶対値だけを見たのでは、全体像を把握することはできない。経済成長が激しい時期は人件費や材料費も高騰するので、それを考慮に入れることも必要だろう。

 それでもなお、GDP成長7.5%を上回る国防費の増加は、日本だけでなく全世界が懸念する対象の一つであることに変わりはない。

 国防を強化する理由として中国は「かつての民族の屈辱は中国の軍事力が弱かったからだ。二度と再び民族の屈辱を受けないために軍事力強化は必要」とし、かつその目的は「平和維持のため」としている。

環境対策は関係改善の切り札になるか?

 しかし実際は「アメリカに追いつけ追い越せ」を目指しているように見える。東シナ海では日米同盟に対抗しなければならないし、南シナ海でもやはりアメリカの軍事力を凌駕しなければ国益を守りきれない、と考えているのだろう。もし中国が「平和維持のため」と言うのなら、尖閣諸島の領海領空侵犯などの威嚇行為をやめてほしいものである。日本の軍備強化を正当化させるだけだ。

 国家海洋局の再編を受けて、中国国家測量・製図局副局長は「釣魚島(尖閣諸島)に測量隊員を派遣し、標識建設も目指す」と宣言した。

 3月17日には習近平は国家主席として初の演説を行った。その中で習近平は「中国の夢」という言葉を何度も繰り返した上で、領土主権を守り、愛国主義教育を強化し、軍と武装警察を強化する富国強兵の方向性を示した。人民が安心して呼吸することができないような環境破壊を抱える中、共産党統治の求心力を高めるためのメッセージだろう。

 その環境問題に関して過去の経験と改善技術を持っている日本は、「環境問題改善にこそ前安倍政権時代に中国と交わした戦略的互恵関係を実行するチャンスがある」と考え、PM2.5に関して技術協力を打診したようだ。しかし2013年3月2日、石原伸晃環境相によると、日本が申し出ている技術協力に対し、中国は難色を示しているとのこと。

 中国のネット界にも「中国を助けるなんて言っているが、結局はただの商売根性、金儲けの口実だろ」「まず自国の原発問題を解決してくれ。世界中の人たちが放射能に汚染された魚を食べる羽目になるから!」「日本以外に技術提供できる国はないのか?なぜわざわざ敵人に助けを求めねばならないのか?」「中国の環境問題で日本の手を煩わせる必要なんてないんだ。環境対策という大きな経済利益を、敵国の日本に渡してはならない」といった日本攻撃の書き込みがすぐに充満した。

 反日という国民感情は、領土問題があり、政府がそれを「民族の屈辱」と結び付けている限り、何をしようと収まらない。新政権スタート時に少しでも親日的言動をすれば、ネット言論からさんざんな非難を浴びる可能性が大きい。2002年、胡錦濤は政権発足時に「対日新思考」を発表させたために売国奴呼ばわりされて、慌てて親日姿勢を引っ込めた。「最初に親日的な姿勢を見せてもいいことは何もない」と、習近平は学習しているはずだ。

 李克強も国務院総理として初めての内外記者会見を17日に行った。民生を重視した政策を唱えながらも、やはり「領土主権は断固として守る」という言葉を最後に強調している。

 中国は本気で尖閣諸島が中国の領土だと思っている。いつから論理のすり替えを行い始めたのか、静かに自省する心理的ゆとりは見られない。

安定政権の元、首脳会談の実現を

 本連載の2月14日の記事「中国共産党も知っていた、蒋介石が『尖閣領有を断った』事実」と、2月22日の記事「人民日報が断言していた『尖閣諸島は日本のもの』」で述べた事実を中国はしっかり見つめ直してほしいと思う。

 中央行政省庁の中の外交部長は王毅と決まった。王毅氏は日本語が堪能な日本通。しかし一方では国務院台湾弁公室主任であったことから、台湾との対日共闘姿勢を示す可能性もある。親日的態度など示せるはずがない。

 日本側について言えば、安倍内閣には、それでも平和的手段で日中間に横たわる領土問題の解決に当たってほしいと思う。国際社会は日本の内閣支持率に敏感だ。支持率が高く安定していれば国際的信用度は増す。5月末にソウルで日中韓首脳会談が開催されることになっており、中国からは李克強国務院総理(首相)が出席するようだ。そこが一つの切り口になりうるのではないか。。

 ドラマチックに展開してきた中国の「国盗り物語」。連載は今回で終わります。
 皆さま、1年間読んでくださって、ありがとうございました。

 【完】


遠藤 誉(えんどう・ほまれ)

 1941年、中国長春市生まれ、1953年帰国。理学博士、筑波大学名誉教授、東京福祉大学・国際交流センター センター長。(中国)国務院西部開発弁工室人材開発法規組人材開発顧問、(日本国)内閣府総合科学技術会議専門委員、中国社会科学院社会学研究所客員教授などを歴任。

著書に『ネット大国中国――言論をめぐる攻防』(岩波新書)、『中国がシリコンバレーとつながるとき』『中国動漫新人類〜日本のアニメと漫画が中国を動かす』(日経BP社)『拝金社会主義 中国』(ちくま新書)『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』『チャイナ・ジャッジ 毛沢東になれなかった男』『チャーズ 中国建国の残火』(ともに朝日新聞出版) ほか多数。2児の母、孫2人。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130318/245168/?ST=print

なぜ中国人技能実習生は殺傷事件を起こしたのか

第二代農民工の抱える孤独と絶望

2013年3月22日(金)  福島 香織

 3月14日、広島県江田島の水産加工工場で、中国人技能実習生・陳双喜容疑者(30)が社長を含む8人を殺傷した事件はショックだった。伝えられた目撃者の話によれば、倒れている人を執拗にスコップで殴るなど、現場は凄惨極まりない様子だったようだ。犠牲となったお二方の冥福と負傷した方々の一刻も早い回復をお祈りする。

 しかし、このような事件は防ぎようがなかったのだろうか。陳容疑者は、いわゆる異常な人格であり、特別な事件だったのだろうか。あるいは、そもそも中国人は凶暴で切れやすいのだろうか。日本の技能実習制度は、途上国の若者を奴隷のようにこき使うひどい制度で、技能実習生たちは雇い主に殺意を覚えるほど虐げられてきたのだろうか。

 いずれも関係があるかもしれないが、決定的理由ではない気がする。1つ言えることは、1980年代生まれ(80后)、1990年代生まれ(90后)の出稼ぎの若者については、中国でも犯罪に走りやすい傾向があるものとして報道されている。

若い出稼ぎ者の犯罪防止は中国でも懸案事項

 「80后、90后の出稼ぎ者の犯罪」というと、「いまどきの若者は犯罪に走りやすい」「貧しいと犯罪に走りやすい」というステレオタイプの決めつけ論はけしからん、とお叱りを受けるかもしれないが、中国では「出稼ぎの若者の犯罪をいかに防ぐか」というのは社会の重要テーマである。

 中国の犯罪統計的にいえば、たとえば上海の未成年犯罪の85%が第二代農民工、あるいは新生代農民工と呼ばれる、農村戸籍の出稼ぎ者の子供世代、若い出稼ぎ者による。このほど閉幕した全人代(全国人民代表大会=国会のようなもの)でも、出稼ぎの若者の犯罪増加が社会問題としてテーマアップされた。広州日報によると、2010年の全国の刑事事件の3分の1は第二代農民工世代が占める。2009年当時の広州大学の調査では、広州の三大監獄の農民工服役囚のうち9割が26歳以下という。

 なぜ80后、90后の出稼ぎ者が犯罪に走りやすいのか、ということについては、2009年11月に広州大学が主催したシンポジウムで次のような指摘がされている。

 「若い農民工の犯罪の一番の特徴は暴力化傾向である。…消費欲求、財産占有欲が強烈で、強盗や傷害などの犯罪を通じて、その目的を達成しようとする傾向が強い」
 「性犯罪もすでに若い農民工犯罪の1つの類型である。家庭道徳教育の欠如により、性道徳の形成が性機能の発育より遅れ、低級な趣味や刺激を求めてレイプ犯罪に走りやすい」
 「罪を犯した若い農民工の8割が、いわゆる『留守児童』経験者である。両親が都会に出稼ぎに行っている間、故郷の農村で放置された子供であり、十分な家庭の愛情と道徳教育を与えられていない」

 統計によれば5800万人以上の子供(14歳以下)が農村で両親と離れて暮らしている。これを「留守児童」と呼ぶ。

強すぎる自尊心と重すぎるプレッシャー

 その教育は祖父母に任されていることが多い。一人っ子政策という産児制限政策のもと、兄弟姉妹もほとんどなく、一人っ子とは限らないが数少ない子供として大事に育てられる。祖父母に過度に甘やかされ、あるいは過度に期待され、強すぎる自尊心と重すぎる期待のプレッシャーの板挟みになっていることが少なくないという。両親と会えない寂しさは、望むおもちゃを与えられるなど、物質的な欲望を満足させることで補われる。

 その結果、物欲がコントロールできず、欲しいものが手に入らねば暴れる、コミュニケーションがうまくとれない、コンプレックスが強い一方で自己評価が高すぎるといった、性格上のアンバランスさが生まれやすいともいわれている。

 一方で、保護者の目が届いていないため性的暴行、虐待、誘拐といった犯罪のターゲットにもなりやすく、親も知らないうちに傷つけられ、コントロールできない不安や恐怖を抱えていることもあるという。

 「留守児童」が問題だからといって、両親が子供を出稼ぎ先に連れて行ったとしても、これは「流動児童」と呼ばれやはり社会問題となっている。農村戸籍の子供たちは、両親の出稼ぎ先の都市では学校に行くことも簡単ではない。農村戸籍者は都市の公立学校に行くことを許されてこなかった。結果的に大量の無就学児童を生み、結局は学問の必要のない底層の出稼ぎ仕事に就かざるを得ない。

 仕事の忙しい親たちにかまってもらえない状態は留守児童と同じで、家庭での愛情や安心感を十分に知らず、それを小遣いなどの金銭で補われると、ネットカフェなどに入りびたり、同世代の子供同士でつるんで強盗やレイプなどの犯罪に走る例がいくつも指摘されている。

北京大学医学部でも壁は越えられない

 親世代の出稼ぎ者、老一代農民工が、子供を留守児童にしてまで、都市で出稼ぎし続ける主な理由は、子供の進学費用を賄うためだ。農民工、つまり農民でありながら農業で生計を立てられず工人(都市労働者)として働かざるを得ない人々は、都市においては差別の対象だ。都市戸籍者が受ける保険や年金など制度上の恩恵がないというだけでなく、農村戸籍者は都市戸籍者から文化・教育レベルが一段低く見られ、バカにされ、対等の人として付き合ってもらえない。この差別から脱却し、子供に都市民にするもっとも近道は子供を都市の大学に進学させ、その大学がある都市の公務員に就職させることだと考えるので、教育熱心になるのである。

 北京の都市戸籍の若者に「あなたが農村戸籍者と恋愛したり結婚したりすることがあると思うか」と聞けば、10人中10人がこう答えるだろう。「別に農村戸籍だからといって差別するのではない。でも、実際に文化・教育レベルや生活習慣がまったく違うので、結婚や恋愛の対象外だ」。だとすれば、大学レベルの教育を受ければ、農村戸籍であっても、都市民と対等に付き合えるはずだ。

 しかし、現実はそう甘くはない。1つは、農村の教育レベルは低く、農村周辺の公立学校からの大都市の大学へ進学は至難の業だ。そして、厳しい競争を勝ち抜いてなんとか北京や上海の有名大学に進学したとしても、農村戸籍者はやはり差別されている。先日、河北省濮陽県出身の北京大学医学部三年生の女子大生と食事をして世間話をしたが、彼女はこんなことを言っていた。

 「県で北京大学に進学したのは2003年以来、私ひとりよ。村では奇跡だ、天才だと持てはやされた。県の書記がわざわざ会いにきた。でも、そんなこと大学では何の自慢にもならない。1カ月の生活費は300元。学費を納めるために必死でバイトして、勉強についていくだけで精いっぱい。北京市戸籍の学生たちが、楽しそうにカフェでお茶しているのを見ると、同じ北京大学生だけど、実はまったく違う世界の人間だなあ、と思う。この壁はどんなことをしても乗り越えられないのよ」

 北京大学医学部という教育レベルを獲得しても、農村戸籍者にはこうした深い絶望が付きまとうのかと、驚いた。いわんや、親の期待を受けて勉強三昧の生活をしてきたのに結局、大学に進学できずに、親と同じ農民工として出稼ぎ仕事をしている若者たちの、コンプレックスや挫折感はどれほどのものだろう。

 昨年秋に、日本人を震撼させた反日デモ暴動の参加者には、都市に出稼ぎにきていた若者も多かった。彼らが日本に個人的に強い恨みや反感を持っていたというよりは、出稼ぎの若者の内なる不満、鬱屈、いらだちが政治的空気に刺激されて暴力衝動となってはじけたという見た方が、私としては納得がいく。江田島の事件は情報が少ないので、何事も断定はできない。だが、きっかけは社長の厳しい叱責の言葉にあったのかもしれないけれど、そこには反日暴動に見られたような、あるいは都市部で犯罪に走る80后、90后の出稼ぎ者に共通して見られるような、暴力・破壊衝動があるのではないだろうか。

技能実習制度が突出して厳しいわけではない

 日本の技能実習制度については、日本国内で批判が多い。日本の若者が嫌がる重労働を低賃金で途上国の若者に課す奴隷制度だという指摘がある。実際、技能実習生の過労死問題、賃金のピンハネ問題、逃亡防止のための多額の保証金制度や外出制限などの厳しい労務管理については、日本でも多く報道されている通りであり、問題がないとは思わない。途上国の人たちに技能を習得してもらい祖国の発展に役立ててもらうという技能実習制度の目的はあくまで建前で、実際は実習生にとっては「出稼ぎ」であり、受け入れ企業にとっては途上国から来た低賃金労働者だ。

 ではこの制度はけしからんのかというと、やはりそれによってまとまった金を得て故郷に家を建て、起業の資金を得て、満足している中国の若者も非常に多い。山東省泗水県は対外労務派遣による収入が県民収入の4割を支える海外出稼ぎ村が集中する地域だが、私が現地を訪れて聞き込みをしたところ、日本への出稼ぎが一番人気であることは間違いないようだ。その村の様子は拙著『中国絶望工場の若者たち』に詳述しているが、ある若者はこう言っていた。「日本に出稼ぎに行って一番驚いたのは、社長が工場の現場に出て僕らと同じ仕事をしていること。同じように残業をして、残業後、居酒屋に食事に連れて行ってくれることがあった」。それは彼にとって感動的な思い出だった。

 中国で管理職が一労働者と一緒に働いたり、食事をしたりすることはまずない。この種の身分差の意識は日本にはほとんどなく、農村戸籍や工場労働者に対する差別やいじめは、むしろ中国の大都市の方が激しいくらいだ。私の周辺にも、技能実習生として日本の工場で働いていた中国人女性と管理側の日本人が結婚したケースなどがあるが、中国の工場ではまずあり得ない現象だろう。日本に出稼ぎに行けば3年の契約で20万元ほどの貯金ができる。中国の深圳や東莞の工場で同額の貯金を作ろうと思えば10年かかるだろう。

 私の見る限り、日本における技能実習生の状況が、突出して厳しいものでも、虐げられたものでもない。むしろ中国における日系工場の方が、労働時間においても、労務管理においても厳しく感じる。この制度を廃止し、対外労務派遣の制度がきちんと整備されれば江田島のような事件が防げるかというと、おそらくそうではない。

結局は相手を知らなければ

 ではどうすればいいか。どのように考えればいいか。1つは、第二代農民工という存在をよく知ることだ。最近目立ち始めている彼らの凶暴性は、孤独、愛情への飢え、努力が報われない絶望感が根底にあるように思える。孤独と絶望は人を凶暴にする。それが自殺など自分に向く暴力になることも、他者や社会に向く破壊衝動になることもあるだろう。

 もう1つは日本人と中国人の文化ギャップをきちんと認識するということだ。「面子」という言葉が特別な意味を持つ中国人にとっては人前での叱責や小言が、正気を忘れるような怒りのきかっけにもなる。ましてや強いコンプレックスと高すぎる自己評価の板挟みになって大人になった80后、90后の農村出身者ならば、ちょっとした叱責によって絶望的な気分に陥ることもあるかもしれない。

 日本の若者が嫌がる厳しい肉体労働を伴う産業を低賃金で下支えしてくれるのは、途上国からの出稼ぎ者である。彼らがいなければ、その産業はつぶれていたかもしれない。テレビで江田島のかき打ち産業の人が技能実習生について「宝」と表現していたが、それが地元の人々の本音だろう。願うことは、この事件で「中国人は怖い」、あるいは技能実習生を受け入れる企業が「中国人を奴隷扱いしている」といったイメージが独り歩きしないことである。制度がけしからん、ということで制度が改善されるものなら、とうに改善されていることだろう。制度が廃止されれば、誰もがハッピーであるかというと、そういうわけでもない。よりよい制度の構築には時間がかかる。

 今すぐできることは、あなたの職場で働いている中国人労働者を食事に誘って、コミュニケーションをとってみることである。片言の会話でもいいから、その生い立ちや故郷の生活を聞いてみればいい。結局は相手を知らなければ、いかなる対策もたてられないし、問題も解決しないのである。


福島 香織(ふくしま・かおり)
ジャーナリスト

 大阪大学文学部卒業後産経新聞に入社。上海・復旦大学で語学留学を経て2001年に香港、2002〜08年に北京で産経新聞特派員として取材活動に従事。2009年に産経新聞を退社後フリーに。おもに中国の政治経済社会をテーマに取材。著書に『潜入ルポ 中国の女―エイズ売春婦から大富豪まで』(文藝春秋)、『中国のマスゴミ―ジャーナリズムの挫折と目覚め』(扶桑社新書)、『危ない中国 点撃!』(産経新聞出版刊)、『中国のマスゴミ』(扶桑社新書)、『中国「反日デモ」の深層』(同)など。


http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20130318/245209/?ST=print


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