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扶余は南風(ハヤ・ふぇー)。ギリシャから来た日本人
http://www.asyura2.com/12/cult10/msg/766.html
投稿者 会員番号4153番 日時 2013 年 3 月 07 日 06:52:37: 8rnauVNerwl2s
 

GHQの焚書、木村鷹太郎の「旧約聖書日本史」を読んだ。

クリスマスがエジプトの冬至祭りだというのは前にも言ったが、日本人は、中東・ギリシャ方面(古代ギリシャでいうアジア)から移住してきた。

スメラミコトもスメルの王。スサノウのスーサの王。

日本書紀を比較文化的に分析するとギリシャ神話の影響が見られる。

スメル(カルディア)+ギリシャ

雄大な人間の歴史に感動。


ネット歴史塾から
http://momo-matmkanehara.blogspot.jp/

ポセイドン→百済=大隅→ウースン=鳥孫人の北上・大移動(3)


 「ポセイドン→百済=大隅→ウースン=鳥孫人の北上・大移動」


  「『萬葉集』にも色濃く残るギリシャ系王国の名残り」

 真実の我が国の歴史は、はるか紀元前に国家をつくり、

 のちに百済(ホセイ)という当て字をもったギリシャ文明の先端が、

 ソナカの仏教文明と複合して築き上げた高度文明国家で、

 その高さは古墳文化などが、出土品だけでなく様々のファクターで、

 次々に実証し続けている。

 その百済国は、移動とともに発音が変わり、

 ホーライ⇒ホーレイ⇒ホゼイ⇒ボセイ⇒フジィ⇒ハツセイ⇒ハツセ⇒ハセ⇒オオスミ⇒

 ウースン⇒ホヅミ⇒モズミ⇒マヅミ⇒マヅメ⇒マツラ⇒クダラ⇒モモダリ⇒パクチェ

 などと変化した。

 この建国期の史実も知らずに、

 百済とはクダラと読むとしか知らない連中が、

 それを半島の独立国、皇室とは無関係な外国だと信じて、

 教えつづけてきたという無茶苦茶な国が、

 私たちの現代日本だったのである。

 しかしこの発音を写した穂積皇子や伯瀬部皇女の名乗りは

 『萬葉集』にまで並んでいて、

 皇室の由来が、

 消えることなく伝えられ続けているのを、見ることができる。

 その穂積皇子の歌は

 「降る雪は 劇(あは)には降りそ 吉隠(よなばり)の 猪飼(いかい)の丘の寒からましに」

 だ。

 ヨナバリ=与那の巴利=ギリシャ人の都の名も見える。

 柿本人麿の高市皇子への弔歌には、
 
 「言(こと)さへぐ百済(ほづみ)の原ゆ 神葬(はふ)り」という一節がある。

  神社や陵は、神=貴人を祭ってあるのであって、

 伊弉諾神宮でも八幡宮でも、

 架空の神話の空想の産物を迷信しているのではない。


 《ギリシャ人渡来の証拠と移動拡大の歴史》
 「ギリシャ人渡来の証拠と移動拡大の歴史」

 その大隅は地元発音でウースン。

 この当て字の一つが「烏孫」。

 彼等は前漢の武帝が即位した紀元前140年には

 西域で月氏をバクトリヤに追い払っている。

 これは大隅人が拡大して朝鮮半島を北上して

 鴨緑江両岸に邑婁(ユウロ)や夫余をつくり、

 殷代からの高族の国、高麗を支配下におさめて、

 黒の国=玄武の国と名付けたことと、

 烏は黒鳥だから「烏孫」と言う当て字は、

 この地域にいる時に当て字された、という事実まで、

 併せて立証しているのである。

 彼等は、さらに北へ移動、

 中国北部を迂回して西進して月氏の居住地を奪い取ったのだ。

 その本国・大隅は新しい領土の都として栄え、

 3世紀には7万戸ある大国・邪馬壱国の前身になった。

 こうみてくるとその時期と、五彩圏の誕生がぴったり重なり、

 そこにつけられた多くの国名が

 ギリシャの五彩圏や神名群に一致するのだから、

 この勝者がギリシャ人だったことは疑う余地がない。

 では彼等はどこから大隅へやってきたか?。

 それは与那国島がイオニヤを語源にもち、

 台湾がホーライというギリシャの女神名をもち、

 そこに一見して欧州人の子孫だとわかるアミ人が今も居住し、

 アトモと呼ぶギリシャ式双耳土器を

 現代まで焼き続けている人々もいる。

 また、ポセイドン、アンピトリテ、アフロヂテなどといった

 多数のギリシャ海神名が、百済、奄美、淡路島という国名に一致している。


 《ギリシャ人を立証する信仰の形=葡萄唐草文様》
 「ギリシャ人を立証する信仰の形=葡萄唐草文様」

 この葡萄唐草文様は、

 ギリシャから中近東にかけて盛大だった

 酒の神・ディオニュツソス信仰の産物である。

 葡萄は酒の母体であり神の賜物であった。

 それは健康と快楽と長寿繁栄をもたらす霊草だった。

 それに配された馬は海神ボセイドンの象徴であり、

 その実体は海馬=竜の落し子(タツノオトシゴ)で、

 これはギリシャ海人たちが、守護神として頼る信仰の証しである。

 この信仰が中国の技術と結合してこの鏡が生れた。

 しかし職人が中国人のため霊物の姿も中国人の常識に置き換わった。

 鳥獣などの表現が全てギリシャ文明そのままというわけではないが、

 その最大のモチーフである葡萄唐草文は、

 永くしっかりと守り続けられている。

 ギリシャ生れのこの信仰が、

 これで中国に入ったことが確認できたのである。

 その時期が隋唐時代だというのは、

 まさに大隅ギリシャ人の発展を裏書きしている。

 大隅を都に発展し、

 3世紀には7万戸の大都市国家を造った彼等は、

 大隅から溢れ出てウースンと呼ばれながら北上し、

 鮮卑(朝鮮の日人)と呼ばれながら中国を制圧して隋・唐政権をっくった。

 そしてそんな鏡をつくるまでに繁栄した。

 こうみてくると「たかが鏡」だなどとはいえない、

 強力な証拠力をもった俸大な文化財であり、

 それが記録しているギリシャ信仰や文明の、

 動かし難い完璧な物的証拠として、

 あらゆる反対を吹き飛ばす大きな役割を果したのである。


 《ギリシャ人がつくった前漢時代の東アジアの国々》
 「ギリシャ人がつくった前漢時代の東アジアの国々」

 その実態が、先にお話しした大隅(ウースン)(烏孫)あり、

 『五彩圏連邦』そのものであり、

 高句麗の周辺に生まれた邑婁・夫余といった国々であり、

 それがさらに生んだ匈奴であり、鮮卑てあり、隋・唐政権でもあったのである。

 それは時とともに姿を変えていったのだ。

 それを朝鮮半島の王は

 「百済と高句麗は、ともに扶余から出た」と証言している。

 扶余は「扶養(ハヤ)の風=南風(ハヤ)」のハヤであり、ハヤ=海人=隼人、

 すなわちギリシャ海軍の出身であり、隼人=大隅人だということなのだ。

 その百済は出水とともに海神・ポセイドンが語源だった。

 海神の名を選んでアンピトリテ?奄美、都井岬、取手。

 ボントス→本都別→誉田別天皇。

 アフロディテ→淡路島などという名を沢山のこしたのは、

 ギリシャ人の海人たちだったと、

 誰が考えてもすぐわかる言語文化財が大量に残っているので、

 疑いの余地はない。

 在来の東洋史などにみる「騎馬民族」といった分類は根本的に誤りで、

 多様な故郷から溢れ出た人々が好き勝手な方向に移動して土着しては、

 不意にやってくる敵や異常気象に襲われて放浪する生活の繰り返しで

 分散集合してしまっただけの違いしかない。

 「何民族」といった固有の「民族」など存在しない。

 もちろん時代が進むと同時に外敵に対する防御法として民結して

 「私有地=国」を主張するが、

 それは純血とか民族とかを意味しない。
・・・・


<参考リンク>

◆南風原町 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/南風原町 - キャッシュ

南風原町(はえばるちょう、琉球方言:ふぇーばる)は、沖縄本島南部に位置する町である。

◆6-(3).古事記とギリシャ神話の類似点一覧
http://kojiki.imawamukashi.com/06siryo/06greek.html

◆国生み神話
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8918/kuniumi.html
 

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コメント
 
01. 2013年3月07日 15:10:11 : 6fTb2pBNlc
面白い。

02. 2013年3月07日 16:03:30 : cYugB1xIRE
鹿島昇史観も面白い:

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/kashimashikan/rekishinetuzonorekishi1.html


03. 2013年3月07日 20:50:00 : iPJa0tr43E
面白ければ良いのか?
反論異論ないのか?
「正解」は無理なんだろうが、事実に近づきたい!

04. 2013年3月07日 21:12:14 : ol0NcUwnZE
同祖かどうかはともかくギリシャ神話や日本神話の神は酔っ払ったり、女に惚れたり親しみやすいな。
中東ユダヤの父なる絶対神は批判が許されない恐さがあるし、全く対極の世界だな。

05. 2013年3月08日 06:43:35 : gtqEzts6jg
FACTAから
http://www.facta.co.jp/article/200707053.html

日本語の起源はラテン語?夢とロマンの「新説」が話題に


「伝統的な日本語の単語の多くがラテン語を起源としている」と主張する、与謝野達氏の「新説」が話題を呼んでいる。『ラテン語と日本語の語源的関係』(サンパウロ社刊)。タイトルは硬いが「ページを追うごとにパズルを解くような楽しみを発見する」と文化人類学者の山口昌男氏は評する。

日本語約700語を題材に、その語源と見なされるラテン語を詳しく紹介してゆく。「奇想の書」と勘違いする向きもあろうが、比較言語学の最新の概念を使いこなしながら、長時間かけて丁寧に考察された興味深い労作だ。

たとえば「こころ←corculum」 「哀れ←avare」「こい(恋)← cupio」 「上げる←aggero」「下げる← suggero」
「起こす←occurso」や、「がんばれ←quam vale」「おめでとう←omen datum」などのルーツはいずれもラテン語と喝破し、「2世紀以降のやや俗化したラテン語か派生語が、何らかの理由で日本の古代期に入り、日本語の形成に影響を与えた」と推測している。

「語彙だけで押していっても文脈の対応を受け入れないのではとの意見もあろうが、人がローマからインド洋を渡り、東洋に至る航海が言語をアジアに繋いでいたかもしれない」(山口氏)。

著者はベルギー、エジプト、スペインの仏系学校でラテン語を学び、東大法卒後、日本輸出入銀行などで活躍した国際的金融マン、語学の達人である。与謝野鉄幹・晶子の孫で、与謝野馨衆議院議員は実兄に当たる。情熱的な血脈を感じさせる夢とロマンの書だ。


06. 2013年3月08日 07:13:01 : WrBl7tYjLY
<「言(こと)さへぐ百済(ほづみ)の原ゆ 神葬(はふ)り」という一節がある。

これは、たしかモガリの歌ですよね。

高市皇子(天皇でしょう)が亡くなったときに詠まれたとされています。

場所は、奈良盆地にあるのです。
戦場となった明日か近くでしょうか

彼らは近江朝などの旧勢力を殺しまくったようです。
近畿王朝からかなり殺意を抱かれたようです。

所謂百済系を祖先にもつの貴族・王族は殺されたようです。

この記事の趣旨からそれてしまいましたが、

日本神話≒スキタイギリシャ神話
形がそっくりなのです。
本当の話
日本書紀は、中国の官吏登用の参考書(藝文類集など)から片っ端から引用しているので
その中にギリシャの本があったか?スキタイ匈奴系の集団が鹿児島あたりに到着したか・・・
面白いですね。
未来に向けてだれか研究してください。


07. 2013年3月08日 14:59:57 : mTuN9jFjvQ
>06
ギリシャ神話が日本神話に似ているのは
日本が世界の雛形で
ギリシャの神々は日本の後追いでそれに似た動きをしただけ
日本の神々>>>ギリシャの神々(ゼウスらの悪神)
の関係を間違えてはいけない。

08. 2013年3月09日 17:06:54 : WrBl7tYjLY
<07
似非歴史家に洗脳されてしまった方も多いと聞きます。
紀記」の神話を作った方々は駕洛(百済も一部含む)国系の方々

日本書紀成立とギリシャスキタイがどちらが古いかは、一応明らか



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