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連休中の推薦図書 鬼塚英昭氏著『瀬島龍三と宅見勝 「てんのうはん」の守り人』成甲書房
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/453.html
投稿者 ♪ペリマリ♪ 日時 2012 年 4 月 30 日 15:34:18: 8qHXTBsVRznh2
 

BRIAN ENOさま推薦図書です。

鬼塚英昭氏著『瀬島龍三と宅見勝 「てんのうはん」の守り人』成甲書房


私もいま読み始めたばかりですが、
ぜひみなさんにもお勧めしたいと思います。
帯と本文から一部を紹介します。


帯の文句


『大本営元参謀と山口組若頭の黒い関係、日本最大最悪の闇田布施システムの秘密を解き明かす!』


『現代史の闇‐その原点は、「てんのうはん」の誕生にある。「てんのうはん」とは、長州(現・山口県)』で、天皇のことをいう。長州の多くの人々は、「てんのうはん」が山口県熊毛郡田布施町からの出自を持つことを知っている。この秘密を守るために「田布施システム」が創り出された。瀬島龍三は、この田布施システムの秘密を守るための「守り人」としてその一生を終えたのである。また、田布施システムは明治維新以来、「てんのうはん」の守り人として、ヤクザ組織を大切に育ててきた。瀬島龍三と宅見勝が日本列島暗黒街道の中で出会い、そして交友関係を続けるのは決して偶然ではなかったのである。』


カバー折り返しの文句

『大勲位・中曽根康弘かく語りき!


「政権が汚辱で倒れても、日本には超越的存在としての天皇がおられます。俗界の飛沫は天皇には及ばない。否、及ぼさせてはならないのです。この二重構造によって日本の伝統と民主主義との調和があり、求心力と遠心力の均衡、いわば歴史的知恵の作用で、日本の自由民主主義は維持されていることを認識すべきなのです」


これが「てんのうはん」の存在理由だ!』


本文より前書きより


『この本は現代史の闇を描き続ける。その闇の中で瀬島龍三も宅見勝も動き回る。そして、政治家も財界人も、闇の人であることが分かるようになる。現代史の闇‐その原点は「てんのうはん」の誕生にあるのではないだろうか。


私はこの本で常識を破り、読者の頭脳に挑戦する。それは、私が日本の再生を願っているからに他ならない。日本最大の闇、「田布施システム」の秘密を勇気をもって知る以外に日本の未来はない。


常識を捨てろ!真実を知れ!


二〇一二年三月

鬼塚英昭                                  』

興味を持たれた方は、
ぜひ購読されてください。
 

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コメント
 
01. 2012年4月30日 18:01:50 : kLE5k9UOLA
塚英昭氏の新著『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』は、
今、日本国家が置かれている真実を知る必読の書である!

ここまで書ける人は、今の日本にはこの方だけだろう!

明治維新以降の日本国家を牛耳ってきた「天皇主義」を奉ずる一派を
「田布施システム」として暴露している。

日本国家中枢で活動する表と闇の「田布施シシテム」が
日本民族をここまで、崖っぷちに追い込んだのである!

何故だ?

連中は、背後にいる英米政府(実は世界金融マフィア)の手先なのである!
それを理解すれば、財政破綻、原発事故などに怯える今の日本の惨状が
納得できるだろう!

過去の戦争も経済破綻も、決して偶然に起きたわけではないのだ!


02. 2012年4月30日 19:37:38 : yM6NBOsU96
『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』を推す

http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/262173030.html

《1》 

 「田中角栄をどうしても逮捕して欲しい。彼は私のファミリーのスキャンダルを種に脅しをかけた。私は彼を赦せないのだ。」
 この発言は昭和天皇であった。
 田中角栄が首相を辞任して、これからロッキード事件が本格化する前、昭和天皇は三木武夫首相を呼びつけてこう言ったのだ。

 三木武夫は「どうすればいいでしょうか」と天皇に尋ねると、天皇は「フォード大統領に私の親書を渡してほしい。そして、『よろしく頼む』と伝えてほしい」と答えた。

 こうして角栄を失脚させるためにロッキード事件が起こされるのである。(ただし高橋五郎氏は、田中角栄が天皇のいわゆる「M資金」、アジア各地から略奪してきた金・銀、財宝に手を出したから、天皇がロッキード事件を仕掛けたと『天皇の金塊』で書いている。)
 このエピソードは鬼塚英昭氏の新著『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』(成甲書房)にあったものだ。つまり、ロッキード事件はヒロヒトが角栄を追い落とすために仕掛けたのである。
 この本は発売前に予約しておいて、届いてすぐ一気呵成に読んでしまった。

 「アマゾンの内容紹介」を以下に引用して概略を示す。
    *      *
 現代史の闇―その原点は、「てんのうはん」の誕生にある。「てんのうはん」とは、長州(現・山口県)で天皇のことをいう。長州の多くの人々は「てんのうはん」が山口県熊毛郡田布施町からの出自を持つことを知っている。この秘密を守るために「田布施システム」が創り出された。瀬島龍三は、この田布施システムの秘密を守るための「守り人」としてその一生を終えたのである。また、田布施システムは明治維新以来、「てんのうはん」の守り人として、ヤクザ組織を大事に育ててきた。瀬島龍三と宅見勝が日本列島暗黒街道の中で出会い、そして交友関係を続けるのは決して偶然ではなかったのである。
 瀬島龍三と宅見勝が日本列島暗黒街道の中で出会い、そして交友関係を続けるのは決して偶然ではなかったのである。大本営元参謀と山口組若頭の黒い関係、日本最大最悪の闇田布施システムの秘密を解き明かす。
   *       *

 「てんのうはん」とは、長州の田布施部落から引っ張りだされて偽の「明治天皇」にされた大室寅之祐を指す。
 ヒロヒトが田中角栄から天皇ファミリーのスキャンダルを種に脅しをかけられたという、その中身はわからないが、おそらくはこの明治天皇のすり替え、もしくはヒロヒトが大正天皇の実子ではないことのいずれかであろう。
 万世一系はもはや破られたのであるから…。

 ヒロヒトは敗戦後国民をあざむくために、政治には直接関与せず、下々の内奏を唯々諾々と形ばかり承認するだけという「神話」を流布させた。またマッカーサーを表敬訪問して自分はどうなってもいいから国民を助けてくれと言ったとされるが、それも真っ赤な偽りである。戦前も戦後も、ヒロヒトは国家元首として、また大元帥として君臨し、権力をふるったのである。

 『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』には、ヒロヒトが皇居に置いた大本営で大東亜戦争を指揮する姿が描かれている。瀬島龍三こそ、ヒロヒト大元帥の忠実なる参謀だった。
 もっとも、大東亜戦争を二人で主導したと言っても、それはアメリカが策定した対日戦争の「オレンジ計画」どおりに兵を動かしただけのことであったが。

 私は「オレンジ計画(War Plan Orange)」はアメリカ海軍がいずれ日本を戦争に引きずり込むために1919年に立案したことは知っていたが、太平洋の戦争自体、開始から集結までのシナリオがあって、それに忠実にヒロヒトと瀬島が軍を動かして敗北させ、将兵をいたずらに殺したとまではこの本を読むまでしらなかった。

 瀬島龍三は、巷間、捕虜のシベリア抑留の責任者であったと非難される。ソ連が天皇を東京裁判にかけようとするのを阻止するために、100万人とも言われる捕虜を天皇免責と交換に差し出したとされるのだが、実はもっと酷い話であったことも、この本で初めて知った。

 昭和45年8月22日に内閣が終戦処理会議を設置した。このとき「在外邦人は現地にて共存」という決定をしている。すなわち帰国させないと決定したのだ。東久邇宮稔彦が総理であり、重光葵、近衛文麿、米内光政、梅津美治郎、緒方竹虎、吉田茂らが関与した。内閣は白洲次郎を使ってGHQと折衝させた。
 在外邦人は満州や中国、朝鮮に定着させよ、置き去りにせよ、という方針であった。まさに「許しがたい行為」である。

 そしてヒロヒトは8月31日に閣議決定を許可している。彼らは一部の軍人だけの復員を考え、当時300万人は居たとされる在外の一般人や兵士を斬り捨てたのであった。
 瀬島もシベリアに11年間抑留された(優遇されたようだが)から、「斬り捨て御免になった天皇の赤子の一人」だと鬼塚氏は説く。

 「敗戦国日本にあって、斬り捨て御免とされた天皇の赤子たちを救ったのは、天皇の御心に反して立ち上がった、一般の船乗りたちだった」と鬼塚氏はしたためている。

 さらに
 「シベリアから帰ってきても、日本政府は彼らに補償しようとはしなかった。瀬島はその生涯にわたって、日本国家が元シベリア抑留兵士たちに補償する必要はないと言い張った。もし、国家が彼らに補償すれば、天皇の犯罪が問われることになるからである。
 しかし、昭和天皇と瀬島龍三があの世へと旅立ってやっとのこと、元シベリア抑留兵士たちが補償金を貰えるようになった。」
 とある。

 その特別給付金は、なんとたった「25万円〜150万円」でしかなかった(平成24年3月末までに請求)。しかも国家がではなく独立行政法人が投げやろうとしたのだった。生存している人の平均年齢が88歳であった。

 「日本人よ、ソ連の横暴を説く前に、瀬島龍三の非人間的行動を説く前に、天皇をはじめとする終戦処理会議の首相、大臣らの非人間的行動を非難せよ」
 
 こういう事実を、売文歴史家どもはなぜ書かないのか。鬼塚氏は秦郁彦、半藤一利、保坂正康らが「天皇無罪論」と「軍人悪人説」を展開しつづけるのを非難しているが、そのとおりだ。ヒロヒトに最も責任はある。


03. 2012年4月30日 19:38:53 : yM6NBOsU96
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/262325847.html

《2》

 鬼塚英昭氏の新著『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』は、大東亜戦争はアメリカが事前に計画、予定した「オレンジ・プラン」の通りに進行したと書いている。原爆の投下だけは当初の計画にはなかった、と。

 明治維新のときに長州の田舎侍どもが「公武合体」を企図する孝明天皇と本物の幼い明治天皇を暗殺して、大室寅之祐を替え玉にしたことが諸悪の根源であり、日本の歴史をあまりにも大きく変えてしまったのである。

 薩長政府は、明治天皇が偽物であることを国民にも、外国にも秘密にしようとして、逆にイギリスやアメリカに足下をみられ脅されるようになったのだ。
 天皇が偽物であることをばらすぞと脅されれば、日本政府は米英の言いなりにならざるを得なくなったのであろう。

 あるいはそうなるように、イギリスが長州を嵌めたのかもしれない。後々ゆするために、天皇を暗殺させたと見るべきかもしれない。
 幕末に来日した英国のアーネスト・サトウが、孝明天皇の毒殺説を聞いたことを記しているそうだが…。

 英国公使パークスが、薩長に手引きして徳川政権を倒させたのである。有名な西郷隆盛と勝海舟の江戸無血開城の取引という美談も、実は内戦で横浜が戦火に見舞われると商売に障害がでるからとパークスが西郷と勝に命じて戦争させなかっただけのことだ。

 長くなるが、鬼塚氏の本から引用する。
* *

 司馬遼太郎の『坂の上の雲』は真実からはるか遠い異次元の坂に上る雲を描いている。日露戦争もほとんど予定通りに進行した。世界を支配する者達の一片のドラマであった。
 どうして大東亜戦争が予定通りに進行していったのかを考察するとき、天皇と瀬島龍三が進めた「和工作」が見えてくる。天皇はスキャンダルが公になることを恐れ、大東亜戦争を計画通りに進める以外に皇統を維持できないように仕組まれていた、と考える以外に解は見出せない。

 真珠湾攻撃がはっきりした日から、オレンジ計画は具体化し、計画通りに真珠湾は攻撃された。それも中途半端な攻撃であったが、これも計画通りであった。
 ということは、山本五十六、南雲忠一、草鹿龍之介、源田実たち司令官がアメリカの意を知り尽くし行動したということである。天皇と瀬島龍三の「和工作」の推進係であったことになる。続く珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦と彼らがオレンジ計画通りに動き、最初の真珠湾攻撃以外は敗北に敗北を重ねていったのである。

 彼らはソロモン海戦でついに力尽きた。続くインパール作戦、サイパン玉砕、レイテ沖海戦、硫黄島玉砕、沖縄決戦、これらすべて瀬島を中心とした参謀たちが、オレンジ計画通りに敗北を重ねるのである。これは単なる偶然ではありえない。日本の「和工作」とアメリカの「オレンジ計画」がほとんど日本人の知らないところで深く結ばれていたからである。
 
   *       *

 天皇と瀬島龍三の「和工作」とは、天皇が陸海軍の内乱を恐れていたということである。当時、陸軍内では皇道派と統制派が、海軍内には条約派(ロンドン軍縮会議推進)と艦隊派(軍縮反対)が抗争していた。それにヒロヒトは頭を痛めていたのだ。

 こうした陸海軍内の対立抗争が天皇制の護持すなわち「和」を危うくさせた。
 その解決法として、ヒロヒトはわざわざ負け戦を仕掛け、昭和20年夏には軍人たち全部を葬ったのであった。軍部がなくなればこそ、天皇制の護持が可能となった。要するにアメリカのオレンジ計画に乗って、ヒロヒトは軍部を潰し自らの身の安全を保障してもらったのである。

 瀬島の作戦計画は、首尾よく日本の軍部を壊滅させる敗北への道であった。
 こうして見てくると、2・26事件とは皇道派(北進派=対ソ連戦を指向する派閥)を暴発させたうえで壊滅させるためにヒロヒトが仕組んだ作戦であったことも納得がいく。

 だからヒロヒトはあえて陸軍統制派の東条英機を首相に任命し、開戦に向けさせた。そして瀬島に大東亜戦争(南方作戦)をデザインさせて、その案を諒承した。また、原爆を広島、長崎に投下することもアメリカ側に諒承を与えた。
さらにソ連には、日本の4つの島以外は全部くれてやり、60万とも100万とも言われる兵隊を与えると約束したのである。
 だから敗戦後、瀬島がソ連との交渉役として密使になったのは必然であった。

 ヒロヒトは沖縄をアメリカに売り、広島・長崎で原爆を落とさせ、そしてソ連にも大盤振る舞いしたのは、すべて自分だけが生き延びるためであった。
 北方領土が返還されるわけがなかった。抑留された日本兵が曲がりなりにも復員できたのは僥倖なのかもしれない。

 アメリカは12月8日の開戦直前にルーズヴェルト大統領の親書を日本に届けている。戦争回避ないし延期を一応模索したというポーズだったのだろうが、瀬島は真珠湾攻撃の計画推進者だったので、この親書を真珠湾攻撃が終わるまで見せなかった。

 戦後、ヒロヒトはこの瀬島の判断を諒としている。「黙殺できたのは、不幸中の幸いであった」と戦後、述べている。
 つまり、ルーズヴェルトの親書なんか読まずに開戦に踏み切ったことを「不幸中の幸い」と言ったわけだ。なぜなら、と鬼塚氏は言う、それは「和工作」が成功したからである、と。

 大東亜戦争の死者は兵員が約230万人、一般人が80万人とされる。この犠牲をヒロヒトは「不幸中の幸い」と言ってのけたのである。

 鬼塚氏は多くの歴史家が、瀬島龍三がルーズヴェルトの親書を届いた時点で天皇に見せていれば開戦が避けられたかもしれないというので、瀬島一人を責める傾向にあるが、それは間違いだと言っているのだ。
 それは瀬島の責任ではなく、瀬島がヒロヒトの意向を汲んで親書を見せるのを遅らせたのだから、と。

 ここにもまた天皇無罪論が顔を出している。天皇は知らなかったから罪はない、取り巻きの軍人が悪いという論法である。
 しかし、東條も瀬島もその他高級軍人たちは皆、口をつぐんで天皇の責任を問うことをしなかった。海軍の軍人どもは悪いのは、また負けたのは陸軍のせいだと言い募ってきた。
 ヒロヒトだけが、自分は被害者であり、国民のことを心底心配していたのに、姦臣が朕の心をわかってくれなかったのだ、とぬけぬけと言って、それを政治家や歴史学者、作家、漫画家(小林よしのりのことだ)を動員して、国民に洗脳し続けてきたのである。


04. 2012年4月30日 19:40:10 : yM6NBOsU96
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/262604555.html

《3》

 前回、明治維新のときに長州の田舎侍(忍者組織)が本物の天皇を暗殺して、大室寅之祐を替え玉にしたことが諸悪の根源であり、日本の歴史をあまりにも大きく変えてしまったと書いた。
 もう一度、鬼塚氏の文章でそのことを紹介しよう。
* *

 孝明天皇が暗殺され、その子の睦仁親王も暗殺され、大室寅之祐が明治天皇、否、「てんのうはん」となって日本は狂ったのである。この事実をイギリスの大使パークスと武官アーネスト・サトウが知り、すべてが彼らのシナリオ通りとなり、日清戦争を仕掛けよ、日露戦争をやれ、そし大東亜戦争へと突き走らされたのである、言葉が汚くて申し訳ないが、英雄視されている坂本龍馬ごときは俗物中の俗物にして、日本を戦争に導いた極悪人だと思っている。

 私がたびたび引用した新井喜美夫は「すべての病根は明治維新にあったと言わざるを得ない」と書いている。(中略)
 それにしても、益田勝実は奇妙なことを書いている。「……明治憲法が『神聖ニシテ侵スべカラズ』と規定したものに置きかえられたのは、かれらが現実の天皇と天皇の名によって力をふるう者とをいかに怖れたかをあらわし……」

 明治天皇は「てんのうはん」と長州の人々に呼ばれていた、このニセ天皇を支え続けた人間たちは、「自分たちの秘匿しぬこうとする最後の結集形態」を永遠に隠そうとして、「てんのうはん」をして「神聖ニシテ侵スべカラズ」と規定したのである。しかし、「てんのうはん」の真相は軍人のエリートや近衛文麿などの貴族たちは知っていたのである。だから天皇は彼らを一気に葬り去るべく、「不幸中の幸い」を求めて大東亜戦争を勃発させるべく瀬島龍三に命じて作戦を立てさせたのであった。「和」とは簡単に書けば、「てんのうはん」の悪あがきのことである。

    *       *
 ずばり書いたものだ。
 イギリスが(つまりユダヤ国際金融資本が、だ)長州の天皇暗殺を知って、それをネタに日本政府を揺するようになったのか、それともイギリスがそもそも長州の田舎侍を使嗾して天皇を暗殺させたかであろうが、いずれにしても、日本は永遠に弱みを握られっぱなしなのである。
 日本の支配者が、天皇の替え玉を秘匿し続けるかぎり、脅しのネタは外国が握って離さない。

 だから鬼塚氏も書いているように。「大東亜戦争は終わっていない」のである。総会屋に女のスキャンダルを握られて、カネをむしられる企業の社長と同じことである。イギリスやアメリカばかりか、ロシアも韓国もシナも、世界中のゴロツキ国家が知っているに決まっている。

 竹島が韓国に奪われても、尖閣諸島がシナに取られても、いずれ沖縄までが支那の領土にされても、天皇が万世一系で「神聖ニシテ侵スべカラズ」で、わが国の象徴であると思いたい天皇信者のせいで、言いなりにされる運命にあるのである、この日本は。

「『てんのうはん』誕生のドラマが、田布施に生まれた秘密組織と日本の暗黒街とが結びつき、『オレンジ計画』の続きともいえる『ニュー・オレンジ計画』を迎えて動き出す。」
 これを鬼塚氏は「田布施システム」と呼んでいる。

 アメリカに毟りとられ続ける日本は、まさに「ニュー・オレンジ計画」の餌食にされている。最近はTPPとか、年次改革要望書だとか、「痛みを伴う構造改革」だとか、米国債を買わされ続けるとか、沖縄駐留米軍への「思いやり予算」だとか、グアム移転費用の全額負担だとか、気に入らない首相は首が飛ぶとか、すさまじいばかりのアメリカ様への拝跪であるが、すべて淵源は明治維新のときに、ユダ金に天皇替え玉のスキャンダルを握られたからである。

 「拒否できない日本がそうして生まれてきたのか。その原因を私は明治維新に求めた。隠し事が生まれ、『てんのうはん』が生まれ、そして日本は狂ったのである。」
 この結論に私も完全に同意する。

 『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』は、主に戦後の「てんのうはん」の守り人となった瀬島龍三と、山口組の宅見勝が「田布施システム」を維持発展させるべく暗躍するさまを描いていくことになる。
 
 瀬島は周知のように、シベリアから復員すると伊藤忠に入社して対インドネシアや対韓国の賠償ビジネスや武器商人として辣腕を揮う。そして左翼の一大拠点だった国鉄の民営化=社会党潰しを手がける。左翼勢力が「てんのうはん」を脅かさないようにするためであった。
 あるいは、不動産バブルも伊藤忠商事とヤクザが結託して演出したのだという。

 「田布施システム」はまた、電通を通じてヒロヒトを「平和天皇」として、ラジオやテレビ、出版などを支配して演出させていくのである。
 私たちは昭和天皇が戦後は「象徴」となって、政治に関与しなくなった(戦前すらも関与していなかった??)と思わされているが、事実は戦後も戦前と同様に首相や大臣を呼びつけて細部にわたって質問したり指図したりしていたのである。
 それを隠し、象徴天皇と思い込ませてきたのが電通の深謀遠慮だった。

 こうした「田布施システム」の活動資金は、どこから出たかというと、むろん天皇は自腹を傷めるようなことはしない。
 なんと戦時中に国民に供出させた宝石や貴金属を資金にしたというのだから驚きである。
* *
 
 そのカネはどこから来たのか。終戦前、東条は国民に金・銀・ダイヤ……諸々の貴金属の半ば強制的な供出を申し出た。当時のカネで二千億円以上が供出されたといわれる。(中略)
 この財宝は戦後に天皇家のために使用するという暗黙の約束が、東条英機の後に登場する敗戦内閣の鈴木貫太郎首相、迫水久常内閣官房書記官長、実質的な首相と言われた岡田啓介、大本営参謀瀬島龍三、すなわち同一血閥でなされ、秘密リレーで隠された。これが「田布施システム」を維持するための巨大な資金となった。
* *

 日本の支配層はこういうことをやるのである。
 軍需資材調達のため、聖戦遂行のためと言い、あくまで自主的なものといいつつ、なかには役人が人の台所にまで入り込んで、金属を物色された嫌な思い出を持つ人もいた。

 これら貴金属類は、敗戦後にもなぜかGHQに接収されなかったし、吉田茂のように、この資金を使って首相にしてもらった奴もいるのである。こういうアングラマネーを資金に、支配者どもはヤクザを使って活動したのだ。
 「この田布施システムのカネを貰って政治活動ないし、経済活動をした者は数え切れないほどいる。白洲次郎、佐藤栄作元首相、池田勇人元首相、田中清玄……」と。

 だから。別にジャイアンツの肩を持つわけではないけれど、朝日新聞も新人選手に規定の1億円以上のカネを払って巨人が入団させたなどというどうでもいい話はいいから、こういう巨悪を白日の下にさらせよ。というより、国民の目をこうしたアングラマネーに向けさせないために、巨人の不正(?)を暴いて注目させようというのであろうか。

 紹介はここまでにしてあとは、ぜひ鬼塚英昭氏の新著を買ってお読みください。

 最後に一つだけ。
 鬼塚氏は瀬島龍三を中心に田布施システムの闇を書いているが、瀬島の仲間の中曽根康弘、中川一郎、久保正雄らに「女っ気がない」と断じている。巷間伝わるところによると、中曽根は間違いなくホモ・セクシュアルだそうだ。
 彼ら日本を牛耳ってきた連中は、実に20数年も「中々会(ちゅうちゅうかい)」と称して、料亭の一室で飽きもせず一緒に過ごしていたからだ。

 「しかし、大晦日の夜、中曽根康弘と瀬島龍三は二人だけで盃を重ねている。ホモの空気が漂うように見える」


05. 2012年4月30日 21:59:33 : uz4zqg3c5L
この暴露作家を守ってる組織はどこ。当事者しかしらないことをなんで書くの。

怪しいよね。この結果は日本終了。そうゆう方向に誘導されてない。歴史の書換えだろ。民族の歴史の破壊。

戦後のnhkの真相箱ににてる。


06. ♪ペリマリ♪ 2012年5月01日 09:39:42 : 8qHXTBsVRznh2 : kPegQLRc9w
>>03

2CHに鬼塚氏を誹謗するスレを見かけますが、あなたもその類ですか。

歴史を書き換え、民族の歴史の破戒をしてきたのはいったいどっちですか。

戦後NHKの真相箱=GHQのプロパガンダ箱=真相を隠蔽する箱です。

NHKのドラマは、田布施システム礼賛をテーマにしています。

白洲次郎や淵田美津夫の特番組んで真相を隠ぺいし情報汚染にいそしんでいます。

かつて憲兵隊が便所の落書までメモに取った監視体制が電通に受け継がれて、

ネットの情報はくまなく監視され攪乱されているのかもしれない。


07. 2012年5月01日 09:45:57 : B27Z8CRZ7i
この「田布施システム」の前提となる天皇家の起源がここに示されています!

太田竜著『性の革命』からの引用です。

 弥生時代以後の日本建国の祖となった支配者たちの正体は、一体、何だった
のか。それは、牧畜制度、父権制、高度に発達した軍事組織を持ち、黒竜江の
こちら側(西方、南方)及び朝鮮半島経由で日本列島(北九州、山陰、北陸)に
組織的に侵攻し、農民を征服した人々である。

 この点については、「歴史と現代」(1980/8)の朴蒼岩氏の論文「日本国民に
告ぐ!歴史の掠奪者は誰か?」を挙げることができよう。
 「そもそも韓民族の歴史を抹殺することが、日本の国策であったらしい
……ということは久しく主張されていた。例えば高句麗の英主広開土王は、
倭王(天皇のことである)を伐った功績のために、遥か後世の明治時代に、日本の
憲兵、酒匂大尉によって碑文を破壊されてしまった。
 この破壊の理由は、日本の天皇が百済人であったからで、そのことは既に、
心ある韓国史家の間では通説になっていたのだが、日本の偽史活動の内容とか
目的は必ずしも明瞭ではなかった。
 文定昌氏は1970年、その著『日本上古史』に於いて、大和の国号は新羅真徳
女王の年号の太和であることを指摘し、……紀元661年、白村江の決戦で敗北
した扶余勇が、天智(天皇)となったことを主張した。
 天智王朝が百済の亡命王国であることについては議論に価しない程自明の理で
ある……
 明治政府の基本的国策は、偽史の確立であり、真相の抹殺であった。
 従ってこの為に偽史機関(シンジケート)を作りあげたことは、論理的な必然と
しては万人の認めるところであったが、今ひとつ、明確な証拠がないままに、
私達を歯がゆい思いにさせていたのである。
 ところが、この元旦(1962年)老師敬いの歳拝の際、私が手にすることになっ
た〔朝鮮〕総督府文書は、日本の国策によって構成された偽史シンジケートの
存在と、その活動内容を明確に記録する点で、実に貴重な資料であり、
……これを見ると朝鮮総督の斉藤、宇垣らの下に、日本側委員・今西竜らの御用
学者が存在し、総督らも自ら委員会に列席していた……。
 このようにして史上最大の焚書が、学術調査の体裁で行われたという事実は
かえって、その目的が天皇家の出自隠し、即ち、一大民族移動であった百済亡命
政権が天皇家をつくったという歴史的事実の秘匿、又は焚書の逆輸入にあった
ことを明らかに示してしまった。
 ……日本史に於ける各王朝が、すべて朝鮮半島からの移住者である……
東扶余王解夫婁の一族が海を渡り、熊本で多羅国を建てて倭王となったこと、
イワレヒコの神武が伊都国の祖先であること、東扶余の末王居依羅らが南下して
崇神になったこと、……これらの事実を総合すると、天皇家は天智の時初めて
百済系になったのでなく、そもそもスタートから、高句麗の分派である百済人が
倭王であったため、百済史を天皇家の歴史として作り変えていたことが判る。
 『桓檀古記』によれば、倭人国家は、〔西紀〕前7百年頃韓民族の一派である
襄幋命が、船団5百隻を以て進駐したのが始まりである。(ニギハヤヒノミコトが
水軍を率いて天降った。)
 このようにして、日本人は韓民族から分れて、倭の三島に建国したのである」


08. ♪ペリマリ♪ 2012年5月01日 09:46:17 : 8qHXTBsVRznh2 : kPegQLRc9w
大変に失礼しました(汗ドワ

上記コメントの対象は>>05です。


03さま

すみません!!!

平にご容赦ください。

すばらしいコメントを本当に本当にありがとうございます。


09. どぶさいら 2012年5月01日 21:07:15 : loFw68yS.9s8U : eiLYGCaRa2

何しろ1度しか読んでおらず、この場に本がないので、再確認できないが、確か、鬼塚氏のこの本には、鹿島昇氏についての言及はなかったのではないか?

鬼塚本で、参考文献として引用している 大野芳氏の天皇本には、確か1章目くらいのところに、鹿島本一冊のみが参考本として引用されていたと記憶する。

なお、どちらの本だったか忘れたが(確か大野本か)、孝明天皇厠弑逆説がまるで、自説であるかのように、引用文献なしで書かれていたことにはおどろいた。
これは、鹿島説だとばかり思っていたが、それとも、鹿島説自体が誰かの受け売りたったのか?

この少し上でコメントされている太田氏の言う「偽史シンジケート」も、鹿島昇氏が唱えたものであると理解している。

「裏切られた二人の天皇」以来の鹿島ファンとしては、ことほど左様に、無視され、業績だけが簒奪されるのは残念である。


10. ♪ペリマリ♪ 2012年5月03日 11:58:41 : 8qHXTBsVRznh2 : kPegQLRc9w
どぶさいらさま

大変申し訳ないのですが、
実は私は太田龍氏が『天皇破戒史』『長州の天皇征伐』の中で、
鹿島昇氏が大室寅之助を南朝の末裔と捉えていることを知って、
松重陽江氏の『二人で一人の明治天皇』しか目を通していません。
熟読したとはとても言えない段階なので、
孝明天皇弑逆についての検証をあらためて読んでみます。
鹿島昇氏が松重氏を触発したのだとしたら、
鹿島氏の業績が顕彰されることにはまったく同意です。

大野芳は明治維新を正当化する偽史シンジケートの筆頭の一人です。
明治政府にただ一つやましいところがあるとすれば、
南朝革命であることを秘していたことであると書いています。
私は鬼塚氏がなぜ大野芳を推奨するのかまったく分かりません。
無意味な資料で肉付けして、岩倉具視を礼賛して終わっています。

確かにどぶさいらさまの仰るとおり、
鬼塚英昭氏は鹿島昇氏個人の業績には言及していません。
松重陽江氏に取材して、松重氏とタッグを組んだ鹿島氏について触れ、
自らの調査及び益田勝実(長州国家老益田弾正の一族)を初めとする、
さまざま史家の資料及び日記類で検証されています。

以下に過去の拙稿より、
鬼塚氏が松重陽江氏に取材した部分を転載します。

山本五十六の真実C鬼塚英昭氏が発見した日本の秘密
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/687.html
投稿者 ♪ペリマリ♪ 日時 2011 年 11 月 23 日 14:38:56: 8qHXTBsVRznh2

DVD『鬼塚英昭が発見した日本の秘密』成甲書房より

以下転載。


今日は日本の歴史について話したいと思います。それも近代から現代にかけて、明治・大正昭和にかけて、みなさんに語りたいと思います。なぜその近代というものが大事かというと、近代を知ることは、今、平成の時代に起きていることを知ることができると思っているからです。で、まず最初にですね、とんでもないって思われる方がいらっしゃるかも知れませんが・・・明治が始まる前、幕末のことを少しだけしゃべりたいと思います。


私がたぶん2006年の10月と思うんですけど、山口県の柳井(やない)市というところに行きました。そこにもうかなり高齢なんですが、松重楊江(まつしげようこう)さんという方が住んでおります。その人を訪ねて行きました。で、彼に会い色んなことを聞きました。彼の本もその前に読んでおりました。どうしても彼に会って本当のことを聞きたいと思って、色々な質問をしました。

松重楊江は私にこう言いました。「ここのそばに田布施川という小さな川がある。そこの田布施川−そのひとは柳井に住んでいます−を渡って、あの山の向こうの方から老人がいつも野菜を売りに来ていた。」

その時に私が色々雑談をしている時に奥さんも傍にいまして、奥さんもそう言いました。「そういつも野菜を売りにきていた」と。ところが時々変なことを言う。何を言ってんだといったら、『うちの爺ちゃんは明治天皇や』と言うてるんですよ。で、松重楊江も笑っていたそうです。でも彼は宮本賢治の家のそばで宮本賢治の一族ですから、東京で共産党の幹部まで行き、宮本賢治の秘書になるような男です。故郷に帰ってきてダンボール工場をやったところが成功して、いっぱしの工場の経営者となり、息子に後を譲ってました。優秀な男なんです。で、どういうことかというと『うちのお爺ちゃんが大室寅之佑(おおむろとらのすけ)といって明治天皇になったんだ』というわけです。

話を聞いてみると何か辻褄が合うような気がする。それで色々調べているうちに、ひょっとしたらこの大室近佑(おおむろちかすけ)という老人が私に喋っているのは本当のことじゃないかと思い、萩の郷土史家を連れてきて調査した。萩の郷土史家とともに、山口県の郷土雑誌に『変な老人の話で・・』というようなことで記事を書いた。それを中央の鹿島昇という弁護士が読んで、松重楊江のところに訪ねて来ました。彼が言うのには「私は大室近佑の言う話を信じるから、近佑に会わせろ」と言った。で、まあ、近佑に会う。

それで鹿島昇と松重さんは−その当時はまったく歴史家じゃないんですけど−触発されて二人で本を出そうじゃないかと言った。それから松重楊江は近代史にのめり込むわけなんです。そして独自に調査をやり、大室寅之佑が明治天皇になった過程を、沢山の本に執筆するわけです。私も彼の本に刺激をされて『天皇のロザリオ』『日本のいちばん醜い日』に、彼の話を中心に引用するわけです。

以上です。

どぶさいらさまのおかげで、
太田龍の前掲書を見直しています。
非常に貴重なことが書かれていますね。

松重陽江氏の『二人で一人の明治天皇』のさわりは次の通りです。

『これから本書で縷々述べていくのであるが、孝明天皇を暗殺したのは確かに伊藤と岩倉で、もしも慶喜が睦仁のすり替えに文句をつけていたら、我が国の内乱が果てしなく続いていたであろう。薩長同盟の本当のスポンサーは、坂本竜馬を動かした勝海舟と、勝に命令した二枚舌の慶喜だったにもかかわらず、その慶喜を薩長がなぜ征討したのか。ここに幕末維新の謎があった。


「玉」大室天皇を擁立して「南朝革命」を実現せんとする慶喜と勤王志士たちの蜜月が、どうして百八十度変わったのか。それは、元治元年(一八六四年)十一月、英国公使ハリー・パークスが、「開国を認める天皇の下で、フランス公使とつるんだ慶喜を排除して、薩長政府をつくればよい」と西郷隆盛にもちかけたために、薩長同盟の中身がすり代わって倒幕同盟になったからである。


日本に来たパークスは、清国を第二次アヘン戦争にひきずりこんでイギリスの植民地にしようとしたような男だったから、日本でも同じようなことを考えた。


当時の日英同盟は、現代においては日米同盟になりかわっている。その現代にあって、昭和天皇のとき以来くずぶってきた「皇室典範」の改定などをめぐり、明治維新の意義が問い直されようとしている。しかし、歴史の真相を解明しなければ、過去の歴史をもって本来の指針とすることはできないであろう。


歴史の教訓は真実の歴史に宿っているのであって、ウソの歴史は教訓にならない。従来の「万世一系」のウソと「身代わり天皇」の維新史が、広く世に伝わり、認識されて、二十一世紀の指針になればと切に願う次第である。』


私は田布施システムとは、押し込められてきた人々の怨念そのものだと思います。
徳川家康の「百姓は生かさぬように殺さぬように絞れば絞るほど取れる」、
という過酷さを上回る税制を課し、
田畑を手放すしかないところまで農民を追いつめ、
寄生地主と貴族階級からなる後期絶対君主制度を作り、
国家の富を簒奪して天皇毛と財閥のシンジケートを作っています。


元勲たちも自ら個人財閥となり、、
民草が壁土や藁をかじり、村役場では娘の身売り相談コーナーを作る世相の中、彼彼ら特権階級は子息を官費で外遊させ貴族生活を送っています。

千代田城をこれでもかと飾り立て、古事有識に則って権威づける行為には、
同じくゲットーに押し込められてきたユダヤ国際金融グループが、
宮廷に入り込み骨抜きにして貴族階級を乗っ取っていった相似形、
怨念の系譜ともいうべきものを感じます。


そういう意味では、
身分制度と封建制で人々を縛り付け、
出る杭は打たれる式の奴隷根性を受け付け、
差別するためだけの階級を作った家康に対する怒りを感じます。
倒幕されたにはされただけの理由があったと思います。


しかし明治維新は徳川封建制をさらに過酷にした、
しかも新楽の手先として機能する傀儡政権であるという点で、
日本史上未曾有の最悪のものだと思います。


11. ♪ペリマリ♪ 2012年5月03日 12:02:37 : 8qHXTBsVRznh2 : kPegQLRc9w
訂正します


新楽→侵略


すみません。


12. ♪ペリマリ♪ 2012年5月04日 08:31:04 : 8qHXTBsVRznh2 : kPegQLRc9w
どぶさいらさま


重松陽江と鹿島昇をきちんと読んでみます。

抑圧について重要な示唆があることに気が付きました。

ななめ読みしていた時には気が付きませんでした。

ちょっと興奮しています。

問題提議ありがとうございます!!!


13. どふさいら 2012年5月04日 18:29:46 : ko2wjOvFnRbSA : eiLYGCaRa2

訂正します。
「裏切られた二人の天皇」

正しくは「裏切られた三人の天皇」でした。(1987年刊)

裏切られた天皇は「二人(孝明と睦仁)」と考えていたので、ついつい間違えてしまいました。


14. ♪ペリマリ♪ 2012年5月05日 10:12:54 : 8qHXTBsVRznh2 : kPegQLRc9w
どぶさいらさま


鹿島氏のその題名こそ、南朝革命のテーゼを現わしています。
今回やっとそれが分かりました。
裏切られた三人目が明治天皇こと大室寅之佑である、
つまり賤民の「解放」がすり替えられたという大変重要な示唆です。
伊藤博文のことも考え直している真っ最中です。
どぶさいらさま、ありがとう。


15. ♪ペリマリ♪ 2012年5月05日 10:20:17 : 8qHXTBsVRznh2 : kPegQLRc9w
>>07さま

遅ればせですみません!!!
貴重な情報をありがとうございます。


太田龍のその本はまだ読んでいません。
探して読んでみます。


偽史については重松氏も鹿島氏も書いています。
デーヴィド・アイクが言っていることは、
本当に他人ごとではないようです。
日本の偽史も本当にトンデモですね。


16. 2012年6月20日 00:53:18 : xssRIMhUyc
今私もこの本を読んでいる真っ最中なのですが、昭和史が分かっていいです。

瀬島隆三のことは大変知りたかったのですがここまで詳しい本はめずらしい。
なんと半島との賠償ビジネスで儲けるとは。

日本と朝鮮半島との反撥するようなプロパガンダを利用しながら伊藤忠商事は国の金(我々の税金)を使って儲けていく瀬島は一気に出世するというくだりを読んでいます。

この本を読むと嫌韓流なんて馬鹿馬鹿しくなります。
瀬島は大本営の陸軍軍人だったのに何の理念もない卑劣漢です。ソ連やアメリカ、中国のスパイとして働いたとしても私利私欲のためでしょう。

瀬島がこんなに下劣な奴だとおもいませんでした。

里見甫(アヘン王)が戦後笹川や児玉が卑劣漢とさげすみ自分は一切清貧を通したという逸話がありますがその理由が分かりました。(本当に里見が清貧を貫いたのかは不明ですが伝記ではそうなっています。)


鬼塚氏には四元についてもっと言及して欲しい。


17. 騙されとった 2013年9月16日 19:15:03 : pspQ8GrZz5rk6 : HHzifh7XKM
明治維新・・、よく分かりました!結局、長州の下層階級がイギリス(ユダヤ)の指示通りに動き徳川から天下を奪い取り、権力と金を恣にし、傀儡天皇をかかげて利用し、煙たい西郷らを除して純化し、そして民衆を前よりもっと貧乏にし、学制で子供たちを縛り学校に囲い込んで洗脳と差別と席次を強制し、その果実をまたイギリス(ユダヤ)にたたき売りした・・、という実におぞましい革命であったということを!フランス革命とは全く違う。民衆の面前で公開処刑されたルイ16世と、愛人宅の厠で伊藤博文に下から突き殺された孝明天皇との差か?安倍は長州。先祖は半島人と聞く。自民憲法に「不敬罪」はあったか?

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