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山本五十六の真実M 『山本五十六は生きていた』 再検証
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/457.html
投稿者 ♪ペリマリ♪ 日時 2012 年 5 月 01 日 10:59:54: 8qHXTBsVRznh2
 

前回の私の検証が間違っていたため、今回もう一度再検証します。


前回は大野芳『山本五十六自決セリ』を参照し、
自決説に半ば同意しましたが、
これは私の完全な誤りです。お詫びして撤回します。


大野芳の説は逃亡説のバリエーションとして捉えるべきでした。
同時に蜷川親正氏の労作を葬り去るという明確な意図を持って、
『山本五十六自決セリ』を著しているようです。


前回その意図が見抜けずに、
蜷川親正氏の亡兄蜷川親博軍医大尉の五十六検死カルテを軽んずる、
大野芳の見解に安易に同調していました。
今回お詫びして全撤回いたします。


では再検証にあたって、なわふみひと氏がアップした、
ヤコブ・モルガンの記事より抜粋させてもらいます。


山本五十六は生きていたC
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/YamamotoIsoroku04.html

『大本営発表の「死体検案書」(死亡診断書)と「死体検案記録」(死亡明細書)によれば、死亡日時は「昭和18年4月18日午前7時40分」である。傷病名は「顔面貫通機銃創及び背部盲貫機銃創」であり、末尾には「右証明ス 昭和18年4月20日 海軍軍医 少佐 田淵義三郎」として署名捺印がある。

ところが墜落現場を最初に発見した浜砂陸軍少尉は次のように証言している。「長官はあたかもついさっきまで生きていたかのような風貌で、機外に抛出された座席上に端然として死亡していた……その顔面には創はなかったし、出血の痕もなかった。その発見は墜落後実に30時間前後も経った頃である」


同様の証言は陸軍軍医・蜷川親博中尉も行なっている。蜷川中尉は長官機遭難現場近くの歩兵第23連隊の次級軍医として勤務していた。このため、中尉は救難捜索行動に参加し、長官死体の検視も行なっている。


にもかかわらず、山本長官の秘蔵っ子と言われた渡辺中佐参謀は、事故のあと19日、ラバウルより現地に急行、20日夕刻掃海艇上に運び込まれた長官の遺骸を検死して大本営と全く同一内容の証言をしている。渡辺参謀の証言内容とは「20日夕の時点で顔面貫通機銃創と背部盲貫機銃創は共にあった。4月18日、機上での戦死は間違いない」というものである。


前出の田淵軍医は「私が検死した時点では顔面に創はあった」「姐(うじ)の侵蝕とは考えられぬ」とし、さらに重要な証言「死後の作為が加えられたかどうか判らない」と言いながらもその可能性を強く示唆している。


戦死が狂言であったこれだけの証拠    


山本長官の「死」は明らかに狂言であろう。その穏された真相は次の如くであると推測される。

1.山本長官は太平洋戦争前半における帝国海軍崩壊のためのすべての役割を完了した。


2.そのため急遽姿を隠す必要が生じ、側近の宇垣纏中将(連合艦隊参謀長)や渡辺中佐(参煤)と共謀し、あらかじめ暗号をアメリカ側に漏洩した上で長官機撃墜の一大ペテン劇を演出した。


3.当日、山本長官はわざわざ草色の第三種軍装を身にまとい、ジャングルを逃亡の際目立たぬよう略装にした。


4.米軍機攻撃の際、いち早くパラシュートで脱出、地上よりかねて打合せの場所からガダルカナル島米軍基地へと逃亡した。


5.捜索班が事故機を発見したとき、長官の身替りとされた男(恐らくは風貌の似た人物)を座席に縛りつけ毒殺した。


6.従って発見時には顔面の創も背部盲貫機銃創も存在しなかった。


7.その後、山本長官を「機上死」であると捏造するため、遺体に拳銃か鋭利な刀物で人工的な死後損傷を加えた。

事実、田淵軍医が検死をしている最中に長官のワイシャツを脱がせようとしたが、渡辺参謀から突然大声一喝され、「脱がすな、これ以上触れてはならぬ!」と怒鳴られ制止されているのである。人工的な死後損傷であったとする証言も数多く存在するが、これらのすべては黙殺され、渡辺中佐の命令下、虚偽の「死体検案書」と「死体検案記録」は作成され、「機上壮烈なる戦死」という大本営発表となるのである。』

蜷川親正『山本五十六の最期 検死カルテに見る戦死の周辺』光人社より
結論部分を抜粋します。


『そのとき虫の息で救出を待っていた

山本大将は少なくとも、十八日の午後、または夕方まではハエを追いうる生命現象があった。全身打撲か、内臓などの破裂により、十八日夜から十九日早朝に体力の限界がきて、夜明けとともに死亡したと判断する・・・さきに述べた各項目より考察すると、山本元帥の死因は、全身打撲か内臓破裂により、不時着時はそのショックで天蓋を打ち抜いて飛び出していた。やがて正気になり、座席に座り、救助を待っていたが、前述したように十八日午後よりは容態が急変して、夜を迎えるとともに体力の消耗はなはだしく、十九日夜明けとともに、息を引きとったものであろう。


事故発生の十八日は、墜落現場のアクちかくには陸軍の歩兵二十三連隊(浜之上大佐指揮)が駐屯していた。ひさしぶりの休日のため、墜落して行く飛行機を、多くの将兵は敵機と思って見物していた。この陸軍部隊になぜ、的確に遭難状況をはやくつたえなかったのであろうか。もし、救出を依頼しておけば、九時か十時にはつたえ得たはずである。五千名もいた連隊の、せめて千名いや五百名でもよい、墜落炎上している方向を中心に、一列横隊で全身して捜索するという「面」の捜索を実施しておれば、その日の昼、または午後そうそうには、かならず発見しえたはずである。』


一つずつ検証します。


◎任務を終えたので姿を消した


海軍はまだ壊滅状態になっていません。海軍の天王山はマリアナ沖海戦の決戦です。


◎暗号を漏洩した


ブイン視察の詳細スケジュールは、二回打電されています。4月13日に打電したのは月初めに変えたばかりの新しい暗号です。天候不順を理由に視察を18日に延期して、前夜の17日に戦艦武蔵から旧暗号で打電しています。これはアメリカの暗号班が新暗号を解読できなかったので、旧暗号で打電したのだと思います。


◎第三種軍装の色


ヤコブ・モルガンは草色、大野芳はもえぎ色を主張しています。殊に大野芳は意図的にもえぎ色を刷り込もうとしている節があり、第三種軍装の話がでるたびにもえぎ色であることを強調しています。ヤコブ・モルガンの草色の出所は、大野芳のプロパガンダ本しれません。蜷川親正氏が直接聞き取りをした捜索隊の生存者たちは、紺色だと証言しています。


○陸軍第二十三連隊第一中隊捜索班・中村見習士官(当時)の証言


『いずれの死体も顔面に血のついた者は見当たらず・・・ただ一つ、元帥の紺色をした制服の上衣のすその部分と、ズボンの上部が黒くこげていて、きな臭かったのが印象的だった。』


○富山伍長(当時)の証言


『・・・ある死体は海軍の紺色をした上位を四つに折って、それを枕にして上向けに寝ているように死んでいた。』


○陸軍第六連隊第三中隊中隊長・阿部茂大尉(当時)の証言


『山本長官の紺色の軍服と、そばの軍医の白色の軍服もまったく乱されたり、よごれたちしていなかった。二人ならんで腰かけておられ、五十センチとは離れていなかったものと思う。』


◎パラシュートで脱出した


当日、ブインの山頂には見張りが立てられ、長官機が撃墜される一部始終を目撃しています。そういう状況で人目につかずにパラシュート脱出するのは、撃墜されるかなり前でなければなりません。長官がそのような行動を取ることに、機内に残る者たちに不審を抱かせず、そのままブインに直行させ敵に待ち伏せ攻撃させるためには、どのような説明がされたのでしょうか。長官機には天才といわれた航空参謀・樋端久理雄が同乗しています。それとも樋端久理雄がヤラセの共犯者とでもいうのでしょうか。


◎顔がきれいなのは毒殺したから


長官機は撃墜されましたが、操縦士たちは最後まで持ち場を離れずに不時着を試みています。実際、大木に激突しなければ多くの生存者がいたであろう、限りなく水平不時着陸に近い状態のようです。操縦士たちは操縦席を一歩も動かず焼死しています。五十六の死体の損傷がほとんどないのは、操縦士たちが黒焦げになるまで持ち場を離れずに、必死の努力をしたからです。五十六の顔がきれいなのは身代わりを毒殺したから、という邪推は、長官を死守しようとした操縦士たちのそういう気持ちを踏みにじるものです。


蜷川氏前掲書より該当箇所を抜粋します。

○吉田雅維氏の証言(元佐世保鎮守府第六特別陸戦隊第一中隊第一小隊長)


『操縦士はみずからの操縦席で、通信員はその通信席で、機関銃手はその銃座で、それぞれ座席を一歩もはなれることなく、黒こげのまま死んでいるのを発見した。ことときは私も、おもわず頭が下がった。現代の年齢でいうなら、十七、八歳から二十歳ぐらいの少年飛行兵が、忠実にその任務をはたしつつ、燃えさかる飛行機上で戦死していたのだ。


現場のジャングルからは、約一キロちかく、樹林の上部をけずりつつ、約五、六度の角度で、だんだんとジャングルに深く進入して、不時着をしていったことがよくわかった。やがて地上にたっする地点に、不幸にして、五、六本の太い二かかえも三かかえもある大木があったので、それに衝突し、機体はばらばらになったのである。機内の各自は、完全に任務を遂行していたし、現場をみても、けっして墜落ではなかった、といえる。あの状況は高等な技術による不時着だったのだ。


私は、若き少年航空兵たちのりっぱな飛行機の操作と、その持ち場を守り身は焼けようとも、死して護国の鬼となった人を、永久にたたえていただきたいと思う。それにしても、じつにりっぱな不時着で、あの大木さえ機をさえぎらなかったら、あるいは、二、三人はモイラ岬の二番機のように、重、軽傷の程度で救助できたものをと、残念でならなかった。』


◎身代わりを連行した


最初に長官機を発見したのは、浜砂大尉率いる陸軍歩兵第二十三連隊の第一小隊です。第一小隊が五十六に良く似た人物を連行して、現場で毒殺して長官の身代わりにしたというなら、彼らは海軍に頼まれてグルになっていたのでしょうか?また捜索隊は陸海軍から複数出されていますが、困難を極めた捜索の過程を見ると、歩兵二十三連隊第一小隊がジャングルをかき分けかき分けして、最初に長官機までたどり着いたのは僥倖に過ぎません。身わり毒殺説が成立するためには、最初に現場に到達した陸軍歩兵第二十三連隊第一小隊以外の全捜索隊が、五十六に良く似た身代わりを連行する必要があります。全捜索隊の一覧表は次の通りです。


陸軍捜索隊の内訳


歩兵第二十三連隊長の命令より出動したもの

○蜷川軍医中尉を長とする捜索救助隊

○中村見習士官を長とする捜索隊


墜落を認め自主的に編成されたもの

○浜砂盈栄少尉を長とする捜索隊

○野砲連隊小隊長柴田少尉を長とする捜索隊

○高妻秀年見習士官を長とする捜索隊


海軍からの要請で輜重兵第六連隊から出されたもの

○阿部茂大尉を長とする捜索隊

○竹内睦祐軍医中尉を長とする捜索隊

海軍


海軍第一根拠地隊司令部の命令によるもの

○田淵義三郎海軍軍医を長とする捜索隊


佐世保鎮守府第六特別陸戦隊第司令の命令によるもの

○吉田雅維少尉を長とする捜索隊

○倉橋繁巳兵曹長・担架隊長

○野崎末男上機曹を長とする一個分隊による捜索隊

○永溝征紀兵曹長を長とする捜索隊

○水上航空隊


これら陸海軍併せて13グループある捜索隊が、それぞれ五十六に良く似た身代わりを用意したのでしょうか?13グループ全員が機密を守ったということなのでしょうか?浜砂氏が連行した身代わりの男だけが毒殺され、他の12人の身代わりはお役御免となり、陸海軍に箝口令が布かれ、五十六はまんまと逃亡した・・・非常にシュールな仮説です。


◎機上戦死の偽装


蜷川検死メモには顔面にも顎にも損傷は認められず、生存している目撃者全員も顔面はきれいだったと証言しています。翌二十日、五十六の遺体は大変な難儀の末に海岸に到着、発見72時間後になってようやく海軍の田淵義三郎軍医少佐が検死します。左顎下に貫通銃創を認めたのはこの時です。これが公式検案書となり機上戦死として発表されます。


私も田淵軍医が検死する前に死後損傷が加えられ、機上戦死が偽装されたことには同意します。しかしなぜそれを以て、逃亡説が成立するのでしょうか?


ヤコブ・モルガンの逃亡説をもう一度おさらいしてみましょう。


陸軍が連行した身代わりを毒殺した。

当然死体の顔は無傷だった。

これではまずいと渡辺安次らが死後損傷を加えた。

海軍軍医に機上戦死のカルテを偽造させた。

これこそ五十六が生きて逃亡した動かぬ証拠である。


何でわざわざ毒殺死体を用意させるのでしょうか?
機上戦死を偽装したいのに?
何で最初から貫通銃創の死体を用意しないのでしょうか?
これがいちばん簡単なのに?


何でわざわざ毒殺死体を用意して、
72時間後に顔面に損傷を加えて、
カルテを偽造させて、
それが五十六が逃亡した証拠?


訳分りません(笑


なわふみひと氏はもっと支離滅裂です。


なわふみひと氏の読書遍歴より
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1005-1.html


『このようなアメリカ(を支配する層)の巧妙な戦術に協力するために、体を張って真珠湾攻撃を主張したのが山本五十六という人物でした。この真珠湾攻撃が日米両国にどのような意味を持つものであったかがわかると、アメリカが2400人もの犠牲者を出しながら、本来であれば超A級戦犯とも言うべき山本五十六を全く批判せず、支配下のおいている日本の主要マスコミが今なお彼を英雄扱いしている理由が理解できると思います。しかも、山本五十六の死が全くの偽装死であったことは『山本五十六の最期』(蜷川親正・著/光人社)を読むとよくわかります。要するに、大東亜戦争(太平洋戦争)では、山本五十六を頂点とする海軍の中枢が結託して日本の敗戦のために動いていたのです。私たち日本国民がこのような真実を知ることこそ、先の戦争の犠牲者に対する、せめてもの弔いの意味を持つのではないかと思います。(なわ・ふみひと)』


上記のなわふみひと氏の論旨を裏付ける資料として、蜷川親正氏の本ほどふさわしくないものはありません。蜷川親正氏とアイクの本に限っていうと、なわふみひと氏が『読書』したという時、それは恣意的に読んだという意味しかありません。蜷川親正氏の本を『読書』」という言葉が持つ本来の意味で読めば、「五十六の死が偽装されたのは、海軍が意図的に見殺しにしたことを隠蔽するためである」という作者の強い怒りが伝わって来ます。  

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コメント
 
01. 2012年5月01日 12:37:52 : r9lznVvLPg
脱出方法はどうであれ、平成初期までブラジルで生きていた(とある本ではヒットラーと一緒に?)ことは確かであるから、大東亜戦争(日中戦争…真珠湾…日本敗戦・占領計画)の大参謀(米側)だったことは確実である。

02. 2012年5月01日 17:57:26 : FijhpXM9AU
そもそも東郷提督時代に遡って帝国海軍と英国海軍の間には腐れ縁があったから、上層部に英米とどういうコネがあったか分からないことに加えて、山本個人には次のような大きな疑問がつきまとう。

ハーバード大学留学の経歴

生来の博打好きで在米大使館付武官在任中はラスベガスを頻繁に訪れていた事実
(弱みを握ってくださいというような性癖だ。)

米空軍の生みの親とも言えるミッチェル准将と付き合いがあり、大艦巨砲時代の 終焉と航空戦力主流時代の到来を120%確信していたにも拘わらず、開戦の5年も 前に海軍次官に就任しているのに、大和型戦艦の建造計画を中止しなかった。信 濃が大和型戦艦から空母に計画変更されたのは1942年になったからだ。

大艦巨砲時代の終焉と航空戦力主流時代の到来という巨大な流れを考えれば、真 珠湾攻撃は大失敗であった。米海軍がもう大した使い道のない旧式戦艦半ダース をスクラップするのを手助けしたようなものだ。同時にまだ戦艦に愛着を持つ米 国民の反日感情を刺激するための絶好の材料を提供した。(当日真珠湾に空母部 隊が不在だった経緯も非常に不明朗)

*周知のように真珠湾攻撃当時太平洋艦隊司令長官だったキンメル提督とルーズベルトとの間には非常にうさん臭い経緯があり、そもそも1941年になってから、サンジエゴを本拠地にしていた太平洋艦隊をハワイに進出させたのはルーズベルト自身である。攻撃してくださいと言わんばかりに。この辺はイラクのクウェート侵攻の際にフセインに米国は介入しないと在イラク大使に言明させた経緯や、フォークランド戦争の直前にサッチャーがフォークランドを重要視していないとのシグナルをアルゼンチンに送っていた経緯にそっくりである。毎度お馴染みの戦争誘導作戦である。実は当事者同士は示し合わせているのだろう。最大の敗者は知らないで戦争に巻き込まれる一般国民だ。

===wikipediaより引用===
1941年2月1日、ルーズベルト大統領の太平洋艦隊へのハワイ真珠湾進出命令に反論したため更迭されたジェームズ・O・リチャードソン大将の後任として先任31人(46人という史料もある)を飛び越して米太平洋艦隊司令長官兼合衆国艦隊司令長官に就任、これに伴い中将を経ずに直接大将に昇進した。ルーズベルトの強引な人事の典型で、当のキンメル本人もこの決定には驚いていたという。しかし、大日本帝国海軍による真珠湾攻撃の責任から1941年12月17日付の大統領命令で司令長官を解任され予備役少将に降等。
===

この山本の戦死に纏わる指摘は信憑性が高い。山本は米国の超高級スパイだった可能性が濃厚である。この種の話は歴史上枚挙にいとまがない。西独ブラント首相の秘書が東独スパイだったギョーム事件、近衛首相のブレーンだった尾崎秀実がソ連のスパイだった尾崎事件。トップが以外と怪しい。防諜機関だった憲兵隊にしてもまさか海軍大将を容易に監視対象にはできなかったはずだ。以外な抜け道なのだ。

米国の工業力から言って、よしんば真珠湾攻撃で太平洋艦艇の主力空母2隻を撃沈したとしても、あっという間に10隻単位で建造する能力があったことは山本自身誰よりもよく分かっていたはずだ。それに真珠湾をやられて怒り心頭の米国民を相手に「短期の勝利で和平に持ち込む」ことなど絶対あり得ないことも、米国滞在の長かった山本には十分に理解していたはずだ。

この一連の流れには911などで見られた、典型的な工作の痕跡が至るところに見られる。所詮ペテンを完全に隠蔽することなどできないからだ。


03. 2012年5月01日 19:39:17 : FijhpXM9AU
トップが以外と怪しい、とは言ったが、空き缶や野太鼓はあからさまなエージェント売国奴なので、疑う余地がない異例のケースだ。とはいっても彼らにはスパイになれるだけの頭脳や資質は到底ないので、ただの手先、パシリという奴である。

04. ♪ペリマリ♪ 2012年5月02日 09:08:49 : 8qHXTBsVRznh2 : kPegQLRc9w
>>02
どうもどうも。
その情熱の一端を、
どうか昭和天皇大元帥に向けてください。
ポチ杉山元陸軍参謀総長が、
シンガポールが陥落した最大のチャンスに、
早期講和を奏上したのを一蹴して、
八百長戦争を続行させた主役です。
15年戦争の全期間、
彼の鶴の一言ですべてが動いています。
五十六プロパガンダの特徴は、
この大元帥陛下に絶対言及しないことです。


私が埒もない検証を細々と続けている訳は、
なぜ愛人プロパガンダが吹かれるのか、
どうして逃亡説がねつ造されるのか、
そもそも真珠湾攻撃は五十六の創案なのか、
という疑義を呈するためです。
02さま、
なぜ河合千代子という偽の愛人をでっち上げるのか、
なぜ見殺しにしたことを隠すために大野芳がデマと吹くのか、
その訳を教えてもらえませんか。

私は真珠湾攻撃は五十六の創案ではなく、
昭和天皇に押し付けられたものであり、
細部の肉付けは源田実の頭脳から生まれたもので、
五十六が大西滝次郎に依頼して、
大西が源田に研究を命じたというのは創作で、
最初から源田実の請負仕事だったと考えています。
海軍図上演習に先立って、
昭和天皇と五十六の図上演習がひそかに行われていますが、
主客転倒されて五十六の創案ということになっているだけだと思います。
及川海相にあてた開戦劈頭・・・という有名な手紙は代筆で、
五十六自身の構想だとは思っていません。
はっきり言って、
戦艦大和建造に五十六が反対しなかった(反対したとおもいますが)、
空軍創建に反対した(海軍航空部で尽力したのに)、
だから売国奴だという短絡的な説にはうんざりしています。


五十六がモナコに立ち寄ったこと、
将棋やトランプをやっていたことは確認できましたが、
賭博癖がありラスベガスに出没していたという事実は確認できません。
その資料元を添付してくださいませんか。
吉田茂の息のかかった外務官僚が、
文芸春秋の座談会で五十六のトランプはブラフだ、
かんたんに勝てると吹いている記事は確認しました。
この人物以外はそういう証言がありません。
大使館時代に懇意にしていた松平恒夫の娘節子の回想記には、
五十六とダンスしたり食事に連れて行ってもらったり、
それと同じような意味でトランプしたことについて書かれていますが、
五十六には不思議な勝負勘があったということ以外には記述されていません。
美和日記でさえラスベガスの記述はありません。


戦後いちはやく五十六プロパガンダを書いた淵田美津夫は、
GHQのゴードン・プランゲと二人三脚を組んでいます。
奥宮正武と組んでミッドウエー海戦の敗因をごまかす本を書いています。
座談会で澤地久恵にウソと指摘された奥宮が詭弁を使ってきりぬけた醜態を、
過去の文芸春秋の記事で読みました。
淵田美津夫は漢学の素養があり、特攻を嘉する文章をものしています。
彼はまた、現今いわれている五十六プロパガンダの、
そのひな型のほとんどすべてを造形しています。
淵田は真珠湾攻撃から原爆投下までを見届け、
戦史プロパガンダ決定本を作成し、
海を渡ってビリー・グラハムの一派として伝道した、
稀有な生涯を送っています。


尾崎秀実は近衛文麿とは直接関係がありません。
内閣嘱託として一室を与えられ朝食会に出ていましたが、
風見章秘書官長の手引きによるものです。
子息文隆に尾崎を近づけたのは秘書の牛場友彦です。
牛場友彦、西園寺公一、松本重治、白洲次郎らが、
どんな風に文隆をはめていったかについては、
過去の投稿に詳細を書いてあります。


近衛文麿のプロパガンダをせっせと書いていた松本重治は松方正義の孫です。
ハーバード大学でルーズベルトに接触していたのも松方正義の孫の松方乙彦です。
産経新聞の取材班によると、
乙彦は寄宿舎でルーズベルトの従兄弟ライマンとルームメートになり、
ライマンの妹ローラとは一時は結婚を約束するほどの恋仲、
27年後ゼネラル・モーターズ東京支社に勤める息子を伴って、
大統領となったルーズベルトに二度面会しています。


べラスコを推薦した外務官僚須磨弥吉郎は諜報組織に直結していて、
松本重治に裏情報を流していますが、
松本重治はロイターのチャンセラー、
ジャーデインン・マセソン商会のケデイック兄妹と懇意、
白洲次郎とは新聞紙に麻薬の上がりを包んでプレゼントする仲。
田布施システムの諜報部にはCIAと同じく「上流階級」の子息が入っていて、
それらの元締めはアヘン王の申し子吉田茂だというのが私の見解です。


近衛文麿と山本五十六を追っていくと吉田茂にたどり着きます。
私は日本の真の国家元首は吉田茂であるという検証をしてきたつもりです。
彼はそのことを顕示するために七賢堂を祀って伊藤博文を讃え、
皇居と同じ色の瓦屋根をふいた大邸宅を建て(禁色なのに)、
ワンマン道路を敷き(民草の血税で)、
前後を警官に護衛させて通勤し(てんのはん級のVIP扱い)、
孫娘を三笠宮に嫁がせてもいます。


私は吉田茂こそ田布施システム中興の祖だと認識しています。
原発導入の黒幕であり中曽根のご主人さまです。
瀬島隆三や迫水久恒が吉田茂の下にいたとは思えません。
吉田茂はM資金を必要としない財力源を持っていると思うからです。
11歳で養父の莫大な財産を受け継ぎ、
諜報のエリート教育を受けたCIAの傑作。
戦前から潜伏して八百長戦争の演出をした影の主役、
戦後占領期のグランドデザインの施工者、
その先はみなさんが現代につなげてください。
橋下徹とみんなの会も必ず田布施システムにつながっているはずです。


05. 2012年5月02日 11:37:04 : B27Z8CRZ7i
みんな、フリーメーソンだからね!

そして、大本は、天皇と皇族と公家たちでしょう!

何と言っても、天皇は、英国王室のガーター騎士団だからね!

日本の庶民は、建国以来二千年以上にわたって、騙され続けてきたわけだ!


06. 2012年5月02日 20:20:42 : uz4zqg3c5L
2番さん。そのほかさん。

日本を滅ぼすような歴史の書換えをしてはいけんぞ。証明できるのか。ユダヤの走狗か。

イルミナテイカードの歴史の書換え。国家民族の廃止。

あんたたちのしてることは戦後の日本否定の捏造と同じよ。


07. 2012年5月02日 20:23:33 : uz4zqg3c5L
上は間違えました。2番さんではなくて5番さんです

08. 2012年5月02日 21:53:59 : kLE5k9UOLA
歴史を書き換えて、日本民族を滅ぼそうとしているのは、日本政府と

その手先である学界・財界・マスコミなどの国家中枢だ!

もっとも、この連中は、日本原住民ではない、渡来系と気化系の人間だが!



09. 2013年8月25日 13:26:15 : XnPz1xQjC2
山本五十六は軍人なのに、映画スターのように、おそらくメイクも施し完璧な照明をあてて撮影した
ブロマイドのような写真があるのが気になる。
 とにかく、日本人の英雄のように祭り上げるためにハリウッド的発想で余計な準備したんでしょうな。アメリカらしい墓穴です。

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