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共同通信連載企画原発編 原発と国家 第1部「安全幻影」 負の遺産直視し創造 
http://www.asyura2.com/12/genpatu20/msg/905.html
投稿者 千早@オーストラリア 日時 2012 年 2 月 13 日 18:23:23: PzFaFdozock6I
 

去年5月〜6月の記事なので、転載されていないかチェックしましたが、まだだったようなので、一挙転載します。コードなど、間違いがないことを祈りつつ。
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第1部「安全幻影」

 東日本大震災と東京電力の福島第1原発事故は人々の暮らしを破壊し、日本を不安に陥れた。戦後史に刻まれた2011年3月11日。地震と津波は途方もないがれきの山を残し、原子炉から漏れ出した放射性物質との苦闘はいまも続いている。巨大な複合災害はこの国に何を問いかけているのか。危機管理の不在、原発安全神話、技術立国の過信、名門企業のおごり。隠れていた負の遺産を直視し、新しい日本を創る道を探してみたい。
http://www.47news.jp/47topics/e/tsukuru.html


@神話崩壊 目前の危機防げず 電動ベントに固執

<画像>東京電力福島第1原発。(左から)4号機、3号機、2号機、1号機=3月17日、共同通信社ヘリから
http://www.47news.jp/47topics/tsukuru/article/vol01.html

 3月12日午前7時すぎ、班目春樹(まだらめ・はるき)原子力安全委員長と一緒に自衛隊のヘリコプターで福島第1原発に乗り込んだ菅直人首相は、東京電力の武藤栄(むとう・さかえ)副社長を怒鳴りつけた。「早く説明しろ」。視察は、原子炉格納容器から放射性物質を含む蒸気を逃がす非常手段「ベント」を迫るためだった。

 1号機の容器内の圧力は未明に設計圧力の2倍を超え、危機は目前にあった。免震重要棟2階の会議室で武藤副社長、吉田昌郎(よしだ・まさお)所長と向かい合う。関係者によると、東電側は「作業員が手動でベントするかどうかは1時間後に決めたい」「4時間後なら電気を復旧させ、電動ベントができるかも」と説明したという。

 あくまで電源復旧に固執する東電。「悠長なことをやっている場合じゃない。どういう形でもいいから早くやれ」。首相は一蹴し、進んでいなかった作業は午前9時すぎから、手動での実施に向けようやく動き始める。

 ベントはしたものの、午後3時36分、1号機の原子炉建屋は容器から漏れた水素で爆発する。「ガタン!」。建屋に向かう乗用車と消防ポンプ車が巨大な衝撃で跳ね上がり、若手作業員は約100メートル先の建屋上部の屋根と壁がごっそりとなくなっているのを見た。

 近くの建物のガラスが粉々になり、破片が飛ぶ。免震棟の扉は枠組みが大きくゆがんだ。けがで足を引きずり逃げる人も。「被ばくして、もうじき死ぬんだな」。思いが頭をかすめた。

 3基の原発でメルトダウン(炉心溶融)が同時に進む世界初の過酷事故に見舞われた福島第1原発。人間の制御を離れ放射性物質を吐き出し続ける"怪物"と、なりふり構わぬ闘いが続いた。安全神話は崩れさった。

 東日本大震災が発生した3月11日の午後3時半ごろ。4号機の原子炉建屋にいた作業員(23)は高台の事務所へ逃げる途中、異変を見た。「あれ何だっぺというくらいの引き波だった」。防波堤付近の水位が信じられないくらい下がっていた。

 別の作業員(54)は強烈な揺れとともに「ごおー」という、うなるような音を聞いた。「早くしろ」。舞い上がるほこりにせき込み、数十人が殺到する出口へ。線量計を床に投げつけ外へ出た。

 「ステーションブラックアウト!」。午後3時37分、東京・内幸町の東電本店に置かれた非常災害対策本部で怒気交じりの声が飛んだ。原発の安全設計審査指針が「考慮の必要はない」と切り捨てていた長時間の全電源喪失が始まった。「どうして...」。中堅の幹部社員は立ち尽くした。

●70トンの塊

 炉心の燃料は、制御棒の挿入で核分裂反応が止まっても「崩壊熱」を発し続ける。電源を失い冷却できないとメルトダウンに至る。それでも東電はまだ時間的余裕があるとみていた。8時間は緊急冷却機器のバッテリーが稼働する。その間に外部電源を復旧させられればという期待があった。

 午後5時すぎ。東電は管内10の全支店に「福島に電源車をかき集めろ」と指令した。しかし地震や津波で道路は寸断、至る所で渋滞していた。「思うように進めない」。本店に悲鳴のような報告が次々に入る。

 1号機炉内ではこのころ、長さ約4メートルの燃料棒の束が高温で溶け、格納容器を満たした水が蒸発。午後7時半ごろ燃料がむき出しになった。やがて燃料を覆う被覆管が破れ、直径約1センチの燃料の塊(ペレット)が落下。12日朝までに全て溶け落ちた。底にたまった約70トンの塊は、容器を溶かして外に出れば、多数の人間を殺傷しかねない。

 午後11時、初めて東北電力の電源車が到着。自衛隊車両も含む十数台が集まったのは12日朝だった。しかし、敷地にはがれきが散乱し、建屋に近づけない。用意したケーブルも短すぎた。さらに「設備が津波で浸水し、無理につなげばショートする」(東電幹部)恐れも。大きな望みをかけた電源車は無力だった。

 免震棟では、居合わせた社員全員に呼び掛け、止めてあるマイカーのバッテリーを外して1号機に運ぶことまで試みていた。建屋脇に数十個のバッテリーを直列につなぎ、原子炉の水位や圧力を計る機器類の電源にしようとしたが、功を奏したかは不明だ。

●新たな爆発

 最悪のシナリオは3号機でも進行していた。13日午前2時42分、原子炉への注水がストップし、冷却機能が失われる。東電はその存在すら公表していないが、この日午前、放射性物質を含む蒸気が漏れ出した3号機の建屋に、6人の作業員が足を踏み入れていた。

 防護服に防水ジャケット、ボンベを背負った作業員が、取っ手をゆっくり回して分厚い扉を開く。真っ暗な内部をヘッドライトと懐中電灯がぼんやり照らし出した。「シュー、シュー」。酸素を供給する音だけが響く。

 電源を失った発電所で、高い線量にさらされながら続いた人力による復旧作業。建屋は翌14日の午前11時すぎに1号機と同様に水素爆発し、社員や、危険を知らされていなかった自衛隊員ら11人がけがを負った。

 15日早朝、2号機の圧力抑制プール付近で爆発音。約730人が敷地外へ一斉退避し、約70人が第1原発にとどまった。4号機で火災が発生し、退避した作業員もすぐに呼び戻された。

 東電は残留者を50人と発表、海外メディアは「フクシマ・フィフティーズ」ともてはやした。国家の危機に立ち向かう"決死隊"のイメージが膨らむ。だが、今も現場にとどまる20代の社員はひとりごちる。「残った管理職が出す指示はいいかげんなものが多かった。どんどん若手が現場に行かされた」(伊藤元修、鮎川佳苗、浅見英一)=2011年05月30日


A安全規制の失敗 「チェルノブイリ級に」 緊急チームは非公式 原子力安全規制の失敗

<画像>記者会見でうつむく原子力安全委員会の班目春樹委員長=2011年5月19日、内閣府
http://www.47news.jp/47topics/tsukuru/article/post_2.html

 東日本大震災から4日後の3月15日午後6時半、東京・霞が関の大臣室の一つで、後に内閣官房参与となる小佐古敏荘(こさこ・としそう)・東京大教授が、与党議員らを前に東京電力福島第1原発事故について、こう強調した。「チェルノブイリ級になるかもしれない」

 衝撃を受けた与党議員らは、小佐古氏ら専門家を中心とした非公式な「助言チーム」を直ちに結成。翌日には東電本店で初会合を開いた。

 会合には原子力委員会の近藤駿介(こんどう・しゅんすけ)委員長や経済産業省原子力安全・保安院の担当者らが参加。原子炉の状況や放射線防護などについて勧告をまとめ、一部は実現した。本来は原子力安全委員会が担う役割だが、班目春樹(まだらめ・はるき)委員長が参加したのは1回だけ。それも「わずか30秒で退席」(関係者)したという。

●軽いみこし

 安全委は、商用原発の安全規制を担う保安院の規制が適切かどうかを監視。事故時には専門性を発揮して政府に助言することになっている。

 だが、ある関係者は「実質的な規制権限を握る保安院が担ぎやすいように、軽いみこしになっている」と解説。組織の形骸化を指摘する。

 実権を握る保安院も十分に機能しているとはいえないのが現状だ。

 「経験不足の保安検査官に対しては、電力会社は勉強のための立会検査をわざわざお膳立てし、事前レクまで行う」
 ある原子力関連メーカーの関係者は、保安院など国の機関の専門性不足から、安全対策が電力やメーカー任せにされてきたと指摘する。

 東京大の城山秀明(しろやま・ひであき)教授(行政学)は「福島のような事故の最終判断は首相や経産相。電力会社が手順書で、事前に動き方を決めておくのは難しい」と指摘する。長年「原発は安全」とされてきたため、深刻な事故発生時の具体的手順の準備を進めにくかったという。

 米国などでは想定外の事態が起きる確率を基に、深刻な事故の想定に基づく対策が取られ、想定を超えた大洪水などの対策も実施されているが、日本では導入に至っていない。2006年改定の原発耐震指針ではこうした考えも一部盛り込まれたが「国民性になじまない」などとして、事業者が自主的に試行する段階にとどまっていた。

●弱体化

 人材難も深刻だ。政府関係者によると、今回の事故後に来日した米国の原子力規制委員会(NRC)メンバーは当初、保安院ではなく、防衛省と接触した。米国では、原子力潜水艦を扱う技術者がNRCに再就職する例が多く、海軍が人材供給源となっているためだ。

 日本の場合、旧日本原子力研究所などの技術者や原発メーカー、電力会社OBが規制の技術面を支えてきたが後継者は育たず、今後の人材難が懸念されている。

 米国流の複雑な規制手法を導入するには、行政側の専門性向上が不可欠で、人材難は安全規制の一層の弱体化につながりかねない深刻な問題だ。

 「国策民営」と呼ばれる日本の原子力の安全対策。城山教授は「国はこれまで事業者に丸投げしてきた側面がある」と指摘する。

 有効な原子力安全規制の不在、政治の危機管理の空白、業者任せの安全対策。原発事故があらわにしたものは多い。

 「保安院や安全委などを統合して、原子力安全規制を担う独立組織をつくる。その上で、自前の人材育成に努めなければいけない」―。城山教授はこう警鐘を鳴らす。(鎮目宰司、太田昌克)=2011年05月31日


B危機意識欠いた政治 「最悪」想定せず 噴き出した積年のツケ

<画像>記者会見で福島第1原発4号機の火災を発表し、20キロから30キロ圏内の屋内退避を呼び掛ける菅首相=3月15日、首相官邸
http://www.47news.jp/47topics/tsukuru/article/post_3.html

 3月11日の東京電力福島第1原発事故発生直後、臨時のオペレーションルームとなった首相官邸5階の会議室で菅直人首相はいら立ち、何度も声を荒らげた。「そんなことで俺を納得させられると思っているのか」。

 怒声は海江田万里経済産業相にも浴びせられた。新たな問題が起きるたびに右往左往する原子力安全委員会メンバーや経済産業省原子力安全・保安院の職員。「想定外」の事態に政権中枢は冷静さを失い、それを補佐すべき専門家にも先を見越した助言をできる人材はいなかった。

●政治の怠慢

 官邸の迷走の遠景には、原子力発電を国策として推進しながら、安全神話をうのみにし「最悪の事態」への備えを怠ってきた政治の姿が浮かび上がる。

 東電と保安院、安全委の対応に不信を持った首相は「セカンドオピニオンが大事だ」として母校・東工大の教授らを次々に内閣官房参与に起用。にわか仕込みの知識を振りかざし、思い付きに近い発言を繰り返した。

 4月18日の参院予算委。昨年10月の原子力総合防災訓練の内容を自民党の脇雅史氏がただすと、首相は立ち往生した。

 中部電力浜岡原発(静岡県)の非常用炉心冷却装置が故障するという、今回に通じる深刻なシナリオ。険しい顔で原子力緊急事態宣言を読み上げたはずの首相の答弁は「詳しい内容は記憶しておりません」。脇氏は「これは大変なことだ。総理が入って訓練をやる意味が全くない」と厳しい口調で追及した。だが、危機意識の欠如は菅政権だけの問題ではない。

●反省の弁

 安倍政権時代の2007年7月、震度6強の新潟県中越沖地震で東電柏崎刈羽原発(同県)の原子炉4基が緊急停止した。被害はタービン建屋外の変圧器火災などで済んだが、耐震設計基準を大幅に上回る直下型地震の発生は、全国各地の原発の安全性に重大な影を投げ掛けた。

 当時の甘利明経産相は急きょ電力各社トップを集め原発の耐震安全性の確保と防火体制強化を指示した。だが、官房長官だった塩崎恭久衆院議員は「冷却装置が止まったわけではないから、役所側もそう深刻に思っていなかった」と振り返る。

 「あれほどの地震でも制御が機能したため『日本の原発は大丈夫だ』と、逆に安全神話の補強材料に使われた」。以前から津波対策強化の必要性を国会で訴えてきた共産党の吉井英勝衆院議員はそう指摘する。

 1955年の原子力基本法制定以来、原発推進の旗を振り、電力業界と密接な関係を保ってきた自民党。菅政権批判の一方で「津波への備えに抜かりがあった点でじくじたる思いがある」(甘利氏)と、党内ではいま反省の弁も漏れる。

●民主の変質

 原発推進の経産省内に規制を担う保安院があるのはおかしい―。民主党は野党時代、公正取引委員会のような強い独立性と規制権限を持った「原子力安全規制委員会」を創設すべきだとして、2002、03年に法案を共産、社民両党と共同提出した。

 だが「原発に厳しい民主党」はじわじわと変質する。党エネルギー戦略委員会事務局長を務めた近藤洋介元経産政務官は、地球温暖化問題が最大の転換点だったと指摘する。「『原発推進』の腹を固めないと『温室効果ガス25%削減』はうそになりますよ」。決断を促した近藤に、党幹部は「その通り。推進でいい」と言い切った。

 昨年6月、増子輝彦経産副大臣(当時)は政務三役で原子力安全規制委設置に関し検討を始めると表明した。ただ「結論ありきではない」との注釈付き。規制強化の具体策はとられないまま、安全論議を後回しにしてきた積年のツケが3・11に噴き出した。(阿曽吉宏)= 2011年06月01日


C原子力の聖域 安全より立地優先 エリート中心に結束

<画像>事故対策統合本部の記者会見に臨む細野豪志首相補佐官(手前から3人目)ら=5月26日、東京・内幸町の東京電力本店
http://www.47news.jp/47topics/tsukuru/article/post_6.html

 大地震と津波が東京電力福島第1原発を見舞った直後の3月11日夕。東電本店からは原子力事業を担当する武藤栄(むとう・さかえ)副社長(60)がヘリで福島入りした。地元自治体などと対策を協議するのが主な役割だった。第1原発では吉田昌郎(よしだ・まさお)所長(56)が指揮を執った。

 東電本店と福島第1原発を結ぶ午前9時からのテレビ電話会議。海江田万里経済産業相、細野豪志首相補佐官らも聞いていた。

 「そんな危険な作業はできない」「事故は現場で起きているんだ」。武藤氏が14日に東京に戻っても、吉田氏が本店側の指示に反論し、作業プランを練り直させるのは日常茶飯事だった。

 米国留学経験もあり東電技術陣のエースとして育てられた武藤氏に対し、吉田氏は福島第1、第2原発で計15年近く過ごした現場派だ。事故直後から4月にかけ「作業の主導権は現場側が握っていた」(経産省幹部)。1号機への海水注入を吉田氏が独自の判断で続けた問題が発覚しても、武藤氏は吉田氏をかばった。

 どこの電力会社でも原子力部門は「聖域」とされ、武藤氏のような技術エリートを中心に、独自の秩序と結束を保ってきた。「原発だけは社長を社長として意識していないような異質な空気があった」。西日本の電力会社の元社長はこう振り返る。

●内向きの論理

 原発勤務の経験がある元東電幹部は「運転に問題のないトラブルなら、こっそり直してしまおうという雰囲気があった」と語る。

 2002年には原発でのトラブル隠しが問題になり、東電社長が辞任に追い込まれた。当時を知る技術者は「ずっとうそを重ねており、心の重荷になっていた」と振り返る。

 トラブルが明るみに出れば、原発の新規立地や増設が前に進まなくなる。これが隠蔽(いんぺい)の最大の動機だった。そして福島第1原発で7、8号機の増設計画を抱える東電では、この内向きの論理が変わることはなかった。

 東電の経営は、原発立地と政界工作を担う総務部門が長く支配してきた。しかし1990年代後半から電力自由化の流れが強まると、事業戦略を練る企画部門が主流になった。「原発は安全で当たり前。原子力部門は十分厚遇してきた」(元東電副社長)。いずれの派閥も原発の安全神話にもたれ掛かってきた。

●閉ざされた市場

 経産省の若手官僚は4月半ば、東電の原発事故賠償と電力改革に関する7ページの私案を首相官邸周辺に手渡した。

 私案には「福島第1原発の廃炉事業は別会社に分離」「大地震に備え電源(発電所の立地)を分散化」といった提案が並ぶ。目玉は「東電は発電会社と送電会社に分割する」という発送電分離論だ。

 経産省幹部らは「今はまだそんな議論をする時期ではない」と口をそろえる。東電はこれまで、政治力を駆使して発送電分離への動きを封じ込めてきた。しかし菅直人首相は5月18日の記者会見で、発送電分離の検討をいち早く表明した。

 発電事業への新規参入を幅広く認め、電力会社の送電線を使わせる―実現すれば、戦後続いてきた電力の地域独占体制は大きく揺さぶられる。

 「閉ざされてきた日本の電力市場には多くの富が眠っている」。米エネルギー産業と結び付いたワシントンのロビイストは、早くも日本に視線を向け始めた。(西野賢史)=2011年06月02日

<画像>記者会見する東京電力の武藤栄副社長=5月26日、東京・内幸町の本店


D技術育成の失敗 研究開発阻む安全神話 米国に「お願いリスト」

<画像>千葉工業大などが開発したロボットの「クインス」。がれきを乗り越えたり、階段を上下したりできる極めて高い走破性能が特長だが、一番乗りは果たせなかった=4月24日、千葉県習志野市
http://www.47news.jp/47topics/tsukuru/article/post_7.html

 「がれき撤去や放射線レベルの測定機能を備えたロボット、原子炉内に水を注入するための装置...」。福島第1原発事故収束のめどが立たない中の3月17日、米国に支援を求めるこんな内容のリストが外交ルートを通じて提出された。東京電力や経済産業省原子力安全・保安院を中心に関係省庁が協議してまとめた。

 外務省筋は「米国への『お願いリスト』のようなもの。自分たちだけで対応できないと考えた結果だった」と明かす。以降、海外からの技術支援による対策が動きだす。科学技術立国・日本の誇りはどこへ行ったのか。関係者は「東電タブー」の存在を口にする。

●先陣切れず

 高い放射線量が計測され続けた原子炉建屋に、事故後初めて入ったロボットは、米国の「パックボット」だ。「世界最高レベル」と賞される日本製は、これほど重要な場面で先陣を切ることができなかった。

 「パックボットは戦災地域への投入を前提とし大量に製造される商品。日本のロボットはせいぜい試作品が数十体。信頼性が根本から違う」と話すのは千葉工業大未来ロボット技術研究センターの先川原正浩(さきがわら・まさひろ)室長。

 同大などのチームが開発した「クインス」は国産で初めて、現場投入が決まった。ただ、だれでも使えるような操作マニュアルの整備や放射線に耐えるかどうかの確認など、実用への調節に長い時間を要したという。

 実はクインスは、がれきの走破性を競う世界大会で何度も優勝するなど、実力は折り紙付きだ。ロボット工学が専門の中村仁彦(なかむら・よしひこ)東大教授は「求める一つの性能に特化して極めるのが日本の研究開発の特徴。複数の能力を統合させ、"使える"水準に引き上げることは苦手だ」と指摘する。

●東電タブー

 同じような話は、放射性物質で汚染された水の処理の問題でも聞こえてくる。日本原子力研究開発機構の茨城県東海村の施設は、汚染水を蒸発させる方式の処理施設を持つ。今回採用されたフランス・アレバ社のシステムよりも能力は上というが、同機構の中村博文(なかむら・ひろふみ)・福島支援本部復旧支援部長は「導入するには何カ月もかかる。東電はすぐに使える"出来合い"の技術を求めた」と話す。

 高い技術だが使えない。原因はさまざまだが、大きな要因の一つは原発の安全神話にある。中村教授によると、国も研究者も「軍事目的」「原発事故」などの文言が入った研究にはある種の後ろめたさを感じるという。

 特に原発事故では「周辺住民に『安全』と説明している国が、重大事故を想定した研究を推進するわけにいかない」

 ある中央省庁の幹部も「東電の力は大きすぎて国も顔色をうかがわざるを得ない。東電が嫌がる研究など推進できない」と、タブーの存在を強調する。

●お蔵入り

 ただ原子力災害の対策がまったくないわけではなかった。1999年の臨界事故を受け、当時の通商産業省は30億円のロボット研究開発費を計上。開発に参加した企業は1年半で6台のロボット製造にこぎ着けた。

 だが電力会社も入った実用化評価検討会は、動作が緩慢なことなどを理由に「現時点では使えない」と結論。ロボットはお蔵入りした。

 「改良を加えれば十分使えたはず。開発しっぱなしではだめで、使う人の訓練も含め、技術の維持と継承が鍵なのだが」と開発に携わった製造科学技術センター調査研究部の間野隆久(まの・たかひさ)部長代理。

 別の専門家も「日本には原子力防災ロボットの市場がない。電力会社に買う気がないのではどうしようもない」と問題の根深さを指摘した。(浅見英一)=2011年06月03日  

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