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国賊、湯川秀樹博士がユダヤからノーベル賞をもらえた真相!! ノーベル賞はカスの賞!!(意識の宇宙)
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/406.html
投稿者 堀川 日時 2012 年 2 月 27 日 00:27:20: YXgkZLRTFAguM
 

http://issiki6.no-blog.jp/blog/2011/08/post_baa5.html

国賊、湯川秀樹博士がユダヤからノーベル賞をもらえた真相!! ノーベル賞はカスの賞!!
日本人にとっては科学者としての殿堂入りを果たしたような人物のバッシングをすると、またぞろ国際金融資本の作り上げた価値観の体系にどっぷりとはまり込んでいるような人物たちからの攻撃を受けるとは思うが、
8月2日のNHKによる福島原発での毎時5000ミリシーベルトの観測のニュースや東海、東南海、南海地震の顕著な兆候などを見る限り、もはや事ここに至っては最低限の前提を出しておきたいと思う。
.
湯川秀樹博士がなぜ国賊であるかということについては後で触れるとして、
福島原発事故により日本のみならず、世界に危機をもたらしてきたのは何か。
それは間違った科学の受け止め方と、権威主義に弱い、自分自身で調べたり、考えることをしてこなかった人々の怠慢によるものだ。
現在の科学は国際金融資本にとっての利益を優先して開発され、大変偏ったものだ。
そして、原子力に限らずその元は戦争に勝利する目的で開発されてきた。
さらに言えば、国際金融資本は軍事と金融システムと科学という宗教を使って世界の人々を騙し、支配してきた。科学は大衆を騙すための道具と化している。この結果してとして福島原発事故があり、日本全土が高濃度放射能被爆の被害を受けるという事態をもたらせているのだ。
湯川秀樹博士だけが悪いと言っているのではない。ノーベル賞など世界の人々を科学信仰のとりこにするような、権威主義にひれ伏してきた、そこで利権のおこぼれに与ってきた人々全ての責任なのだ。日本の原発推進派といわれるような科学者や技術者は殆どがここに位置する。
ほんの数年前、思い出して欲しい日本の多くの優秀な子供をもつ母親たちは子供を有名大学に進学させて「末は博士か大臣か」と期待して、厳しい受験戦争に親子で乗り越えるため一生懸命だったのではないのだろうか。博士や大臣でなければ国際金融資本の手先としての銀行や当時は高水準の株価を安定的に維持してきたそれこそ東電への就職内定を大喜びしたのではないのか。
この人々は根本的に間違っている。選挙では積極的に原発を推進してきた自民党に投票してきて、「もう日本は放射能汚染がひどいし、東海地震も心配だからから、マレーシアに行きましょう」
「ニュージーランドもいいわね」
たぶん、ピュアな意識には膨大なエネルギーが潜んでいる。
もしかすれば、これから予想されるいくつかの重大な危機のいくつかは、多くの人たちのピュアな意識のエネルギーで回避できるかも知れない。
だめでもともと、東海、東南海、南海地震のエネルギー分散を毎日24時に数分願ってみませんか。

湯川秀樹は日本で最初のノーベル賞の受賞者だ。
『ユダヤは日本に何をしたか』(成甲書房)渡辺悌治著
「戦時中、日本で一日も早くその完成が待たれていた、マッチ箱一つの大きさで戦艦一つを沈めうるといわれていた新兵器は、今日いう原子爆弾のことであった。そして仁科芳雄博士の研究では、実験段階ではすでに完成していた。しかし、その基礎理論が完結をみないでおり、理研内では研究員たちが手分けして研究にあたっていた。それが一応のまとまりをみたとき、これを一つの学説として発表してはどうかという案も出たが、軍の機密に属することでもあり、早計に外部に洩してはならぬという仁科博士の意見で発表は厳禁されていた」
仁科芳雄は、これも理科系の人なら知らない人はおるまいが、日本現代物理学の父と呼ばれた俊才である。1938年にドイツで原子核分裂と、核分裂で莫大なエネルギーが生じることが発見された。帝国陸軍は、理化学研究所の仁科にこの核分裂を利用して核爆弾をつくってくれないかと要請した。そこで仁科が、理論的研究に着手する。そして有名なサイクロトロンを発明し、実用化に向けて一歩を進めた。米国でも、1943(昭和18)年にマンハッタン計画が始まって、核爆弾の実用化が進められたが、同時に日本でも仁科の手によって、すでに実験段階での見込みは立っていたのである。
サイクロトロンは小型のものは1937(昭和12)年には完成し、1944(昭和19)年には200トンの大型サイクロトロン完成していた。ちなみにサイクロトロンとは、原子核の人工的破壊に用いるイオン加速器である。原子爆弾開発に必須の装置で、当時各国が開発にしのぎを削っていた。
ところが、である
渡部悌治氏はつづける。「(核爆弾の理論的完成をみていたものを)それを、当時理研にいた研究補助員の湯川秀樹が米国に売り渡したのである。米国は終戦後、湯川の功績を論功行賞としてノーベル賞を授与させている。日本の利益にはならず、米国のためになったことで褒美がもらえたのだ。」
これが、湯川秀樹がノーベル賞をもらえた経緯だ。繰り返すがノーベル賞は国際金融資本が世界の人々を騙して支配するための道具なのだ
今だ、こんな賞をもらったことをありがたがる連中が山ほどいる。  

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コメント
 
01. 2012年2月27日 01:38:32 : 2imecFZwcg
>が米国に売り渡したの

詰めが甘い
具体的に!

>すでに実験段階での見込みは立っていたのである。

????????


02. 2012年2月27日 01:41:11 : e6SdEWw9lQ
湯川秀樹の業績 --- 原子核中で陽子と中性子を束ねる力を媒介する中間子の予言はユニークな研究でしょう。その中間子が実際に発見された以上、文句なしにノーベル賞に値する。

それに、サイクロトロンについて --- 仁科率いる理研チームは、1937年に開発した磁極直径 65cm のものを、1943年にはより大型の磁極直径 150cm のサイクロトロンを完成させている。
しかし、1945年第二次世界大戦は終結時、この2基のサイクロトロンは GHQ によって分解され、東京湾に投棄されたとされる。(朝永振一郎の著作の中にもそのような記述があったと思う)
その後、1966年には3基目となる 160cm と大型で重イオンを加速できるサイクロトロンが完成された。これがその後、世界のさまざまな分野の研究者によって共同で利用されるようになり、理研はこの分野で世界をリードする研究機関の1つとなった。

>それを、当時理研にいた研究補助員の湯川秀樹が米国に売り渡したのである。

と言うのは何基目のサイクロトロンのことなんだい?


03. 2012年2月27日 02:03:54 : FkHorTY7b6
堀川は原発板に投稿する内容か少しは考えろ!
ほんっとにこの手のカス陰謀論者がザクザクいるなあ。

04. 2012年2月27日 02:10:47 : 1laTubqZew

湯川博士を国賊呼ばわりするな!!!

このタコが!!!


05. 2012年2月27日 02:20:07 : G3DdREoruw
力が働く所には粒子があるという一般的な原理を確立したとも言える業績。

06. 2012年2月27日 07:14:40 : twZ9Sf48zo
>ノーベル賞は国際金融資本が世界の人々を騙して支配するための道具なのだ

これは本当だと思うぞ。

何か、政治的な目的があって、それを側面補助するようなことはあったじゃないか。

たとえば、ノーベル平和賞なんかはそういう使われ方をした。


07. 2012年2月27日 07:19:51 : 63Rq6ELCUo
仁科芳雄は主に陸軍の原爆開発に関わっていた
一方、湯川秀樹は海軍の研究のみに関わったことになっている。

陸軍での研究の話はよく知られているが、海軍での研究の実態
は余り紹介されていない。


08. 2012年2月27日 07:36:31 : hOEfMUQc7T
おもしろい。 こんな見解もあったんだ。

09. エリック・カートマン 2012年2月27日 09:37:18 : T4maj2bRinWc2 : fyV1xhGN4A

湯川が原爆理論を米国に売ったという話は鬼塚氏も書いていたにゃ〜。

10. 2012年2月27日 10:11:01 : Wb3Tcvboz6
>「(核爆弾の理論的完成をみていたものを)それを、当時理研にいた研究補助員の湯川秀樹が米国に売り渡したのである。米国は終戦後、湯川の功績を論功行賞としてノーベル賞を授与させている。日本の利益にはならず、米国のためになったことで褒美がもらえたのだ。」

湯川秀樹は戦前に、最高の軍事機密ともいうべき研究論文を米国に送ったということだろう。
そうなら明らかな機密漏洩であり、利敵行為ということになる。
欧米的権威主義に傾倒してひれ伏し、自らすり寄っていたということか。
原発推進と同じで、科学者にはそうした節度も、道義的責任もないというところだろう。
戦前は「医科学はすべからく国防に資する」とテキストにも書かれていたはずなのだ。

同じ事が東北大学の八木教授もやっている。
1926年に画期的な新型アンテナの英文論文を海外に発表したが、これによってイギリスはレーダーを開発した。
レーダーの威力はその後の戦局を一気に変えてしまった。
遅かれ早かれ、権威主義、金儲けに走ると名誉も吹き飛んでしまう。


11. 2012年2月27日 10:20:16 : Wb3Tcvboz6
亡国の発明・八木アンテナの詳細

http://japan2671.seesaa.net/article/196275360.html
http://www.geocities.jp/hiroyuki0620785/yowa/yagi.htm
http://www.t-net.ne.jp/~kuu-sky/page032.html


12. 2012年2月27日 13:55:47 : dlp5rHUhkk
この際すべて疑ってみることが大切です。この賞は中国人がいないようです。掘り下げて再確認をしましょう。日本は65年間米国の支配下にあるのです。米国の作った憲法を大切にしています。沖縄の基地はどうしますか。独立国とは言えないようです。

13. 2012年2月27日 15:30:45 : 0rewhl0M05
ノーベル賞がいかがわしいのは良くわかる。

ベトナム人を皆殺しにしろ、と発言したキシンジャーが平和賞もらったり、素粒子物理の土台をつくった南部陽一郎が今までもらえなかったからだ。

しかし、湯川秀樹は日本の誇る科学者だ。たぶん日本で最高の頭脳だろう。

人間的にも偉く、世界の核兵器開発に反対したため、売国の文芸春秋とかの貴様や頭の悪いジジイが読む雑誌によく悪口をかかれた。

当時の日本には金も施設もなく核兵器つくる周辺技術など何もなかったに等しい。ただそれだけだ。
何もわかっていないくせして似非情報を妄信し、安易に人を非難し、害悪を撒き散らすな。

以上


14. 法務博士に愛を 2012年2月27日 15:48:19 : pq/XpR5fxBdSQ : 8rNCXQYiW2
良い記事です。これらしい噂を聞いた事がある。まとめてくれた堀川さんに大拍手。なお湯川は後年に世界政府運動(NWO)に貢献していたという。また同じくノーベル賞受賞者の朝永は湯川の売国行為補助者だったとも聞いたが、堀川さん知ってたら教えて。

15. 2012年2月27日 21:31:37 : i4V1iaW5tU
13さんのコメントが現時点では納得出来るものだと思う。

事実の検証はそう簡単な筈ではない筈。
誰もが納得できる証明無しに安易に人の名誉を棄損するものではない。
人品の卑しさが見なくても見えてくる。


16. 2012年2月27日 21:32:23 : ch63TIxq5E
中曽根や小泉純一郎が行った売国行為に較べたら、これは因縁をつけるような言いがかりの一種に属す、偏見に満ちた謀略史観に影響された意見に過ぎない。

17. 2012年2月27日 22:35:16 : NFtCVkuRmg
湯川秀樹はスパイだったのかもしれないけど、その場合でもサボタージュはしてないと思う

>>10
八木アンテナの件は、賢い人間の利用法を知らない馬鹿が日本を支配していたというだけの話なので、売国スパイの話と並べるのは無理筋(そもそも日本の学者筋でも業績を認めない人間が多かったという話も聞く)。>>11のリンク先を見てもそのような判断しかできない(>>11は嫌みのつもりでやったのか?)


18. 2012年2月27日 23:01:52 : Wb3Tcvboz6
湯川秀樹ノーベル賞と原子爆弾との関係
http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-589.html

19. 2012年2月27日 23:39:30 : Wb3Tcvboz6
>17
>八木アンテナの件は、賢い人間の利用法を知らない馬鹿が日本を支配していたというだけの話なので、売国スパイの話と並べるのは無理筋(そもそも日本の学者筋でも業績を認めない人間が多かったという話も聞く)。

それって湯川博士のことと重なるよね。

「賢い人間の利用法を知らない馬鹿が日本を支配していたというだけの話なので、売国スパイの話と並べるのは無理筋」というところで、当時の科学者が不用意に海外に英論文を出したことは正当化されるというわけだよね。


20. 2012年2月28日 00:09:24 : xBCjnJKZ3w
八木アンテナの発明者は宇田,八木は八木アンテナのことを評価していなかった.
あとはマスコミが作った妄想.実際の発明者はいつも闇に隠される.
これが日本の姿.

21. 2012年2月28日 07:04:58 : CMIOqpB0tc
>>19
日本には価値のわかる人間がいなかったから、誰も止めもしなかった、と

>>20
為にする嘘くさい。ソースがいるな


22. 2012年2月28日 08:39:15 : dgOsE0SR2k
>20

そのとおり。

教授の八木は自分の名前で、欧米での特許を取得しまくった。


23. 2014年4月16日 16:12:35 : TBuOK7pMMU
>>18

それは必読ですな。

>同じ湯川、絹永、坂田共著の『平和時代を創造するために』(1963年)の中で湯川は次のように書いている。

 ・・・それなら、その他の条件とは何か、また最終目標は何かという点になると、ラッセル・アインシュタイン宣言は、はっきりしたことは何もいっていない。ラッセルもアインシュタインも共に早くから世界連邦主義者であったから、おそらく両氏とも心の中では、最終目標として世界連邦のイメージを描いていたと思う。しかし多くの科学者の賛成を得るためには、そこまで飛躍しない方がよいだろうと判断したのであろう。私自身も世界連邦の理想には以前から大いに共鳴しているが、科学者の会議でそれをはっきりとだしてよいかどうかについては、いろいろと問題があったと思う。・・・

 この本は1963年に出版された。湯川は生涯、世界連邦主義者として活躍した。
 私はこの世界連邦主義を唱えた連中が、国際金融寡頭勢力から操られた人々であることを研究し尽くしている。その詳細は省くが、バートランド・ラッセルも、アルバート・アインシュタインも、原爆を日本に落とした金融寡頭勢力、ロックフェラー、モルガン・・・等の〔雇い犬〕であったと書いておく。

 世界を1つの政府が支配するという思想ほどに恐怖に満ちた思想はない。原爆を落とした奴らは、この思想を平和思想という。私は平和とか平和主義とかいう言葉を嫌悪する。この西洋からたれ流された「ピース」を拒否する。私たちは汚れちまった「平和」という言葉に代わる、新しい思想を打ち立てて、世界連邦主義者たちに立ち向かわねばならない。

 湯川は自分が原爆製造に関わったことをすっかり忘却し、ひたすら壇上から、平和主義と世界連邦を唱えた。
 広島と長崎で死んでいった人々よ、広島と長崎で被爆し苦しみの中に生きていく人々よ、汚れちまった「平和」という言葉に代わる、ほんとうに美しい言葉を生き残った私たちに教えてほしい。あなたたちが心の中で叫び続けた言葉をこの私に教えてほしい。私は今から、新しく、美しい言葉を探す旅に出よう。

 ★湯川秀樹ノーベル賞と原子爆弾との関係   <了>
 


24. 研究者 2014年7月06日 00:18:28 : sYr/HabX421uk : gTD3EfeOg6
当方研究者なのですが、湯川秀樹先生が国賊と思えるようなことをしていたようには思えません。
ノーベル賞受賞の理由としてはその成果が本当に素晴らしいもので、素粒子論の発展に繋がるような研究をなされていたからなのです。
また日本の国民のために奔走した人でもあり、原爆の抑止への運動死ぬ間際までやめなかったのです。

25. 2017年2月15日 11:47:02 : daBV5cPA7s : 5615KTI1N2I[36]
研究者 という語に怖れをなしているようです。
研究者が特に優れたいるわけではありません。
研究者の中の優れた人が 優れているのです。
研究者の99% は凡人です。

26. 2020年8月14日 14:38:18 : gnt0EPqfRo : bWJDUkpmdGQ5L0E=[5] 報告
投稿文に重複しますが、改めて読んでみてね。

心に青雲 旧ブログ
 
心に青雲・都築詠一さんは、平成29年8月69歳をもって永眠されました。ブログも削除されています。懐かしんでくださる読者のみなさんのために生前預かっていた「これでいいのか日本の魂」という2011年に編集された旧記事集から、一つずつアップさせていただきます。・・・・神戸だいすき敬白2017年8月26日

「旧・心に青雲」では皆様に過分なご厚誼を賜り、ありがとうございました。
思うところあって、こちらに過去記事の一部を移して、しばらくは残すことにしました。

旧ブログはこれも思うところあって廃止しようと思いましたが、どうしても残してほしいというご要望が多いため、一般には公開しない「プライベート・モード」に出来るサイトを選び、残す事にした次第です。http://bunomichi.blog.fc2.com/

2011-07-28(20:38) :

2018年05月07日


堕ちた偶像、湯川秀樹物語
http://kokoroniseiunn.seesaa.net/article/459218035.html


 ●昨日は鈴木大拙を取り上げて、文科系のろくでなしに言及したが、今日は理科系のろくでなしの話である。 
 
 ●湯川秀樹といえば、わが国最初のノーベル賞を受賞した人で、知らない人はいないだろう。その湯川秀樹こそが、ろくでなしなのである。

 ●渡辺悌治氏は『ユダヤは日本に何をしたか』(成甲書房)でこう告発する。
 「戦時中、日本で一日も早くその完成が待たれていた、マッチ箱一つの大きさで戦艦一つを沈めうるといわれていた新兵器は、今日いう原子爆弾のことであった。そして仁科芳雄博士の研究では、実験段階ではすでに完成していた。しかし、その基礎理論が完結をみないでおり、理研内では研究員たちが手分けして研究にあたっていた。それが一応のまとまりをみたとき、これを一つの学説として発表してはどうかという案も出たが、軍の機密に属することでもあり、早計に外部に洩してはならぬという仁科博士の意見で発表は厳禁されていた」

 ●仁科芳雄は、これも理科系の人なら知らない人はおるまいが、日本現代物理学の父と呼ばれた俊才である。1938年にドイツで原子核分裂と、核分裂で莫大なエネルギーが生じることが発見された。帝国陸軍は、理化学研究所の仁科にこの核分裂を利用して核爆弾をつくってくれないかと要請した。そこで仁科が、理論的研究に着手する。そして有名なサイクロトロンを発明し、実用化に向けて一歩を進めた。米国でも、1943(昭和18)年にマンハッタン計画が始まって、核爆弾の実用化が進められたが、同時に日本でも仁科の手によって、すでに実験段階での見込みは立っていたのである。

 ●サイクロトロンは小型のものは1937(昭和12)年には完成し、1944(昭和19)年には200トンの大型サイクロトロン完成していた。ちなみにサイクロトロンとは、原子核の人工的破壊に用いるイオン加速器である。原子爆弾開発に必須の装置で、当時各国が開発にしのぎを削っていた。

 ところが、である。
 ●渡部悌治氏はつづける。「(核爆弾の理論的完成をみていたものを)それを、当時理研にいた研究補助員の湯川秀樹が米国に売り渡したのである。米国は終戦後、湯川の功績を論功行賞としてノーベル賞を授与させている。日本の利益にはならず、米国のためになったことで褒美がもらえたのだ。」

 ●これが、湯川秀樹がノーベル賞をもらえた真相である。渡部氏は「まさに国賊である」と憤る。

 ●仁科がなぜ現代物理学の父といわれるかといえば、原子物理学で大きな足跡を残したこととともに湯川秀樹や朝永振一郎を育てた功績からである。しかし、仁科芳雄は1951(昭和26)年に亡くなっているが、湯川秀樹がノーベル賞をもらったのが1949年なので、還暦間近の年にどんな思いで裏切り者の弟子の報を聞いたのだろうか。

 ●だいたい日本人にはノーベル賞はおいそれと授賞できない仕掛けになっている。あれは白人どもの内輪の賞であり、もっと言えばユダヤの思し召しにかなった人間が授賞できるのである。昔、血清療法を発明した北里柴三郎が第1回ノーベル賞の候補になったと言われるが、湯川よりももっと功績があるにもかかわらず、北里は黄色人種差別ゆえにノーベル賞がもらえなかった。だから湯川ごときがもらえるのは不自然なのである。

 ●湯川のノーベル賞授賞は、よく敗戦でうちひしがれて自信をなくしていた日本人に、もう一度自信を取り戻させ、大きな力を与えたと教科書などに解説されている。湯川の授賞のおかげで理科系を志望する子どもが激増したものだった。

 ●湯川秀樹のノーベル賞授賞は、彼への論功行賞だったという面と、おそらく日本人に欧米文化の優位を印象づける目的もあったのではなかろうか。極東の文化果つる国(日本)にも、戦争で勝った欧米は公平に施しをしてやるのだぞ、というメッセージである。おとなしくし欧米のいうことを聞いていれば、湯川のように褒めてとらすぞ、と。奴ら白人の魂胆など、そんなところであろう。

 ●ノーベル賞以後、湯川は何にも新しい発見はなしえなかった。ただの研究者でしかなかった悲劇である。若い日に研究者として頂点に立ったものの、その後の長い人生を何の成果もあげえず、昔の栄光のみで担ぎつづけられたのも、本人には辛かっただろうに。

 ●湯川はすっかり物理学者ではなくなり(?)、代わりに彼が熱中したのは、国際平和運動やら反核、反戦運動であった。世界平和アピール7人委員会なんてものをつくって、ときたま「どこぞの核実験に反対する」などという声明を出すために記者会見を開くのみであった。最晩年はなんと東洋哲学を指向し、素粒子に関する国際会議であろうことか荘子の思想を講義するという“非常識”をあえてした。ところがなにせ日本で初めてのノーベル賞授賞者という権威のせいで、日本では誰も疑問をはさまなかった。バッカじゃないの。

 ●つまり中間子理論なるものは、湯川の功績だとしても、仁科に指導を受けての共同研究だったわけで、だから次ぎなる世界的発見はついに彼には訪れなかった。物理学者として一流だったとはいえないからだろう。

 ●湯川が晩年、東洋哲学に憧れ、極めんとしたのは、師・仁科芳雄を裏切って核理論をアメリカに売ったやましさをごまかすためだったのだろうか。

 ●京大出の湯川が東大系より先にノーベル賞をもらったことで、当時は東大より京都大のほうが頭はいいのだろうかとか、東大は官僚をつくる大学であって、学問がやりたければ京大に行くほうがいいなどと、噂されたものであるが、真相を知ってしまえばなんのことはない。ただの国賊物理研究者が仕出かしたイカサマだったというお粗末。

 もう一つ、サイクロトロン余話。

 ●核実験の一環として日本ではサイクロトロンが完成していたが、その実験用の原鉱石(ウランか?)が日本にはなかった。それで米国に発注したのだが、そうとう以前の発注した鉱石がなかなか輸入できなかった。むろん妨害されていたのだ。それがようやく船積みされてアメリカの港を出航する寸前、日米戦争に突入したため、ついに日本が核爆弾を完成するチャンスが消えた。もし原鉱石を入手できていて、日本が先に原子爆弾を持つことができていたら、惨めな敗戦は避けられたのかもしれず…惜しいことをした。●アメリカが原子爆弾を完成させ得たのは、仁科の研究成果と、ナチドイツからの技術(ドイツ敗北によって、科学者が米国に連れて行かれた)によるとも言われる。

 ●マッカーサーは日本にくるとまっ先に仁科のサイクロトロンを破壊している。

 ●いずれにせよ、第二次世界大戦はユダヤが仕組んだ大謀略戦争であったから、原爆にかぎらずすべてはユダヤ勢力の思うままだったのであろうが…。少なくとも湯川秀樹が核の情報をアメリカ=ユダヤに売らなければ、広島・長崎の悲劇は避けられただろう(いずれ原爆は完成しただろうが)し、原爆完成の見込みがなければ日本が申し出ていた講和ももっと早く締結され、多くの日本人が死なずに済んだはずである。それがわかっているから湯川秀樹は、後年、反戦、反核運動をやって(といっても声明を出すだけだが)、良心の呵責に耐えたのであろう。これが日本初のノーベル賞授賞物語の悲しい結末である。

このブログ主さんは反核なんだけど、内容は興味深いものがある。
湯川さんについては、ちょっと触れただけなのが残念。

  ↓


かのんぶろぐ


知られざる日本の原爆開発 「二号研究」「F号研究」
https://kanokanon.com/知られざる日本の原爆開発 「二号研究」「f号研/2020/08/11/

Wikipedia

日本の原子爆弾開発
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E9%96%8B%E7%99%BA

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