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東電社長への手紙A(つぶやきいわぢろう)
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投稿者 gataro 日時 2012 年 5 月 15 日 16:34:33: KbIx4LOvH6Ccw
 

(回答先: 東電社長への手紙(つぶやきいわぢろう) 投稿者 gataro 日時 2012 年 5 月 15 日 16:31:10)

東電社長への手紙A
2012.05.15 Tuesday


東電の会長が事故調で話をしました。
僕は全部を聞いているわけではないのですが、報道によれば津波の危険性は「聞いていなかった」と弁明しそして「事故の陣頭指揮は社長」だそうです。ご自身は何も責任を感じてないみたいですね。僕は会長や社長というトップは平時は何の役にも立たなくても、何かあった時のために高額な給料を支払われているのだと考えていますが、そうでもないようです。「悪いのは全部、他の人」…素晴らしい人生観です。ちなみにこの方の年収は事故前7300万円との報道もあります。すごい会社ですね。

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菅前首相の電話指示批判=勝俣東電会長「時間取られる」―福島原発事故で公開聴取
2012年 5月 14日 21:56 JST

 東京電力福島第1原発事故を検証する国会の事故調査委員会(委員長=黒川清・元日本学術会議会長)は14日、東電の勝俣恒久会長を参考人として招き、公開で事情聴取した。勝俣会長は菅直人前首相が事故直後、第1原発の吉田昌郎前所長に携帯電話で直接指示していたことについて、「所長は復旧に全力を尽くすのが一番大事。時間を取られるのは芳しいことではない」と批判した。
 勝俣会長は、事故前の津波対策について「新たな知見で設計ベースを変え、安全、品質管理の徹底を図ってきた。安全性最優先でいろいろな対策を取ってきた」と強調。「想定を超える大津波が原因で、分かっていればもっと対策ができた」と述べた。
 一方で、東電社内で10メートルを超える津波の可能性が検討されていたことや、スマトラ沖の大津波を受け2006年に原子力安全・保安院から全電源喪失の可能性を検討すべきだと指摘があったことについては、「当時は起こり得ないという判断が有力で、私のところまで上がってこなかった」と自らの責任を否定。「今振り返ってみれば対応すべき点は多々あり、もっと被害を小さくできた点もあると思う」と述べるにとどまった。 

[時事通信社]

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こういう人は被害者の訴えをどう聞いているのでしょうか?

昨日紹介した、大熊町の方から東電の社長に宛てた手紙の後半を紹介します。

<ある報道で『一号機は最初か欠陥品であった』と元技術者が言っていたとありました。またGEとの契約で海水ポンプなどの性能上高さも決められそれに従わなければ契約破棄すると言われ建屋の高さが決められたという報道もありました。私から見ても1,2号機の作りはひどいものという印象があります。この事故は対策を怠ったため起こるべくして起きた事故だと思います。

東電サイドの『東電敷地外に放出された放射性物質は東電の所有物ではない』 と除染は関係ないというような発言。また電力料金値上げに関しても『原発が稼働できなくなったため電気が足りなくなった。火力発電所を稼働させるので化石燃料が割高になり値上げをせざるを得ない。値上げは当然の権利である。値上げ分を賠償に使うわけではない。権利を行使させろ』などの発言。関東地方の消費者はそれで納得しますか?私たち被害者の賠償にまわすと思っていますよ。

平成23年度の新入社員だと思われる人物がブログに『そんなに東京電力を批判するなら東京電力の電気を使うな』というような書き込みをしたと言われています。もしそうだったとしたらその人物は天下の東京電力に入社したことを誇りに思っていたのでしょう。これも東京電力の教育だったのでしょうか?東京電力は社員の給料をいくらかカット(2割2年間)したようですが、それでも国家公務員以上だと聞いています。私たち普通の会社員から見れば夢のような給料です。年末のボーナスも出たようです。

今回の事故で私たち住民は何の説明もなく避難させられたのです。3月11日、私は会社に行っていたためわかりませんでしたが、地震後大熊町防災無線により『6号国道より東の住民はスポーツセンターに避難してください』と放送していた事を妻より聞き、まさか原発が危ないとは思わず『とりあえず避難するか』という軽い気持ちでスポーツセンターに行きました。

センターでは役場職員に『どうなっているんだ』と聞いても『何も分からない』という返事でした。東京電力はいくら非常時だったとはいえ『こういうわけなので避難してください』という説明義務はあったのではないでしょうか。『まさかこんな事故は起きまい』と安全神話を信じていた私たちがバカだったのでしょうか?

3月11日午後9時には政府が避難バスを手配して大熊町に向かわせていたのですから役場などを通して連絡や説明をする時間はあったと思います。そうしてもらえれば私たちは家に帰り貴重品などを持ってくることができたと思います。3月12日朝、私たち夫婦はこんないつ帰れるかわからないような長期避難になるとも思わず、すぐに帰れるだろうとお金も持たず、役場職員の指示に従って避難を開始しました。役場職員は『西に向かって避難してください』というだけでどこに行くのかもわかりませんでした。燃料切れの不安もありました。社長、貴方にこのときの私たちの不安な気持ちがわかりますか?

田村市都路に着いた時には『いっぱいになったから受け入れられません。西に行ってください』と言われ行くあてもなくさらに車を西に走らせました。そして田村市常葉に差し掛かった時、消防団の誘導により常葉町の体育館に避難することができたのです。その日は田村市船引体育館のこけら落としでのど自慢大会の予選の予定が入っていたそうです。原発避難を知らない人は『のど自慢の予選を見るのにこんなに車が来るのか』と驚いていたそうです。

常葉町の人たちは私たち避難民を暖かく迎えてくれました。寒い時期でしたが毛布、布団などもたくさん用意していただき、暖房器具、食料品なども用意していただきました。こんなにうれしい事は今まで経験したことはありませんでした。そこには東電社員も何人か避難していました。東電の名前の入った防寒着を着ていた人もいましたが、何日かすると名前のところをガムテープで隠していたようです。

東電の東京の社員寮が名前のところをガムテープで隠していたのと同じです。今まではよそで震災が起きても対岸の火事のような気持ちでテレビを見ていましたが自分がこういう場面に直面し皆さんの善意、好意がこんなにありがたいと思ったのは初めてです。少し経ってからボランティアで来てくださった常葉の方に『親切にしていただいてありがとうございます。なぜこんなにまで親切にしてくださるのですか』と尋ねたところ『昔、常葉大火の時に大熊町の消防団にはすごくお世話になりました。ですからその時のお礼をしなければと思いました。こんなことは平気です。私たちは当たり前のことをしているだけです。皆さん頑張ってください』という言葉が返ってきました。

私の記憶にないほど昔のことを忘れずにいてくれたのです。その言葉に涙が止まりませんでした。私たちは何日か経ってから常葉の人たちに甘えてばかりはいられない。自分でできる事、最低限食事くらいは自分で作ろうということになり、寄付していただいた食材で食事を作り始めました。しかし食事作りに出てくるのはごく一部の決まった人たちだけでした。これではまずいということで班を作って順番で作るようにしました。

こんなことは社長にいうことではないでしょうが体育館の広い場所にギュウギュウ詰めになりプライバシーもなく風呂も入れず着の身着のまま下着の交換もできず汚れた服を着たまま毛布にくるまり寝るのです。このような姿、社長は想像できますか?経験してみてください。

避難してから2週間くらいたったころだと思いますが、東電の社員が避難所を訪問してきました。しかし皆に挨拶をするわけではなくいくつかのグループのところに行き話をしていただけでした。全員に挨拶をするわけでもなく、事故の説明をするわけでもなく謝罪をするわけでもなく何をしに来たのかわからないまま帰って行きました。

4月3日、お世話になった避難所を後にするときも多数の常葉の人たちが見送ってくださいました。『頑張ってください。身体に気をつけてください』と声をかけていただきました。この時も感謝の気持ちで涙が止まりませんでした。私たちが復興できたときはこの時の気持ちを忘れず必ずお礼に行きたいと思っています。

その日、向かったのはまだ残雪がいっぱい残る裏磐梯の猫魔ホテルでした。5月5日は会津若松市の大江戸温泉湯屋あいづに移りました。それからしばらくして東電社員が何人かホテルを訪問してきました。しかし謝罪の言葉はありませんでした。『地震、津波のせいです。天災です。人災ではありません』と繰り返すばかりでした。本社から『余計な事は話すな。謝るな』という命令でもあったのでしょう。

今、震災から1年が経とうとしているのに賠償、補償が一つも決まっていません。私たちはこれからどうして生きていけばいいのでしょう?前に進みたくても進めないのです。私は農家で育ったため狭い部屋で過ごし何もできないのが非常に苦しみです。前回と重複して書いたところもありますが、少しは私たち被害者の身になって考えてください。東電は国の指針を盾にばかりしないで誠意を見せてください。お願いします。

コールセンターに電話した時に『東電としての指針はないのですか』と質問すると『精神的補償が国の指針では9月から5万円だったのを東電で10万円にしました』と大威張りで答えてきました。私たちの夢と希望を奪った東電の社員としての気質が疑われます。

私たちは東電の原発事故により土地・家・先祖・墓そして職業まで奪われたのです。この悔しい気持ち、社長にわかりますか?

今回の3.11東日本大震災の津波により多数の尊い命が奪われております。もし原発事故がなく捜索を行うことができたなら何人もの命が助かったでしょう。遺族の悔しい気持ちが伝わってくるようです。私の知人も奥さんと孫を亡くしています。別の知人は奥さんを亡くしていますし私の同級生も亡くなっています。

私の家は原発から3qほどしか離れていません。悲しいことですがほとんど帰還して住むことはできないでしょう。先祖・土地を奪われることになるのです。こんな悲しい事はありません。東京電力の事故のせいなのです。

・贅沢はいりません。事故前の幸せだった生活を返してください。時間を返してください・
・長期化する避難生活で精神不安定になりストレスがたまるばかりです。
・私は農家であり有機農業をおこなっていました。賠償が決まれば農業を再開したいのです。早く進めてください。若くないのです。再起するにもあまり時間がないのです。
・私は住める家があるのです。原発事故がなかったら帰って復興することができるのです。
・私たち被害者に謝罪の言葉をください。
・私たち被害者を人間と思っているのですか?私たち被害者もあなたと同じ赤い血が通っているのです。
・愛犬も色々な団体に保護をお願いしたのですが保護してもらえず9月初旬にとうとう死亡が確認されました。それまで誰もいない家を淋しく守ってくれたのです。愛猫も2匹いましたが何回かの一時帰宅時も姿を見せませんでした。恐らくどこかで亡くなってしまったのでしょう。連れだせなかったが悔しくてなりません。今頃になって『一時帰宅時にペットを連れだせます』と言われても遅すぎるのです。
・心の片隅にでも私たちのことを考えてくださる気持ちがあるのであれば、一言でもよいですから返事をください>


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コメント
 
01. gataro 2012年5月15日 16:35:59 : KbIx4LOvH6Ccw : GrcGrAAbrs
URLを落としていました。

東電社長への手紙A
http://blog.iwajilow.com/?eid=1071349


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