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「ちょっと待った!再稼動」秋山豊寛氏6/14たねまきJ(内容書き出し) (みんな楽しくHappyがいい♪) 
http://www.asyura2.com/12/genpatu24/msg/727.html
投稿者 赤かぶ 日時 2012 年 6 月 16 日 08:55:24: igsppGRN/E9PQ
 

「ちょっと待った!再稼動」秋山豊寛氏6/14たねまきJ(内容書き出し)
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2011.html#more
2012-06-16(07:58) みんな楽しくHappy♡がいい♪


宇宙から美しい地球を見てそしてTBSをやめ自給自足の生活を始められた秋山豊寛さんのお話です。
秋山さんが田舎の方で農業を始められたことは知っていましたが、
そこが福島第一原発から35キロの地だという事を私は知りませんでした。

事故当初の避難に関するお話から、
線量が高くても家に戻る地元の方々の思い
これからの日本の農業の姿、
今原発を再稼働させることの意味
そして、原子力ムラは日本国内だけの問題ではないことなど、
とても内容の濃い、大切な大切なお話だと思いました。

是非、広く皆さんに知っていただきたいと思います。


「ちょっと待った原発再稼働」秋山豊寛

2012年6月14日

今日は「ちょっと待った原発再稼働」という事で、
ジャーナリストで宇宙飛行士で京都造形大学教授で、
そして農家でもある秋山豊寛さんにお話を伺います。


千葉:
簡単にですね、あらためて秋山さんの経歴をご紹介しますと、
TBSで記者としてワシントン支局長を務められて活躍された後、
1990年に日本人初の宇宙飛行士として宇宙ステーションミールなどに搭乗されて、
そのあとTBSを辞められて福島県に移住をして農業をされていたという事ですけれども、
今回原発事故で農業ができなくなっちゃったということですね。

秋山:
私が住んでいたところは第一原子力発電所から32kmなんですよ。
で、そのちょっと前、手前に阿武隈高地の一番高い大滝根山がありますんで、
それが壁になて比較的、福島市とか郡山市に比べると放射線量は低いんですけれどもね、
やっぱりそこそこにありますから、
あの、12日に逃げだしましたね。3月の、去年の。

空中から、それこそ今日のニュースでもありましたけれど、
北西の方向ということは飯館とか、今随分問題になっている地域だと思うんですけれど、
もうベントが始まった、ベントではないと、汚染されたのはベントではないのかもしれませんけれども、
ベントが始まった段階で空中からセシウムが検出されたという事がございましてね、
私も一応チェルノブイリとかスリーマイルとかの取材をしてますから、
それぞれ5年後だった訳ですけれども、
84年のスリーマイルですか、5周年ね。
それからチェルノブイリ5周年が1991年の4月とやっていますから、
事故が起こったらどういう事が展開するか?っていうのは大体基礎情報として持っていましたんでね、
空中からセシウムが検出されたっていうことは炉心がやられないと出っこないはずなんですね。
で、その前から東京電力は福島県民に対して嘘ばっかり言っていたということですから、

彼らが発表した事よりも事実ね。
ようするに「空中からセシウム」という事実ですよ。
この事によってそうとう炉は危機的な状況にあると思いましたんで、
直ちに身の回りの物を軽トラに載せましてね、逃げだして、
最初は郡山っていう60km位の、
実はそっちの方が放射線量が高くなったんですけれどね、最終的には。
そこまで行ってしばらく様子を見た。
っていうのは、わたしの家には地上波の電波が入らない難視聴地域というね、
日本でも数少ないw

千葉:テレビが

秋山:
そう、中継局がわたしの家の真正面にある山の向こう側にあるもんで、
ですからCSバンドのテレビしか見られなかったんですよね。

千葉:衛星で

秋山:
そうです、宇宙から来るやつ。
なもんですからこういう緊急事態の時はやっぱり新聞が比較的手に入りやすいとかですね、
もちろんローカル紙しか当時は手に入らなかったんですね。
地元の福島民報しか。
東京本社で出している朝毎読売というのは、まず流通が遮断していますから、
全国紙というのは数日間手に入らなかった。
それでもやっぱりある程度都市のところにいた方が情報が入ると思って移動しまして、
しばらくいたんですけれどね、

そのうち外国人の友達、たとえば、「ドイツの大使館が大阪の方にね、領事館の方に移ったぞ」とかね、
「フランス人に退去命令が出たぞ」とか、
アメリカ人の人達に、アメリカではフェーズワンという言い方をしていますけれど、
「50マイル以内から退去せよ」というのが、原発事故の時は決まっているようですから、それが発令されたぞと。
これは、外国人たちはいったいどこから情報取ってるんだろうな、ってね。
テレビではもうもっぱら、あの首の短い官房長官、
名前がなんていうのかはちょっとど忘れましたけれども、

千葉:枝野さん

秋山:
あ、枝野さん。
一生懸命ね「直ちに健康に影響は及ぼすものではない」って繰り返しているだけで、
で、しかも現実にはですね、「大したことない」
あの段階で、14,15ぐらいの一番危機的な事態の中で私が気付いたのは、
「もう福島の住民は捨てられたな」という思いですね。

千葉:はぁーーーーー

秋山:
棄民されたっていう。
要するにお前らは、あのぅ・・・放射線でしょうがないぞとね。
そのパニックが全国に広まらないようにする、という広報しかしていないと感じました。

千葉:もう正確な情報はほとんど伝わらなくて

秋山:
正確なもなにも、15日の段階で菅さん自らね、
「空中の放射線量が相当高くなったから、みんな家の中に閉じこもるように」っていう事を言ったでしょ、
じゃあ「いつまでその閉じこもりが続くんだよ」ってこういう話ですよ。
また次々に爆発の映像なんかも映ったりしてですね、
「原子炉自体本体の安全は確保されている」って
お前、その「東京にいてそんな事言ったって、こっちの方はね、そんな事言ってられないよ」と。
上からどんどん放射性物質が降ってくる訳ですからね。
で現実に避難所のところは、もう15日過ぎには満杯ですよ。
福島県内の。

千葉:そんな状況の中、一旦郡山に出られて、で、そのあと、

秋山:
群馬県の方へ。
もうこれは福島の水道からですね、放射性物質が検出されたというのを地元の記者の人から聞きましてね、
「これはもう、この辺にいてはダメだ」と思って、
17日に群馬の方へ移動することになりました。
もうその段階では高速道路は使えませんから、国道4号線をビャーーーっと。
みんな福島ナンバーあるいはいわきナンバーって言いますけどね
福島は福島ナンバーかいわきナンバーなんですね。陸運局の関係で。
これがもう、4号線をずーっと南下する列が延々と続いていましてね、
だから群馬まで行くのに10数時間かかりました。

千葉:
そもそもですね、秋山さん、
農業を自分でやろうという土地として、福島を選ばれたというのはどうしてなんですか?

秋山:
単純に言うとね、あのーー、土地が安かったからなんです。
わたしの退職金とかね、なんかを集めてですね、買える土地と家を建てることとかね
そういうのを計算したら、どうも関東以西は高くて到底手が出ないということもありましてね。
それから、原発についてやっぱり、一種洗脳されてたんですね。
まさかあんなにひどい連中がね、

東京電力が嘘をつくというのも知っていましたし、
裁判で日本の原子力ムラが既に存在して
司法の部分でさえもね、原発推進派でしかないというのは分かっていましたけれども、
まさか、あんなにひどいね、無責任な人達がああいう危険なものを扱っているとは夢にだに思わないというね、
やっぱり僕自身も洗脳されていて甘かったんだと思います。


だから論理的にいざとなったら危ないよというのは分かっていても、
「まさか」っていうね、「起こんないだろう」みたいな気持ちが半部ありましたけれども、
ただしですね、
私が直ちに逃げだしたのは、小さい放射線検知器というのを買って持っていたんです。

千葉:あらかじめお持ちだったんですか。

秋山:ええ、
それは何故持っていたかというと、当時の通産省、今の経済産業省がですね、
40年を超えて運転するという方針を打ち出した時期があったんですね。
ですから福島の第一原子力発電所の1号機は炉とかなんかは、もう去年の段階で、
あの、2011年で廃炉になると僕は思っていたわけ。
40年で廃炉にするというのがアカデミックな世界で常識だというふうに思いこんでいたものですからね、
ところが政治的に延長しちゃった。
「これヤバいぞ」と思って、イザっていう事があるかもしれない。

で、それよりもですね、もっと前に浜岡の原発ね。
あれの方が危ないという事が一種僕らの中にあってですね、
だって、東北の地震よりも東海地震の方が先に来るみたいな、こう、一般的な認知があったと思うんですね。
ですから東海、
だから家族なんかにもですね、東京にずっといた子どもなんかにも、
「浜岡でなんか危険があったら直ちに利根川を超えろよ」と、
で、東北へ逃げて俺のところへ来いと。
とんでもない話になっちゃってね、

千葉:
今回秋山さんがお書きになった「原発難民日記」という本が岩波ブックレットから出るんですけれど、
その中で、秋山さんが一年以上前から鋭い指摘をされている部分がありましてですね、
47ページに載っている部分なんですが、

「汚染された食品はすべて東京電力と日本政府の責任のもとに処理するべきなのだ」と
「『がんばれ東日本』などと言って汚染された食品を全国に流出させるのではなく、
『頑張れ西日本』と言って、西日本の農家に国民のためにさらなる頑張りを求めるべきなのだということです」
というふうにお書きになっていますね。

秋山:
あの、今でも僕の友達がいっぱい東北に残っています。福島にも残っています。
でも、若い人、
ま、私の友達というと私の年代ですからね、まぁ70前後みたいな形になっちゃうんですね。
で、彼らにしてみればね、知らない土地に言って肩身の狭い思いをして暮らしたくないという、
それからご先祖様を大事にしたい。

川内村で、あの地域としては比較的早い段階で既存を進めた遠藤村長がいらっしゃるんですけれどもね、
彼とも何度も話したことが昔あるんで、彼は、とってもね、ある意味じゃインテリですよ。
政治的にね、村のボスとして村長になった人じゃないんですよ。
本当は先生になりたくてそういう関係の大学に行ったんだけども、
ご実家が村で商売をやってたものですから、父親が亡くなったのを契機に戻ってきて、
で、村会議員なんか、当然ね村としての市政という事でね、いろんな事をやっておられて、
そして最終的には村長になったんですけど、
彼なんかの話は、とっても僕は話すといいなと思うんですけれどもね、
たとえば柳田邦夫なんかをお読みになってて、柳田邦夫が言ってた事なんですけれど、

「美しい村が初めからある訳ではない。美しく暮らしたい村人がいて村は美しくなるのだ」

当り前ですよね、
要するに自分たちの生まれ育った地域を美しく保っていきたい、
そういうような事を言っている、ま、ロマンチストの部分もあるんですけれども、
だけどそれは政治家としてとっても正しい姿勢だと思うんですね。
その人がまだ汚染状態が非常に高いにもかかわらず、「戻ろう」
これはね、なんかの話があった時に、たいがい僕らは忘れちゃう事が多いんですけれども、
その地域地域の歴史があるんですね。
東北というのは反政府軍だったんですよ、明治の初めには。

千葉:戊辰戦争の時に。

秋山:
戊辰(ぼしん)戦争の影響でね。
ですからあの辺の地域の山、所有地だとか、
それこそ小繋事件(こつなぎじけん)で有名になった入会権(いりあいけん)とかね。
そういうのが全部明治政府によって取り上げられちゃった時期があって、
とにかく村の9割以上が森ですからね、そういうところだと暮らしが成り立たないんで、
何度も裁判所に訴えながら村に返還する運動をずーっとやってきた地域なんですよ。
それでようやく何十年もたって、
ようやく大正の終わりか昭和位になってから認められて戻った。

要するに「村を大事にする」っていう気持ちがね、そこに暮らしている、
何十代も暮らしている人たちの中で強いわけ。

そうすると、放射性物質で汚染された地域ではあるけれども、
「おれたちが取り戻したムラを放棄してなるものか」そういうものすごい気持ちが強い。
そういう中で僕らとほぼ同世代の人達にとってみれば、
「俺たちはきっとなんだかの影響で死ぬ可能性はある。
だけど俺たちがいて、ある時期汚染がそうとう放射性物質セシウム137だったら、30年位で半減化する。
あるいは60年でさらに変わる。90年で変わる。120年で変わる」

ですから、明治の時の森を取り戻した時の闘争と同じような感じでね、
「その地域を俺たちが守っていく」という、本当に悲しい決断がね、そこにあるんだなっていう気がするんですね。
だからそういうことの延長上に、
安全だから戻ろうじゃないんですよ。
俺たちの暮らしてきたご先祖さまとともにあった地域を俺たちが手放しちゃっていいんだろうか、
そんな気持ちだろうと僕は思っているんですけれどね、

農地は汚染されているし、
私のところだって厳密に測れば裏山なんか大変なもんですよ。
植物の中での生体内濃縮っていうのだって当然起こっていますからね。
ですから農作業することの中での危険だって当然あるわけですね。

ただ問題は内部被ばくの問題。
これは政府もなかなか、ま、研究も進んでいないらしいしね、
水や食物を通じて体内が汚染されている問題。
で、体内に取り込まれた放射性物質自体が、
射程距離は短くてもね、ずーーっと体内で放射し続ける。
直ちに健康に影響は起こさないでしょうけれどもね、やっぱり数十年後。

もっと怖いのは染色体の異常が発生することですよ。
たとえば、私自身がチェルノブイリで見てきたウクライナの病院のね、標本のところに
ものすごい数の、体内で被ばくして、まともな形にならずに死産した子どもたちの標本ですよ。

ま、日本では、
取材したけれどそういうのは残酷だという事で放映できませんでしたけれどね、
僕の眼にはしっかり映っていますね、未だに、
目をつぶれば浮かんできますよ。
これがやがて福島で起こる可能性があるという、・・・
残酷な話ですよ。

ですから今日のね、
再稼動なんて、
ハッキリ言っていろんな人たちが腰ぬけなんだな。
大事なことについて決断できないんだな。
本当の事について理解する能力がないんだな。
そういうとっても、なんか悲しい思いですね。

本当に悲しい。
どうして分かんないのか。

なんだ・・・福島の事についてね、関西の人って所詮他人ごとだったんだな
あの実態ということについて知ろうという努力はあったんだろうか
あったとすれば再稼動なんてありえないだろう

ああいう事が起こってしまったら、それこそ地元の判断なんて関係ないんですよ。
周囲何十キロって汚染されるんです。

関東だって赤城の山の有機農家は全滅です、事実上。
コメが安全だなんて言って出荷したって買う人間なんかいませんよ。
福島のコメを扱っていた問屋さんで潰れたのは何軒もありますよ。
そういう事が関西でも起こり得るんです。

だとするならば、食べ物については、今のところまあ、100%安全だとは思いませんけどね、
だけど比較的汚染されていない関西の土地で、ね、
減反率だって東北に比べれば関西、あるいは九州は高いんですよ。
場所によっては4割5割。

千葉:使われていない

秋山:
土地が多い訳ですよ、ね。
東北の方は農業食料供給地域だっていうんで3割ぐらいですよ。
だから、九州なり中国地方なり、あるいは近畿でも、
使われていない農地をね、もっと大事にするべきだと思いますね。

千葉:
秋山さん、そういう形で今まで丹精込めて作られてきた農地も、家も失われてしまったわけですけれども、
もう、今までのように福島で農業をするということは、諦めていらっしゃるんですか?

秋山:
あの、家はそのまま残していますし、
もう少し経ったら荷物もね、関西の方に持ってこようと思っていますけれど、
だから、ずっと僕はシイタケ農家だったんです。
他の野菜とか米は自給的なものでね、
ただもう、いい歳ですからね、
改めてこっちで雑木林探してね、シイタケ農家は難しいから、
関西だからね、京都はタケノコの名産地ですからね。
竹取の翁になって、やがて来るかぐや姫を待とうかっていう、こういう気持ちではあるんですけれども、
京都もなかなかそういう農地を見つけるのは難しいですからね、
一応大学で今若い人たちにね、一応僕も今先生やってるんですよ。

千葉:はいはい。京都造形芸術大学の、はい。

秋山:
で、大学の理事長にね、「大地に触れる」というテーマで、
若い人たちにそういう経験をさせて下さいというご依頼がありましてね、
今若い人たちに、要するに種をまく、そこから芽生える。
自然(じねん)っていいますね。
おのずから生じるという、そういう東洋的な何か場面を
無意識の世界にいっぱい積み重ねてもらいたいなっていう気持ちでいっぱいですね。

千葉:藤田さんいかがですか?

藤田:
わたしはひとつお伺いしたいのは、
秋山さんは宇宙飛行士として、宇宙から美しい地球の姿を見られましたでしょ。
で、そういう美しい地球がですね、その原発の事故で放射能によって汚染されたと、
そういうことについてどういう感想、どういうお気持ちを持たれましたですか?

秋山:
僕らは広島・長崎、それからネバダの核実験場、それから世界各地の核実験場。
そういうことで核の怖さというものは十分知っている筈なのに
にもかかわらず核による世界の安定みたいなことに幻想を持ってきたのですね。

だからその辺のところが変わらない限り、
悲しい事態というのは進行するかもしれないなと。

現に私たちの若いころの1960年代というのは
本当にアメリカとロシアが核戦争を始めるかもしれないという危機感にあったわけですよ。
これが無くなった後に僕らが今感じているのは、
「核の平和利用は幻想だった」という事に早く気づかないとね。
ぼくが好きな方で田中正造さんという方が、

千葉:足尾銅山鉱毒事件

秋山:
足尾銅山鉱毒事件で、明治天皇陛下に直訴を試みたという、
彼の言葉に
「真の文明は山を汚さず河を汚さず村を破らず人を殺さざるべし」

だから今やっぱり、地球に生きるものとしては、
文明って何なんだろう?本当の文明って何なのか?
これをきちんと私たち大人がね、自分の中で整理して、真正面から若い人たちにね、
「私たちが作ってきた文明には相当インチキなものがある。
お前たちにこんな文明を残したくないんだよ。
だけど、まァ、腰抜けだったせいかね、
愚かだったせいか、
過去に学ばなかったせいか、こんな事態になっちゃった」というような、
気付いた大人たちが若者たちにね、きちっと自分たちの愚かさを伝えていくべきだと思いますね。

千葉:
わかりました。
秋山さん、番組終わりにもちょっとだけ時間がありますので、
このままスタジオにいていただけますか、よろしくお願いいたします。

秋山:はい


千葉:
先程の秋山さんのお話に沢山メールが届いていまして、
「秋山さんのお話し録音しました」というリスナーの方ですが、
「政治家が福島を見捨てたという言葉、心の叫びを聞いた思いです」というメールです。
次のメール
「秋山さんの知名度を生かして福島で起きていることの恐ろしさを世界に伝えてほしいです」
というメールです。藤田さんいかがですか?

藤田:そうですね、わたしもそう思いましたですね。

千葉:
秋山さん、最後にですね、
最近マスコミに脱原発という文字がかなり出てきていて、
脱原発について考えられているという感じがするんですけれども、
本当に政府も役所もその方向に向けて、本当に動き出そうとしているんでしょうか?

秋山:
あの・・・
原子力ムラの構造というものは、僕は国際的なものだと思っています。
決して日本で完結するネットワークじゃなくて、
アメリカもフランスも、ね、
フランスの大統領が直ちに来たでしょ。
ロシアもそうですよ。
そういう国際的な、
原子力によって世界を安定化させようという人たちのネットワークというものはとっても大きいものだと思いますし、
ですからその人たちが「低線量の被ばくは大したことがない」という、
大したことないキャンペーンは続けるでしょうから、

そこのところでやっぱり、今逆に再稼働という事実そのものがね、
原子力ムラが再び力を結集してですね、
「あれは大したことなかったんだ」と、
「フクシマのことはね、通り過ぎて乗り越えて僕らはやっていけるんだ」という自信を回復した象徴だと思うんで、
「脱原発」という言葉が出てきたと言っても、
わたしは必ずしもね、全体がそういう流れにいくとは思えない。

だから今私たち、普通の人達が出来ることは、沖縄に学ぶことだと思っています。
沖縄の、要するに、なんていうのかな、一人一人の行動、直接行動も含めてね、
デモとかそういうものの報道ってあまりにも少ないですよ。
大集会をやったってちょっとしか報道されない。
こういうことによって私たちは心がめげてはいけないと思う。
一人がもう一人を納得させるという、ね、
その静かな広がり。
福島県民の怒りが静かに広がっていく。
そういうネットワークによって変えられる可能性はあると思います。
楽観視はしていませんけどね。


 

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