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エルピーダの「失われた13年」政府はもう衰退産業の「延命治療」をやめよ
http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/296.html
投稿者 MR 日時 2012 年 3 月 01 日 01:40:51: cT5Wxjlo3Xe3.
 

(回答先: エルピーダが会社更生法適用を申請、「日の丸半導体」とん挫  公的負担280億円発生で問われる産業政策   投稿者 MR 日時 2012 年 2 月 28 日 03:53:10)

日本経済の幻想と真実
エルピーダの「失われた13年」政府はもう衰退産業の「延命治療」をやめよ

2012.03.01(木)
池田 信夫:プロフィール

日本に唯一残っていたDRAM(半導体メモリ)メーカー、エルピーダメモリが27日、会社更生法の適用を申請した。負債総額は4480億円と、製造業の経営破綻としては過去最大だが、3年前に公的資金を受けて以来、慢性的に危機説が流れていたので、業界にそれほど驚きはない。むしろ「よくここまで持ったものだ」という声が多い。日本のDRAMは1990年代からずっと負け続けてきたからだ。
80年代は日本半導体の黄金時代

 DRAMは、コンピュータの記憶装置に大量に使われる半導体である。CPU(中央演算装置)などのプロセッサが固有の回路を持つのに対して、DRAMは縦横の格子で情報を記録する単純な構造なので、製品差別化がむずかしい。回路の幅をいかに微細化して大量の情報を記録するかが勝負になり、同じ性能だと価格競争になりやすい。

 かつてDRAMは日本メーカーの独擅場で、世界シェアの80%を日本が占めたこともあった。シリコンバレーには、その名の通りシリコンを使った半導体メーカーが集まっていたのだが、80年ごろから日本の電機メーカーが低価格のDRAMでアメリカの半導体メーカーを駆逐し、「日米半導体摩擦」が出現した。

 このころアメリカの半導体メーカーは「日本の電機メーカーがダンピング輸出を行っている」と政府に訴え、86年に日米半導体協定が結ばれた。91年には、日本市場における外国製半導体のシェアを20%以上に引き上げる数値目標が付け加えられたが、このころが日本の半導体産業のピークだった。

 その後、日本から技術移転を受けた韓国のサムスン電子などが低価格で日本の半導体のコピー品を作るようになり、台湾メーカーは回路設計を行わないで製造だけを請け負って低価格で半導体を製造するようになった。
産業構造の転換についていけなかった「総合電機メーカー」

 この背景には、半導体技術の急速な変化がある。

 日本がアメリカを抜いた80年代初めの16キロビットDRAMのころは、プロセスの大部分は手作業だった。「半導体農業」と言われた労働集約的な作業では、日本人のきめ細かいチームワークで歩留まりが高まったが、80年代末の1メガビットDRAM以降は製造が自動化され、半導体は無人の工場で大量生産できるようになった。

日本との競争に敗れたアメリカの半導体メーカーはDRAMから撤退し、インテルのようにCPUなど付加価値の高い半導体に集中した。こうしたメーカーは研究開発に特化し、製造をアジアの製造専業メーカーに委託して国際分業が進んだ。

 ところが日本の「総合電機メーカー」はメモリからCPUまで幅広く手がけ、開発から製造まで自社工場でやる自前主義で、どの分野でも勝てない中途半端な製品しかできず、失敗が続いた。

 こうした中で日本メーカーも、DRAMのようにコモディタイズ(陳腐化)して価格競争の激化した製品から撤退し、最後に残ったのが日立とNECだった。撤退しようとする両社を通産省(当時)が引き留め、合弁会社として99年にできたのがエルピーダである(その後、三菱電機も参加)。その社名は、ギリシャ語で「希望」。かつて世界に名を馳せた日本の半導体産業の最後の希望だった。

 しかし対等に出資した親会社から同じ数の役員が派遣され、「たすきがけ人事」で交代する中で、世界との競争にますます立ち後れ、破綻寸前になってスカウトされたのが坂本社長だった。彼は外資系メーカーの経営者を歴任したあとエルピーダの社長になり、大胆な改革を行って業績を回復させたが、それでも再建はできなかった。これは問題が経営手法のレベルにはとどまらないことを示している。
問題の先送りを支援した政府

 全世界で毎年、数百億個の製品が生産されるDRAMは、超ハイリスクのビジネスである。製品差別化ができないため価格競争が激しく、需要がコンピュータの売れ行きに左右されるため、「シリコンサイクル」と呼ばれる循環が大きい。

 特に2008年の「リーマン・ショック」後の世界的な不況でコンピュータの売れ行きが激減し、DRAMはその影響を受けて世界的な生産過剰になった。主力の2ギガビットDRAMの価格は、2008年には20ドル以上だったが、今は1ドル以下。世界中のメーカーが赤字生産の消耗戦である。

 エルピーダも大幅な赤字となり、2009年には産業活力再生特別措置法が適用されて公的資金300億円が投入された。このうち280億円程度が、今回の破綻で失われると予想されている。

 これが先例となり、ソニー・東芝・日立が中小型の液晶事業を統合して設立する新会社「ジャパンディスプレイ」にも、官民ファンドの産業革新機構が2000億円出資する。半導体大手のルネサス エレクトロニクスと富士通とパナソニックもシステムLSI(大規模集積回路)の事業統合を検討しているが、これにも産業革新機構が出資する方向だ。

 しかしこういう「負け組」企業の事業統合は成功したためしがない。半導体のようにコモディタイズした製品を、日本のように雇用規制が強く高コストの国で生産する意味はないのだ。エルピーダも生産拠点の海外移転を進めていたが、間に合わなかった。

 今までエルピーダに投入された技術力と労働力と(公的資金を含む)膨大な資金は、何も生み出さなかった。それは99年につぶれるはずだった会社の破綻を13年間遅らせただけである。半導体が「産業のコメ」などというのも昔の話で、DRAMの生産拠点を国内に残しても、何の波及効果もない。

 「産業空洞化」を防ぎたいという政府の気持ちは分かるが、無理な「延命治療」は結果的には問題を先送りし、労働者を未来のない職場に閉じ込めただけだ。90年代以降の日本経済の「失われた20年」をもたらしたのも、こうした先送りだった。

 エルピーダの「失われた13年」から政府や経営者が学ぶべきなのは、国内の「ものづくり」に執着せず、比較優位のない事業を捨てる決断力である。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34665  

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