★阿修羅♪ > 経世済民75 > 400.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
スマートメーターのゼネコン構造  戦争が人類の歴史を決めた
http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/400.html
投稿者 MR 日時 2012 年 3 月 15 日 22:38:19: cT5Wxjlo3Xe3.
 

昨夜のJBpressスマートメーターは電力自由化を阻む「トロイの木馬」の記事には、早くもたくさんのコメントが専門家から来た。専門用語を避けたためにかえってわかりにくくなった点があるが、私の勘違いもあったようなので、補足しておく。


まず、スマートメーター制度検討会で決まった仕様が各社バラバラになることについては、関係者から次のような回答があった:

  1. 関西・中国・四国・沖縄の4社は最低料金制で、アンペアに応じて課金していないため、リアルタイムの電流を計測する機能は不要(関電のメーターにはない)。したがって最低料金制の会社とアンペア制の会社が同じスマメを使用することは、コスト面から得策でない。



  2. スマメでは一般的に、30分間ごとの消費電力量を測定してデータを通信回線で送る。その目的であるデマンドレスポンス(需要応答)は、30分ごとの電力量(を時間で割った電力)に基づいて行うため、電流・電圧・電力の瞬間値は不要。
まず1については、不要なモジュールがあっても、使わなければよい。全国で同じ半導体を使うコスト優位のほうがはるかに大きい。特に今後、国際標準化が進むと、多くの地域で使うモジュールをワンチップに入れた半導体が出てくるだろう。



2についても、電力会社には不要かも知れないが、HEMSをきめ細かく行なうにはリアルタイムの情報があったほうがいい。スマメは単なる電力計ではなく、家庭やオフィスのエネルギー管理の司令塔だから、取れる情報はすべて利用可能にし、ユーザーが選べばいいのだ。小池良次さんもレポートしているように、アメリカのAMIやMDMSは多くのモジュールの中からサービス業者が選ぶ仕様になっている。



エコーネット・ライトについては、経産省の官僚から「物理層は電力線でなくてもよい」というコメントがあった。これはおっしゃる通りだが、それならわざわざ特殊なエコーネットを使う必要はなく、AMIのようにイーサネットにデータを吐き、あとは通信業者や家電メーカーがやればいい。



 



ところが経産省の決めたHEMSの仕様では、上の図のようにエコーネットは家庭内の「Bルート」に限定され、インターネットとつながっていない。経産省はオープンな「Cルート」も考えているらしいが、電力会社が検針データを出さない。AMIではスマメの情報をすべて無線インターネットで共有し、携帯電話などから家電を制御できるばかりでなく、ガスや水道の検針データとも統合が進んでいる(左の写真が電力、右がガス)。





検針データなんて単純なものだから、電気もガスも水道も同じデータ形式にしてスマメから無線インターネットに飛ばし、それをユーザーが用途に応じて選んで使えばいいのだ。AMIはそうなっているので世界標準の技術も使えるし、日本の家電メーカーの技術が国際標準になる道も開ける。ところがエコーネットは(形式的にはISO規格だが)日本ローカルの日の丸標準なので、輸出もできない。



これは日本が携帯電話のPDCで失敗したのとまったく同じパターンである。要素技術はすぐれているのに、ドメスティックなオペレーターが独自標準のプラットフォームで囲い込むため、ハードウェアが世界に売れず、結局は競争に負けて海外規格を採用せざるをえなくなる。そういう失敗を何度くり返しても、このように同じゼネコン構造が出てくる。日本はおもしろい国である。





戦争が人類の歴史を決めた

"War in Human Civilization

ホッブズは自然状態を「万人の万人に対する戦い」と考えたが、ルソーは原始時代には平等で平和に暮らしていた人間が私有財産や国家によって戦争を始めたと考えた。マルクスからレヴィ=ストロースに至る社会科学の主流はルソー的な人間観にもとづいているが、本書はこれを否定し、人類は200万年前から戦いを続けてきたという。



最近の考古学的なデータによると、世界のどこでも旧石器時代の死者の15%(男性の25%)前後が殺人によって死亡している。これは人類の顕著な特徴で、食糧や雌をめぐる争いはどの動物にもあるが、このように激しい戦いはみられない。しかし戦争を人間の「暴力本能」の結果と考えるのは妥当ではない。それは人間が道具を使うようになったことによる合理的行動なのだ。


動物の武器は身体そのものなので、攻撃する側とされる側はほぼ対等だが、人間が石で相手をなぐる場合には、先制攻撃する側が優位に立つ。特に相手が武器をもっていない場合には、武器をもつ側が確実に勝てる非対称性があるので、攻撃される側も武器をもたないと生命が維持できない。殺さないと殺されるので、人類の歴史の99%以上を占める狩猟採集社会では、戦争が日常的に繰り返されてきた。



多くの人々が定住して農耕を行なうようになると、こうした戦争機械の暴力を抑制するとともに他の集落の攻撃から自衛するために、特定の階級が武力を独占する必要が生じた。だから国家が戦争を生んだのではなく戦争が国家を生んだのであり、国家はTillyもいうように暴力装置を独占する組織暴力なのだ。



戦争は一定の地域で暴力の独占が成立するまで続き、その結果が国家の形態を決めた。中国などの帝国では広い平原で農業を行なうため、広域を支配する専制君主が暴力を独占したが、地形の複雑なヨーロッパでは広域的な帝国が成立せず、領邦や都市国家の戦争がながく続いた。その過程で16世紀ごろから軍事革命が起こり、武器の主流が銃や大砲などの火器に移った。



これが戦争の性格を大きく変え、戦士の技能や勇敢さよりも経済力が勝敗を決めるようになった。なぜ先進国だった中国ではなく、ヨーロッパで産業革命が起こったのかという歴史上の大問題の答を、著者はこの点に求める。皇帝が武力を独占して平和だった中国とは違い、つねに競争にさらされているヨーロッパでは、軍事力=経済力を維持することが文字どおり死活的に重要だから、資本蓄積のインセンティブが強かったのだ。



ヨーロッパの戦争はアジアにも拡大し、植民地から奪った富を資本として蓄積することで産業革命が可能になった。つまり資本主義を生んだのは植民地戦争で海外から収奪した資本の蓄積であり、近代社会は最初から国家資本主義だったのである。これはアリギなどのウォーラーステイン学派も主張するところだ。



資本主義は、戦争の性格を大きく変えた。農耕社会では戦争は領土を争うゼロサム・ゲームだったが、産業社会では貿易によって双方とも利益を得ることができる。特に西洋諸国が植民地分割を終了した20世紀には、彼らは戦争に代わって貿易によって世界を支配する戦略をとった。2度の世界大戦は、その秩序に挑戦する専制国家との間で行なわれたが、経済力でまさる民主国家が勝利した。



20世紀には史上最大規模の戦争が2度も起こったが、それでも戦争による死亡率はかつての狩猟社会よりはるかに低い。特に核兵器は、近代で最長の平和な時代をもたらした。それは核兵器が、相互確証破壊によって戦争の最大の原因である非対称性をなくしたからだ。反核団体の思い込みとは逆に、核兵器は人類の歴史上かつてない平和な時代をもたらしたのである。



戦争を中心にして歴史を描くのは最近の歴史学の流行のようだが、本書はその集大成ともいうべき大著である。800ページ以上もあるが、NorthーWallis-Weingastほど専門的ではなく、概説書として読める。左翼的な平和主義の幻想を断ち切るためにも、ぜひどこかの版元で翻訳してほしい。


 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧