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Q: 企業は賃金を上げるべきか
http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/166.html
投稿者 MR 日時 2012 年 5 月 14 日 22:03:05: cT5Wxjlo3Xe3.
 

『村上龍、金融経済の専門家たちに聞く』

   Q: 企業は賃金を上げるべきか 
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■今回の質問【Q:1262(番外編10)】

 80年代後半、大まかに言えば、「財政赤字&企業の貯蓄不足」と「家計の貯蓄超過」
が均衡していたが、 90年代後半以降、 構造が変わって、「企業&金融機関の貯蓄超
過」と「財政赤字」が釣り合う形になったという指摘があります。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20120426/231419/
 企業に滞留している資金を環流することが必要という指摘も同時にあるのですが、
その経路として、増配、自社株買い、それに賃金アップが上げられていました。日本
企業は、労働者の賃金を上げるべきなのでしょうか。
 
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                                  村上龍
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 ■ 土居丈朗  :慶應義塾大学経済学部教授

この議論で出てくる「資金過不足」は、国民経済計算(SNA)上では、純貸出・純
借入(かつて貯蓄投資差額と呼ばれていたもの)と概念上は同値です。貯蓄投資差額
と呼ばれていた時代にもISバランス論として盛んに言われたように、水牛さんも指
摘されている通り、部門間の資金過不足の増減関係は、因果関係ではなく、恒等式
(同時決定)の関係としてみなければなりません。

つまり、政府部門の資金不足を減らしたことに起因して、他の部門の資金余剰を変化
させる、ということが起こるのではなく、政府部門の資金不足が減ったと同時に他の
部門の資金余剰が変化する、とみるべきです。例えば、家計への社会保障給付削減や
増税が行われれば、政府部門の資金不足が減ると同時に、家計部門の資金余剰が減る
という形で恒等式の関係が維持されるのです。

さらに、国民経済計算の概念上、「資金過不足」は金融資産と負債のそれぞれの変動
の差額となります。資金不足であればネットで負債が増えたことを意味し、資金余剰
であればネットで金融資産が増えたことを意味します。その観点から言えば、どの部
門が資金過剰で、どの部門が資金不足だからといって、それが直ちに経済成長率と連
動するものではありません。

この論考でも提起されているように、1980年代の貿易摩擦以来、ISバランス論の観
点から経常収支黒字抑制策として内需拡大が唱えられました。とはいえ、それ以降も
我が国の経常収支黒字はずっと続いてきました(今後は異なる傾向になるとの予想も
ありますが)。その意味では、前川リポートで指摘された問題や解決策は必ずしも成
果を上げたとはいえない面があります。

しかし、どの部門にも貯蓄超過が出てこないような状況のすることが「最も望ましい」
わけでは決してありません。家計や企業、政府部門がそれぞれで必要な資金を(出入
りがあれども結果的に)自らが賄う状態にすることが、経済にとって健全な状態とは
とてもいえません。資金を借りる局面があってよいわけで、中長期的に見て債務者が
債務を返済できれば、適切な形で資金不足状態になる部門があってもまったく問題は
ありません(ただし、我が国の政府部門は、学術研究で財政の持続可能性に疑義が呈
されており政府債務を中長期的に返済できないかもしれないという規模なので、我が
国の(累積した)資金不足は問題視しなければならない規模といえます)。

そう考えれば、この論考の主眼であった企業にたまっている資金の環流に焦点を当て
れば、前述のように、企業部門が資金余剰を減らすことと、経済成長とは直ちに連動
するものではありませんから、還流するとしても還流の仕方が悪いと、経済成長を促
進できないかもしれません。直感的に見ても、芳しくないと理解できる極端な例を挙
げれば、企業の内部留保に高率の課税を即時に行うとすれば、確かに企業の資金余剰
はたちまちなくなります。しかし、それが政府部門に移転されたからと言って、無駄
な財政支出に用いられれば経済成長は促せず、企業の資金余剰を減らした甲斐がない
結果に陥ります。もちろん、この論考の著者はそんなことは一切考えていませんが、
政府部門を介さないとしても、企業と家計の間で資金移転をどううまく行うか次第で、
結果が変わってきます。単に、企業部門の資金余剰を減らす取り組みをできることか
らすればよい、という話にはなりません。

では、「日本企業は、労働者の賃金を上げるべきか」というこの問の主題に話を移し
ましょう。まず、そもそもの現状認識として、我が国の労働分配率は欧米諸国と比べ
て決して低いわけではないということです。そうなると、単純に企業は内部留保を多
く抱えるなら賃金を全体的に引き上げる、ということでよいとは限りません。

今ある企業の内部留保が、1997年の金融危機以降広まった企業の資金繰り悪化に
対する強い警戒感に基づくものがあるなら、それはいわば家計の「予備的貯蓄」のよ
うな側面を持っており、必ずしも直ちに流動性が必要ではないがいつ資金繰りが悪化
するかわからないという不確実性により内部留保を抱えているという性質を持ってい
ると考えられます。もしそのために、その不確実性さえなければ、配当や賃金として
分配してもよいと企業が考えているなら、その部分については、政府が市場の失敗を
是正すべく緊急時の資金繰りの対応をサポートする政策を講じるなどして、企業に資
金繰りの不確実性を除去するのを助けることで、配当や賃金の増加を促すことができ
るでしょう。

現状は、労働者の賃金を単純に引き上げるという状況にはないものの、企業の資金繰
りなど不必要な不確実性によって、それがなければ得べかりし賃金が内部留保として
留め置かれているならば、その不確実性を除去する政策を講じることを通じて、内部
留保(企業部門の資金余剰)を労働者に分配する、ということはありえると考えます。

                     慶應義塾大学経済学部教授:土居丈朗
                 < http://web.econ.keio.ac.jp/staff/tdoi/ >

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 ■ 杉岡秋美  :生命保険関連会社勤務

 個別の私企業に、日本国全体の資金繰りのことを考えて行動するのを求めるのは無
理があります。企業は基本的には以下のように思考し行動するものです。

 生産する財貨サービスの売り上げから、人件費を含むコストを差し引き、残った利
益を株主のものとして、一旦内部留保とします。内部留保は株主配当、自社株買とし
て株主に還流させるか、その企業の生産計画に基づき再投資にまわされます。

 ここで、企業に十分な売り上げと収益を見込める生産計画が存在するのなら、企業
は喜んで内部留保を投資に回し、生産を拡大し雇用も拡大させるでしょう。その生産
する商品が、人による付加価値が大きいと思われるものであるのなら、賃金を上げて
モチベーションを高めたり、優秀な人材を確保することが必要となります。人件費は
会計上の費用でも、実質は人材に対する投資だといった積極的な思考法の余地もでて
くることでしょう。

 このような良い生産計画に対する投資機会がないまま、賃金を上げて社員のモチベ
ーションがあがったとしても、ペイする見込みが立たず赤字を増やすだけでしょう。

 賃金を上げても企業の投資機会が増えるわけではないでしょうから、賃上げのため
には、有望な投資機会を先に探すことが必要になります。探しても見つからないのか、
努力が足らないのか分かりませんが、ここに日本経済のひとつの課題があることは確
かでしょう。

 内部留保を株主に配当したり積極的な投資もしないで、銀行預金のような消極的な
資産が多くなり、貯蓄超過になってしまう事情は、ほかにも存在します。

 それは、リスク懸念ということになります。企業がリスク回避傾向を強めたのは、
デフレが長期にわたって続くなか、円高、リーマンショック、地震などに見舞われ、
財務を保守的に保ち、思い切った設備投資などはしないほうが賢明であるという事態
に、合理的に対応した結果です。財務レバレッジを低くたもち、いざというときの待
機資金として銀行残高をたっぷり積んでいることが生き残りの条件であった時代が長
く続きました。

 デフレ下で生産設備のようなリスクの大きい資産を持つよりは、現預金は、結果的
に一番割りの良い資産だったことになります。

                       生命保険関連会社勤務:杉岡秋美

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 ■ 中空麻奈 :BNPパリバ証券クレジット調査部長


「モチベーションのための賃上げ」

 日本企業に限らずですが、企業活動とは生産・販売活動を通じて社会貢献をすると
ともに利益を最大化することを目的としているものと理解しています。株式会社の最
大の目的は、出資者である株主に、さらには経営者・従業員に最大利潤を還元するこ
とです。

 代表的企業の経営理念を調べてみると、次の通りでした。トヨタは、「この21世紀
が社会にとって真に豊かなものとなることを願い、人や社会、地球環境、世界経済と
の調和を図りつつ、モノづくり、車づくりを通してお客様、株主、取引先、従業員
等、「ステークホルダー」とともに成長する企業」を目指すとあります。日立製作所
は、「創業の精神である“和”、“誠”、開拓者精神“をさらに高揚させ、日立人と
しての誇りを堅持し、優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献すること」を
基本理念としています。また、ソフトバンクは、「何のために事業をしているのか、
何を成したいのかといえば、一人でも多くの人に喜び、感動を伝えたい」ということ
に尽きるとあります。いずれの企業も表現こそ違いますが、要は自らの活動を通じて
利益をあげ、関係者の幸福も高めながら、社会貢献に寄与します、ということを基本
理念としており、共通していると思います。

 しかしながら、企業家にとって自らの社会活動が国の財政やマネーバランスをどう
変えていくのか、ということを視野に入れた活動は意識していないのが普通でしょ
う。自分の使命を全うすることで関係者が幸せになれば、社会全体の幸せの総和が大
きくなるということではありますが、結果、マネーバランスが崩れる云々は意識外の
ことでしょう。よって、マネーフローという観点では崩れるのかもしれませんが、企
業にしてみれば、企業の論理から正当な判断を積み重ねただけでしょう。投資時期に
はお金がなく、かつかつだったのでしょうが、投資回収時期へとシフトし高度成長を
遂げた企業、その後、衰退期に入る段階では貯蓄過多になっているという単なるサイ
クルに過ぎません。それが日本の場合、ほぼ同時に起こっているがゆえ、マネーフ
ローの変調も来したということなんだと思います(イノベーションが次々起こり、新
しい産業が生まれ、そこにシフトしていくことができれば理想的ではありますね。た
とえば、第一次産業から第二次、第三次産業へシフトしたように、それが何かはわか
りませんが、第四次、第五次産業へのシフトが起こるというように!)。

 そう考えると、今回の問いは、実は前回の問いと同じことが含まれている気がしま
す。前回は停滞、あるいは衰退しようとしている企業は、成功企業のどういったとこ
ろを参考にすればいいのでしょうか、という問いでした。日本には、投資時期から投
資回収時期にシフトし、そこから停滞、衰退に移行する企業が多くなってきたのは事
実でしょう。そのため、企業はとりあえず、新たな投資活動を行うことより、内部留
保を維持することを選好するようになったわけです。でも、企業が、これまでの業績
を維持しようとするだけでなく、新たな成長の芽を見つけて、再び成長軌道に乗るよ
うに持っていくにはどうしたらいいのか、を考えれば企業のキャッシュをいかに使っ
ていくのか、にも影響を与えるでしょうし、ひいてはそれが成功企業のどういうとこ
ろを参考にすればキャッシュフローを新たに創出できるようになるのか、を考えるこ
とに等しくなってくるというように考えられるからです。

 クレジットの観点から言えば、企業がどういう資金繰りをするのかは重大な関心事
です。社債権者に対して発行した社債が返済できるような保守的な資金繰りをしても
らうことが高格付けの秘訣でもあります。たとえば、企業が利益を出したとします。
この利益をどう使うのか、企業にはいくつもの選択肢があります。大きく分けると、
二つ、使うか、貯めるかです。もちろん、使われるより貯めてくれるほうが、社債返
済のバッファーになりますから、内部留保として持つのは望ましいことになります。
使うとしても、?設備投資(や更新投資)に使うのか、?増配するのか、?自社株買
いや債券の買い戻しを行うのか、?従業員などに還元するのか、では違います。クレ
ジットから見れば、?以外はしかしながらネガティブなことですね。でも、?や?の
形での資本流出があっても、それが次の利益を生む糧になるなら企業体としては健全
でしょう。唯一?は社債権者から見ればちっともいいことはないので、財務内容次第
ではありますが過剰に株主を意識する企業には高格付けは付与できないことになりま
す。

 さて、日本企業は労働者の賃金を上げるべきか、という問いに戻ります。収益もあ
がっていないのに、あるいは、それによって、株主やそれ以外のステークホルダーに
利益が還元されていないのに、労働者の賃金だけあがるのは、ありえない話です。し
かし、ある程度の分配が出来ているのなら、社員に還元し、モチベーションを高める
ために賃上げするのは、積極的にやるべきことだと思います。意図せざる事でしょう
が、それによって、企業貯蓄が減少し、家計の消費が増大化することを通じて、マク
ロから見たマネーフローにも変化が生じてくるかもしれません。

 企業の投資回収があらかた終わってしまい、衰退していく時期に入ってしまえば、
企業経営もいかにその状況を長く維持できるか、になってしまいがちです。そのた
め、そうした時期に入ることが見えてきた段階で新しい投資を行って新しい事業の芽
を育てておくことは企業経営者としては欠かせない観点です。その間のキャッシュフ
ローは、必ずしも株主だけのものではありません。従業員のモチベーションを高め、
収益力につなげるために使うのは大変有効だと思います。

                 BNPパリバ証券クレジット調査部長:中空麻奈


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 ■ 北野一   :JPモルガン証券日本株ストラテジスト

 5月4日の日本経済新聞の「春秋」欄は、関越自動車で起きたバス事故とJRの鉄道
医の話を取り上げておりました。JRでは、一般企業でいう産業医のことを、鉄道医と
呼ぶそうです。「多くの人命を預かる鉄道会社にとって、従業員の健康問題はとりわ
け重い。だから運転士や車掌の心身状態や適性を、独自の視点で見極める医師が必要
なのだ」と言います。このように安全に心を砕いているJRでも事故は起きます。ただ、
それでも、このコラムの著者にとっては、事故を起こしたバス会社とJRの取り組みに
は大きな差を感じるようで、コラムを次のように締めくくっておりました。

「関越道事故のバスは金沢から東京方面に向かっていた。かつて寝台特急「北陸」と
急行「能登」が走っていたルートである。2年前にふたつの夜行列車が消えたのは、
使いやすい高速バスに客が移ったのが大きな理由だったという。新しい主役には、ぜ
ひとも相応の安全文化を引き継がなくてはなるまい」。

 今回の質問にある労働者の賃金については、例えば、マスメディアが話題にしてい
るバスの運転手の賃金や雇用形態もさることながら、このコラムの「鉄道医」に支払
われる賃金なども含めて考える必要があるように思います。それは、企業文化の問題
ではなく、むしろ経済の問題です。企業が競争しているのは、「価格」だけではなく、
コスト・パフォーマンスでしょう。そのパフォーマンスには、単純に人を北陸から東
京に運ぶだけではなく、安全性も加味されている筈です。価格が倍になる分、例えば
事故率が半分になるなら、本来は競争になるはずです。

 それでもJRの寝台特急が深夜バスに駆逐されたのは、価格下落ほどには安全性が劣
化しなかったのか、あるいは、消費者に質の悪化をうまく隠すことができたのか、そ
れとも費用と安全性に対する我々消費者側の価値観が、それこそ文化という意味で変
わってしまったのか、いろいろと考えることができます。事故を起こしたバス会社は、
その重大な結果に対して責任を問われるのは当然です。ただ、それ以前に、質の悪い
サービスを、それに見合った価格で供給していただけのバス会社がJRとの競争に勝っ
てしまうことは、やはり問題なのでしょう。

 我々が、収益性と生産性をきちんと理解していないから、こういう理不尽なことが
起きるのかもしれません。収益性の分子は、株主の取り分である収益です。分母は労
働投入量。一方、生産性の分子は、収益だけではなく、サービスの総量ともいえる付
加価値額になります。付加価値額には収益に加えて労働者の取り分である賃金などが
加わります。要するに、賃金を抑えて利益を増やすと収益性は改善しますが、生産性
は何も変わりません。付加価値額に変化がないからです。結局、生産性ではなく収益
性で競争すると、サービスを顧みない、すなわち鉄道医などに支払われる人件費を落
とした会社が有利になったりするわけです。

 では、なぜ、収益性が生産性よりも重視されるようになったのでしょうか。今回、
設問の中でご紹介頂いた論考(「消費増税の議論の前に、まず日本経済の構造変化を
直視しよう」樋原伸彦)の著者は、次のような問題意識をお持ちでした。「90年代後
半を境とした大きな変化は、企業が80年代の貯蓄不足から90年代後半以降の貯蓄超過
に転化したことだ。様々な理由が考えられるが、投資機会のファンダメンタルな不足
に加えて、金融システムが90年代後半以降不安定になったことで、企業サイドが不測
のキャッシュ不足に備え自前で対応しようという極めて防衛的な動機が大きいと考え
られる」。

 私は、基本的にこの著者の見方には賛成です。90年代後半を境に企業が貯蓄不足
から貯蓄超過に転化した結果として財政赤字が増加したのだと思います。ただ、企業
行動の変化の要因は、グローバル化(具体的には株式の外国人保有比率の上昇)を背
景に、資本コストが上昇し、同時にそれを上回るROEへの期待が強まったことだと思
います。そのROEを改善するために、ほとんどの投資家は企業に収益性の向上を求め
ております。企業が手っ取り早く収益性を改善するには、賃金のカットが有効です。

 日本企業が賃金を上げるべきかと言えば、上がった方が良いとは思いますが、その
ために考えるべきことは、そもそも日本に相応しい資本コストはいくらなのか、とい
う議論だと思います。国内の投資が振るわず、労働者の賃金も減っているのは、要求
される資本コストが高すぎるからではないでしょうか。財政赤字の解消に向けて、増
税云々もさることながら企業行動まで遡って考えることは重要です。では、その企業
行動を律しているものは何か。それを考える上で、資本コストの問題は避けては通れ
ないと思います。

                 JPモルガン証券日本株ストラテジスト:北野一


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 ■ 水牛健太郎 :日本語学校教師、評論家

 上記の議論なのですが、若干錯綜しているというか、紛らわしい書き方になってい
るところがあります。80年代後半に「家計の貯蓄超過」が「財政赤字&企業の貯蓄不
足(&経常黒字)」と均衡していたが、それが構造が変わって「企業&金融機関の貯
蓄超過」と「財政赤字(&経常黒字)」が釣り合うようになった、という指摘は正し
いのですが、それはそれぞれの要素が「原因と結果」の関係にあるからではないので
す。

 分かりやすく言うと、上記の各要素は会計の「借方と貸方」みたいな関係になって
います。複式簿記の帳簿の右と左が必ず同額になるように、計算上必ず釣り合うよう
になっているのです。誰かが貯蓄しているお金は、タンス預金でもない限り、誰かが
借りている計算になるからです。財政赤字というのは政府が借りているお金ですし、
経常黒字というのも、計算では外国にお金を貸しているのと同じになりますから、上
記の計算に入ってくるのです。

 財政赤字を削減すると、国債の発行額が減るわけですから、企業なり銀行なりはほ
かに余剰資金の振り向け先を探すことになります。株かもしれないし、社債かもしれ
ないし、住宅ローンとか、外国に投資するかもしれません。国内の株なり社債なりに
投資した場合には同じ企業部門ですから、計算上「企業の貯蓄超過」は減ることにな
りますが、投資はしているわけですから、別に企業部門の投資額自体が減ったわけで
はありません。だから需要不足といった問題とは直接結びつきません。

 こういったことは上記記事の筆者の方は当然理解されていると思いますが、書き方
が若干紛らわしいので、マクロの需給ギャップの問題と会計上の問題が混同されてい
るような誤解を招いています。ただ、財政再建を進めた場合、当然政府支出は減るの
で、会計上の問題は別としても、需給ギャップが深刻化するというマクロの問題はあ
りますし、また、企業の国内投資が低調であるという問題もあることは確かだと思い
ます。

 ただ、日本企業は最近海外投資は極めて積極的に行っています。M&Aや海外生産拠
点・店舗網などの構築、海外での雇用などです。それは各自の企業が、海外の方が国
内よりも期待リターンが大きいという判断で行っていることで、人口の減少が続く国
内市場の状況などから見て、あながち間違っているとも言えないでしょう。

 増配や自社株買いは、株価を上げて資金調達をしやすくするのが基本的な目的です。
賃金をアップするのは、従業員の働きに報い、正当な利益分配を行って、モチベー
ションを上げるのが目的です。企業は経済合理的に動くもので、それが強みでもあり
ます。個々の企業に対して「貯蓄を家計部門に還流すべきだ」と言ってもあまり意味
がありません。

 ただ、マクロ的な政策としてならば、ありうる考え方の一つだろうと思います。要
するに再分配政策の一種でしょう。家計にお金を回して、もっと消費してもらうとい
うことを考えるのならば、増配・自社株買いよりも、賃金を上げる政策を取るべきで
す。増配や自社株買いは株式投資をしている富裕な家計の所得を上げることになりま
すが、富裕な家計は消費よりも貯蓄に回る割合が高いからです。賃金を上げるために
は、最低賃金のアップや、労働組合を援護して組織率の上昇を図るといったことにな
ると思います。

                     日本語学校教師、評論家:水牛健太郎

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 ■ 真壁昭夫  :信州大学経済学部教授

「日本企業は賃金水準を引き上げるべきか?」

 従業員の賃金水準を引き上げても十分に競争力を維持できる企業であれば、従業員
の給与を増やすことは選択肢の一つだと思います。給与が上昇すると、一定の消費が
増えることが予想され、結果的に、企業の懐に滞留している資金の循環が進んで、経
済成長を促す効果が考えられます。

 配当を増やすことによって株主に資金を還流し、その資金の一部が消費に回ること
も考えられます。あるいは配当増加分が投資資金として市場に戻ってくれば、その資
金によって株式市場が安定した展開になることも想定されます。さらに、従業員が自
社株式の購入に向かうと、それもまた株式市場の安定性を促進する可能性が高まりま
す。それらはいずれも、経済活動を活発化させる要因ですから、企業が貯めこんで使
わないでいるよりも、経済全体にとってプラスの効果があると思います。

 しかし、企業が蓄えている資金を使う方法として最も効率的な方法は、企業が、滞
留している資金を自社の事業展開のために積極的に使うことでしょう。問題は、90
年代初頭のバブル崩壊以降、わが国企業にとって、投資妙味がある期待収益率の高い
案件が少なくなっていることです。

 一般的に企業は、自分が保有する資金のコスト=広義の資本コストと、投資案件の
期待収益率を比較して実際の案件を実行するか否かを検討します。例えば、企業の資
本コストが5%で、ある投資案件の期待収益率が8%であれば、当該企業はこの投資
案件を実施することが有利であるという結論が出てきます。

 企業の懐に多額の資金が滞留している理由の一つに、企業の資本コストを上回る収
益を期待できる投資案件が少なくなっていることが考えられます。そうした投資案件
が少ないと、企業は将来の投資案件に備えて、資金を内部留保することになるからで
す。ということは期待収益率の高い投資案件を沢山見つけることができれば、自然と
企業の滞留資金が減ることになるはずです。

 逆の見方をすると、企業が収益率の高い案件を見つけられない為に資金が滞留し、
企業の事業拡大やイノベーションが進んでいないという言い方もできると思います。
企業の業務拡大が思ったほど進まないことは、90年代初頭以降のわが国経済の低迷
の一因になっていると考えます。

 80年代中盤以降のバブル期、わが国企業は積極的な設備投資を行い、生産設備を
拡充し事業規模を拡大しました。問題は、バブル期に高いコストで実行した設備投資
の競争力が相対的に低かったことです。生産設備の競争力が低いと、そこで作られた
製品の競争力も低くなります。90年代初頭以降、多くのわが国の製品は、中国等の
新興国から入ってきた安価な製品群により、大きな痛手を受けました。その学習効果
が働いたこともあって、わが国企業の経営者は設備投資や事業拡大に慎重な態度をと
るようになりました。

 それに伴い、企業経営者の行なう案件のリスク査定が厳しくなりました。或る意味
では、そうしたスタンスは"羹に懲りてなますを吹く"という状況だったかもしれま
せん。その為、企業の投資スタンスはより慎重になり、よほど安全性が高く、しかも
それなりに高い期待収益率の案件でないと実行に移すことが難しくなりました。

 そうした状況を打開するためには、今までのしがらみや、バブル期の失敗に臆する
ことなく積極的なスタンスを採れる若い経営者が必要かもしれません。あるいは、今
までの価値観や常識から外れた経営者が良いかもしれません。さらには、わが国の人
とは異なる視点でものを考えられる人材が有効かもしれません。いずれにしても、今
までとは違った尺度でものを考えられる人材が、潤沢に溜まった資金を有効に使って
くれることがベストの選択だと思います。

                       信州大学経済学部教授:真壁昭夫

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 ■ 立原遼:評論家
「さよなら春闘? 新しい<調整様式>に関する考察」

 世界の円滑な運行に必要な事は、その世界を調和させる何らかの<調整様式>の存
在であり、その調整が順調に機能しているか、異なる思惑と思惑、異なる正義と正義、
異なる世界に内在する小世界同士の利害をどこかで一致させえているか、それが実は
とても重要な事なのだと思います。

 唐突に聞こえるかも知れませんが、例えば儒者が或る時期の中華帝国とその帝国の
文化・文明の影響下にあった世界を調和させるのに、大きな役割を果たしたように、
現代では例えば科学者や金融関係者、官僚などが、かつて儒者が世界の流れを読んだ
ようなあり方で、また異なる文脈に支配された世界をなんとか調和に導こうとしてい
るのかも知れません。

 話しがいきなりそこに飛ぶと、なんだか良く分からない感じでしょうが、すみませ
ん、思考は常に飛躍し、その流れ、その閃光を追いかけようとすると、論考の過程を
欠いた結論が、あるいは結論でもない断片が先にまずは俺たちを掘り出してくれ、と
懇願するもので(頭が悪いとはそういう事なのかも知れませんが)、少し落ち着いた
議論に戻すと、そうその<調整様式>、20世紀におけるその<調整様式>には例えば
「春闘」といって、総資本と総労働が対峙し、対話し、個々の企業がその合理性を追
うだけでは解決しきれない労働分配の問題を、つまりはマクロの問題を対話によって
なんとか個々の企業の次元ではない場所で解決しようという<仕組み>が存在してい
ました。

 勿論、現在でも春闘は存在していますが、今や民主党の中に総資本と総労働が奇妙
に融和し、しかもその内部での対話や調整が機能していない段階では、春闘は存在し
ても、かつての<調整様式>としての春闘は喪われたと考えてよいのではないかと思
います。

 そうすると、個々の企業の判断が合成されて一般大衆の消費力が喪失し、それがま
た個々の企業の企業活動に制約を課すという悪循環が繰り返す事になります。

 ただ、今回の設問に沿えば、今や少なくとも年金を通じて、殆どの大衆は株主とし
ても存在しているので、配当という形でも、なかなか理論通りに株価に反映しにくい
とは言え、自社株買いのような回路で市場へ余剰を還流させても、それは新しい世界
の新しい<調整>として機能する筈という視点、フォーディズムからカルパーシシズ
ム、も成立しえるので、もう一度、形骸化した「春闘」を「春闘」として、総資本と
総労働の対峙の場所として機能させる方面の努力をするのか、資本と労働を共に呑み
込んだ政党が成長し、そこが世界の調整の場所に生まれ変わるのか、それとも全員が
労働者ではなく資本家となった世界として、この世界を定義し直すのか(私は個人的
には先日のベーシックインカムの議論も、つまりあなたは生れ落ちた瞬間に資本家と
しても存在すると捉えた<資本家による新しい共産的世界構想>なのではないか、と
考えているのですが)、それこそが我々に問われている本当の問いのような気がしま
す。
                        評論家:立原遼

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