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 ユーロを救うのは競争力に非ず 土に憧れるIT長者 大学にもインセンティブを
http://www.asyura2.com/12/hasan78/msg/500.html
投稿者 MR 日時 2012 年 11 月 13 日 16:21:32: cT5Wxjlo3Xe3.
 


JBpress>海外>Financial Times [Financial Times]
ユーロを救うのは競争力に非ず
2012年11月13日(Tue) Financial Times
(2012年11月12日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

 ドイツでは2002年の総選挙の後、政府が労働・福祉分野を中心とする一連の経済改革に乗り出した。ドイツ経済は2005年頃まで伸び悩んだが、その後は着実に回復し、2009年の景気後退までそれが続いた――。

 事実は確かにこの通りだ。しかし欧州では、この改革が新たな「ドイツ経済の奇跡」をもたらしたという物語が流布している。

前後即因果の誤謬

 この物語は前後即因果の誤謬、つまり、Aという出来事はBという出来事より先に起こったからAはBの原因だという誤った認識の一種にほかならない。まず改革が行われた。その後、経済が成長した。したがって両者の間には因果関係があり、したがってこの図式はほかの国にも適用できるというわけだ。

 欧州の当局者は一人残らずこの議論の連鎖を受け入れているらしく、これによる誤ったロジックを今度はフランスに当てはめようとしている。


オランド政権はガロワ報告書の提言を取り入れ、フランスの競争力向上を図る政策を打ち出したが・・・〔AFPBB News〕

 フランスでは先週、航空宇宙大手EADS元会長のルイ・ガロワ氏が、フランスの競争力を高める方法をまとめた報告書を提出した。この報告と、それに伴って始まった議論からは、改革の性質を巡る知的混乱がさらに広がっている様子がうかがえる。

 筆者が見る限り、ここには3種類の誤認が隠れている。ドイツの改革の効果についての誤認、フランスで、かつイタリアとスペインで今必要とされる改革の種類についての誤認、そして競争力に重点を置くことについての誤認の3種類だ。

 第1の誤認はドイツに関するものだ。ドイツ経済は第2次世界大戦後、外国為替の固定相場制の下で力強い成長を遂げた。

ドイツの経済改革と経済パフォーマンス改善の関係

 ドイツ経済の最初の奇跡は、1950年代から1960年代にかけてのブレトンウッズ体制の時代に実現したが、ドイツはこの時、同体制下のほかの国々に対して実質為替レートを引き下げることに成功していたのだ。

 今のドイツがユーロ圏で全く同じことをして繁栄を謳歌しているのは、何ら不思議なことではない。2000年代初めの経済危機後に見せた景気回復は、長期にわたる賃金の抑制によるものだった。


ドイツでも2000年代半ば頃までは経済改革に反対したり、賃上げを要求したりするデモが相次いでいた〔AFPBB News〕

 では、ドイツの経済改革と賃金の抑制との間には、何か関係があるのだろうか? もし関係があったのであれば、10年前の経済改革とその後の経済パフォーマンス改善との間に因果関係を見いだすこともできるだろう。

 この問いに答えるためには、賃金政策と失業の間に見られるトレードオフ関係の性質と、当時存在したほかの要因に目を向ける必要がある。

 ドイツの労働組合は失業の発生を防ぐために賃金の引き下げを受け入れたが、その一方で、インフレと失業のトレードオフの性質――いわゆるフィリップス曲線――はずっと安定的だった。

 つまり、ドイツの労働組合と雇用主はこの曲線に沿って、以前よりも賃金水準が低く雇用が多い状況に移動したが、経済改革がこのトレードオフ自体の性質を変えたわけではなかったのだ。

 では、当時の経済改革は、労働組合にこのようなトレードオフを受け入れさせることによって、この曲線上の移動に少なくとも手を貸したという可能性はないだろうか? この問いに答えるのは上記の問いに比べると難しいが、労働組合があのような行動を取った最大の理由は中欧へのアウトソーシング(業務委託)の進展という一種の外的ショックにあるというのが筆者の直観的な見立てだ。

 労働者がよその地域に移動することがあまりない国では、工場が1つ閉鎖されると、なかなか解消されない失業が発生してしまうからだ。

フランスやスペインに必要な改革

 第2に、フランスの経済問題を解決するには、賢明かつ的を絞ったアプローチを取るべきである。

 フランスとスペインは、ともに若者の高失業に苦しんでいる。この問題はよく理解されており、分断化された労働市場に原因があることが分かっている。終身雇用契約を結んでいる労働者は守られているが、それ以外の労働者や若者は冷遇されているという分断だ。

 スペインでは若者の失業率が52%に達しており、経済改革ではこの問題に最優先で取り組む必要があるだろう。

 したがって、具体的かつ明確な目的のある改革――終身雇用契約と有期雇用契約の区別を取り払う単一労働契約の導入、年金改革など――と、その効果が実証されていない改革とは区別して考えるべきだ。また、純粋に右翼的なイデオロギーから生じている改革とも区別すべきだろう。

競争力という漠然とした概念

 第3に、競争力なるものにいつも注目が集まるのはなぜなのだろうか? ビジネスに携わる人々は競争力の話ばかりしているが、実を言うと、この概念はマクロ経済においてはそれほど役に立たない。

 これは2つの概念が融合してできている。1つは、実質為替レートで表現されるマクロ経済の競争力。もう1つは、その国の技術力のダイナミズム(活発さ)を表す全要素生産性(TFP)だ。


単位労働コストの引き下げをユーロ圏の共通政策にすると、ゼロサムゲームになる〔AFPBB News〕

 単位労働コストの引き下げがその国の利益になるのは、引き下げるのは自国だけでほかの国々は引き下げない場合に限られる。単位労働コストの引き下げをすべてのユーロ参加国の政策として主張しても、ゼロサムゲームに終わるのがオチだ。

 すべての国がこれを同時に引き下げることはできない。ユーロ加盟国は単位労働コストをドイツ並みの水準に引き下げるべきだという主張があるとしても、ドイツがその間に同じことをしないと考える理由はどこにもないのだ。

 となれば、残るのはTFPだ。TFPの引き上げは結構なことだが、それなら競争力などという曖昧な概念を間にはさんだりせず、TFPに直接的を絞った方がいいだろう。また、我々はTFPなるものを、自分たちが思っているほどには知らないかもしれない。

国際収支の危機の解決が先決

 具体的な改革は効果を上げる可能性がある。しかし、今回の危機は結局のところ国際収支の危機なのであり、構造改革でこれを解決できるなどと思い違いをしてはいけない。

 欧州はこの危機を先に解決しなければならない。ヨーロッパ人は、制度改革や構造改革を巡る昔からの議論に時間を費やしたがるが、そんなところに逃げ場を求めてはいけない。制度改革や構造改革はどうでもいいというわけではないが、今の危機の解決にはどちらも無関係なのだ。

By Wolfgang Munchau
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/36532


【第8回】 2012年11月13日 佐藤芳之(さとう・よしゆき/オーガニック・ソリューションズ・ルワンダ代表)
ケニアが育てた100万人の“グランパ”(1)
土に憧れるIT長者
100万人の“グランパ”(おじいちゃん)と呼ばれたすごい日本人がアフリカにいた!
20代で単身アフリカに渡って50年――。ケニアで年商30億円のナッツ工場を経営し、国の人口の40人に1人にあたる100万人の生活に関わっていた伝説の日本人起業家、佐藤芳之さん(73歳)。
4年前、ナッツ工場をタダ同然でケニア人の同僚に売り払った佐藤さんは、68歳にしてルワンダに移り、公衆衛生ビジネスでゼロからスタートを切った。次なる目標は50年で新たに100万人を養うこと。
座右の銘はジェームズ・ディーンが残した「永遠に生きるがごとく夢みて、今日、死ぬがごとく生きろ」。その言葉を半世紀以上にわたりアフリカの地で実践してきた佐藤さんの目を通して見える世界とは……

動物から人間に変わる瞬間


1939年生まれ。宮城県南三陸町で幼年期を過ごす。1963年、東京外国語大学インド・パキスタン語科を卒業後、アフリカ独立運動の父エンクルマに憧れて日本人初の留学生としてガーナへ渡り、東レ・ミルズに現地職員として入社。製材工場、鉛筆工場、ビニールシート工場、ナッツ工場など、小規模な工場を次々と立ちあげ、うち一つを最終的に「ケニア・ナッツ・カンパニー」として年商30億円の企業にまで成長させる。2008年に同社をタダ同然で譲渡したのちは、ルワンダに移り、バイオ液を利用した公衆衛生事業に取り組んでいる。現在73歳。趣味は水泳と草原で聴くマーラー。怖いものは妻。
 東京に降り立つと、自分が動物から人間へ変わるのを感じる。

 私が半世紀前から生きているのは、他人の食糧を盗んだ者が当然のように殺されたり、一夜のうちに大事な畑をゾウの群れにめちゃくちゃにされてしまったりするような場所だ。また、4年前からビジネスを本格的にはじめたルワンダでは、みなさんもご存知の通り、たったの100日間で80万〜100万人が殺された。

 日本にいると「一人の命は地球より重い」と言われたりするけれど、アフリカにいると「一人の命はパンよりも軽い」と実感する。動物がサバンナで生き延びるように、誰もが食べるために一生懸命だ。

 そういう場所から飛行機で16時間ほどで辿りつくと、東京はまるで別世界。何者からも命を狙われないし、無防備な恰好でぼーっと歩いていても危険な目にあうことはない。だから、着いて数時間が経つと、自分が動物であることをすっかり忘れてしまう。肉体ありきの存在であることが頭から抜け落ちてしまう。

 そうして人間になった私は東京の街中で、スマートフォンをいじりながら進む人々のあいだを歩いていき、難しいチャートやパワーポイントを持ち出してくるビジネスマンと話したり、眼鏡をかけた細面の記者や編集者と会ったりする。心地のいい椅子に座ってコーヒーを飲み、ガラス越しにビル群を眺めているうちに、たくさんの言葉が交わされて物事が進んでいく。

 このギャップは一体何だろう?

 半年に一度ほど東京を訪れるたびに考え込んでしまう。

洗練された頭脳が勝つ世界

 このあいだ、外資系のコンサルティング・ファームの人と話す機会があった。仕立てのいいスーツと誰からも好感を持たれそうなピンストライプのシャツに身を包んだコンサルタントは、気持ちのいい笑顔を浮かべて私に挨拶をした。

 挨拶のあと、たがいのバックグラウンドについて一通り話し、それからビジネスの話に入った。複雑なデータが分析され、緻密な予測が立てられ、最後に実に理にかなった解決策が提示される。すべてがとてもソフィスティケート(洗練)されていて、ロジカルで美しい。

 彼らはこの地球上でおそらくピカイチの頭脳の持ち主だ。国内外のベストの大学を卒業して、「東京にタクシーは何台走っているでしょう?」「マイクロバスにピンポン球はいくつ詰められるでしょう?」という難問奇問に難なく答えて入社、「アップ・オア・アウト(昇進するか、辞職するか)」の厳しい競争を勝ち抜いていく。彼らはエリートとして社会から一目置かれ、サラリーマンの平均給与よりもずっと高い報酬を手にする。

 思うに、彼らは「人間」の頂点に君臨する存在なのだ。平たく言えば、「一番アタマのいい奴」。動物的なものをとことん削ぎ落として、人間的なものを極限まで高めていく。日本、とりわけ東京という場所は、ニューヨークよりも、ロンドンよりも、世界中のどの都市よりも、彼らのような人材が生きやすい場所だ。身の安全が完全に保証されていて、あらゆる物事が腕力のあるなしではなく、言葉と論理を操る力で決着していく。

グローバル・ビジネスの本当の姿

 先日、娘夫婦が住むベルギーの港町・アントワープを訪ねた。

 みなさんもご存知の通り、ベルギーは1885年、当時の国王レオポルド2世の時代にアフリカのコンゴを私有地化し、1908年からコンゴ民主共和国として独立する1960年まで植民地支配を続けた。その植民地時代にアフリカから持ち帰った収集品が、最近新装されたアントワープ美術館に展示されていた。

 その美術館へ、私はベルギーの建設・開発最大手のDredging, Environmental and Marine-Engineering N.V.を経営するベルギー人の友人と出かけた。彼は今年のロンドン・オリンピックを手がけ、次回のブラジル、リオ・デ・ジャネイロ・オリンピックでもチャンスをものにしようと虎視眈々と狙っている。要するに、超やり手の実業家だ。

 館内にずらりと並べられた「収奪の歴史」を二人で眺めていた時、彼がぽつりと言った。「ビジネスの競争はここにある『収奪』と少しも変わらない。『奪うか奪われるか』『やるかやられるか』だ」。世界中でハードなビジネスを勝ち抜いてきたすご腕の彼が、レオポルドヴィル(現在はコンゴの首都、キンシャサ)からベルギーに向けて発つ船の荷役作業を映す古びたビデオを前に立ちすくんでいる。その姿を見て、グッと来るものを感じた。

 私自身も24歳でアフリカ・ガーナに渡ってから、これまでに製材工場からはじまって鉛筆工場、ビニールシート工場、ナッツ工場……と実にいろいろなビジネスをやってきたけれども、彼の言葉には「そうだよな」と共感する。

 日本、特に世界でも稀に見るほど洗練された街・東京にいると、つい忘れてしまうが、ビジネスとは「生きるか死ぬか」「殺すか殺されるか」のとても動物的でシビアな世界なのだと思う。

 たとえば、以前、僕がケニアで経営していたナッツ工場でこんなことがあった。当時、銀行に口座を持っている人などほとんどいなかったし、送金のシステムも整っていなかったので、工場では給料を現金で手渡すことになっていた。すると、その金を目当てに「強盗偽社員」があらわれて、給料をもらう長い列に紛れ込む。

 すると、その「偽社員」を見つけるやいなや、本物の社員たちは彼を袋叩きにして殺してしまうのだ。そばにいる警備員は見て見ぬ振り。後になってやって来た警察官も「偽社員」の無惨な遺体を見て「よくやった」と褒めている。当然、殺した側が罪に問われることもない。人の仕事の報酬を盗んで人の生存権を脅かす者は、死んで当然なのだ。

 ビジネス=仕事とは、本来「生きるか死ぬか」の問題、命の問題なんだと、その一件の報告を受けてつくづく思った。そして、労働の報酬を手に入れられるかどうかは「殺すか殺されるか」の問題なのだ。ここではアフリカ(ケニア)の例を引き合いに出したが、北米、ブラジル、ヨーロッパ……と、これまで地球上のさまざまな場所でビジネスをしてきた経験からしても、あのベルギー人実業家の言葉は真実を言い当てていると思う。

「土を耕したい」と言ったIT起業家

 次回掲載号(11月27日)にも書く予定だが、「アフリカへ行きたい」と訴えて私のもとを訪れる日本人は結構いる。たいていは大学生だが、なかにはすでに専門の仕事を持っている社会人もいる。

 最近、あるIT起業家と知り合った。まだ30代半ばだが、すでに成功し30代前半にして年収は10億円を超えていたらしい。もちろん生活は悠々自適で、ゴルフ三昧の日々を送っている。私の30代前半といえば、結婚したものの定職にも就かず、でも漠然と「留学をしていたアフリカに戻って何かやりたいなあ」と思いながら当てもなくパチンコ屋に通う日々だった。そんなことを思い返しつつ、彼の話を聞いていた。

 別の日には、FTSEグループに務める女性とも話す機会があった。FTSEグループといえば、ロンドン証券取引所の子会社で債券や株のインデックス(指標)を作っている企業だ。

 二人には共通するものがあった。それは、「土」への憧れ。アフリカで土地を耕して、ナッツやコーヒーの木を植えて収穫する。そういう本当に原始的で、肉体的な仕事に二人は強く惹かれたらしい。結局、二人には、これからルワンダ、ウガンダ、ブルンジで新たにはじめようとしている農業資材ビジネスに協力してもらうことになった。

 普通に暮らしていれば命が危険にさらされることなど万に一度もないような環境で、頭脳をフルに発揮しエリートとして生きている二人。その二人が、アフリカの地で作物を育てるという、このうえなく泥臭い仕事に惹かれるのは、考えてみれば、皮肉なことだなあ、と思う。

 「未来はアフリカにあるのかもしれない」。50年前に初めて足を踏み入れた時には思いもしなかったけれど、今になると、そう実感する。人類は与えられた頭脳を働かせて、便利なものを次々に生み出し、複雑な経済や社会のシステムを作り出しはしたけれど、最後の最後に求めるのは、人間としてではなく動物として土に触れたり、何一つさえぎるものがない大空を眺めたりすることなのかもしれない。

                   (次回は11月27日更新予定です)
http://diamond.jp/articles/print/27363


【第68回】 2012年11月13日 出口治明 [ライフネット生命保険(株)代表取締役社長]
大学にもインセンティブを!
予算やお金の面から考える教育改革
 田中文科相の新設大学認可を巡る一連の騒動は、擦った揉んだの末に、ひとまず、常識的な線に落ち着いたように思われる。しかし、少子高齢化にもかかわらず、年々大学の新設が認可され、大学数が増え続けていくことに、一抹の疑問を抱く向きは少なくない。わが国の現在の大学の在り方について、100%納得している市民は、恐らく決して多くはないであろう。今回は、大学改革について考えてみたい。

予算は大学にではなく
学生につけるべき

 わが国の大学には、大量の国費(税金)が投入されている。文科省のHP(大学関係者の皆様へ)によると、今年の大学関係予算は、総計でおよそ2兆円近くにのぼる。在学者数は約300万人であるから、1人当たり、約65万円の税金が費消されている計算になる。

 わが国の大学等進学率は57.6%(2011年)、これに対して、アメリカの進学率(フルタイム)は54.5%(2008年)、英国の進学率(フルタイム)は66.1%(2008年)、フランスは41.0%(2009年)、ドイツは26.5%(2009年)であるから、わが国の大学の数自体は、決して少ない訳ではない。

 また、大学に対する公財政支出の投入割合を見ると(2008年)、わが国の0.5%(対GDP、これに加えて私費負担が1.0%)に対して、アメリカが1.0%(私費負担1.7%。以下同じ)、英国が0.6%(0.6%)、フランスが1.2%(0.2%)、ドイツが1.0%(0.2%)となっているので、わが国の高等教育費の水準自体は、欧州諸国と比べればそれほど大差はないが、公財政支出と私費負担の割合が、欧州諸国とは逆転していることが読み取れよう。

 このように見てくると、大学に対する公財政支出は、将来的には増やす方向で検討すべきだと思われるが、現下のわが国の厳しい財政状況を勘案すれば、まずは、現行の約2兆円をより効率的に使うことが、何よりも肝要であろう(以上の数値データは、何れも文科省HP「教育指標の国際比較」(平成24(2012)年版)による)。

 それでは、どのようにすればいいか。国立大学と私立大学とをどのように按分するか、いくつか割り切らなければならない技術的な問題はあるが、原則として、予算を大学にではなく、学生につければいいと考える。すなわち、前年の学生の在籍数に比例して、予算を配分するのである。

 要するに、学生が選んだ良い大学は年々予算が増え、そうでない大学(例えば定員割れの大学等)は、予算が減って、自然淘汰が進むことになる。顧客に選ばれない企業が倒産していくように、学生に選ばれない大学も、本来は淘汰されるべきなのだ。

 このような仕組みを上手く予算に組み込めば、大学は、学生に満足のいく教育を必死に行おうと努力するだろう。すなわち、教育の質を高めるべく、健全なインセンティブが大学に働くことになるのである。

先生にも授業を
必死で行うインセンティブを

 大学の次は、先生の番である。わが国は、既に課題先進国であって(キャッチアップは、20世紀に終わりを告げた)、自分のアタマで考える優秀な学生を、必死に育てていかなければならない状況下にある。そうであれば、大学の先生方にも、教育に必死になって取り組まざるを得ないようなインセンティブを付与することが望ましい。

 そして、その方法は、それほど難しいものでもあるまい。例えば、先生方の年俸の半分は研究に対する報酬であり、半分は教育に対する報酬であると割り切ってみることにする。教育に対する報酬部分は(教育の)受益者である学生のアンケートを参考に上下させればいい。アンケートには、

 @予習教材の指定等、シラバスに沿った事前準備の指導
A授業の分かりやすさや工夫の仕方
B学びの量質両面にわたる豊かさ
Cシラバス通りに講義が進捗したかどうか

 等を細かく記入させ、5段階くらいで評価して、その評価を報酬に反映させる。例えば、5ランクは+10%、4ランクは+5%、3ランクは±0%、2ランクは−5%、1ランクは−10%といった具合にである。

 学生の評価を導入すると、全員合格させる等、学生に媚びる先生が出てこないか心配になるという声がない訳ではないが、それは杞憂に過ぎないと考える。シラバス作成の段階で、例えば優は全体の10%、良は30%、可は30%、不可(落第)は30%といったように、予め合否判断の基準を大学で定めておけば、それで事足りるのではないか。

 一度教授に昇格すると、十年一日のごとく、全て同じ講義を繰り返し、それで定年を迎える先生もいるという噂を聞かないでもないが、授業に情熱を注ぎ込み、学生を鍛えることに生き甲斐を見い出す良い先生を育てる為のインセンティブは、およそ高等教育には欠かせないと考える。

 研究に対する報酬についても、最終的には何らかのインセンティブを付与することが望ましいが、多くの学生の声が反映される教育の方が、よりインセンティブを与えやすいと思うので、まず、教育に対する報酬を変動化させることから始めるべきではないか。

 ともあれ、学生に対する日々の教育に必死に取り組んでいる先生と、十年一日の如くの先生とが同じ報酬であるという悪平等は、早急に是正されるべきではないだろうか。大学には自治があり、教授を選ぶのは教授会の固有の権限であるとお叱りを受けそうだが、大学に教育を行う責務がある以上、少なくともその部分については、パフォーマンスによって大学の行政当局が先生方の報酬を上げ下げしても、大学や教授会の自治を侵すことにはならないと考えるが、どうか。

高等教育費の私費負担部分は
原則ローンで代替させよ

 大学と先生方にだけインセンティブを付与し、学生にインセンティブを付与しないのは明らかに不公平である。前述したように、わが国の高等教育費に占める私費負担の割合は相当に高く、生まれた家庭が貧しければ大学には行けないのではないかという指摘も一部に散見される。そうであれば、生活費を含めて、大学生活にかかる費用は、原則として、銀行ローンで賄うようなシステムに変えてはどうか。

 わが国の法人企業は1997年以来貯蓄超過状態にあり、高度成長と人口の増加を前提とした住宅ローンにも将来多くを望めないであろう銀行の活用策としても、学生ローンは、十分社会的な意味があると考える。私費負担部分をローンに代替させれば、次のようなメリットが得られるのではないか。

 @効果(卒業資格)対費用(ローン)を多くの学生が真剣に考えるようになり、本当に大学に進学したい若者だけが進学するようになる。

 A優秀な学生(例えば、上位10%)には、卒業時の成績証明書の提示でもって、ローンの返却を(一部)免除すれば、必死に勉強する大学生が誕生する。勉強だけが全てではないという声もあると思うが、そうであれば、例えばオリンピックのメダリストや全日本選手権で優勝した学生も上位10%に準じるように扱えばいいと考える。免除した部分は税金で補填すればいい。公共事業を増やすよりは、わが国の中長期的な成長に資するだろう。

 B前述したように、例えば30%の学生は落第させるというスタンダードを確立すれば(落第すればローンがそれだけ嵩むことになるので)、大学全体が必死に勉強する風土へと転換される。

 もちろん、以上の方策は、例えば大学が自己責任で資金を集めて、優秀な学生に奨学金を付与するような制度を決して妨げるものではない。また、グローバルに優秀な学生を集め、必死に勉強する大学を創っていくためには、秋入学の早期実現や青田買いの禁止等、やるべきことは他にもたくさんある。今回は、予算やお金を梃子にして、大学、先生、学生にインセンティブを与える方法を中心に、私見を述べてみた次第である。

 なお、本文とは関係がないが、前回のコラムで、「日本の将来は明るい!」と書き、女性の活躍を期待すると述べた。ところで、11月11(日)の日経新聞サーベイ欄(9面)によると、「管理職の女性割り当て『賛成』54%」とあるではないか。クオーター制に対する市民の理解が、これほどまでに進んでいるとは、正直なところ、筆者には驚き以外の何物でもなかった。改めて、「日本の将来は明るい」と実感したことを、ここに付言しておきたい。

(文中意見に係る部分はすべて筆者の個人的見解である。)
http://diamond.jp/articles/print/27783

 

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