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「東京新聞は護憲ですが、私は違います」 記者が社説と異なる主張をする自由こそ、ジャーナリズムの基本だ  長谷川 幸洋 
http://www.asyura2.com/12/hihyo13/msg/630.html
投稿者 赤かぶ 日時 2013 年 2 月 01 日 12:00:00: igsppGRN/E9PQ
 

「東京新聞は護憲ですが、私は違います」 記者が社説と異なる主張をする自由こそ、ジャーナリズムの基本だ
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34755
2013年02月01日(金)長谷川 幸洋「ニュースの深層」 :現代ビジネス


 このコラムは「ニュースの深層」というタイトルが付いている。だから、普通は日々のニュースについて裏側とか背景事情とか、私の見方を書くことになる。今回はちょっと趣向を変えて、私の立ち位置について書いてみたい。

 私は「完全に中立な立場からの報道」というのはない、と思っている。同じテーマを報じていても、報じる側、つまり記者によって事実の解釈も分析の角度、深さも異なる。それは当然だ。記者によって経験も力量も、そもそも取材源だって異なるからだ。言い換えれば、ニュースにはみんな「記者の色」が付いている。

 だから「ニュースの深層」というとき、報じられる側、つまり取材対象である官僚とか政治家の事情や思惑に目を凝らして、そこを深く掘り下げるという作業と同時に、実は報じる側、つまり記者の事情を紹介するのも大事な作業になる。取材対象と記者の双方に目を配って互いの事情と思惑、それらの交錯のありようをよく考えてみる。そういう双方向の作業が重要になる。

 そういう考えから、ここ数年、私は政治や報道を観察するとき、同時に記者の側も観察してきた。たとえば『日本国の正体 政治家・官僚・メディア―本当の権力者は誰か』(講談社、2009年)はそういう仕事だ。1月に上梓した『政府はこうして国民を騙す』(同)は当コラムの連載が柱になっているが、同じように記者の側にも視線を向けている。

■自分の意見が社説と異なる場合があるのは当然

 そこで報じる側の1人である私自身について書く。

 私はジャーナリストが本業と思っている。東京新聞論説副主幹という仕事もあるが、それは私の仕事の一部だ。それ以外に当コラムも書いているし『週刊ポスト』にも連載コラムを書いている。ときどきテレビやラジオでも発言する。本も出す。それら全体が私の仕事である。東京新聞はそんな私の立場を容認している。

 そういう中で、私の署名がないのは東京新聞と中日新聞に書く社説だけだ。それは文字通り「社の説」という建前になっているからだ。社説は私だけが執筆しているわけではない。私と違う意見を持つ論説委員が書く場合があり、むしろ私以外が書く場合がほとんどである。

 そういう事情だから、東京新聞の社説と私の意見は異なる場合がある。最近でいえば、憲法改正問題だ。

 東京新聞は基本的に護憲の立場に立っている。しかし、私は改憲に賛成である。この点は社内でもかねて明言していたが、社外に向けて公言したのは、1月26日未明に放送されたテレビ朝日系列『朝まで生テレビ!』の番組中が初めてだった。同日朝のBS朝日系列『激論!クロスファイア』でも、同じく改憲の立場で発言した。

 その際、視聴者の誤解を招かないように「東京新聞は護憲ですけど、私は違います」と東京新聞の立場についても注釈を加えた。中には「論説副主幹という立場で社説と違う意見を言っていいのか」という向きもあるかもしれない。実際、社内にもそういう意見がある。

 だが、私は論説副主幹だろうがヒラの論説委員だろうが、自分の意見が社説と異なる場合があるのは当然だと思っている。社説というのは論説委員の集団討議で決まっている。なかなか意見を集約しきれなければ、最終的には論説主幹がまとめる。結論が出たからといって、論説委員がみんな、その結論に同意しなければならない理屈はない。

 社説は社説として発表し、一方、論説委員の意見は意見として尊重する。それが言論の自由というものではないか。私はそう思っている。だから、私は同僚論説委員が私と違う意見を唱えて社説に書こうとしても、ただの一度も反対したことはない。私の意見は言うが、最終的には書き手の意見を最大限に尊重している。私が目を通したうえで、実は私とは違う意見の社説が掲載されたことは、それこそ無数にある。

 その逆もある。私は社説が護憲を唱えているからといって、自分の意見を変えるつもりはまったくない。改憲についてはテレビで公言したし、いまもそう書いている。「社説がこうだから、私の意見もこうだ」などということになったら、どうなるのか。単なる迎合ではないか。そんなことで、言論の自由が守れるはずがないのだ。

■記者が独立して自由に書くのがジャーナリズムの基本

 この問題については、先の『政府はこうして国民を騙す』の冒頭でも、こう書いた。

〈 念のために言えば、私が署名入りで書いた記事やテレビ、ラジオでの発言はすべて私個人の意見だ。東京新聞・中日新聞の主張ではない。私は東京新聞を代表して発言しているわけでもない。

 ときどき私の意見が東京新聞の主張であるかのように受け止める読者もいるが、それはまったくの誤解である。私の意見が両紙の社説と同じ場合もあるし、異なる場合もある。複数の論説委員たちによる議論の末に決まる社説の内容がいつも私の意見と同じだったら、むしろ、そのほうがおかしいだろう。 〉

 なぜ、こういう話を書いているかといえば、言論とか議論といった民主主義の根幹にかかわる問題について、この国ではどうもタブーがありすぎて自由闊達さが失われていると思うからだ。「みんながこう言っているから、私もそう言う」みたいな大勢に従う姿勢があまりに染みついている。そんなことで本当の議論は成立しない。独創的な発想も生まれない。

 これはメディアやジャーナリズムの世界だけの話でもない。どこかの会社にも「上がこう言っているから、とりあえず従っておこう」みたいな話はごろごろしているのではないか。そんなヒラメ集団では、新たなビジネスの挑戦はできない。真に自由な議論とか独創的なアイデアは周囲の様子をうかがいながら発言するような人からは、けっして出てこないのだ。

 新聞の読者や視聴者からの反応を見ていると「東京新聞の立場と違うなら、会社を辞めるべきだ」などというご意見もある。そういう考え方もあるかもしれない。しかし私は違う。それは「記者はみんな会社人間になるべきだ」と言っているようなものだ。そういう新聞だったら、私はぞっとする。

 幸い、東京新聞はそうではない。その証拠に私はテレビで改憲の立場を公言しても、まだこうして東京新聞論説副主幹の職にある。1人1人の記者が完全に独立して自由に記事を書く。ジャーナリズムはそれが基本だ。そういうメディアが大切である。

 なぜ憲法改正に賛成かについては、テレビで触れたが、いずれ機会を見て書くことにしよう。


 

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コメント
 
01. 2013年2月01日 22:51:58 : 3guIcf6ByA
本当でしょうかね。半分くらいのところではないでしょうか。

ジャーナリズムが機能しているなら、世論や圧倒的与党の意向に
反する記事も書けるはずです。

ここからはフィクションです。

夕日新聞が、昭和16年頃に、社の方針としてこんな記事をかけたとします。
「生産力・科学技術とも本邦の比ではない米国との戦争は避けるべき」
「我が国の輸出品目のほとんどは生糸など第一次産品で、輸入品目は
 鉄や工作機械である。ここは耐えるのが国益ではないか」
などなど。

嗅覚に鋭い記者が、書きます。
「先んずれば人を制す。日本は神国である。鬼畜米英など恐るるに
足らず、断固、膺懲すべきである……」

戦争になれば、どこの国でも、ジャーナリズムは政府に従属します。
例外は、貴重なエピソードとなる程度です。人が犬を噛むの類ですね。

確かに、「記者は社説と異なる主張をする自由」がありますが、
一見、自由な主張をすることで、自由を自殺させることもできます。

このあたりは、民主主義下の投票行動にも通じます。

なので、これは、ジャーナリズムの基本ではあるのでしょうが、
「十分条件」くらいにしかならないように、思います。



02. 2013年2月02日 14:50:36 : e81NQ5rKlc
 この記者が社説と異なる主張をする自由を享受して、改憲の意見を表明できるのは、改憲の対象たる日本国憲法が表現の自由を含む基本的人権を保障しているからです。
 この記者は憲法をどのように改正すべきと考えているのか知りませんが、基本的人権に対して自民党の憲法草案のように、一定の制限を加えたりしたら、結局、「社説と異なる主張をする自由」は消えて無くなるでしょう。

「社説と異なる主張をする自由」の保証は、改憲を主張する人の自由を、現憲法が保証しているところに根本的に根ざします。改憲したとき、この保証が無くなることをどう考えるのでしょうか。


03. 2013年2月02日 21:03:03 : 6eJYETO2fI
社と意見が違うのなら、辞めるのが男じゃね?

04. 2013年2月05日 10:39:16 : FNFR5SlX4l
>>03.
 社の意見て、何か?
 犬を引き引き摺り回すロープとでも、勘違いしておるのか。ロープの元締めが一匹だけとでも思っているのだろうか。社員諸君の首輪を緩めるのが怖くてたまらんのやな。
 異説は、組織発展の契機であろうが。

05. 2013年2月08日 17:48:03 : ZHjxHW2tg6
社説。こんなものはいらない。報道とは記者の主観を入れずにできるだけ事実を正確に伝えることだ。記者個人の意見なんかどうでもいい。なにを勘違いしているんだ。
記者は評論家じゃない。評論家になりたければさっさと記者をやめろ。

06. 2013年2月10日 00:27:09 : 3PJAqRzx3M
改憲支持というのはにほんの政治の中では「与党」的立場で権力に近いっていうことだよね。そういう人が「自由」を強調するのってうさんくさい。

07. 2013年2月11日 11:57:27 : NvS5Omkyak
中日(東京)新聞が媚中,サヨク脳,在日半島人の牙城であることは明らか.そもそも民主党の岡田克也の実弟が政治部長を務めている.長谷川幸洋は泳がされているだけ.朝日,毎日,中日(東京)は不買運動の対象です.

08. 2013年2月11日 12:00:48 : NvS5Omkyak
05さんと同感: 朝日,毎日.中日(東京)が日本の国家運営に資するマトモな提言を行ったことがあるか? 賢しらに批判的意見を述べるが日本を元気にする提案は皆無だ.日本閉塞の元凶はこれらのサヨク脳マスコミである.

09. 2013年2月16日 09:49:31 : 7oSKGju5kA
自分が不在で何かの標準へ一本化しないと精神の安定が保てない人程
他人にもそういう姿勢を強要し、且つ期待して物を解釈しようとする。
自由に動く物の考え方で活動出来る人間と云うものを理解出来ないからだ。
解り易く云えば「一枚のスナップを見て『全てを悟った』と云い切れてしまう人」だ。
これは恐ろしい。
前後の時間経過やフレームの中の空間、フレームの外の状況に対しての感心が起きない人が「これで全てを悟った」と語る時。そこにカルトの萌芽の危険を感じる。
彼の楽園を 誰も期待しはしない。 それは夢だからだ。

東京新聞はまだまだ風通しが良さそうだ。


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