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他者にするのが差別(区別)で、自己にするのは始末(日本人としての)
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/106.html
投稿者 日 日時 2012 年 6 月 20 日 10:16:19: IR1H95zbmUf8k
 


差別と区別で検索しても大して参考にならなかったので、個人的見解ですが。

自然の美には差別と区別が満ち溢れています。
植物にも動物にもピンからキリまで種類が有り、人類もそうです。
それ等が無限循環システムの中で正常に機能しているなら、どれ一つ欠けても困ります。
壊れたら修理か交換が必要となります。

今、人類が壊れました。
創造主の視点での修理交換がやがて始まるでしょう。
この差別(区別)は非情なものです。
人類の視点では理解出来ないほどに。

今、その前に
プログラムされている自己修復能力が起動する
最後のチャンスが与えられています。

人のする事は全て神の模倣でもあります。
神が万物にする差別と区別を止むなく真似したものに、
入学入社試験、リストラ、刑罰等があります。
これらは何故真似しなければならなかったか?

最初に真似して良い事と悪い事があり、そして悪い事をする自由をも人類に与えられました。
それが原罪であり、マネーです(種の真似)。
これによって壊れた(無限循環システムからの逸脱)という自覚を持たねば、自己修復プログラムは発動しません。

人類全体としての種の行動を個体擬人化したら、自己修復プログラムには右手で左手にメスを入れるような手術もあります。
痛みを伴うものであり、この場合自己の体であり差別(区別)という意識すらないのです。

今、世界(他者)に向けて、日本人(自己又は家族)の不始末をどうするかが問われているのです。
福井が痛みを共有する自己であるから、自己修復すべきは全ての日本人なのです。

12. 2012年6月19日 23:39:27 : dSGTCKGZUU
上記を簡潔にすると
他者にするのが差別(区別)で、自己にするのは始末になります。
日本人としての。
なので福井の痛みは共有するのが筋です。
麻酔とかセーフティネット、ソフトランディングは極力配慮して。

出身地ボイコットもそういう事です。
手術を可能な限り短時間で終わらせるためです。


参考

山を動かそう 福井ボイコットで!
http://www.asyura2.com/12/genpatu24/msg/809.html

大飯町、福井県民は未必の故意による加害者に相当
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/899.html

国民の緊急実力行使! 福井県産物品不売買。流通とサービスもボイコットしよう。
http://www.asyura2.com/12/genpatu24/msg/761.html  

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コメント
 
01. 2012年6月24日 12:10:48 : 5ZzCiNRaLc
膝枕です。
人類は本当に壊れているのでしょうか?
確かに地球と言う生態系の中での人類の所業は癌細胞そのものです。
自然を壊し、更には地球すら壊そうとしている。地球を壊せば人類も終わるというのにです。人類の迷走、暴走は今に始まった事では無く太古から幾度となく繰り返されて来ている。人類という癌細胞が無くなれば地球はどれだけ健康を取り戻し生き物で満ち溢れる。

それ程人間が犯して来た地球への罪、他の生物への罪は計り知れず、自分がその一員である事を恥じるばかりだ。

しかし私は人間が壊れたとは思っていない。そして、神が罰を与えようとしているとは思っていない。神と人間との関係は親と子のような関係では無いと思っている。
イメージはゼロポイントフィールド。この辺りは日さんとは大きな違いが有る様に思う。


02. 2012年6月24日 13:53:15 : dSGTCKGZUU
>神が罰を与えようとしているとは思っていない。

罰という考え方は日にも無いです。けれど神と人間は親子の関係にある。とは思っています。ゼロポイントフィールドとは矛盾していないつもりです。

過去に体験したことです。
小学生の頃、昼休み時間、校庭で遊んでいたら、ふとトリップ状態に陥りました。
グランドに顔が現れ微笑んでいるのに気付きました。よく見ると太陽や景色全体にも擬人化した顔が現れて、皆微笑んでいるのです。何かに包み込まれ、とても幸せな気持ちになり、これが永遠に続くように思った途端消え去りました。
とても残念でトリップ状態の復活を試みましたが、不可能でした。
十年程後に、その状態がいきなりやって来ました。
それが大変嬉しかったのですが、同時にその感覚が消失する恐怖に襲われました。
必死のその状態をキープしようとしましたが、無駄でした。
それから又十年近く経ちました。
強い無神論者だった当方が、ある出会いで一晩中抵抗した挙句、神を受け入れた瞬間、三度目に訪れたそれが何であったかを知りました。
今では毎日その感覚が手に入っています。


03. 2012年6月26日 10:05:35 : dSGTCKGZUU
言い忘れたので、

>しかし私は人間が壊れたとは思っていない。

表面的な文脈で反応すれば、それぞれに持論がありますから、意見に意見がぶつかります。
では意見を発信することは駄目ですか?
その目的は確かに相手を説得する事ですが、
逆に説得されてしまう事もある事をフェアに認めて、
平等なルールに基づく、退路を断った卑怯でない議論が出来れば、
正確なやり取りの世界が生まれます。
これは初めから「説得」というスタンスで、相手を迎えるのではなく、
「疑問があればあえて是非の結論を白紙状態にして、質問から入る。」事で、これは「調整チューニング」のことです。

この調整チューニング無しに議論すれば、異なる持論で意見に意見をぶつけ返し、感情的になり、些細なことで決別する。相手を拒む。閉じ篭る。争う。

この状態が有史以来数千年間続いており、これは病です。
病には必ず病巣と病巣には必ず病理があります。
対症療法は無自覚から自覚症状に変化した後でようやく始まり、
対策は後手後手で、良くて現状維持、大抵は悪化して行きます。
病理が解れば、病巣や症状への根本療法が見つかるし、先手を打ち、初めから健全な状態を保ち続けてゆく事も可能です。

>確かに地球と言う生態系の中での人類の所業は癌細胞そのものです。

という自覚症状が有りながら

>しかし私は人間が壊れたとは思っていない。

という無自覚は矛盾していますね?


04. 2012年6月28日 09:48:16 : uK3s37cawo
そのトリップのお話、素敵ですね。そういう特異な体験をした人はこれといった体験をしていない人とはその後の生き方が変わって来る。日さんもそういう経緯が有ったのですね。そのトリップについて、もっと詳しく御聞きしたいです。

で、その時の体験で日さんは無神論者では無くなった。つまり神を実在の存在と認識した。そこで、日さんは
神と自分は親子の関係と認識されている。私の認識はそれとは違いますが、べつに日さんの認識が間違いと言っているわけではないありません。私が誰かの考え方と異なると言う時は自分こそが正しいなどと微塵も思ってはいず、捉え方がと表現のニュアンスが違っていたり、見る角度、体験の違いがそこにあるという認識だけです。

癌細胞の自覚がありながら壊れているとは思わないと記したことに矛盾があるとのご指摘ですが、何も矛盾はありません。人間は地球にとって癌細胞のような存在というのは人間の所業を客観的に見ればそう見えるという意味でその見方はその通りと思います。多くの人がそう認識いるし私もそう見える。ですが、同時に人間が癌細胞のような傍若無人の生き方をしてしまう本当の理由はもっと
深いというか必然というか何かがそうさせるわけで、単に壊れているから悪の所業をしていると私は思っていないと言うことです。

神との関係も、親子の様には私には思えない、親子ではなくその一部だと。

繰り返しになりますが、意見の対立などさほど大きな意味などありません。何かを体験し何かをつかめばものの見方は違って来る、それは対立ではなく、見える物が違う、見え方が違うというだけ。

特異な体験のお話に興味があります。


05. 2012年6月28日 10:19:13 : Fj5OGJh0Dw
膝枕です。

日さんがこだわるチューニングの必要性とか説得など私には興味はありません。私が誰かと対話をしたいと思う時は、説得しようとするわけでもなく、同意に至ろうとするのが目的でもありません。

人生という旅をしていて出会った人と挨拶をし、貴方の旅ではどんなことが有ったのかと体験を聞きたいのです。そしてその体験で何を思ったか何を知ったか気がついたか。こういう事に興味があります。貴方の旅は間違っているとか、その旅の体験の意味はこうにちがいないなどと押し付けるでもありません。人はその感性以上の感じ方捉え方は出来ないものだから、感じたことに違いは当然で正しいも間違いもありません。


06. 2012年6月28日 10:32:11 : LmKRvDB0hU
膝枕です。話題を変えます。

日さんは何かを思い何かを言うというだけではなく、生き方生活そのものをその考えに即して変えていますね。これが他の人と日さんの大きな違いです。つまり頭と行動が一致している。これがまず素晴らしい。というか、本来は何かを思ったら生き方はその様に修正変更されて行くのが本当ですが言うだけで何も変えない人がとても多い、多いというか大半の人が変えられずにズルズルと人性を無駄に過ごしてしまう。

日さんのように、考えに即した生き方をする様になると、まず現実という返事結果が必ず目の前に形を伴って現れる。その形を見れば生き方を修正変更した事の良し悪しを確認できる。物作りをする人はアイデア、設計、制作という段階でを経ることで、結果を眺めることでアイデアが良かったか、プロセスはどうだったかが形に現れることで確認ができる。この確認ができるという事をそういった生き方を続けて行けば生き方の匠に成れるということ。

誰かの能書きに感銘を受け、それを丸呑みし、恰も自分の考えと思い込んでしまう様な人にあっては確認作業が無い分立派な考えであろうと単なる借り物なのでさほど意味は無いし価値は無い。

その意味では私は物作りをする人は無条件で尊敬する。考えにに見合った生き方をして居る人も尊敬します。ただ作っているものが人それぞれで異なるため、違った意見はぶつかるのではなく別の物作りの話としてそのまま聞けば良いだけです。


07. 2012年6月28日 11:06:57 : LmKRvDB0hU
膝枕です。

人は其々の人生という旅をする。旅という経験は人其々で異なる。これはこれで間違いないけれど、そんな事より大事な事がある。それは感性。この感性の違いで同じ経験をしても気がつく事は違って来る。

この感性って生まれながらというのがとても大きいという気がしてならない。勿論、何かの大きな体験で物の見方が違って来るという事も確かにあるけれどそれでもやはり生まれつき授かった感性感受性というものが人其々でかなり違う。

感性感受性が違えば同じものを見ても感じる事は異なる、これはどうしようもない。いくら議論をしても分かり合えない。感じない人には目の前の出来事も存在しないに等しい、以前、デラシネさんがインビジブルという言葉を使って話していた事がありますが、それはどうしようもない違いであって、大きな壁だ。

言葉もそうで、同じ言葉同じ文字を使ったとしても自分がイメージしている内容と同じ内容は相手には伝わらないのが当たり前。だから説得する様に長々と説明するのは意味がない。私はこう感じる、こう見える、これで会話は十分。同じ感性の人であれば同じかあるいは似通ったイメージが伝わるから。


08. 2012年6月28日 11:47:19 : K9WrDTeZcE
膝枕です。
チューニングが必要のない相手にって出会ったことがありますか?
以心伝心、同時に相手の気持ちもそのまま感じるなんて経験はありますか?

私が生活を共にしている人とはそういう関係です。

面白いのはふと何かのメロディが心に浮かびそれを心の中で口ずさんでいると突然相手が声を出してそのメロディを歌い出す。

何かの物とか出来事を心の中で思っていると、突然相手がその話を始める。

こういう事が日常茶飯事。相手の心の動きが手に取る様に分かる、そして物事に感じる感じ方も殆ど違いが無くなって来る。

もう議論とかチューニングとか、全く必要ありません。楽でいいですよ。。

しかしその人と私は全く同一という訳ではなく、違いはまだまだ大きい。
その人の眼差しが素晴らしいんです。無垢というか、温かいというか、私に足りないものを一杯持っている、だからいつも何かを気付かせて貰っています。

あはは、済みません。日さんの投稿とは関係ないような話ばかりで済みません。
また暫く引っ込みます。


09. 2012年6月30日 01:31:59 : dSGTCKGZUU
日です。
膝枕さん、申し訳ありません。急に仕事が入りまして、ここ数日目を通せずにいました。今からひとつずつ返信します。

10. 2012年6月30日 01:53:52 : dSGTCKGZUU
>>04
詳しくは
http://www.asyura2.com/07/lunchbreak9/msg/449.htmlとその下のレスにあります。

11. 2012年6月30日 02:32:54 : dSGTCKGZUU
>>05
世の中にはどエライ人が居るのです。
これを成人前に確信した時、出会う方法を逆算してみました。
こちらからは見つけられない。けれどどエライ人なら、向こうからはお見通し。
その人の周波数に闇雲にチューニングする。まぐれで合えば、気に止めてくれて、その時接触チャンスを与えてくれるはず。彼はサルの金などは不要な存在。彼が求めている物は、相手の学ぼうとする必死さだけ。真剣な態度だけが資格。
そんな時、高藤総一郎の「仙道入門」等をガイドにしました。
それ等をまとめるとこう書いてありました。行き着く所、人は肉体を脱して、金は要らない体になる。金を求める師は俗物であるから、学ぶに値しない。
師とすべきは霊界のみに存在する。そこに行くには幽体離脱しかない。
けれど自己保身や恐れの感情があれば冥界に行くだけ。
或いは悪夢で目が覚めるだけ。
夢で崖から落ちるとする。普通は恐れで飛び起きて目が覚める。
恐れず落下する方向を直視しろ。やがて猛スピードで接近する底が見える。
激突の瞬間まで目を開き、決して閉じるな。するとふわっと着地する。
底に着くと今度は暗黒の中に無限に続く洞窟が現れる。入ると中は続々と枝分かれしていて、二度とは戻れない迷路。恐れずに思う道を進め。
恐れて恐怖した時は目が覚める。やがて恐れを克服して永久に暗黒の洞窟を進む覚悟を決めた者だけ現れる遠い微かな灯火が見える。そこへ行け。
そこに行きました。すると師は言いました。「よく来たな。で、何が知りたい?」
けれど、その後なんと肉体を持った師にも出会いましたよ。
その師の下で7年。ここまでは無神論者時代。


12. 2012年6月30日 03:05:31 : dSGTCKGZUU
>>06
必死になる。本気になる。真剣になる。どれでも構いませんが、そうすると妥協が出来ませんので、社会に迎合出来ずに孤独になります。内面も直視するとそんな喜怒哀楽に左右される醜い自己も見えます。そんな自己が可愛く他愛もない存在にまで見えた時、これでいいと思えました。何も背伸びせずともこれでいいと。けれど、非常に孤独でした。全く話し相手が存在しない。願いはただ一つ。誰か負かしてくれ。負かされる事で、話し相手が見つかる、全てをぶつける相手が現れる事でした。
この孤独は先のリンクの中の、3歳頃に見た絶対の無の中で漂う夢と同じ孤独です。
孤独を癒すものは完全なる一致。或いは完膚無き敗北で見出す師の存在。
負けは日にとって最も嬉しい出来事。全力で負けるからこそ、それまでの自己を全て捨てて、再生し続け、道が開かれる喜びがあります。
全力で生きてないと社会に迎合出来るので、孤独でない日常が送れ、負けが怖い。
人は誰でも間違った思考に基づいて行動するミスを犯し易い存在である。
しかし間違って行動していても、それがリアルタイムで自分を苦しめる結果とならねば間違いとは認識し得ない。
むしろ正しかったとすら認識し、そして結論した時、思考停止するのだ。
あとはもう何を云っても聞く耳を持たない。
破滅の時まで。

13. 2012年6月30日 03:12:33 : dSGTCKGZUU
>>07
それは諦め。そうすると、それぞれの霊界に閉ざされます。
その先があります。はっきりとぴったりと一致する世界。


14. 2012年6月30日 03:24:00 : dSGTCKGZUU
>>08
>チューニングが必要のない相手にって出会ったことがありますか?
以心伝心、同時に相手の気持ちもそのまま感じるなんて経験はありますか?

ありません。師の一部だけを理解した、それだけで十分に孤独は癒されましたから。
許され、受け入れられ、包み込まれ、護られている。それだけで十分。
その真似を猫相手にしてみると、幸せそうな顔で暑くてもくっ付いて来ます。
妻にはそうは出来ません。自我が言葉で抵抗して、口論となります。でもね、くっついて来ます。それでいいんじゃないですか。


15. 2012年7月01日 10:48:52 : 2x41b1WttY
日さん、色々お話ありがとうございました。

妥協ができなくなる→社会に迎合できな→分かり合える相手が見つからない

と、大抵はこうなる。すると分かり合える人(存在)に出会いたいと渇望する。
日さんにとって師と呼ぶ人に出会ったわけで、それだけで素晴らしい。

私自身も師と呼べる人を捜し求めた口です、でも日さんのような出会いは無かった。
でも何人かの鷲の目を持った人には出会えた。大抵、鷲は自分の意識が下界に居る存在には理解できないことを知っている、しかし中には理解し合える存在が居ることも知っているので、暗号というか、特定の人向けのシグナルを何気なく出したりする。そのシグナルに反応すると即座に相手はシグナル受信者を特定できる。ここで不思議なのは理解し合える存在なのに少し微笑んで少しの言葉を交わしそのまま歩んで行ってしまうこと。普通ならやっと出会えたのだから離れたくないと思っても良さそうなのにそうではない、また自分自身も「待ってー」などと叫ぶでもなく微笑んでそのまま見送ってしまう。そんな出会いしか私はしていない。まぁ結局この世は自分の旅という経験をするためにあるのだから仲間と群れるのはあまり意味が無い。

猫の反応と奥様のこと、いいですねー、ほんのりします。
大抵の生き物は自分そのものを受け入れてくれていると感じた相手には無条件でそういう反応、行動をするのは理解できます。虫や鳥、魚でさえ(微笑んだように)寄り添ってくる。

さて、私自身もたぶん思考停止状態なんだろうと思います。


16. 2012年7月02日 22:39:44 : dSGTCKGZUU
>ここで不思議なのは理解し合える存在なのに少し微笑んで少しの言葉を交わしそのまま歩んで行ってしまうこと。普通ならやっと出会えたのだから離れたくないと思っても良さそうなのにそうではない、また自分自身も「待ってー」などと叫ぶでもなく微笑んでそのまま見送ってしまう。そんな出会いしか私はしていない。まぁ結局この世は自分の旅という経験をするためにあるのだから仲間と群れるのはあまり意味が無い。

鷲と狼と虎の違いがなんとなく分かりました。いい例えですね。
鷲は群れない。狼は多少群れます。虎も獅子とは違って確か群れない…
では膝枕さんは鷲タイプ?
鷲は翼があるので群れなくても、狩猟にも防御にも不便しない。
人であれば誰に雇用されずとも職技能が独立している事に類似して。
狼は獲物を追い詰める際チームワークで囲い込む。
狼が鷲を誘っても詮無いことですが、これはあくまでもたとえに過ぎない。
現実には日本に住む同じ人である以上、運命共同体なわけです。
深部細部での食い違いを多く経験すれば、鷲同士はなおさらそれを予期してその翼で飛び立つ。
けれどはっきりぴったりと一致する世界があると言いました。
それをこの地上に創ることは不可能ではありません。
師を超えられなかった当方でしたが、師をも超えた存在を知ってしまい、師から離れ、それを目指す事にしたのです。師は鷲だったのかも。
思考停止と無神論の状態が似ていることも解ります。


17. 2012年7月02日 23:40:26 : dSGTCKGZUU
あなたは話を引き出すのがうまい。もう少し書きたくなりました。
今回あなたに引き出してもらって発見しましたよ。
師を超えられなかったのに、何故途中で師の元を去ったのかの、心の動きを。
師は何でも知っていて、本気ならばそれを無料で教えてもくれました。
ただしその時のレベルで精一杯に一つに凝縮した質問でなければ、本気とは看做されず答えてもくれませんでしたが。
そんな途中で師を超える存在が全てを受け入れて微笑んでいるのが見えました。
「何も知る必要はない。遊べ、泣け、笑え、怒れ、楽しめ。そう作ったぞ。」と言っている様に感じました。
絶対の無の夢では最終段階でリラックスした自分がいて、これは瞑想状態と同じ。
白昼夢では至福と同じ状態。つまり至福を取ったのです。
能力や知識を高める必要はない。そのまま至福に呼ばれればよい。
師はその翼にこだわり過ぎた。けれどその翼が飛べる世界を作った者では無い。
その世界を作った者が望んでいた事は、ここで遊べ。それだけだと。
この喜怒哀楽という感情すらも。それを使って、正直に迷い悩み背伸びせず、怒れ、泣け、喚け、笑え、悲しめ、楽しめ、感じたままに動け。

昔、ジョージ秋山のはぐれ雲というマンガの一シーンとも同じでした。

どこかで学を修めた評判の学者が大衆に講義していた。
「悟りとは。無とは…」
真剣に聴講する大衆の中にひとりキセルを燻らすはぐれ雲。
女の着物を着て全体に不真面目、無表情でありながら、どこか明るさを漂わす遠い目付き。
不意に学者の前に立ち、キセルの鉄部で頭を強烈に一撃。
その痛さのあまり思わず大声で怒る学者
「何をする!きさま!」
平然と、けれど目を輝かせながら
「へ〜え。無って怒るんだ。」


18. 2012年7月03日 19:24:32 : 2x41b1WttY
膝枕です。

日さん、やはりこういうやり取りは面白いですね。

人はいろいろなことで何かに気が付く。多くの人は人生という経験で、あるいは他の人の経験からのヒントで。しかし日さんのようにこの世とは別の世界からの信号をキャッチしてそういう世界が存在することを確信しその確信の延長上での気付きをされた人というのは稀な人。それはまた普通に人生を送ることでは決して知ることができない感覚だあり知識(意識)なんでしょう。だから周囲の人とは根本的に違う。その違いは優劣ではないことは日さんも知っていると思います。その知識(意識)が高く高いほど欲が少なくなり人のための何かをしたくなる。自分の為に何かをすることに大して興味が無くなる。鷲に近づけば近づくほどそうなる。

残念ながら私は鷲には程遠い。でも狼でも虎でもない。
たぶん、私は鷲の視界に映るものがなんとなく分かるというだけだろうと思う。見えないけれどなんとなく、そこが悩ましい(笑)

確かなことは狼の誘いを受けても群れる気にはならないこと、かといって狼を眼下にし優越感で満足する気にもならない。鷲の素晴らしさを知っているから鷲が住む崖の高い所を目指し崖を登っている。なかなか登れない。鷲にはなれない。でも狼や虎の視界よりもっと広く遠くまで見えるようにはなった。だからこそ鷲の気持ちもなんとなく分かる。

で、最近思うのは鷲ではない自分を残念に思う気持ちも無いということ。崖の途中の張り出した岩の先に立ち、そこから何かを眺めている自分もなかなか良いなと。

偶然私は崖登りの途中で仲間に出会った。でもそれは仲間であり同時に自分でもあった。自分と他人の境界が消えた、同一感を感じた。そこで思ったことはこの場所で夕日に輝く遠くの空を眺めたり、朝日を待ったり、空高く飛ぶ鷲を眺めたり、もう毎日が楽しい。

見事な思考停止です。

自分の意識の中を眺めていると、自分という殻のずっと先、遠くにまで繋がっている意識を感じる。遠くに意識を置くと自分が消える。他者も自己も境が無くなる、当然差別も区別も。(あははは無理やり題名に結び付けました)

冗談はともかく、私自身、次のステップが私に用意されているとすれば、ある日突然目の前にドアか階段が出現するであろうとそんな気がしている。それまでもこの場所でもう一人の自分とこの岩からの景色を眺めながら静かに時を過ごしていようと。


19. 2012年7月04日 23:44:18 : dSGTCKGZUU
>見事な思考停止です。

そんなふうに自己評価されちゃ、もう突っ込めませんね。了解。
まあ、今年中に東電と縁が切れそうな目処が立って来ました。
その時は一杯やりましょう。では。


20. 2012年7月06日 00:40:21 : 2x41b1WttY
膝枕です。

そうですか、やっとソーラーシステムで東電に依存しなくて済むという事ですね。
照明器具やパソコン程度なら小さなシステムで運用可能ですがエアコンもとなると大規模システムにいなってしまいますね。

私の場合はソーラーパネルは500Wでバッテリーが200Ahなので照明やパソコン程度にしか使えません。日さんのシステムはどれ位ですか?

この話題は新しいスレッドでしましょうか?


21. 2012年7月06日 11:22:57 : dSGTCKGZUU
御勘弁を。公開の場で観察に晒すと立った目処はシュレーディンガーの猫ですから。

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