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「江戸時代」に学ぶリタイア後の生き方 (Tech On)
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/141.html
投稿者 五月晴郎 日時 2012 年 7 月 29 日 00:45:53: ulZUCBWYQe7Lk
 

前々回のコラム「『江戸時代』に学ぶと言うこと」の続編として,江戸時代に学ぶもう一つの意味を考えてみたい。今回のテーマは,「江戸時代の人々はリタイア後をどう生きていたか」だ。現代の製造業で働く方々が「リタイア後」について考えるのに何らかの参考になるのではないか,と思ったからである。

 きっかけは,ある読者の方に,経済学者の野口悠紀雄氏が書いた「江戸時代のリタイア後人生」というコラムを紹介していただいたことだ。江戸時代に生きた方々の寿命やライフサイクルを考察することで「江戸時代」に対するまた違った見え方がしてくるのではないか,とコメント(閲覧には『Tech-On!Annex』の登録が必要です)を頂いた。

 確かに,「江戸時代のリタイア後人生」という野口氏のコラムには,参考になる視点が多く提示されていると思った。まず野口氏は,江戸時代と現代に共通する点として,人口が減少し経済成長が鈍化する成熟化社会であることを挙げる。「江戸時代と現代とでは、技術水準も生活水準も国際環境も、まったく異なる。だから、単純な比較ができないことは明らかだ。しかし、成熟した社会がどのようなものであるかを考えるにあたって、江戸時代後半の社会は貴重なヒントを与えてくれるだろう」とする。

「世界最初の大衆リタイア後社会」

 その「貴重なヒント」として筆者が興味深かったのが,江戸時代の中でも特に後期は,「世界最初の大衆リタイア後社会」であったという指摘だ。農村部の女性など,ほぼ一生を子育てに費やして「リタイア」どころではなかった者も多かったと思われるのだが,都市のゆとりのある商人や武士階級の中では40歳半ばごろにはリタイアして「隠居」する者もかなりいたようである。

 江戸時代後期には,成人した者の平均死亡年齢は男61歳,女60歳だったというから,例えば45歳でリタイアすると死ぬまでに15年間程度の期間はあったということになる。それに対して現代では,25歳になった者の平均死亡年齢は,男78歳,女84.4歳なので,60歳でリタイアしたとすると約20年間となる。リタイアしてから死ぬまでに,江戸時代では15年間,現代では20年間---。つまり江戸時代では,平均寿命は短かかったものの,早くリタイアすることによって,結構長いリタイア後の人生を送っていたことになる。しかも,若いうちにリタイアするから健康で元気なリタイア生活だったと予想される。

 もちろん江戸時代に余裕のある隠居生活を送れたのは一部の層で,多くは食うや食わずの生活であったと思われるが,野口氏によると,欧州に比べれば,けっして金銭的に裕福な者だけが隠居をしていたわけではなかった。「一部の貴族や大富豪だけがリタイア後人生を楽しめたヨーロッパ社会とは、だいぶ違う社会だったことになる。多くの人々が隠居生活を楽しんだという意味で、日本は世界で最初に大衆リタイア後社会を実現した国だったといえるだろう」と同氏は書いている。

実はこのコラム「江戸時代のリタイア後人生」は,『「超」リタイア術』(野口悠紀雄著,新潮文庫)という本の一部を抜粋したものだ。残りの部分に興味がわいたので,さっそく購入して読んでみた。内容としては「リタイア」の話というよりは年金制度についての記述が中心であったが,「江戸時代」についての考察の続きで筆者が面白いと思ったのは,農民や商人の階級と武士階級を対比させている部分である。リタイア後に充実した人生を送っていたのは武士階級ではなく,農民や商人だったというのである。

 野口氏はこのような違いが生じた原因は,「農民や商人は『自営業』で自立していたのに対して,武士は『藩』という巨大組織の中で相互依存的に生きる『組織人』だった点ある」(本書p.75)と見る。

 そして,野口氏が「江戸時代の武士は隠居生活を楽しんでいなかった」という見方をする一つの例として示したのが,藤沢周平の小説『三屋清左衛門残日録』であった。この小説は,三屋清左衛門というある東北の小藩で順調に出世して藩の要職を勤めた後に円満に隠居した老人が自らの隠居生活を日記風に書き記すという話だ。

 実は筆者は,藤沢周平の小説が好きで,主要作品は繰り返し読んでいる。さっそく,本棚で埃をかぶっていた『三屋清左衛門残日録』(文春文庫)を引っ張り出して,再読してみた。読み返してみて気付いたのだが,三屋清左衛門が隠居した歳が52歳なのであった。筆者はそれまで清左衛門は60歳過ぎの老人だと漠然と思っていた。

 52歳といえば,筆者と同じ年齢ではないか。清左衛門と同じ歳になったからだろうか。40歳代のときに読んだときよりは清左衛門の境遇や心情が理解できるような気がした。清左衛門は,49歳のときに妻が死んだこともあって勤めに疲れ果てて隠居の決心をした。隠居するまでは悠々自適の晩年を夢想していたのだが,その3年後に実際に隠居したときに襲ってきたある喪失感に戸惑うのである。例えば,こんなくだりだ。


 「清左衛門が思い描いている悠々自適の暮らしというのは,たとえば城下周辺の土地を心ゆくまで散策するというようなことだった。散策を兼ねて,たまには浅い丘に入って鳥を刺したり,小川で魚を釣ったりするのもいいだろう。記憶にあるばかり久しく見る機会もなかった白い野ばらが咲きみだれている川べりの道を思いうかべると,清左衛門の胸は小さくときめいた。ところが,隠居した清左衛門を襲って来たのは,そういう開放感とはまさに逆の,世間から隔絶されてしまったような自閉的な感情だったのである。」(本書p.13)

「空白感」を真に埋めたものとは

 清左衛門を襲った「自閉的な感情」の正体とは,長年勤めていた藩の要職から離れたことによる空白感である。清左衛門はこの空白感を埋めるために,散歩をしたり,剣道の道場や漢書の塾に通ったりする。しかし,清左衛門の空白感を本当の意味で埋めたのは,藩に所属する友人や知人から持ち込まれる揉め事の相談事にのることなのであった。

 筆者としては,藤沢ファンということもあり,清左衛門がむしろ隠居という立場を生かして藩の揉め事をうまく解決するあたりにしみじみとした味わいを感じてしまうのだが,野口氏は,『「超」リタイア術』の中で,清左衛門の生き方に対して「どうしようもない寂寥感とやりきれなさを感じる」と批判的である。そして,「現代サラリーマン諸氏にも,退職後も会社時代の同僚と付き合う人が多いといわれるが,その原型がここに見られる」とみるのである。(本書p.70)。

 武士階級がこうして現役時代もリタイア後も骨がらみに藩という大組織にどっぷり浸かって生きていたのに対し,農民や商人は比較的所属する組織が小さかったこともあって,その外の世界と接する機会が多かったということのようだ。野口氏は,庄屋として多忙な仕事をこなしつつ,生花,菊作り,俳句など多彩な趣味を持っていたある農民の例を挙げている。

 農民や商人の一部の層が,充実したリタイア後の人生を送っていたのは,現役時代に遡って余暇の使い方が上手いからであり,それはつまるところ,仕事にやりがいを持っていたことが理由のようだ。これに対して,武士は仕事にやりがいを持っていなかったために,現役時代の余暇の過ごし方も,リタイア後の過ごし方も貧弱だったと野口氏は考察していく。

 「時間さえあれば余暇や退職後を充実できるかというと,そうではないのである。やりがいのある仕事に恵まれ,それが順調に進んで生き生きとしている人ほど,自由時間を充実して使える。自由時間と仕事時間は別のものではなく,密接に関連している」(本書p.79)。

また,農民や商人と武士の間にあるこうした違いは,農民や商人は勤勉に働くことが所得の向上と富の蓄積に直接的に結びついていたが,武士は勤勉に働くことが地位向上に結びつかない,という事情にも起因しているとみる。武士の位や石高は世襲で決まっており,いくら勤勉に働いても出世できる可能性は少なかった。出世できるかどうかは仕事で成果を出すというよりも,派閥争いや運で決まってしまう。

 江戸時代には,欧州の産業革命にも並び称される「勤勉革命」が起きたという説があるが(これに関連する以前のコラム),これは武士ではなく,農民や商人の世界で起こっていたことだ,ということのようである。

 背景には,江戸時代も後期になって,戦がない平和な時代が長く続いて,武士本来の仕事(=戦争)がますます少なくなっていたという事情があった。武士階級は実質的には失業者集団になって次第に貧困化する中で,組織を維持するために持ち込まれたのが,藩主や藩に忠誠を誓う集団主義的な価値観や,「武士は食わねど高楊枝」といった儒教的でストイックなモラルであった。

現代に「復活」する武士の集団的価値観

 明治維新をもって武士階級は消滅したが,江戸時代に培われた集団的な価値観は別の形で復活を遂げる。野口氏は,それがもっとも顕在化したのが,第2次世界大戦の戦時下だったとし,そのときに形成された社会・経済体制を「1940年体制」と名付けている。そして戦争は終わっても,会社組織のために働く「会社人間」の価値観として日本社会に影響を与えているとみる。

 実際,高度成長期には,集団的価値観は大きな強みとして働いたのである。ここからは筆者の推測であるが,理由として考えられるのは,産業資本主義と集団的価値観との相性がよかったためであろう。産業資本主義下では,人間の衣食住といった基本的なニーズに基づいて,高品質かつ均質で安価な製品が求められた。消費者のニーズははっきりしていて,より安く品質の良いテレビやクルマを出せば,買ってくれた。そのために,均質な製品を大量生産する必要があった。今では差異化した製品を望む消費者が増えているといわれるが,当時は皆と同じ均質な製品を持つことはむしろ歓迎すべき時代であった。

 均質な製品を大量生産する状況で日本が強みを発揮したのは,江戸時代から日本人の特性としてあるチームワークのおかげだ,といったことがよく言われる。これまでの文脈から言うと,それは江戸時代といっても,武士階級で培われた集団的価値観の影響が大きい,ということのようである(もちろん,町民の間に培われた「匠の技」の伝承の効果もあるとは思われるが)。

 個人のやりがいといった側面を見ても,産業資本主義全盛の高度成長期には個人の努力がポストや報酬という目に見える形で報いられた。経済は右肩上がりの成長を続け,会社の規模はどんどん大きくなり,ポストの数は増え続けた。日本人は集団的価値観に基づく「会社人間」であることに希望をもって邁進したのである。

集団的価値観が通用しない時代に

 しかし,1990年代に入ってバブル崩壊を契機にして右肩上がりの成長は終わりをつげた。集団的価値観が通用しない時代になったのである。通用しなくなったにもかかわらず,日本人は集団的価値観を捨てることができない。例えば,企業によっては業績が悪化して労務費削減の必要に迫られても,集団的価値観がこの場合は「皆で助け合おう」という考え方に変化して従業員を解雇できない(良いか悪いかは別にして)。過剰な人員を抱えて,少ないポストを巡って争うようなギスギスした社内環境になってしまった。

 野口氏はまた,「皆で助け合おう」ということが,「貧しい状態が望ましい」→「誰かが豊かになるのは許さない」→「全員が貧しくあるべきだ」という考え方に発展していくとみる。その結果,足の引っ張り合いと,中傷が蔓延する状況となる。現代の企業はそうした状況に陥っており,その状況は江戸時代後期の武士階級そのものだと野口氏は言う。

 こうした状況を打開する一つの方策として野口氏は,リタイア後に組織に依存して退職金と年金だけをあてにしてるのではなく,自ら事業者となることを推奨する。野口氏はその理由として,サラリーマンが天引きされている厚生年金の保険料を,事業者になることによって国民保険に移行することによって払わなくてもよくなるというメリット(それにより現年金制度の崩壊と抜本見直しを野口氏は主張している)をまずは強調しているのだが,それと共にリタイア後に独立することによって,生活に張りが出てきて,生きがいにつながるという面も強調する。

リタイア後だからこその事業化

 リタイア後の独立ということに対して日本人は一般に慎重だが,野口氏はリタイア後だからこそできる事業化があるのではないかと説く。現役時代は家族を養い,子供に教育を受けさせるなければならず,事業化に踏み切るハードルは高い。しかし,リタイア後は,自己を犠牲にする仕事からは解放され,自分の好きなことを,自己実現のためにやればよいというのである。

 もちろん,リタイア後の人生は人それぞれであるが,自己実現の一つの方策として,事業化を考えてもよいのではないか,と野口氏は提唱する。それは,つまり,江戸時代の後期と同様の成熟期に入った現代において,武士の生き方ではなく,農民や商人の生き方に学ぼうということだ。江戸時代と現代が違うのは,江戸時代は身分が固定されていて武士が農民や商人になることは難しかったが,現代は選択の自由がある。

 とはいっても,事業化して成功するかどうかは,その個人が培ってきたスキルや能力,市場からのニーズ,環境によって左右され,様々なリスクも伴う。筆者がこれまで取材などでお世話になった方々を思い浮かべても,リタイア後に事業化された方は現役時代に会社の枠を超えて注目される能力やスキルをもっていたケースが多いようだ。

 例えば,リタイア後にコンサルタントを開業したある方は,自動車メーカーで生産技術者だった現役時代からすでに,同氏が考案したある改善の手法が業界全体で評価されていた。当社からその手法を紹介する書籍を出版させていただいたほどである。先日お会いしたところ,リタイアして数年後であったが,現役時代と変わらないくらい多忙な毎日だと言う。しかも顧客は,古巣の自動車メーカーや系列の部品メーカーだけでなく,他の自動車メーカー系や,さらには異業種にまで広がっていて,日本全国を飛び回っているとのこと。まさに野口氏が提唱されるリタイア後の生き方の見本のような方である。

 ただ一方で印象的だったのは,この方が好きなゴルフをやったり飲み会をしたりといったオフの時間は,かつての同僚たちと楽しむことが多いと語っていたことである。実はその時,筆者はリタイア後の技術者の方々に生産技術のスキルを要するある仕事を依頼したいと思っていたので,かつての同僚の方々の消息を聞いた。すると,この方のように独立するか雇用延長して現役時代と同じように忙しく働いているか,仕事からまったく離れて趣味三昧の生活を送っているかの両極に分かれるというのである。

 しかも,仕事から離れて趣味三昧の生活を送っている方には,現役時代のスキルを当てにした仕事は頼めないだろうという。「鬼の○○」と呼ばれ,周囲から怖れられるとともに尊敬されていたような生産部門の強面も,リタイアして数年経つと勘が鈍ってきて,もう一度仕事しようという気力がわかないということのようだ。かといって忙しい方は時間的に余裕がなく,筆者の勝手な都合に合わせた人材はなかなかいないと思い知った記憶がある。

選択肢は両極しかないのか

 リタイア後の生き方が両極だということに関連して,東京大学ものづくり経営研究センター長の藤本隆宏氏が,『日経ものづくり』誌2008年5月号に興味深い文章を寄せている。同誌の「直言」というコラムに載せた,「大企業は社内に『ものづくり師範学校』を開設せよ」というタイトルの記事である。

 その記事の中で藤本氏は,ある企業の経営者の方と話していて,その企業が団塊世代の定年退職(2007年問題)に直面して,これはという人に雇用延長を打診しても,「私はもういいです」と会社から完全退職してしまうとぼやいていたというエピソードを紹介している。

 それに対して藤本氏は,その経営者にこう言ったのだという。「それはひょっとして,定年の皆さんに,(1)完全退職して週7日釣りをして暮らすか,(2)雇用延長で元の部下の下で週5日使われ続けるか---の二者択一を迫るからではないですか」(本誌p242)と。

 高いスキルを持っていながら現場から離れてしまう技術者を引き止める方法として藤本氏が提唱するのが,例えば,「ものづくりの管理・改善の先生」として,週3日後輩の指導にあたり,週4日を趣味三昧の生活をおくるという中間のオプションを用意することである。

「流れづくり」の先生になる

 藤本氏の指摘で重要だと思うのは,溶接道場や旋盤道場といった固有技術だけではなく,ものづくり技術を教育・伝承することである。「今相対的に足りないのは,個々の工程や技術をつなぎ,現場に付加価値を創造する流れをつくり出す,品質・生産性・納期の同時改善を指導できる『流れづくりの先生』である」(同p.242)。

 このくだりを読んでいて思い出したのは,藤本氏がある講演で,製造業の技術者には自動車技術や電子技術といった固有技術の鎧をかぶった方が多いと語っていたことである。そのような方に藤本氏は,「その鎧を脱いでみましょう。脱いだ後に残るのは何ですか?」と問いかけるそうだ(藤本氏の講演について書いたコラム)。

 藤本氏によると,脱いだ後に残るのが「ものづくり技術」である。「ものづくり」とは設計情報をある媒体に転写してお客のところまで流すことであり,「ものづくり技術」とはその流れを効率化するノウハウである。藤本氏がそれを指摘すると,固有技術にこだわる技術者ほど,「そんなことは技術でもないし当社の専門でもない。やらなかったら商売にならないから,やむを得ずやっているまでのことだ」と心外な顔で語るというのである。

 このことから考えられるのは,長年の会社生活を経て培われたスキルには,意識にのぼりやすい(目に見えやすい)もの(固有技術など)と,意識にのぼりにくい(目にみえにくい)もの(ものづくり技術など)の二種類があるということである。しかも後者の見えにくいスキルほど,実は製造業の生産性向上には欠かせない重要なものである。さらに製造業だけなくサービス産業など他の産業に適応することによって生産性が上がるという面もある。リタイア後の人生を考える際にも,こうした意識にのぼりにくく目に見えにくいスキルにも光を当てることが大切かもしれない。それには,本人の自覚と共に,周りの理解が必要であろう。

「三屋清左衛門」を再評価してみる

 さて以上の文脈を踏まえたうえで,筆者なりに『三屋清左衛門残日録』をもう一度「評価」してみると,清左衛門は現役時代は,藩主の「用人」(藩主の側に仕えその命令を部下に伝えて折衝する役目の重臣)という立場で,様々な揉め事を処理してきたノウハウを持っていた。ものを顧客にとどけるといった生産性の向上効果ではないものの,組織の中の人の流れをスムーズにするという意味での,流れづくりのプロではあったのではないかと思われる。

 確かに「藩」という組織にとどまっているという限界はあるが,そのノウハウが隠居した後にも生かされているという面では,それはそれで一つの充実したリタイア後の生き方なのかもしれない。

 そしてこの小説は,リタイア後の人間がどう生きるべきかの理想を示しているようにも思うのである。それは例えば,男同士の好ましい友情であったり,現役の人々から少し離れたところに位置取りして人間としての普遍的な価値を示すという生き方であったりする。

 例えば,第一話で,清左衛門が幼馴染で現役の町奉行(佐伯)に頼まれて,ある女性が藩の都合で理不尽な目にあっていたのを助ける話が出てくる。難色を示していた藩の重役(山根)の屋敷に押しかけて説き伏せた後に,友人である町奉行と並んで帰る次のようなシーンで話を結んでいる(本書p.41-42)。


 二人は山根の屋敷から,真昼の道に出た。上士屋敷がならぶ町は,物音も聞こえず,道にひとの姿も見えず,森閑として春の日射しが照っているだけだった。どこからか花の香がただよってくる道を,二人はしばらく無言で歩いた。
「これで終わったかな」
 清左衛門がぽつりと言った。清左衛門は一人の女がようやく理不尽な束縛を脱して,どうにかひとなみのしあわせをつかんだらしいことを祝福したつもりだったが,佐伯は佐伯でべつのことを考えていたようである。
 勢いよく言った。
「終わった。山根どのといえども,邪(よこし)まに我意を通すことは許せぬ」
 隠居と働きざかりの町奉行とは,感想にも差が出たなと清左衛門は思った。

 こうした文章を読むと,筆者はそこに,江戸時代という時代をたまたま借りて,リタイア後の人間の一つの理想像を示そうとした著者の思いを感じてしまうのである。藤沢周平ファンというバイアスがそう思わせるのかもしれないが。

(転載元)
Tech On
2008/06/06 15:00
藤堂 安人=主任編集委員

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080606/152923/?P=1
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080606/152923/?P=2
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080606/152923/?P=3
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080606/152923/?P=4
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080606/152923/?P=5
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080606/152923/?P=6  

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コメント
 
01. 2012年7月29日 09:47:14 : SuHVWfSgk2
投稿主さま、こんにちは。江戸時代で農民、商人がリタイヤ後の人生が充実していたのに対し、武士はそうでなかったと言うのは、個人事業主と勤め人の違いだったのですね。

かつての農民や商人は、ほとんど世襲でした。跡継ぎは若いうちに早く結婚し、世継ぎをもうける。子供の頃から技能を仕込んでいく。そうすると子供が早くから戦力になり、自分はラクできるのです。子供は親を養うのが当たり前だと言われて育ちましたから、何も文句言わなかった。親の残した田畑や店や家屋や顧客を次の世代に引き継ぐことが大切でした。この跡取りが女の子の場合、養子取りになりました。

この世襲システムが崩壊したのは、高度成長時代でしょう。農家が働きに出て、農業は休みに行なうようになる。商店は大規模スーパーが進出して廃業。これまた働きに出る。サラリーマンの方も、地元の勤務先で一生を終えられたのに、遠距離転勤や単身赴任が増える。世の中、サラリーマンだらけになる訳です。江戸時代で言えば武士だらけ。親を故郷に残し、転勤を繰り返さざるを得ない人も多いです。

農家も働きに出て、転勤が繰り返される。もう休日の農業すらできない。それで農協に請け負いを委託しても、件数が増えすぎて断られる。耕作放棄地がどんどん増える。親の残した田畑が邪魔になっていく。工業団地やショッピングセンターや高規格道路に買い上げられるための運動をしているのです。でも、田畑があれば食糧の生産ができる。どう考えてもおかしいですね。

サラリーマン(武士)ばかりになった現在、彼らの生殺は勤務先が握っています。勤務先の工場を閉鎖して遠隔地に統合したり、外国に移転して希望退職を募集する。務め続けるためには、勤務先の会社の方針に従わなければなりません。社畜と呼ばれる所以だ。年老いた親を残して飛ばされるのです。親達は年老いても安心できない。特に一人暮らしの場合、孤独死の危険が伴ないます。当方の周囲にも何人かいますね。定期的な訪問が欠かせません。(安否確認が主な目的)

当方は、大規模店舗の攻勢の中でも生き残った商店で、なるべく買い物をしていますが、横の結びつきが弱まっていることを痛感しますね。転勤族のサラリーマンは、住んでいるところと繋がりがないから、どうしても大規模店舗に行ってしまうのだな。そこの店員もサラリーマンだから、定期的に転勤する。安ければよいだけで、世間話もなく、買うまでの過程を楽しめないと言うか。それが物足りないので当方は行きませんが、当方みたいな人は今では少数派です。

農家や商店などの個人事業主が減るばかりでは、日本も病んだ社会になる訳です。この悪循環を断ち切ることが求められている。


02. 五月晴郎 2012年7月29日 16:09:06 : ulZUCBWYQe7Lk : 7V9IIWTBwM
>>1

ありがとうございます。

先日読んだ本に(著者が学生に)「今の中国を知りたかったら明治の日本を調べろ」と記されていて江戸と明治の違いに、はっとしましたが流動化が進むと旧い礼や人情はきえてなくなるものなんでしょうね。座頭市じゃないけど、あぁヤな渡世だ、です。


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