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帆を掲げた矢先の出来事
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投稿者 金十字架 日時 2012 年 12 月 09 日 03:36:29: mfAWtS4GF8MpY
 

(回答先: ホピ族の壁画 投稿者 金十字架 日時 2012 年 11 月 28 日 01:37:35)

「自身の生身の心を意識的に観察する」
ことを実践してみようという段階に於いては
あなたの中から数多くの疑問が津波の如く堰を切って現れる

それはあなたがようやく順風の中
海洋に躍り出た証である

あなたは自由な旅を満喫する為にこの出航を待っていたからである

しかしその為に準備した魔法の海図やコンパスをでさえも
荒れ狂う波を前にしてまったく役に立たない様に思えるかも知れない

何故そのようなことが起きるかと言えば
すべてはあなたのその挑戦意欲に端を欲するのである

当然ながらそれらはすべて「現在のあなた」の内面から生じたものである

何をするにも並々ならぬ熱意があれば容易に乗り越えられるものであるだろうし
はじめはそこまでいかなくとも如々に少しずつ何事も形づくられていくものだ

あなたがどんなにそれまでの自己を変えたいと願ったとしても
まずは自己の意識的な行動のパターンを知らなくてはならない

あなたは「それ迄の自分が嫌だったから変(換)えよう」と言うのではなしに
まず現状のあなたそしてあなたの周囲の何をも否定する事なく
徐々に移行していくという形が望ましいということをここに伝える

あなたは日々に感謝の励行を自身に強制させる事などはしないだろう
それはそれが不自然な行為だと感じられるからだ

しかしどんなことも理由もなく行われると云う事はない
あなたが何故それを行うのが自身にとって良いのかを
自身の中にしっかりと把握し理解する時
それはあなたの意思であなたの考えとして実践される

あなたが決めた事を邪魔する者はいない
だがあなたが無理に何かを「守ろう」とする限りは
そこに抵抗を見せる対峙者の影をあなた自身の中に見出してしまうだろう

そこに感情の落とし穴がある

「慈しみ」や「愛でる」という行為は「与える行為」であり
剥奪や強奪の怖れから自身の大切な何かを守ろうとする行為ではけしてない

愛とは守るべき義務などではけしてない

与える行為に尽くす者に与えられるのが喜びであり生み出されるである

何かしらの決められた立法といった基準に照らして
それをしない方が良いから我慢すると云う事が"ただしい"事などではないのだ

正しい正しくないといった議論は全くの無意味

あなたが心に想う事がエネルギーなのだ
それを抑制せずただ実行する事が何かを生み出しつづける力である

他者を守ろうとする行為とはとどのつまり自身を守ろうとする行為である
あなたがどんな言い訳を考えようともそれは変わらない

あなたが何かを愛するからこそそこに喜びがある
ただしそれが奪われると感じる様になれば
それは与える愛から抜け出て喪失の感覚を補填し維持しつづける為だけに働く
「執着」というループに陥り
あなたは他者の影を利用して自身を羽交い締めにしてしまう

それは守る行為などではなく自滅行為である
そこにあるのは愛とは名ばかりの真逆の意識の投影でしかない

これがここでいう「実践」の初歩の段階に誤りやすいポイントである

こうした考えを相容れないと考えるうちは
あなた方は同じ場所に留まり続けるだろう

本当のあなた自身の考える力そして判断力が生まれれば
外から齎されたルールや基準にも自分流の解釈をもって受け容れ
その中にあってあなたが必要ないと感じるものはしっかりとつっぱねる

そうなればあなたは自身を抑えて
自己憐憫の世界に溶け込むような自分を二度と自分とは看做さない様になる

これは単純に権力や勢力に反発する事が
改革への道のりであると云うような事ではないのだ

ステップを踏んでいこうにも
今のあなたの現実を肯定していく事が大切であり
その足許に意識を留めた新たな一歩を確実なものとしたい所だ

どのような観念群によって体系化された意識構造に
あなたは反応を繰り返しているのか

すべての考え方の基礎はあなたが時間を掛けて受け容れて来たものなのだから
自分の変えたい様にいつでもその思考回路の構造を組み直すことが出来る

だから一気にそれをやろうと思えば途端に困難にぶつかる様に見えるのである

あなたが自身を把握していく為にはあなたが自身を試行していく他はない

あなたが世界と直接繋がっているのは感覚器官である
それも肉体的な五感以外の(厳密には繋がりはある)知覚のことである
よって感覚的な理解を促していく為には自己を見つめつづける(会話)他はない

自分独自の視点や発想に気付いたらそれを試して
「何故私はそう感じているのか」と
自分に向き合い問いかけていく

そこに知恵は必ず定着を見せる
あなたが繰り返し試行することにのみ意義がある

これは修行と呼ぶに相応しいものであることに気付けば
あなたは日々の生活を楽しむ事が出来る様になる

「こんな簡単な事なら誰でも聖人になれるじゃないか」と
タカをくくるものも居るだろうがそもそも聖人も悪人もない

其処に在るのはただ存在するという意識である

あなたは人であると云う事をどう捉えて終わらせたいと考えるのか
それが出来たから人と云うものの姿は変わらないとでも言うのだろうか

何をどう捉えたらそれで答えが出尽くしたと事となるというのか

そうした発言はこの二元性の罠に囚われ続けて居る者の特徴であり好い例である
そうした者にとってはそうした理由もが必要とされているのである

何故なら道理といったものやルールと云うものは
何か特定の理由など必要とせずとも
無差別に他者を嫌悪し続ける事が出来る

何かを限定したものとして捉えつづけるからには
それが特定の理由の為になくてはなら無いものであるからだ

逆に見ず知らずの者やあらゆる事柄に対して
なんら理由などなくとも「感謝する」事は
「出来る(何も間違った事などでも不自然な事でもなく)」のである

しかし"道理"とするような「決められた事」によって
むしろその本来の姿から離れて
つまらぬ事に抵抗を感じて人を蔑視しつづける者の方が多いと言えるだろう

組織の中では特にそうだ

そうした者に限って最低限人としてのルールを知っていても利用せず
本人の前に隠しへつらって陰で愚痴をいい続けると言うような事をする
それがルールだと勘違いしている

まったくもって私には理解出来ない
魅力のない生き方だし不思議な話だ

それでも維持しようとだけし続ける
だから崩壊する

あなた方は何を選ぶのか
あなたはまずどんな自分を選ぶのか
それが社会を変えるのだ

ここでの話を実践しようと決めて自己を見つめていけば
各々が普段から如何に無意識的に-制約のある(決めつけに近い)-観念を揮って
自身の思考(に依った行動)を制御出来ていないかに気付く事が出来る

そうすれば徐々に変わっていこうとする決心もまた
日増しに固まっていく筈である

人が何かを捉える為にそこに"データ"を与える
「〜はこういうものである」といったレッテルに近いもので
他人の振舞いなどに対する自身の独断的な視点の事である

それはここで何度も言う様に
何かを「限定して捉える」ことによって
あなたもまたそこに自身を-限定的な能力的存在として-捉えられることになる

何かを批判的な目で「捉える」と云う事を通して
あなたのいる(経験する)状況を結論づけてしまうクセを治さない限り
結局あなたの行動は観念的な思い込みのループに終始してしまう

実践して行く上でポイントとなる要点は前回-のまとめ-に残した通りだが
実践して行く上であなたがひとつ躓く時がまた
あなたにとってもっとも価値の在る転換点が浮かび上がる時でもある

あなたにとって大事な事に気付く迄それは繰り返されるから
より意識的に自分に結びつこうと努めれば
よりスピードがあがっていくだろう

そこでは全ての経過が楽しめるものである筈だ

ネガティヴな感情を押しのけようとすればするほど
あなたは居たたまれない状況に陥る

それを回避するには感謝の励行がうってつけだ
何にでも感謝すればいい

あなたの身体の痛み心の痛みすべては
あなた自身が内面の問題の解消を求めているシグナルである

<痛み>を感じたらすぐに
・新たに望むあなたにとって不要な思考を手放し(前回のまとめ参照)
・胸に心地良い感情を降ろす事を目的として=深呼吸=に集中する

あなたが一度変化すればそれまでのような経験は
もう二度と訪れなくなるだろう

日増しに変化していくあなたにあなた自身が驚き続けるようになる
そこに追い風は吹き続けるだろう  

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コメント
 
01. 2012年12月10日 14:06:42 : TNv1lDcD5A
ありがとうございます。自分が変わることの遅さに苛立ちますが
 これで良いのですね。

02. 2012年12月14日 23:54:55 : q931E3NW4E
>01
自身を信じる事が出来れば、それはあなたに力が取り戻された事を意味します。

あなたの抱いている観念を変えれば、あなたもまたそこに必然的に変わらざるを得ません。
あなたが変われないのは、それまで受け容れて来た観念を手放せなていないからです。

従来、あなた方は「行動」のみが何かを実現させうるものだと頑なに信じてきました。
そしてまたそれが観念として、人々の間に長い間信じ込まれて来たのです。
よってそれに対立するような考え方は、長い間批難されてきました。

あなた方が従来の古いままの観念を抱いている限り、そこから脱却するにも時間がかかります。
そしてそれに相当する経験もまた呼び込む可能性があります。

こうした事を言葉で伝えるのははっきり言って難しいと言えます。
あなたの感性に応える表現とは、実際的にはあなたの感触の中からしか生まれない筈だからです。

常にあなたの心(感情の状態)に気をつけ、出来てないと感じても、無闇に反省をせず、落ち込んだりする必要もありません。何故なら、それは「出来ていない」という状況を新たにつくり出し維持することになるからです。
大事なのはあなたが自信を持って、日々力を蓄え続けていく事です。
ですから結果をすぐに求めないこともが大切になります。そこであなたが自身の感触としてこの事を確実に掴めれば、あとは信念に拍車がかかり、日を追う毎に前に転がっていく事になります。

あなたが疲れ果て、困り果てる状況を想い描き、それを怖れ、嫌悪する程にその状況は現実として体験する可能性が高まります。
自分の本心を包み隠そうとしても意味がありません。その誤摩化しの状態が現実的な体験となるからです。ですから、常に自分には正直である事です。
そして毎日、何か次の行動を起こす前には立ち止まって、あなたは自分にこう問いかければよいのです。
「私は今何を感じているだろう」
そこであなたが何かをする必要性に迫られていないかどうか、つまり、「楽しんで行動出来ている」、「余裕を持って"してあげている"(与えている)」、と云う気持ちであるのならば、あなたにとって好い望ましい現実だけを運び続けるエネルギーとなります。

簡単な方法として、あなたはまず「自分の為に」、どんな時にも誰に対しても、「感謝」することによって、あなたの脳波を下げ、普段の落ち着きを取り戻す事が出来ます。テレパシーというのは全ての万物の相互間に常に働いています。そこでのやりとりは表面化する事はありませんが。あなたが心からそのような態度で物事に接する時、すべては筒抜けてそこにあなたの望ましい現実の状態をつくり出す様に働きます。
あなたが何かを怖がっていれば、あなたが怖がるものを近づけてしまうだけです。
ですから"その事"をも怖れないようにする事です。
それには感謝の励行はオススメです。
勿論、頭を軽くして胸にのみ意識を置いて、深い呼吸を繰り返すだけでも効果はあります。

何度も言いますが、あなたの受け容れて来た観念が変わらない限り、あなたもまた変わりようがありません。
あなたにとって重大と感じられる事程、あなたの中で核となる観念となっている可能性があります。
恥の文化、善悪二元論、対立する感情、罪と罰、評価と批判。
それを手放す為の新たな観念を私は此処に載せて来たつもりです。

要望があればいつでもお応え致します。


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