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英語教育の必要性を説く時の「国際人」という言葉の持ついかがわしさ
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/327.html
投稿者 矢津陌生 日時 2013 年 1 月 06 日 20:52:59: fqfGCq6zf5Uas
 

小学校で英語が必修科目になった。ネットで調べても概要がよくわからないが、とにかく2011年から小学校での必修科目になったことは間違いなさそうである。国際コミュニケーション能力養成のためとか?国際人の養成とかが理由だそうであるが、その前に「国際人」とは何かを考えてみる必要があるのではないか。
辞書には、「国際人」とは
大辞泉:国際的に活躍している人。世界的に有名な人。また、世界に通用する人。
大辞林:@広く世界に活躍している著名な人。A教養や語学力があって世界に通用する人。
とでている。

しかし、英語には「国際人」の概念にはないと思う。これに近い言葉に「Cosmopolitan」という単語がある。英英辞書(Cambridge)には
Cosmopolitan:
containing people and things from many different parts of the world, or having experience of many different places and things:
日本語での近い意味は「世界のいろいろな地域から来た人や物が集積する町」または「多くの違った場所や事柄をよく知っている人(知見が広い人)」

日本語で言う「国際人」とは違うと思う。英語を母語とする人にとって、ほとんどの地域で英語が通用するなら、「国際人」とあえてことわる必要などないはずである。いろいろな疑問が出てくる。

外国語をしゃべる人が即ち「国際人」なのか?
英語をしゃべる人の内どれだけの人が「国際人」なのか?
日本ではなぜ「国際人」という言葉を使うのか?
欧米に対する劣等感そのものではないのか?
外国語を喋ろうと喋るまいが「国際人」とは直接の関係はないはずである。

日本では「国際人」ということをことさら取り上げて、英語でコミュニケーションができれば世界で通用すると信じ込まされているような気がする。あげく子供の英語教育にどんどんお金をつぎ込まされているのが現状なのではないか。このような幻想に惑わされて、多くの親たちが疑問を抱かないことが残念。最もおかしいのは、まじめな顔をしてこのような提案をする公務員、教育委員会、はたまた諮問委員会の識者といわれている人たちがいることである。テレビも新聞も、見事に英語教育をビジネスとする人々の方棒を担いでいるとしか思えない。

確かに日本語をしゃべらない人たちと英語でコミュニケーションができることはすばらしいことだと思う。人の言葉を介さずに直接話ができることはこの上もない喜びでもある。しかし、外国語を学ぶ前になすべき大事なことを忘れている。まず日本語を一定の水準で使えるようになることが先決であると思う。それから自分の住む地域や国についての知識と理解である。義務教育を受けるすべての人に「国際人」となるための教育は必要なのだろうか?

ただでさえ教育現場が抱える問題多いのに、なんでまた新たな混乱を招くようなことするのか理解できない。日本人のすべてが国際コミュニケーション能力を必要とするわけではない。英語を教える以前に小学校で教えるべきことがたくさんあるのではないか。小学校の義務教育ではわざわざ英語を教育する必要は全くないと考える。必要と思う親はその機会を子供に与えてやればいいだけである。


矢津陌生ブログ http://yazumichio.blog.fc2.com/blog-entry-8.html より転載

 

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コメント
 
01. 鎌田の富士山 2013年1月06日 21:23:54 : Qor9q0B7HbDd. : 0snjWRnmd6
賛成!

02. 2013年1月07日 00:08:33 : EYHTwT0u8w
語学は手段だ。ということを忘れてる気がする。
私自身が一応、大学まで出てるくせに英語がまったくダメ、な言い訳でしかないのかもしれないけど、やっぱり、英語が出来なくても困らないものな。日本って。
スペイン語話者にとってポルトガル語って超簡単な外国語だそうだけど、日本語と英語って違いが大きい、ま、そんなこと言ったって始まらない、のも確かだけど。
しょうがないよね、できなくて。
とか言ってると東南アジアからの観光客に道聞かれて『信号』ってなんていうの
かもか思い出せなくて焦ったりするけど。あとはまァ。生まれて初めてナンパされたのが英語しかダメなアメリカ人だったとか。実話です。でもいいんだ。好みのイケメンじゃなかったもん。酸っぱい葡萄じゃないぞ。

もしかして矢津さん、そのお名前。ブログも少し拝見させていただいたのですが、中国語の先生かなんかされてる?こういうことネット上でお聞きするのはマナー違反なんだろうか。だとしたらごめんなさい。

英語圏の植民地になる、というのは時代的にもナンなので、日本語の出来ない外国人をあっちこっちからいっぱい移民させて、日本語だけでは生活に不便な国にすれば、目指す『国際人』が育つのでは?

英語が母語でないのにペラペラって、そういう環境が多いでしょう。シンガポールとかインドとか。昔、知り合いだったインド人は11種類の言語が喋れて、うち半分はインドのコトバだと言っていた

日本国内で日本語ネイテイブの日本人同士で、英語で会話してる会社って、滑稽だが。同僚や上司が外国人ならしょうがない。積極的に日本語のできない外国人を採用しましょう。

観光客から道聞かれた時、外国人からナンパされたとき(外国人をナンパするとき)自分が海外旅行に行った時、のために、母語もままならない頃から英語!!
って言うのはやっぱり異常だ。
重箱の隅つつくような受験英語になるのは必然だと思います。他に使い道ないんだから。


03. 矢津陌生 2013年1月08日 11:14:56 : fqfGCq6zf5Uas : GlxJVggAm6
日本人(特に親)は英語をどういう目的で学ぶのかという意識が欠けているとおもいます。

例えば、イギリスを除くヨーロッパの観光地のカフェに入ると圧倒的に外国人(20年前はポルトガル、ギリシャ、トルコ、東欧諸国の人)労働者が多く、その国の人間(フランス・イタリア・スペイン)があまりしゃべらない外国語でも喋りました。しかも複数の言語で。生活の糧を稼ぐうえで、必要最低限覚えるわけです。彼らにとっては外国語習得は生活の道具として、目的が明確なのです。

概ね、大国(と思っているイギリス、フランス、イタリア、スペイン−自国だけで生活が完結する−日本もそうです)の人々は母語以外の言語を学習する意欲が薄い。それは無理に覚えなくても自国で不自由なく生活することが可能だったからです。

その典型が英語を母語とする人たちです。あちこちの空港などでよく見かける“Is there anyone who speaks English?”「だれか(も)英語をしゃべらない(の)か?」と偉そうに発する言葉に象徴されます。(彼らは得ですね−でもこれも一面的な見方でしょう)

英語を喋れる人が多い国は、自国だけでは国の産業が成り立たない、あるいは端的に就職の口を探すために、英語(外国語)を学ぶことに熱心なのです。

しかし、彼らとてなかなか複雑な政治や経済の話をすることはできません。そういう意味では、日本人で高度な話題を英語(外国語)でできる人の割合は他の国に比しても決して低くないと思います。それは英語の問題ではなく、総合的な知識が必要だからです。でなければ、これだけ産業が発展することはなかったと思います。(今少し揺らいでいるような気がしますが)

ちなみに、日本国内で日本語ネイテイブの日本人同士で、英語で会話するのは英語を使う訓練をしているだけです。日本語を解さない人が交じった場合の議論の予行演習です。決しておかしくありません。ドイツやフランスでもよく見かける風景です。やっとそうなってきたかといった感じです。

ただただ試験のためだけに学習するのは非常にもったいないと思います。
手を抜いて趣味の方に没頭した方がいいのではないでしょうか?

親が疑問なしに英語教育のために教育費を惜しげもなく払うから、上達しない子が多い。学ぶ人がはっきりと目的意識を持っていれば問題ないとおもいますが。


04. 2013年1月08日 12:03:49 : z10zlOiGig
>>04

言語は政治。

覇権国が世界語になる。それだけ。

ローマ帝国時からキリスト教世界はラテン語が世界語

ルターの聖書翻訳で世俗化→分岐

くわえて言語は通信のみではありません。
思考段階から言語の網から逃れられません。


05. 2013年1月08日 12:10:51 : z10zlOiGig
つづき

現在の英語―世界語状況は

大英帝国の植民地主義の帰結

第二次大戦で日独伊が勝っていれば、あるいは冷戦が逆転しソ連が
拡張していたら、現在の世界語は全く違っていた。

英語の文法が他の印欧語に比べて極端に曖昧なのは
話者が爆発的に増え、統制が利かない。
世俗化の帰結。
シェイクスピア時代までの英語はドイツ語同様、厳格な規則が保たれていた。

世界語→覇権



06. 矢津陌生 2013年1月08日 14:26:52 : fqfGCq6zf5Uas : GlxJVggAm6
>言語は政治。
確かに、軍事力があって、政治力があって、産業や商業が盛んな人々の言語が覇権を築く。まさしく、英語はその世界支配までの過程をまざまざと世界中に見せつけた。世界で15億人が使う最強の言語だ。(母語としての話者の数では中国語が最多であるが)

英国がスペインの無敵艦隊を打ち破り、商業先進国のオランダを屈服させ、海上権を把握して、英語が北アメリカの共通語となった。アメリカ合衆国が後を継ぐように世界の最強国となり、第二次大戦後の冷戦構造に勝利した後、近年のインターネット世界での圧倒的な影響力は他の追随を許さない。数百年は最強言語の座は揺るがないであろう。

今や最強言語である英語もその生い立ちは、イングランド島に移ったわずか数万人単位のゲルマン系部族方言が基になっており、何度も言語消滅の危機に晒された。

最大の危機は11世紀にフランス語方言を喋るノルマン人に征服され、英語はフランス語、ラテン語に次いで被征服民が喋るだけの3番目の言語まで落とされた頃だ。300年ほど地下に潜るように、公文書の言語としてはフランス語が使われ、英語が使われることはなかった。

イングランド島を征服したノルマン王朝が本国フランスの領土を失ったために、皮肉なことに対抗上今まで使わなかった英語を喋り、イングランドを統一・団結した。しかし、依然としてローマ帝国で使われたラテン語が、キリスト教世界を支配するヨーロッパの共通語であった。

英国の母語として確立したにもかかわらず、英語翻訳の聖書は禁書となり厳しく取り締まれた。最初に英語に翻訳した、ウィクリフは死後墓を暴かれ、遺体を焼かれ、灰は川に捨てられた。次に精力的に英語訳を広めようとしたティンダルは王の間諜にヨーロッパ捉えられ火刑に処された。

しかしながら、ウィクリフと同時代のチョーサーやティンダル死後半世紀して活躍したシェイクスピアなどの英語使いの天才たちが英語の用法を磨くことにより、汎用性の高い(ほとんどのことを表現できる)言語へと育てた。


>第二次大戦で日独伊が勝っていれば、あるいは冷戦が逆転しソ連が
>拡張していたら、現在の世界語は全く違っていた。
それはあり得なかったと思う。
第一次大戦で英国が負け、プロシャかフランスが覇権を取っていたら、変わっていたかもしれない。実際に英語の前に外交で使われた言語はフランス語。ドイツ語は当時もヨーロッパでの最多数の話者を持つ言語だった。

中国が英国にアヘン戦争を仕掛けられ、簡単に屈するような状況でなかったら(覇権を競いあうくらいの国だったら)、日本・韓国を含めて景色は随分変わっていたと思う。中国としては一番悪いタイミングで欧米列強がやってきたのかもしれない。日本と戦争して負けるぐらいまで、列強にズタボロにされた。

英語の最大の特徴はゲルマン系とラテン系の両方を取り入れたことによる。両方を取り入れたために話者を増やす一因となった。チョーサーやシェイクスピアがこの用法を確立させるのに大きな働きをしたのは否めない。「統制が利かない」ことが世界中の言語を取り入れる要因に働いた。

日本語にもこの「統制が利かない」、外来語を取り入れやすい素質がある。国の状況も英国とよく似た背景を持つ。
大陸から海峡を隔てた島国
前住民(ケルト・アイヌ)を征服、島の端に追いやった(前言語の痕跡が少ない)
大和朝廷はノルマン人の征服を彷彿とさせる
先進文明語(ギリシャ/ラテン語・中国語)を取り入れ母語大きく膨らませた
母言語を操る大作家を輩出(シェイクスピア・紫式部)した(ちょっと大げさか)

こういう言語の変遷にも目を配りながら、これからの日本語はどうあるべきかを考えなければならないと思う。


07. 2013年1月08日 15:18:30 : z10zlOiGig
言語保持は国策です。
フランスが日本に外務省直系の言語機関 日仏研究所を置いています。
ドイツ政府の外務省機関ゲーテインスティトゥートも日本に三箇所ある。
イタリアしかり中国しかり。

貿易-通商に有利になるように自国ひいきの人脈を外国で育成する。
留学生を集める目的。若年期に留学し優遇されると、後に
出生し、政府機関や民間企業の役人になっても
半永久的にその国を優遇しようと振舞う。

外国語機関は英国はあるが、アメリカはない。
なぜなら米国は伝統がなく、代わりに軍事力を持っているから。

日本だけクールジャパンだかいうサブカルに便乗しようとする。
サブカルは自生的な民間のもので、政府が民間の宝を横取りしているという意見もある。
公的な日本語学校を世界に置くほうが長期的に味方を増やし、国力アップになるはずだが。



08. 矢津陌生 2013年1月09日 15:28:54 : fqfGCq6zf5Uas : GlxJVggAm6
日本語はいつから言語保持に努力しなくなったのでしょうか?
日本の文化はいつからこんなに浅くなってしまったのでしょうか?

明治維新以降?
日露戦争に勝ってから?
第二次世界大戦中から?
連合軍に降伏してから?
バブル期から?
小泉政権になってから?

それとももとから浅かったのでしょうか?


09. 2013年1月10日 12:08:45 : ecHZ8oBNYs
GHQが主犯でしょうが、維新も敗戦もバブルもそうでしょう。
通商―貿易に関する経済要因が最も大きい。
外来語流入で価値多様に陥り日本語が崩れる。しかし
内外の境界を往来する情報から言語が崩壊して行くのは
自然の成り行きともいえる。

本来それを是正するのが国家の教育の指針のはずだがそうはなっていない。
(保守観点)
おまけに流行語大賞みたいのが恒例になり、言語の乱れを肯定的にしてさえいる。
(左派観点)

日本人は言語は政治問題ということを見逃している。しかし
その割には中央集権が極端で、地方の方言は蔑視され標準語こそ美だと
言う風潮が強い。
田中克彦などは国内-地方に強権的(霞ヶ関)であるにもかかわらず、
海外(欧米)にへつらう教育観を疑問視する。

日本語が消失する時に日本が消失する。


10. 矢津陌生 2013年1月11日 17:04:10 : fqfGCq6zf5Uas : GlxJVggAm6
日本ほど母国語を大切にしない先進国もめずらしい。あるいは、先進国と思っていることが間違いなのか?

第二次大戦後GHQに漢字を廃止するように促された。なんとか押しとどめたが、小説家の志賀直也が「日本はフランス語を国語に採用してはどうか」という主張をした。「当時の日本はダメだ」と思ったにしてもあまりにも情けなさ過ぎる。大野晋氏が自著の中でひどく憤慨されていた。

「外国流にすれば日本の悪いところが直る」と安直に考えている日本人が多すぎるのではないか。変革の時にあまり深く考えもせずに何でも変えようとするのは先祖から引き継いだDNAのなせる技なのか?

日本の右翼が「アメリカから自立しろ」と主張した話しはあまり聞かない。「アメリカとの関係を確固たるものにしなくてはならない」と主張しても「アメリカからの自立」を唱える自民党政治家もほとんどいない。日本の右翼や政治家はアメリカの飼い犬になってしまったのか?

日本語を大事にする教育ができそうな政治家がほとんどいないのが残念だ。哲学がないというか底が浅いと言うか。国語学者もテレビのクイズ番組で回答者なんかするなよって言いたい。

政治家から学者まで、数多のタレントと同じレベルで、テレビに出て顔を売ることがそんなに大事なことなのかな?テレビには「軽チャー」という言葉が似合う人があまりにも幅をきかせている。


11. 矢津陌生 2013年1月14日 11:07:49 : fqfGCq6zf5Uas : 5tVnTJTB37
訂正
小説家の志賀直也(間違い)

小説家の志賀直哉

12. 2015年6月11日 15:46:59 : G3QlIGFIpI


リンガ・フランカのすすめ(内田樹の研究室)
http://blog.tatsuru.com/2010/05/12_1857.php (全文拝借します)


大学院のゼミで、シェークスピアの受容史について論じているときに(いったい何のゼミなんだろう)通訳翻訳コースの院生から、私の論の中にあった「言語戦略」という概念についての質問を受ける。
● 言語は政治的につよい意味を持っている。
● 母語が国際共通語である話者は、マイナー語話者(たとえば日本語話者)に対してグローバルな競争において圧倒的なアドバンテージを享受できる。
なにしろ世界中どこでも母語でビジネスができ、母語で国際学会で発表ができ、母語で書かれたテクストは(潜在的には)十億を超える読者を擁しているのである。
● 自国のローカルルールを「これがグローバル・スタンダードだ」と強弁しても、有効な反論に出会わない(反論された場合でも、相手の英語の発音を訂正して話の腰を折る権利を留保できる)。
だから、自国語を国際共通語に登録することは、国家にとって死活的な戦略的課題である。

●ご案内のとおり、20世紀末に、インターネット上の共通語の地位を獲得したことによって、英語は競合的なヨーロッパ言語(フランス語、ドイツ語、ロシア語)を退けて、事実上唯一の国際共通語となった。
世界中どこでもグローバルな競争に参加するためには英語を習得することが義務化している。
● そして、その「グローバルな競争」なるものは「英語を母語とする人々」がすでにアドバンテージを握っている「構造的にアンフェアな競争」なのである。
一言語集団にこれほどまでの競争上のアドバンテージが与えられたことは、人類史上おそらくはじめてのことである。
ことの良否はわきに置いて、まずそのことを事実として認めよう。

●多くの人はリアリストであるので、「では英語を勉強せねば」と考える。
そして、英語学習に励むことになるのであるが、その場合にマイナー言語を母語とする英語学習者に示される学習方法は、ほとんど例外なしに「オーラル・コミュニケーション」を中心にしたものとなる。
● 「会話はいいから、まず文法と講読を」ということを言う英語教育者はきわめて少数である。
誰もが「まず発音」と言う。
なるほど。
● だが、このような学習法の提案がもっぱら英語を母語とする人々から提言されていることを見落とすべきではない。
なぜ、彼らは「オーラル重視」ということ「ばかり」言うのか。
● 彼らは英語が国際共通語になり、多くの人が英語を解することからもちろん利益を得ている。
なにしろ、世界中どこに行ってもIs there anyone who can speak English? と問えばだいたいの用事は済むのである。この問いに誰も答える人がいなければ、肩をすくめて「野蛮人の国に来ちまったぜ」とひとりごとをいえば気持は片付く(用事は片付かないけど)。
● けれども、英語が国際共通語になり、自在に英語を使う人間がある程度以上の人数を超えた時点で「英語を母語とする国民」が現在享受しているアドバンテージは失われる。
当然である。
● それが国際共通語になった国語のかかえる「背理」である。
自国語が国際共通語であることは自国民に多くの利益をもたらす。
● けれども、国際共通性があまりに高まると、その利益は失われる。
● 国際共通語には「損益分岐点」が存在する。
それは「こちらの言うことは向こうに通じるが、向こうが耳障りなことを言い出したらこちらには通じなくなる」程度の英語力である。
● それが非英語圏の人々がとどめおかれるべき理想的な英語力レベルなのである。
外交交渉でも、ビジネスシーンでも、国際学会でも、英語話者がしゃべる話はその場の全員が理解できて当然であるのだが、非英語圏の人間が話すことについては英語話者は「まるで幼児の話を聴いているような見下し目線」をとることが許され、「何を言っているのかわからない」といってリジェクトする権利が留保されている、そのような非対称的な言語状況においてはじめて自国語が国際共通語になったことによって得られる利益は「最大化」する。
● だから、私がいまアメリカ国務省の小役人で、言語を戦略的に考えるポストにあれば、「非英語圏の人間には、オーラル中心の語学教育法を勧奨すべし」というレポートを長官に提出するはずである。

なぜオーラル・コミュニケーション中心の学習法が言語の非対称性を維持する上で有利であるかについてはこれまでに何度も書いた。
● 植民地ではオーラル中心の語学教育を行い、読み書きには副次的な重要性しか与えない。
● これは伝統的な帝国主義の言語戦略である。
● 理由は明らかで、うっかり子どもたちに宗主国の言語の文法規則や古典の鑑賞や、修辞法を教えてしまうと、知的資質にめぐまれた子どもたちは、いずれ植民地支配者たちがむずかしくて理解できない書物を読むようになり、彼らが読んだこともない古典の教養を披歴するようになるからである。
植民地人を便利に使役するためには宗主国の言語が理解できなくては困る。
けれども、宗主国民を知的に凌駕する人間が出てきてはもっと困る。
● 「文法を教えない。古典を読ませない」というのが、その要請が導く実践的結論である。
● 教えるのは、「会話」だけ、トピックは「現代の世俗のできごと」だけ。
それが「植民地からの収奪を最大化するための言語教育戦略」の基本である。
「会話」に限定されている限り、母語話者は好きなときに相手の話を遮って「ちちち」と指を揺らし、発音の誤りを訂正し、相手の「知的劣位」を思い知らせることができる。
「現代の世俗のできごと」にトピックを限定している限り(政治経済のような「浮世の話」や、流行の音楽や映画やスポーツやテレビ番組について語っている限り)、植民地人がどれほどトリヴィアルな知識を披歴しようと、宗主国の人間は知的威圧感を感じることがない。
● しかし、どれほどたどたどしくても、自分たちが(名前を知っているだけで)読んだこともない自国の古典を原語で読み、それについてコメントできる外国人の出現にはつよい不快感を覚える。

●日本の語学教育が明治以来読み書き中心であったのは、「欧米にキャッチアップ」するという国家的要請があったからである。
● 戦後、オーラル中心に変わったのは、「戦勝国アメリカに対して構造的に劣位にあること」が敗戦国民に求められたからである。
私はそれが「悪い」と言っているのではない。
● 言語はそのようにすぐれて戦略的なものである。
英語圏の国が覇権国家である限り、彼らが英語を母語とすることのアドバンテージを最大化する工夫をするのは当然のことである。
● 非英語圏に生まれた人間は「それだけ」ですでに大きなハンディを背負っているような「仕組み」を作り上げる。
これを非とする権利は私たちにはない。
● 日本だって70年前には東アジアの全域で、「日本語話者であることのアドバンテージが最大化する仕組み」を作ろうとして、現に局所的には作り上げたからである。
● けれども、ハンディキャップを負う側にいる以上、「どうやって英語話者の不当に大きなアドバンテージを切り崩すか」ということを実践的課題として思量するくらいのことはしてもよいと思う。

私からのご提案はとりあえず一つだけ。
● それは、びっくりされる方もおられると思うが、「英語」という包括的な名称の廃絶である。
● かわりに暫定的に「lingua franca」という言語カテゴリーを作る。
かつてヨーロッパにおいてはラテン語がそうであった。
知識人たちはローカルな国語を生活言語として持つ一方で、ラテン語で著述し、書簡を取り交わした。
● 私はこの「リンガ・フランカ」はフェアな仕組みだったと思う。
というのは、ラテン語については「ラテン語を母語とする国民」というものが存在しなかったからである。
知的競争に勝つチャンスは、とりあえずヨーロッパの言語圏においては平等に分配されていた。
この状況を21世紀のリンガ・フランカについても適用すべきではないかと私は思う。
では、「英語」ではないところの「国際共通語(リンガ・フランカ)」とは何か。

福岡伸一先生がこんなエピソードを紹介していた。
アメリカで分子生物学の学会があった。
福岡先生がその開会セレモニーに参加したとき、学会長の挨拶があった。
学会長はドイツ人の学者であった。
彼はこう言ったそうである。
「この学会の公用語はEnglish ではありません」
会場はどよめいた。ではいったい何語で学会は行われるのであろうか・・・
学会長はこう続けた。
「この学会の公用語はPoor Englishです」
私はこの構えを支持するものである。
Poor English はシェークスピアやポウを読むための言語ではない。
それは「英語を母語としない人々同士が意思疎通を果たす」という目的だけに限定されたリンガ・フランカである。
Poor Englishをオーラル・コミュニケーションの場で用いる際のいくつかの規則をここで定めておきたい。

(1) 決して話者の発音を訂正してはならない
(2) 決して話者の文法的間違いを訂正してはならない

「発音の間違い」や「文法的な間違い」が指摘できるということは、「正しい発音」や「正しい文法的表現」が「正解」として知られているということである。正解がわかっているからこそ、それが「誤り」であるとして訂正可能となるのである。
正解がわかっているということは、話者が「何を言いたいのか」はすでに知られているということであり、それはPoor English においては十分なコミュニケーションが成立しているとみなされる。

(3) ただし、自分より話すのが下手な人の「言いたいこと」をより適切な文に「言い換え」て対話を継続することは許される。
(4) Poor Englishは学校教育のどの段階から開始しても構わないが、教師は「英語を母語としないもの」とする。

とりあえず、私が思いついたルールは以上の4点である。

●非英語圏の英語教育は「リンガ・フランカ教育」と「英語教育」に二分すべきだと思う。
この二つは別のものでなければならない。
● 日本の英語教育が失敗しているのは、この二つを混同しているせいである。
「リンガ・フランカ」では日常的コミュニケーションでもっとも使用頻度の高い語から教える。
● 「英語」でははやい段階から英米文学の古典を教える。
「リンガ・フランカ」では身ぶり手ぶりもピジンもすべて正規の表現手段として認められる。
● 「英語」では、古典を適切な日本語に翻訳すること、修辞的に破綻のない英文を作ることを教育目標に掲げる。
中学なら時間割の時間配分は5:1くらいでよろしいであろう(もちろんリンガ・フランカが5)。高校になったら3:1くらいにして、大学ではできたら2:1くらいまでに持ってゆく。
これは「英語がほぼ独占的な国際共通語になった」という歴史的状況に対処するための、たぶんいちばんプラクティカルなソリューションであると私は思う。

●小学生程度の英語を流暢に話す技能を「英語ができる」と評価することに私は反対である。それは「リンガ・フランカがよくできる」という項目で評価し、「英語ができる」という言い回しは「仮定法過去完了」とか「現在分詞構文」とかがぱきぱきと説明でき、He is an oyster of a man というようなセンテンスを嬉々として作文に使う子どものために取っておきたいと思うのである。
どうであろうか。
難波江さんの意見聞きたいんですけど、どうでしょうね。

uchida : 2010年05月12日 18:57
___________________


彼は牡蠣のように寡黙な人だ(内田樹の研究室)
http://blog.tatsuru.com/2010/02/27_2350.php
____________________________________


文法訳読は本当に「使えない」のか - JAELL 日本英語英文学会
http://www.jaell.org/gakkaishi23rd/Sachiko%20SUGIYAMA.pdf#search='%E3%81%BE%E3%81%9A%E3%81%AF%E6%96%87%E6%B3%95%E9%87%8D%E8%A6%96%E3%81%AE%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E6%95%99%E8%82%B2%E3%81%8C%E9%87%8D%E8%A6%81'


13. 2017年4月06日 12:18:34 : iWxwP1cJDg : SGzbpVOZsZE[1]
10. 矢津陌生先生へ

>日本語を大事にする教育ができそうな政治家がほとんどいないのが残念だ。

>哲学がないというか底が浅いと言うか。

>国語学者もテレビのクイズ番組で回答者なんかするなよって言いたい。


大賛成です。
英語を武器として考えるなら、早期教育には反対しないのですが、何しろ国語第一主義にすべきだと考えます。
母国語である日本語教育を疎かにしたら、まともな日本人も翻訳家や通訳も育ちませんから。
国際人=根無し草&地球市民ではないと思います。
それと、国語にしろ英語他の外国語にしろ、語源から派生語から類語まで体系的に教えてもらいたいです。それで語学がどれだけ面白くなることか・・。
文科省大臣様には、その辺りを御一考頂ける様に切にお願いしたいものです。

ところで、面白いブログがありましたので宜しければご覧ください。

 ↓

山下太郎のラテン語入門

ラテン語を学ぶ意義

2013年6月21日
http://www.kitashirakawa.jp/taro/?p=2949(一寸拝借して部分抜粋)

(略)・・お気づきの通り、日本の場合、漢文は中国語として学んできたのではないということです。いったん日本語に直し、日本語で意味を考えてきました。日本語を磨いてきたと言い換えてもいいと思います。(略)・・


・・日本文化の特徴は「多様性」にあると思います(「料理」についてとくにこのことを強く思います)。私の希望は、ヨーロッパ人が自国の文化創造の隠し味として、ラテン語の言葉を今も大事にするように、私たち日本人もその素晴らしさにふれてほしい(翻訳でもよい)。同時に、東洋の現代を生きる国民として、漢文の素晴らしさも再発見したいと思います。

こうして欧米文化のふるさとであるラテン語(+ギリシア語。もっともラテン語を通じてギリシア文化も現代に伝わる)と東洋文化のふるさとである漢文を学ぶことで、きっと今までになかった──漱石・鴎外は漢文+欧米の現代語の理解──知的創造が生まれると期待しています。

---------------------------------------

にしのことばのみちのく

英語源探求のこころみ
http://gejirin.com/English/mitinoku-eng01.htm(同じく部分的に拝借)

(略)・・もう一つ例を挙げましょう。

・arise [辞書検索]

・early [辞書検索]

・orient [辞書検索]

・Aryan [辞書検索]

・alien [辞書検索]

この5つも同源と思えるわけです。

「日が立ち上る (arise) 方角を東 (orient) と言い、その方角に住む人々をアーリア人 (Aryan) という。彼らは我々ユダヤの民にとっては異邦人 (alien) である。」・・(略)



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