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の宗教改革の先駆者 ジョン・ウィクリフ
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投稿者 矢津陌生 日時 2013 年 1 月 29 日 16:24:26: fqfGCq6zf5Uas
 

ローマ・カトリック教会に反旗を翻し、結果的に英語の表現を飛躍的に高めたジョン・ウィクリフ(John Wycliffe, 1320年頃 - 1384年)はヨークシャー・ラタワースに生まれた。マルティン・ルター(Martin Luther、1483 - 1546年)やフルドリッヒ・ツヴィングリ(Huldrych Zwingli、1484 - 1531年)の活動より約100年も早い宗教改革の先駆者である。彼の活動は約20年後のボヘミアのヤン・フス(Jan Hus, 1369 - 1415年)の改革運動につながっていく。

非常に興味深いのは、ウィクリフに聖書を英語に翻訳する必要性を確信させたのが、イングランド国王のリチャード2世(アンジュー家最後の王)に嫁いだボヘミア出身のアン王妃がチェコ語の聖書を持っているのに、国王には英語の聖書がなかったことだ。逆に、ウィクリフの宗教改革の思想(著述した哲学書など)はアン王妃とのつながりから、ボヘミアにも大きな影響を及ぼし、フスの宗教改革につながっていった。

当時、西ヨーロッパの人たちの生活は王から庶民にいたるまで、生活のすべてはキリスト教によって律せられ、その内容は全てローマ・カトリック教会が握っていた。教会は地域別に教区、その上に大司教区があり、頂点にローマ教皇(法王)がいた。完全な縦割りの組織が確立していた。教会は領地を持つことが許され、旧約聖書を根拠に十分の一税も徴収した。教会の神父の地位は金銭で売買される対象となり、神父としての人間の資質やキリスト教の教義などの知識は二の次で、高位であればあるほどその地位を得るには、権力や資金を要した。

宗教が権威や利益と結びつくと、古今東西、いつでもどこでも腐敗が始まるのはある意味当然である。教会の中にも聖書の内容を無視した権力と金の亡者が跋扈するようになる。神父は妻帯を認められない筈が、愛人を囲い子供をもつ聖職者がざらにいた。免罪符を売って、自分らの贅沢や教会を壮麗にするために蓄財をした。このころから、王権と司祭権の権益争いの衝突が始まり、1378年にローマ教会の大分裂(シスマ/アビニョンの捕囚)が起こる。ローマ・カトリック教会の権威が揺らぎ始めた。

ウィクリフの初期の活動は、オックスフォード大学の研究者であった。彼は1358年にベイリオールカレッジの学寮長となった。さらに研究活動を続け、1372年博士号をとった。当時のオックスフォードの研究コースは自由7科(天文、数学、論理学など)をおさめて教養コースを終えると修士、後半の医学、神学、法学などをおさめると博士となり、ウィクリフは優秀な学者だった。

1373年頃から宮廷での活動を始めたことが、歴史の表舞台へ登場するきっかけになった。その当時ローマ教皇とイングランドの間で聖職叙任や課税を巡って係争が続いており、1374年教皇庁の役人と協議するためにブリュージュ(現在のベルギー)への使節の一員となった。これがウィクリフに新しい視点を与えることになり、後に「世俗的支配権について」を著すことになった。

ウィクリフは教会が財産を持つまで世俗化し、免罪符を売ったり、強制的に懺悔させたりすることで蓄財をし、聖書の内容をよく知らない牧師や修道士が民衆にキリスト教を語ることに大きな矛盾を感じた。国家が教会財産没収について容認するような発言をするようになると、彼の主張は結果的に貴族側の肩を持つことになり、ランカスター家の祖であるジョン・オブ・ゴーントの保護を受けことになる。ロンドンに移ったウィクリフは教会財産の没収や世俗化批判に言及する説教を行った。

しかし、これは教会の権益を当然害することから、1377年にロンドン司教によって査問にかけられる。貴族たちの応援で査問は結論の出ないまま終わる。ところが、ローマ教皇グレゴリウス11世(アビニョン捕囚からローマに戻った教皇)はウィクリフの著作「世俗的支配権について」を知り、彼を捕らえるよう国王や司教たちに教書を送った。貴族たちは逆にウィクリフを宗教顧問として雇ってしまい保護することになる。翌1378年には再度査問にかけられるが、貴族やロンドン市民たちの妨害で続行が不可能となる。

オックスフォード大学の教授であり、敬虔な聖職者であったウィクリフは、ラテン語に堪能で直接ラテン語の聖書を読み、神学者・哲学者でもあるので、ローマ・カトリックの説く教義が聖書から大きく離れていることを理解していた。ウィクリフの聖書英訳の大きな動機は、教会の現状が教義からあまりにもかけ離れて腐敗しているため、これを正すには聖書から直接人々が教義を学び共有することだとの考えに至ったことにある。

貴族たちの庇護のもとウィクリフは、ローマ教皇を批判したり、教会の聖域権の論争に加わったりして、現状のカトリック教会の批判を繰り広げ、「聖書の真理について」、「教会について」、「国王の任務について」、「教皇の力について」などの著作を精力的に出した。しかし、1379年パンと葡萄酒がキリストの肉と血に変わるという「化体説」を批判する「聖餐について」を発表するに至って、保護していた貴族や大学まで敵にまわしてしまうことになった。

ウィクリフはオックスフォードから追われラタワースへと隠棲せざるを得ず、聖書の英語訳に専念する。ウィクリフは2年後に死去。死後30年経って、1414年コンスタンツ公会議で異端と宣告され、さらに12年後ウィクリフの墓は暴かれ、遺体は燃やされて、灰は川に撒かれてしまった。ウィクリフとその思想を復活させてはならないとの、カトリック教会の凄まじいまでの執念である。

ウィクリフは聖書を最高の権威として考え、彼と同じ志を持つ多く仲間たち「ロラード派(Lollardy)」の手で、共同作業により聖書が英語に翻訳され、筆写されていった。彼の死後も1407年に禁止令がでるまで多数の写本が作られた。この同志たちも異端として攻撃され、多くの人が命を落としていった。写本は現在180部が残されている。多くの英語訳の聖書が焚書扱いになっていることを考えると、まだ印刷機のない時代に膨大な数の翻訳聖書が筆写されたと考えられ、殉教覚悟の改革の熱意が推し量られる。

現代の視点から見ると、ラテン語の聖書しか認められず英語訳の聖書が禁じられているのはとても不思議なのだが、当時のヨーロッパはキリスト教が社会全般の絶対の規範であり、規則であった。ローマ・カトリック教会の情報統御は当然と言えば当然であった。いつの時代でもそうだが、支配する側からは権益につながる情報は開示されず、むしろ秘密にしておいた方があらゆる面で都合がいいのである。

正しい主張には異端と名付けて葬り去るのが権威者・権力者の常套手段。自浄作用をなくした組織は腐り果てて多くの犠牲(生命)を強いることは、この現代にも続いているようだ。3.11は8.15に匹敵する、あるいはそれ以上の崩壊と考えられるのに、まだまだ多くの人々の犠牲を必要としそうである。8.15の総括が自国民としてできなかったが故に、3.11の総括ができないことは同じ線上にあるようだ。

矢津陌生ブログ http://yazumichio.blog.fc2.com/blog-entry-307.html より転載  

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コメント
 
01. 矢津陌生 2013年1月29日 16:50:41 : fqfGCq6zf5Uas : GlxJVggAm6
表題のあたまに「イギリス」が抜けてしまいました。
の宗教改革の先駆者 ジョン・ウィクリフ
  ↓
イギリスの宗教改革の先駆者 ジョン・ウィクリフ

と読み替えをお願いします。
すみません。


02. 2013年1月30日 19:03:04 : AZ02ygbwXQ
世界史で習いますね、ウイクリフ、ヤンフス、当時のカトック教会は聖書を一般民衆には読ませなかったのですね、聖書に帰れと運動して、フスは火あぶりにされた。

03. 内村 2013年1月31日 01:36:53 : SejzIizB2YFyw : FRN49gJZac
>02
>当時のカトック教会は聖書を一般民衆には読ませなかったのですね、聖書に帰れと運動して、フスは火あぶりにされた。

 そんなに単純じゃないよ。ローマ皇帝がネズミ捕りのようなローマ教会(実は悪魔が基の教会:モルモン書)をこしらえたときから聖書は教会の奥深く隠され、これを読んだ者は死刑。聖書は秘密の禁書だったんだよね。初期のローマ教会は本当のキリスト教徒(大半はユダヤ人)を捕らえるネズミ捕りの教会だったんだよね。
 ナチスのユダヤ人迫害もこれに似ている。ナチス帝国はユダヤ人(ユダヤ教を信じる人達)のホロコーストだけでなく、最終目標は(偽キリストを信じない本当の)キリスト教徒(モルモン教や末日聖徒イエスキリスト教会のような教会)の殲滅にあったらしい。いまのルター派の教会や聖公会はローマ教会と違いはないという意見が多い。マリア信仰などの偶像崇拝がまだあるためにそういわれている。


04. mainau 2013年2月01日 08:13:18 : GgaPs4QXWLwO2 : 85rTG3hiJk
>>ウィクリフに聖書を英語に翻訳する必要性を確信させたのが、イングランド国王のリチャード2世(アンジュー家最後の王)に嫁いだボヘミア出身のアン王妃がチェコ語の聖書を持っているのに、国王には英語の聖書がなかったことだ。

-だれがチェコ語という民族言語に翻訳したのだろうか。
-ウィクリフの英語への聖書翻訳もまったくの初訳というものではなく、すでにあった英語の翻訳を集めたり、改訂したりしたものであったらしい。
-ウィクリフから、フスは後に予定論を踏襲することになる。この系譜を見ると、ルターがさらに予定論引き継ぐことになる。人間の救いは予定されており、ローマ教皇などが立ち入る余地は全くない。人間の理性が立ち入る余地は全くない。救いは、まったく人間の知り得ない神の予定の意志に基づく。予定論とはしばしば誤解されているようだが、実は深遠なる思想なのだろう。
-イスラエルは神の選びの民である。これについて、ルターは全く解釈をまちがえた。しかし、イスラエルの選びは究極的には、予定論のような全能を前提としてのみ理解できるのだろう。


05. 矢津陌生 2013年2月01日 15:14:11 : fqfGCq6zf5Uas : GlxJVggAm6
>>-だれがチェコ語という民族言語に翻訳したのだろうか。
1348年に神聖ローマ皇帝カール4世によってプラハ・カレル大学が創立された。当時のドイツ語圏では最古の大学。さすがに大学内では翻訳はしなかったのでしょうが、教育を受けた優秀な人がたくさんいたのでしょうね。中世のチェコでは聖書関連の翻訳がすでに豊富であった。ウィクリフの証言ではアン王妃が1381年の婚姻の時はすでにチェコ語の新約聖書を手にしていたから、その時までに暫時、複数の手でチェコ語に翻訳されただろうと英語のウィキペディアに記述されています。そういう背景もあってヤン・フスも登場したのでしょう。

>>-ウィクリフの英語への聖書翻訳もまったくの初訳というものではなく、すでにあった英語の翻訳を集めたり、改訂したりしたものであったらしい。
古英語への部分的な翻訳はかなり進んでいたと「英語の冒険」に書いてあります。

他の2つの項目は詳しくないのでコメントできません。
悪しからず。


06. mainau 2013年2月01日 16:49:15 : GgaPs4QXWLwO2 : 85rTG3hiJk
翻訳の歴史はおもしろい。プラハというのは、そのように古い大学の伝統があったのだ。
プラハという街は、確かに大物が出る。近代では、フランツ カフカがそうだ。プラハには当時、ユダヤ人知識人のサロンみたいなのさえあったという。興味深い街だ。
"独自のスラブ文化と併せて一種の国際性も古くから備えた都市"
と、wikiで説明されている。
"1346年にボヘミア王カレル1世が神聖ローマ帝国の皇帝に選ばれ、カレル4世(ドイツ語名カール4世)となると、神聖ローマ帝国の首都はプラハに移され、プラハ城の拡張や、中欧初の大学、カレル大学の創立、カレル橋の建設とヴルタヴァ川東岸市街地の整備などの都市開発が行われ、ローマやコンスタンティノープルと並ぶ、ヨーロッパ最大の都市にまで急速に発展。「黄金のプラハ」と形容されるほどだった。" http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%8F


07. あやみ 2013年2月03日 06:10:32 : oZZpvrAh64sJM : R1J4D8doog
こんばんは

聖書の原本は当然ラテン語ではありませんよね。
原本かどうかは証明されていませんが、現存する最古の聖書「バルナバス聖書」はスリアーニ文字で書かれたアラム語によるもので、これはイエス・キリストの母語といわれています。また、それより古い聖書といわれるものも古美術品窃盗団から押収され、8年間トルコの警察に保管された後アンカラの博物館に委託収蔵されています。

ちなみにイスラームの聖典クルアーンはアラビア語で書かれ、今日も原本のまま読まれています。多言語への「翻訳」は厳禁で、アラビア語圏外で「訳本」と思われているものはあくまで「解説書」です。聖典の翻訳は訳者の意図が働くこと、誤訳の可能性があること、そして何よりアラビア語がもつ韻律の中に篭められた神性がうしなわれることが禁訳の理由です。

聖書の英語訳を禁じた理由はイスラームの態度を模倣した部分もあると思います。どうであれ、オリジナルからラテン語に翻訳しておきながら盗人猛々しい。

いまアラム語を話すのはシリア・ダマスカス近郊に暮らす少数民族に限られています。戦火に炙られるこの地の人々に国連は救済の手を決して差し伸べません。


08. 矢津陌生 2013年2月04日 16:32:03 : fqfGCq6zf5Uas : GlxJVggAm6
あやみさまコメントありがとうございます
聖書を記述するのに使われた言語はヘブライ語と思っていたのですが、1946年の『死海文書』の発見などがあり、結構ややこしい問題があることを初めて知りました。

大雑把には、旧約聖書は『ヘブライ語聖書』、新約聖書は『ギリシャ語聖書』みたいですね。紀元前1世紀のイスラエル周辺ではヘブライ語、アラム語、ギリシャ語、ラテン語の4つの言語が使われており、イエス・キリストが使用した言語はアラム語だけではなく、ヘブライ語も使用したバイリンガル。それに加え、ギリシャ語、ラテン語の知識も豊富だったようですね。

弾圧されたキリスト教はかえって信者数を増やして一大勢力を得た。最初は弾圧したローマ帝国も手に負えなくなり、キリスト教と手を結んだ。その瞬間から、キリスト教は権益とつながり変質していったのでしょうね?

朝鮮半島から日本にとりいれられた仏教は、最初は貴族の慰み(流行文化)であったが、朝廷が民を束ねるための道具とした瞬間から変質したのでしょうね。後に、空海や最澄が個人の生き方(哲学)に重きをおいて中国に渡り仏典を持ち帰り(これも権力争いの臭いがしますが)、当時の教養人の支持を得た。鎌倉時代は武家政権の教養となり、庶民のための仏教となるのは、鎌倉時代以降の曹洞宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗などである。しかし、徳川家康は手に負えない浄土真宗の力を削ぎつつ、権力の道具として使った。

イスラームにも似たようなことがあるのでしょうね?

宗教が個人の生き方(哲学)の枠内であれば、毒気は強くないのですが、宗教側から権益にしようとする人間が出たり、権力が宗教を道具として使う瞬間から宗教は変質してしまうと思います。


09. 2013年2月04日 19:30:36 : W52Vxo5Rp2
08>
>弾圧されたキリスト教はかえって信者数を増やして一大勢力を得た。最初は弾圧したローマ帝国も手に負えなくなり、キリスト教と手を結んだ。その瞬間から、キリスト教は権益とつながり変質していったのでしょうね?

 初期のキリスト教はユダヤ教内の一分派(メシア派とでもいえるでしょうか)であってローマ帝国内でのキリスト教弾圧の実体は、ユダヤ教とユダヤ地下組織の弾圧でもあったといわれている。ネロなどのローマ皇帝はライオンにキリスト教徒を喰わせたり、松明の代わりに燃やしたというほどすざましい弾圧を行ったようです。
 弾圧されたキリスト教徒はそれこそ地下にもぐり、教会はなく聖書を開いた場所がすぐに教会となったというほど教えを守り続けたようだ。このキリスト教地下組織の末が、中世のカタリ派キリスト教会や今のモルモン教会だともいわれている。ユダヤ教自体の地下組織は新約聖書にパリサイ人とよばれる人たちが作りあげたようだ。
 ローマ帝国も弾圧に代えて、パウロなどローマ市民となったユダヤ人を使い、ユダヤ人をとらえるおとりのキリスト教会をつくりあげ、(ユダヤ人と異邦人)キリスト教徒が、ローマに友好的な教会をつくりあげたらしい。
 このパウロとは、手先となったユダヤ人をパウロという名で新約聖書内に記述した人物のことであろう。つまり新約聖書はローマ人が作り上げた偽書だったようだ。
 ヘブライ語、アラム語、ギリシャ後のどの言語で書かれようと、元が偽書だったいわれている。もちろん本当のキリスト教徒の書いた書は、ヨハネの黙示録として編集されているといわれている。これはダンブラウンの小説に詳しいだろう。
 どの言語で書かれているかは、本質的でなく、信仰と宗教の書であるということで(ローマ)文学書としての扱いは本質を見誤るだろう。
 イエスやパウロに該当する人物は2000年もの昔に実在したであろうが、新約聖書からは真実の物語を汲み取れないでしょう。歴史上のイエスと信仰上のイエスといわれる由縁でしょう。


10. 矢津陌生 2013年2月05日 12:26:30 : fqfGCq6zf5Uas : GlxJVggAm6
09.さま コメントありがとうございます。
少しわかりにくいのですが、
「ローマ帝国とキリスト教が手を結び、ユダヤ教を弾圧・圧迫した。新約聖書は、キリスト教徒によって書かれたヨハネの黙示録以外は、ローマ人が書いた偽書である。実在したイエスと、新約聖書に基づいて信仰されるイエスは別物であり、キリスト教の教義は正しく伝えられていない。」というご主旨ですか?

であれば、現在のキリスト教信者の方にとっては由々しき問題と考えます。コメント欄に書き込まずに、別途投稿され、ご主旨を具体的に展開されたらいかがでしょうか?


11. 2013年2月05日 16:36:08 : TUPxsc98ho
阿修羅ではキリスト教を陰謀論から理解してらっしゃる方が多いようです。
09様アウグスティヌスお読みになりましたか。陰謀論の本は読んだことありませんが子供の頃にアウグスティヌスの本は読みました。アウグスティヌスの本を読んだ上でのコメントなのかお聞かせください

12. 2013年2月05日 17:34:16 : TUPxsc98ho
11ですが理解してらっしゃる方が少しおられるようですに訂正します。

ジョンウィクリフとても勉強になりました。ありがとうございます。


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