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日本の自主独立を考える上で参考にすべき「スイス連邦の直接民主主義」の成り立ち
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/389.html
投稿者 矢津陌生 日時 2013 年 2 月 21 日 09:42:49: fqfGCq6zf5Uas
 

スイスの典型的な美しい景観は、アルプス山岳地帯の谷沿いに、牧畜を中心とした小集団の集落をつなぎ合わせたのんびりとした風景が特徴だと思う。この風景はフランスから東欧に至るアルプス山地に共通の風景でもある。アルプスは約1,200Kmに渡り西はフランスのサヴォアから東は旧ユーゴスラビアのスロベニアまで続く。

スイスが永世中立国となる経過やその自立心・独立心の確かさは、日本人が見習うべきところがたくさんある。山岳地帯であるがゆえに、厳しい環境の中での生活であった。日本ではあまり知られていないが、山崩れで集落ごと壊滅したことが何度もあるそうだ。日本では報道されなかったが、昨年の5月南部のイタリア語圏アルプスでも大崩落(山崩れ)があり、欧米では大きくニュースに取り上げられた。幸い犠牲者は出なかったが、崩落のあった山裾の危険区域に指定された建物は閉鎖された。
崩落動画:http://www.youtube.com/watch?v=Q6JCR1HZpeE

スイス人の独立心はハプスブルグ家の圧政から逃れた人々が、厳しい環境で暮らすことを選択することで培われたと言える。ハプスブルグ家に対抗して団結し、国を守り通したがゆえに国防の意識と独立心はおそらくヨーロッパ一高いと思う。ヨーロッパの大国の人々とは全く違う自負心がある。愛国心は軍国主義に繋がることはなく、他国に干渉されないための自衛力はその軍備よりも意識に優れる。その意識の高さから、農業や産業が育たない貧しい国の事情と相俟って、「血の輸出」と呼ばれる傭兵派遣がスイスを支えていたことがある。

13世紀末(1291年)にオーストリア・ハプスブルク家に対して、3つの州が盟約を結んで(原初同盟)、立ちあがったのがスイスの始まりである。14世紀末、神聖ローマ皇帝の帝位をめぐる、ハプスブルク家とバイエルンとの争いで、圧政を敷いたハプスブルク家に反抗してスイスの農民同盟はバイエルンを支持。ハプスブルク家のフリードリヒはスイス領内に侵攻したが、スイス農民軍が勝利した。この戦いの過程で原初同盟の3州に加えてルツェルン、チューリッヒ、ベルンなどの都市が同盟に加わる(八州同盟)。その後も同盟の力を結集することで、スイス領内へ侵攻したブルゴーニュ公国の軍勢を破った。

このころに尚武と独立の資金を購うために、スイス傭兵隊の制度が組織化されるようになった。ヨーロッパ戦場でのスイス傭兵の勇敢な活躍が目立った。常に独立の戦いに備えて、戦場での実戦は独立戦争の訓練を兼ね、かつ国家(州)の貴重な収入源でもあった。評判の悪い傭兵制度は、スイス国民にとっては自主独立を確実にするための制度であり、彼らの発明と言っても過言ではない。例外的に、今でもローマ教皇とバチカン市国の警備隊(1506年近衛兵としてスイス人傭兵を採用)を務めるが、戦争への傭兵輸出禁止(1874年)、外国軍への参加禁止(1927年)を国民投票で決めた。

16世紀の宗教改革の時は、プロテスタント急先鋒のチューリッヒ軍とカトリック連合軍が衝突、宗教改革で有名なツヴィングリも戦死した。和平協定でカトリックとプロテスタントは共存体制を作ることで合意。州ごとに宗教問題に対応すると決められ、「アウクスブルク和議(プロテスタントの一部容認)」の先取りとなった。ヨーロッパ全土を巻き込んだ三十年戦争(1618年-1648年)では、スイス人傭兵の多くの血が流れた。この戦争の最中、スイスは国として「武装中立」を宣言、中立を維持するための国境防衛軍が創設された。

神聖ローマ帝国からの独立を確実にした17世紀、18世紀は内乱が起きたが、フランス革命の影響で、ヘルヴェティア共和国が設立された。フランス革命の破綻ですぐに瓦解し、ナポレオン1世の調停で、スイスは各州単位の地方自治体制に戻った。ナポレオン後を処置したウィーン会議で、スイスは永世中立国として国際的に認められた。このときフランスの占領下にあった州が連邦に加わり現在に至る。

その後カトリック諸州が独自の同盟を結び、分離独立しようとして内戦が起きた。この内戦を収束させるため連邦制度が採択され、州の代表からなる連邦議会が防衛、通商、憲法に関する事項を担当、それ以外の全ては各州に任されることになった。この基本的な枠組が現在に至る。スイス連邦は第一次世界大戦と第二次世界大戦でも中立の立場を貫くが、多くの国や人がその中立を利用した。政治亡命、諜報活動、裏表の外交、資金の隠し場にもなった。

ナチス・ドイツのポーランド侵攻で、スイスも43万人の民兵が動員され、非常体制がとられた。ドイツがベルギーを攻撃すると、スイスでも国民総動員となり、女性兵士も動員された。スイスは難民の受け入れも拒否していたが、多くのユダヤ難民を受け入れた。ナチス・ドイツと連合国側の狭間でスイスも脅迫されたり、爆撃されたりした。中立とは難しいものである。

第二次大戦後スイスは原爆の製造と所持を検討したが、国民投票で原爆非保持が決まった(1958年)。第二次大戦後国際連合加盟の是非を問う国民投票が何度か行われ、ようやく2002年の投票で可決され、加入した。スイスは欧州連合(EU)にはいまだに加入していない。リヒテンシュタインを除く全ての国境をEU加盟国に囲まれる。

政府より州の権限が強い直接民主制度や、伝統的な文化や生活スタイルを重んじる国民性はこういった歴史と環境に育まれたものである。国民生活に重要な問題はすべて国民投票で決定するという直接民主制度をとっていることと、女性の参政権の獲得が遅れているのは矛盾しているようで表裏一体なのかもしれない。なんでも直接民主制で決めようとするから、なかなか変革が難しいが、自分たちが決めたことはきちんと守る。

スイスは多言語国家でもある。人口790万人弱(国土面積42,000Ku弱)で、ドイツ語話者70%弱、フランス語話者25%、イタリア語話者5%、ロマンシュ語話者が1%程いる。ドイツ語、フランス語、イタリア語が公用語で、学校では12歳前後から第二言語を学び、15、16歳から第三言語を学び、フランス語とドイツ語のバイリンガルも多い。こういった複数の言語を持つ国民が他の言語を当たり前に学ぶ環境のせいか、英語学習のハードルが低く、都市部のスイス人はほとんど英語を喋る。外国人は英語だけでも生活に困ることはないといわれる。

スイスでは直接民主主義の制度に対する意識が高く、当たり前のように提案や投票を行う制度が確立されている。成人になると、二つの権利が与えられ、先ず国民発議、住民発議ができる提案権(イニシアティブ)。有権者10万人以上が要求すると、国民は連邦憲法の全部または一部の改正の提案を行うことが可能。もうひとつが投票権、有権者5万人以上が要求すると、連邦法や条約の改正案が国民投票(レファレンダム)にかけることができる。連邦レベルの国民投票は年間4〜5回あり、国連加盟や労働時間の短縮など生活に直結する多くの問題が国民投票にかけられ、ほとんどが否決されるそうだ。

スイスは連邦制国家で、国内には23のカントン(州)があり、それぞれが独立性の強い自治権を持っており、中央政府より州の力が強い。しかも各州にはそれぞれの伝統があり、考え方も違えば、州の憲法や税制や教育制度も違う。山間部は谷間ごとに文化伝統があり、自分たちの固有の文化を守ろうという意識が強い。画一化を嫌い、号令で自分たちの意に反することを強制されることには、自主独立を守ってきたDNAが許さないのだそうだ。

労働時間を週40時間に短縮しようという提案も「これ以上国民が遊んでは国がもたない」という反対意見が7割近くで否決。その他にも高速道路のスピード制限を130キロにしようという提案から、税制改革案や軍隊廃止論まで様々な問題が国民投票にかけられるそうだ。スイス国民は国民投票で物事を決めたがるため、周知のための文書だけでも膨大なもので、大変な手間と費用がかかりながら、国民は非常に保守的で、新しい法や制度はほとんど否決されるそうだ。国会議員が決めさえすれば法が執行される国とは全く違う意識だ。

例えば、女性の参政権を投票する場合、男性による投票で決まる。新たに権利を獲得していかなければならない女性にはきわめて不利である。それでも女性の参政権が認められるまで、大変な労力を使ったらしい。連邦政府レベルで女性の参政権が認められたのは1971年。それでも州レベルでの女性参政権は多くの州で否決されたそうだ。女性側にも「女性は家庭を守り、子どもを育てるのが本来の役目」「政治は兵役と同じように男の義務」と考える女性も多いそうだ。女性の参政権を連邦政府が決めてから20年後になってもまだ実施しない州が当たり前に存在する。(もちろん都市と谷間での意識は違う。)

スイスには国民皆兵の徴兵制度がある。男性は18歳時に兵役検査受け、合格者は20歳で15週間の初任訓練を受ける。36歳まで数年に1回は十数日間の補充講習を受け、初任訓練から数えて合計で一年弱の兵役に就かなければならない(女性は任意)。仕事関連の人が、休暇を取るようにして、軍の訓練に駆り出されていた。兵役に行くのはみんな当たり前だと思っている。36歳を過ぎても多くの男は、有事の際は正規軍に組み込まれる予備役を志願する。会社の役職の高い人ほど、予備役を志願する人が多い。スイス国内では社会的責任を果たす当然の感覚として行き渡っているようだ。自主独立と国防意識の高さには敬服する。当然スイス国内では外国軍駐留や外国軍の軍事施設は一切認めない。

スイスは陸軍と空軍を有し、陸軍は船舶部隊があり、スイス人はこれを海軍と呼び三軍を持つと自慢する。「海軍」は国境のレマン湖、ライン川、ボーデン湖に配置されている。スイスは「武装中立」を宣言しているが、第二次大戦開始前からの「資源を持たないスイスが、資源を持つ国との通商は生存権の行使であって、国際法で定められている中立義務に違反しない」との主張をいまも貫く。国民の生活を守るために必要な資源を外国から輸入し、加工して輸出することで、利益を上げることは当然の行為と考えている。石油などを積んだ排水量3000トン未満の船なら、オランダのアムステルダム港からドイツを経由してライン川を遡行してバーゼルまで来ることができる。

スイスの核シェルター普及率はほぼ100%で、一般的な家庭ではそのための地下に部屋があり、これが武器庫でありワイン貯蔵庫になっている。予備役を退くまで武器(小銃)は各自で保管している。東西冷戦下の対立が厳しかった時は、弾薬も貸与されたそうだ。この時でも銃による殺傷事件などは他の国に比べて圧倒的に少なかった。アメリカと違い、武器所持の意識が大きく違うのがその差であると思われる。緊張感が緩んで、事故が増えたことで弾薬は回収されたそうだ。しかし有事の際は、動員令を受けた予備役には弾薬がすぐに貸与される。1991年の国民投票で良心的兵役拒否が認められるようになり、介護や医療などの代替役務も制度化されている。

いままでの我が国の歴史や周辺国の状況も考えずに、「国防軍」とか「非武装中立」と声高に叫ぶ前に、「自主独立」、「国を守る」とはどういう事であるかひとりひとりが真剣に考えるような教育をすることが先決である。喫緊に必要だと思うことは、日本は本当に自主独立しているのから始まって、我々が祖国を守ることとは何を守ることなのか、そのためには何が必要なのかを議論しなければ、日本は永久に「自前の憲法」など作ることはできないと思う。多くの政治家やジャーナリストは一体なにをしているのかと嘆きたくなる。


矢津陌生ブログより転載
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